2007年2月25日日曜日

「悔い改めなさい」

使徒言行録2・22~42



今日の個所に記されていますのは、聖霊降臨と呼ばれる出来事が起こった日になされた使徒ペトロの説教です。この説教は先週学んだ部分からすでに始まっていますので、まだ続いている、というべきかもしれません。



「『イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。』」



結論的なことから先に申しますと、この使徒ペトロの説教は、とても大きな影響と結果をもたらしました。それは、41節に「ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった」とあるとおりです。



その日までそのときまでは、彼らの「仲間」の数は、1・15にある「百二十人ほどの人々」であった、と考えてよいでしょう。ところが、です。ペトロの説教を聴いた人々の中から、洗礼を受ける人々が三千人ほどいた。その結果、「仲間」の数はどうなったか。単純に計算すると、百二十人と三千人を足した三千百二十人、ということになるではありませんか。



想像してみていただきたいのです。百二十人くらいなら、その全員が松戸小金原教会の礼拝堂に集まることができます。しかし、三千人が一度に集まることは無理です。



三千百二十人はどれくらいかをご理解いただくための参考として申し上げますと、それは、東関東中会が設立される直前の東部中会全体(つまり、現在の東関東中会と東部中会の合計)の会員総数(2004年度)と、ほぼ同じです。



そして、そこでわたしたちが意識すべきことは、旧東部中会がその規模になるまでに、60年の歳月がかかった、ということです。ところが、です。ペトロの説教は、いわば一瞬にして、百二十人を三千百二十人にしてしまった、それほどに、甚大かつ爆発的な影響と結果をもたらしたのだ、ということです。



もちろん、単純な比較はできませんし、あまり意味が無いかもしれません。事柄を感覚的にご理解いただくための参考として、申し上げているにすぎません。



とはいえ、私自身は、やはり、説教者の一人としていろいろなことを考えてしまいます。説教が人の心を動かすとは、何でしょうか。結果として、人が洗礼を受け、教会の仲間に加わるとは、何でしょうか。そこで起こっていることは、何でしょうか。



一つだけ申し上げることができるのは、最も単純な言い方をしますと、いくらなんでもそれは人の力ではないだろう、ということです。少なくとも、お話が



上手、というような次元の話ではないだろう、ということです。わたしたち自身がはっきり確信している事実は、そのようなことで人が洗礼を受けたりはしない、ということです。



それに、少し恐ろしいことを申し上げますが、今日の個所に出てくる使徒ペトロの説教は、はたして、今申し上げた意味での“上手なお話”であるかと、そういう視点と問いをもちながら読んでみますと、どうでしょう、必ずしもそうとはいえないのではないかと、私などは感じるのです。



はっきり言いますと、今日の個所のペトロの説教は、上手なお話であるとは言えません。心温まる感動的な説教、というわけでもありません。むしろ、ある意味で攻撃的な、人の罪を厳しく裁き、責める面を持った、厳しい説教、怖い説教です。



しかし、もちろん、その面だけでもありません。きちんと聴けば(読めば)、このペトロの説教は、厳しいだけの説教、怖いだけの説教ではないことも分かります。



大きく分けると、二つのことを、ペトロは強調しています。また、あらかじめ注意しておきたいことは、ペトロがこの説教を差し向けている相手は、その日エルサレムに集まっていた「イスラエルの人たち」(2・22)、すなわち、ユダヤ人たちであるということです。つまり、これは、ユダヤ人たちを相手に語っている説教である、ということです。



さて、二つの主張点とは何でしょうか。ペトロの説教における主張の第一点は、「あなたがた」ユダヤ人たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点です。要するに、あなたがたは殺人者である、ということです。最も厳しい、断罪の言葉です。



しかも、ここで気づかなければならないことは、「あなたがた」という言葉が何度も繰り返されていることです(22節、23節、33節、36節)。



この場面でペトロは「わたしたち」という表現を安易に用いようとはしません。「わたしたち」がなぜ安易かといいますと、そのほうが言葉の調子がぐっと柔らかくなるからです。はっきり言えば、受けのよい話になるからです。厳しいことを言うと、必ず反発が返って来ます。そのときに、うまく交わすことができるのは、「わたしたち」という表現です。



しかし、ペトロは、そのように言いません。「あなたがた」がイエス・キリストを殺したのだ、と言うのです。神から遣わされたあの方を、殺したのだ、と言うのです。



「奇跡」と「不思議な業」と「しるし」と呼ばれている一つ一つの内容は、ルカによる福音書を学んだときに確認したとおりです。すべては“触れる”という行為を伴っていました。御言葉とふれあい。それがイエス・キリストの御業の大きな柱でした。どんな人にでも遠慮なく近づいてくださる。心と体をいやしてくださり、真に助けてくださる。真に役立つ、ためになる、意味のある、そのような御業を行ってくださる。イエスさまとは、そういうお方でした。真に愛すべきお方なのです。



