2010年7月24日土曜日

これは「無題」にしておきます

わりと最近、複数の人から「森永卓郎さんに似ている」と言われて、「ついに来たか」と、なんとなくショックを受けました。



とはいえ、早晩そういう話になるだろうといくらか予測してはいましたし、たしかによく似ているようですので、「ショックを受けた」は冗談が過ぎるかもしれません。



二年くらい前には、「カンニングの竹山(さん)に似ている」と、ある人から言われました。そのときは「似てないよっ!」と即座に反論しましたが、あとでよく見ると、なるほどよく似ているらしいことが分かりました。



お二人と私のあいだに共通点があるとしたら、肥っていること、眼鏡をかけていること、年の割に髪の毛が黒くてフサフサしていること、語り口がどこかしら皮肉っぽいこと、いつも何か企んでいるような(欲が深そうな)目をしていること、くらいでしょうか。日本の道を歩けばどこでも出会うタイプの、普通の中年おじさんです。



話はそれだけ。オチの無い話、でした。おしまい!



2010年7月23日金曜日

カルヴァンからカントへ(6)

ところで、カントの『たんなる理性の限界内の宗教』(原題Die Religion innerhalb der Grenzen der blossen Vernunft)の英語版のタイトルはReligion within the Boundaries of Mere Reasonとなっていますが、従来「たんなる理性」などと訳されてきたところは、できれば「裸の理性」(blossen Vernunft)と呼びたいところです(「裸の理性の行方」参照)。



一方、Grenzeをboundaryと訳した英語版の訳者は卓見の持ち主だと思いました。これは「限界」という何処となくネガティヴな響きを持つ表現よりもむしろ「境界」もしくは「境界線」ではないでしょうか。



こうしてみると、本書のタイトルは「裸の理性の境界線の枠内で了解される宗教」ではないだろうかと考えてみました。あるいは、もっと短くして「裸の理性が及ぶかぎりの宗教」とか「裸の理性でとらえうるかぎりの宗教」でもよいかもしれない。



「裸の理性」とは、純粋理論理性でも純粋実践理性でもない、まさに「たんなる」理性であり、それはただの理性、普通の理性、通常の理性のことを指しているわけですから、そのとおり訳せば「普通の理性の範囲内の宗教」でもよいかもしれない。



このあたりのことも、いつかカント研究の専門家にお伺いしてみたいところです。



このカント的な意味での「普通の理性の範囲内の宗教」(Die Religion innnerhalb der Grenzen der blossen Vernunft)を構築していくことの積極的な意義については、今日では多くの言葉を必要としていないように思われます。



「宗教には理性を越える要素がある」というのは、なるほど我々にとって当然すぎる言い分ではあります。しかしまた、それと同時に、「我々が生まれつき持っている通常の理性で判断しうる範囲をあまりにも越えすぎないように、多少なりとも抑制すること」は、教会の者たちにとっても必要なことであり、大切なことでもあると、私には思われるのです。



たとえば、神学をあまりにも過度に「グノーシス化」させないために、普通の理性(blossen Vernunft)を十分に機能させることが必要です。宗教家たちが、自分自身はまだ実際に行ったことも見たこともあるわけではない「死後の世界」やら「霊の世界」やらについて、生きている間にあまりにも多くのことを語りすぎるペテンに陥らないようにするために、ある程度の理性的な自己規制を行うことは、決して間違っていません。



2010年7月22日木曜日

カルヴァンからカントへ(5)

「カルヴァンとカント」あるいは「カルヴァンからカントへ」という問題の究明作業は資料不足のため頓挫しました。何か新しい情報が加われば何とかなりそうですが、今のところ手も足も出ません。



私が知りたいのは「カントの視点から見たカルヴァンとカルヴァン主義者のイメージ」です。直接的な言及でも見つかればいちばんはっきりするだろうと思い、とりあえず探してみましたが、三つの批判書(純粋理性批判、実践理性批判、判断力批判)の中にカルヴァンの名前は見つかりません。カントの宗教論の一つである『たんなる理性の限界内の宗教』の英語版(ケンブリッジ版、1998年)に目を通してみましたが、やはりカルヴァンは登場しませんでした。



私は理想社版や岩波書店版の『カント全集』を持っていません。あれを用いることができないのを悔しく思っています。岩波文庫や中央公論社「世界の名著」のカントなどはすべて学生時代に買い、いまでも持っています。それらすべてに目を通しても、今のところカルヴァンの名前は見つかりません。『カント全集』にはカルヴァンが登場するのでしょうか。私には分かりません。



