2005年4月24日日曜日

信頼としての信仰

ルカによる福音書7・1〜10


関口 康


今日もまた、ルカによる福音書の続きを、読んでいきます。


今日の個所に紹介されている出来事の内容は、新共同訳聖書が付けている小見出しに書かれてあるとおりです。


救い主イエス・キリストが、百人隊長の僕をいやされた、という出来事です。


「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。」


「これらの言葉」とありますのは、先週まで学んできました、いわゆる「平地の説教」です。マタイによる福音書では「山上の説教」として紹介されているものです。


この説教の長さは、実際にはどれくらいだったのだろうかという点に、わたしは、ふと関心を抱きました。


このようなことは、もちろん、問うてみたところで、明確な答えがあるわけではありません。


しかし、なんとなくですが、時間的な意味で、非常に長いものだったのではないか、と思いました。


ルカやマタイが記しているのは、いわばその要約のようなものではないか。実際には、もっと細かい点の説明や、丁寧な解説が加えられていたのではないか。


少なくとも、原稿の棒読みのような話ではなかったでしょう。もっと自由に、豊かに、そして、一人一人の心に染み入る説教が語られたのではないか。


そのようなことを考えてみました。


そして、その説教を終えられたイエスさまが「カファルナウムに入られた」と書かれていることにも、さっと読み流してしまわないほうがよいかもしれない、ある特別な意味が込められているような気がしてなりません。


特別に、そのようなことが、わたしの読んだ注解書の中に書かれているわけではありません。しかし、今こそ思い起こしていただきたいことがあります。


それは、「ガリラヤの町カファルナウム」というのは、イエスさまの宣教活動にとっての最初の拠点が据えられた町である、ということです。


カファルナウムにはシモン・ペトロの実家があり、イエスさまはその家で寝泊りされていたと言われます。


また、カファルナウムにはユダヤ教の会堂(シナゴグ)があり、そこでイエスさまは、安息日ごとに説教を担当しておられたとも言われます。


また、ルカによる福音書には必ずしもあまり明確ではありませんが、マルコによる福音書を読みますと、イエスさまは、とにかくこのカファルナウムを拠点とされている、ということがよく分かるように描かれています。


カファルナウムから伝道といやしの旅に出かけられても、必ずと言ってよいほど、再びカファルナウムに戻ってこられます。まさに文字通り、カファルナウムを中心に動いておられる様子が、分かるのです。


さらに、もう一つ、これもマルコによる福音書に基づいて言いうる点ですが、


イエス・キリストが十字架にかけられた三日目に死人の中からよみがえられたとき、墓の前に現れた天使が、そこにいた女性たちに語った言葉は、


「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」というものでした。


この「ガリラヤ」は、具体的には「カファルナウム」のことです。復活のイエスさまは、カファルナウムにお帰りになるのです!


わたしの申し上げたいことは、単純なことです。


そのときのイエスさまの心境は、まさに「ほっと一息」というべきものではなかったでしょうか。


一仕事終えて、やっと、安心できるわが町、心置きなく過ごせる喜びのわが家に帰り着いた、というような安堵感ではなかったでしょうか。


ところが、まさにそのような「ほっとひと息」の場面で、大きな事件は起こるのです。そういうことは、わたしたちにもあると思います。


「ああ疲れた」と、ネクタイをほどき、背広を脱ぎ、さあお茶でも飲もうかと、やかんに水をくみ、火をつけようとすると、電話がかかってくるのです。


「ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。」


病気というのは本当につらいものだと思います。すぐに治る軽い病気ならばともかく、「もう治らない」と医者から言われたり、自分で自覚できるほどの重い病気にかかった人は、絶望の淵においやられてしまいます。


ここに紹介されている一人の人は、「ある百人隊長に重んじられている部下」と呼ばれています。この人が「病気で死にかかっていた」と書かれています。何の病気であったか、なぜ病気にかかったかは、記されていません。


この部下のところに、イエスさまに来ていただきたいと願ったのは、百人隊長その人でした。「部下を助けに来てくださるように頼んだ」とあります。


ただし、自分自身がではなく、「ユダヤ人の長老たちを使いにやって」頼みました。なぜそのようにしたか、その理由は、あとのところに出てきます。


「長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。『あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。』そこで、イエスは一緒に出かけられた。」


長老たちは、百人隊長に願われるままに、イエスさまのところに行き、そして「熱心に」願いました。


「あの方」とあるのは、百人隊長のことです。「そうしていただくのにふさわしい」とは、イエスさまに、その百人隊長の部下のお見舞いに行っていただくことは、その百人隊長にとって、ふさわしい、という意味です。


