2006年11月26日日曜日

「イエス・キリスト」

ルカによる福音書23・44~56



朝の礼拝でルカによる福音書の学びを始めたのは2004年11月ですので、ちょうど二年になります。今日を含めてちょうど80回、ルカによる福音書に基づいてイエス・キリストの生涯を学んできました。今日の個所に記されているのは、その生涯の最期の場面です。



「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」



言葉は少なめです。書かれていることのひとつは時間の経過です。時間の経過は、四つの福音書とも記しています。マルコは、イエスさまが十字架にかけられたのは「午前九時であった」(マルコ15・25)と記しています。はじまりの時刻を記しているのは、マルコだけです。



そして、イエスさまが息を引き取られたのは、午後三時でした。イエスさまが苦しみの絶頂におられたのは約六時間であった、ということです。



ごく単純な話をします。六時間の苦しみは長いと、わたしは思います。42.195キロのフルマラソンを走る人々がいます。速い人は二時間くらいで走りきってしまいます。



あるいは、ボクシング。力いっぱい叩き合うわけですが、これとて一時間も続けば長いほうです。



六時間の苦しみは長い。イエスさまの苦しみには、和らげる手段も、逃げ場もありません。まさに完全な苦しみというべきものでした。



もうひとつ書かれているのは、イエスさまが十字架にかけられているあいだに起こった異常現象ないし超常現象です。「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」。この点については、マタイのほうが、もっとリアルに詳しく書いています。



「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」(マタイ27・51~52)



この種の描写は、想像するとぞっとしますし、にわかには信じがたいものがあります。その思いは、わたしも同じです。



しかし、考えてみれば、この種のことは、ある意味で、わたしたちの時代のほうがもっと大げさであり、誇張があります。いろんな技術を用いて今の人々が描き出す「ありえない」シーンなどと比べると、聖書が描いていることのほうが、よほどありそうなことです。



ただし、です。もうひとつの面としては、やはり、聖書の中には、事実に反するとか、うそであるというような単純な見方に与することでは決してないのですが、ある意味での文学的表現、あるいは、人間の心の中の映像、内面の描写として理解すべき個所もあることが認められて然るべきだろうと、わたし自身は考えております。



「太陽が光を失っていた」のは、もちろんそのとおりであると言わなければなりません。しかしそれと同時に、イエス・キリストの死によって全世界を照らす光が失われたのです。そのとき罪と悪の死の力が、一時的にせよ、勝利をおさめたのです。最高法院の議員たちと、ローマ総督ポンティオ・ピラトと、ユダヤの領主ヘロデが、イエスさまを死に追いやったのです。でたらめな支配者たちが、罪のないお方を葬り去ったのです。



弟子たちは、どこにいるのでしょうか。イエスさまの十字架の前にはいませんでした。イエスさまに愛された人々は、イエスさまを置いて、逃げてしまったのです。



ゴルゴタの丘に響いていたのは、イエスさまに向かって多くの人々から投げつけられる「自分を救ってみろ」という声ばかりでした。



このような六時間を、皆さんは、耐えられるでしょうか。わたしには、無理です。



「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」



イエスさまは息を引き取られるその瞬間まで、父なる神さまに対する全幅の信頼と期待をもっておられました。これは、わたしたちにとって慰めとなる事実です。



何よりも厳粛な事実は、わたしたちの人生は、いつか必ず終わる、ということでしょう。しかし、そこでのひとつの大きな問題は、その終わり方ではないでしょうか。



人から賞賛され、惜しまれて死ぬ、という人々がいると思います。イエスさまはどうであられたかと言いますと、そちら側の人々にはどうも属しておられないように見えます。罵られ、はずかしめられ、屈辱と絶望のどん底に叩き落されるような仕方で、殺される。惜しまれて死ぬ、という人々とは全く正反対の様相です。



しかし、そのお方が最期の最期に口にされた言葉が、父なる神への祈りでした。「わたしの霊を御手にゆだねます」という信頼に満ちた願いです。



どのような表情であられたのだろうかということについては、すぐに想像がつきます。おそらくとても穏やかな表情です。厳しい表情で、こういう祈りをささげることができる人は、いません。



罵られても罵り返さない。悪に対して悪を行わない。



神への信頼と賛美をもって、わが人生をしめくくる。



わたしたちが憧れを抱くのは、そのような生き方ではないでしょうか。



わたしは、イエスさまの最期の姿のようでありたい。皆さんは、どうでしょうか。
  
「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。」



「百人隊長」や「見物に集まっていた群衆」は、イエスさまを信じる人々の仲間というわけではないように思います。傍観者だったと考えるべきでしょう。「百人隊長」はローマ軍の歩兵隊の一個小隊のリーダーである、とのことです。異邦人です。



それは、言葉にして言うとかなり語弊がありますが、たとえば、教会のご近所に住んでいるけれども、教会の中に入ったことがない、いつもなんとなく外側から見ているだけの人々と、その人々とは、似ている面がある、と考えてよいかもしれません。あえて微妙な言い方をしておきます。



しかし、そのように、外側から見ているとはいえ、けっこう関心を持っている、という人々は、決して少なくないのだと思います。



「わたしは違います。わたしはクリスチャンではないし、教会に通うとか洗礼を受けるとか、そういうことを考えたことは、一度もありません。でも、教会のこと、聖書のこと、イエス・キリストのことには興味がある。ちょっと覗いてみたいという気持ちはある」という人々は、少なくないのだと思います。



そういう人々から見て、です。十字架上のイエスさまのお姿は、どのように見えたかということが、ここに書かれている、と考えることができます。百人隊長がはっきりと明言していることが、それです。「本当に、この人は正しい人だった。」



こういう評価は、貴重なものです。無視することができません。傾聴するに値します。だれの目から見ても、あるいは多くの人々の目から見て、イエスさまのお姿は、正しいと見える。イエスさまの生き様、死に様は、間違っていないと見える。これが、重要なことなのです。



