2006年3月19日日曜日

「あなたの信仰があなたを救った」

ルカによる福音書17・11~19



ルカによる福音書を調べていきますと、イエスさまが「あなたの信仰があなたを救った」(ヘー・ピスティス・スー・セソーケン・セー)という言葉をお語りになっている個所が、今日開いていただいた個所を含めて、四個所もあることに気づかされます(7・50、8・48、17・19、18・42)。



繰り返されている言葉には強調があるということは、これまでにも何度か申し上げてきたことです。もしその原則がここにも当てはまるとするならば、そこから考えられることがあります。



それは、このルカによる福音書は、この「あなたの信仰があなたを救った」という言葉こそが、わたしたちの救い主イエス・キリストとはどういうお方であるのかということをはっきりと示しうる、「いかにもイエスさまらしい言葉」とでも表現すべき、イエスさまにおけるまさに一つの典型的で特徴的な言葉であるということを読者に教えようとしているのではないか、ということです。



「あなたの信仰があなたを救う」。イエス・キリストの教えの特徴がまさにここにあると、語ることができそうです。これこそが、いわばイエスさまご自身の確信であり、あるいはまたイエスさまご自身の神学である、ということです。それは、どういう信仰であり、神学であるか。それは、言ってみれば、「信仰による救いの神学」であり、もっと端的に言うならば「信仰の神学」である、ということです。



信仰とは、わたしたちにとっては、いつでも、神を信じることです。わたしたちは神を信じることによって、救われるのです。わたしたちが救われるために、わたしたち自身の信仰が、重大な意味を持つのです。



「イエスはエルサレムに上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。」



イエスさまの旅の目的地がエルサレムである、ということが、ここにも記されています。ここにも、と言わなければならない理由は、ルカによる福音書の中の他のいくつかの個所にも、類する記述があるからです(9・51、13・22など)。



イエスさまは、なぜエルサレムに行かれなければならなかったのか。イエスさま御自身がはっきりと自覚しておられたことは、イエスさまはエルサレムで死ぬ、ということです。



エルサレムに行けば、律法学者、ファリサイ派、祭司長、長老たちがうじゃうじゃいる。その人々との戦いが必ず起こる。その戦いを経て、イエスさまは、エルサレムで十字架にかけられる。そして、三日目に、エルサレムでよみがえる。そのことをはっきりと自覚しておられました。



そのエルサレムに上る途中、イエスさまは「サマリアとガリラヤの間を通られた」と、記されています。単純に理解しようとすれば、旅のルートを記しているだけ、というふうに読めます。しかし、この個所にはいくつか別の読み方があります。たとえば、「サマリアとガリラヤを横切った」とも読めます。



とくに問題になることは、サマリアとガリラヤという地名の順番です。この順番で実際に進んでいきますと、イエスさまは、エルサレムの方角とは正反対の、北に向かって進んでいることになります。エルサレムに行くためには南下しなければなりません。



ですから、この個所の読み方として、イエスさまは、くねくね蛇行しながらエルサレムまでの旅を続けておられたとするか、あるいは、全く異なる発想を持つか、そのどちらかしかありません。後者の可能性として考えられることは、今日の個所に登場する主人公がサマリア人であるということと、この地名の順序が関係あるのではないか。もしかしたら、この二つの地名には何か象徴的な意味が隠されているのではないか、ということです。



「ガリラヤ」とは、イエスさまの伝道の最初の拠点であり、そこでイエスさまが多くの人を愛し、また多くの人から愛された、まさに最愛の地でした。「サマリア」の説明は、後でします。考えられる意味は、単なる旅行先のスケジュールなどではなく、イエスさまが「サマリアの人々」と「ガリラヤの人々」の両者に対する配慮や友好関係を保ちながら、エルサレムでの対決に臨まれた、というようなことではないか、ということです。



「ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言った。」



「重い皮膚病」という訳語に変更される以前の新共同訳聖書をお持ちの方もおられると思います。わたしがいつも使っている聖書も、以前のものです。「らい病」と訳されていました。しかし、厳密な時代考証の結果、イエスさまの時代の皮膚病と、現代の「らい病」ないしハンセン氏病は異なるものであるという見解で一致しております。「らい病」という訳は、単純に誤訳です。その点をご注意いただきたいと願います。



ですから、この人々の病気の具体的な内容は必ずしも明確ではありません。重い皮膚病を患っている十人の人が「遠くの方に立ち止まったまま」、イエスさまに向かって「先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と大声で訴えたのです。



「遠くの方に立ち止まっていた」理由は、明らかです。要するに、いわゆる隔離扱いにされていたからです。その病気にかかっている人は、治るまで、かかっていない人に近づいてはなりませんでした。



しかもそれは、医学的・衛生学的な観点からの扱いというよりも、むしろ宗教的な観点からの扱いであったというべきです。いわゆる「ケガレ」の問題です。ケガレがウツるというような話です。そういうことを、わたしたちはもはや決して口にすべきではありません。それは差別です。



