2025年11月26日水曜日

『希望の神学』(1964年)出版前の「希望の神学」批判

説教の準備としてファン・ルーラーを読む

【『希望の神学』(1964年)出版前の「希望の神学」批判】

次週「終末と希望」と題する説教をするために、ファン・ルーラーの論文をいくつか読んだ。ひとつは「教会はそれ自体で目的でもある」(De kerk is ook doel in zichzelf, 1966)、もうひとつは「聖書の未来待望と地上の視点」(Bijbelse toekomstverwachting en aards perspectief, 1968)。

もうひとつ「ファン・セルムス教授への応答」(Antwoord aan professor Van Selms, 1958)も読んだが、これは終末論というより予定論の議論。刺激的だったが、次週の説教とは直接関係ない。内容について書くと説教で話すことが無くなるので、それはお楽しみ。興味をひかれたのは、今回読んだ版の特質。

「教会はそれ自体で…」は論文集『待望と成就』(Verwachting en voltooiing, 1978)、また「聖書の未来待望と…」は『神学論文集』第2巻(Theologisch werk Deel 2, 1971)に収録され、私も遅くとも1998年までには所有していた。しかし、オランダ語力に欠け、読んだとは言えない状態で放置していた。

本日読んだのは、2007年刊行開始の『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)に収録された版。驚いたのは、「教会はそれ自体で…」の既出版はファン・ルーラーがドイツ語で発表したものを別の人がオランダ語に訳したものだったこと。「聖書の未来待望と…」は著者の死後、別の人が手を加えた形跡があること。

「別の人」と言っても、前者は友人牧師、後者はファン・ルーラーの妻の可能性が高いので、さほど不自然な話ではない。後者の妻は、1970年に62歳で突然亡くなった夫が未整理のまま遺した大量の論文をかき集めて、全6巻の『神学論文集』(Theologisch werk)のうち第1巻を除く5巻分の編集を担当した人。

新しい『著作集』(Verzameld Werk)には、「教会はそれ自体で...」はファン・ルーラー自身がドイツ語に訳す前に書いたオランダ語のオリジナルテキスト、また「聖書の未来待望と...」は(おそらく編集者によって)えんぴつで書き込まれた〝改変〟を排したオリジナルテキストが、それぞれ収録されている。

内容には触れないが、ほんの少しだけ。「教会はそれ自体で目的でもある」(1966年)がなぜ最初ドイツ語で発表されたかと関係ある。初出は1960年12月8日にボンでモルトマンの弟子たちを対象に行った講演。『希望の神学』(1964年)が出版される前に「希望の神学」を批判するためにドイツに乗り込んだ。

ファン・ルーラーを読むのは楽しいが、個人的な趣味に過ぎないと思われているかぎり、没頭しきれない。商売はごく初期の頃に研究費捻出のために検討したが、今は全く考えていない。ポイント稼ぎをする立場にもない。しかし、ファン・ルーラーの「遺言」が利いてくる状況にすでにあるし、強まっている。

2025年11月10日月曜日

有楽町で映画「ボンヘッファー」鑑賞

ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区)

【有楽町で映画「ボンヘッファー」鑑賞】

今日は有楽町で映画「ボンヘッファー」を鑑賞。帰りに教文館で『ボンヘッファー説教全集1』を買い、銀座から日比谷線で梅島に戻る。映画は史実通り。ドキュメンタリー的な作品と言えるが、芸術的な完成度が高いと思った。説明がほとんどないので、せめて何人かの名前や場所についての予備知識が必要。

大したことはない。ボンヘッファーはドイツ人。父が医者。ニューヨークユニオン神学大学に留学したこと。ドイツ帰国後マルティン・ニーメラー牧師と出会ったこと。ニーメラーはボンヘッファーと出会った頃は、教会と牧師は社会の問題にかかわるべきでないという姿勢だったが、その後考えを変えたこと。

ニーメラーは「告白教会」に参加し、フィンケンヴァルデ説教者研修所にボンヘッファーを神学教授として招聘したこと。説教者研修所の教え子ベートゲがボンヘッファーの伝記を書いたこと。これぐらいの知識でなんとかなると思う。HPをよく見て「この人がニーメラーさんなのね」が分かる程度で大丈夫。

映画「ボンヘッファー」HP
https://hark3.com/bonhoeffer/

未鑑賞の方のために内容に触れないようにするが、気になっているのはボンヘッファーがピストルを持っているように見えるポスター。これで英語題「Bonhoeffer: Pastor, Spy, Assasin」。ボンヘッファーがまるでジェームズ・ボンドかイーサン・ハント。内容にかかわるので詳細は言えないが、誤解を招く。

来週の説教で少し詳しく取り上げる予定。

映画「ボンヘッファー」パンフレット(左)
『ボンヘッファー説教全集1』(右)

私の書棚のボンヘッファーの本

2025年11月6日木曜日

世間知らず

人口知能Copilotに「バブル期の六本木」を描いてもらいました


【世間知らず】

私の経歴を知らないらしい(知らなくていい)牧師と雑談中、私ではないが私も知っている人について「あの人は東神大に高校からストレートに入学したから世間知らず、人の世話ができない」と来たので「そうそう」と調子を合わせておいた。こういうのをステレオタイプと言うと思う。血液型占いのたぐい。