もちろん、難しい問題がこの先に待ち受けています。イエスさまを正しいと認める、ということが、少なくとも当時において何を意味していたかは明白です。正しいイエスさまを十字架につけることは間違いなのですから、イエスさまを正しいと認めるということは、イエスさまを十字架につけた人々の間違いを認める、ということです。



しかし、それが難しいことであるわけです。百人隊長がローマの軍人であるとしたら、ボスはローマ皇帝であり、また、この状況の中ではポンティオ・ピラトでしょう。上司に逆らい、命令に背くことは、ただちに死を意味します。自分自身と家族を危険にさらすことになるでしょう。



一緒くたにすることはできないかもしれません。しかし、この日本の中にクリスチャンになれないと感じている人々が、たくさんいます。その中には、イエス・キリストの存在、またキリスト教と教会の存在を認めることはやぶさかではないが、それによって失うものが大きすぎる、と感じている人々がいます。そのような気持ちを持つときに、大いに躊躇が起こるのだと思うのです。これは理解できない話ではありません。



しかし、わたしは、あえて申し上げたいのです。イエスさまの姿が正しいと見えるなら、決断してほしい、ということです。



失うものも大きいかもしれませんが、得られるものはもっと大きいです!



わたし(関口)は、端から見ると何も持っていないように見えるかもしれません。しかし、わたしには教会があります。牧師というこの仕事があります。信仰の仲間たちが大勢います。これ以上は何も要らないと思えるほどの幸せを得ています。多くのものを与えられて持っています。



信仰を持って生きるようになり、牧師になる。それによって失ったものも大きかったのかもしれませんが(あまりその自覚もありませんが)、得られたものは、もっと大きいものでした!



イエスさまの前に、ひとりの勇気ある人が、現れました。イエスさまを十字架にかける決定を下したあのユダヤ最高法院の議員のひとり、アリマタヤのヨセフという人でした。この人は最高法院の決定に同意していませんでした。「この人もイエスの弟子であった」とも書かれています(マタイ27・57)。



一議員に与えられた権限は小さなものです。また、「イエスを殺せ」と叫ぶ人々の前では、沈黙するしかありませんでした。



そのことがよほど良心の呵責となったのでしょう。イエスさまが息を引き取られたあと、ヨセフは、当時の状況の中で考えられる最も危険な行動(造反行動)に出ました。ピラトの許可をえて、イエスさまの遺体を引き取り、自分のつくった墓に納めたのです。



「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。」



このヨセフのように行動できる人は、ごくまれかもしれません。みんながみんな、自分が思うところの信念に従って行動できるわけではありません。上司の命令に逆らうことはできませんし、世間の人々に逆らうこともできないのが、わたしたちです。



しかし、繰り返させてください。イエスさまのお姿が正しいと見える人は、どうか決断してほしい。



使徒パウロも、そうでした。その先に進んで行けば最高法院の議員になることができ、最高の地位と名誉を必ず与えられるであろう道を歩んでいた。しかし、そのパウロが突然、すべてを捨てて、キリスト者になり、伝道者になった。そこに大きな決断があったことは間違いありません。



イエスさまのお姿が正しいと見える人は、ヨセフのように、パウロのように、「最高法院」を飛び出して、イエスさまを信じる人々のもとに来てほしい。



そのように願うばかりです。



(2006年11月26日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月19日日曜日

「十字架上で罪を赦す」

今日のこの個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが十字架のうえにはりつけにされる、まさにその場面です。



「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」



ここで分かることは、二人の犯罪人と一緒に死刑にされたイエスさまは、まさしく文字どおりの“犯罪者扱い”されたのだということです。



イエスさまの処刑が行われた「されこうべ」(クラニオン=どくろ)とは、ヘブライ語の「ゴルゴタ」(マタイ27・33、マルコ15・22、ヨハネ19・17)のギリシア語訳です。これがラテン語では「カルヴァリ」と訳され、とくにローマ・カトリック教会ではそのように呼ばれてきました。



しかし、呼び方自体は、あまり重要なことではありません。重要なことは、そこが犯罪者の死刑場であったということです。



その日、三本の十字架が立てられたのです。真ん中がイエスさまの十字架、イエスさまの両側に一本ずつ、十字架が立てられたのです。



死刑そのものの是非が、今日では問われます。それはともかく、ここに書かれていることの意味は、死刑にされるほどの重罪を犯した人々と、何の罪も犯しておられないイエスさまとが、まさに一緒くたに扱われたのだ、ということです。



「〔そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』〕」



今日の個所で必ず問題にしなければならないことは、34節についている亀甲括弧(〔 〕)の意味は何かということです。ただし、あまり面倒な話に、皆さんを巻き込みたいとは思いません。



新共同訳聖書の亀甲括弧の意味は「凡例」に記されています。「新約聖書において、後代の加筆と見るのが一般的とされている個所・・・などに用いた」とあります。この意味は、新共同訳聖書は、この34節を「後代の加筆ではないか」と考えている、ということです。



このようなことを申しますと、皆さんの心の中に、いろんな疑問が次々に湧いてくると思います。しかし、わたしが申し上げたいことは、ご安心くださいということです。



途中の説明をすべて省いて結論だけを申し上げますと、34節の御言葉は、イエスさま自らが確かにお語りになった真正の言葉と言ってよい、ということです。「後代の加筆」という言葉を聞くと、どうしても改ざんとか変質というようなことを連想してしまうものですが、決してそういうことではない、ということだけを申し上げておきます。



そして間違いなく言いうることは、長いキリスト教会の歴史の中で用いられてきた多くの聖書には、この34節の御言葉がはっきり記されていた、ということです。つまり、これは歴史の中の教会が大事にしてきた言葉であり、その意味でまさに教会の伝統の言葉である、ということです。



