序
この本に収録されたぼくの講義は、かつてはボンの選帝侯が住んでいたという壮麗なお城の中でおこなったものです。お城の中にボン大学が作られたのですね。でも、ぼくがこの講義をしたとき、お城はほとんど廃墟の状態でした。だって、1946年の夏だったわけですからね。
講義はね、みんなが元気になるように、ジュネーヴ詩編歌か賛美歌を歌ってから始めました。朝7時の開始ですよ。だって、8時になると、ぶっ壊れた建物の残骸を細かく砕いたり、新しく建て直したりする工事が中庭あたりで始まって、その音がうるっさくてね。
ちょっと面白い話しますけどね、ほんとにもうグッチャグチャに壊れた建物のがれきの中を、ぼくが興味本位で歩いてたら、シュライアマハー先生の胸像が無傷のままで倒れてるのを見つけちゃいました。それはあとでちゃんと保管されて建て直されたようですけどね。
ぼくの講義を聴いてくれたのは、半分くらいは神学部の学生たちでしたけど、もう半分かそれ以上は他の学部の学生たちでした。今のドイツ人たちは、いろんな形で、いろんなところで、めいっぱいの苦労をして、生き延びてきたんです。そういう姿が、ぼくの講義を聴いてくれた学生たちにも滲み出てましたよ。
ぼくはもうずっと前から雑誌だ新聞だでさんざん叩かれてきた人間で、しかもドイツ人じゃないしね。学生たちには、ぼくは珍しかったでしょうね。でも、ぼくのほうから見ても、やっと笑うことを覚えはじめたばかりのような、まだまだしかめっ面の彼らの姿は、目の奥に焼き付いてますよ。ぼくは、この講義の情景を一生忘れない。
だしね、たまたまのことですけど、この講義はぼくのちょうど50回目の学期だったんです。終わったときに思ったことは、この学期がいちばん素晴らしかった、ということです。
でも、じつは、この講義を本にすることは、けっこう悩んだんですよね。
だってもうね、ぼくは1935年に『われ信ず』(Credo)という本を出し、1943年には『教会の信仰告白』(Confession de la Foi de l’Eglise)という本を出しましたが、どちらも使徒信条を講解したものです。なので、この本で使徒信条の講解は三冊目になるわけですが、この本をじっくり読んでいただけばすぐにバレてしまうのですが、新しい内容はほとんど全く出てきません。まして、ぼくの『教会教義学』を読んでくれちゃってる人たちにとっては、何をかいわんやです。
そして、ぼくはそのとき生まれて初めてやったことなのですが、きちんと書いた完全原稿なしでしゃべりました。レジュメに書いたいくつかの命題だけを配ってね、それを見ながら、自由にしゃべりまくったんです。だって、言っちゃ悪いけど、ほとんど原始時代のような状態のドイツの中で話したわけですよ。だからぼく自身も、原始人になってね、原稿を「読む」んじゃなくて、「しゃべる」ことが必要だと思ったんですよ。
そのぼくのおしゃべりを速記してくれた人がいましてね。もちろん、ぼくもちょっとくらいは手を入れましたけど、とにかくそういうものです、この本は。
ぼくはこれまではけっこう物事を厳密に扱うことのために努力してきた人間だし、今でもそのつもりです。だけど、この本に限っては、いろんな点で厳密ではないです。最後のあたりは、ぼくの都合で急がなくてはならなくなってますし、この講義以外のことで身辺が多忙になってしまっていたことがバレてしまうような内容です。
まあ、でも、生(なま)というかライブ感覚というのを分かる人には、この本の欠点こそが、逆にこの本の良いところだと思ってもらえるかもしれません。このときぼくはトークライブをやらかしたのですが、ぼく自身、しゃべっている間、楽しくて仕方なかったんです。
でも、それが活字として印刷されますとね、欠点があることに気づいています。その欠点をあげつらって批判する人がいても、ぼくは別に構わないと思っています。恨んだりはしません。
もとはといえば、ツォリコン出版社の社長さんが、「この本を出版しろ」とぼくに圧力をかけてきたので仕方なく出すことにしたんですけどね。ぼくもそれを承知したわけですけど。でも、これを出版する気になったことには理由がある。
ぼくは他の本ではもっと厳密に書いてきましたし、あるいはもっと簡潔に書いたところもあります。でも、それは、ほんの一握りの人にしか分からないマニアックな話です。だから、この本のような、ざっくりした話し方で書かれた本があれば、マニア向けの話の分かりやすい説明になるのではないかと思ったんです。