そして、ここでぜひ注目しておきたいことは、このとき、とにかく十人の人が、イエスさまに向かって「先生、わたしたちを憐れんでください」と大声で訴えたことです。



「先生」とは、ユダヤ教のラビのことです。つまり、宗教家のことです。ですから、ここに書かれていることは、病気の人が、宗教家に向かって「わたしたちを憐れんでください」と訴えた、ということです。なかには、もしかしたら、訴える先が違うのではないかと考える人がいるかもしれません。宗教家に頼ったところで病気は治らない。病気を治すためには病院に行かなくてはならない。



しかし、ここで考えておきたいことは、この人々の病気が「重い皮膚病」と呼ばれるほどのものであった、ということです。つまり、この人々は、もはや医者にも「治せない」とみなされ、見離され、社会的に隔離されることを余儀なくされる、そのように扱われていた人々である、ということです。



その人々が、イエスさまに憐れみを求める。宗教家であれば、だれでもよかったのか、それとも、イエスさまだから、そう言ったのかは分かりませんが、とにかくこの人々が、自分の救いを「宗教家」ないし「宗教」に求めたということは、事実であると思います。



「イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、『祭司たちのところに行って、体を見せなさい』と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』」



イエスさまは、この人々の病気をいやされました。イエスさまがこの人々に「祭司たちのところ」に行くようお命じになったのは、当時の祭司たちには、病気の人々を社会から隔離するか、それとも、社会へと復帰させるかの判断を行うという、とても重大な役割が与えられていたからです。



しかし、そのあとで一つの問題が起こりました。問題と呼ぶのは、やや大げさかもしれません。イエスさまに憐れみを求め、自分の病気をいやしていただいた人は十人いたはずでした。ところが、イエスさまのところに帰ってきて、大声で(神を)賛美して、イエスさまの足もとにひれ伏して、イエスさまに感謝したのは、一人だけだったというのです。



まさに「喉元過ぎれば熱さ忘るる」です。自分が苦しい、つらい、困っている、というときには、「神さま、先生さま、教会さま」と近づいてくる。ところが、その自分の問題が解決したとか、一山越えたとか、少し楽になったときには、「神さま、何それ?」と、言いはじめる。「今は忙しい。教会どころではありません」と言いはじめる。



興味深いことは、ここで紹介されている話は、そのような「喉元過ぎれば」の人が十人中九人もいた、ということです。九〇パーセントの人は、喉元過ぎれば“感謝”を忘れる人々であるということが紹介されているのです。



ですから、「わたしはひょっとしたらこの九人の中の一人ではないか」と考えてみるときに、「寄らば大樹の陰」とか言いながら、すっかり安心してよいのか、それとも、もう少し反省しなければならないのか。このあたりは微妙です。



しかし、問題は、このときイエスさま御自身は、どうだったかです。イエスさまのもとに帰って来て、神さまを賛美し、「イエスさま、ありがとうございました」と感謝を述べたこの一人の人の存在を、イエスさま御自身が心から喜んでくださった、ということだけは事実です。わたしたちが真似をするとしたら、どちらでしょうか。



しかも、その一人の人は「サマリア人」だった、ということが付け加えられています。ほかの九人については書かれていませんが、おそらくユダヤ人だった、ということです。先ほど後で説明しますと申し上げた「サマリア人」のことに触れておきます。サマリア人とユダヤ人は、要するに、とても険悪な関係であったことが知られています。激しい民族間の対立がありました。ユダヤ人からすれば、サマリア人は、全く明らかに差別の対象でした。その原因ないし理由については、詳しく述べる時間はありません。



しかし、ここではっきり言っておくべきことがあります。それは、イエスさまに自分の重い皮膚病をいやしていただいたサマリア人は、その病気そのものと、サマリア人であるという事実によって、ユダヤ人たちからまさに“二重の差別”を受け、“二重の苦しみ”を味わってきた人である、ということです。



そして、このサマリア人は、まさに二重の苦しみの中で、最後の最後の望みを抱いて、イエスさまに向かって遠くから「このわたしを、どうか憐れんでください」と叫んだわけです。そしてまた、この人は、自分を救ってくださったイエスさまに、感謝を言わずにはおれませんでした。イエスさまに救いを求めること、イエスさまに感謝をささげること、そうすることができた、というところに、彼の“信仰”があった、ということです。



ほかの九人たちも、病気に苦しみ、差別を受けてきたことには変わりなかったはずなのに、病気が治った途端に、イエスさまのことなど、どうでもよくなりました。残念ながら、この人々には、信仰がなかったのです。



「それから、イエスはその人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』」



「あなたの信仰があなたを救う」とは、どういうことでしょうか。わたしたちは、この問いと同時に、「信仰に生きる人と、信仰を持たない人は、全く同じでしょうか」と、自ら問うてみると、いくらか答えが見えてくるように思います。



信じる人だけが救われる。これは差別ではありません。わたしが信じるのです。わたしのために、わたしの代わりに誰かが信じてくれるわけではありません。信じるか信じないかは、ある意味で自分の決断次第であり、その意味での自己責任だからです。



困ったときに頼る存在が必要である。そこまでは、かなり多くの人に共通しているはずです。しかし、問題はその先です。問題が解決したあとも、わたしを救ってくださった方を信じ続けるか、それとも、自分の都合のよいときだけ、ひょいと助けを借りるか。



その違いによって、わたしたちの生き方は、大きく変わって来るでしょう。



(2006年3月19日、松戸小金原教会主日礼拝)