「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と、イエスさまは、十字架の上でおっしゃいました。そのように、わたしたちキリスト者、キリスト教会は、長い歴史の中で信じ、告白してきました。まさしくそれが、わたしたちの伝統であり、わたしたちが大切にしてきたものなのです。



御自分は、手と足を釘で打ちつけられ、絶望的な痛みを感じておられるのです。ほとんどの人ならば自分を苦しみに遭わせる人を憎むであろうし、こういう場合は憎んでもよいのではないかと考えてもよいほどの場面で、イエスさまは、御自分を十字架にかけた人々のことを、「彼らの罪をお赦しください」と父なる神に祈られたのだということです。



ありえないことでしょうか。信じがたい、というのは、おそらく多くの人が感じることですし、わたしも感じます。



しかし、なぜそう感じるのでしょうか。おそらく、多くの人は、このときにこそ、自分自身のことを考えるのです。「このわたしにはできない」と考えるのです。このわたしには、イエスさまと同じような状況において、このような言葉を語ることはできないし、ありえない。あってはならない、と感じるのです。



イエスさま御自身は、何の罪も犯しておられないのです。そのようなお方を罪人と定め、死刑にするその人々こそが、あなたがたこそが罪人である。そのように指摘し、追及する。そうする権利を持っている人がいるとしたら、それは、今まさに十字架上におられるお方御自身である、と言ってよいでしょう。



つい最近、死刑判決を受けた元一国の大統領だった独裁者が、いたではありませんか。あの人は、そのようにしました。指を上に立て、腕を何度も振り下ろしながら、「お前たちこそが死刑だ。わたしは無罪だ」というようなことを主張しました。



まだすべてが終わっているわけではありませんので、個人について軽々しいことは言えません。わたしが申し上げたいことは、わたしたち自身はどうだろうか、ということだけです。



わたしの場合は、どちらかというとイエスさまのほうに近いことを語りうるだろう、と言いうる人が何人いるでしょうか。「お前たちこそが死刑だ。わたしは無罪だ」と言い張るほうの人にこそ、わたしは近い、と感じる人のほうが多いのではないか。そのようなことを考えさせられます。



わたしたちの多くが、イエスさまの言葉に「ありえない」という感想を持つのは、このわたしにはありえない、ということではないでしょうか。しかし、そのような感想なり、感覚は、非常に大事なものであると、わたしは思います。イエスさまとわたしたち自身との決定的な違いを認識することは、非常に大切なことだからです。



イエスさまとわたしたちは、根本的に違うのです。一緒くたにしてはいけません。あのお方は、神さまです。わたしたちは、人間なのです!



「人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。『他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。』兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。『お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。』イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王』と書いた札も掲げてあった。」



ここに描かれているのは、イエスさまを十字架につけた人々の姿です。



くじを引いて服を分け合う、というのは、当時の遊びであったと言われます。つまり、彼らはイエスさまの十字架の前で、楽しそうに遊んでいたのだ、ということです。



民衆は立って見つめていた、とあります。見物人たちです。十字架にはりつけてさらす、というのは、文字どおりさらしものにすること、はずかしめること、そのための公開処刑なのですから、見物人が多ければ多いほど、より多くの効果があり、意味を持つわけです。



服を分け合ったとありますとおり、イエスさまは服を脱がされています。丸裸です。美しい絵画や彫刻の中のイエスさまの像には、たいてい、下半身に布のようなものがかけられているように描かれますが、実際にはそのような布もなかったでしょう。はずかしめることが目的なのですから。さらしものにするための十字架なのですから。



「自分を救ってみろ」という同じ言葉を、議員たちと兵士たち、つまりユダヤ人たちとローマ人たちが言いました。そう言って、彼らは笑ったのです。



しかし、わたしがここに書いてあることを読みながら感じることは、なんだか不思議なものが見えてくるような気がするということです。



たしかに丸裸にされているのはイエスさまのほうです。ところが、です。わたしなどが感じることは、イエスさまの前で丸裸にされているのは、じつは議員たちのほうであり、兵士たちのほうではないだろうか、ということです。



それはどういうことでしょうか。今ここにいるわたしたちの中には、いわゆる議員もいませんし、兵士もいません。しかし、教師の仕事をされている(されていた)方は多くおられます。医者の方もおられます。その人々ならば、分かっていただけることではないでしょうか。



「自分を救ってみろ」という言葉は、どこかで聞いたことがあると。



いやいや、それは「どこかで」どころか、毎日のように聞いている(聞いてきた)言葉であると。



このわたしに向かって、いつも繰り返し、投げつけられている(投げつけられてきた)言葉であると。



この点では牧師も同じです。「牧師さん、人様に向かって説教する前に、まずはあなた自身に向かって説教しなさいよ」と言われることが実際にあります。



教師や医師や国会議員や兵士といった人々に対しても、同じようなことを言われることがあります。



「なぜあなたは、あの子どもの命を救えなかったのか」



「なぜあなたは、この病気を治せなかったのか」



あなたには何もできない。間違いだらけ、失敗だらけ。偉そうなことを人に言う前に、自分を救ってみろ。



十字架の上のイエスさまに向かって「自分を救え」と言っている議員たちや兵士たちのほうこそが、丸裸にされていると感じられるのは、彼らの心の中にあるものが、さらけだされているように見えるからです。



わたしが感じていることは、その言葉は、じつは、これまでの人生の中で幾度となく、彼ら自身に向かって投げつけられてきた言葉ではないのか、ということです。「議員のくせに人を救えない」、「兵士のくせに人を救えない」と、です。教師のくせに、医者のくせに、牧師のくせに、というのも同じです。



