2017年11月22日水曜日

弁当画像(100枚)

記録によれば2011年11月から2013年1月まで、妻が福祉施設の夜勤をしていたころ、子どもたちの弁当を私が作った。その画像がちょうど100枚。高校生は毎日、中学生は給食がない日。早起きすることと毎日違うメニューを考えることの大変さを学んだ。





































































































2017年11月21日火曜日

上総大原教会クリスマス礼拝ご案内

今年のクリスマス礼拝は日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)で説教させていただきます。2017年12月24日(日)午前10時30分から12時迄。遠方の方も初めての方も大勢でおいでください。サーファーの方はウェットスーツ持参でどうぞ。心から歓迎いたします。

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*PDF版はここをクリックしてください。掲示・配布・拡散のご協力をお願いします。

2017年11月20日月曜日

オランダ改革派神学への手引き

ヘルマン・バーフィンク著『改革派教義学』全4巻(オランダ語版)

「オランダ改革派教会」の狭義の「教義学者」の中で著書の日本語版がある人として、アブラハム・カイパー、ヘルマン・バーフィンク、クラース・スキルダー、アーノルト・ファン・ルーラー、ヘンドリクス・ベルコフの5人を挙げることができる。ただし、他国に移住したオランダ人神学者は、もっといる。

しかし、日本語版はいまだにないが重要な「オランダ改革派教会」の狭義の「教義学者」は、他にも多くいる。挙げていけばきりがないが、オランダ国内で「大」神学者と呼ばれているウプケ・ノールトマンス、コルネーリス・ハイコ・ミスコッテの2人と、ヘリット・ベルカウワーの存在を無視すべきでない。

「オランダ改革派教会の」と書いたが、すべて「当時の」という連体修飾語を語頭に加える必要がある。スキルダー以外の7人の「当時の」所属教団は、現時点では存在しない。彼らの教団は、2004年の合同によって生まれた「オランダプロテスタント教会」(Protestantse Kerk in Nederland)へと合流した。

しかもノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラー、ベルコフの4人と、カイパー、バーフィンク、ベルカウワーの3人と、スキルダーは、最終的な所属教団が異なる。最初の4人はNederlandse Hervormde Kerk(略称NHK)に所属し、次の3人はGereformeerde Kerken in Nederlands(略称GKN)に所属した。

細かく言えば、カイパーとバーフィンクは元NHK教師(牧師)だったが、カイパーがGKNを創設し、バーフィンクもGKNに参加したので、NHKからGKNが分離した形だ。スキルダーの最終的な所属教団はGereformeerde Kerken in Nederlands Vrijgemaakt(略称GKNV)である。スキルダーは元GKN教師(牧師)だった。

そのスキルダーが創設した教団がGKNVなので、GKNからGKNVが分離した形だ。GKNVは「オランダ改革派教会解放派」などと訳される。NHKもGKNも、英訳するとどちらもDutch Reformed Churchになるし、日本語訳するとどちらも「オランダ改革派教会」になる。このあたりはとてもややこしいので、注意が必要だ。

教団成立史の観点からみれば、NHKからGKNが分離し、GKNからGKNVが分離したので、NHKが最も古く、次に古いのがGKNで、最も新しいのがGKNVである。しかし神学思想史の観点からみれば、GKNのほうがNHKよりも古いものへと戻ろうとした。教団成立史上の「新しさ」と神学思想史上の「新しさ」は一致しない。

GKNの「三大」神学者は、カイパー、バーフィンク、ベルカウワーでいまだに通用すると思われる。NHKの「三大」神学者は、ノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラーである。私の主観的な判断ではなく、典拠がある。NHKの「三大」神学者について語られるとき、ヘンドリクス・ベルコフは含まれない。

なぜベルコフが「三大」神学者に含まれないかについて正確な事情は分からないが、独創性において秀でた「三大」神学者に対して、ベルコフは教義学の教科書を書くことに秀でていたからではないか。スキルダーが創設したGKNVは2004年に創設された「オランダプロテスタント教会」(PKN)に合流しなかった。

さて、ここから先は私見である。ノールトマンス、ミスコッテ、ファン・ルーラー、ヘンドリクス・ベルコフ(以上NHK)、カイパー、バーフィンク、ベルカウワー(以上GKN)の著書は、「今日における改革派神学」を本質的に解明するための少なくとも「必携」の書であり、可能であれば「必読」の書である。

カール・バルトとの関係をいえば、カイパーもバーフィンクも、バルトを知らないもっと上の世代である。ノールトマンス、ミスコッテ、ベルカウワー、ファン・ルーラー、ベルコフはバルトを知っている。明確にバルト主義者になったのはミスコッテであり、バルトにかなり近づいたのはベルカウワーである。

2017年11月15日水曜日

ユルゲン・モルトマンに影響を与えた20世紀の神学者:バルト、ボンヘッファー、ファン・ルーラー


Googleブックスで面白そうな本を見つけたので、無料で立ち読み。全部は読めないので、そのうち紙の本を購入したい。以下はモルトマンを描いている箇所のひとつ。

(試訳)

ユルゲン・モルトマンは1926年4月8日、ドイツのハンブルク近郊で生まれた。ヒトラーの戦争の不本意な徴集兵になり、戦争捕虜としてスコットランドに上陸し、そこで詩編を読んでキリスト教徒になった。そして神学を学び、最後はテュービンゲン大学の組織神学教授になった。 彼はカール・バルト、ディートリヒ・ボンヘッファー、アーノルト・ファン・ルーラーの影響を強く受けた。後年、ファン・ルーラーの宣教の神学が「バルトの後に神学なし(=バルトが神学を完成した)」という思い込みから私を解放してくれたと記した。初期バルト神学は神のラディカルな超越性を強調した。しかしモルトマンは、安息日、神のシェキナ(内住)、メシアの道、アドベント(キリストの到来)などのカテゴリーを用いて、神の存在を(人類の)歴史の中で確かめることを目指す。モルトマンの対話相手の中に、新マルクス主義者のエルンスト・ブロッホの哲学や数名のユダヤ教学者が含まれる。

(原文)

Moltmann was born on 8 April 1926 near Hamburg in Germany. He became an unwilling conscript in Hitler's war effort and landed up as a prisoner of war in Scotland where he became a Christian through reading the book of Psalms. He then studied theology and eventually became professor of systematic theology in Tübingen. He was deeply influenced by Karl Barth, Dietrich Bonhoeffer and Arnold van Ruler, whose positions have been discussed earlier in this volume. The latter's theology of the apostolate, he later commented, liberated him from the presumption that there could be no theology after Barth. While Barth's early theology emphasises the radical transcendence of God, Moltmann seeks to affirm God's presence in (human) history in terms of categories such as the Sabbath, God's Shekinah, the Messianic Way and the notion of adventus (the coming of Christ). Moltmann's conversation partners also include the neo-Marxist philosophy of Ernst Bloch and several Jewish scholars.

(Cf. Ernst M. Conradie (Ed.), Creation and Salvation: A Companion on Recent Theological Movements (Studies in Religion and the Environment / Studien Zur Religion Und Umwelt) p.136)