理由もきちんと語られています。その百人隊長は、ユダヤ人たちのために会堂を建ててくれた、というのです。まさか、大工仕事をしてくれた、という意味ではないでしょう。おそらく、たくさんの献金をしてくださった、という意味です。


しかも、その会堂とは、おそらく、カファルナウムの会堂のことですから、毎週の安息日に、その中でイエスさまが説教をされていた、その会堂のことでしょう。


あの百人隊長は、われわれにとっての功労者である。その方の家に、部下のお見舞いに行ってくださることは「ふさわしいこと」であると、長老たちは、そういう言葉でイエスさまに訴えたのです。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」とあります。しかし、ここで気になることは「そこで」の意味です。


それは、イエスさまが、この長老たちの訴えの内容、あるいは説得の内容をお受け入れになったので、「一緒に出かけられた」ということでしょうか。


わたしたちの会堂を建てるために、たくさんの献金をしてくれた、あの百人隊長の功労に報いるために、イエスさまには、あの方の部下の病床にお見舞いに行っていただかなければなりません、という彼らの言い分を、イエスさまが納得されたので、出かけられた、という意味でしょうか。


そのようなことが悪いと、わたしは今、申し上げたいわけではありません。教会の長老たちならば、当然、そのようなことは、考えるべきことであると思いますし、配慮すべきことです。


しかし、そういう話だけになってしまいますと、わたしなどは、つい、逆のことを考えてしまいます。


もしこの百人隊長が、そのような貢献をしていなかったとしたら、その部下のお見舞いに行かなくてもよい、ということになるのでしょうか。そこに、なんともいえず腑に落ちないところが出てきます。


イエスさまは、その百人隊長の貢献のあるなしにかかわらず、助けを求める人のもとにかけつけてくださる、そういうお方ではないのでしょうか。


少し厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、このときの長老たちの説得の方法には、いくらか問題があるような気がしてなりません。


持って回ったような説得の言葉は、必要なかったのではないでしょうか。


「ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。『主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。』」


ここに、先ほど「あとのところに出てきます」と申し上げました、この百人隊長がなぜ自分自身で、ではなく、長老たちに、イエスさまのところに行ってもらったか、その理由が語られています。


「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」というのが、その理由です。


わたしたちならば、「こんなこと、言わなくてもよいのに」と感じるような理由です。


自分自身をひどくおとしめるような言い方です。ものすごく悪い言い方をすれば、卑屈とさえ感じられます。


しかし、もしこれが、この人の本心からの言葉であるならば、尊重されるべきです。


そして、この人は、「主よ、御足労には及びません」と言います。


「来てくださらなくて結構です」とか「来ないでください」というような、つっけんどんな言葉ではありません。


なぜそう言いうるかと申しますと、百人隊長の友達が続けている言葉が、根拠です。


「『ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。』」


ここで分かるのは、百人隊長の信仰です。


この百人隊長は、イエスさまのお語りになる「御言」の力を信じていました。イエスさまが「ひと言」お語りになるその御言で、部下の病気はいやされる、と信じていました。


ここからまた、なぜこの百人隊長が、せっかく出かけてこられたイエスさまに「御足労には及びません」と伝えようとしたのか、その理由も分かります。


イエスさまのお語りになる「御言」が、「御言」だけが、あらゆる問題や病気や苦しみを解決する力を持っている、と信じていたからです。


長老たちは、ちょっと違っていました。たくさん献金してくださった、あの方のところには、きちんと出向いたほうがよい、という動機が見え隠れしていました。


あの人は会堂を建ててくれたと、長老たちが、そのような理由を挙げて、イエスさまを説得しようとした、ということを、百人隊長自身が知っていたかどうかは、ここには書かれていません。


しかし、もしこの百人隊長自身が、それを知ったならば、そのような理由や動機から、イエスさまに来ていただくことは、申し訳ないことであるし、筋が違う、と感じるようなことではなかったでしょうか。


「そこで、イエスは一緒に出かけられた」の「そこで」の意味が読み間違えられてしまいますと、思わぬ大きな落とし穴に陥ってしまうことになりかねません。


「『わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。』イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。『言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。」


ここで百人隊長が語ろうとしていることは、言葉というものが持っている権威のことであると思われます。


隊長が部下に向かって「行け」と言えば行く。「来い」と言えば来る。「これをしろ」と言えばする。


言葉の持つ力について、言葉に信頼することについて、彼は、語ろうとしています。


わたしに、そしてわたしの部下に、ただ一言、御言をください。


そして、部下を苦しめている病魔に向かっても、「出て行け」と命じてください。


彼は、そのように願ったのです。イエスさまを、そのような方として信頼し、すべてを委ねたのです。


そのとき、奇跡が起こったのです。


(2005年4月24日、松戸小金原教会主日礼拝)