その言葉を言われるたびに、聞くたびに、彼ら自身が、最も傷ついてきたのです。



だからこそ、彼らは、イエスさまに、その言葉を投げつけているのです。



この言葉こそが、人の心を最も傷つける力を持つ言葉であるということを、彼ら自身が最もよく知っていたのです。



その言葉を用いて、彼らは、イエスさまを、最期まで攻撃し続けたのです。



「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。『お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。』すると、もう一人の方がたしなめた。『お前は神をも恐れないのか。同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。』そして、『イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください』と言った。するとイエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。」



議員たちと兵士たちが言った「自分を救え」という言葉を、イエスさまの隣で十字架につけられていた犯罪人も言いました。この人の場合は、議員たちと兵士たちの言った言葉を、ただおうむ返ししているだけのようにも感じられます。



ところが、です。イエスさまのことをそのように言われることに耐え難い思いを抱いた人が、ここに登場します。それが、イエスさまの隣で十字架にかけられていたもう一人の犯罪人です。



牧師の場合にも、そういうことがあります。「牧師のくせに」と言いだす人々が一方にいると、たいてい必ず、もう一方に「そんなことは言うもんじゃない」とかばってくださる人々が現れます。聞くに堪えないと感じてくださるようです。なるほど、その言葉は、それを言っているあなた自身にも当てはまりますよと、感じるのです。



人に向かって悪口や批判を語ることは自由です。しかし、それを言った人は、その自分が言った言葉で、必ず裁かれるのです。自分が他人をはかった秤で、自分自身もまた必ずはかり返されるときが来るのです。



ひどいのは、イエスさまのほうではなく、イエスさまを十字架につけた、あなたたちのほうであり、このわたしもそこに含まれる。イエスさまの十字架は、このわたしの醜い姿を映し出す、鏡のようである、ということです。



この人は、そのことに気づきました。十字架の上で気づきました。もう遅いと言われても仕方がない場所で気づいた。しかし、それでも、とにかく彼は、そのことに気づいた。気づくことができたのです。



イエスさまの十字架の姿を見て、最も早く、また最も深い次元で、そのことに気づくことができたのは、すでに十字架の上にいるこの犯罪人だったのです。



この人に、イエスさまは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言ってくださいました。イエスさまの十字架の意味を最初に理解し、確信することができたこの人は、十字架の上で救われたのです!



わたしたちも、イエスさまの十字架という鏡に、自分の姿を映してみましょう。



イエスさまの姿が無力すぎてイライラすると感じる人は、自分自身の無力さにイライラしている証拠です。



もしイエスさまのお語りになる言葉と存在が“ありえないほど美しすぎる”と感じるとしたら、それはわたしたちの言葉と存在が“ありえないほど醜い”のです。



わたしたちは、イエスさまの御前にいるときにこそ、自分の本当の姿を、深く知ることができます。自分の罪深さを知ることができるのです。



そして、そのわたしの罪をイエスさまが、「あなたの罪は赦される」と言って赦してくださいます。



そのようなイエスさまが、いつも共にいてくださる。



それが、わたしたちの救いなのです!



(2006年11月19日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月12日日曜日

「泣きながらイエスの後を追う」

ルカによる福音書23・26~31



今日の個所を読みまして、安心とまでは言えませんが、ほんの少しだけですが、気持ちが落ち着くものを感じることができました。それは、わたしだけでしょうか。



「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。」



今日の個所に記されていることは、イエスさまが十字架にかけられるゴルゴタの丘までの道には、大勢の人がいた、ということです。そこは人が誰もおらず静まり返った中を、一人イエスさまだけが、苦しみの道を歩まれた、というわけではない、ということです。



加えて、イエスさまの姿を見て「嘆き悲しむ」人々がいた、ということも分かります。つまり、その日のエルサレム、イエスさまの周りには「イエスを殺せ、バラバを釈放しろ」と騒ぎ立てた人々だけがいたわけではない、ということです。



なんとなく気持ちが落ち着く、と申し上げましたのは、そこにいたのは凶暴な殺し屋のような人々だけではなかったことが、分かるからです。苦しみに満ちたイエスさまのお姿を見て、悲しみという感情を持つことができる、流す涙をもっている、人間の心を持っている人々がいるということが、分かるからです。



これと異なるのは、ヨハネによる福音書です。ヨハネは、イエスさまの周りにはキレネ人シモンや大勢の婦人たちがいた、というようなことは何も書いていません。それこそ、他に誰もいない道を、ただひとりイエスさまだけが、御自分で十字架を背負いつつ歩いておられるようなイメージが浮かびます。



そのヨハネが「イエスは、自ら十字架を背負い」(19・17)と書いています。ところが、ルカによる福音書は、またマタイとマルコも、イエスさま御自身が十字架を背負われた、とは書いていません。ヨハネ以外の三つの福音書は、イエスさまの十字架を背負ったのは、キレネ人シモンという人であるとしています。



どちらが正しいのかという議論は、わたしは苦手です。処刑台としての十字架は非常に重い木材であったと考えられます。嫌な話ですが、それは一人の人間の重さに耐えるだけの強さをもつ木です。



木造住宅の建築現場をご覧になったことがある方、あるいは実際に材木を背負ったことがある方ならば、ちょっとした材木でもその重さや太さや堅さがどれほどかを、ご存じでしょう。



夜通し拷問され、食事も水も口にできず、ひどい裁判を受けておられたイエスさまが、重い木材を運ぶことがおできにならなかったとしても、当然です。



ヨハネ福音書と他の福音書の違いについては、両方とって、十字架の前のほうをイエスさまが担ぎ、後ろのほうをシモンが担いだとか、最初はイエスさまが担いでおられたが、途中からシモンが交代したとか、いろんな可能性を考えることができるかもしれません。いずれにせよ、わたしたちには、書いてあることしか分かりません。



ただし、です。安心とまでは言えない、とも先ほど申し上げました。もちろん、わたしたち自身の苦しみとイエスさまの十字架の苦しみを単純に比較することはできません。しかしそれでも、わたしたちにも分かると言える部分もあります。わたしたちだって、けっこう毎日苦しい思いをしながら生きているからです。



