【1890年の信仰告白を初めて読む】
旧日本基督教会の1890年の信仰告白を直視するのは初めて。日本基督教団信仰告白に似ているのだろうと予想していたが違う。気になる言葉遣いもある。なぜ「凡(おおよ)そ」なのか、なぜ「之(これ)」なのか。「之」が指すのは「イエス・キリスト」(之?)でいいのか「完全(まった)き犠牲」なのか。
「聖霊が(原文「は」)我等が魂にイエス・キリストを顕示す」が聖霊の内的証示(testimonium Spiritus sancti internum)を指しているのは分かる。失礼な発想かもしれないが、ひながたは何かを考えてしまう。1890年時点の旧日本基督教会にカール・バルト(1886-1968)の影響はありえない。バルト4歳。
「キリストに於(お)ける信仰」(?)も翻訳調を強く感じる。外部から持ち込まれたひながたの日本語訳だと言ってもらえれば納得するが、日本語としてこれで理解できた人は相当すごい。批判の意味で書いていない。日本基督教団信仰告白にはこの種の謎の要素は見当たらない。日本語としてこなれている。