2005年4月17日日曜日

岩の上に建てられた家

ルカによる福音書6・43〜49


関口 康


今日は、二つの段落を読みました。しかし、これは一つの話題、統一的なテーマが取り扱われている、と見ることができます。


「『悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくはとれないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである』」。


最初の段落でイエスさまが語っておられることを一言でまとめて言いますと、わたしたちの「口が語る言葉」と「心の中にある思い」との関係は何かという問題であるということです。


ただし、この場合、「言葉」ということを、あまり狭苦しく考える必要はなく、わたしたち人間が自分自身の存在の外側に向かって示す表現のすべてが含まれている、と考えてもよいでしょう。


身振り手振り、表情や目線、最近では手話などもあります。あるいはまた、手紙や日記、小説や学術論文の文章なども、十分な意味で「言葉」です。


イエスさまがたしかに語っておられるのは「口が語る言葉」に関することです。しかし、わたしたちは、もう少し範囲を広げて、考えてみることができるでしょう。


その、わたしたちが自分の存在の外側に向かって示す表現のすべては、わたしたちの心の内側から出てくるものである、ということが示されているのです。


そしてまた、さらに、もう少し別の観点から言い直しますと、それは、人間の外面性と内面性の関係は何かということです。


ですから、その人間の外面性と内面性との間には、当然深い関連性がありますし、両者を切り離して考えることはできない、ということにもなるわけです。


そのため、これを、ごく単純に言い切ってしまいますと、わたしがしばしば用いる表現なのですが、人間とは、言うならば、薄皮一枚のような存在なのだ、ということです。


見る人が見れば、わたしたちの内側にあるものは、外から透けて見えてしまうのです。どんなに隠そうとしても、隠しているつもりでも、見られたくないものまで、見えてしまうのです。


そのことを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


そして、少なくとも神は、わたしたちの内側にあるものを全くお見通しである、ということを、わたしたちは、覚悟しなければなりません。


すべてをお見通しである神の御前で、わたしたちは、何を隠すことができるのでしょうか。隠すこと自体、何の意味があるのでしょうか。そのように、自問自答する必要があります。


そして、今日の個所でイエスさまが語っておられることの中で、強調点が置かれているのは、どちらかというと、悪いほうの話です。


「悪い実を結ぶ良い木はない」のほうです。あるいは「悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す」のほうです。


肯定的側面のほうよりも否定的側面のほうに、イエスさまの強調があります。


なぜそう言えるかといいますと、46節以下に、イエスさまを「主よ、主よ」と呼びながら、イエスさまの言うことを聞かない人に対する明確な批判が語られているからです。 


「『わたしを「主よ、主よ」と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。』」


このイエスさまのたとえ話の中に、わたしにとっては非常に興味深く、注目と熟考に価すると感ぜられる表現が出てきます。


それは、イエスさまの御言を聞いて行う人は皆、「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている」という、この点です。


ここで、とくに興味深く感じるのは、ルカによる福音書には書かれている「地面を深く掘り下げ」という言葉が、マタイによる福音書(7・24以下)は出てこない、という点です。


ルカの場合、イエスさまは、地面を深く掘り下げたところに「岩」が現われ、そして、その「岩」の上に土台を置いて家を建てる人の話を、語っておられます。


これの何が興味深いのかと申しますと、ルカの場合、そのようにして現われる「岩」が、イエス・キリストの御言を指している、と思われるからです。


地面を深く掘り下げると、そこに岩が現われる。その岩こそがイエス・キリストの御言である。その岩の上に家を建てるべきである。そういう話です。


しかし、ここでわたしが感じる第一の問題は、地面を深く掘ると、そこに必ず岩が現われる、というのは、果たして本当か、ということです。


あまり参考にはなりませんが、たとえば、わたしの岡山の実家のある場所は、元々は海であったところを埋め立てた、いわゆる干拓地です。


そのため、(実際にしたわけではありませんが)、5メートルほども掘り下げると、海水が出てくる、と言われています。お台場あたりは、どうでしょうか。そういう場所も、現実にはあるのです。


もちろん、もっと深く掘ればよいのかもしれません。しかし、海水が出てくるあたりよりも、さらに深く掘るとなると、どれくらい掘ればよいのでしょうか。想像できません。


わたしが感じる第二の問題は、このイエスさまのたとえ話の中で、「地面を深く掘り下げる」のは、誰の仕事として描かれているのか、ということです。


もちろん、その仕事をするのは、地面を深く掘り下げたところに出てくる「岩」の上に家を建てる人である、と言えば、そのとおりです。


しかし、ここで明らかに、「岩」とは、イエス・キリストの御言を指しています。


そうだとすると、イエス・キリストの御言は、地面の中に埋まっている、ということです!


