ルカによる福音書2・22〜38
先週までにクリスマスのすべての行事が、無事に終了しました。ほっと一安心、というところでしょうか。
マリアとヨセフも、イエスさまがお産まれになった後、このような、安心した気持ちになったのではないでしょうか。出産には、喜びだけではなく、苦しみが伴います。当事者たちは、たいへんです。
マリアとヨセフは、イエスさまがお生まれになってまもなくして、「その子を主に献げるため」エルサレムに連れて行った、と書かれています。
出エジプト記13・2に「すべての初子を聖別してわたしにささげよ」とあります。彼らは、聖書の御言どおりに、生まれたばかりのイエスさまをエルサレム神殿に連れて行き、主なる神さまにささげました。
そのとき、彼らに近づいてきた二人の人物がいた、ということが今日の個所に書かれています。いずれも高齢の人々でした。一人は男性、一人は女性。男性の名前はシメオン、女性の名前はアンナといいました。
「そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」
シメオンは、ある特別なお告げを、神さまから与えられていました。
「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げであった、と訳されています。原文から訳し直しますと、「主なるキリストを見るまでは、決して死なない」となります。
とても興味深い内容のお告げであると思います。いろいろと考えさせられるものがあります。
考えさせられることの第一は、「主なるキリストを見るまでは」という言葉の意味は何か、ということです。
新共同訳聖書で「会う」と訳されている「見る」の意味は、実際に目で見えるものを、直接、自分の目で見ることです。
この地上における歴史的出来事として具現化された事物を、体験的に、肉眼で把握し、知覚し、確認することです。
それは、いわば、「信じること」以上です。それが存在すること、あるいは、存在するであろうことを信じているけれども、まだ見たことがないという段階が終わり、次の段階に進んでいるのが「見る」という行為です。
外国旅行のことを考えてみるとよいかもしれません。
わたしには行ってみたい国がありますが、まだ行ったことがありません。その国が存在することは知っていますし、そこにはどのようなものがあるかを学んでもいます。
しかし、行ったことも、見たこともない。致命的とまでは言えませんが、決定的に足りないものを感じます。
わたしは、昨年の今頃、松戸小金原教会の牧師になる準備を始めていました。
以前に一度、特別伝道集会の講師として奉仕させていただきましたので、皆さんはわたしの顔を見てくださっていました。しかし、わたしは、申し訳ないことに、皆さんのお顔をぼんやりとしか覚えておりませんでした。
ですから、わたしは、皆さんを「見に」来ました。遠くで思い出す、というだけでは、限界があるのです。
「主なるキリストを見る」とは、信じること以上です。シメオンは、主なるキリストのお姿を、自分の目で見ることができる、という光栄に与るという約束を与えられていたのです。
考えさせられることの第二は、「決して死なない」という言葉の意味は何か、ということです。
キリストのお姿を見たら必ず死ぬ、という意味ではありません。「見るまでは死なない」とは、少なくともその日までは生きながらえることができる、という意味です。
これは、残念ながら、というべきでしょうか、誰にでも当てはまるという意味での一般的で普遍的な内容のお告げではありません。シメオンだけに特別に与えられた約束です。
ですから、残念ながら、主なるキリストを自分の目で見ることができない人々が、大勢います。わたしたちの場合は、聖書を通してキリストと出会うことができるだけです。
しかし、シメオンは違いました。キリストを見るまでは、決して死なない。生きている間に、主のお姿を見ることができる。このような素晴らしい約束を与えられていたのです。
ところが、そのシメオンに、一抹の不安がありました。彼の年令の問題です。命あるうちに間に合わないかもしれない、という不安であった、と言えるでしょう。
「シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。『主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。』」
「安らかに去らせる」とは、この地上の人生が終わる、という意味です。
シメオンは、彼に与えられた約束を信じて、主なるキリストのご降誕を、今か今かと、心待ちにしていました。
ところが、待てど暮らせど、救い主は来てくださらない。約束は与えられているにもかかわらず、です。彼には、その約束を信じる信仰があったにもかかわらず、です。
それはちょうど、婚約式が終わっているのに、なかなか結婚できない男女の関係のようなものです。余計にせつなく、焦る気持ちばかりが募り、みじめな思いを味わいます。
時間ばかりどんどん過ぎていく。いっそ最初から、約束など無いほうが良かったのに、と後悔する思いさえ、浮かんでくる。
しかし、その約束を最期まで信じ続けることができたのは、シメオンの勝利であると思います。神のお告げである、というその一点ゆえに、信じることができたに違いない。信仰の勝利です。
ところが、シメオンは、もはや、生きていくのも辛いほど、体力的な限界を感じていたのです。
ですから、やっと、です。「安らかに」人生を終えることができる。救い主に出会うことができた。この目で見ることができた。何とか間に合った、ということです。
神さまは、意地悪な方ではありません。しかし、時々、このような切なく苦しい気持ちを、わたしたち人間が味わってしまうようなことをなさいます。わたしたちの信仰の強さを、試しておられるのかもしれません。
「『わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。』」
シメオンは、彼の目の前に現われた救い主を、「あなたの救い」、「万民のために整えてくださった救い」、「異邦人を照らす啓示の光」、「あなたの民イスラエルの誉れ」と呼んでいます。
救い主が来てくださることが、救いそのものです。そして、その救いは、異邦人にも、イスラエルの民にも、示されました。異邦人も、イスラエルの民も、その救いに与ることができます。その意味での「万民のための救い」です。すべての民のための救いです。
このように、シメオンは、イエス・キリストを通して示された神の救いは、民族的枠組みを越えた普遍的な広がりを持っていることを告白しました。これが、救い主イエス・キリストについてシメオンが告白した第一の点です。
「父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。『御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し抜かれます――多くの人の心の中にある思いがあらわにされるためです。』」
イエス・キリストについてのシメオンの告白の第二の点は、救い主が苦しみを受ける、ということです。
「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり」とあります。「立ち上がらせたり」ともありますが、ここでの問題は「倒す」のほうです。「反対を受けるしるし」ともあり、「あなた(マリア)自身も剣で心を刺し貫かれます」とあります。
キリストが、現実のイスラエルの行き方を倒す。倒されまいと、反対もされる。抵抗勢力が生じる。その姿を見て、お腹を痛めてこの子を産んだ母マリアも、辛い立場に立たされる。剣で心を刺し貫かれる。
十字架の上に張りつけにされたイエス・キリストの姿、そしてまた十字架の前で苦しむ母マリアの姿を、シメオンが、心の目で見ていました。
シメオンは、キリストの降誕された姿を見ることには間に合いましたが、十字架と復活、その後のキリスト教会の誕生には、間に合いませんでした。
しかし、それは、一人一人の人間には、それぞれの時代にあって、それぞれに異なる、それぞれの役割がある、ということを示している、と語ることが許されるでしょう。
そのような例を聖書の中に探しはじめるならば、枚挙にいとまがありません。
たとえば、モーセは、イスラエルの民を引き連れてエジプトから脱出しましたが、約束の地カナンの地が見えるほどの距離にまで近づいたにもかかわらず、カナンに入ることができぬまま、亡くなりました。
モーセは決定的に重要な役割を担いましたが、彼の祈りには、適わなかったこともあったのです。
しかし、それでも、モーセは満足しました。シメオンも満足しました。
彼らは、満足な人生を送りました。安らかに去ることができました。なぜでしょうか。
わたしは、まだ年若き者ですので、こんなことを言うと、馬鹿だと思われるかもしれません。しかし、真面目な話、最近しょっちゅう考えさせられていることは、あと何年牧師ができるか、ということです。
日本キリスト改革派教会が定める70才定年引退の日まで、残り31年です。たった31年しか残っていない、と感じるのです。
なぜそう思うのでしょうか。わたしたちに神さまが与えてくださっている仕事の規模が、あまりに大きすぎる、と感じるからです。たったの31年くらいでは、わずかなことしかできそうにないからです。
これは、牧師だけの話ではありません。
すべてのキリスト者に委ねられている仕事は、30年、50年、100年という単位で、成し遂げられていきます。その中で、一人一人は、ほんのわずかなことを成しうるのみです。なすべきことは、山のようにあるのです。
シメオンも、あるいはモーセも、われわれと同じ思いを持っていたに違いありません。
シメオンは、イエス・キリストを自分の目で見ることができて満足しました。神の壮大で遠大なご計画の中で、このわたしもまた何か一つでも役割を果たすことができた、ということに満足したのです。
そのようなことにこそ、ひとは、喜びを見出し、希望を見出すのです。
わたしたちは、松戸小金原教会と日本キリスト改革派教会の成長と発展を見て、心から満足するでしょう。これこそが、わたしたちの希望です。
まだ見ていないのだが、と思わないでください。今、ここで、神のご計画が進められています。わたしたちは、今、ここで、それを見ているのです。
(2004年12月26日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月26日日曜日
2004年12月24日金曜日
すべての人々を救うために
テトスへの手紙2・11~15
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」
わたしたちは今、クリスマスイヴの礼拝をささげております。たくさんの讃美、聖歌隊の讃美、ヴァイオリンとピアノによる讃美、そして小学生たちによる聖書朗読など、豊かな恵みをいただくことができ、感謝です。
今お読みいたしましたのは、使徒パウロが伝道者仲間であるテトスに宛てて書いたとされる手紙の一節です。
テトスは、クレタ島にいました。世界で最も美しい海として知られるエーゲ海にある、最も美しい島です。そこで、テトスは大切な仕事をしていました。まだそこにキリスト教の教会が存在していない地域、という意味での「伝道未開拓」の地域に新しく教会を生み出す仕事です。開拓伝道と呼ばれます。
そのことが分かるように書いているのが、1・5の御言葉です。「あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。」
どこかの町に教会が新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。
教会が新しく生まれると聞いて、多くの人々が思い浮かべることは、新しい教会の建物が立つことでしょう。新しい教会の建物ができる、ということも、大切なことです。しかし、いわばもっと大切なことがある、とわたしたちは考えてきました。
そこに少なくとも二人以上の「長老」が選ばれる必要があるのだ、と。牧師を加えた少なくとも三名以上の議員による「小会」が形成される必要があるのだ、と。
もちろん、長老たちが選ばれ、小会が形成されれば、それで終わりというわけではなく、さらに教会が組織化され、制度化され、現実的・実際的に運営されていく、という必要があるのだ、と。
なぜなら、教会とは建物ではなく、人(ひと)だからです。救い主イエス・キリストを信じる信仰によって心から喜びつつ、礼拝と奉仕をささげている人々が、集まっている。それこそが教会なのです。