そのわたしたち自身の苦しみを考えるときに、イエスさまの十字架までの道は、だれもいない寂しい道であったと考えるのか、それとも、そこにはたくさん人がいて、悲しみの涙を流す人もいたと考えるのかで、大きな違いが出てくるようにも思います。



とくに考えさせられることは、どちらのほうがより苦しみが大きいかということです。人によって違うかもしれませんが、なかには、だれもいないところで一人で苦しむほうが楽である、と感じる人々も、決して少なくないのではないかと、わたしは思います。



わたしたち人間の心は複雑にできています。わたしの周りには、たくさんの人がいる。わたし以外のみんなのことが、幸せそうに見える。その中で、わたしひとりだけが、なぜ苦しまなければならないのか。そのようなことを、わたしたちは、必ずと言ってよいほど考えるのです。



今、わたしのために涙を流してくれている人々も、心の中では別のことを考えているかもしれないとも、必ず考えるでしょう。素直でないとか、うがった見方、とばかりは言えないはずです。



人の中にいることは、つらい。地獄にいるように感じる、という人がいます。多くの人々に囲まれていることばかりが、幸せではないのです。



多くの人々の只中でひとりで十字架の苦しみを耐えることのほうが、自分一人で苦しむことよりも、つらいかもしれないのです。



「イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け。人々が、「子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、「我々の上に崩れ落ちてくれ」と言い、丘に向かっては、「我々を覆ってくれ」と言い始める。「生の木」さえこうされるのなら、「枯れた木」はいったいどうなるのだろうか。』」



泣きながらイエスさまの後を追いかけている多くの女性たちに向かって、イエスさまがおっしゃったことは、「わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」ということでした。これはもちろん、イエスさまの本心からのお言葉であった、と言わなければならないでしょう。



イエスさまは、ある意味で(ある意味で!)、泣いているその人々を、批判されました。その涙の意味は違うでしょうということを、おっしゃいました。涙の流しどころが違うのではないかと。かわいそうなのは、このわたしではない。かわいそうなのは、あなたがたのほうである、とおっしゃっているのです。



ただし、このイエスさまは、腹を立てておられるわけではなく、怒っておられるわけではなくて、また意地悪を言っておられるのでもなく、本心から女性たちの心配をしておられるのです。また、そこにいた女性たちから将来生まれるであろう、子どもたちの心配をしておられるのです。



なぜ心配をしておられるのか、その理由は、はっきりしています。イエスさまが、つい先ほどまでおられ、ひどい目に合わされていた場所に集まっていた人々、すなわちユダヤの最高法院の人々(祭司長、律法学者、長老など)、そしてまた、ローマ総督ポンティオ・ピラト、ユダヤの領主ヘロデ、この人々が全くでたらめだったからです。



このような全くでたらめな人々が支配している国は必ず行き詰るであろう、滅びるであろう、ということを、イエスさまは、おっしゃっているのです。



イエスさまが語っておられるのは、神の民イスラエルの住むこの国も、エルサレム神殿も、滅び、焼き尽くされる日が来る、ということの予言であり、予告です。



山に向かって「われわれの上に崩れ落ちろ」とか、丘に向かって「われわれを覆え」と言うのは、わたしたちを殺してくれ、という意味でしょう。人生に絶望し、この苦しみの日々が続くくらいなら、この人生を早く終わりにしたい、終わらせてくれ、と願う人々が多くなる、ということの予言です。



「生の木」と「枯れた木」の意味は、必ずしも明快に分かるとは言えないものですが、考えられることは、「生の木」とは神の民イスラエルのこと、「枯れた木」とは異邦人のことではないか、というあたりです。



神の民イスラエルは、神の言葉を委ねられた特別に選ばれた人々です。信仰のいのちを与えられた人々です。その人々でさえ、つまり、“いのちの水をたくさん含んだ燃えにくい生木”にさえ火が放たれ、焼き尽くされてしまうのに、まして“燃えやすい枯木”の場合は、どうなるのか。たちまち燃え尽きてしまうだろう、という意味ではないかと考えることができます。



つまり、イエスさまは、これから十字架の上にかけられて死ぬ・殺されるという直前にあって、考えておられたこと、心配しておられたことは、御自身のことではなかった、ということです。イエスさまは、目の前にいる人々についての心配であり、この国の人々、神の民と異邦人の運命であり、この地上の世界の歴史と将来を、心配しておられるのです。



イエスさまは、命乞いをするようなことは、一切なさいませんでした。しかし、絶対に誤解していただきたくないことがあります。イエスさまは、御自分の命を粗末にしておられるのではない、ということです。死んでも構わないとか、命など惜しくないとか、この地上の人生などどうだっていいのだ、というようなことを、考えておられたわけではないのです。そのようなことではないのです。命乞いをしないことと、自分の命を軽く考えることは、全く違います。



そうではなくて、イエスさまは、御自身の命をかけて、その国に生きている人々の将来を心配しておられるのです。そして、自分の罪を悔い改めること、神を信じること、信仰によって生きることの意味を、最期まで、語り続けられたのです。



わたしたちにイエスさまと全く同じことができるわけではないかもしれません。しかし、そういうことは、わたしたちにも、ある程度までは、できるのだと思います。



もちろん、わたしたちは、自分の命を大切にしなくてはなりません。今にも殺されそうだというときに命乞いをすることは、わたしたちには許されていることであり、必要なことでもあるのではないかとさえ、わたしは思います。



しかし、その面と同時に考えなければならないことがあります。それは、わたしたちの命には、限りがある、ということです。すべての人は、いつかこの世を去らなければならない、ということです。



そして、その場合に、です。「わたしは、どのみちあとわずかで死ぬのだから、他人のことを考えたり心配したりしている暇はない。自分のことだけで精一杯である」というふうに考えるのか。



