使徒言行録10・1~33
今日の個所に記されていますのは、教会の長い歴史の中で最も大きな意義を持つ出来事の一つであると考えることができます。少なくとも使徒言行録に記されている出来事の中では最大級の意義を持っていると言ってよいでしょう。実際この出来事のために割かれているページの数を見ていただくだけでも、この問題の取り扱われ方が非常に丁寧かつ慎重であることが分かるでしょう。
それは何か。教会がこの日このときまで目を向けようとしていた方向が事実上逆転したということです。逆転は言いすぎかもしれません。百八十度の方向転換とまでは言えないかもしれません。しかし、少なくとも相当の変化であり、根本的な方向転換がありましたということは、間違いなく言ってよいと思います。
この日このときまで、教会の目は、もっぱらユダヤ人たちに向けられていました。教会の使命は、ユダヤ人に伝道することでした。しかし、まさにこの日このときから、教会の視線が逆転しました。根本的な方向転換を遂げました。ユダヤ人以外の人々、すなわち、異邦人に目を向けるようになったのです。これがこの出来事の具体的な内容です。
当時の教会が使命としてきたことは、ユダヤ教を信じている人々に対して、あるいは、ユダヤ教団の事実上の支配下にいる人々に対して、イエス・キリストへの信仰を宣べ伝え、ユダヤ人たちをキリスト教会へと招き入れることでした。
それは同時に、ユダヤ人たちがイエス・キリストを十字架につけて殺した、ということについての厳しい裁きと断罪、そしてそのことを率直に認めて悔い改めるように、という強い勧めが含まれていました。
しかも、それは、当時の教会の人々にとってはユダヤ人に対する愛を意味していました。キリストの弟子たちのほとんどもユダヤ人でした。イエス・キリストを殺した人々は彼らの同胞でした。愛すべき家族でした。キリストの弟子たちは、ユダヤ人を愛するがゆえに、ユダヤ人に福音を宣べ伝え、自分の罪を認めて、神に立ち返るように勧めたのです。
しかし、問題もありました。それは、皆さんには、すぐにご理解いただけることです。要するに、ユダヤ人たちばかりが集まっている教会には、ユダヤ人以外の人々は来にくい、という問題です。
初代教会の人々がユダヤ人以外の人々(異邦人たち)への伝道を面倒くさがっていたかどうかは、はっきりとは分かりません。しかし、おそらく非常に大変なことであったのではないかということは、想像に難くありません。なぜなら、ユダヤ人たちの多くは、それこそ生まれたときから聖書に基づく宗教教育を受けてきた人々であるのに対して、異邦人たちには、聖書の知識がなかったからです。
聖書のみことばに関しては、一を聞けば十を知るユダヤ人たちに対して、十を聞いても一しか分からない異邦人に伝道することになる。そうであることを教会が面倒くさがっていたということではないと思います。しかし、それは相当大変なことであると当時の教会の人々が感じていたのではないかと想像することは可能でしょう。
もちろん現実には、どちらが面倒で、どちらが簡単かは分かりません。ユダヤ人たちが聖書の知識を豊かに持っていることが、かえってキリスト教信仰を受け入れるための妨げになった面もあるだろうと思われるからです。なぜなら、ユダヤ人たちの聖書の読み方はユダヤ教的な読み方であって、キリスト教的な読み方とは異なるものだからです。聖書についての先入観をほとんど持っていない異邦人のほうが、かえってキリスト教信仰を素直に受け入れることができたのではないだろうかという面もあったはずです。
実際の理由は今日の聖書の個所に記されているとおりです。少なくともルカが説明している理由は、今申し上げたことではありません。その理由とは何か。初代教会を構成していたユダヤ人たちは、異邦人との交わりを“聖書に基づいて”自粛していたのです。そのことが、28節に記されていますので、先に見ておきます。
「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています」(10・28)。
「律法」とは聖書のことです。聖書には、ユダヤ人は外国人(異邦人)とは交際してはならない、と書いてある。だから、ユダヤ人たちが集まっている教会の中に異邦人たちを招きいれることは、“聖書において”禁じられていることなのだという理解が、当時の教会の中にあった、ということです。
しかし、そのような聖書理解を、教会自身が根本的に変更することになった。根本的な方針転換を図ることになった。その変更と転換のきっかけとなった出来事が、今日のこの個所に記されているのです。
「さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、『主よ、何でしょうか』と言った。すると、天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。』天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。」
1節から8節までに登場するのは、カイサリアに住んでいるコルネリウスという異邦人と、二人の召し使いです。コルネリウスは異邦人でしたけれども、だからといって、差別や偏見をもって見られなければならないような特別な悪人であったわけではありません。熱心で真面目な信仰者でした。
ただし、コルネリウスが信じていたのは厳密な意味でキリスト教の信仰であったのかと問われるならば、おそらく最初の時点ではそうではなかった、と答えるべきです。それではユダヤ教の信仰だったのでしょうか。おそらくそうだったと思いますが、純粋にあるいは厳格にユダヤ教の教えを守っていた人であると断言できるほどかどうかは分かりません。なぜこのような微妙な言い方をしなければならないのかと言いますと、まさにこれが先程触れました、ユダヤ人たちは外国人たちとは“聖書に基づいて”交際していなかった、という事実に関係してくるのです。
コルネリウスはユダヤ教の教会から事実上締め出されていたのです。またキリスト教会の中のユダヤ人たちからも事実上締め出されていたのです。
それならば、いったい、コルネリウスは、どこの教会に通えばよかったのでしょうか。ユダヤ教の教会からも、キリスト教の教会からも締め出されて、果たして、どこで聖書を学べばよいのでしょうか。聖書なんか教会に通わなくても独学で学べるものであるとか、聖書なんか読まなくても、神を信じることはできる、というようなことを、われわれの口から言ってよいのでしょうか。そういうことを、わたしたちの口から、言ってはならないのです!