マニアじゃない人たちにとってもね、この本が「時の間」の(ドイツに限らず)新しい一時代の記録のようなものになっているという理由で(そのつながりははっきりとは分からないと思いますけどね)、この本を読んで嫌な思いを感じる人はいないんじゃないかなと思っています。
もう一つ言えば、そもそも使徒信条というのは、この本の中でぼくがしゃべっているような、まさにこういう口ぶりやテンポで説明されるほうがよいものではないか、いや、そうすべきなのではないか、ということも、この本を出版することを決めたときに自分に言い聞かせたことです。
もしこの本を誰かに献呈するとしたら、1946年の夏、ぼくのこの講義を聴いてくれたボン大学の学生たちと聴講生たちに献呈します。
ぼくは、きみたちと一緒に、この講義をしている間(そりゃ当たり前のことだね)、本当に幸せな時間を過ごしたよ!
1947年2月、バーゼル
13 我らの主
えっと、皆さんにお配りしたレジュメに、毎度のように私が考えた短い命題を書いていますが、その命題でいいか、別の命題を持ってくるかで、迷いました。
別の命題と言いますのは、その出どころはマルティン・ルターの『小教理問答』です。使徒信条第二項についてのルターの解説文です。
「わたしは、父から永遠の中に生まれたまことの神であって、おとめマリヤから生まれたまことの人イエス・キリストが、わたしの主であると信じます」(聖文社、改訂新版第2版、1987年、15ページ)。
この一言でルターは使徒信条第二項の内容全体を語っています。もちろん、使徒信条の原文を見れば、ルターの解釈はかなり自分に引き寄せた解釈っぽいことが分かります。だけど、その我田引水性とでも言うのか、ルターのそれは、ものすごく天才的なものでした。それだけははっきり言えます。
どこが天才的なのか。使徒信条に書かれている最も根本的で最も単純な命題である「主イエス・キリスト」(Kyrios Jesus Christus)に立ちかえっているところです。使徒信条の第二項には「主イエス・キリスト」以外の言葉もたくさん出てきます。しかし、ルターはそれらすべてを一括したうえでギリギリの分母を求めたのです。
2014年6月25日水曜日
2014年6月22日日曜日
俗悪な無駄話を避けなさい(夕拝説教)
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テモテへの手紙二2・14~19
「これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい。そのようなことは、何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです。あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。俗悪な無駄話を避けなさい。そのような話をする者はますます不信心になっていき、その言葉は悪いはれ物のように広がります。その中には、ヒメナイとフィレトがいます。彼らは真理の道を踏み外し、復活はもう起こったと言って、ある人々の信仰を覆しています。しかし、神が据えられた堅固な基礎は揺るぎません。そこには、『主は御自分たちを知っておられる』と、また『主の名を呼ぶ者は皆、不義から身を引くべきである』と刻まれています。」
先月は第四日曜日の午後にチャペルコンサートがありましたので、夕拝を休会にしました。それで少し間があきましたが、今日の夕拝から、テモテへの手紙二の学びを再開したいと思います。
これは使徒パウロが後輩伝道者テモテに書き送った手紙として、教会の歴史の中で伝えられてきたものです。皆さんの中には聖書やキリスト教の最近の書物を多く読まれる方もおられると思います。最近の書物の中には、この手紙はパウロが書いたものではなく、パウロの名を借りた人が書いていると説明しているものがかなりあります。そういう書物を読んでおられる方のために、その点について触れておく必要を感じます。
なぜそのように言えるのかという説明の中に、パウロの他の手紙と比べて、用いられている文体や用語がかなり異なっているというのがあります。それは、たしかにそのとおりなのです。ですから、そのことを理由に(理由は他にもありますが)、この手紙は使徒パウロが書いたものではない、と説明することは不可能ではないと私も思います。
しかし、私は別のことを考えます。何を考えるのか。わたしたちでもしょっちゅうするのは、公の言葉づかいとごく親しい身内相手の言葉づかいとを使い分けることです。官公庁が公式文書に用いるような言葉と親しい仲間同士の間で用いる言葉とは違っていて然るべきです。そういう区別をパウロがしなかったと言えるでしょうか。