当時のクレタ島は、ほとんどの島民にとってはキリスト教の「キ」の字も無かった頃です。それでも、その中の一握りの人々が、新しく宣べ伝えられた信仰を受け入れ、パウロたちが主宰する諸集会に定期的に出席してくれるようになったのでしょう。
しかも、いくつかの町ごとに分かれた複数の集会が生まれていました。そこで、パウロが去ったあと、テトスに残された仕事は、複数の集会の中から長老となるべき人を選び出すこと、そしてその長老たちを中心とした教会組織を作り上げて行くことだったのです。
そのような状況の中で、パウロは、テトスにこの手紙を書き送りました。そして、この手紙の中で特に強調していることは、新しい信仰としてのキリスト教信仰を受け入れた人々は、やはり、それまでとはいくらか違った「生き方」をしなければならない、ということです。
「教会」というところに通いはじめた。最初は、おそるおそる近づいてきた。何となく敷居が高いとも感じていた。しかし、そこで教えられている信仰に、次第に目が開かされてきた。そして、やがて信仰を受け入れ、キリスト教の洗礼を受け、ついに「キリスト者」と公に名乗って生きるようになった。
そのような変化が、人生の中にもたらされた。
そのときに起こらなければならないことは何か。考え方、物の見方、価値観などが変わるにすぎないのか。それとも、生き方そのもの、生活態度にも変化が起こるのか。そこで起こるのは、"頭の中だけの変化"にすぎないのか。"体全体の変化"も伴うのか。
パウロが書いている勧めの内容は、それほど特殊なことではないと思います。見方にもよりますが、ごく普通のテーブルマナーや、一般常識程度のことです。あまりお酒を飲みすぎてはなりませんとか、思慮深く振る舞いなさいとか、良い行いの模範になりなさい、など。
「そんなの、どうでもよいことではないか。たとえそれが教会であっても、たとえそれが聖書に基づいている言葉であるといっても、このわたしの個人の生き方や立ち居振る舞いについて、こうしろ、ああしろと、とやかく言われることなど、真っ平です」と思われてしまうかもしれません。
あるいは、もう少し生真面目な人々からは、「わたしは大酒を飲むのをやめられないし、思慮深い人間にもなれない。まして、誰かの模範になることなど絶対にできません。こんなふうに言われてしまうならば、わたしはキリスト教に入ることができません」と言われてしまう理由になるかもしれません。
そのようないろいろな反応を、わたしたちは、いろんな機会に何度も聞いてきましたので、よく知っています。しかし、だからといって、わたしたちは、その先の言葉を語ることができないわけではありません。
パウロも書いています。「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません」(2・15)。
キリスト教の信仰をもって生きるようになった人々には、体全体の変化、存在そのものの変化がそこに必ず伴うのだ、ということを語ることにおいて、わたしたちは、だれにも侮られてはならないのです。
その意味での「わたしたちの人生における変化」を、パウロは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」という言葉で表現しています。そこで起こるのは、神の恵みによって救われた人々の人生が、そのことにふさわしいものへと作りかえられるという出来事です。
そして、もう一つ言えることは、生活の変化ということでわたしたちが思い描いてよいことは、この手紙の文脈を考えてみると明らかに、教会の組織とか制度というような次元の事柄と、決して無関係ではありえない、ということです。
パウロが書いているのは、教会の「長老」や「執事」や「監督」(この文脈では「牧師」の意味です)としてふさわしいのはどういう人々であるかとか、教会の交わりを大切にしていくためには、どのような生き方をすべきか、ということです。
ここで問われていることは、地上の教会に集まる人々の姿です。毎週の礼拝や諸集会に定期的に出席するようになるとか、役員として奉仕することなど、です。
このような、教会の具体的・実際的な活動に参加していく中で、わたしたちの生活が、だんだんと作りかえられて行くのです。
もっとはっきり言えば、教会の行事に、わたしたちの生活を重ね合わせていこうとするときに、それが起こるのです。
日曜日は朝早く出かけ、教会の礼拝に出席する。それでは、土曜日のお酒は少し控え目にしましょうとか、できるだけ早く眠りましょう、といった感じのことです。
言ってみれば、その程度のことにすぎません。しかし、そのようなことが、場合によっては、人生の大問題にもなりうるのです。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは」という意味は、キリストが十字架の上で御自身の命をささげてくださったことだけではありません。
加えて、フィリピの信徒への手紙2・6〜7に書かれているように、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」というクリスマスの出来事を含んでいます。
神の御子が人間となられたこと自体が、わたしたちのために御自身をささげてくださることなのです。
それは、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだった」とパウロは言います。「良い行いに熱心な民」、これが教会です。
神の御子が地上の人間としてお生まれになったのは、キリストの体なる教会をこの地上にお立てになるためです。
クリスマスの出来事の目的は、地上に教会を生み出すためです。それは、教会に連なる人々が「良い行いに熱心な民」となり、教会の中で、良い行いを行い、良い人生を生きることができるようになるためです。
クリスマスイブに、このように、みんなで教会に集まって礼拝をささげることも、そうです。クリスマスに最もふさわしいことは、教会に集まることです。
教会には、高級ホテルのようなディナーも、豪華な飾りも、美味しいお酒もありません。しかし、ここにはわたしたちの心を満たしてくれるものがあります。神の恵みがあります。
今夜初めて教会の礼拝に来てくださったという方は、ぜひメールで感想を寄せてください。プレゼントを差し上げたいと思います。
「よかった」でも「つまらなかった」でも構いません。わたしたちはこれがクリスマスの本当の祝い方であると信じています。そのことを、すべての人々に分かっていただきたいのです。
(2004年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)
「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。」
わたしたちは今、クリスマスイヴの礼拝をささげております。たくさんの讃美、聖歌隊の讃美、ヴァイオリンとピアノによる讃美、そして小学生たちによる聖書朗読など、豊かな恵みをいただくことができ、感謝です。
今お読みいたしましたのは、使徒パウロが伝道者仲間であるテトスに宛てて書いたとされる手紙の一節です。
テトスは、クレタ島にいました。世界で最も美しい海として知られるエーゲ海にある、最も美しい島です。そこで、テトスは大切な仕事をしていました。まだそこにキリスト教の教会が存在していない地域、という意味での「伝道未開拓」の地域に新しく教会を生み出す仕事です。開拓伝道と呼ばれます。
そのことが分かるように書いているのが、1・5の御言葉です。「あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。」
どこかの町に教会が新しく生まれるとは、どういうことでしょうか。
教会が新しく生まれると聞いて、多くの人々が思い浮かべることは、新しい教会の建物が立つことでしょう。新しい教会の建物ができる、ということも、大切なことです。しかし、いわばもっと大切なことがある、とわたしたちは考えてきました。
そこに少なくとも二人以上の「長老」が選ばれる必要があるのだ、と。牧師を加えた少なくとも三名以上の議員による「小会」が形成される必要があるのだ、と。
もちろん、長老たちが選ばれ、小会が形成されれば、それで終わりというわけではなく、さらに教会が組織化され、制度化され、現実的・実際的に運営されていく、という必要があるのだ、と。
なぜなら、教会とは建物ではなく、人(ひと)だからです。救い主イエス・キリストを信じる信仰によって心から喜びつつ、礼拝と奉仕をささげている人々が、集まっている。それこそが教会なのです。
当時のクレタ島は、ほとんどの島民にとってはキリスト教の「キ」の字も無かった頃です。それでも、その中の一握りの人々が、新しく宣べ伝えられた信仰を受け入れ、パウロたちが主宰する諸集会に定期的に出席してくれるようになったのでしょう。
しかも、いくつかの町ごとに分かれた複数の集会が生まれていました。そこで、パウロが去ったあと、テトスに残された仕事は、複数の集会の中から長老となるべき人を選び出すこと、そしてその長老たちを中心とした教会組織を作り上げて行くことだったのです。
そのような状況の中で、パウロは、テトスにこの手紙を書き送りました。そして、この手紙の中で特に強調していることは、新しい信仰としてのキリスト教信仰を受け入れた人々は、やはり、それまでとはいくらか違った「生き方」をしなければならない、ということです。
「教会」というところに通いはじめた。最初は、おそるおそる近づいてきた。何となく敷居が高いとも感じていた。しかし、そこで教えられている信仰に、次第に目が開かされてきた。そして、やがて信仰を受け入れ、キリスト教の洗礼を受け、ついに「キリスト者」と公に名乗って生きるようになった。
そのような変化が、人生の中にもたらされた。
そのときに起こらなければならないことは何か。考え方、物の見方、価値観などが変わるにすぎないのか。それとも、生き方そのもの、生活態度にも変化が起こるのか。そこで起こるのは、"頭の中だけの変化"にすぎないのか。"体全体の変化"も伴うのか。
パウロが書いている勧めの内容は、それほど特殊なことではないと思います。見方にもよりますが、ごく普通のテーブルマナーや、一般常識程度のことです。あまりお酒を飲みすぎてはなりませんとか、思慮深く振る舞いなさいとか、良い行いの模範になりなさい、など。
「そんなの、どうでもよいことではないか。たとえそれが教会であっても、たとえそれが聖書に基づいている言葉であるといっても、このわたしの個人の生き方や立ち居振る舞いについて、こうしろ、ああしろと、とやかく言われることなど、真っ平です」と思われてしまうかもしれません。
あるいは、もう少し生真面目な人々からは、「わたしは大酒を飲むのをやめられないし、思慮深い人間にもなれない。まして、誰かの模範になることなど絶対にできません。こんなふうに言われてしまうならば、わたしはキリスト教に入ることができません」と言われてしまう理由になるかもしれません。
そのようないろいろな反応を、わたしたちは、いろんな機会に何度も聞いてきましたので、よく知っています。しかし、だからといって、わたしたちは、その先の言葉を語ることができないわけではありません。
パウロも書いています。「十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません」(2・15)。
キリスト教の信仰をもって生きるようになった人々には、体全体の変化、存在そのものの変化がそこに必ず伴うのだ、ということを語ることにおいて、わたしたちは、だれにも侮られてはならないのです。
その意味での「わたしたちの人生における変化」を、パウロは「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」という言葉で表現しています。そこで起こるのは、神の恵みによって救われた人々の人生が、そのことにふさわしいものへと作りかえられるという出来事です。
そして、もう一つ言えることは、生活の変化ということでわたしたちが思い描いてよいことは、この手紙の文脈を考えてみると明らかに、教会の組織とか制度というような次元の事柄と、決して無関係ではありえない、ということです。
パウロが書いているのは、教会の「長老」や「執事」や「監督」(この文脈では「牧師」の意味です)としてふさわしいのはどういう人々であるかとか、教会の交わりを大切にしていくためには、どのような生き方をすべきか、ということです。
ここで問われていることは、地上の教会に集まる人々の姿です。毎週の礼拝や諸集会に定期的に出席するようになるとか、役員として奉仕することなど、です。
このような、教会の具体的・実際的な活動に参加していく中で、わたしたちの生活が、だんだんと作りかえられて行くのです。