わたしたちの確信は、聖書を学ぶためには、教会に通うべきである、ということです。正しい信仰を身に着け、正しい生き方を貫いていくためには、教会の中で聖書を学ぶべきである、ということです。
しかし、コルネリウスは、事実上、教会から締め出されていました。当時の教会はもっぱらユダヤ人たちによって成り立っており、かつそのユダヤ人たちが「外国人と交際してはならない」という“聖書の教え”を忠実に守っていたからです。
ところが、コルネリウスは、要するに、教会に行きたかったのです。聖書を正しく学び、正しい信仰を身につけ、正しい生き方を貫いて行きたかったのです。この人が教会に足を踏み入れることができなかった理由は、ただ一つ、ユダヤ人ではなかったからです。
しかし、このコルネリウスに、またとないチャンスが訪れました。コルネリウスのもとに天使が現れ、ヤッファにいるペトロのもとに人を送って、ペトロを招きなさい、というお告げをいただいた、というのです。
「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、『ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか』と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。『三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。』ペトロは、その人々のところへ降りて行って、『あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここに来られたのですか』と言った。すると、彼らは言った。『百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。』それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。『お立ちください。わたしもただの人間です。』そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。』すると、コルネリウスが言った。『四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。「コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。」それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。』」
ルカは、ペトロとコルネリウスの出会いまでの経緯について、(ちょっとくどいと感じるほどに)非常に詳しく丁寧に書いています。
興味深いのは、ペトロがコルネリウスに出会う前に、ペトロの側にも、ひとつの幻を、神御自身がお見せになったということです。幻を見た、という、言ってみれば、なんとも不合理的で、不可思議なことがきっかけでした。聖書解釈の間違いを改めるには、理詰めだけでは解決しないものがある、という一つの良い例ではないかと思わされます。
ペトロの見た幻は、よく知られているものです。「天が開き、大きな布のような入れ物が四隅でつるされ、地上に下りてくる」というものであり、その入れ物の中には「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥」が入っていて、「それを屠って食べなさい」と天から声が聞こえてくる、というものでした。そして、そんなことはとんでもないことです、汚れたものを私はいまだかつて食べたことがありません、とペトロが反論したら、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」とお叱りを受けるというものでした。
そして、ペトロは、この幻の意味に気づく。コルネリウスの使いの者たちが来たときに、そのことに気づくのです。ああ、そうか、わたしは大変な過ちを犯していた、ということに気づく。外国人と交際してはならない、という掟に縛られるあまり、教会に来たがっている人々、教会の中で聖書を学び、聖書の教えに基づいて正しく生きて行きたい、という願いを持っている人々を、事実上締め出していた、ということに気づくのです。
わたしたちも、ペトロと同じことに気づく必要があります。わたしたち教会のなすべき「伝道」とは、聖書や教会の事情がよく分かっている人々だけを対象にするものではありません。他の教会に通っていたが躓いた、とか、他の教会で洗礼を受けたがいろんな事情で移ってきた、という人々は、もちろんたくさんいますし、そのような人々を教会が受け入れることも重要です。
しかし、それは、言葉の正しい意味での「伝道」ではありません。伝道は、まだ洗礼を受けていない人々、まだ信仰を持っていない人々を対象にします。日本で言えば、すでにキリスト者になっている1%の人々ではなく、まだキリスト者になっていない99%の人々を対象にするのが「伝道」です。
わたしたち自身が最初に教会に足を踏み入れた日のことを思い出せばよいのです。もう忘れてしまったでしょうか。聖書の内容も、教会生活の仕方も、祈りの言葉も、何ひとつ知らなかったこのわたしを、教会が(少々我慢して)温かく受け入れてくれたのです。
そのことを、忘れるべきではありません。
(2007年8月5日、松戸小金原教会主日礼拝)