「イエスの家族」関口康牧師
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 459番 飼い主わが主よ(1、4節)
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「荒れ野の誘惑」
マルコによる福音書1章12~15節
関口 康
「それから、〝霊〟はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」
今週もまだもう一日だけ、小学校の授業が残っています。それ以外は、今年度私が働いている学校での授業はすべて終了しました。学年末試験が行われている最中の学校と、まもなく始まる学校があります。それも終われば今年度の私の学校の仕事はすべて終了です。
学校内部の情報について外部で語ってよいことは全くありません。私個人について「来月から大きな変化がある」ということは言ってよいでしょう。学校での私の仕事がすべて無くなるわけではありません。今年度は3つの学校を兼任する過密な状態でした。その状態から解放されます。そして来月から始まる動きは、私にとって集中力が高まる方向にあります。
これは私の話です。しかし本質的には昭島教会の事柄です。そのように理解していただきたいです。教会の牧師がキリスト教主義学校の聖書科の教員であることで、礼拝出席者や教会員数や献金収入が増加するわけではない以上、教会にとって何の貢献もないという考えが支配的になるようなら、私は学校の仕事をやめます。しかし、そうではないと、みなさんが認めてくださっていますので、安心して学校で働いています。
そのような昭島教会の姿勢は、過去70年にわたって教会の伝道に携わりつつ、同時に幼稚園の責任をお持ちになっている石川献之助先生の一貫した姿勢から学ばれたことに違いありません。牧師が教会の中だけにいて、教会員の方々とだけ付き合っている状態が「伝道」だという考えが教会のどこにも見当たりません。反対に、牧師こそが教会の外へと、地域社会へと積極的に出て行くべきで、教会の建物や境内地は地域社会に開放されるべきだという考えが根付いています。
「牧師の働きが教会の働きである」と申し上げているのではありません。たとえ牧師が不在でも教会は教会として存在します。それは自明すぎるので、あえて言葉にする必要すらありません。しかし、教会の実務のいくつかの部分を牧師も担当させていただいていますので、このようなことを言わせていただいています。
先週の日曜日は、2021年度第2回教会定期総会を行いました。新年度役員・運営委員の選挙を行いました。そして秋場治憲伝道師招聘を満場一致で可決し、新年度教会組織が確定しました。来月から昭島教会に3人の教職です。これを「伝道の好機」と呼ばずして他に何と呼ぶでしょう。
私はこれまで以上に安心して学校で聖書を教えることができるようになります。私は単身赴任中ですので、「どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまう」(Ⅰコリント7章32節)状況にありません。ひたすら集中して御言葉を宣べ伝えることができます。
先ほど朗読いたしました聖書の箇所に、「神の子イエス・キリスト」(1節)が「ガリラヤで神の福音を宣べ伝える」(14節)宣教活動をお始めになる前に「荒れ野」(12節)で「サタンから誘惑を受けられた」(13節)ことが記されています。そのことが、とても短く書かれています。
今日の聖書箇所も日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。それは日本キリスト教団内の多くの牧師が、今日この箇所で説教している可能性を示唆しています。
実際に昨日、友人の牧師がインターネットに、「マルコの荒れ野の誘惑の記事は短すぎて、何を語ればいいか分からない」(大意)と書いておられるのを見て共感しました。この物語の拡大版は、マタイによる福音書にもルカによる福音書にもあり、どちらからでもいろんな課題や教訓を引き出すことができるのに、マルコの記事は短すぎて話しにくい、というわけです。
私も同じことを考えました。そして、そうだと思うならマルコによる福音書だけにこだわらず、マタイやルカの平行記事をどんどん引用すればいいではないかという誘惑が起きましたが、その誘惑に負けないようにする必要があると思いました。
わたしたちが「テキストに縛られる」必要があるのは、自分の言いたいことが先にあり、それを補強するために都合のいい聖書の箇所だけを選んで自説を組み立てる誘惑に負けないためです。マルコによる福音書を読むときは、マルコによる福音書のテキストに縛られなければなりません。
今日の箇所の内容を理解するために、ひとつ前の段落から読む必要があります。イエスさまがヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられたとき「天が裂けて〝霊〟が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になった」(10節)と書かれています。「御自分に降った」〝霊〟は、イエスさまの外にとどまり、空中に浮遊していたでしょうか。そうでなく、イエスさまの心と体の内部に入り込んだと考えるべきでしょう。
すると、〝霊〟が「イエスを荒れ野に送り出した」(12節)というわけです。イエスさまご自身が「よし、荒れ野に行こう」と計画を立て、それを実行されたのではなく、外部から降って来て内部に入り込んだ〝霊〟が、イエスさまを荒れ野に行かせたのです。自発的でなく、強いられています。使役されています。「行かされて」います。
行き先は「荒れ野」です。砂漠を指しますが、砂しかない乾燥地帯だけを必ずしも考えなくてよいでしょう。40日間、かろうじて生命を維持できるだけの環境は確保されていたでしょう。
そして、その「荒れ野」にいたのは「サタン」と「野獣」と「天使」であると言われています。その中でイエスさまはひとりで過ごされたように描かれています。ただし、「野獣」はともかく、「天使」と「サタン」は、目に見える存在として想像しなければならないことはないでしょう。目に見えない、霊のような存在を思い浮かべてよいでしょう。だとすると、目に見える存在は、「荒れ野」の光景と「野獣」だけです。あとは何もありません。ほとんど「虚無」の状況です。