もっとはっきり言えば、教会の行事に、わたしたちの生活を重ね合わせていこうとするときに、それが起こるのです。
日曜日は朝早く出かけ、教会の礼拝に出席する。それでは、土曜日のお酒は少し控え目にしましょうとか、できるだけ早く眠りましょう、といった感じのことです。
言ってみれば、その程度のことにすぎません。しかし、そのようなことが、場合によっては、人生の大問題にもなりうるのです。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは」という意味は、キリストが十字架の上で御自身の命をささげてくださったことだけではありません。
加えて、フィリピの信徒への手紙2・6〜7に書かれているように、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました」というクリスマスの出来事を含んでいます。
神の御子が人間となられたこと自体が、わたしたちのために御自身をささげてくださることなのです。
それは、「わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだった」とパウロは言います。「良い行いに熱心な民」、これが教会です。
神の御子が地上の人間としてお生まれになったのは、キリストの体なる教会をこの地上にお立てになるためです。
クリスマスの出来事の目的は、地上に教会を生み出すためです。それは、教会に連なる人々が「良い行いに熱心な民」となり、教会の中で、良い行いを行い、良い人生を生きることができるようになるためです。
クリスマスイブに、このように、みんなで教会に集まって礼拝をささげることも、そうです。クリスマスに最もふさわしいことは、教会に集まることです。
教会には、高級ホテルのようなディナーも、豪華な飾りも、美味しいお酒もありません。しかし、ここにはわたしたちの心を満たしてくれるものがあります。神の恵みがあります。
今夜初めて教会の礼拝に来てくださったという方は、ぜひメールで感想を寄せてください。プレゼントを差し上げたいと思います。
「よかった」でも「つまらなかった」でも構いません。わたしたちはこれがクリスマスの本当の祝い方であると信じています。そのことを、すべての人々に分かっていただきたいのです。
(2004年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイヴ礼拝)
2004年12月19日日曜日
この喜びの日を祝おう クリスマス礼拝
ルカによる福音書2・8~20
2004年度 松戸小金原教会クリスマス礼拝
関口 康
今日は、クリスマス礼拝です。わたしたちは、今日、救い主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いするために集まってきました。
また今日、三名の方々が新しく松戸小金原教会の会員になりました。本当に素晴らしいことであり、大いに喜ぶべきことです。
この喜びの日を、みんなで心からお祝いしたいと思います。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」
「主の栄光」とは、そこに主なる神御自身がおられることを示す、天の光です。その光が彼らの周りを照らしました。
そのとき、何が起こったのでしょうか。天におられる神が、彼らに近づいてこられた、ということです。しかし、それだけではありません。神のおられる天そのものが、彼らのいる地上の世界へと、近づいてきたのです。
「天」と申しました。これを「天国」と呼ぼうと、「神の国」と呼ぼうと、同じことです。それぞれに別の場所があるわけではありません。
「天」とは神がおられる場所のことです。それはどこなのか、ということについては、説明しがたいものがあります。神がおられる場所が「天」なのです。
そして、この天が地上の世界に近づいてきた、ということは、天とは動くものである、ということです。
そのように考えるのでなければ、わたしたちキリスト者がいつも祈っている「御国を来たらせたまえ」という主の祈りの言葉の意味を理解することはできません。
「御国を来たらせたまえ」とは「御国が来ますように」、つまり、神のおられる天そのものが、わたしたちのいる地上の世界へと近づいてきますように、という意味です。
わたしたち夫婦が、事あるごとに二人の子どもたちに言い聞かせていることは、こうです。一般的には理解されないことかもしれません。
「ぼくたちは、『死んだら天国に行く』のではないよ。天国のほうから、ぼくたちのほうに来てくれるんだよ。天国は『行くところ』ではなくて、『来てくれるところ』なんだよ。そんなふうに、いつも祈っているじゃないか」。
救い主イエス・キリストがお生まれになったとき、ベツレヘムの羊飼いたちのいる場所で起こった出来事も、まさにそのことでした。「主の栄光が周りを照らした」。天国が、彼らに近づいてきたのです!
しかし、彼らは、そのことを、非常に恐れました。当然のことかもしれません。
天国が近づいてきた、ということを、わたしたちならば、どのように考えるでしょうか。
やはり、そこでどうしても考えてしまうことは、地上の人生がついに終わる、ということではないでしょうか。「お迎えに来る」という言い方があるくらいです。
羊飼いたちが自分の死を覚悟しなければならないほどの苦境に立たされていたかどうかは分かりません。厳しい労働を強いられていたとか、生命の危険があった、というようなことは、どこにも書かれていません。
しかし、人生の終わりは、ある日突然、何の予告もなく、やってくることがある、ということも事実です。天国が向こうから突然近づいてくる、ということは、人間の恐怖の理由でもあるのです。
ところが、天使の言葉は、羊飼いたちに、安心と喜びを与えるものでした。
「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
天使が告げたのは、大きな喜びの知らせでした。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という知らせでした。
ひとまず明らかなことは、「天国が近づいてくる」という出来事の意味は「わたしの人生が終わる」ということだけではない、ということです。
「わたしたちのために救い主がお生まれになる」ということも、言葉の十分な意味で「天国が近づいてくること」なのです。
神の御子イエス・キリストは、わたしたちと同じ姿で、わたしたちのいる地上の世界にお産まれになりました。それは、わたしたちのいるこの地上に、真の救いがもたらされた、ということです。
わたしたちがイエス・キリストとの出会いを果たし、救われる場所は、この地上において、なのです。
なぜわたしは、このようなことを強調するのでしょうか。わたしたちの時代に生きている多くの人々が、地上での生活に絶望しているからです。
もちろん、それは今に始まったことではありません。
地上には救いがない。世界は邪悪な力で満ちている。暴力があり、殺人があり、戦争がある。わたしたちは、ここでどんなに長く生きていても、何の救いもないし、喜びもないし、希望もない。
そのように感じている人々、人生が嫌になっている人々が、たくさんいるのです。
しかし、そうではないのだ、と。この地上に、あなたがたのために、救い主がお産まれになったのだと、主なる神は、天使を通して、羊飼いたちに教えてくださいました。
死んだら天国に行けるのだから、早く天国からお迎えに来てもらいたい。地上の人生など一刻も早く終わりにしたい、などと考えるのは、やめなさいと、主なる神は、わたしたちにも教えてくださっているのです。
たとえ、傷だらけ、あざだらけの人生であるとしても、です。生きることが大切です。そして、この人生の中で、救い主なるキリストと現実に出会い、現実に救われることこそが大切なのです。
天使は、羊飼いたちに、今日お産まれになった乳飲み子は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている、と教えることによって、その方を探しに行くように促しました。
救い主は、あなたがたのすぐ近くにおられる。歩いて行ける距離に、同じ町の中におられる。そして、「その方だ」と、見ればすぐ分かるようなお姿をしておられる。
そのことを、天使を通して、主なる神は、彼らに教えてくださいました。
なぜ飼い葉桶なのか、なぜ家畜小屋なのかについての説明はありません。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と書かれています。しかし、これは原因ではあっても、理由ではありません。
ただ、おそらく一つだけ、わたしたちに知らされていることがあります。
それは、ここで「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」ということこそが、羊飼いたちがその方を救い主であると識別するための「しるし」である、と語られていることです。
ここで考えさせられることは、ベツレヘムの羊飼いたちが、そのとき置かれていた境遇は、どのようなものであったか、ということです。
言い換えるなら、“彼らにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものであったか、ということです。
わたしたち自身のこととして考えてみると、よく分かるでしょう。“わたしたちにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものでしょうか。
おそらく、わたしたちの多くは、「ごく普通の生活」をしています。そういう自覚があると思います。
この、ごく普通の生活をしている、ごく普通の人間たちにとって、自分自身の生活感覚からして、あまりにもかけ離れた姿を持つ存在を「わたしの救い主」と信じて告白することができるでしょうか。
「わたしの救い主」は、少なくとも、まさか、人生のすべてを贅沢で埋め尽くしているような存在の姿ではないだろう、と思われるのです。
贅沢のすべてがいけない、という話ではありません。わたしは今、そういう話をしようとしているのではありません。
しかし、貧しさや飢えに苦しんでいる人々が現実に存在するにもかかわらず、そのようなことに関心も配慮もなく、贅沢な人生を送っているような存在を、誰が尊敬するでしょうか。そんな救い主を、誰が信じるでしょうか。
むしろ、誰よりも貧しい姿で、枕して眠る場所もないような苦境に置かれている、そのようなお方こそ、わたしたちの人生の柱とし、支えとして信じ、受け入れるべき存在なのである、ということが語られているのです。
「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」
ベツレヘムの平原に、天使の賛美の歌声が、響きわたりました。この歌の内容も、神のおられる天とわたしたち人間の住む地上の世界との関係は、どのようなものであるのか、ということに関わっています。
そして、ここでも思い起こすべきは、「御国を来たらせたまえ」という祈りの言葉です。神の御子イエス・キリストのご降誕によって、神の栄光が輝く御国が地上に近づいてきたのです。
地上で、ひとが救われるのです。現実の救いを、地上で体験できるのです。
そして、その救いは「地上の平和」という形でもたらされるのだ、と信じてよいのです。
「地上の平和」などないではないか、と叫びたくなるような現実の中にあっても、です。わたしたちは、それを熱心に祈り求める必要があります。
地上にいるかぎり、その祈りをやめることはできません。その祈りをやめるならば、まさに、真の絶望に陥るのです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」という訳は適切なものです。しかし、ギリシア語の原文を見ますと、もっと端的で、もっと意味深い言葉が書かれていることが分かります。
「御心に適う人」〔アンスローポイス・エウドキアース〕の「御心」〔エウドキア〕とは、わたしたち改革派教会が重んじるウェストミンスター信仰告白などでグッド・プレジャー・オブ・ゴッド(Good pleasure of God)と訳されている言葉です。
グッド・プレジャー(Good pleasure)のグッド(Good)は「善い」であり、プレジャー(pleasure)は「喜び」という意味です。ですから、直訳するならば「神の善い喜び」ということになりますが、そのような日本語はありません。「善意」とか「好意」と訳すことはできるでしょう。
しかし、それこそが、ここで「御心」と訳されている言葉の真意です。そうだとすれば、せめて、「喜びに満ちあふれた神の御心」と訳したいところです。神の御心の中身は「喜び」なのです!