そのイエスさまを、あなたがたが殺したのだ、とペトロは語ったのです。あなたがたの中にも、イエスさまに助けていただいた人がいるだろうと。いろいろと具体的にお世話になった人がいるだろうと。そのお方に対して、あなたがたは、なんとひどいことをしたのか、と言っているのです。



殺す、という言葉は、ものすごく厳しいわけですが、この罪を犯した人に当てはまるのは、だれでしょうか。はっきりしていることは、ペトロがこの説教の中で「あなたがた」と呼んで直接的に責めているのは、最高法院の70人の議員たち(祭司長、律法学者、長老、議員)のことではない、ということです。むしろ、考えられることは、議員たちは、その場にいなかったのではないか、ということです。



この点から分かることは、ペトロが説教の中で繰り返している「あなたがた」とは必ずしも、イエスさまを死刑にするために画策した最高法院の議員や、イエスさまをなぶりものにしたローマの兵隊や、裁判の判決をくだしたローマの総督ポンティオ・ピラトのことだけではないし、直接的にはその人々のことではない、ということです。



それならば、誰のことなのか、と言いますと、むしろ、その裁判に直接参加することができない、ある意味での傍観者としてのごく一般的な市民のことです。その人々に対して「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」と言ったところで、わたしたちは殺してなどいない、殺人など犯していない、という反発が返って来てもおかしくないような一般市民に対して、ペトロは、そういうことを言っているのだ、と読むことができると思うわけです。



ところが、です。そのペトロの言葉を聴いた人々の内面に起こったのが、「大いに心を打たれた」(2・37)という出来事だったというのですから、驚きです。聖霊が働いてくださったとしか言いようがありません。



そこで起こった心の中の変化は、具体的に言って何だったでしょうか。たしかに、このわたしは、あの救い主イエス・キリストを殺す罪に、加担しました。イエス・キリストを愛することができず、大切にすることができず、最後まで従うことができませんでした。そのことを、素直に認め、受け入れ、悔い改めることができた。そういうことではないでしょうか。



さて、ペトロの説教における主張の第二点は、何でしょうか。それは、「あなたがた」が殺したイエス・キリストを、(父なる)神が復活させてくださった、ということです。人間が殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった、ということです。



このことは、一度死んだ存在を再びよみがえらせることができる神さまの偉大な力への強調であると、受けとめることもできるかもしれません。しかし、それだけだと、ただ、神さまの大きな力にびっくりしました、というようなことだけで話が終わってしまうわけです。もう少し深く考えてみる必要があると思います。



ペトロが強調している「あなたがたがイエスさまを殺したのだ」という言葉は、聴き方によっては、とても烈しい恨みのような感情が含まれていると感じるものかもしれません。しかし、私は次のようなことを考えます。人間が殺したイエスさまを神がよみがえらせてくださった、と説教が続く。そのとき、それを聴いている人々の心の中に生まれる思いは、救われた、というものであったに違いない、ということです。



これは、実際に自分の問題として考えてみることは難しいかもしれませんが、ぜひよく考えてみていただきたいのです。たとえば、わたしたちが何か取り返しのつかない過ちを犯す。人を殺してしまった、という体験を持つ人は、いないと思いますが、何か大きな傷をだれかに与えてしまった、という体験を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。



たとえば、そのときに、です。このわたしがあの人に大きな傷を与えてしまった、取り返しのつかない過ちを犯してしまった、その傷を、その痛みを、その過ちを、神御自身がいやしてくださり、取り去ってくださったことを知る。



わたしの犯した罪は赦されているのかもしれない、と感じる。



父なる神さまが、救い主イエス・キリストが、わたしの犯した罪を、赦してくださっている、と信じることができる。



そのような思いを、このペトロの説教を聴いていた人々は、味わうことができたのではないでしょうか。



キリスト教の教会の復活信仰には、そのような内容があります。このわたしもまた、イエス・キリストを殺した人々の罪に加担したということに気づき、深い罪意識に目覚めた人は、イエス・キリストの復活を信じる信仰によってのみ、その罪が赦されたという確信を得ることができます。なぜなら、イエス・キリストは、生きておられるのですから!



「人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか』と言った。すると、ペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供たちにも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。』」



ペトロが彼らに勧めたことは、悔い改めることと、洗礼を受けることでした。これは、二つのことというよりも、一つのことと理解すべきです。悔い改めのない(成人)洗礼は無意味です。また、悔い改めとは、父なる神と救い主イエス・キリストへの信仰に生きる道に入ることです。神に背を向けて生きていた人が、反対に方向を変えることによって、神に向き合うようになることです。



ですから、悔い改めた人は、洗礼を受けるべきです。悔い改めと洗礼は、表裏一体の関係にある、というべきです。



そして、その悔い改めと洗礼は、同時に、最初に申し上げましたとおり、教会の「仲間」に加わることとも同じです。「わたしは悔い改めました。教会で洗礼を受けました。しかし、教会の仲間には加わりません」というのは、言葉の矛盾です。