私はパウロが書いたかどうかという点については賛成も反対もしません。どちらの立場もそれなりの言い分があると思います。しかし、私の感覚から言わせていただけば、パウロが書いた手紙であると考えるほうが、面白い結論が出てきそうな気がします。
教会は秘密主義なのかと誤解されるのは困るのですが、現実の教会があつかう問題の多くは、微妙でデリケートな事柄ばかりです。そのようなことについて、牧師同士がひそひそ話をしているという様子を想像していただくとよいかもしれません。
テモテへの手紙の内容は、そのような、教会内部に起こる微妙な問題ばかりで、それらをめぐって秘密裏におこなった牧師同士の会話だと考えると腑に落ちる部分が多くあります。パウロの他の手紙とは文体や用語が違うのでパウロの手紙ではないと言ってしまいますと、いま申し上げたような興味深い可能性を失ってしまう気がするのです。
今日お読みしました個所に書かれていることも、微妙と言えば微妙な話です。「これらのことを人々に思い起こさせ、言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい」(14節)と書かれていますが、「人々」とは教会の人々です。おそらくは牧師テモテが牧会する教会の人々のことであり、それはもちろんクリスチャンです。
そのクリスチャンである人々に対してパウロが書いていることは、「言葉をあげつらわないようにと、神の御前で厳かに命じなさい」というわけです。裏返して言えば、クリスチャンの中にも、人の言葉をあげつらうような人がいる、ということです。
ただ、この「言葉をあげつらう」という訳は、少し訳しすぎではないかという印象を私は持ちます。原文の言葉を単純に訳せば「言い争う」です。言い争いは教会の中でも起こりうることを、パウロは知っています。だからこそ、そうならないようにテモテに注意しているのです。
それに続く「そのようなこと」とは「言葉をあげつらうこと」または「言い争うこと」です。そのようなことは「何の役にも立たず、聞く者を破滅させるのです」とパウロは書いています。「聞く者」は教会です。その言い争いの場は教会の中ですから、聞くのは教会の人々です。「聞く者を破滅させる」とは、教会に悲惨な結果を招くことになるということです。
すでにパウロはその悲惨な結果を体験済みでした。「あなたも知っているように、アジア州の人々は皆、わたしから離れ去りました。その中にはフィゲロとヘルモゲネスがいます」(1・15)。だからこそ、パウロはテモテに自分と同じ苦労や悲劇を味わわせたくなかったのです。
「あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(15節)。これは説明の必要がないほど論旨明快な言葉だと思います。
「適格者と認められて」とあるのは、今のわたしたちでいえば説教免許とか教師試験とかのようなことがパウロの時代から行われていた可能性を感じる言葉です。実際の試験がどういうものだったかは分かりませんが、何らかの試験はおそらくあったのではないかという印象です。
そしてそれに続く言葉が「俗悪な無駄話を避けなさい」(16節)です。緊張感ある言葉です。そしてまた、この文脈でこの言葉がいきなり出てくると誤解されてしまうところが出てくるかもしれません。パウロが書いているのは、狭い意味での教師、牧師、説教者だけの話ではないのかもしれませんが、この文脈で言われると牧師たちは説教以外のときは黙っていなくてはならなくなります。牧師は聖書の言葉だけを語ってほしい。あとは黙ってほしいという話になりますと、息が詰まってしまいます。
翻訳の問題があるかもしれません。「俗悪な無駄話」と訳されていますが、この「俗悪(ぞくあく)」と「悪(あく)」の字がついて悪者(わるもの)呼ばわりされてしまっていますが、この言葉を原文で確認するかぎり、これは「世間の話」というくらいの意味だと思います。
この単語の中に「敷居」という字が含まれています。字義どおり訳せば「敷居が低い」とか「敷居がない」です。その敷居は、教会の内と外を隔てる敷居です。その敷居を踏み越えている話かどうかが問われているのです。
その意味では「俗悪な無駄話」はやはり訳しすぎです。実際の意味は、教会の中に「世間の話」を持ち込みすぎないほうがよい、教会の敷居を低くしすぎないほうがよい、ということです。
世間の評価、世間の肩書き、世間の付き合い。それらすべてが悪いわけではありません。新共同訳は「俗悪」と呼んでしまっていますが。
しかし、そのようなものを教会の中に持ち込むべきではありません。教会には教会固有の判断があります。教会らしい言葉があります。