そのような何もないところで、何をするでもなく、ひたすら虚しい時間を費やすことが、その後のイエスさまの宣教活動にとって必要だったからこそ「強いられた」のです。「サタン」の誘惑と「野獣」の恐怖の中で「天使」だけに守られ、あとは何も自分を守ってくれない、圧倒的な孤独を味わう必要があったので、〝霊〟がイエスさまを強いて、荒れ野に連れ出したのです。
イエスさまだけの話であると考えなくてはならないでしょうか。私はそうは思いません。宣教に携わるすべてのキリスト者と関係があります。宣教は孤独と隣り合わせだからです。ひとりであることに全く耐えられない人が宣教の任務に耐えるのはとても難しいでしょう。「天使」だけに助けてもらい、あとは何もない。その状況と宣教が無縁であることはありません。
イエスさまがその模範を示してくださいました。イエスさまは宣教で多くの弟子を得ましたが、十字架を前にしたとき、すべての弟子が逃げ去ったので、再び孤独に戻られました。
ひとり暮らしをしている人たちへの福音です。孤独であることは決して無駄ではありません。福音宣教の大きな備えです。圧倒的な孤独の中でこそ、すべての孤独な人の思いを引き受けることができます。「荒れ野」はすでに、イエスさまにとって「十字架」と同じです。
(2022年3月6日 聖日礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 6番 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
「起きて歩く」
マルコによる福音書2章1~12節
関口 康
「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」
今日の箇所に描かれているのは、イエスさまがおられた家に4人の男が中風の人を運んで来て、その家の屋根によじ登り、イエスさまがおられる辺りの屋根をはがして穴を開けて、病気の人が寝ている床を吊り降ろして、イエスさまに助けを求めた話です。
想像するだけでぎょっとする話です。その家はガリラヤ湖畔のカファルナウムにありました。シモン・ペトロの実家だったと考えられます。中風の人にとっても4人の男たちにとっても他人の家です。その家の屋根を破壊したというのですから驚きです。
しかしイエスさまは4人の行動に感動なさいました。他にもたくさんの人がその家に集まっていてイエスさまに近づくことができないので、緊急手段としてそこまでのことをしたこの人たちの、病気の人への熱い思いを、イエスさまが汲み取ってくださいました。
それでイエスさまは、その人たちの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦される」と言われました(5節)。これはどういう意味でしょうか。中風の人が何か罪を犯したのでしょうか。それは具体的に何の罪でしょうか。それを考える必要がありそうです。
他人の家を破壊した罪でしょうか。他にも大勢の人がいたのに順番を待つことができず、追い抜いてイエスさまのもとにたどり着いた罪でしょうか。そんなことを言うなら、救急車は罪深いという話になりかねません。別の意味を考えるほうがよさそうです。
私も調べました。イエスさまが「赦される」と、「赦す」の受動形を用いて主語をおっしゃっていないのは、当時のユダヤ教の言葉遣いだったそうです。ただし、ユダヤ教の場合、主語は必ず「神」であり、「神があなたの罪を赦す」という意味です。しかし、イエスさまがおっしゃったのはその意味だと考える必要はないという解説を読みました。主語は「神」ではなく、イエスさまご自身であり、「私があなたの罪を赦す」とおっしゃっているというのです。
また、別の解説(カール・バルト)に、イエスさまはこの言葉をその人の罪を“否定する”意味でおっしゃっているとも記されていました。しかし、その場合は、「あなたには罪がない」という意味ではなく、「あなたの病気の原因はあなたの罪ではない」という意味になるでしょう。
そして、その意味として最も近いか全く同じと言えるのは、ヨハネによる福音書9章1節以下のイエスさまのみことばです。生まれつき目の見えない人について、その原因は何か、だれが罪を犯したからかと尋ねたときイエスさまがお答えになったことです。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9章3節)。
そういうことをイエスさまがおっしゃったからこそ、そこに居合わせた律法学者たちが反応しました。「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(7節)。そのように彼らが考えました。
ここでわたしたちが見落としてはならないのは律法学者の反応の中にある「口にする」という言葉です。イエスさまが「あなたの罪は赦される」と“言う”ことです。「言う」と「考える」は違います。律法学者が反応したのは、イエスさまがそれを“言った”ことに対してです。
イエスさまは口を滑らされたわけではありません。自覚的・意図的に「わたしがあなたの罪を赦す」と宣言されました。この点が当時のユダヤ教と激突したと考えられます。なぜならユダヤ教にとって「罪の赦し」は複雑で多岐にわたる儀式を経てやっと実現することだったからです。イエスさまのように「言うだけ」で十分なら、複雑な儀式も、儀式を行う宗教者も、儀式のための宗教施設も、すべて否定されてしまい、無用の長物同然になるからです。
これでお分かりでしょうか。律法学者たちにイエスさまが「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と質問されたことの答えは、どちらでしょうか。
正解はどこにも記されていませんが、おそらく正解は「あなたの罪は赦される」と“言う”ことのほうが「易しい」です。面倒な儀式よりも、罪の赦しを“宣言する”ほうが簡単です。
いま痛みに苦しみ、悩んでいる人の心の中に「この私の苦しみや痛みは自分の犯した罪のせいなのか。私が悪いのか。私のどこが悪いのか。私は何も悪いことなどしていない」と義人ヨブのように葛藤し、苦悶する思いがもしあるならば、「あなたのせいではない!」と宣言することで、その人の心の重荷を軽くするために、面倒な儀式は要りません。言葉だけで十分です。
そして、そのことをなさったうえでイエスさまは、中風の人に「起きて、床を担いで歩け」とお命じになり、その人は歩けるようになりました。