それとも、「残されている時間は残りわずかであるからこそ、その短い時間を、共に生きている人々を愛し、心配し、また世界と人類の将来について深く考え、祈ることのために、ささげよう」と決心するのか。



ここに大きな違いが出てくると思うのです。



後者の決心は、イエスさまにしかできないことではなく、このわたしたちにも、できることです。のこされる人々のことを愛すること、心配することは、わたしたちになしうる最後にして最良の奉仕なのです。



また、自分の国がでたらめな人々によって支配されていることを心配する思いもまた、イエスさまだけではなく、昔から今日に至るまで、多くの人々が抱いてきたものでもあります。



自分が世を去るときに、次の世代ないし時代の人々のことを心配すること。



人類の歴史、世界の将来をおもんぱかる、という思い。



これは、非常に高邁なものです。



このようなことを、自分の人生の最期に考え語ることができるかどうか、というあたりで、急に心もとなくなってしまうのも、わたしたちです。



実際は、何も分からない状態になってしまうかもしれません。しかし、神さまにお委ねしましょう。



わたしたちの最期の日に、この心の中に、人のことを思いやる気持ち、心配する気持ち、また、願わくは“愛”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



そしてまた、神さまを見上げ、信じる思い、“信仰”が残っていることを、祈り求めようではありませんか。



十字架に向かって歩まれるイエスさまのお姿を思いながら考えさせられるのは、このようなことです。



(2006年11月12日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年11月5日日曜日

「十字架がなぜ救いか」

ルカによる福音書23・13~25



今日の個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが、十字架につけられる日の朝、ローマの総督ポンティオ・ピラトの前で、裁判を受けておられる場面です。その裁判は明らかに不当な裁判であったことが分かるように記されています。



「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』しかし、人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たるような犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方を彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」
 
今日の個所から分かる重要なことが、いくつかあります。



第一に分かることは、イエスさまの裁判の裁判長となったポンティオ・ピラト自身が、被告人としてこの法廷に引き出されているイエスさまのことを「この人は無罪である」と確信している、ということです。



第二に分かることは、このイエスは無罪であると確信しているピラトの思いは、彼自身が心の中で密かにそう思っていただけのことではないということです。



このピラトの思いは、最高法院という当時のユダヤのまさに最高裁判所(最高法院)で、そこにいたすべての人々の前で、また彼自身は最高裁判所判事の立場で、まさに公の人間として公の場所で、そして騒然とした場所の中でもみんなの耳に聞こえるほどの大きな声で、発言されたことである、ということです。



政治家や法律家の場合、あるいは学校や教会の教師たちの場合も同じであると思いますが、その思想が、その人の心の中で思い描かれているだけか、それとも、それが公の場所で実際に発言されたことかの違いは非常に重要です。ピラトは、ぼそぼそ独り言を言っているわけではありません。公の発言として「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と認めたのです。



しかし、それにもかかわらず、です。第三に分かることは、そのピラトの公の発言が、その法廷にいた多くの人々の声によって否定され、くつがえされ、ピラト自身が撤回することを余儀なくされたのだ、ということです。



そして、第四に分かることは、その法廷にいた多くの人々は、具体的にはどういう人々であったか、ということです。それが13節に書かれています。「祭司長たちと議員たちと民衆」です。宗教者たちと、政治家たちと、一般国民です。通常は“善良な一般市民”と呼ばれてもよい人々です。



その人々が声を合わせて、「イエスを殺せ。十字架につけろ」と叫んだのです。そして、暴動と殺人を犯して投獄されていたバラバを釈放しろ、とも言ったのです。



これで分かることは何でしょうか。ここから先は、わたしたちの想像力が問われます。わたしが考えたことは、次のことです。



裁判長自らが無罪であると確信しているイエスさまが一般市民の声によって、この世界の中から追放され、抹殺されようとしている。かたや、客観的な犯罪に手を染めた人物が、これまた一般市民の声によって、無罪放免にされようとしている。



それが意味していることは要するに、天と地がひっくり返っている、ということです。正義が不義とされ、不義が正義とされている。逆立ちしている状態です。倒錯(とうさく)という言葉が当てはまります。



しかも、間違いなく重大であると言わざるをえないのは、この場所が最高法院であるということです。それはまさに最高の法廷です。その国の最高の法の番人たちが住んでいる場所です。つまり、イエスさまの裁判において問題になっていることは、その国の法律であり、まさに国家存立の基盤そのものである、ということです。



ただし、です。ここでちょっと注意しておかなければならないことがあります。それは、このイエスさまの裁判の場所に集まっている「祭司長たちと議員たちと民衆」に関して、実際にはどれくらいの人数を想像すればよいのかということです。



具体的な人数は、どこにも書かれていません。しかし、最高法院を構成していた正議員は七十人であったという点が参考になると思います。もう少し正確に言えば、最高法院には七十人に加えて一人ないし二人の議長がいたと言われますので、七十一人ないし七十二人という数字になるかもしれません。



しかし、そのような細かいことは今の問題ではありません。だいたい七十人の人々が、正議員席に座っていた。



具体的な数が把握できないのは「民衆」です。「民衆」と呼ばれている人々が最高法院においてどのような位置づけにあったのかは分かりません。



ただし、です。この個所に記されていることを注意深く読みますと、ここにいる「民衆」は、ピラトが“呼び集めた”人々であることが分かります。



つまり、ユダヤの国内や外国からエルサレム神殿に参拝しにきて、面白半分に、最高法院の裁判のほうもついでに見物してみようかという感じで集まって来た野次馬、という感じでもない。裁判長ピラト自ら“呼び集めた”(招集した)人々という意味で、正当な参加資格を持っていた人々ではないかと考えられるのです。



イエスさまの時代のユダヤの国に、現代の陪審員制度のようなものが存在したとは考えにくいことですが、一般人を正規の法廷に陪席させていたことが分かるという点で、興味深い記事であると思います。