敷居を取り去りすぎないでください。そういうことをすると、教会が壊れます。教会でない、別の団体になります。
そのことをパウロは警戒し、パウロにその危険を伝え、警戒を促しているのです。
(2014年6月22日、松戸小金原教会主日夕拝)
すべての民よ、主を賛美せよ
日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂 |
ローマの信徒への手紙15・7~13
「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。『そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう』と書いてあるとおりです。また、『異邦人よ、主の民と共に喜べ』と言われ、更に、『すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ』と言われています。また、イザヤはこう言っています。『エッサイの根から芽が現れ、異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。』希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」
今日もお開きいただいているローマの信徒への手紙の14章1節から今日お読みしました15章13節までの間に書かれていた一連の話題は、教会の中で信仰の強い人が信仰の弱い人を受け入れなければならないし、背負わなければならないということでした。弱い人が強い人を背負うことはできません。それは物理的に不可能です。強い人が弱い人を背負うのです。その逆はありません。
しかし、先週も申し上げましたが、この強い人と弱い人の関係は完全に不動の状態で固定化されているわけではないということも忘れられてはならないことです。「私は弱い。常に弱い。永久に弱い」と言い張り続ける。自分は常に必ず永久に背負ってもらう側である。他の人を背負うことなどは永久にありえない。そのような位置に頑として座り続け、動かないということでは、困るのです。
そして、ただ困るというだけではなく、現実にはありえないことです。背負う、背負うと言っても、いろんな背負い方があります。だれかのことを気にかける。心配する。祈る。これらのことも十分な意味で背負うことです。それもしない。私は自分のことだけで精一杯である。他のだれのことも関心を持つことさえできないというようなときは、わたしたちの人生の中で実際にありうると思います。他の人の話を聞くだけでも辛い。そういうときはわたしたちの人生の中に何度となく訪れるものでもあります。しかし、一生そうでしょうか。永久にそうでしょうか。
しかし、私はこのように言いながら、「たとえばの話」というような仕方で、単なるたとえ話として引き合いに出すには問題があまりに大きすぎると思いながら、しかし、わたしたちの視野から決して失われてはならない方々のことを思い浮かべています。それは生まれつきの重い障がいをもった方々のことです。他の人を背負うことが難しい方は実際におられます。そのような方々は教会の交わりに入ることができないでしょうか。それは、ひどい話です。
そしてまた、これは3回目か4回目くらいの繰り返しの話になっていることですが、わたしたちが初めて教会に来たときのことを思い出してみてほしいわけです。初めから信仰が強かったという人はだれもいませんでした。そのことを考え合わせると分かって来ることは、わたしたちは基本的に教会に背負ってもらうために来るのであって、初めからだれかを背負うために来ることは考えにくい、ということです。
このことを私が何度も繰り返し申し上げることには理由があります。初めて教会に来られる方々や、これから教会生活・信仰生活を始めようとしておられる方々に対して、教会にはこんな負担がある、あんな負担があるというような話をすることになれば、そもそも教会生活・信仰生活を始めることができないとお考えになる方が多いだろうと思うからです。教会の中にある負担の面ばかりを強調するようなことをすれば、これから信仰生活を始めようとしている人たちの行く手をさえぎることになると思うからです。
それは当然のことではないでしょうか。逆の立場に立てば分かることだと思うのです。わたしたちが教会に通いはじめた頃に、やれ、教会にはこんな負担があるだ、あんな負担があるだということを初めから言われて、それでも、教会に通い続けます、洗礼を受けます、信仰を持ちます、と思えたでしょうか。無理だったと思うのです。