わたしたちはイエスさまと同じ奇跡を行うことはできません。しかし、イエスさまと同じ方法で人の心の中から重荷を取り去り、軽くすることはできます。
石川献之助先生が、ご自身と私との共通のルーツを見出してくださったのは、今からちょうど50年前のクリスマス(1971年12月26日)に6歳になったばかりで幼稚園児だった私に成人洗礼を授けてくださった日本キリスト教団岡山聖心教会の永倉義雄先生が、救世軍士官学校の卒業生だったことです。石川先生のお父上の石川力之助先生も、救世軍の方でした。
もっとも私は救世軍についてほとんど知識はありませんし、永倉牧師から救世軍について特別多くのことを教えてもらった記憶はありません。それでも少しくらいは学んでおきたいと思い、つい最近のことですが、日本で最初の救世軍士官、山室軍平氏(1872~1940年)の『平民の福音』(初版1899(M32)年)を読みました。その中に今日の箇所に通じることが書かれていましたので、この機会にご紹介いたします。
「私共はまず、第一に、これまでの罪とがのゆるさるるため、又たましいを生まれかわらせていただくために、神様に祈とうせねばならぬ。そうして既にそのお祈が聞き届けられ、救いの恵みを受けたものは、進んでこれまでのあしき癖や、又は種種なる信仰上のさまたげに打勝つために、神様に祈らねばならぬ。(中略)
祈に面倒臭い儀式などない。子が親に物を言うに、なんでそんなによそよそしい切り口上がいり用なものであろう。(中略)
唯だ大切なるは真実をもって神様に祈ることである。又神様が祈をおききなさると信仰することである」(山室軍平『平民の福音』第520版、1975(S50)年、75~76頁)。
なんとシンプルでしょう。山室氏によると、罪が赦されるために祈らなければならない、祈りに面倒な儀式はない、子どもは親によそよそしいことを言わなくていい、真実をもっての祈りを神様が聞いてくださっていると信じて祈るだけでいい、というのです。私は全く同意します。
面倒な儀式よりも、真実の祈り。それこそがわたしたちをいやし、慰め、助けます。
(2022年2月20日 聖日礼拝)
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「種蒔きのたとえ」
マルコによる福音書4章1~20節
関口 康
「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は五十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」
今日の箇所の内容も、教会生活が長い方々にとってはよくご存じのところです。イエスさまはしばしば、たとえ話を用いて語られました。眼前の民衆にとって身近な題材を用いて教えることがお上手でした。イエスさまのたとえ話が今日まで多くの人に愛されているのは、内容に時代や民族の違いを超える普遍性があることが認められてきたからです。
今日の箇所の内容は「種蒔きのたとえ」です。内容に入る前に、イエスさまがこのたとえを、どこで・だれにお話しになったかを確認しておきます。そのことと、たとえ話の内容が関係していると思われるからです。
場所(どこで)は「湖のほとり」(1節)です。ガリラヤ湖(またの名をゲネサレト湖)です。相手(だれに)は「おびただしい群衆」(1節)です。ガリラヤ湖のほとりにおられるイエスさまを見つけて集まって来た大勢の人たちです。
人が大勢いればその中には必ずいろんな人がいます。イエスさまのことを信頼して、これからすぐにでも弟子になろうと決心しようとしていた人もいたに違いありませんが、必ずしもそうでない人もいたでしょう。そして、完全に否定的な態度でイエスさまを殺す計画を立てはじめた人々も含まれていました。律法学者、祭司長、長老たちです。
しかし、イエスさまの前に集まっていたのは「おびただしい群衆」でしたので、その中の誰がどのような考えを持っているかを見分けるのは不可能だったと考えられます。
しかも、このときイエスさまは、人流に押しつぶされないように陸から離れておられました。「舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられた」(1節)と書いてあります。そうなるといよいよ、イエスさまが集まった人ひとりひとりの顔や姿を見分けることは難しかったでしょう。
このような状況の中でイエスさまはこのたとえ話を語られたのだということを勘案する必要があります。そのこととたとえ話の内容が関係していると思われるからです。なぜ関係していると言えるのか。イエスさまはこのたとえ話の意味をご自分で解説しておられます。その解説を読むと関係が分かります。
イエスさまは「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」(14節)とおっしゃっています。「種」は「神の言葉」です。「種を蒔く」とは、種蒔きのたとえを用いてイエスさまがこのときなさっている宣教そのものです。この話をなさりながら「いままさに私は種を蒔いている」とイエスさまが自覚しておられたのは明らかです。しかもイエスさまは「種蒔きのたとえ」を群衆に向かって語られました。イエスさまが種を蒔いておられる畑は「群衆」です。
ここまで申し上げれば、鋭い方は、イエスさまのたとえ話の意図がお分かりになるでしょう。道端に落ちた種、石だらけで土の少ない所に落ちた種、茨の中に落ちた種、良い土地に落ちた種。イエスさまが挙げられた4つの場所に蒔かれた種そのものは同じ種です。
もちろん同じ種が4つの場所に同時に蒔かれることは現実的にはありえないことです。しかし、いま私が「同じ種」と申し上げる意味は、4つの場所に蒔かれた4つの種そのものに優劣がないということです。もし4つの種そのものに差があるとしたら、このたとえ話は成立しません。
だからこそ私は、イエスさまがこのたとえ話を語られた状況とたとえ話の内容は関係していると申し上げたのです。この場面の状況を具体的なイメージとして想像していただくとお分かりになるでしょう。イエスさまは、群衆に向かって説教しておられます。イエスさまはおひとりです。イエスさまの口はひとつです。イエスさまの御言葉を聞く人々の耳はたくさんあります。
そしてイエスさまご自身が「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである」とおっしゃっているとおり、群衆に向かって説教しておられるイエスさまは、同じひとつの口から、同じひとつの種を蒔いておられるのです。4つの種の間に優劣の差はないと申し上げたのは、その意味です。