わたしたちが立っている、この地面の中に、です!


そうだとすると、もしわたしたちが、自分の家の土台を、その岩の上に置きたいと願うならば、わたしたち自身が立っているこの地面を、深く掘り下げなければならないのです。


そういうものとして、イエスさまは、ご自身の御言の本質を描き出しておられるのです。


なぜわたしが、この点にこだわるか、その理由は何かを申し上げます。


「イエス・キリストの御言」ということで、わたしたちが通常思い描くのは、それは「上から」啓示される、ということです。


神の御子イエス・キリストにおける神の啓示は、地面の中に埋まっているようなものではなく、天から、上から降ってくるようなものである、と言われることが多いのです。


ところが、ここでルカが記していること、イエスさまご自身がそのように語られた、と言われていることは、それとは明らかに異なるのです。


「上から」ではなく、むしろ「下から」です。地面があるのは、わたしたちの足許です。イエス・キリストの御言を土台にして家を築くために、わたしたちの足許を深く掘り下げることが求められています。


もっとはっきり言うならば、わたしたちの足許とは、「地上の現実」、「日常の生活」ではないでしょうか。


そこを深く掘ると、イエスさまの御言が出てくる、ということは、見方を変えて言うなら、イエスさまの御言とは、地上の現実を深く掘り下げたところに根ざした、まさに現実的な言葉である、ということです。


もしそうだとすると、地面を深く掘り下げるのは、誰の仕事でしょうか。


わたしたち自身の務めでもある、と言うべきです。


しかし、いわばそれ以上に、あるいは、それ以前に、まず最初に、イエスさまご自身が、地面を深く掘り下げてくださったのです。


そして、そこに、イエスさま御自身が、御言という岩を、置いてくださったのです。


そのように考えることができるのです。


今日の個所で、イエスさまの一連の説教についての学びが終わります。


わたしは繰り返し、ルカは、この説教を「地上の説教」として描いている、と申し上げてきました。


イエスさまは「山から下りて、平らな所にお立ちになった」(6・17)ということを、ルカは、わざわざ強調しているのです。


その説教のしめくくりの部分に、「地面を深く掘り下げること」が語られているのです。そして、そこに現われる「岩」の上に立つことが求められているのです。


この一連の説教を理解するためのキーワードが、「山から下りること」、「平らな所に立つこと」、そして「地面を深く掘り下げること」というあたりにある、と思われてならないのです。


イエスさまの御言とはどのようなものであるのか、ということについて、イエスさまご自身がどのようにお考えになっておられるのかが、ここから分かります。


それは、地上の現実の上にしっかり立つために学ぶべき御言です。現実から目をそらすことや、地に足のつかない思想を持つことではありません。


また、それは、耳で聞くだけで、あるいは、頭で覚えるだけで済ませることのできない御言です。「聞き置いた」などというのは、イエスさまに対して失礼な言い方です。聞いたなら、それを行うべきです!


「御言を行う」とは、それを生きること、それで生活すること、です。実践すること、具体化すること、現実化することです。目に見えないもの(言葉)を目に見えるもの(現実)へと転換し、展開し、具現化することです。「絵に描いた餅」のままにしておくべきではありません。


また、先週学びました個所には、「修行を積む」ということが語られていました。わたしたちにとっての「修行」は、何だったでしょうか。


「まず自分の目から丸太を取り除いてから、兄弟の目にあるおが屑を取り除く」修行です。


「ひとを断罪するのではなく、ひとの罪を赦す」修行です。


「右の頬を打たれたら、左の頬を向ける」修行です。


それは難しいことです。だからこそ、「修行を積む」ことが求められているのです。


現代は「修行」ということがあまり重んじられない時代である、と言われます。


我慢すること、忍耐することができない人々が、増えています。


キレやすい。すぐ爆発する。自分のことを棚に上げて、ひとを責めることばかりに、心を用いる。


わたしたちは、ぜひ、「御言を生きる修行」を積み重ねて行こうではありませんか。


(2005年4月17日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年4月10日日曜日

自分の目の中の丸太

ルカによる福音書6・37〜42


関口 康


今日も、イエス・キリストの「地上の説教」を学んでいきます。


「『人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。』」


今お読みしましたこの御言は、わたしには、理解するのが難しいと感じられます。


先週学びました御言、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」のほうが、はるかに理解しやすいものでした。


まさに、書いてあるとおり、でした。疑問をさしはさむ余地が無いほどに明確な言葉である、と感じられるものでした。ただし、実践することは、とても難しい。そのような御言でした。