私もまだ若いほうですので、まだまだ背負ってもらいたいと思っているところがあります。しかし牧師の仕事をしている者でもありますので、背負ってもらう側というよりは、なるべくなら背負う側にいなければならないわけで、両方の立場の人たちの気持ちが分かるつもりです。被害者意識のような意味で言うのではありませんが、板挟みの状態にあることを自覚しています。
しかし、とにかくはっきりしていることは、初めて教会に来る人が、教会の中の何かを、あるいはだれかを背負いに来るということは、ほとんど考えにくいことだということです。そのようなことのために教会に来る人は、ほとんどいません。
わたしたち自身を含む、すべての人が、背負ってもらうために教会に来たのです。そのことを忘れないようにしましょう。そしてまた、だれもが教会に受け入れられたのです。わたしたちの存在は、教会にとって、最初は違和感があったと思います。違和感がある存在が、神の憐れみによって教会へと受け入れられたのです。
そもそも聖書など読んだことがない。お祈りなどしたことないし、賛美歌など歌ったことがない。使徒信条とか主の祈りとか十戒とか言われても「何それ」と思うだけ。ハイデルベルク信仰問答とかジュネーヴ詩編歌とか言われても宇宙の話でも聞いているかのような気分。改革派教会とか言われると何か恐ろしい団体であるかのように感じる。大勢の人が集まるような場所が苦手だったという人もおられたと思う。実際のわたしたちは、そのあたりから出発しているはずです。もうお忘れになったでしょうか。
すべては教会に来てから学んだことです。教会の中で知ったことです。その学ぶことも、知ることも、教会の中に受け入れられて初めて起こることです。もちろん教会に受け入れられるときに準備のための勉強会があります。しかし、勉強会の趣旨は、十分学んでいただき、十分知っていただいた人だけを教会は受け入れます、ということではありません。なぜなら、それは不可能なことなのです。たとえば、聖書は教会の外に立っていくら読んでも決して理解できない書物です。なぜなら、聖書は教会の内部のことについて書かれた書物だからです。
賛美歌も、祈りも、同じです。教会の内部の言葉で歌い、祈ります。教会の中に加えられなければ決して理解できません。ですから、すべてがよく分かった人だけを教会は受け入れます、ということをいくら言っても、無理なことなのです。聖書も、賛美歌も、祈りも、教会の中に入らなければ理解できないものだからです。
そして、そのような仕方で、実際にはほとんど何も知らない、何もできない、何も持っていない人を受け入れること、背負うことが、神がわたしたち教会に委ねられたわざとしての「伝道」ということの具体的な内容です。そのことを教会が嫌がったり面倒くさがったりするのであれば、伝道なんて進んでいくわけがありません。
わたしたち自身がもともと面倒くさい人だったのです。何も知らない、何もできない状態で教会の門をくぐったのです。もうお忘れになったでしょうか。
わたしたちでいえば、初めから日本キリスト改革派教会のことがよく分かっている人だけに教会に来てもらいたいなどと言いはじめたら、その教会は伝道をする気がないのと同じです。それは伝道ではありません。他の教会の信徒の方に転入していただくというだけのことです。
しかし、だからといって、わたしたちは、背負え、背負えと言われても悲鳴をあげるばかりでこれ以上背負うことはできないと感じている。そのことも、私はよく分かっているつもりです。
今日開いていただいている個所の最初にパウロが書いていることは、次のことです。「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(7節)ということです。
私は、この御言葉を、わたしたちが抱えている悩みの解決の糸口になると思いながら読みました。ここに書いてあることは、14章の初めからの繰り返しでもあります。しかし、違いもあります。それは「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と書かれているところです。
14章の最初に書かれていたのは「信仰の弱い人を受け入れなさい」でした。15章の最初に書かれていたのは、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきである」でした。どちらも「教会」は、(信仰の)強い者の立場に位置づけられています。そのことが明らかに前提されています。