「御心に適う人」とは「喜びに満ちあふれた神の御心に適う人」のことであり、要するに「喜びの人」です。
それは"永遠に神を喜ぶ"人です。しかし、それだけではありません。
だれよりも先に神御自身が「喜ぶ存在」である、ということを知り、神の喜びをわたしの喜びとして受け入れ、わたし自身が喜びに満たされて生きることができる人のことです。
地上に平和が実現することを神御自身が喜んでくださるのです。その喜びをこのわたしの喜びとすることができる人。それが「御心に適う人」です。
救い主イエス・キリストのご降誕という出来事の真の意味は、父なる神が、御子をお遣わしくださったことによって、御子を信じる者たちが、この地上の人生を喜ぶことができるようにしてくださった、ということです。
救いも、平和も、喜びも、生きながらにして体験し、味わうことができるものなのだ、ということを、神御自身が示してくださったのです。
歩いて行ける距離のところに、救いが実現しているのです。
だからこそ、です。
人生に絶望してはなりません!
恐れることなく生きていきましょう!
遠慮なく喜びましょう!
わたしたちの救い主は、いつもわたしたちと共におられるのです。
(2004年12月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年度 松戸小金原教会クリスマス礼拝
関口 康
今日は、クリスマス礼拝です。わたしたちは、今日、救い主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いするために集まってきました。
また今日、三名の方々が新しく松戸小金原教会の会員になりました。本当に素晴らしいことであり、大いに喜ぶべきことです。
この喜びの日を、みんなで心からお祝いしたいと思います。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」
「主の栄光」とは、そこに主なる神御自身がおられることを示す、天の光です。その光が彼らの周りを照らしました。
そのとき、何が起こったのでしょうか。天におられる神が、彼らに近づいてこられた、ということです。しかし、それだけではありません。神のおられる天そのものが、彼らのいる地上の世界へと、近づいてきたのです。
「天」と申しました。これを「天国」と呼ぼうと、「神の国」と呼ぼうと、同じことです。それぞれに別の場所があるわけではありません。
「天」とは神がおられる場所のことです。それはどこなのか、ということについては、説明しがたいものがあります。神がおられる場所が「天」なのです。
そして、この天が地上の世界に近づいてきた、ということは、天とは動くものである、ということです。
そのように考えるのでなければ、わたしたちキリスト者がいつも祈っている「御国を来たらせたまえ」という主の祈りの言葉の意味を理解することはできません。
「御国を来たらせたまえ」とは「御国が来ますように」、つまり、神のおられる天そのものが、わたしたちのいる地上の世界へと近づいてきますように、という意味です。
わたしたち夫婦が、事あるごとに二人の子どもたちに言い聞かせていることは、こうです。一般的には理解されないことかもしれません。
「ぼくたちは、『死んだら天国に行く』のではないよ。天国のほうから、ぼくたちのほうに来てくれるんだよ。天国は『行くところ』ではなくて、『来てくれるところ』なんだよ。そんなふうに、いつも祈っているじゃないか」。
救い主イエス・キリストがお生まれになったとき、ベツレヘムの羊飼いたちのいる場所で起こった出来事も、まさにそのことでした。「主の栄光が周りを照らした」。天国が、彼らに近づいてきたのです!
しかし、彼らは、そのことを、非常に恐れました。当然のことかもしれません。
天国が近づいてきた、ということを、わたしたちならば、どのように考えるでしょうか。
やはり、そこでどうしても考えてしまうことは、地上の人生がついに終わる、ということではないでしょうか。「お迎えに来る」という言い方があるくらいです。
羊飼いたちが自分の死を覚悟しなければならないほどの苦境に立たされていたかどうかは分かりません。厳しい労働を強いられていたとか、生命の危険があった、というようなことは、どこにも書かれていません。
しかし、人生の終わりは、ある日突然、何の予告もなく、やってくることがある、ということも事実です。天国が向こうから突然近づいてくる、ということは、人間の恐怖の理由でもあるのです。
ところが、天使の言葉は、羊飼いたちに、安心と喜びを与えるものでした。
「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」
天使が告げたのは、大きな喜びの知らせでした。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」という知らせでした。
ひとまず明らかなことは、「天国が近づいてくる」という出来事の意味は「わたしの人生が終わる」ということだけではない、ということです。
「わたしたちのために救い主がお生まれになる」ということも、言葉の十分な意味で「天国が近づいてくること」なのです。
神の御子イエス・キリストは、わたしたちと同じ姿で、わたしたちのいる地上の世界にお産まれになりました。それは、わたしたちのいるこの地上に、真の救いがもたらされた、ということです。
わたしたちがイエス・キリストとの出会いを果たし、救われる場所は、この地上において、なのです。
なぜわたしは、このようなことを強調するのでしょうか。わたしたちの時代に生きている多くの人々が、地上での生活に絶望しているからです。
もちろん、それは今に始まったことではありません。
地上には救いがない。世界は邪悪な力で満ちている。暴力があり、殺人があり、戦争がある。わたしたちは、ここでどんなに長く生きていても、何の救いもないし、喜びもないし、希望もない。
そのように感じている人々、人生が嫌になっている人々が、たくさんいるのです。
しかし、そうではないのだ、と。この地上に、あなたがたのために、救い主がお産まれになったのだと、主なる神は、天使を通して、羊飼いたちに教えてくださいました。
死んだら天国に行けるのだから、早く天国からお迎えに来てもらいたい。地上の人生など一刻も早く終わりにしたい、などと考えるのは、やめなさいと、主なる神は、わたしたちにも教えてくださっているのです。
たとえ、傷だらけ、あざだらけの人生であるとしても、です。生きることが大切です。そして、この人生の中で、救い主なるキリストと現実に出会い、現実に救われることこそが大切なのです。
天使は、羊飼いたちに、今日お産まれになった乳飲み子は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている、と教えることによって、その方を探しに行くように促しました。
救い主は、あなたがたのすぐ近くにおられる。歩いて行ける距離に、同じ町の中におられる。そして、「その方だ」と、見ればすぐ分かるようなお姿をしておられる。
そのことを、天使を通して、主なる神は、彼らに教えてくださいました。
なぜ飼い葉桶なのか、なぜ家畜小屋なのかについての説明はありません。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と書かれています。しかし、これは原因ではあっても、理由ではありません。
ただ、おそらく一つだけ、わたしたちに知らされていることがあります。
それは、ここで「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」ということこそが、羊飼いたちがその方を救い主であると識別するための「しるし」である、と語られていることです。
ここで考えさせられることは、ベツレヘムの羊飼いたちが、そのとき置かれていた境遇は、どのようなものであったか、ということです。
言い換えるなら、“彼らにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものであったか、ということです。
わたしたち自身のこととして考えてみると、よく分かるでしょう。“わたしたちにとって”、その方こそが救い主であると“感じる”ことができる姿は、どのようなものでしょうか。
おそらく、わたしたちの多くは、「ごく普通の生活」をしています。そういう自覚があると思います。
この、ごく普通の生活をしている、ごく普通の人間たちにとって、自分自身の生活感覚からして、あまりにもかけ離れた姿を持つ存在を「わたしの救い主」と信じて告白することができるでしょうか。
「わたしの救い主」は、少なくとも、まさか、人生のすべてを贅沢で埋め尽くしているような存在の姿ではないだろう、と思われるのです。
贅沢のすべてがいけない、という話ではありません。わたしは今、そういう話をしようとしているのではありません。
しかし、貧しさや飢えに苦しんでいる人々が現実に存在するにもかかわらず、そのようなことに関心も配慮もなく、贅沢な人生を送っているような存在を、誰が尊敬するでしょうか。そんな救い主を、誰が信じるでしょうか。
むしろ、誰よりも貧しい姿で、枕して眠る場所もないような苦境に置かれている、そのようなお方こそ、わたしたちの人生の柱とし、支えとして信じ、受け入れるべき存在なのである、ということが語られているのです。
「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」
ベツレヘムの平原に、天使の賛美の歌声が、響きわたりました。この歌の内容も、神のおられる天とわたしたち人間の住む地上の世界との関係は、どのようなものであるのか、ということに関わっています。
そして、ここでも思い起こすべきは、「御国を来たらせたまえ」という祈りの言葉です。神の御子イエス・キリストのご降誕によって、神の栄光が輝く御国が地上に近づいてきたのです。
地上で、ひとが救われるのです。現実の救いを、地上で体験できるのです。
そして、その救いは「地上の平和」という形でもたらされるのだ、と信じてよいのです。
「地上の平和」などないではないか、と叫びたくなるような現実の中にあっても、です。わたしたちは、それを熱心に祈り求める必要があります。
地上にいるかぎり、その祈りをやめることはできません。その祈りをやめるならば、まさに、真の絶望に陥るのです。
「地には平和、御心に適う人にあれ」という訳は適切なものです。しかし、ギリシア語の原文を見ますと、もっと端的で、もっと意味深い言葉が書かれていることが分かります。
「御心に適う人」〔アンスローポイス・エウドキアース〕の「御心」〔エウドキア〕とは、わたしたち改革派教会が重んじるウェストミンスター信仰告白などでグッド・プレジャー・オブ・ゴッド(Good pleasure of God)と訳されている言葉です。
グッド・プレジャー(Good pleasure)のグッド(Good)は「善い」であり、プレジャー(pleasure)は「喜び」という意味です。ですから、直訳するならば「神の善い喜び」ということになりますが、そのような日本語はありません。「善意」とか「好意」と訳すことはできるでしょう。
しかし、それこそが、ここで「御心」と訳されている言葉の真意です。そうだとすれば、せめて、「喜びに満ちあふれた神の御心」と訳したいところです。神の御心の中身は「喜び」なのです!
「御心に適う人」とは「喜びに満ちあふれた神の御心に適う人」のことであり、要するに「喜びの人」です。
それは"永遠に神を喜ぶ"人です。しかし、それだけではありません。
だれよりも先に神御自身が「喜ぶ存在」である、ということを知り、神の喜びをわたしの喜びとして受け入れ、わたし自身が喜びに満たされて生きることができる人のことです。
地上に平和が実現することを神御自身が喜んでくださるのです。その喜びをこのわたしの喜びとすることができる人。それが「御心に適う人」です。
救い主イエス・キリストのご降誕という出来事の真の意味は、父なる神が、御子をお遣わしくださったことによって、御子を信じる者たちが、この地上の人生を喜ぶことができるようにしてくださった、ということです。
救いも、平和も、喜びも、生きながらにして体験し、味わうことができるものなのだ、ということを、神御自身が示してくださったのです。
歩いて行ける距離のところに、救いが実現しているのです。
だからこそ、です。
人生に絶望してはなりません!