教会は、キリストの体です。神とキリストに従って生きることが悔い改めなのですから、自分の侵した罪を悔い改め、かつ洗礼を受けた人々が、キリストの体なる教会のメンバーになり、かつ教会の活動に積極的に参加することは、神さまから特別に与えられた恵みの賜物であり、特権であると同時に、義務でもあることなのです。



そして、ペトロがこの説教の最後に述べていることは悔い改め、洗礼を受け、罪を赦していただいた人々には、「賜物としての聖霊」が与えられます、ということです。



ここでまた、再び、聖霊とは何かという問いが、呼び起こされます。聖霊とは、わたしたち人間の外側から内側へと入ってくる何ものか、浸透して来る何ものか、であり、恵みの賜物として、まさに喜ばしきプレゼントとして、与えられるものです。



「賜物としての聖霊」とは、言うならば、悔い改めた人の心を、いつまでも支えてくださる神御自身です。



一度や二度反省したくらいでは、何度でも元に戻ってしまう、弱い心を持つわたしたち人間が、二度と罪の泥沼に戻っていかないように、強く支えてくださるお方。



それが「聖霊なる神」なのです。



(2007年2月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月18日日曜日

「聖霊が語らせるままに」

使徒言行録2・1~21



「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると、」



五旬節の日に集まっていた「一同」が、新しく加わったマティアを含む十二使徒だけを指しているのか、それとも、十二人以外の人々もいたのか、たとえば、1・15にあるように「百二十人ほどの人々」も合わせての「一同」なのかということは、この文章だけでは分かりません。



分からないことは、問うても仕方ないことかもしれません。しかし、です。この「一同」がどちらの意味であるのかという問題は、ここに描かれている情景をわたしたちが自分の心の中でイメージしてみるときに重要な点ではないかと思うのです。



私が強く関心を抱く問題は、今日の箇所に描かれている「聖霊が降る」という出来事が起こったのは、十二使徒に対してだけなのか、それとも、もっと大勢の人々に対しても、それは起こったのか、つまり、少なくとも最初のキリスト者の百二十人ほどの人々にも、聖霊は降ったのか、ということです。



私はなぜ、この点に引っかかるのでしょうか。その理由は、おそらく皆様には理解していただけることです。



この「一同」に聖霊が降った結果として、その人々は「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」と言われています。彼らが話し出したことは何でしょうか。それは明らかに、神の御言葉です。キリスト教信仰を宣べ伝える言葉、すなわち、信仰の言葉、伝道の言葉です。



それは説教であり、奨励であり、信仰告白であり、証しです。ただのおしゃべりをしていたわけではありません。おしゃべりが悪いと言いたいわけではありません。おしゃべりは良いものです。しかし、この場面でこの人々が語っていたことは単なるおしゃべりではなかったし、悪い意味での無駄話ではありませんでした。それは神の言葉であり、信仰の言葉、伝道の言葉であった、と考えるべきです。



その場合に、です。この「一同」は、果たして十二使徒だけなのか、それとも、少なくとも百二十人くらいの規模のキリスト者の集まりを想定することができるのかが、やはり大きな問題になる、と思います。



なぜなら、十二使徒は、いわば特別な人々だからです。最初のキリスト者の百二十人の団体の代表者です。選び抜かれた少数者、特選の人々です。



どうしてこれが問題になるのでしょうか。次のことを、考えてみていただきたいのです。もしこのとき聖霊が降ったのが十二使徒だけであった、と考えなければならないのだとしたら、そのとき同時に必然的に、聖霊降臨の結果として起こった「神の御言葉を語ること」(この仕事!)は、十二使徒というきわめて限定的な特別な人々だけの仕事になった、とみなされることになるのです。



しかし、ここで、わたしたちは、もう一つの可能性を考えてもよいはずです。それは、もちろん、言うまでもなく「神の御言葉を語ること」、人々にキリスト教信仰を宣べ伝える言葉を語ること、すなわち、説教なり、奨励なり、証しなりを語ることは少なくとも最初にいたと言われる百二十人ほどのキリスト者の群れ全体の仕事になった、と考えてもよいのではないか、という可能性です。



はたして、聖霊は、ごくわずかな教師や役員だけに注がれ、その人々だけが伝道の働きをするのでしょうか。それとも、聖霊は教会全体に注がれ、伝道の仕事もまた、教会全体の仕事なのでしょうか。



たとえば、教会の伝道活動は、牧師と教会役員だけがすることで、あとのみんなは見ているだけ、聞いているだけ、ということで良いのでしょうか。それではまずいのではないでしょうか。



皆さんにぜひ考えていただきたいことは、聖霊が注がれた「一同」とは誰のことなのか、です。どちらとも取れる、答えのない問いであるだけに、その結論は、わたしたち自身に委ねられている、と考えることもできるでしょう。