ですから、豊かな実を結ばなかった原因を種そのものの優劣に求めることはできません。種は同じでも、その同じ種が、豊かに実を結ぶ場合もあれば実を結ばない場合もあるということです。はっきり申します。このたとえ話の意味は、同じ説教を聞いても、それを聞く人によって違いが出てくる。そのことをイエスさまはおっしゃっているのです。
しかし、聞く人たちによって違いが出てくると言っても、それは何の違いでしょうか。生育歴の違いでしょうか。家庭環境の違いでしょうか。財産の違いでしょうか。そんなことで人を差別するようなことをイエスさまがおっしゃっているのでしょうか。もしそういう話なのであれば、ちょっとがっかり、かなりがっかり、とお感じになる方がおられても無理はないでしょう。
そのような意味ではないと思いたいです。イエスさまはたしかに4種類の人をあげています。しかしその一方で、イエスさまがおっしゃると思えないのは、4種類の人を差別することです。
厳しい面が全くない話であるとは言い切れません。イエス殺害をもくろむ律法学者、祭司長、長老たちに対する牽制の意図はあったでしょう。しかしイエスさまは、そのような人たちがいることも十分承知のうえで説教しておられます。
説教する立場に立てば誰でも思うことは、この御言葉を聞いてもらいたい、受け入れてもらいたい、信じてもらいたい、ということです。結果的にそのとき、その場では、聞いてもらえない、受け入れてもらえない、信じてもらえないということはあります。しかしそれで終わりではありません。今は無理でもいつか必ず聞いてもらいたい、受け入れてもらいたい、信じてもらいたいと願い続けるのが説教者です。すべての説教者がそうです。イエスさまもそうです。すべての人が「良い土地」になってほしい。そのことをイエスさまは願っておられたのです。
そうだとしたら、イエスさまからご覧になって4種類の人がいるというのは、あの人とこの人の違いではなく、ひとりの人の中の様々な側面を指していると考えることが可能ではありませんか。わたしたちが変わることをイエスさまが望んでおられるとすれば、その結論が成り立ちます。
同一人物が、今日の心は道端で、明日の心は石だらけで、明後日は茨の中で、明々後日の心は良い土地でと変化します。人の心は変わります。このたとえ話でイエスさまがおっしゃっているのは、4種類の人を差別することではなく、あなた自身が「良い土地」になってほしいという強い願いであるということです。
人の心は変わります。神もキリストも、聖書も信仰も、教会も、「そのようないかがわしいものは全く受け入れることができない」と感じておられる方のことを、イエスさまはあきらめません。教会もあきらめません。あなたのために祈ります。
(2022年2月6日 聖日礼拝)
讃美歌21 聖なる聖なる 351番(1、4節)
「宣教の豊かさ」
マルコによる福音書1章21~28節
関口 康
「人々は皆驚いて、論じ合った。『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。』」
今日朗読した聖書箇所は、マルコによる福音書1章21節から28節までです。私たちの救い主イエス・キリストが「神の国の福音」を宣べ伝える宣教活動をお始めになってまださほど時間が経っていない頃の出来事が描かれています。
その場所はカファルナウム。それはガリラヤ湖の近くの町で、漁師たちが多く住んでいました。その町にユダヤ教の礼拝施設である「会堂」(シナゴーグ)がありました。そこでイエスさまが、安息日に聖書に基づく説教を行われました。
イエスさまが安息日に「会堂」で説教を行われたのはこのとき限りではありません。たとえば、同じマルコによる福音書の6章2節にも「安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた」と記されています。
ユダヤ教の安息日は土曜日で、キリスト教の安息日(クリスチャン・サバス)は日曜日であるという違いがあります。しかし、本質的に現代の私たちがしていることと同じです。要は、定期的にみんなでひとつの場所に集まり、聖書の解き明かしが行われること、祈ること、賛美を歌うこと、です。この安息日ごとに集まって行う礼拝をイエスさまご自身もなさったし、イエスさまの弟子たちが受け継ぎ、その後の二千年のキリスト教会の歴史の中で続けられてきました。
このことから申し上げたいのは、当時と今の連続性です。イエスさまの宣教活動とは具体的にどういうものだったかについては聖書に基づいて想像するしかありません。しかし、今の私たちがしていることと全く違う異質なことをなさったわけではありません。今日も私たちは礼拝堂に集まっています。いま私が立っている説教壇にイエスさまが立って聖書の解き明かしをなさっている様子を想像しても構いません。本質的に全く同じです。
説教者が私でなければよいのに、と思わなくありません。なぜ私でなく、イエスさまがここにおられないのでしょう。私は今マスクをしています。顔が半分隠れています。イエスさまがどんなお顔だったかは、研究者が科学的な方法で解明に取り組んでいます。不謹慎かもしれませんが、私が「イエスさまのお面」をかぶって説教すれば、当時の情景さながらになるでしょう。
しかし、イエスさまの聖書の解き明かしについて今日の箇所に記されているのは、「人々はその教えに非常に驚いた」ということです。「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(22節)とあるとおりです。
しかし、これはどういう意味でしょうか。「律法学者」は「権威がない」ということでしょうか。もしそういう意味だとしたら、ここで言われているイエスさまに対してこのときいた人が感じた「権威ある者として教える」とは、何を意味するのでしょうか。
それは、たとえば言い方の問題でしょうか。自信たっぷりに断定口調で語ることでしょうか。学者たちは厳密に考えます。客観的な証拠が乏しいことや、憶測に過ぎないことを「そうです」「こうです」と断定口調で語ることを嫌います。そういうのは「はったり」をきかせているだけだと学者たちは考えます。
「はったり」とは「相手をおどすようにおおげさに言ったり行動をしたりすること。実際以上に見せようとして、おおげさにふるまうこと」です(小学館『日本国語大辞典』参照)。そういうのを避けようとするのが学者の本質です。「~と思います」「~かもしれません」「~である可能性が無いとも言えません」という言い回しが増えます。嘘を言ってはいけない、厳密に語らなければならない、と考えているからです。私は学者ではありませんが、この傾向が強いです。