恐れることなく生きていきましょう!
遠慮なく喜びましょう!
わたしたちの救い主は、いつもわたしたちと共におられるのです。
(2004年12月19日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月12日日曜日
イエスの誕生
ルカによる福音書2・1〜7
関口 康
今日の聖書の個所に記されているのは、神の御子イエス・キリストのご降誕の次第です。
神の御子は、人間の母マリアからお産まれになりました。お母さんのお腹が大きくなり、そのお腹の中から子どもが産まれるという、そのこと自体はどこにでもある、ごく普通の出来事が起こりました。
しかし、そのようにして産まれた子どもは、神の御子であられました。決して普通ではない、全く特別な出来事が起こったのです。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」
当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でした。ルカは、イエス・キリストの誕生の出来事を、ローマ皇帝アウグストゥスが、ユダヤを含むローマ帝国の全領土の住民に、住民登録をするようにとの勅令を出した、という歴史的出来事へと関連付けています。
住民登録の目的は、ローマ帝国に税金を納める義務を負う人々の数を調べることであったと言われます。その「最初の」住民登録が実施された、ということは、このとき以前には実施されていなかったことを示しています。
これは明らかに、ローマ帝国によるユダヤへの締め付けが、それまで以上に強化されたことを意味しています。
税金の問題、と言われると、わたしたちにとっても決して他人事ではないでしょう。毎日の生活に直接かかわる事柄です。
生活上の苦しみが増し加わるとき、人々の心の苦しみも必ず増し加わります。ユダヤの人々にとっては間違いなく屈辱的なことでした。しかし、逆らう術を持たない一般市民には、どうすることもできないことでした。
「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」
ヨセフとマリアも、住民登録をするために出かけました。出かけ“なければなりません”でした。マリアは身重の体で、ヨセフはマリアをかばいながら、長く苦しい旅をしなければなりませんでした。
ごく普通に考えてみて、妊娠中の女性が長旅を強いられるというのは、ひどい話です。ドクターストップものです。また、どんなことであれ、否応なく、強制的に何かをさせられる、ということ自体、腹立たしいことです。
しかし、そのようなこともまた、力なき一般市民にとっては抵抗することのできない運命として受け入れざるをえないことでした。
しかしまた、ルカがこのことを記している目的は、ただ単に、力なき彼らが従わざるをえなかった過酷な運命を描くことだけではない、と思われます。
実際、ルカは、たとえば、彼らの置かれた境遇はどんなものであったのか、とか、そのとき彼らが感じたことは何であったか、というようなことについては、一言も記していません。「彼らは嫌々ながら出かけて行った」とか「ローマ皇帝の勅令を怨みながら出かけて行った」というようなことは、一切書いていません。
むしろ、ルカが積極的に記していることは、御子イエス・キリストがお産まれになった場所が、ヨセフが住民登録をするために出かけて行ったダビデの町ベツレヘムであった、ということです。
明らかに「強いられた」という仕方で行かざるをえなかった彼らの旅行の行く先として指し示されたベツレヘムの地で起こった出来事は、主なる神がイスラエルの民に約束してくださっていたことの実現として起こったことである、ということです。
キリストがベツレヘムでお産まれになることについての聖書的根拠に関しては、マタイによる福音書2・4以下に書かれていることが、参考になります。
イエス・キリストがお産まれになったことを知って駆けつけた東方の博士たちの言葉を聞いたヘロデ王が、民の祭司長たちや律法学者たちに、メシアの生まれる場所について聖書にはどう書いているかを調べさせた結果、彼らは次のように答えました。
「彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』」
ここで彼らが引用しているのは、旧約聖書のミカ書5・1です。ただし、実際のミカ書を見ますと、内容は違っているように見えます。
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」
このような違いがどうして起こったのかは分かりません。しかし、ベツレヘムからイスラエルの牧者ないしイスラエルを治める者が出る、という最も大切な点については、一致しています。
ですから、このように語ることができます。
待望されたメシアは、ベツレヘムで産まれる。そのことは、あらかじめ約束されていた。その約束の成就が起こるために、ヨセフとマリアは、ベツレヘムに出かけなければならなかった。
ところが、彼らが出かけなければならなかった直接の原因ないし理由は、ローマ皇帝アウグストゥスの命令であった。アウグストゥスがそれを命令したのは、彼自身の政治的野望の具体化でもあった。
そうであるならば、アウグストゥスの野望は、彼自身の思いや計画を越えて、メシアとしてのキリストがベツレヘムで産まれる、という主なる神御自身の約束の実現のために「用いられた」と理解する他はない、と。
わたしは今、このように語りながら、とんでもないことを口にしているような気がしています。ローマ皇帝の政治的野望は、神御自身がお与えになったものである、と言っているのと同じことですから。そんなことがあってたまるか、とお叱りを受けるかもしれません
しかし、このようなことが実際にありうる、ということは、じつは、聖書のそこかしこに見出すことができます。
最も有名な個所の一つは、旧約聖書・出エジプト記の最初の部分に登場するエジプト王ファラオの例です。
主なる神は、モーセに対し、エジプトにいるイスラエルの民を約束の地カナンに連れて行くようにお命じになります。ところが、そのモーセたちのエジプト脱出計画をエジプト王ファラオが再三にわたって阻止しようとします。
そのファラオの行為は、モーセたちを激しく悩ませ、苦しめるものとなるのですが、なんと、ファラオの心をそのように頑なにしているのは、他ならぬ主なる神御自身である、ということが、はっきりと書かれているのです(出エジプト記7・3など)。
他にも、似たような例があります。
創世記37章以下に出てくるヨセフ物語を、皆さんはよくご存知であると思います。ヤコブの十一番目の息子ヨセフが、父の寵愛を受けていたことを、十人の兄たちが妬み、弟ヨセフをエジプトの奴隷商人に銀二十枚で売り飛ばしてしまう、という物語です。
ところが、そのヨセフが、なんと、エジプトの国務大臣になります。そして、ヨセフの兄弟たちが飢饉に悩まされ、エジプトに助けを求めに来たときに、彼らの命を助ける役目を、ヨセフ自身が果たします。
そのときにヨセフが、かつて彼自身を売り飛ばした兄弟たちに対して語ったのが、次の言葉でした。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45・4〜5)。
もちろん、これは、ヨセフ自身が語った一種の信仰告白です。しかし、彼が信じ、かつ告白している神のなさったことは、ヨセフを売り飛ばした兄たちの行為は、他ならぬ神御自身のご計画であった、ということに他なりません。
“こんなこと”を、“神さま”がなさるのです。モーセたちを苦しめたファラオの心を頑なにしたのは、神御自身である。ヨセフを苦しめた兄弟たちの行為は、神御自身のご計画である。“こんなことをなさる神”を、聖書は証ししているのです!
そして、そうであるならばこそ、イエス・キリストが約束の地ベツレヘムでお産まれになるために、身重のマリアと夫ヨセフに苦しい長旅をさせたローマ皇帝アウグストゥスの政治的野望もまた、神御自身のご計画にあって「用いられた」のだ、と語ることができるのです。
ひどい話といえば、こんなにひどい話はない、と言わなければならないほどです。しかし、これこそが、神さまのなさり方です。
主なる神は、わたしたちには思いも寄らない仕方で、想像を絶する仕方で、天地万物を支配し、保ち、御心のままに導いておられます。神のご計画の量りがたさを思わずにはいられません。
主なる神御自身が天地万物を支配しておられ、悪魔的な人々のわざでさえもご自身のご支配の下に置いておられるというこの信仰を、わたしたちは、「神の摂理」を信じる信仰と呼びます。
ハイデルベルク信仰問答の第27問に「神の摂理」についての解説が記されています。
「神の全能の、いま働く力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。また、神がこの力によって、これらを統治しておられますので、木の葉も草も、雨も旱魃(ひでり)も、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります。」
「実らぬ年も」です。「病い」も「貧困」も、と告白されています。神の摂理というと、神からいただく良いものばかり、と考えがちですが、わたしたちを苦しめ、困らせるものも、摂理的に与えられるものなのです。
「神さま、そんなものは要りません。どうか取り除けてください」と、思わず言いたくなるかもしれません。
しかしまた、神の摂理というものは、わたしたちにとって、嫌なことばかりであり、主なる神への不信感の原因となるばかりである、というわけでは決してない、と語ることができます。
視野を少し広げて考えてみると分かります。モーセたちの邪魔をしたファラオも、ヨセフを売り飛ばした兄弟たちも、ヨセフとマリアを苦しめたアウグストゥスも、すべては主なる神の力強いご支配の下にある罪人たちにすぎないことが、分かるのです。
そして、そのような悪魔的な人々をも、主なる神は、御自身のご支配の下に置いておられます。神の許しなしには、彼らもまた、何一つ行うことができないのです。
そうであるならば、神を畏れる者たちは、そのような悪魔的な人々を恐れる必要が全くありません。彼らは、まさか神ではなく、神以上の存在でもないのです。
この信仰を告白することができるとき、わたしたちは、まことの神だけを畏れ、他の何ものをも恐れない、まことの強さを身につけることができるのです。
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
ヨセフとマリアには、さらに嫌なことが続きました。
彼らは、目的地であるベツレヘムには、何とか到着しました。そして、マリアは、初めての子どもを産みました。ところが、その子どもを飼い葉桶に寝かせた、というのです。
どこの親が、自分の子どもを、飼い葉桶に寝かせたいと思うでしょうか。ありえないことです。
しかし、ルカは、彼らの心の中の思いを描き出すことなしに書いています。このこと自体は驚くべきことです。
また、一つ指摘しておきたいことは、今日の個所にはまだ、イエス・キリストのご降誕に伴う"喜びの要素"が全く語られていない、ということです。
どちらかというと、嫌な話ばかりです。"苦しみの要素"ばかりです。「神の摂理」とは、これほどまでに過酷で苦しいものなのか、と思わせられるようなことばかりです。
また、このたび初めて気づかされたことがあります。
マタイによる福音書でも、ルカによる福音書でも、イエスさまがお産まれになったとき、ヨセフやマリア自身が「喜んだ」とは書かれていない、ということです。
東方の博士やベツレヘムの羊飼いの「喜び」については書かれています。ところが、ヨセフとマリアの「喜び」については、どこにも書かれていません。まるで、彼ら自身は喜んでいなかったかのようです。
しかし、どうかご安心ください。
神の摂理のみわざの下にあって本当の苦しみを苦しみぬいたこの夫婦に、本当の喜びが与えられました。
まさに東方の博士たちが、羊飼いたちが、小さな羊たちが、天使の軍勢が、御子のご降誕を、心から喜んでくれたではありませんか。
マリアとヨセフとしては、「産みの苦しみ」をさんざん味わわされ、閉口するばかりだったかもしれません。
しかし、彼らの苦しみの結果として起こった、神の御子イエス・キリストのご降誕の出来事を、心から喜ぶ人々の笑顔を見て、大いなる慰めを得たに違いありません。
今日の午後、日曜学校のクリスマス会を行います。子どもたちが、クリスマス劇をしてくれます。一生懸命に準備してくださった先生たちと生徒の皆さんに、感謝いたします。ご苦労もあったと思います。
今日こそ、みんなで楽しもうではありませんか!