しかも、最高法院の会議ないし法廷が開かれる場所はエルサレム神殿の境内地内にある「方石の廊」であったと言われています(『旧約新約聖書大事典』教文館の「議会」の項)。



「廊」とは廊下のことです。ロビー、もしくは通路のことです。そこがどれくらいの広さだったのかなどは、分かりません。しかし、最高法院の正議員七十人と、その他の陪席者を合わせて百人も入れば一杯、二百人などは入ることができないような場所ではなかっただろうかと、わたしは想像するのです。



わたしがどの点にこだわっているのかを申し上げます。



イエスさまの裁判の場所にいた人数として想像できるのは、せいぜい百人、多くても二百人くらいだったのではないかと、わたしは考えます。それが意味することは何か。



たかだか百人、二百人の張り上げる大声で、ということはつまり、ユダヤの国の中ではごくわずか、まさに一握りの少数者の声で、ピラトは、自分の確信することを曲げた結論を出したのだ、ということです!



ローマから派遣されてきた総督として、いくらか第三者的な立場にあったにせよ、ユダヤというこの国の統治を任され、法の番人としての役割を与えられていたにもかかわらず、です。



彼は、自分の確信を投げ捨て、「無罪である」と一度は公に宣言した人を死刑に定める決定をしてしまったのだ、ということです。これは、全くとんでもないことです。



これで分かることは、ピラトの目線は、一般国民のほうに向いていたのではなく、目の前に座っている少数の政治家たちや、少数の宗教家たちのほうに向いていた、ということです。



もっとはっきり言うならば、ピラトの関心は、社会の正義と公平が守られることではなく、自分自身の立場と、ごく一部の特権階級にある人々の利益を守ることだけだった、ということです。



「それこそが政治家だ」と考えるか、それとも「そんなのは政治家失格だ」と考えるかは、人それぞれかもしれません。



そして、そのことのためなら、ピラトは、無罪の人を死刑に定められることさえ許してしまうほどに、軟弱で、風見鶏的で、事なかれ主義的な人であった、ということです。



そして、次のことが明らかです。白いものが黒いとされる。黒いものが白いとされる。そのようなことを語りかつ実行する人々に支配されているような国や社会は、必ずや行き詰まり、崩壊し、滅び去るであろう、ということです。



わたし自身は、大きなことを言える立場には全くおりません。しかし、あえて言わせていただくならば、“法の番人”と呼ばれるような人々に言いたいことがあります。それは、自分が語った言葉に、もっともっと、命をかけてほしい、ということです。



自分の言葉に命をかけることが求められる点では牧師も同じかもしれません。「牧師は命をかけて説教しているのだ」と、吉岡繁先生が教えてくださったとおりです。吉岡先生の言葉には続きがありました。「だから教会の皆さんも命をかけて説教を聴いてほしい」と。



しかし、実際にはそのようになっていない現実があるのかもしれないと言わざるをえません。



言葉が軽すぎるのではないか。



そのことを、よく反省してみなくてはなりません。



命をかけて語るというには、程遠い現実があるのではないかと。



「十字架がなぜ救いか」。このことを皆さんと一緒に考えたくて、今日の説教のタイトルにしました。ただし、わたしの意図は、かなり逆説的です。



この悲惨そのもの、表現できないほどの人間のおぞましさ、軽薄で、単純で、取り返しのつかない罪の結果としての、あの“十字架”が、です。



何の罪もないどころか、多くの人々を愛してくださり、救いのみわざを行ってくださり、慰めと励ましの言葉を語ってくださったお方、わたしたちの救い主イエス・キリストを死に追いやった、あの“十字架”が、です。



あの十字架、あの十字架が、なぜ「救い」であると言えるのかと、問いたいのです。



今日は、その問いに対する十分な答えを語るだけの時間は、もはや残されていません。そもそも答えなどあるのか、と言いたい気持ちもあります。しかし、ただ一つの点だけ、最後に申し上げておきます。



それは、イエス・キリストがかけられている十字架の像を思い巡らすとき、わたしたちが感じることは、「このわたしは、十字架の上にはいない」ということです。



また、ピラトもいないし、祭司長や律法学者たちも、十字架の上にはいない。イエスさまの弟子たちもいない。



ただひとり、イエスさまだけが十字架の上におられるのです。まさに文字どおり、言葉どおりに「わたしたちの身代わりに」イエスさまは死んでくださったのです。



つまり、これは、まさに文字どおり、言葉どおりに「命をかけて」御言葉を語り、愛のみわざを実行してくださったのは、イエスさまだけである、ということに他なりません。



だれにもできないことを、イエスさまが「身代わりに」してくださる。だからこそイエスさまは、“わたしたちの救い主”であられるのです!



とはいえ、もちろん、だからといって、それは、わたしたちがこれからも反省なく軽い言葉を語り続けてもよい、という言い訳の根拠ではありえないでしょう。あるいはまた、白いものを黒と、黒いものを白と言い張るような偽りの判断を、黙って見過ごしにすることは、できないでしょう。



しかし、です。「わたしたちには罪があり、限界がある」ということを、深く知ることができるのも、イエスさまの十字架を見上げるときです。



わたしたちは、自分の罪と限界を知るときにこそ、初めて、真の謙遜の道を知ることができ、また「わたしには救い主が必要である」ということを知るのです。



反対に、自分の罪と限界を知らず、その意味でまさに“恥を知らない”人々、謙遜さを忘れた人々が権力の座につくとき、国と社会がメチャクチャになるのです。



「十字架が救いである」と語りうる瞬間は、わたしたちが真の謙遜を自覚すべき場面で訪れるでしょう。



イエスさまが十字架についてくださったおかげで、「真の謙遜とは何か」ということを知ることができるようになったのです!