ですから、わたしたちは悲鳴を上げたくなります。「教会に長年通っているわたしたちも弱いですよ」と言いたくなります。「牧師も長老も執事も、みんな弱い人間ですよ」と言いたくなります。「受け入れてもらい、背負ってもらいたいのは、こちらのほうですよ」と言いたくなります。
じつは、その気持ちをパウロはよく分かっているのです。だからこそ、「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」と書いているのです。
ここで重要な言葉は「互いに」です。これは、原文でも強調されている言葉だと言ってよいものです。文字どおりの相互関係です。現実の教会においては、一方は常に受け入れる側であり続け、他方は常に受け入れられる側であり続けるという状態が固定されているということはありえないのです。
これから私が言うことを耳で聞くと屁理屈を言っているように聞こえてしまうかもしれませんが、よく聞いてください。「互いに相手を受け入れる」とは言い換えれば「互いに相手に受け入れられ合う」ということです。
教会においては、全員が「受け入れられている」のです。わたしたちを本当に受け入れてくださっているのは、イエス・キリストおひとりだけです。面倒くさいわたしたちを我慢して受け入れてくださっているのはイエスさまおひとりだけです。そのことを忘れないようにしましょう。
そして、そのようにして互いに受け入れ合う、あるいは「互いに相手に受け入れられ合う」ことによって立つ教会の目的は、「すべての民が主を賛美すること」にあります。
「割礼ある者たち」とはユダヤ人で、ユダヤ人以外の人を「異邦人」と呼ぶ。パウロの時代の教会が直面した課題は「ユダヤ人キリスト者」と「異邦人キリスト者」との仲違いでした。生まれたときから聖書を学んできたユダヤ人と、そうでない異邦人との仲違いは、今の時代のわたしたちの教会の中でも似たようなことが起こりうるのです。
しかし、わたしたちは互いに相手を受け入れなければなりません。いえ、互いに相手に受け入れられ合おうではありませんか。それが、それだけが、わたしたちの今の苦境を乗り越える道です。
(2014年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)
2014年6月15日日曜日
聖書から忍耐と慰めを学びましょう
日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂 |
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ローマの信徒への手紙15・1~6
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。『あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった』と書いてあるとおりです。かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」
ローマの信徒への手紙の学びを先週は(ペンテコステで)中断しましたが、今日から再開します。途切れ途切れになりますと文脈が分かりにくくなっているかもしれませんので、これまでお話ししてきたことを少しずつ振り返りながら、話を前に進めていきたいと願っています。
しかし、振り返るのはずっと前からというわけにはいきません。話が長くなります。振り返るのは、直前の14章の最初です。そこに「信仰の弱い人を受け入れなさい」(1節)と書かれています。信仰の弱い人を受け入れるのは教会です。この文章の省略されている主語は教会です。教会は信仰の弱い人を受け入れなければなりません。そのことを使徒パウロがローマの教会に書き送っているのです。
なぜ教会は信仰の弱い人を受け入れなければならないのでしょうか。その理由についてはもうすでに繰り返しお話ししてきました。私が最も力を込めて申し上げてきたことは、わたしたち自身のことを思い出してみてくださいということです。
だれ一人として初めから信仰の強い人はいませんでした。そのような人がおられるならお会いしたいです。私が知らないだけでしょうか。そうかもしれません。しかし、実際にはそのような人は一人もいません。いまだかつて地上に存在したことがありません。ですから、すべての人に教会が必要です。「信仰の弱い人を受け入れる教会」がすべての人に必要です。
それで今日お読みしました個所の冒頭、ローマの信徒への手紙15・1に書かれていることは、いま申し上げたのと同じことの繰り返しのようでもありますが、実は一歩先に進んでいます。「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」(1節)。