「一同」の意味如何によって、このあたりの考え方や姿勢を、わたしたち自身が、徹底的かつ根本的に変えなければならなくなるかもしれないのです。



「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」



聖霊とは何かという問いに対しては、「聖霊論」(Pneumatology: Doctrine of the Holy Spirit)と呼ばれる一つのまとまった教理体系があり、研究も続けられています。しかし、私自身は、聖霊とは何かという問題について多くの皆様にとってお腹にきちんとおさまるような言葉で答えようとするためには、今なお難しい問題があり、高い壁があると感じています。



しかし、何はともあれ、はっきりしていることは、聖霊とは、わたしたち人間の存在の外側から内側へと入り込んでくる何かである、ということです。



それはちょうど、かわいたスポンジに水がしみこみ、浸透していくように、あるいは、わたしたちが口から食べたり飲んだりして、お腹の中で消化されて、血となり肉となっていく食べ物飲み物のように、人間の中に外から入ってくるもの、浸透してくるもの、そのようなものとして、聖書は聖霊を描いています。聖霊について、聖書は「注がれる」とか「宿る」という表現を用いて、その動きや様子を描いています。



そして、今日の個所において聖霊は、「激しい風が吹いて来るような(天から聞こえる)音」を伴うものとして、また「炎のような舌」というイメージを伴うものとして描かれています。これらの点も重要です。



「風」と聖霊の関係について考える際には、ヨハネによる福音書に記されている、以下の主イエス御自身の御言葉を見ておく必要があります。



「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3・8)。



ここで主イエスが語っておられるのは、聖霊は風のようなものである、ということです。そして、その意味は、風は思いのままに吹く、つまり、それは自由に吹くということです。どこにでも存在するし、動き回り、あらゆるものにかかわり、あらゆるものを動かすものである、ということです。今流行している言葉でいえばユビキタスです。どこにでも存在する(偏在)、という意味です。



聖霊は風のようなものである、という場合に、とくに大切な点は、それが自由である、ということです。固定されていない、特定の人々や物に限定されない、枠にはまらない、はめることができない、拘束することができないものである、ということです。



聖霊は、拘束することができない風のようなものであるとしたら、どうなるか、です。ここで、最初の問いに戻ります。聖霊が注がれた「一同」とは、十二人の使徒たちだけのことですか、それとも、少なくとも百二十人と言われる最初のキリスト者たちの群れ全体のことですか。この問いに、答えを与えることができるようになると思います。



そして、もう一つ描かれている聖霊のイメージは「炎のような舌」です。炎は燃える。舌が燃えているのです。これは明らかに比喩です。



そして、何の比喩かも、明らかです。熱く言葉を語ることです。神の御言葉を語ること、信仰の言葉、伝道の言葉を、熱く語ることです。冷めていない、白々しくない。変に批判的だったり、斜めに見たり、クールであったりしない。



乱れ狂うほどに熱狂する必要はないかもしれません。事柄を冷静に判断できる穏やかな心を持つことは、重要です。しかし、そこにわたしたちの体重がかかっているかどうか、わたしたちの存在をそこに賭けているかどうかは、問われるかもしれません。



趣味の場合でも、わたしたちは結構、のめりこみます。熱中し、魅了されます。寝ても冷めても、そのことを考えている、というほどに心を奪われます。



それにいわば似たようなこととして、あるいは、もしかしたらそれ以上のこととして、聖霊が「炎のような舌」というイメージを伴ってわたしたち人間の内部に注がれるときに起こることは神の言葉を熱く語ることであり、救い主を信じる信仰に熱中し、魅了されることであり、教会生活、信仰生活ということを寝ても冷めても考えている、というほどに心を奪われることです。このように、考えることができます。



そして、これは単なる理論的な説明や理屈ではなく、わたしたち自身が実際に体験してきたことです。そうではないでしょうか。



先日、日本キリスト改革派教会の尊敬すべき引退教師の葬儀に参列いたしました。司式をされた牧師も、喪主のおくさまも、口を揃えて、「先生には趣味がなかった。毎週日曜日の説教とその準備のために、ひたすら力を注いでいた。引退された後も、教会で行われる礼拝や諸集会だけを楽しみにしていた。そこに出席することだけを喜んでいた」と言われました。



そのことを、とくにおくさまは、大いに愛情を込めてではありますが、やや非難めいたニュアンスもこめておられました。もっと趣味を持つべきだと口やかましく言ったことがあるとか、家族を旅行に連れて行ってほしいと思っていた頃があると。



その話を、私は、耳が痛い話として聞きました。しかしまた、私は、そのとき同時に、亡くなられた先生のお気持ちが、よく分かったのです。



趣味などなくてもよい、と申したいわけではありません。趣味は持ってもよいし、持つべきです。しかし、私は同時に確信します。牧師の仕事、伝道の仕事は、趣味にも代えがたいほどに面白いことであり、夢中になれること、魅了されることなのです!



