使徒言行録9・32~43
今日の個所に登場する伝道者は、使徒ペトロです。描かれているのは、ペトロが伝道者として働いている具体的な様子です。
ペトロは「方々を巡り歩いて」いました。要するに、歩いていました。しかし、ただ歩いていただけではなく、同時にしていたことがあります。それは「会いに行くこと」と「言葉を語ること」、そして「病気をいやすこと」または「死人をよみがえらせること」でした。それがペトロの仕事でした。
「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、『アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい』と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。」
アイネアは男性の名前です。8年前から中風の病気にかかっていました。それが重い病気であったことは間違いありません。
ただ、新共同訳聖書を読むだけではよく分からない点があります。それは、アイネアが、ペトロがリダに来る前からキリスト者だったかどうかという点です。
問題は「そしてそこで」の意味です。この「そこで」がリダという町の名前だけにかかっているのか、それとも「リダに住んでいる聖なる者たちのところ」という部分の全体にかかっているのかです。
「聖なる者たち」の意味は、ここでは間違いなくキリスト者を指しています。同じ意味の「聖なる者たち」という言葉が、ダマスコのアナニアの祈りの言葉の中に出てきます。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました」(9・13)。
サウロが悪事を働いた相手とはキリスト者のことです。「聖なる者たち」とはキリスト者のことです。
リダに住んでいた「聖なる者たち」も、キリスト者です。キリスト者の中に特別に聖なる人がいるというような話ではなく、キリスト者すべてが「聖なる者たち」と呼ばれていたのです。
しかし、これだけではよく分からないのは、ペトロが行った「そこ」とは「リダ」のことなのか、それとも「聖なる者たちのところ」なのかという点です。ただし、それが不明なのは、新共同訳聖書のせいではなく、原文のせいです。原文自体がどちらとも取れるように書かれています。
一つの点にこだわりすぎたかもしれません。しかし、これは実際の場面では非常に重要な問題になりえます。どういう問題になるかをよく考えてみていただきたいのです。それは、わたしたちにとって実は非常に身近な問題でもあるはずです。
第一の可能性は、アイネアはすでに「キリスト者」だったということです。彼はペトロに出会う前からすでにキリスト教信仰を告白していたし、教会生活を送っていました。
信仰者であるということは、教会に通っていた人であるという意味にもなります。教会には通っていないが信仰はあるという話は、今日では無視することができませんが、当時はそういう話にはなりません。信仰生活と教会生活はイコールであったと考えるべきです。
だからこそ、ペトロは、キリスト者であるアイネアのもとに行きました。ペトロは信仰によってアイネアをいやすことができましたし、アイネア自身も、彼自身がもともと持っていた信仰のおかげでペトロの言葉を素直に聞くことができたので、病気を克服することができました、というような流れで、この話を理解することができるでしょう。
しかし、第二の可能性もありえます。アイネアはペトロがリダに来る前は「キリスト者」ではなかったという可能性です。
彼はまだキリスト教の信仰を告白していなかったし、教会生活も送っていませんでした。ペトロはまだ信仰を持っていないアイネアのもとに行きました。そして言葉を語ります。「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」。
このペトロの言葉によってアイネアの心の目が初めて開け、信仰が与えられ、またそれと同時に、いやしが起こりました。アイネアにもともと信仰がなかったという場合は、そのように、つまり、信仰といやしは同時に起こったこととして、あるいは同じ事柄の二つの側面であるかのように、理解することができるようになるでしょう。
ここで「どちらでもよいことだ」と言ってしまうとしたらかなり乱暴な感じになります。どちらであるかということが、わたしたちにとっては大きな問題となりうるからです。
事情は次のとおりです。特に問題の影響が大きいと思われるのは第二の可能性を想定する場合です。
ペトロは、まだ信仰を持っていない人のところに行って「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる」と言ったのだとしたら、ペトロがアイネアの病床でしていることは、全く事実上の伝道です。
しかし、第一の可能性である場合は、ペトロが病気のアイネアの前でしていることを伝道と呼ぶことはできません。伝道の第一義は、まだ信じていない人を信仰へ導くことだからです。
ペトロとしては、病床で伝道しているわけではない。それ以前からキリスト教信仰を持っていたアイネアに対し、病気の中でおそらくいろんな意味で気落ちし、不安に思っていたであろうアイネアの心の中にその信仰を呼び起こすために、励ましの言葉をかけている、と理解することができるでしょう。