それに比べ、今日の個所にある「人を裁くな」とは、どういう意味でしょうか。


これは、たとえば、わたしたちは、どんなことがあっても、裁判というものを起こしてはならない、というようなことでしょうか。裁判官や裁判所はこの世の中から消え失せるべきである、というようなことでしょうか。


もしそうだとしたら、本当に困ってしまいます。


わたしの理解では、裁判官や裁判所の存在意義の一つは、弱者の救済ということにあります。


現実の裁判官や裁判所が、きちんとした裁きを行ってくれるどうかはともかく、です。


あるいはまた、現実の社会の現実の裁判においては、白いものを黒と言い、黒いものを白と言うことが全く無いとは言えないとしても、です。


ともかく、裁きというものは、必要ではないでしょうか。「人を裁くな」と言われてしまうと、わたしなどは、本当に困ってしまいます。


「『赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。』」


今日の個所から考えたいことは、イエス・キリストが、なぜ、このようなことを語っておられるかという、その理由です。


イエスさまは、地上の正義と公平を保つために必要な裁判のすべてを、否定されているのでしょうか。


おそらくそうではないだろう、と思いたいところです。


強調点は、「赦しなさい」のほうではないでしょうか。それならば、受け入れることができるところが出てきます。


少し屁理屈っぽい言い方になってしまいますが、「赦す」かどうかを決めるのは、「裁き」の場所でもあります。


ある罪とそれを犯した罪人が、赦されもし、刑罰を受けるために断罪されるのは、「裁き」の場所です。「裁き」のないところには「赦し」もないのです。


ですけれども、イエスさまが、たしかに語っておられることは、「人を裁くな」ということです。人を裁判にかけるな、と訳してもよいくらいです。


そうであるならば、ここでイエスさまが語っておられることを、わたしたちが、ただ、自分自身に都合がよいように、引き寄せてしまうことは、できません。


ただし、その続きに、「人を罪人だと決めるな」とも語られています。断罪するな、という意味です。


どうやら、わたしたちは、今日の個所全体の中では、とくに、このあたりのことをよく考える必要がありそうです。「断罪するな」と言われている意味は何か、ということです。


断罪するのではなく、赦しなさい、と言われている意味は何か、ということです。


ここで、たしかに思い当たることがあります。


わたしたちが、裁判所と裁判官に、何ごとか裁判してほしいと願う案件を持ち込もうとするとき、たいていの場合、いや、ほとんどの場合、このわたしに危害を及ぼした相手を断罪してほしいという、あらかじめの動機があると思われます。


わたしは赦さないし、赦したくない、という強い思いがあるからこそ、わたしたちは、裁判所に訴え出るのです。


そして、その裁判に期待することは、わたしの勝利であり、相手の敗北です。


そのことを期待することのすべてが悪いと、言いたいわけではありません。むしろ当然のことでしょう。


しかし、そこでおそらくイエスさまは、わたしたちに、ちょっと待て、とおっしゃるのではないでしょうか。


裁判所と裁判官に訴え出る前に、です。


何ごとかに決着をつけ、白黒をはっきりさせる前に、です。


このわたしに罪を犯した相手を憎む前に、とは言えないでしょう。憎しみの心は、すでに動き始め、燃え始めているからこそ、どうにかしたい、と願っているのですから。


ですから、事情はいつでも、相手を憎み始めた後に、です。


しかし、だからこそ、その憎しみの心が、あまりにも大きく広く増幅してしまう前に、です。


そのとき、せめて少しだけでも、わたしたち自身のこと、自分のことを、振り返ってみることが必要ではないか、とイエスさまは、どうやら、おっしゃっているのです。


腹を立てているとき、わたしたちの頭には、たくさん血が上っています。その真っ赤な顔を、一度でよいから、鏡に映して見てみると、よいかもしれません。


おそらく、そのとき、わたしたちは、こわい顔をしています。自分でもおそろしくなるような顔です。


わたしたちに求められているのは、そのような自分を、せめてほんのちょっとだけでも振り返ってみる、心の余裕ではないでしょうか。


「イエスはまた、たとえを話された。『盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。』」


話題に少し飛躍があるように感じます。無理に関連づける必要はないかもしれません。盲人に盲人の道案内はできない、という言い方そのものは、今では差別的と判断されますので、慎重に扱うほうがよいでしょう。