ここに来てパウロは「わたしたち強い者は」と言うのです。「強い者」とは信仰の強い者のことです。問題になっているのは信仰です。しかし、そうなりますと、わたしたちは次のことに気づかされます。
先ほど申し上げたことは、すべての人は最初から強い信仰を持っていたのではなく、弱い信仰の状態から、あるいはそもそも信仰など全く持っていない状態から出発したのだということです。しかし、それは出発点ではありますが、いつまでも同じ状態にとどまり続けているわけではないということ、その信仰は教会の中で強められていくものであるということがパウロの言葉から分かります。
パウロは「わたしたち強い者」、つまり「わたしたち信仰が強い者」と言います。信仰が弱かった者や、信仰をもっていなかった者が、教会の中で、この個所でパウロが呼びかけている「わたしたち(信仰の)強い者」の側に立つ者へと次第に変えられていくということが起こるし、起こらなければならないということが分かるのです。
「本当にそうでしょうか」ということは問うておく必要があるかもしれません。わたしたちの信仰は、教会の中で強められてきたでしょうか。最初と今と何も変わっていやしない。かえってますます弱まるばかりだとお感じになっている方は、きっとおられるでしょう。教会に責任があると言われても仕方がありません。教会に何年通っても何も変わらなかった。何も得るものはなかった、ということであれば、教会に責任があります。そうであるとしか言いようがありません。
しかし、私が今申し上げていることに、犯人探しの意図はありません。だれが悪い、だれが問題だと言いたいのではありません。パウロが書いていることもそのような意味ではありません。
同じ言葉をもう一度読みます。「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません」と書かれています。
「強くない者」とは裏返せば「弱い者」ということになり、これもまた「信仰の弱い者」のことです。それは、先ほどから申し上げていることからいえば、教会に初めて来られた方や、まだ信仰を持っていない方のことです。あるいは信仰生活を始めてまもない方。あるいは教会の礼拝には長年通っているけれども、聖書の中身や教会の教えになじめない、納得がいかない。従うことができない。家族や親戚、会社、地域社会などの様々なしがらみから自由になることができない。そういった方々のことだと考えることができます。
そういう方々を受け入れる側に立っているのが「わたしたち強い者」です。あるいは、受け入れるというだけではなく、「強くない者」すなわち「信仰の弱い者」のその弱さを担う側に立っているのが「わたしたち強い者」すなわち「信仰の強い者」であるということになります。
あまり図式化しすぎますと、教会の中に二重構造があるような印象を抱かせてしまうことになるかもしれません。しかし、ある意味でそうだと認めざるをえないところがあります。教会の中に信仰の強い人と弱い人がいる。強い人は受け入れる側であり、弱い人を背負う側である。弱い人は受け入れられる側であり、強い人に背負ってもらう側である。完全に切り分けてしまいますと、わたしたちがすぐに考え始めてしまうのは、私はどちら側なのだろうかということでしょう。そして、だいたいの人は、私は弱い人の側だ、というふうに考えるでしょう。そのほうが楽ですから。
しかし、パウロの言っていることは、なるほどたしかに、教会の中に二重構造があるような印象を与えてしまいかねないことではあります。しかし、内容をよく読めば、その構造は変わっていくものであるということが分かります。弱い人はいつまでも弱いままではない。強い人になっていくのだ、ということが分かります。受け入れられる側から受け入れる側に、背負われる側から背負う側へと、わたしたち一人一人の信仰が、教会の中で変わっていくのです。
そしていま私は「教会の中で変わっていく」と申し上げました。弱い者から強い者へと変えられていく。それはどのようにして起こるのでしょうか。答えは単純です。最初は弱くても、とにかく教会の中に留まり続けることによって、自分よりもっと弱い人が新しく教会に来るようになります。その様子は、学校や会社で新入生や後輩が入って来るのに似ています。その自分よりももっと弱い人を、まがりなりにも受け入れ、背負うことを始める。そしてそれを続けていくことによって、自分の信仰が鍛えられる。それが、強くなるということの意味です。わたしたちの信仰が強くなっていくための方法はそれだけだと言っても過言ではありません。