そして、だからこそ、熱く語ることができます。「炎のような舌」を持つことができます。聖霊がわたしたち人間の中に注がれた結果として起こることは、そのようなことなのだ、ということを申し上げたいのです。



今から二千年前に、最初のキリスト者たちのもとで起こった出来事は、ただの昔話ではありません。奇妙キテレツな不思議な話でもないと考えるべきです。



突然のきっかけから、ひとが夢中になって神の御言葉を語り始める。信仰の言葉、伝道の言葉を語り始める。その言葉に心を打たれた人々が、洗礼を受け、教会の一員になり、主の日ごとに礼拝をささげ、神を賛美するようになる。そのようなことが起こったのです。



「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざける者もいた。すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。「神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と嫁は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。血と火と立ち込める煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。」』」



聖霊の注ぎにおいて起こったもう一つの重要な出来事は、ガリラヤ生まれの人々が外国の言葉で語り始めたことです。このことを、使徒言行録は、奇跡的な出来事として描いています。



この描き方は、もちろん間違っているわけではありません。間違っていると私が考えているわけでもありません。ただ、しかしまた、それは、いつまでも同じではない、と語ることはできると思います。



と言いますのは、わたしたちの場合には、外国の言葉を勉強することができます。聖書も、信仰の書物も、説教の言葉も、外国語に翻訳することができるし、しなければなりません。そもそも、わたしたち日本人にとっては、キリスト教の書物も言葉も、すべて外国語からの翻訳です。実際問題として、翻訳という手続きなしには、伝道という仕事は全く成り立たないのです。



しかし、それだけでもありません。聞き覚えのある言葉、心に深く馴染む言葉、まさに「自分の故郷の言葉で」(このわたしの言葉で!)神の御言葉が語られている、ということに気づいた人々が、初めて、キリスト教の正しい信仰を告白することができたのです。



この点は、わたしたちも同じではないでしょうか。残念ながら、わたしたちの頭の上を通り抜けていくような言葉がある、と言わざるをえません。私の説教が、皆さんにとってそのようなものでないことを、ただ祈るばかりです。



「今聴いているこの言葉は、“このわたしの言葉”である」と感じていただけるほどに、皆さんにとって身近な言葉が語られるとき、一つの奇跡が起こるのです。



そのとき、“かつてのわたし”ならば、考えもしなかったようなことを考え始め、実行に移しはじめる。



それが、聖霊降臨の出来事なのです。



(2007年2月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月11日日曜日

「新しい使徒の選挙」

使徒言行録1・12~26



今日の個所に描かれていることを一言で言うならば、人事(じんじ)です。新しい使徒の選挙です。そのような選挙をなぜ行わねばならなくなったかについて、その理由となる暗い出来事も、同時に記されています。



当たり前のことですが、教会の中にも人事があります。人事とは、ひとのこと、「人間の事柄、もしくは個人にかかわる事柄」(human or personnel affairs)です。



教会は「神の事柄」だけを扱っているところではありません。「人間の事柄」をも扱っているのです。



「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。」



使徒たちは「エルサレムに戻って来た」と書かれていますが、それまではエルサレムに近いところにいた、ということも明らかにされています。エルサレムから遠く離れた場所にまで逃げてしまっていたわけではない、と言いたいのでしょう。



とはいえ、彼らは、近くではありますが、山の中にいました。彼らは山の中に「隠れていた」と、はっきり言うほうがよいでしょう。主イエス・キリストが十字架にかけられて「殺された」(使徒2・23、3・15など)後、弟子たちは、身の危険を感じ、恐怖を抱きながら、山の中に隠れていたのです。



しかし、彼らはエルサレムに戻って来ました。ですから、これは、単なる場所の移動を言っているのではありません。彼らの心の中に大きな心境の変化が起こったのです。大きな決断があり、また新しい勇気を与えられたのです。だから、彼らは戻って来た。戻って来ることができたのです。



その変化のきっかけであると考えられるのが、先週学んだ個所の出来事です。それは、復活されたイエス・キリストが天に上げられ、そのとき以来イエスさまが地上においては「不在」となられた、まさにその場面で起こりました。



それは、イエスさまが上がっていかれる天を見つめていた弟子たちに対して、二人の人が現れて言った言葉が、なんとも厳しいものだったという出来事です。



「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」とは、あなたがたが見るべきところは違うでしょう、と言わんばかりです。



あなたがたが見るべきところは、上ではなく、前である。天国ではなく、地上の現実である。永遠の世界ではなく、あなたの目の前に山積みされているさまざまな問題である。目を向ける方向を間違っているのではないですかと、厳しく指摘されたのです。



このような指摘は、わたしたちの人生においても非常に大事なことであると私は信じています。とくに永遠の世界であるとか天国というような言葉や事柄に関わる場合、それはいずれにせよ、宗教の課題です。教会の説教の課題である、と言ってもよいでしょう。



多くの宗教は、天国を見上げなさい、永遠の世界に憧れなさい、というように教えてきたはずです。ところが、です。イエスさまの弟子たちが、天使を通して聞いた神さまの言葉は、それとは違うものだったというわけです。「おい、こら、おまえたち、天国など見ている場合ではないよ」と言われてしまった。そのような言葉で神さまから強く叱られたのだ、と考えることができるのです。