ただ、全く関係ない話が突然入ってきていると考えるのではなく、何らかの関係があると考えてよいならば、思い当たる点が全く無いわけではありません。


ここでイエスさまが語っておられるのは、師と弟子、教師と生徒の関係は、どのようなものであるのか、ということです。


そして、盲人と盲人の関係も、師と弟子の関係について考える際の参考として語られている、と受けとるのが自然でしょう。


そうであるならば、思い当たる可能性は、それほど多くはありません。


「師」とは、道案内ができる人のことです。道案内ができない人は「師」と呼ばれるにふさわしい者になるまでに至っていない、ということです。


それに対して、「弟子」とは、道案内ができる人に、道案内してもらう人のことです。


初めての海外旅行に、ツアーガイドなしで出かけるのは、かなり無謀な行為です。


教習所に通ったことがない人が、自動車の運転をするのは、無免許運転です。


そのような無茶をしないで、自分よりも事情の分かった人に道案内をしてもらうことができる人が、「弟子」と呼ばれるにふさわしい人です。


だからこそ、イエスさまは、弟子もまた、修行を積めば、師のようになれる、と語っておられるわけです。


イエスさまにとって、「師」と「弟子」の関係は、上と下の関係、というよりも、前と後の関係です。


弟子は、師の後ろを、追いかけていくのみです。ついていくのみです。


そうしているうちに、弟子のまた弟子が現われるでしょう。弟子が師となり、次の弟子が現われるでしょう。弟子が師に追いつくことがある。追い越すこともあるのです。


ここで、前の話題との関連づけを考えてみることが、できそうです。


人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。


人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。


赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。


このことを、わたしたちは、師と弟子の関係というこの観点から考えてみることができるように思われます。


次のように、考えてみることはできないでしょうか。


ここでの問題は、そもそもイエスさまが、この個所で「師」と呼んでおられるのは、何についての師であるのか、つまり、何を教える師なのか、ということです。


ひとの罪を赦す道を教える師、ではないでしょうか。


そして、その場合、その人が罪の赦しを教えることができる師となるために受けるべき修行とは、何についての修行であるのか、つまり、その人は何を学ぶべきなのか、ということも、問題になります。


師となるべき人が受けるべき、おそらく最もふさわしい修行とは、その人自身が犯した罪を赦してもらう喜びと感謝の体験を積み重ね、味わい知り、十分に学ぶこと、ではないでしょうか。


すでに言い古された、やや平板というべき言い方を許していただくなら、ひとから自分の罪を赦してもらったことがある人だけが、ひとの罪を赦すことができるのです。


自分が犯した罪に対して、深い反省と悔い改めをしたことがある人だけが、罪を犯して反省し、悔い改めている人の心の中にあるものを、理解することができるのです。


逆の言い方ができます。ひとの罪を赦したことがなく、ただ断罪することしか知らない人に、罪の赦しの道を教える資格は、ありません。教師になる資格がないのです。


イエスさまこそが、わたしたちの真の教師です。わたしたちの罪を赦してくださり、またわたしたちが人の罪を赦す道を教える師です。この師に従って、わたしたちもまた、ひとの罪を赦さなくてはならないのです。


頭に血が上っているときにこそ、わたしたちは、イエスさまの教えを思い起こすべきです。


わたしたちは、イエス・キリストによって罪赦された者である、ということを自覚することができるとき、このわたしの憎しみの心に、和らぎと安らぎが訪れることを信じてよいのです。


そのことを、です。そのことを学ぶことこそが、イエスさまがわたしたちに課せられた「修行」の内容なのです。


「『あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、「さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください」と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。』」


ここでイエスさまが語っておられることは、受けとり方によっては、非常に辛辣な皮肉のようにも響きます。


兄弟の目の中におが屑があることを指摘し、それを取り除こうとする前に、自分の目の中の丸太に気づくべきであり、何よりも先に、それを取り除くべきである、と言われています。


ごく分かりやすく言うなら、自分のことを棚に上げるな、ということでしょう。


しかし、「ひとのふり見てわがふり直せ」とか「他山の石」というようなことよりも、もう少し先に進んでいます。


兄弟の目におが屑があることを指摘し、それを取り除こうとすることは、わたしたちに許されていることであり、なすべきことでもあるのです。


他人のことなどは放っておけ、余計なお世話である、と言われているわけではないのです。そのような個人主義が語られているわけではありません。


むしろ、イエスさまは、わたしたちが積極的に「師となる道」を教えておられると言えます。兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる者になれ、と言われているのです。


そのためにこそ、です。


わたしたちは「自分の目の中の丸太」に気づく必要があります。ただ、それを取り除くことができるのは、自分自身ではないかもしれません。だれかに取ってもらう以外にないかもしれません。


「気づかないのか」と、イエスさまは、おっしゃいました。イエスさまには、わたしの目の中の丸太が、見えておられるのです。


見えなければ、取ることもできません。見えておられる方に、取っていただく必要があるのです。


いや、必ず取ってくださいます。


わたしたちを罪の中から救い出し、わたしたちの中から罪を取り除いてくださるために、イエス・キリストは、来てくださったのです!