とはいえ、ストレート組の人数は昔から1ケタ台。私と同期は8人。男女4人ずつ。それでスタートして、2年編入組、3年編入(学士入学)組、大学院編入組が加わって来て、6年フルコース卒業までに30人近くになった。当然、編入生たちは全員ストレート組より年上。神学のスタートはストレート組のほうが先。

編入生たちはみんなストレート組と仲良くしてくれたが(ということにしておくからね)、ストレート組が生意気に見えていただろう。他大を出て来たと言っても、何学部だろうと所詮は半可通だろうとこちらも思っていて、負ける気はしなかった。唯一負けていたのは恋愛経験。他大経験者には敵わなかった。

その意味では「東神大ストレート組は世間知らず」確定で問題ない。私と雑談した牧師さんの言うとおり。果敢な恋愛をしたくても、範囲が狭くて身動きがとりにくいだろう。私はちょうどバブルの頃で、「デートカー」と呼ばれた赤いシルビアに乗っていたが、妻になってくれた人以外と出かけたことがない。

宴会経験も乏しい。注ぐとか注がれるとか、何を注文するかとか、いまだに分からない。自分から誘うことはないが、誘われることはある。飲み物や料理を選ぶのは「世事に疎いので」と言って笑いをとって、他の人に任せる。今の私を生意気呼ばわりする人はいないが、イヤだと思えば私を誘わなければいい。

もう1点追加する。高校からストレートで東神大に入学したら世間知らず呼ばわりされる件は、卒業後半世紀ほど経ても粘着的に言い続けられる。私の半世紀前は小学生なので私のことではないが、教会がしばしば壊れたレコードのように(前世紀的比喩)ステレオタイプを再生産し続けることを認識している。

複数の大学を卒業するとか、さらに留学して学位を取るなどしないと牧師になれないわけではないだろう。それほど潤沢な資金と能力があるなら、別の働きにつくほうがよほど世のため人のために役立つのではないかということまでは言わないでおく。言わないでおくからね。

2025年11月5日水曜日

中高生の頃に読んだ本

デカルト『改訳 方法序説』1980年版

【中高生の頃に読んだ本】

「中高生のころ夢中になって〇〇を読んだ」を言う人の話を聴くたびに、そのころ私は何を読んでいただろうと振り返るが、ほとんど思い出せない。農業高校の園芸科専任教諭だった父の本棚は、主専攻の果樹園芸学や、途中から教えることになった造園学の本で埋め尽くされていて、全く関心を持てなかった。

父の本棚に聖書はあったが、ひとりでは理解できなかった。牧師が説教で聖書の話をしないので独学を思い立ったが、岡山市内のどの大手書店の宗教コーナーにも聖書以外のキリスト教書はほとんどなく、『ノストラダムスの大予言』が幅を利かせていた。キリスト教書店が岡山にあるのを当時は知らなかった。

私の出身中高は公開している。どちらもくじ運が良かっただけで自慢にならない。それでも学校の話をしたい理由は、実家から片道10キロの自転車通学を中高 6 年続けたことを言いたいから。苦労自慢ではない。帰りみち必ず、書店か公立図書館でキリスト教書を探すか、悪友の家で遊ぶか、児島湾を見ていた。

そして「当時の私なりに徹底的に探しても、私の中高時代の岡山でまともなキリスト教書は見つからなかった」と言いたいから。1970年代後半から80年代前半まで。前後のことは分からない。岡山のキリスト教書店を知らなかったのは不覚。中高の図書室に期待したことはない。雰囲気が嫌いで近づかなかった。

当時の岡山市内の大手書店といえば紀伊国屋と丸善。小さな書店も探した。よく立ち寄った公立図書館は古い建物だった頃の市立伊島と、高 3 の春(1983年 4 月)に開館した市立中央。ひかれる本はほとんどなかったが、背表紙が好きでつい手に取って読んだのは『三島由紀夫全集』。思想に共感したことはない。

「そういえば」と当時繰り返し読んだ本が少なくとも 2 冊あったことを思い出した。デカルト『改訳 方法序説』(角川文庫、改訳35版、1980年、画像現物)。中 3 か高 1 で購入。線引き多数。もう 1 冊はアンドレ・ジッド『狭き門』。現物は見当たらない。読みながら内心をかき乱された記憶あり。たぶん泣いた。

私は覚えていないが、伯母から教えてもらったのは、 2 歳か 3 歳の頃の私が本の前に座ってずっと読んでいるタイプだったそう。父に読んでもらうたびに笑った絵本は、題名を思い出せない。さんかくちゃんとしかくちゃんとまるちゃんが相撲をとる話。行司が「ひが~し~、まるぼうろ~」と言うところで笑う。

コロボックル童話集や南総里見八犬伝も好きだったが、なにせ小 1 が1972年。「ガッチャマン、マジンガーZ、レインボーマン」勢ぞろい。アニメを見るほうが手っ取り早くなって来た。私の左目が「仮性近視」と診断されたのは小 3 。テレビの観すぎ。親の判断で私の高校卒業まで実家からテレビが撤去された。