彼らがエルサレムに戻る決心をするまでには相当重い決断や勇気が必要だったと思われます。彼らの背中を押した強い力の源が神の御言葉であったことは、間違いありません。



「彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。」



ここを読んで、なんとなくほっとする気持ちを味わいました。どこにそのようなことを感じたかと言いますと、イエスさまご自身がお選びになった十二人の使徒たちのうちの、イスカリオテのユダ以外の十一人全員がそこにいた、という点です。



みんなが揃っている、というのは、やはり、気持ちがよいものです。彼らの場合、全員ではありませんでしたが。



イエスさまの死、また復活後の昇天、「不在」の事実。弟子たちとしては、逃げ出したくなったとしてもおかしくない状況であった、と言えるでしょう。



しかし、彼らは逃げ出しませんでした。彼らとイエス・キリストとの関係は、鉄と磁石のようにぴったりくっついて離れない関係であった。彼らは、イエス・キリストのもとから離れませんでしたし、離れることができませんでした。イエス・キリストにおける神の愛から離れることができなかったのです。



また、使徒職に就いている人々以外の多くの弟子たちも、集まってきました。「百二十人」を、百二十人しか残っていなかったと考えるのか、百二十人もいたと考えるのかは分かれるところかもしれません。



イエスさまのもとには「五千人」(ルカ9・10以下)以上いたこともあるのです。その意味では、百二十人「しか」でしょう。



しかし、百二十人を、わたしたちは小さな集まりと呼ぶことはできません。イエス・キリストを主と信じる教会、キリスト教会の歴史は、この「百二十人」の集まりからスタートしたのです。



ところが、残念なこともありました。イエス・キリストがお選びになった使徒は十二人であったにもかかわらず、そこには十一人しかいなかった!



この場面では大きな声で「しか」と言うべきです。



「『兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で「アケルダマ」、つまり、「血の土地」と呼ばれるようになりました。詩編にはこう書いてあります。「その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。」また、「その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。」そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人となるべきです。』」



イエス・キリスト御自身がお選びになった十二使徒の一人であったイスカリオテのユダが、なぜその場にいなかったのかということについては、今日の個所以外に詳しい説明が出てくるのは、マタイによる福音書27・3~10です。読むとつらくなるような個所ですが、とにかく読んでみたいと思います。



「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました』と言った。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」
 
この個所は、読んでも全くほっとしません。安心できません。つらくなるばかりです。



それでも、ユダが自分の裏切りによってイエスさまに有罪判決が下ったので「後悔した」と書かれている点には少し心が動きます。しかし、そこで彼が考えたこと、行動に移そうとしたことは、いただけません。



「銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとした」というのは、どうでしょうか。返せば済む、とでも思ったのでしょうか。そのような考え方にこそ問題があるのではないでしょうか。



そもそも、ユダの問題は何でしょうか。お金を受け取ったことが悪かった。お金を受け取らなければよかった、というようなことでしょうか。お金を受け取りさえしなければ、何をしてもよいのでしょうか。そんなことはないはずです。



ユダの問題は、イエスさまを裏切ったことでしょう。イエスさまご自身によって使徒として選ばれて以来、共に愛し合う交わりの関係の中に置かれてきたのです。その愛をユダは裏切ったのです。イエスさまがユダを心から愛しておられた、その気持ちをユダは踏みにじったのです。



だから、はっきり言えば、お金を返そうとしたなどというのは、どうでもよいことです。情状酌量の材料にはなりません。それはいわば、万引きした子どもが「返せばいいんだろ」とか「金を払えばいいんだよね」と言って開き直っているようなものです。



そもそもユダが犯した罪は何なのでしょうか。ユダの裏切りによって傷ついているのは、だれでしょうか。イエスさまではないのでしょうか。そのことにユダは気づかないのです。人の愛や親切を全く理解できないのです。人の心の中をおもんぱかることができる想像力が、根本的に欠落しているのです。



聖書の中に、イスカリオテのユダに対する同情的な見方は、どこを探しても見当たりません。私自身の中にもユダに対する同情は、ありません。



このユダといつも比較されるのは、使徒ペトロです。ペトロは三度、イエスさまのことを「知らない」と言ってしまった後、鶏の鳴く声を聞いて、イエスさまの言われた言葉を思い出して後悔し、激しく泣いたのです。



ユダと違って、ペトロは、イエスさまの心の中にあるものを深く読み取ることができたのです。イエスさまは、このわたしペトロを、心から愛してくださっている、ということに気づくことができたのです。



わたしたちも弱い人間です。しかし、ユダの道に進むことはできません。イエスさまを裏切る罪を犯してしまったとき、立ち返る道は、ペトロの道であるべきです。



「そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。『すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。』二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十二人の使徒の仲間に加えられることになった。」