(2005年4月10日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年4月3日日曜日

敵を愛しなさい

ルカによる福音書6・27〜36


関口 康


本日からまた、ルカによる福音書の学びに戻ります。イエス・キリストの「地上の説教」の続きです。


今日読みました段落に記されている内容は、単純明快です。


「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」


これは、愛敵の戒めと呼ばれています。イエス・キリストは、弟子たちに「敵を愛しなさい」と教えられたのです。


これは難しい教えである、と誰もが感じます。わたしも、そう感じます。


しかし、ぜひ考えてみたいことがあります。もしイエスさまが、逆のことを言われたとしたら、わたしたちは、どのように感じるだろうか、ということです。


「敵を憎むのは当たり前である。あなたがたを憎む者には親切にしなくてもよろしい。場合によっては、殺しても構いません。」


そのようにイエスさまに言っていただくことができるなら、わたしたちは安心できるでしょうか。キリスト教は、現実的な答えを出すことができる、善い宗教である、ということになるでしょうか。


「敵を愛する」だなどというような、実際にはありえない、人間の理性や感情に著しく反する、理想主義的なたわごと、ざれごとから脱却できる、という話になるでしょうか。


わたしには、どうしても、そのように考えることができないのです。


むしろ、わたしには、こう思われます。


敵を憎む思いは、常に、不断に、わたしたちの心を支配している。それは、放っておくと、日々募り、高まるばかりである。誰かにとめてもらいたいくらいである。


どうか、誰でもよいから、わたしの心の中にある、この憎しみの思いを、感情を、打ち消してほしい。


物分かりのよい言葉は、要らない。むしろ、物分かりの悪い頑固なオヤジのような人が現れて、憎しみの思いを忘れることができない、このわたしを、叱り飛ばしてほしい。


こんなふうに、思われてならないのです。


もちろん、最も理想的なことは、わたしたちの前に「敵」などというものが、一人も存在しないでいてくれることです。それが最も理想的であり、最も幸せなことです。


しかし、実際には、現実には、わたしたちの前には、必ずや「敵」が現れます。わたしたち自身が、自分の言葉や行いによって「敵」をつくってしまっているときもあります。


ですから、理想的には「敵をつくらないこと」が大切です。しかし、どんなに努力しても、「敵」が現れてきた場合には、「その敵を愛すること」が、求められているのです。


ここでイエスさまが語っておられる「敵」という言葉には、いわゆる国と国との戦争の場面で語られる「敵国」という意味はない、と言われています。「敵国」という場合には、別のギリシア語が用いられるからです(G. シュトレッカー『山上の説教註解』佐々木勝彦・庄司 眞訳、ヨルダン社、1988年、171〜172ページを参照)。


しかしながら、そのことは、イエスさまがこの愛敵の戒めにおいて、戦争における敵国の問題を意識的に避けている、ということには、なりません。あるいはまた、たとえば、宗教の団体であるところの教会は、政治の問題などには、一切かかわるべきではない、というようなことでも、全くありません。


事柄は正反対です。イエスさまの教えは、むしろ、政治の問題、戦争の問題のみに限定されるものではない、ということです。


むしろ、もっと広く、政治の問題、戦争の問題をも含む、すべての人間関係において、わたしたちには必ずや「敵」がおり、かつ、その「敵」を愛さなければならない、ということです。


わたしたちの日常生活の中で起こる、ごくごく小さなけんかや対立の問題のすべてが、イエスさまの教えの視野の中に入っている、ということです。言い逃れの余地がない、という意味で、わたしたちの全人生が、神の御前にあって、問われているのです。


ですから、その意味で、この戒めは、たしかに、わたしたちにとって、難しいものです。単純明快である、しかし、非常に難しい教えです。理解はできる、しかし、それを守ることが難しい、まさにそのような教えの典型である、と言えるでしょう。


すでに故人となられていますが、わたしの恩師のひとりに、『神の痛みの神学』という本を書いたことで有名な北森嘉蔵先生という方がおられます。この北森先生が学生たちの前でおっしゃったことが、今でも忘れられません。


「『敵』とは、要するに『愛することができない人』のことを言うのである。愛することができない人を愛しなさい、と言われるところに、痛みが生じるのである。この痛みを、イエス・キリストにおいて神が引き受けてくださったのである。これを『神の痛み』というのである。」


事情はまさにそのとおりであろうと、わたしにも、納得できるものがありました。


しかしながら、今のわたしが思うことは、北森先生がそのことを否定されたという意味ではありませんが、この痛みは「神だけの痛み」であってはならないだろう、ということです。


それはわたしたちの痛み、人間の痛みにもならなければなりません。キリストにおいて神が、神だけが、敵を愛してくださって、それですべての問題が解決するわけではありません。


