【まだ始まっていない】
1999年に数名と立ち上げたファン・ルーラー研究会は2014年に解散した。オランダ語テキストに基づく研究を続けている方々の消息は不明。ファン・ルーラーは1908年に生まれ、1970年に62歳で亡くなった。我々が研究会を立ち上げた時点で彼のテキストはすべて完結していた、はずだったが、事情が変わった。
1970年12月以降、ファン・ルーラーの蔵書と未公開論文を彼の妻が保管していたが、1990年代にご子女がたがユトレヒト大学図書館と古書店へ譲渡・売却。未公開論文を多く含む『ファン・ルーラー著作集(Verzameld Werk)』の刊行開始が2007年。約10年で完結予定だったが、2025年現在いまだ完結していない。
ファン・ルーラーの「古い」著作集(Theologisch Werk)は全6巻で、出版は1969年から1973年まで。小規模ではないが網羅的でなく、読解において多くの想像力を必要とするものであった。それがどうだ。「新しい」著作集(Verzameld Werk)は超弩級。全7巻だが、分冊が多く、現在11冊。これでまだ続きがあるという。
![]() |
ファン・ルーラー『神学著作集』(Theologisch Werk)全6巻(1969-1973) |
![]() |
ファン・ルーラー『著作集』(Verzameld Werk)全7巻(2007-現在刊行中) |
今書いていることの趣旨は私の釈明である。「まだファン・ルーラー、ファン・ルーラー言っているのか」と私に面と向かって言う人はさすがにいない。しかし、そう思われている節はある。「まだ?いやいや、とんでもない。まだ言っているのか、ではなく、まだ始まっていない」とお答えしたい気持ちである。
しかしファン・ルーラーの「新しい」著作集のおかげで、ファン・ルーラー研究は飛躍的に前進した。想像力で補っていた部分が彼自身の字で説明され、整理されつつある。組織神学・教義学はOSでありプラットフォームなので、それ自体は面白くないかもしれないが、思想の自由空間が飛躍的に広がる。
「新約は旧約の巻末用語小辞典である」「キリストの贖罪は緊急措置であり間奏曲である」「終末においてキリストの受肉は解消される」などの発言で危険視されることも多かったファン・ルーラーだが、「新しい」著作集のおかげで、前後の文脈が解明されて来ている。嫉妬を受けやすい人気の神学者だった。
先週読んだばかりのファン・ルーラーの文章にボンヘッファーに対する敬意ある批判が記されていた。真の成熟は脱宗教ではなく、宗教を持つことこそ成熟であると。言えば言うほど不人気な言葉だっただろうし、その状況は今も変わらない。時代の流行に直角に逆らい、不人気な言葉を語れる勇気の人だったと言える。
私は自分が権威なき者なので、ファン・ルーラーの言葉の陰に隠れて支えてもらおうと考えて来たところがある。しかし、彼の敵があまりに多く、支えてもらうどころか、一緒に苦しむ場面が多かった。プラットフォームは使い倒すに限る。私自身が良い実を結ぶことで、彼の神学の使い勝手を証明するしかなさそうだ。