しかし、そういう口ぶりを嫌がる向きがあることも私はよく分かっているつもりです。説教の中で「~と思います」と言うだけで「あなたの考えや意見を聞いているのではない。神の言葉が聴きたい」と注文を付けられたことがありますので。「~かもしれません」と言うだけで「自信が無さそうに聴こえるので、もっと自信を持ってください」と励まされたことがありますので。
しかし、イエスさまはどうだったでしょう。「そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ」(23節)とあります。この「そのとき」はイエスさまが会堂で説教をなさっている最中を指していると思われますが、その人が要するにイエスさまの説教を妨害するために大声を発した様子であると考えてよいでしょう。
「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」(24節)とその人が言いました。そうしたらイエスさまが「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになったというのです(25節)。
くれぐれも気を付けたいのは、イエスさまはご自身の説教中に騒いで妨害する人に「会堂から出て行け」とおっしゃったのではないということです。正反対です。「会堂の中にとどまりなさい」とはおっしゃっていませんが、事実上その意味です。その人の中にいる「汚れた霊」に呼びかけ、「黙れ。この人から出て行け」とおっしゃいました。
すると、イエスさまから「黙れ」と言われた人は黙りました。しかしこの箇所に記されているのは「汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った」(26節)です。その人の心の中の、イエスさまの説教を妨害したがる悪意や敵意だけがその人から出て行ったのです。その人の心がつくりかえられたのです。その人自身は会堂に残ることができました。
当時の人がイエスさまの説教に感じた「権威」の意味は、それだと思います。人の心をつくりかえる力がある説教です。心だけでなく、その人の生活、その人の人生そのものをつくりかえる説教、それがイエスさまの宣教でした。ただ「はったり」をきかせれば済む問題ではありません。
律法学者の説教はどうやらそうでなかったのです。ひとりひとりの生活との関係性が見えない。騒いだ人は、その日だけ会堂にいたわけではないでしょう。町の中で有名だったかもしれません。その人が礼拝中に騒ごうと、人が話しているのを邪魔しようと、律法学者はお構いなし。ひとりひとりにかかわることを面倒くさがって、遠巻きにして放置していたのかもしれません。人々も一緒になって遠巻きにして、耳をふさぐか、無視していたのではないでしょうか。
しかし、イエスさまはその人に直接かかわられました。その人を変えられました。人を変える力がある。それが「権威ある説教」の意味でしょう。そうであることが分かったからこそイエスさまの説教をカファルナウムの人たちが夢中で聴くことができたのです。
わたしたちも、そのような宣教ができるようになりたいです。「説教は知識ではない」と、私は言いません。「宣教は~ではない」とひとつの傾向のあり方に当てこすり、否定的に本質をあぶり出す排除の論理は嫌いです。「説教は知識でもある」のです。
そのうえで「宣教は知識以上であり、もっと豊かなものである」と申し上げたいです。
(2022年1月23日 聖日礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 7番 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
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「漁師を弟子にする」
マルコによる福音書1章16~20節
関口 康
「イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」
昨年11月7日の昭島教会創立69周年記念礼拝のときから申し上げているのは、今年(2022年)は「70周年」であるということです。今年11月6日に70周年記念礼拝を行います。みんな元気にその日を迎えようではありませんか。
「70年」ということで聖書の中身と関係あるのは何かと考えてみました。すぐ思い出したのはバビロン捕囚ですが、教会生活をバビロン捕囚にたとえるのは、直感的に言えばかなり違和感が私にはあります。私たちは教会に囚われているわけではありません。しかし視点を換えて考えれば全く当てはまらないとも言えません。
バビロン捕囚とは、イスラエル人が新バビロニア帝国との戦争に負けて自分たちの独立した国を失い、捕囚の民として70年の歳月をバビロンで過ごした出来事を指します。捕囚の地において、細々とではあっても信仰を守り続け、解放後パレスティナに戻ってエルサレム神殿の再建に着手するまでの彼らの70年は信仰と忍耐が試された年月です。
70年前に大人だった人たちはほとんど天の御国に召され、70年前はまだ子どもだった人たちや、その後生まれた子どもたちが信仰と忍耐を受け継ぐ歴史。そのイスラエルの人たちの姿は、そのまま今のわたしたちであると言えるのではないでしょうか。
しかし、教会の歩みや、わたしたちひとりひとりの個人的な信仰者としての歩みは、長く受け継がれてきたことをただ繰り返すだけ、何も変えずにただ受け継ぐだけではないし、我慢比べをしているわけでもありません。改革すべきことは改革すべきです。
そのことを考えて、私は年頭から繰り返し「新しいことを始めましょう」と申し上げています。さっそくひとつ新しいことが始まります。今日の週報で初めて情報公開しました。秋場治憲さんを今年4月から本教会の伝道師として招聘することを役員会として承認し、2月27日に予定している教会総会に提案することにいたしました。
秋場さんのことは秋場さんご自身がお語りになるべきですが、客観的事実については、私からご紹介させていただきます。秋場さんは41年前の1981年に、日本キリスト教団補教師検定試験に合格されましたが、補教師登録をされませんでした。しかし、このたび補教師に登録することを決心されました。昭島教会を助けてくださるためです。尊いお志に心から感謝いたします。