(2004年12月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
関口 康
今日の聖書の個所に記されているのは、神の御子イエス・キリストのご降誕の次第です。
神の御子は、人間の母マリアからお産まれになりました。お母さんのお腹が大きくなり、そのお腹の中から子どもが産まれるという、そのこと自体はどこにでもある、ごく普通の出来事が起こりました。
しかし、そのようにして産まれた子どもは、神の御子であられました。決して普通ではない、全く特別な出来事が起こったのです。
「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」
当時のユダヤは、ローマ帝国の属国でした。ルカは、イエス・キリストの誕生の出来事を、ローマ皇帝アウグストゥスが、ユダヤを含むローマ帝国の全領土の住民に、住民登録をするようにとの勅令を出した、という歴史的出来事へと関連付けています。
住民登録の目的は、ローマ帝国に税金を納める義務を負う人々の数を調べることであったと言われます。その「最初の」住民登録が実施された、ということは、このとき以前には実施されていなかったことを示しています。
これは明らかに、ローマ帝国によるユダヤへの締め付けが、それまで以上に強化されたことを意味しています。
税金の問題、と言われると、わたしたちにとっても決して他人事ではないでしょう。毎日の生活に直接かかわる事柄です。
生活上の苦しみが増し加わるとき、人々の心の苦しみも必ず増し加わります。ユダヤの人々にとっては間違いなく屈辱的なことでした。しかし、逆らう術を持たない一般市民には、どうすることもできないことでした。
「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」
ヨセフとマリアも、住民登録をするために出かけました。出かけ“なければなりません”でした。マリアは身重の体で、ヨセフはマリアをかばいながら、長く苦しい旅をしなければなりませんでした。
ごく普通に考えてみて、妊娠中の女性が長旅を強いられるというのは、ひどい話です。ドクターストップものです。また、どんなことであれ、否応なく、強制的に何かをさせられる、ということ自体、腹立たしいことです。
しかし、そのようなこともまた、力なき一般市民にとっては抵抗することのできない運命として受け入れざるをえないことでした。
しかしまた、ルカがこのことを記している目的は、ただ単に、力なき彼らが従わざるをえなかった過酷な運命を描くことだけではない、と思われます。
実際、ルカは、たとえば、彼らの置かれた境遇はどんなものであったのか、とか、そのとき彼らが感じたことは何であったか、というようなことについては、一言も記していません。「彼らは嫌々ながら出かけて行った」とか「ローマ皇帝の勅令を怨みながら出かけて行った」というようなことは、一切書いていません。
むしろ、ルカが積極的に記していることは、御子イエス・キリストがお産まれになった場所が、ヨセフが住民登録をするために出かけて行ったダビデの町ベツレヘムであった、ということです。
明らかに「強いられた」という仕方で行かざるをえなかった彼らの旅行の行く先として指し示されたベツレヘムの地で起こった出来事は、主なる神がイスラエルの民に約束してくださっていたことの実現として起こったことである、ということです。
キリストがベツレヘムでお産まれになることについての聖書的根拠に関しては、マタイによる福音書2・4以下に書かれていることが、参考になります。
イエス・キリストがお産まれになったことを知って駆けつけた東方の博士たちの言葉を聞いたヘロデ王が、民の祭司長たちや律法学者たちに、メシアの生まれる場所について聖書にはどう書いているかを調べさせた結果、彼らは次のように答えました。
「彼らは言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」』」
ここで彼らが引用しているのは、旧約聖書のミカ書5・1です。ただし、実際のミカ書を見ますと、内容は違っているように見えます。
「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」
このような違いがどうして起こったのかは分かりません。しかし、ベツレヘムからイスラエルの牧者ないしイスラエルを治める者が出る、という最も大切な点については、一致しています。
ですから、このように語ることができます。
待望されたメシアは、ベツレヘムで産まれる。そのことは、あらかじめ約束されていた。その約束の成就が起こるために、ヨセフとマリアは、ベツレヘムに出かけなければならなかった。
ところが、彼らが出かけなければならなかった直接の原因ないし理由は、ローマ皇帝アウグストゥスの命令であった。アウグストゥスがそれを命令したのは、彼自身の政治的野望の具体化でもあった。
そうであるならば、アウグストゥスの野望は、彼自身の思いや計画を越えて、メシアとしてのキリストがベツレヘムで産まれる、という主なる神御自身の約束の実現のために「用いられた」と理解する他はない、と。
わたしは今、このように語りながら、とんでもないことを口にしているような気がしています。ローマ皇帝の政治的野望は、神御自身がお与えになったものである、と言っているのと同じことですから。そんなことがあってたまるか、とお叱りを受けるかもしれません
しかし、このようなことが実際にありうる、ということは、じつは、聖書のそこかしこに見出すことができます。
最も有名な個所の一つは、旧約聖書・出エジプト記の最初の部分に登場するエジプト王ファラオの例です。
主なる神は、モーセに対し、エジプトにいるイスラエルの民を約束の地カナンに連れて行くようにお命じになります。ところが、そのモーセたちのエジプト脱出計画をエジプト王ファラオが再三にわたって阻止しようとします。
そのファラオの行為は、モーセたちを激しく悩ませ、苦しめるものとなるのですが、なんと、ファラオの心をそのように頑なにしているのは、他ならぬ主なる神御自身である、ということが、はっきりと書かれているのです(出エジプト記7・3など)。
他にも、似たような例があります。
創世記37章以下に出てくるヨセフ物語を、皆さんはよくご存知であると思います。ヤコブの十一番目の息子ヨセフが、父の寵愛を受けていたことを、十人の兄たちが妬み、弟ヨセフをエジプトの奴隷商人に銀二十枚で売り飛ばしてしまう、という物語です。
ところが、そのヨセフが、なんと、エジプトの国務大臣になります。そして、ヨセフの兄弟たちが飢饉に悩まされ、エジプトに助けを求めに来たときに、彼らの命を助ける役目を、ヨセフ自身が果たします。
そのときにヨセフが、かつて彼自身を売り飛ばした兄弟たちに対して語ったのが、次の言葉でした。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(創世記45・4〜5)。
もちろん、これは、ヨセフ自身が語った一種の信仰告白です。しかし、彼が信じ、かつ告白している神のなさったことは、ヨセフを売り飛ばした兄たちの行為は、他ならぬ神御自身のご計画であった、ということに他なりません。
“こんなこと”を、“神さま”がなさるのです。モーセたちを苦しめたファラオの心を頑なにしたのは、神御自身である。ヨセフを苦しめた兄弟たちの行為は、神御自身のご計画である。“こんなことをなさる神”を、聖書は証ししているのです!
そして、そうであるならばこそ、イエス・キリストが約束の地ベツレヘムでお産まれになるために、身重のマリアと夫ヨセフに苦しい長旅をさせたローマ皇帝アウグストゥスの政治的野望もまた、神御自身のご計画にあって「用いられた」のだ、と語ることができるのです。
ひどい話といえば、こんなにひどい話はない、と言わなければならないほどです。しかし、これこそが、神さまのなさり方です。
主なる神は、わたしたちには思いも寄らない仕方で、想像を絶する仕方で、天地万物を支配し、保ち、御心のままに導いておられます。神のご計画の量りがたさを思わずにはいられません。
主なる神御自身が天地万物を支配しておられ、悪魔的な人々のわざでさえもご自身のご支配の下に置いておられるというこの信仰を、わたしたちは、「神の摂理」を信じる信仰と呼びます。
ハイデルベルク信仰問答の第27問に「神の摂理」についての解説が記されています。
「神の全能の、いま働く力です。神はこの力によって、天と地と、その中にあるすべての被造物を、いまも、手で支えるように、保持しておられます。また、神がこの力によって、これらを統治しておられますので、木の葉も草も、雨も旱魃(ひでり)も、豊かな実りの年も実らぬ年も、食べ物も飲み物も、健康も病いも、豊かさも貧困も、これらすべてが、偶然にではなく、慈しみ深き父としての神の御手から、わたしたちに届くのであります。」
「実らぬ年も」です。「病い」も「貧困」も、と告白されています。神の摂理というと、神からいただく良いものばかり、と考えがちですが、わたしたちを苦しめ、困らせるものも、摂理的に与えられるものなのです。
「神さま、そんなものは要りません。どうか取り除けてください」と、思わず言いたくなるかもしれません。
しかしまた、神の摂理というものは、わたしたちにとって、嫌なことばかりであり、主なる神への不信感の原因となるばかりである、というわけでは決してない、と語ることができます。
視野を少し広げて考えてみると分かります。モーセたちの邪魔をしたファラオも、ヨセフを売り飛ばした兄弟たちも、ヨセフとマリアを苦しめたアウグストゥスも、すべては主なる神の力強いご支配の下にある罪人たちにすぎないことが、分かるのです。
そして、そのような悪魔的な人々をも、主なる神は、御自身のご支配の下に置いておられます。神の許しなしには、彼らもまた、何一つ行うことができないのです。
そうであるならば、神を畏れる者たちは、そのような悪魔的な人々を恐れる必要が全くありません。彼らは、まさか神ではなく、神以上の存在でもないのです。
この信仰を告白することができるとき、わたしたちは、まことの神だけを畏れ、他の何ものをも恐れない、まことの強さを身につけることができるのです。
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
ヨセフとマリアには、さらに嫌なことが続きました。
彼らは、目的地であるベツレヘムには、何とか到着しました。そして、マリアは、初めての子どもを産みました。ところが、その子どもを飼い葉桶に寝かせた、というのです。
どこの親が、自分の子どもを、飼い葉桶に寝かせたいと思うでしょうか。ありえないことです。
しかし、ルカは、彼らの心の中の思いを描き出すことなしに書いています。このこと自体は驚くべきことです。
また、一つ指摘しておきたいことは、今日の個所にはまだ、イエス・キリストのご降誕に伴う"喜びの要素"が全く語られていない、ということです。
どちらかというと、嫌な話ばかりです。"苦しみの要素"ばかりです。「神の摂理」とは、これほどまでに過酷で苦しいものなのか、と思わせられるようなことばかりです。
また、このたび初めて気づかされたことがあります。
マタイによる福音書でも、ルカによる福音書でも、イエスさまがお産まれになったとき、ヨセフやマリア自身が「喜んだ」とは書かれていない、ということです。
東方の博士やベツレヘムの羊飼いの「喜び」については書かれています。ところが、ヨセフとマリアの「喜び」については、どこにも書かれていません。まるで、彼ら自身は喜んでいなかったかのようです。
しかし、どうかご安心ください。
神の摂理のみわざの下にあって本当の苦しみを苦しみぬいたこの夫婦に、本当の喜びが与えられました。
まさに東方の博士たちが、羊飼いたちが、小さな羊たちが、天使の軍勢が、御子のご降誕を、心から喜んでくれたではありませんか。
マリアとヨセフとしては、「産みの苦しみ」をさんざん味わわされ、閉口するばかりだったかもしれません。
しかし、彼らの苦しみの結果として起こった、神の御子イエス・キリストのご降誕の出来事を、心から喜ぶ人々の笑顔を見て、大いなる慰めを得たに違いありません。
今日の午後、日曜学校のクリスマス会を行います。子どもたちが、クリスマス劇をしてくれます。一生懸命に準備してくださった先生たちと生徒の皆さんに、感謝いたします。ご苦労もあったと思います。
今日こそ、みんなで楽しもうではありませんか!