そもそも――これはカントの文体を研究している方々にご教示いただきたい点なのですが――カントの文章には人名への言及そのものが少ないようにも見えました。直接言及されている人名といえば、聖書に登場する人物(アブラハム、ダビデ、イエス、パウロなど)と、あとはセネカ、ルソー、スピノザ、デカルト、ヒューム、ニュートンくらいです。



「○○氏はこう言った。△△氏はこう書いている」とひたすら際限なく他者からの引用文で埋め尽くされているようなたぐいの書物よりははるかに好感が持てますが、いま私が抱いているような関心事を解明したい人々にとっては人名や引用元が明示されているほうが好都合です。



この点――カントの文章に人名への言及が少ないと思われる点――は多くのカント研究者たちを泣かしてきたのではないだろうかと勝手に空想してみましたが、真相はいかがでしょうか。



ともかく現況は以上のとおりです。ほとんど進展はありません。恥ずかしい報告しかできません。



しかし、まだ一箇所ですが、ほのかな光の窓を見つけました。それは『たんなる理性の限界内の宗教』の第7章です。この章のタイトルを英語版から直訳調で引き写しますと、「《教会的な》信仰から純粋に《宗教的な》信仰の独占的支配への漸進的移行こそが神の国の到来である」(The gradual transition of ecclesiastical faith toward the exclusive dominion of pure religious faith is the coming of the Kingdom of God)となります。



この章が扱っている問題はタイトルどおり「神の国」に関することですが、これはきわめて神学的、教義学的なテーマです。とてもうれしいことに、カントはこの文脈でいわゆる「予定論」(praedestinatio)に関する諸課題を取り上げています。



英語版をじっくり読み込む時間がないのが残念です。しかし、もしそれがカルヴァンとカルヴァン主義者の予定論を(ほんの少しでも)意識した上で書かれた部分であることが立証できた場合には、「カルヴァンとカント」を論じるための足がかりになるでしょう。



2010年7月7日水曜日

カルヴァンからカントへ(4)

「カルヴァンとデカルト」あるいは「カルヴァンからデカルトへ」というテーマであれば、歴史的・文献的に明確に立証しうる道筋がありますので、カルヴァンとカントの関係よりも、はるかに論じやすいものがあります。



もちろんそれは、カルヴァン(Jean Calvin [1509-1564])自身とデカルト(René Descartes [1596-1650])自身との間に直接的な対面や交流の接点があったという意味ではありません。そういう事実はありません。しかし、16世紀後半に生まれ、17世紀の主にオランダで活躍した改革派神学者ヒスベルトゥス・フーティウス(ヴォエティウス)(Gisbertus Voetius [1589-1676])と彼の神学的同僚たちは、カルヴァンの予定論の解釈をめぐってアルミニウス主義者たちと対決する一方で、当時の西ヨーロッパの流行思想であったデカルト哲学とその追従者との対決を余儀なくされていたということが歴史的に知られています。17世紀の(とりわけオランダの)カルヴァン主義者たちがデカルト排斥のために尽力したことは歴史的に明白な事実です。そのことを今日のオランダのキリスト者たちは記憶しており、反省もしており、デカルトの名誉回復をはかったりもしています。今のヨーロッパは、いつまでも17世紀のままではないのです。



ですから、私の問いにも今まさに書いたことの応用編である面があります。今の問題意識の中に「カントと同時代に生きた18世紀のカルヴァン主義者たちが、カントをどう見ていたか」という点が含まれていないわけではありません。しかし、私の主たる関心はそちらのほうではなく、むしろそれとは正反対の問い、すなわち「カントが彼の同時代のカルヴァン主義者たちをどう見ていたか」です。



カントがカルヴァンとカルヴァン主義者の著作を全く読まなかったとか、少しも影響を受けなかったということは、状況的には考えにくいことです。当然読んだでしょう。知ってもいたでしょう。ポジティヴな意味でかネガティヴな意味でかはともかく、影響も当然受けたでしょう。しかし、そのことを我々はカント自身が書いたものに基づいて文献的に実証しないかぎり、憶測以上のことを語ることができません。



「カントがカルヴァンとカルヴァン主義者のことをどう見ていたか」。この問いの背後で私が抱いている思いや動機や目的については、まだはっきりとは書かないでおきますが、私にとっては今日的に非常に深刻なものと感じられることです。



カルヴァンからカントへ(3)