牧師、伝道師の異動の件は教会総会の取扱事項ですので、現時点ではまだ正式な決定であるとは言えません。しかし、現在の役員であられる秋場治憲さんとわたしたちは水臭い関係では全くありませんので、皆さんに喜んでいただきたく謹んでご報告いたします。
さて、今日の聖書の箇所です。イエスさまが神の国の福音を多くの人に宣べ伝える宣教活動を開始されるにあたり、イエスさまと共に働く人をお求めになりました。聖書においてその人々はイエスさまとの関係上「弟子」と呼ばれています。弟子たちは、イエスさまに「従う」関係です。だからといって、イエスさまと弟子たちの関係は軍隊式の上下関係ではありません。水平の関係です。協力者です。パートナーと言うと別の意味になるかもしれません。表現は難しいです。
「軍隊式ではない」と強調して申し上げるのは、当時のユダヤ教の指導者やローマ帝国の軍人とユダヤの民衆との関係と、イエスさまと弟子の関係とが大差ないようなものだったとすれば、彼らが「救い」を感じることはなかっただろうと思うからです。
イエスさまがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っておられるのをご覧になりました。彼らは漁師でした。そこでイエスさまは、その二人に「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。
イエスさまが彼らを「ご覧になった」(16節)と訳されている言葉に深い意味があるかどうかが気になりました。調べてみたらいろんな意味がありました。目で見る、心を向ける、注意する、理解する、経験する、訪問する、面会するなどの意味が含まれていることが分かりました。
そのことが気になったのは、ただ見えた、視野に入った、ぼんやり見た、ということだけではなく、じっと見る、注意深く観察するというような意味があるかどうかを知りたいと思いました。結論を言えば、それくらいの意味があると考えることができます。それが分かって安心しました。イエスさまにとって、彼らを弟子にしたのは手当たり次第で、実はだれでも良かったのだというような感覚とは違うのではないかと思うからです。
イエスさまが彼らを「ご覧になった」のは、マルコによる福音書では、彼らが漁をする姿です。ルカによる福音書では、ひと晩漁をしても何もとれずに落胆して陸に戻り、網を洗って片付けていた彼らの姿をイエスさまがご覧になっています。とにかくそのような彼らの「漁師としての」姿をイエスさまが、ただ見た、視野に入った、ぼんやり眺めたというのではなく、じっと見る、観察するという姿勢で、まさに「ご覧になった」のではないかと私には思われるのです。
それは、彼らが真面目に仕事をしているかどうか、というようなことが含まれている可能性は否定できません。それも大事なことです。しかし、そういうことよりもむしろイエスさまが関心をお持ちになったのは、漁師たちが漁をするその仕事内容や動作や、それに必要な技能は何かというようなことです。収穫が無かったときの心の動きや、その場合の生活のあり方までも含めて、イエスさまは「漁師としての」彼らをじっと観察されたのです。だからこそ、イエスさまは彼らに「人間をとる漁師にしよう」とおっしゃったのです。
言い方を換えれば、「漁師として」身につけた技能が、そのまま福音を宣べ伝える伝道の働きに役立つということです。それが、イエスさまが彼らにおっしゃった「人間をとる漁師にしよう」の意味です。イエスさまは人間を「魚」呼ばわりなさったわけではありません。趣旨は逆です。漁師として身につけたその技能を伝道のために活かしなさいということです。
もちろん漁師だけではありません。会社や役所や学校で働く人が、それぞれの場で身につけた技能が、そのまま伝道に役立つということです。伝道者になるために必要なことは、極端に特殊なことでも何でもなく、日常生活で必要な普通の営みを身につけることや、社会での働きの中で徹底的に鍛えられる技能の延長線上にある、ということです。
ただし、教会は軍隊式ではありません。その点だけ間違えなければ、すべての社会的な技能が伝道に役立ちます。「社会のルールを教会に持ち込むこと」の弊害がもしあるとしたら、軍隊式が持ち込まれてしまうときです。教会を教会でないものにしてしまいますので気をつけましょう。
もうひとつ、そして最も大事なことは、「伝道者」は教職者だけではないということです。教会のみんなが「伝道者」です。役員、運営委員として伝道の働きを担うこともできます。
みんなで一致協力して、昭島教会の「これからの」歴史を築いていこうではありませんか。
(2022年1月16日 聖日礼拝)
関口 康
「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」
今日開いたのも、救い主イエス・キリストの生涯を描いた箇所です。先週の箇所には、12歳になられたイエスさまが描かれていました。その後、イエスさまは大人になられ、「神の国の福音」を宣べ伝える宣教活動を開始されました。
しかし、イエスさまは宣教活動をお始めになる前に、いくつかの準備段階を踏まれました。
第1にイエスさまは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました(9~11節)。
第2にイエスさまは、荒れ野でサタンから誘惑を受けられました(12~13節)。
第3にイエスさまは、ガリラヤで宣教活動の開始を宣言されました。その言葉は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というものでした(14~15節)。
第4にイエスさまは、ガリラヤ湖で漁をしていた漁師を御自分の弟子にされました(16~20節)。
なぜイエスさまはこのようなことをなさったのでしょうか。ひとつひとつの意味を考えるのも大事です。しかし、少し距離を置いて、これら4つの段階全体の流れを見ていくと、わたしたちと同じだということが分かってきます。
今年は昭島教会の70周年を迎えます。新しいことを始めようではありませんか。具体的に何をするかを、私もいま真剣に考えています。わたしたちも新しいことを始める。そのための準備をする。その場合、イエスさまが踏まれた段階とだいたい同じようなことをすると思います。