(2004年12月12日、松戸小金原教会主日礼拝)
2004年12月11日土曜日
わたしはあなたと共にいる
ヨシュア記1・5~9
今日は、初めて日本国際ギデオン協会千葉北支部の例会に出席し、奨励の奉仕をさせていただくことができますことを、心より感謝しております。
わたしは松戸小金原教会に今年の4月に赴任しました。3月までは山梨県の教会におりました。その前は、高知県や福岡県の教会で、牧師として働いていました。
わたしの行く先々に、ギデオン協会支部があり、非常に活発な活動がなされていました。高知県にいたときに、高知で全国大会が行われました。福岡県に行きましたら、次の全国大会は福岡県で開きましょうという計画を聞かされました。
全国大会が開催される地域のギデオン協会の支部は、ふだんから活発な活動がなされているところではないでしょうか。
そして、ギデオン協会といっても、そこに参加しているのは、その地の教会の信徒の方々です。間違いなく言いうることは、ギデオンが活発な地域では、教会も活発であるということです。
また、活発であるだけではなく、健全です。聖書の御言を少しでも多くの人々に何とかして読んでもらいたいという動機が、不純なわけがないのです。
そして、どの地の教会でも、ギデオン協会に関わっている人々の多くは教会の役員です。その教会の中で柱となっている方々です。
わたしの確信は、ギデオン協会が活発である地域は、教会が活発になり、健全になる、ということです。これは、お世辞で言っているのではなく、本当にそう思っております。
さて、先ほど司会の方が、旧約聖書のヨシュア記1・5~9を読んでくださいました。モーセの後継者ヨシュアに対して、主なる神御自身が語られた御言葉です。わたしの本当に大好きな御言葉でもあります。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
神の民イスラエルは、40年の間、モーセという力強い指導者に率いられて、カナンの地を目指して、砂漠の旅を続けてきました。
しかし、人間に与えられた地上の命は、永遠に続くものではありません。わたしたち信仰によって生きる者たちには、永遠の命というものが約束されているにせよ、とにかく一度は死ななければなりません。とにかく一度は、死の力が、わたしたちの行く手をさえぎるのです。
神の民イスラエルに起こった問題も、まさにそのことでした。指導者モーセが死んだ。そのため、すみやかに、指導者の交代が起こらなければならなかったのです。
そこで、主なる神が神の民イスラエルの次の指導者としてお選びになったのが、ヨシュアでした。モーセは、主の命令に従い、ヨシュアにすべての職務を委ねました。
しかし、当時のヨシュアは、誰の目から見ても頼りなさを感じる、年若い人物でした。年令がすべてではないと言われるかもしれませんが、指導力やカリスマ性から考えると、天と地ほどの差があった、と思われるのです。
また、この種の問題は、周りの人々がどう見るかということよりも、本人の自覚や思いはどうか、ということのほうが重要だったりします。
「わたしは、まだ若いので、指導力が足りない。そのような重い責任は、わたしには負いきれない」と自分で思い込んでしまう。そう感じた途端、腰や足の力が抜けて、やる気を失い、指導力を発揮できなくなる人々もいるのです。
ヨシュアはどうだったでしょうか。彼自身は、弱音を吐かない人でした。彼の弱音を記した個所は、聖書の中には、ほとんど見当たりません。
しかし、それは彼が強かったからでしょうか。精神的にも・肉体的にも強靭な人物だったからでしょうか。そうではないでしょう。
むしろ、主なる神御自身が、ヨシュアに対して、いつも、「わたしは、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ」と語りかけ、励まし続けてくださったから、重い職務を担うことができたのです。
神の御言が彼の存在とわざを、年若き頃から地上の人生の終わりに至るまで、力強く支え続けたのです。
少し気になる点を指摘しておきます。「わたしはモーセと共にいたように」(5節)とか、「わたしの僕モーセが命じた律法を」(7節)と書かれている個所です。
ここで強調されていることは、ヨシュアは、あくまでも「モーセの後継者」である、ということです。それ以上でも・それ以下でもない、ということです。
実際問題として言いうることは、初代の開拓者と二代目以降の後継者との間には、根本的な違いがある、ということです。このことは、否定したくてもできない、動かしがたい事実であり、現実です。
牧師仲間たちの中にも、初代の開拓者と比較されて、悩んだり、苦しんだり、腹を立てたりする人々を、しばしば見かけます。
しかし、わたしは、この種の問題については、よくも悪しくも開き直るしかない、と受けとめています。
開拓者には開拓者に固有な喜びと悩みがあり、後継者には後継者に固有な喜びと悩みがあるからです。
今日の例会の中で、この聖書の個所が読まれた理由を、わたしは知りません。千葉北支部の課題として、世代交代の問題があるのでしょうか。そんなことも全く知りません。もしかしたら、的外れなことを申し上げているのかもしれません。
しかし、今日皆さまにお勧めいたしますことは、主なる神を信じて歩みましょう、ということです。そして、良い意味で開き直って行きましょう、ということです。
あの牧師、あの役員、あの会員は年が若いとか、何が足りないとか、何をしてくれないと、不平不満を言い出したら、きりがありません。この種の不平不満は、世代交代期には避けられないことです。しかし、取るに足らない者を主の御用のために用いてくださる神の選びと召しとを信じて、歩んで行きたいと願います。
そして、主がヨシュアに対して「わたしはモーセと共にいたように」とお語りになったように、今や主は、わたしたちに対しても「わたしはモーセとヨシュアと共にいたように、あなたと共にいる」とお語りになります。イエス・キリストを信じるすべての人々と共に、主なる神が生きて働いてくださいます。
「あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
これは、わたしたちにも、今、主なる神御自身が語りかけてくださっている御言葉です。
ギデオン協会千葉北支部の働きが祝福されますよう、お祈りしております。
(2004年12月11日、日本国際ギデオン協会千葉北支部例会、日本キリスト教団柏教会)
2004年12月5日日曜日
マリアの賛歌
ルカによる福音書1・46~56
わたしたちは今日、アドベント第二主日を過ごしております。
わたしたちはアドベントを「待降節」と訳しますが、アドベントという言葉自体には「待つ」という意味はありません。アドベントの意味は「来る」です。「待望」ではなく「到来」です。
神の御子イエス・キリストがわたしたちのところに到来してくださるのを待ち望む。かつて来てくださり、やがて再び来てくださる主の到来を待ち望む。これがアドベントにふさわしいことです。
さて今日の個所に記されていますのは、マリアの歌です。天使ガブリエルによって救い主イエス・キリストのご降誕の事実を告げられたマリアがうたったとされる歌です。
この歌は、日本でもラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれることがあります。この歌の最初の歌詞である「わたしの魂は主をあがめ」はMagnificat anima mea Dominum(マグニフィカート・アニマ・メア・ドミヌム)といいます。この中の「あがめる」を意味するマグニフィカートが、この歌のタイトルとして覚えられてきたのです。
マリアはこの歌をヨハネの母エリサベトの前で歌いました。エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と言いました。「そこで」マリアは、歌ったのです。
歌の内容に入る前に、エリサベトの言葉の中の最も大切な点を以下三点のみ指摘しておきます。
第一点は、エリサベトがマリアのことをはっきりと「わたしの主の母」と呼んでいる、ということです。
「主」とは、明らかに、神御自身を指して言う言葉です。ですから、エリサベトの言葉は「わたしの神の母」と言っているのと同じである、ということです。マリアは「神の母」と呼ばれたのです。実際、古代教会において、マリアは「神の母」を意味するテオトコスと呼ばれました。
これは異端的な表現ではありません。マリアの存在を正しく適切に示す表現として、教会において正統的に受け入れられました。わたしたちの教会の信仰によると、イエス・キリストは端的に神御自身である、と告白しなければならないのです。
第二点は、エリサベトの言葉の中に出てくる、マリアの挨拶の声を聞いて喜んで踊った「胎内の子」とは、バプテスマのヨハネのことである、ということです。
とくに興味深く感じましたのは「踊った」というこの表現です。非常に面白い表現ですし、またとても素晴らしい翻訳であると感じました。
外国の聖書を調べてみましたところ、たいていの場合「喜んで跳ねる」(leap for joy; huepfen vor Freunde; van vreugde opspringen等)という意味の言葉で訳されていました。
しかし日本語の「踊る」は明らかにダンスを連想させます。ダンシング・ベイビーです!この幼子こそがバプテスマのヨハネなのです。
第三点は、エリサベトがマリアに語りかけた言葉とマリアの歌との間には関係があるかどうか、ということです。
マリアの歌の内容は必ずしも、エリサベトの言葉への返事とは言えないと思われます。そのような対応関係は見当たりません。むしろ、マリアが歌っている内容は、彼女自身の体験です。全く個人的な体験です。
また、もう一つ明らかなことは、このマリアの歌には明らかにモデルがあったということです。旧約聖書サムエル記上2・1〜10の「ハンナの祈り」です。読み比べてみると非常に似ていることが分かります。
マリアは当然「ハンナの祈り」の言葉を聖書を通して学び、よく知っていたに違いありません。マリアは、それを思い起こし、ハンナの体験と自分自身の体験とを重ね合わせて見ているのです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
「わたしの魂は」とか「わたしの霊は」と言われています。ハンナの祈りでは、「わたしの心は」と言われています。これは、「わたし自身は」という意味です。
旧約聖書の言語であるヘブライ語には、自分自身(I myself)とかそれ自体(itself)ということを表現するためのselfに当たる再帰代名詞が存在しないので、このように表現するしかなかったと言われます。マリアはこの旧約聖書的な表現を、ハンナの祈りから受け継いでいます。
わたしの「魂」や「霊」だけが、あるいは「心」だけが、神を讃美するのではありません。このわたし自身の存在そのものが、そしてわたしの全身全霊が、救い主なる神を讃美するのです。
「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」
マリアは、わたしが救い主なる神を喜び、讃美する理由は何であるかを述べています。