今週は久しぶりに驚きと感動の毎日を過ごしています。インマヌエル・カントに熱中するのは二年半ぶりのことです。



今日の最大の驚きは、カント『純粋理性批判』の古い英語版の訳者、ジョン・ミラー・ドウ・ミークルジョン(John Miller Dow Meiklejohn [1830-1902])に関することです。



ミークルジョンがその英語版を出版したのは、なんと彼が25歳のときだった!カルヴァンが『キリスト教綱要』の初版を出版した年齢(27歳)よりも若い!そのことが分かって、思わず「ひゃあ」と声を上げてしまいました。



探してみたら、ミークルジョンの伝記がすぐに見つかりました。その中に「1993年に出版された新しい英語版『純粋理性批判』は、なお基本的に〔1855年に出版された〕ミークルジョン版を土台にしている」と記されていることも、ミークルジョンがいかに若いうちから優れた人物であったかを示す一例といえるでしょう。



J. M. D. ミークルジョンの伝記(↓)http://www.ed.uiuc.edu/faculty/westbury/paradigm/vol2/Graves.doc



ところで、この際書きとめておきたいことは、私が「カルヴァンとカント」の「何」を知りたがっているのかということです。それは次の一言で表現できることです。私が知りたがっていることは、「カントがカルヴァンとカルヴァン主義者の何を、またはどこを嫌ったのか」です。「嫌う」の点を問うことがなぜ両者の「ポジティヴな」関係を探ることになるのかについては説明が必要ですが、それはそのうち書くことにします。



よく知られているとおり、幼少期のカントは、とくに母親の影響で「敬虔主義のキリスト教」の道を歩んでいました。ところが、学生時代に体験したらしき何らかの出来事を経て、カントは教会に通わなくなってしまいました。その後、彼の「啓蒙」の哲学は、教会と宗教の支配下からの解放を要求するものとなりました。



このようなカントのよく知られた伝記を聞く人たちの多くは、彼の母親の信仰が「敬虔主義的なるもの」であったと聞くとすぐに、ドイツのいわゆるルター派敬虔主義の神学者たちの名前だけを思い浮かべるでしょう。なぜなら、カントは確かにドイツ人であったし、彼の母親が通っていた教会はドイツのルター派の教会であったことも確かだからです。



しかし、事情はそれほど単純ではないのではないかと、私は非常に疑っているのです。たとえばカントは『純粋理性批判』においてライプニッツの合理主義とヒュームの経験主義を「綜合」(または「統合」)したと言われるわけですが、ここですでに、ライプニッツはドイツ人ですが、ヒュームはスコットランド人です。カントに影響を与えたのは、ドイツ人だけではなく国際的でした。しかも、ヒュームの時代のスコットランドは、17世紀のウェストミンスター神学者会議などから百年も後であり、とっくの昔にプロテスタント化されており、しかも、そのキリスト教は色濃くカルヴァン主義的なものであったと考えられます。



しかし、私は何も、カントはヒュームから初めてカルヴァン主義的なるものを教えられたのではないかと、そんなことを考えているわけではありません。そのようなルートを経なくても、カントの時代のドイツでカルヴァンやカルヴァン主義者の影響を受ける機会はいくらでもあったに違いないと推測しています。



17世紀のブリテン島で始まったピューリタニズム運動は、大陸へといわば逆輸入される仕方で、オランダやドイツにも大きな影響を与えました。ブリテン島のピューリタニズムのキリスト教の特質は、カルヴァン主義的な敬虔主義信仰、すなわち「改革派敬虔主義」(Reformed Pietism)というべきものであり、このタイプの敬虔主義が17世紀のオランダで大きく開花し、広く西ヨーロッパの教会と社会の再改革運動へと発展しました。この動きを現代の教会史家たちは「第二次宗教改革」(Second Reformation / Nadere Reformatie)と呼びます。



私が知りたいのは、たったいま記した意味での改革派敬虔主義の運動としての「第二次宗教改革」と、カントとその哲学との関係です。両者の関係があるか無いかという点を含めて知りたいと願っています。



この謎が解けると、非常に多くの問題が解けるようになります。



2010年7月6日火曜日

カルヴァンからカントへ(2)