私にとって気になることは、まだ信仰を持っていない人々にとって病気のときに「枕元で伝道されること」が本当に良いのかどうかです。もっと(ある意味で)分かりやすい言い方をするとしたら、元気のない人を元気づけるために「枕元で宗教の勧誘をすること」が果たして良いことなのかどうか、です。
そういうやり方はちょっと意地悪な人々から「教会が弱い人々の弱みにつけこんでいる」というふうに見られても仕方ないのではないでしょうか。そういうふうに見られるかもしれないということをわたしたちは大いに気にする必要があると、私は考えております。
「そんなのは見る人の勝手である」とか、「そう思いたい人には思わせておけばよい」と乱暴に言って済ますわけにはいかない、深く重大な問題が潜んでいるように思われてなりません。どちらとも取れる書き方をしているのは原文ですから、どちらの読み方が正しいと断言することができないのが残念です。
しかし私は、第一の可能性のほうを選びたいと思います。ペトロは枕元で伝道したわけではありません。相手の弱みにつけこもうとしていたわけではありません。すでに信じている人を、その信仰によって励まそうとしたのです。そして、アイネアは実際に励ましを与えられ、立ち上がる力を得るほどに、全くいやされたのです。
そして、いやされ、立ち上がることができたアイネアの姿が、彼のことを知る多くの人々の前で良き証しになり、あのアイネアが信じている神を、このわたしも信じたいと思う人々が現れました。
つまり、そこで起こったことは、ペトロが病気のアイネアに伝道し、それによって病気のいやしの奇跡が起こった、ということではない。むしろ、信仰者アイネアが、ペトロの励ましの言葉によって力をえ、アイネアを知る多くの人々に対して、アイネア自身が伝道したのです。信仰の証しが、人々の心を揺り動かしたのです。
ペトロの働きは続きます。リダの次はヤッファという町に行きました。そして、その町で「タビタ」とか「ドルカス」と呼ばれていた一人の女性のところに行ったのです。
「ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち『かもしか』――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、『急いでわたしたちのところへ来てください』と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。」
ここにはっきりと書かれていることは、タビタは「弟子」であった、ということです。つまり、タビタもキリスト者であり、キリストの弟子であった、ということです。
ペトロがヤッファに行ったとき、タビタはすでに死んでいたということですが、だからこそ言えることは、ここに書いてあるタビタが行っていた「たくさんの善い行いや施し」とは、タビタにとっては、 “キリスト教信仰に基づいて” というはっきりとした自覚をもって行っていたことである、ということです。
区別の面をあまり強調しすぎるのは良くないことかもしれません。しかし、どうしても言わざるをえないことは、タビタの善行や慈善は、信仰を抜きにした博愛主義であるとか人道主義ということだけでは説明がつかないものであっただろう、ということです。
ですから、そこからまた考えられることは、ペトロがヤッファに到着したときにペトロの周りに集まってきた「やもめたち」もまた、その多くがタビタと同じヤッファの教会に通っていた信仰者たちだったのではないかということであり、またそこに何人かの求道者(未信者)も含まれていた、というような事情ではなかっただろうか、ということです。
当時の教会は一つの執事的使命として、戦争や病気でご主人を失った女性たちを助ける働きをしていたことが知られています。「やもめたち」は、泣きながらタビタ(ドルカス)が作ってくれた下着や上着をペトロに見せた、とあります。教会の執事的な働きの中で、タビタ(ドルカス)の才能が如何なく発揮され、大いに用いられたのです。
彼女はおそらく、裁縫が上手だったのです。贅沢なものを買ってきたり、それを着たりするのではなく(私は今、そうすることが悪いと言っているのではありません)、ぼろぎれではないと思いますが、布のきれっぱしのようなものを集めてきて、それを服にしたのではないか、というようなことが考えられます。
その手作りの服をみんなが大事にした。「これはドルカスが作ってくれたものなんです!ドルカスが作ってくれたものなんです!」ということを、みんなが覚えていて、感謝していて、大事にしていた様子が伝わってきます。本当に愛された女性だったに違いない。
しかし、その人が死んでしまった。ヤッファ教会は、タビタを失った悲しみの中にいた。教会の中で重要な存在は、男性も、女性も、です。けれどもまた、女性の働きがしばしば非常に重要です。そして、ペトロが訪ねたとき、教会の大きな柱が倒れてしまったのではないかというほどの衝撃を受けていたのではないかと思われるのです。
「ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。」
その悲しみと衝撃の中にあったヤッファ教会を、主が憐れんでくださいました。
タビタを復活させてくださったのです!
みんなが大好きな女性タビタを、です!
教会の中で本当に愛された女性を、です!
主は、彼らの手に返してくださったのです!
そして「タビタ」は、教会の中で永遠に生き続けているのです。
(2007年7月29日、松戸小金原教会主日礼拝)