受け入れる側、背負う側に立って、実際に受け入れ、背負う。そのことを続けていくと、だんだん強くなる。鍛えられるということです。最初から、まだ弱いうちから、どんと重いものを背負える人はいません。そういうことをすると体を痛めますし、心が折れてしまいます。最初は、軽いものから背負えばいいのです。重量挙げの話をしているような感じになっていますが、まさにそのようなことを考えればよいと思います。だんだん重さが増してきます。もう無理だと思った時点で、ギブアップしても構いません。持っているバーベルを前に放り投げればいい。そうしないと、最悪、死にます。しかし、耐えられるところまでは耐えてみる。
スポーツでも勉強でも、みな同じです。練習あるいは訓練によって、人は強くなっていくのです。信仰の訓練は教会の中で行われます。それは「信仰の弱い人を受け入れ、背負う」という訓練です。逆に言えば、それをしようとしないならば、その訓練を遠ざけ、逃げるならば、わたしたちの信仰はいつまで経っても強くなりません。とても厳しいことを言っているようですが、実際パウロは厳しいことを言っているのだと思います。
だからこそ、「自分の満足を求めるべきではありません」という話につながります。これは「自分の喜びを求めるべきではない」と訳すこともできます。教会は自分の満足あるいは自分の喜びを求める場所ではないというわけです。
このようなことを正面から言われてしまいますと、わたしたちは本当に教会から逃げ出したくなってしまうのですが、しかしパウロは教会とはそういう場所だとはっきり言っています。ショックな面があります。パウロがテサロニケの信徒への手紙一5・16に書いている「いつも喜んでいなさい」というあの有名な言葉と矛盾しているではないかと言いたくなるほどです。もしかしたら本当に矛盾しているのかもしれません。しかし、理解できない話ではないと思うのです。
おそらく最も分かりやすい例は、結婚や出産だと思います。喜びの要素が最初から全くないような結婚や出産は考えにくいものです。そのようなことが成立するのは、なかなか難しいことだと思う。しかし、現実の結婚、現実の出産や子育ては、ものすごく苦しい面や大変な面を必ず持っているはずです。例外はないと思います。こんなはずではなかったと後悔したことがない人はいないでしょう。自分にはなかったと思う方は、忘れておられるだけです。
それと教会は同じだと考えることができます。「いつも喜んでいなさい」と言われていることも真理です。しかし、だからといって自分の満足、自分の喜びを求めるためだけに教会に通うわけではないし、神を信じるわけでもないということも、わたしたちにとっての真理です。教会の中で、また信仰生活の中で、ただ楽しいことだけを追い求め、自分に負担がかかること、嫌なこと、つらいことからは全部逃げ出すというのであれば、わたしたちの信仰に成長はありません。
隣人を愛するとは、隣人の重荷を背負うことでしょう。自分は背負ってもらうだけで、隣人の重荷は背負いません、背負えませんでは、愛は成立しません。その意味では、教会はわたしたちにとって、つらいところでもあるのです。それは否定できません。
そのことをパウロははっきり書いています。はっきり書かれすぎていて、読むのがつらいほどです。しかしそれをパウロはローマのキリスト者に伝えようとしています。教会にはつらい面があります。自分の満足、自分の喜びを得られない場所であり、それを得るべきでない場所でもあります。しかし、忍耐しましょう。忍耐を重ねていけば、あなたの信仰は強くなります、とパウロは言いたいのです。
その忍耐のために、パウロはイエス・キリストのお姿を思い起こします。「キリストも御自分の満足をお求めになりませんでした」(3節)。キリストの生涯は、つらいばかりの生涯でした。ほぼ苦痛、ほぼ忍耐の生涯でした。そのキリストに倣いましょう。
また、パウロは聖書の価値を思い起こします。「わたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです」(4節)。イエス・キリストのお姿が聖書に描かれています。弱い人を受け入れ、背負う苦しみから逃げ出さず、耐えるために、わたしたちは聖書を学ぶのです。
(2014年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)
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