アマゾンから荷物が届きました。このたび購入したのは、以下の五冊です。



(1) Kant, Immanuel, Critique of Pure Reason(『純粋理性批判』), Trans. by J. M. D. Meiklejohn, Dover, 2003
(2) Kant, Immanuel, Critique of Practical Reason(『実践理性批判』), Trans. by T. K. Abbott, Dover, 2004
(3) Kant, Immanuel, Critique of Judgment(『判断力批判』), Trans. by J. H. Bernard, Dover, 2005
(4) Kant, Immanuel, Religion within the Boundaries of Mere Reason And Other Writings(『たんなる理性の限界内の宗教、その他』), Trans. by A. Wood and G. D. Giovanni, Cambridge University Press, 1998
(5) ヒューム『政治論集』(Political Discourses)、田中秀夫訳、京都大学学術出版会、2010年



実際に手に取ってみて初めて分かったことが、いくつかあります。



第一に、五冊とも非常に近年の出版物であったということが分かりました。最も古いのは(4)ですが、今からわずか十二年前の1998年の出版物です。ヒュームの『政治論集』に至っては先月、いや先々週(2010年6月25日!)出版されたばかりです。このヒュームの著作は、岩波文庫では『市民の国について 上・下』(小松茂夫訳)というタイトルがつけられているものと同じです。



第二に、批判書三部作の英語版が非常に安価であった理由が分かりました。要するに、これらは「復刻版」でした。(1)の初版出版年は1900年、(2)は1909年、(3)は1914年と記されていました。つまり、いずれも百年前の翻訳であり、版権切れとなっているものでした。だから安かったのです。謎が解けました。検索してみましたら、これら英語版のテキストはネット上に無料で誰でも読める状態で公開されていました。しかし私はパソコンの画面上で長たらしい文章を読むのが苦手ですし、自分でプリントするとかさばるし、あまり美しくありませんので、ペーパーバックながらきちんと製本されているDoverの復刻版はとても有難いです。





2010年7月5日月曜日

カルヴァンからカントへ(1)

アマゾンはやはり便利です、改めて驚きました。思うところあってカントの批判書三部作と『たんなる理性の限界内の宗教』を英語版で読みたくなり、アマゾンに注文したら、すぐに「商品を発送しました」とメールが来ました。早いです。



しかも安い。ペーパーバックだからでしょうけど、『純粋理性批判』763円、『実践理性批判』598円、『判断力批判』772円、『たんなる理性の限界内の宗教』2,153円でした(もちろんすべて新本)。完全予約販売の岩波書店版『カント全集』なら『純粋理性批判』(上・中・下の三冊に分けられている)だけで二万円超えるわけですから。



いま考えていることは、「カルヴァンとカント」、より正確に言えば「カルヴァンからカントへ」というようなテーマです。両者の関係、そしてなるべくポジティヴな関係を考えていく作業です。



「カルヴィニストのカント批判」というようなネガティヴな関係については大昔から議論されてきました。しかしその内容は前向きというよりは後ろ向き。理論的にはパーフェクトかもしれないが実践的には無意味、というたぐいのものです。



まさかカルヴァンがカントを読んだはずはありませんが、カントはカルヴァンを読むことができたでしょうし、たぶん少しくらいは読んだはず。しかし「ルターとカント」というテーマはしょっちゅう目にしますが、「カルヴァンとカント」を論じているものを私は見たことがありません。



昨夜読んでいたW. ファント・スペイカー他編『ピューリタニズム』(Het puritanisme. Boekencentrum, 2001)という本に「ドイツ人は自国が他国から影響を受けたという話をされるのを嫌うが、オランダ人はそうではない」というくだりを見つけ、「あ、なるほどね」とピンと来るものがありました。ドイツ人やドイツ系のカント研究の視点からは「ルターとカント」であればいくらでも出てくるが(二人ともドイツ人だから)、ポジティヴな意味での「カルヴァンとカント」あるいは「カルヴァンからカントへ」という議論がおこされるのを期待するのは無理なことだったようだと分かりました。



しかし、今のところ手がかりが全くありませんので、カントに影響を与えた英国のヒュームの本にカルヴァンの名前が出てこないだろうかとか、いろいろ探ってみているところです。



ついでに書きとめておきますと、私はこのたび、ヒュームのAn Enquiry concerning Human Understandingという本のタイトルを日本人は長らく『人間悟性論』と訳してきたらしいと知りました。そういうことを知らなかった者としては(高校の社会科教科書あたりで見たことがあるかもしれませんが、何の記憶も残っていません)、「なんだなんだ、こんな訳で分かりっこないじゃん。Human Understandingが人間悟性だってさ。悟性って何なの」とひとりで苦笑しています。