人事のクライマックスは、選挙です。ユダが欠けた穴をだれかが埋めなくてはならなくなりました。



イエスさま御自身が、使徒職の定員を12名とお定めになったのです。それはイスラエル十二部族の数と一致していると言われます。そのため、欠員1名の補充選挙が行われることになったのです。



選挙の方法は、二人の候補者を立てた上での、くじびきでした。なぜそのような方法を用いたのかについての説明はありません。



考えられることは、くじびきは、旧約聖書の時代からイスラエルで広く用いられていた方法であるということです。



また、もう一つ考えられることは、とくに小さな団体の場合、多数決などを行って無理やり勝ち負けの白黒をはっきりつけてしまいますと、団体そのものが分裂・崩壊してしまう場合がある、ということです。もしかしたら、そのような配慮もあったのではないか、というあたりのことです。



「くじびきだからでたらめである」というわけではありません。くじびきも立派な選挙の方法です。



選挙の結果、マティアが新しい使徒に就くことになりました。これで十二人体制の使徒職が復活しました。



教会の人的土台がすえられたのです!



(2007年2月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年2月4日日曜日

「キリストの昇天」

使徒言行録1・6~11



「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか』と尋ねた。」



弟子たちがこのような質問をしたのは、彼らがイエスさまとはどういうお方であるのかを誤解していたからである、と考える人々がいます。



イエスさまは本来、イスラエルという国を建て直すというような政治的な次元の働きをする政治的な指導者ではない。ところが、弟子たちは、ここに至ってもまだ、イエスさまのことを政治家だと思っていたので、このようなとんちんかんな質問をしているのだ、という見方です。



しかし、そのように考える必要は、全くありません。それが、わたしたちの結論です。イエス・キリストの罪の赦しの福音は、必ずや、わたしたちの日常的・文化的・政治的・社会的次元にも及ぶからです。一人一人の人間の魂が罪の中から救われることなしに国家の再建などありえません。



逆はあります。救われた一人一人こそが、国家が立て直すことができる力を与えられているのです。それは昔も今も同じです。わたしたちは政治嫌いになるべきではありません。イエス・キリストは、「イスラエルのために国を建て直してくださる」お方なのです。



私が重要と考えるのは、弟子たちが復活されたイエスさまのお姿を見て非常に驚いたという点です。いまだかつて見たことがないものを見たのです。まさに前代未聞の出来事が起こったのです。彼らの常識は全く根底から覆されてしまったのです。



ですから、考えられることは、イエスさまに対する彼らの質問は、驚きのあまり口から飛び出した言葉ではないかということです。死は人類の最後の敵です。死人の中から復活されたこの方は、死をも滅ぼす物凄い力をもっておられるのです。そのような力の持ち主であるお方が、われらの国イスラエルを建て直してくださるに違いない。そのように彼らが信じたとしても、不思議ではありません。



ただし、です。この後のイエスさまのお答えが、弟子たちの質問の内容を、ある意味で打ち消しておられるということも否定できません。問題は、イエスさまが弟子たちの質問のどの部分を打ち消しておられるのかです。イエスさまのお答えを読んでみましょう。



「イエスは言われた。『父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』」



第一に、イエスさまのお答えには、弟子たちがイスラエルを立て直す“時”(カイロス)や“時期”(クロノス)についての質問に対する応答の側面があります。



弟子たちが「それはこの時(=今)ですか」と質問したのに対してイエスさまは、それが「今」であるかどうかについては肯定も否定もされないままで、「それはあなたがたの知ることではない」と言われることによって、時期についての言及をお避けになったのです。



しかし、イエスさまのお答えの意図は、それだけではありません。明らかにもう一つの側面があると言わなくてはなりません。第二の側面を理解するための鍵は、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」というイエスさまの御言葉の中に隠されています。



この御言葉からはっきり言えることは、このイエスさまのお答えは、弟子たちの質問の内容とはかなり食い違ったものである、ということです。



弟子たちの質問の中で、イスラエルを建て直す仕事をする役目の人である、と思われているのは主イエス・キリストであるということは明らかです。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」というわけですから。



ところが、イエスさまのお答えの中では、イスラエルを建て直す仕事をするのは、必ずしもイエスさまではありません。そのようなことは、少なくとも今日の個所では、一言も語られていません。それどころか!



注意深く読みますと、イスラエルを建て直す仕事をするのは、イエスさま御自身ではなく、弟子たちです。「あなたがた(=弟子たち)の上に聖霊が降ると、あなたがた(=弟子たち!)は力を受ける」と言われているのです。



そして、イスラエルの中心地、エルサレムだけではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、イスラエルという国家的・社会的枠組みを越えて、広く全世界へと出て行き、また地の果てまでも、イエス・キリストの福音を宣べ伝える証人となることが求められているのは、「あなたがた」、すなわち弟子たちなのです!



(使徒言行録においては、まさにこの「エルサレム」→「ユダヤとサマリア」→「地の果て」という順序で福音が前進していく様子が描かれています!)