神の戒め、キリストの戒めを守らなければならないのは、わたしたちなのです。


「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。」


わたしたちの人生の中で、実際に自分の頬を打たれる機会は、何度くらい訪れるでしょうか。そんなに多くはないような気がします。


わたしの父は、1933年生まれで、現在71才です。父は、終戦の年に小学6年生でした。


この父から聞いた話は、戦時中の学校で、先輩たちがよく、後輩を一列に並べて、拳骨で殴り飛ばした、ということです。父は、よく殴られた側にいたようです。


そのようなことが当たり前のように行われていた時代もあったし、じつは、今でも実際にはどこかでそのようなことが行われているのかもしれません。


わたしは、と言いますと、子どもの頃から、けんかというものが大嫌いでした。


この世の中の何がイヤかと言って、とにかく、けんかというものがいちばんイヤな人間でした。だいたい、いつも逃げ回っていました。


ただ、一人だけいる兄貴とは、時々やりあいました。しかし、4才年上の兄貴とは体格が違いすぎて、けんかにはなりませんでした。負けてくれたことはあったかもしれませんが、自分が勝ったと思ったことは一度もありません。


父も母も、わたしをこぶしで殴ったりはしませんでした。少なくとも、そのようにされた記憶が、全くありません。


だからでしょうか。


わたしも、だれかをこぶしで殴ったということが、全くありません。手が滑ってちょっと当たってしまった、というくらいのことは、あったかもしれません。しかし、殴ろうとして殴った、ということが、ありません。


とにかく、そういうことが嫌なのです。そんなことをするくらいならば、自分のほうがコテンパンにやられるほうがはるかにましだ、と思うくらいなのです。


わたしの話は、どうでもよいことです。ただ、そのような者として、いわばそのような者だけに語りうることが少しはあるかもしれない、と感じます。


他人にそういうことをしたことがない、というこのことが、今やわたしの誇りになっている、ということです。大真面目な話として、けんかに弱いことが、わたしの誇りなのです。


悔しい、と思う気持ちは、もちろん、ないわけではありません。しかし、わたしは、人からほめられたり、賞賛されることも苦手ですが、うらまれたり、憎まれたりすることは、もっと苦手です。


下げられる頭ならば、どんな頭でも下げたいと思います。謝って済むものなら、いくらでも謝りたい。ゆるしてもらいたい、と思います。


イエスさまの教えは、わたしにとっては少しも、現実離れした理想主義的なたわごとでも、ざれごとでもありません。むしろ現実そのものです。


負けるが勝ち、とは申しません。勝つ必要はないのです。


けんかして、争って、その争いに勝ったからと言って、それで幸せになれる、と思ったことは、少なくともわたしには、一度もないのです。


けんかを避けるべきです。できるだけ、争いに巻き込まれないようにするほうが、懸命です。


それでもなお、どんなに気をつけていても、争いというものは、向こうから、やってくるからです。


そのとき、どうするか。イエスさまは、わたしたちに、何を教えてくださったでしょうか。


「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」


わたしは、今日の個所について、いろいろな解説をあまり付け加えたくないと感じます。


書いてあるとおりです!


この「書いてあるとおり」ということを、今日は重んじたいと思います。


イエス・キリストの復活と昇天の出来事の後に生み出された教会の中に、この「書いてあるとおり」を実践した人々がいました。


その一人としてたいへん有名なのは、キリスト教会最初の殉教者となった、ステファノです。


ステファノの殉教の場面は、使徒言行録7・54〜60にあります。


「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」


わたしは、このステファノの出来事についても、なんのかんのと、余計な解説をしたくありません。


まさに、ここに書いてあるとおりの出来事が、現実として、事実として、歴史の中で起こったのです。


そして、こういう人を、キリスト教会は、歴史の中で生み出し続けました。


ここでも、最初に申し上げたことを、繰り返したいと思います。


もしステファノが、自分を罵り、自分を目がけて石を投げつける人々に対して、口汚く罵り返し、暴力に対しては暴力をもって立ち向かった、という話であったならば、わたしたちは、安心できるでしょうか。


抵抗することは、ステファノに許されていたことです。抵抗することのすべてが間違っている、などと誰が言えるでしょうか。


しかし、ステファノは、抵抗しませんでした。迫害する者たちのために、祈りました。


勝ったか負けたか、という観点から言えば、ステファノは負けたのかもしれません。それでも、そのステファノを、キリストは受け入れてくださいました。


キリストは、天の父なる神の右で「立ち上がって」(ふだんは“座って”おられるにもかかわらず!)、ステファノを応援し、勇気づけ、心から喜び、受け入れてくださったのです!


(2005年4月3日、松戸小金原教会主日礼拝)