イエスさまの場合は、その最初が「洗礼を受けること」でした。わたしたちに当てはめれば、居住まいを正すことです。姿勢をまっすぐにする。これまでしてきたことをこれからも繰り返すだけなら居住まいを正す必然性がありません。居眠りしたりよそ見したりしながらでも、できるかもしれません。しかし、新しいことを始める場合はそうは行きません。
準備の第2段階は、イエスさまの場合は「荒れ野でサタンの誘惑を受けること」でした。それは心の訓練を受けることです。新しいことを始めれば、毎日が緊張の連続です。何が待ち受けているかが分かりません。そのとき必要なのは、何が起こっても動じない心です。
第3段階は、イエスさまの場合は「活動開始宣言」です。それはわたしたちも同じでしょう。いつ始まったのか、本当に始まったのか、まだ始まっていないのか、他の人には全く分からない。厳しくいえば無責任です。新しいことを始める場合は、旗を上げ、目標を公にするのが大事です。
第4段階は、イエスさまの場合は「弟子」を得られることでした。しかし強い上下関係を想像するのはイエスさまらしくないです。とにかく仲間を得ることです。協力者を得ること。ひとりで抱え込まない。助けを求めることです。それが、新しいことを始める場合に必要です。
以上申し上げたのは「わたしたちにも当てはまる」イエスさまの宣教活動の準備段階についての説明です。いわば応用編です。しかし、わたしたちとイエスさまが全く同じであると言いたいのではありません。特に最初の「洗礼を受けること」については、わたしたちとイエスさまとで意味が違うということを申し上げる必要があります。今日開いているマルコによる福音書にも、その違いが分かるように記されています。
イエスさまに洗礼を授けたのは洗礼者ヨハネでした。このヨハネが授けた洗礼の意味は「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」(4節)であると、はっきり記されています。そして「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼(洗礼者ヨハネ)から洗礼を受けた」(5節)とも記されています。
ここでわたしたちが考えなければならないのは、もしヨハネが「罪の赦しを得させるため」の「悔い改めの洗礼」を授けていたのであれば、イエスさまがそのヨハネの洗礼をお受けになったことの意味は、イエスさまが御自分の犯した罪を神とヨハネの前で告白し、その罪を神に赦していただき、「もう二度と罪を犯しません」と決心し、約束することだったかどうか、です。
「そのほうが人間らしいイエスさまで親しみやすい」と感じる方がおられるかどうかは分かりませんが、イエスさまがヨハネからお受けになった洗礼の意味はそのようなことではないということが、今日の箇所だけでは分かりませんが、マタイによる福音書を読めば分かります。
マタイによる福音書には、イエスさまがヨハネに洗礼を授けてほしいと願われたとき、ヨハネは「それを思いとどまらせようとした」(3章14節)と記されています。ヨハネは「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか」(同上)とまで言いました。しかし、イエスさまは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」(3章15節)とお答えになったので、ヨハネはおっしゃるとおりに洗礼を授けたということが記されています。
ヨハネがイエスさまを思いとどまらせようとしたことの理由は明白です。ヨハネの洗礼の意味は「罪の赦しと悔い改めの洗礼」でしたが、ヨハネの目から見て、イエスさまは罪を悔い改める必要のない存在だったからです。自分が授ける洗礼の意味には該当しないとヨハネは考えました。
また、もうひとつ、ヨハネの洗礼の意味を考える場合に忘れてはならないことが、今日の箇所の直前に記されています。ヨハネ自身が言ったのは「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」(7節)ということです。それは、人々がヨハネの洗礼を受けて罪の赦しと悔い改めに導かれることは、イエスさまを真の救い主としてお迎えする準備段階に過ぎないことであって、真の救い主が来られたら自分の役割は終了するとヨハネが信じていた、ということを意味します。
ところが、イエスさまは、ヨハネのすすめをさえぎることまでされたうえで、ご自身が洗礼をお受けになりました。その理由は分かりません。それは「正しいこと」だとおっしゃった意味も分かりません。わたしたちにできるのは、その意味を想像してみることだけです。
私の考えはこうです。イエスさまはたとえ御自分は罪人でないとしても、だからといって罪人から距離をとるのではなく、罪人に寄り添い、同じ立場に立とうとなさったのです。
その意味は、へりくだり、謙遜です。罪人から距離をとり、指差して、「私は悪くない。赦しを得る必要はないし、悔い改める必要もない。世界の悪と人類の不幸の原因は私ではない。あの人が悪い、あの人たちが悪い」と言い張るだけなら、おごり、たかぶり、傲慢です。イエスさまは、ご自分以外のすべての人を悔い改めさせるために来られたのではありません。そのような傲慢さは、宣教の態度ではありません。そのような宣教の言葉で悔い改める人はいないでしょう。
教会も同じです。教会が「この悪い世界を悔い改めさせてやる」と言い出したら、イエスさまから「兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。まず、自分の目から丸太を取り除け」(マタイ7章3節、5節)と厳しくたしなめられるでしょう。
(2022年1月9日 聖日礼拝)
週報(第3601号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます
宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます
「少年イエス」
ルカによる福音書2章41~52節
関口 康
「すると、イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
昨日は元旦礼拝を行いました。今日は新年礼拝です。ついこのあいだクリスマス礼拝を行ったばかりです。毎年のことですが、年末年始の教会は慌ただしい空気に包まれます。