先週私が強調してお話ししましたことは、人間としてのイエスさまは、今は「不在」であるというハイデルベルク信仰問答にも告白されている真理です。そして、イエスさまの不在の期間は、イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださる、という真理です。



しかし、です。この真理は誤解を受けやすいものであると私は考えております。誤解を避けるために、ただちに別の言葉に言い換えなければならないものです。それはどのような誤解かと言いますと、不在のイエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださると信じることによって、わたしたち自身は相変わらず何もしなくてもよいと考えてしまう誤解です。



これまでは、イエスさまにすべてを頼っていた。これからは聖霊なる神にすべてを頼る。「聖霊さま」にすべてお任せ。このように考えるのは誤解であると、申し上げたいのです。



イエスさまが弟子たちと共に地上の生涯を送っておられたときは、弟子たちも彼らなりに一生懸命に働いていたとは思います。しかしまた、同時に、かなりの部分においては、イエスさまのお働きを見ていただけであった、ということも否定できません。



教会でも、同じようなことが言えます。とくに開拓伝道の時期には、しばしば、宣教師とその家族、あるいは牧師とその家族、あるいは一部の役員さんたちだけが、一生懸命に働いていて、あとのみんなは見ているだけ、という場合があると言われます。



しかし、そのようにして「見る」期間は、非常に大切なものであると、私は信じます。いわゆる見習い期間です。



最初から何でもできる人はいません。今日長老になった人に明日から説教してくださいとお願いして、それは無理ですと断られても仕方がありません。今日洗礼を受けたばかりという人に明日から長老さんになってください、とお願いするわけには行きません。それは、引き受ける側の問題ではなくて、依頼する側の問題です。そのような依頼は、してはならないものなのです。



しかし、問題はその先にあります。それは、わたしたちすべての人間が体験するお別れの問題です。



最初の宣教師、最初の牧師、最初の長老たちは、いつまでも地上に留まってくれているわけではありません。イエスさまでさえ、天に上られて、今は地上においては「不在」なのです。



その場合に、それでは、だれが教会を支えるのか、だれがわたしたち自身の信仰を支え、信仰生活を支えるのか、と考えてみていただきたいのです。



イエスさまの代わりに聖霊なる神が来てくださるという真理は、ものすごく重要です。しかしまた、そこで同時に言わなければならないことがあるわけです。



それは、その「聖霊」は「あなたがたの上に降る」方であるという真理です。そして、聖霊なる神によって「力を受ける」のは「あなたがた」であるという真理です。イエスさまの代わりに働くのは、聖霊であると同時に、聖霊を受けた弟子たち自身なのです。



わたしたちも同じです。聖霊なる神は、わたしたちの存在の中に注がれ、宿られます。聖霊を受けたわたしたち自身が力を得、わたしたち自身が働きに就くのです。



「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』」



イエスさまとの“お別れ”のとき、彼らは「天を見つめて」いました。ところが、そこにまたしても(!)白い服を着た二人の人(ルカ24・4と同一存在か?)が現われて、非難とも皮肉とも取れるが、実際には励ましとして語られたに違いない言葉を、彼らは、聞くことになりました。



この言葉を非難ないし皮肉と受けとめるか、励ましと受けとめるかは、この言葉を聞くほうの側の人の心の状態によって変わってくるような気がします。



今まさに、天を見つめて立っている人々に向かって「なぜ天を見上げて立っているのか」と問いかけることは「あなたがたは何をやっているのですか。そんなことをしている場合ではないのではないですか」という非難の意図があると、読めなくもないのです。



実際、そうかもしれません。わたしたちには、いつの日か必ず、お別れのときが来ます。しかし、その日がすべての終わりではない、ということが、もっと重要です。



別れのさびしさに傷つき、苦しむことが悪いなどと、そんなひどいことを言うつもりは全くありません。傷ついてよいと思いますし、苦しんでよいと思います。



しかし、です。別れのさびしさを味わった次の日も、陽はまた上るのです。現実の生活が待っているのです。



会社なら、少しくらい休んでも構わないと思います。しかし、わたしたちは人生を休むわけにはいかない。人生をやめるわけには行かないのです。



イエスさまとの“お別れ”の当日、天を見上げて(ぼーっとして)立っていた弟子たちに与えられた言葉は「なぜ天を見上げて立っているのか」というものでした。



あなたがたの見るべき方向は違うのではありませんか、ということです。“上”ではなくて、“前”である。永遠の世界ではなく、時間の世界、地上の世界、現実の世界である。



“上を見上げて”ではなく、“前に向かって”生きていく。そのわたしたちの目に映る地平線上に、まことの救い主イエス・キリストがもう一度、同じ姿で戻ってきてくださるのです。



そのイエス・キリストは、わたしたちの生きるこの世界を、真に新しく造りかえてくださり、究極的な完成へと導いてくださるのです。



それが、わたしたちキリスト者が持ちうる、最大の希望なのです!



(2007年 2月 4日、松戸小金原教会主日礼拝)