「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)。



イエスさまのこの約束は、永遠に守り抜かれるでしょう。



(2006年11月5日、松戸小金原教会主日礼拝)



【追記】



上の説教の内容に関して、ある方から、たいへん貴重なご指摘をいただきました(指摘をいただけること自体、とても有難いことです)。



わたしは、ピラトがイエス・キリストに死刑を言い渡した場所について、それが“方石の廊”という最高法院の議場であったかのように受け取れることを、たしかに申し上げました。



しかし、その場所はヨハネ福音書19・13に基づいて「ガバタ(敷石)」であった、と語るべきではなかったでしょうか。当時のユダヤ人たちは、ある程度の自治権を与えられていました。もしユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議場にローマ総督ピラトが足を踏み入れたとしたら、ユダヤ人たちは暴動を起こしたのではないでしょうか、というご指摘でした。



このご指摘は、ごもっともです。誤解を生むようなことを語ったことは、お詫びしなくてはなりません。



ただし、わたしの意図はイエスさまの裁判が行われた(地理的・考古学的な)場所を特定することではなく、別のところにありました。



その意図をご説明しましたところ、その方は、だいたい納得してくださいました。



その方へのお返事は、以下のとおりです。少し長いものですが、ご参考までに、公開用に編集したうえで、皆さまにもご紹介いたします。



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○○○○様、貴重な御意見をいただき、本当に感謝です。



一応、当方の弁明を申させてください。以下のとおりです。



(1)四福音書の比較について



何といいかげんな、と思われるかもしれませんが、わたしの基本的な説教理解においては「四福音書の比較」ということに、あまり重きを置かない、という点があります。



それは、もし四福音書の間に矛盾が見つかっても、そのまま放置する、という態度です。



「マタイ福音書に基づくイエス伝」と「マルコ福音書に基づくイエス伝」と「ルカ福音書に基づくイエス伝」と「ヨハネ福音書に基づくイエス伝」は、内容が違っていて当然である、と考える立場です。



「違っている」と指摘された場合は、「違っていますねえ」と言って笑うだけ、という態度です。いいかげんと言えば、これほどいいかげんな話はないのかもしれません。



少し理屈っぽい言い方を許していただきますならば、「テキストの背後の歴史的事実には、できるだけ立ち入らない」という考えです。



そして、強いて言うならば、テキストに書いてある“文字”を重んじるということを心がけているつもりです。「書いてあること」以上のことは、“想像力”の範疇にある、と考えています。



ただし、これはあくまでも、自分の説教の場合の話です。他の教師や長老が行う説教において「四福音書の比較」がなされている場合には、最大限に尊重します。



その比較自体が間違っているとも思いません。わたしは、それをあまりしない、というだけのことです。



(2)“比喩”としての「最高法院」



このたびの説教において、わたしは、たしかに、“裁判長ピラト”が“最高法院の議場”で「イエス死刑」の宣告をしたかのように、語りました。そのことを認めます。



ただし、それは、ルカ福音書を共に開いているわたしたちが、ここに書かれていることを読むかぎりにおいて想像しうる範囲内で考えると、こうなる、というくらいの気持ちでした。



ルカ23・13でピラトが「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めた」“場所”は、ルカには明記されていません。強いて特定しようとするならば、「ピラトのもと」(23・1)と書かれているのが、その“場所”でしょう。



もちろん、わたしは、昨日、最高法院の会議が行われた場所として「方石の廊」という具体的な“場所”の名前を言いました。それは、拙かったかもしれません。



しかし、わたしが強調したかったことは、「方石の廊」というような地理的な場所の問題ではなく、「ピラト」という権威を与えられた一人の人間の“もと”に集まった人数は、どれくらいだったのだろうかという、この点だけでした。



その人数は、たぶん、せいぜい100人か、多くて200人くらいだったのではないか、というこの点だけが、わたしの関心事でした。それくらいの人数しか入れない場所だったのではないか、という想像力を働かせてみたにすぎません。



“ピラトのもと”が、実際の最高法院の議場だったのか、それともピラト官邸だったのか。もしどちらかを選ばねばならないとしたら、四福音書の比較に基づいて「ピラト官邸」である、というべきだったかもしれません。



しかし、“ピラトのもと”に「祭司長たちと〔最高法院の〕議員たちと民衆」が“呼び集められ”(招集され)、そこでピラトが「彼らの要求をいれる決定を下した」(23・24)ことが、“事実上の”結審になったように、“ルカは”書いています。



その結審が言い渡された場所が「方石の廊」であったか、それとも「ピラト官邸」であったかはともかく、“事実上の最高法院”(「その国における最高かつ最後の裁判が行われた場所」という意味で)であった、という読み方を、わたしはしたのです。



つまり、わたしは、一種の“比喩”として「最高法院」という言葉を用いたのです。



(3)「ガバタ」はどこか



わたしが「四福音書の比較」に重きを置かないようにしていること、また、「テキストの背後の“歴史的事実”」には、できるだけ立ち入らないようにしていること、の理由を申し上げておきます。



この二つの点(四福音書の比較、テキストの背後の“歴史的事実”)は、結局のところ、どこまで行っても“考古学”の問題になるからです。



考古学は、夢とロマンの結晶です。大いに参考になることがありますし、たいへん興味深いことばかりではあります。



しかし、それは参考以上のものではないし、どこまで行っても仮説の域を越えるものではないというのが私の感覚です。



「ガバタ(敷石)」(ヨハネ19・13)がどこなのか、ということ一つ取っても、いろいろな説があり、議論が続いている(この議論には、おそらく終わりがない)と言われています。



まさか、わたしは、自分が説教で語った「方石の廊」こそが「ガバタ(敷石)」である、ということを言い張ってみようというつもりは、毛頭ありません。



そうではなく、“仮説の上に説教の根拠を置くことはできない”と考えているだけです。



ともかく、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。



(2006年11月6日記す)