しかし、それがよいことかどうかは分かりません。年末年始を逃しては仕事を休むことができないし、家族水入らずの時を過ごすことができないという方もおられるでしょう。教会のことは良い意味で牧師に丸投げしていただいて、なるべく皆さん自身の時間を大切にしていただきたいと、私はそう考える人間です。
先ほど朗読していただいた聖書の箇所に、まだ子どもだった頃の、しかも「12歳になったとき」(42節)とそのときの年齢がはっきり記されているイエスさまとご両親が、親子水入らずで旅行なさる場面が描かれています。
「水入らず」という言葉は年配の方々はよくご存じだと思いますが、若い世代の方々はあまり使わない言葉かもしれませんので、一応説明します。と言っても、私が持っている古い国語辞典に書かれている意味を紹介するだけです。「内輪の親しい者ばかりで、中に他人を交えないこと」(広辞苑第4版、1991年)。書かれているのは、それだけです。
そして、このときイエスさまが「12歳」だったということは、はっきり記されていますので、そのことを前提としてこの箇所の意味を考える他はありません。12歳は今の日本の教育制度では小学6年生になる年齢です。
私の話になって申し訳ありませんが、今年度、私は神奈川県茅ヶ崎市の平和学園小学校の5年生と6年生に聖書の授業をしていますので、ちょうど今日の聖書箇所に登場なさるイエスさまと同じ年齢の子どもたちに聖書を教えていることになります。しかし、偶然の一致にすぎません。
それより、いま皆さんの子どもさんやお孫さんが小学生であるという方がおられるでしょう。また私の話ですが、私も息子と娘がいます。彼らが小学生だった頃のことは覚えています。もうだいぶ前ですので、そろそろ記憶が怪しくなっていますけれども。
なぜ今このような話をしているかと言いますと、現実の12歳の子どもがどのような存在であるかは、実際にその年齢の子どもたちと向き合っているときと、そうでないときとで、イメージがずいぶん違ってくるだろうと思うからです。
言いにくい部分があります。しかし、実際に自分の子どもとして生まれた男の子であれ女の子であれ、赤ん坊から育てて12歳くらいになったときに、その子の親がどのような感情を持つかは、自分自身が体験してみる以外にどうしようもないところがあります。だれも口出しできません。親子水入らずの状態は、神聖不可侵な領域です。
いま申し上げたのは親の視点です。父親であるか母親であるかで大きく違うかもしれませんが、その問題には触れないでおきます。喧嘩になりますので。それより今日申し上げたいのは、今日の箇所のイエスさまと同じ12歳くらいの子どもをどのように見るかは、これまた言いにくい要素が多く含まれていますが、親の視点だけで考えられてはならない、ということです。
それは当然のことだと、きっとご理解いただけるはずです。なぜかといえば、いま「大人」と呼ばれている人たちには、例外なく12歳だったときがあるからです。当時のことを正確に覚えていなくても、その頃の記憶も記録もすべて失われているとしても、「12歳だったことがない大人」はいません。そして、意外なほどその頃のことは覚えているものです。
そのことをお認めいただけるとすれば、ぴったり12歳でなくてもいいです、そのくらいの年齢の子どもたちを見る視点の中に確実に数えなければならないのは、子どもたち自身の本人の視点です。もう十分すぎるほど自覚的に主体的に責任的に生きる力を持っています。
実はそのことを、また私の話に戻ってしまいますが、私はその年齢の子どもたちに聖書の授業をする責任と光栄を今年度与えられている者として証言できると思っています。
それは、彼らは聖書の言葉を理解することにおいて十分な力を持っている、ということです。「子ども扱い」などは全くできませんし、してはいけません。二千年前の12歳と今の12歳とが全く違う存在であるわけではありません。全く同じです。
そのことを私は、現実の小学生と対面で向き合って、聖書の授業をしながら認識しています。私は教育学者ではなく教育現場の人間です。その立場からの証言もたまには貴重でしょう。
ところが、今日の聖書の箇所の話を今しているわけですけれども、ここに出てくるイエスさまの両親はもちろんヨセフとマリアのことですが、彼らは12歳になった自分の子どもを悪い意味で「子ども扱い」した様子が描かれていると、はっきり言わせてもらいたいと思う次第です。
この家族は毎年親子水入らずで、ユダヤ教の過越祭のたびに、彼らが住んでいたガリラヤの町ナザレから遠くエルサレムまで旅行して、エルサレム神殿のお参りをしていました。エルサレムの宿屋に何日か滞在してからまたナザレに帰ろうとして、1日分の道のりを歩いたところで長男イエスがいないことに気づきました。
12歳の子どもと手をつないで歩く親がいるかどうかは知りませんが、そうしていなかったのでしょう。一緒にいると信じて歩き、いないと分かって信頼を裏切られてがっかりしたのでしょう。
しかし、12歳のイエスさまはエルサレム神殿にずっとおられたという話です。まさか携帯電話はありませんし、連絡の取りようがない。親の視点から見れば、イエスさまは3日間も「迷子」になっていた、ということになります。しかし、イエスさま自身の視点からすれば、「お父さんもお母さんも一体何を考えているのですか」と反論なさりたいお気持ちだった様子です。
判明した事実は、「三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられた」(46節)ということです。「聞いている人は皆、イエスの賢い答えに驚いていた」(47節)とも記されています。
イエスさまが特殊だったとは思いません。小学生にこれくらい十分可能です。想像ではなく、このとおりのことを学校でしています。関心をもって学んでいるのを邪魔しないでほしいです。
12歳のイエスさまがその模範を示してくださいました。いま小学生のお子さんがおられる方は、ぜひ聖書を学ぶことをおすすめください。
昭島教会の教会学校に、大切なお子さんをぜひお預けください。よろしくお願いいたします。
(2022年1月2日 新年礼拝)
| 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
2022年礼拝予定表を作成しましたのでご利用ください(変更の可能性があります)
「新たな一歩を」
ルカによる福音書5章1~11節
関口 康
「話し終わったとき、シモンに『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」