その際、彼女は自分のことを「身分の低い、主のはしため」と呼んでいます。この表現はハンナの祈りにはありません。
これについては、二つの読み方が考えられます。
本当は身分が高いのに、謙遜の表現として、自分自身をおとしめている、というような読み方がありえます。
しかし、そうではないという読み方もありえます。後者のほうが正しいと、わたしは考えます。マリアは当時のいわゆるこの世的な価値判断においては実際に「身分が低い」と見られても仕方がないような境遇や立場にあったのです。
裕福であるとはとても言えない。人から誉められたり羨ましがられたりするようなところも、特に何もない。むしろ、人から軽んじられることのほうが多いと感じる。
そのようなことで悩んだり、なんとなく憂うつな気持ちになったり、人生に絶望したりしている人は、おそらく非常に多いのだと思います。
しかし、何も持っていないほうが気楽と感じることもきっとあるでしょう。そのほうが多いかもしれません。
あの人はたくさん持っている、と思われている人が、意外に不満だらけの人生を送っているということがありえます。ごく一般論として「世の中にはお金で買えないものがある」と言われるではありませんか。
マリアは、人からうらやましがられるようなものをわたしは何一つ持っていない、と自覚しています。しかしわたしは幸せである。わたしの心は喜びで満たされている。そして今や神を喜び、讃美している。なぜなら、神がこのわたしのことを顧みてくださったからである、と歌っているのです。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」
これは、マリアが本当に喜んでいた様子がよく分かる表現であると思います。
たしかにマリアは、自分が神さまから顧みられたことを喜んでいます。しかし、その彼女は明らかに、そのことをできるだけ多くの人々に知らせたいと願っていることが分かるのです。
なぜならば、マリアのことを、今から後、いつの世の人も、"あの人は幸せ者である"と語り継いでいくためには、まず最初にマリア自身が、自分の身に起こった出来事を多くの人々に語る必要があるからです。この喜びを誰かに伝えたいという意思が伝わってくるのです。
ただし、そうは言いましても、ところ構わず、だれかれなしにそういう話をしますと、自慢話のように聞かれてしまいます。煙たがられたり誤解されたりすると思いますので注意が必要です。
教会なら大丈夫です。同じ信仰を持つ仲間ならば、安心して「神さまの話」「信仰の話」ができます。
実際、そのことは、マリアにも当てはまるでしょう。「今から後、いつの世の人も」彼女を幸せ者であると言うのは、そのことを語り伝える聖書と教会があるからです。聖書と教会の存在を抜きにして考えることは、できません。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
ここは、マリアの歌の中で、おそらく最も具体的なことが語られている個所でしょう。ただし、ここで歌われている内容は、かなりの部分において、ハンナの祈りと重なり合います。
「勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
食べ飽きている者はパンのために雇われ
飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み 多くの子を持つ女は衰える。
主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。」
(サムエル記上2・4〜8)
上のものが下になり、下のものが上になる。天地万物のすべてが逆さまになっていく様子が、描き出されています。
このことが神の民イスラエルに起こるというのです。「アブラハムとその子孫」に起こる。信仰によって義とされたすべての人は「アブラハムの子孫」であると使徒パウロは言いました。わたしたち教会の者たちも「アブラハムの子孫」なのです。
その出来事についてマリアの歌では「権力ある者をその座から引き降ろす」と言われ、またハンナの祈りでは「勇士の弓は折られる」と言われて、いずれも国家権力とか戦争などを示す、非常にはっきりとした政治的な表現が使われています。
ですから、ここには政治的なことが語られていると考えることもできるでしょう。
しかし、イエス・キリストの存在のみわざは、政治よりもはるかに大きいのです。政治のほうが大きいのではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、イエス・キリストは、政治的な問題よりも、より大きく、より根本的な問題に触れているのです。
「思い上がる者を打ち散らす」とあります。傲慢の罪が問題だということです。身分や地位や名誉そのものがただちに悪いわけではないのです。それらのものが人間を傲慢にするかぎりにおいて悪いのです。
この、まさに最も根本的な問題としての「傲慢の罪」から生じるすべての問題を解決するために、救い主が来てくださったのです。
神の御子であられる方が、ご自分の立場を捨てて人間になられました。それによって、まことの「謙遜」を示してくださいました。この最も謙遜なお方を前にして、すべての人の傲慢が明らかにされたのです。
すべての傲慢な人間に“鉄槌”を食らわすために、謙遜な主イエス・キリストが来てくださったのです。
マリアがその人生の中で実際にどのような問題で悩んでいたかということは、わたしたちには知る由もありません。彼女の身近に誰か傲慢な人がいて、困らされていたのでしょうか。そのようなことも、全く分かりません。
しかし人間の傲慢の罪、このわたし自身の傲慢の罪の大きさと深さを知らされるとき、この罪から、このわたしを、わたしたちを、だれが救い出してくださるのだろうか、と祈り願う思いは、時代や歴史、人種や民族を越えて、共通のものがあります。
(2004年12月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
わたしたちは今日、アドベント第二主日を過ごしております。
わたしたちはアドベントを「待降節」と訳しますが、アドベントという言葉自体には「待つ」という意味はありません。アドベントの意味は「来る」です。「待望」ではなく「到来」です。
神の御子イエス・キリストがわたしたちのところに到来してくださるのを待ち望む。かつて来てくださり、やがて再び来てくださる主の到来を待ち望む。これがアドベントにふさわしいことです。
さて今日の個所に記されていますのは、マリアの歌です。天使ガブリエルによって救い主イエス・キリストのご降誕の事実を告げられたマリアがうたったとされる歌です。
この歌は、日本でもラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれることがあります。この歌の最初の歌詞である「わたしの魂は主をあがめ」はMagnificat anima mea Dominum(マグニフィカート・アニマ・メア・ドミヌム)といいます。この中の「あがめる」を意味するマグニフィカートが、この歌のタイトルとして覚えられてきたのです。
マリアはこの歌をヨハネの母エリサベトの前で歌いました。エリサベトは聖霊に満たされて「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と言いました。「そこで」マリアは、歌ったのです。
歌の内容に入る前に、エリサベトの言葉の中の最も大切な点を以下三点のみ指摘しておきます。
第一点は、エリサベトがマリアのことをはっきりと「わたしの主の母」と呼んでいる、ということです。
「主」とは、明らかに、神御自身を指して言う言葉です。ですから、エリサベトの言葉は「わたしの神の母」と言っているのと同じである、ということです。マリアは「神の母」と呼ばれたのです。実際、古代教会において、マリアは「神の母」を意味するテオトコスと呼ばれました。
これは異端的な表現ではありません。マリアの存在を正しく適切に示す表現として、教会において正統的に受け入れられました。わたしたちの教会の信仰によると、イエス・キリストは端的に神御自身である、と告白しなければならないのです。
第二点は、エリサベトの言葉の中に出てくる、マリアの挨拶の声を聞いて喜んで踊った「胎内の子」とは、バプテスマのヨハネのことである、ということです。
とくに興味深く感じましたのは「踊った」というこの表現です。非常に面白い表現ですし、またとても素晴らしい翻訳であると感じました。
外国の聖書を調べてみましたところ、たいていの場合「喜んで跳ねる」(leap for joy; huepfen vor Freunde; van vreugde opspringen等)という意味の言葉で訳されていました。
しかし日本語の「踊る」は明らかにダンスを連想させます。ダンシング・ベイビーです!この幼子こそがバプテスマのヨハネなのです。
第三点は、エリサベトがマリアに語りかけた言葉とマリアの歌との間には関係があるかどうか、ということです。
マリアの歌の内容は必ずしも、エリサベトの言葉への返事とは言えないと思われます。そのような対応関係は見当たりません。むしろ、マリアが歌っている内容は、彼女自身の体験です。全く個人的な体験です。
また、もう一つ明らかなことは、このマリアの歌には明らかにモデルがあったということです。旧約聖書サムエル記上2・1〜10の「ハンナの祈り」です。読み比べてみると非常に似ていることが分かります。
マリアは当然「ハンナの祈り」の言葉を聖書を通して学び、よく知っていたに違いありません。マリアは、それを思い起こし、ハンナの体験と自分自身の体験とを重ね合わせて見ているのです。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
「わたしの魂は」とか「わたしの霊は」と言われています。ハンナの祈りでは、「わたしの心は」と言われています。これは、「わたし自身は」という意味です。
旧約聖書の言語であるヘブライ語には、自分自身(I myself)とかそれ自体(itself)ということを表現するためのselfに当たる再帰代名詞が存在しないので、このように表現するしかなかったと言われます。マリアはこの旧約聖書的な表現を、ハンナの祈りから受け継いでいます。
わたしの「魂」や「霊」だけが、あるいは「心」だけが、神を讃美するのではありません。このわたし自身の存在そのものが、そしてわたしの全身全霊が、救い主なる神を讃美するのです。
「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」
マリアは、わたしが救い主なる神を喜び、讃美する理由は何であるかを述べています。
その際、彼女は自分のことを「身分の低い、主のはしため」と呼んでいます。この表現はハンナの祈りにはありません。
これについては、二つの読み方が考えられます。
本当は身分が高いのに、謙遜の表現として、自分自身をおとしめている、というような読み方がありえます。
しかし、そうではないという読み方もありえます。後者のほうが正しいと、わたしは考えます。マリアは当時のいわゆるこの世的な価値判断においては実際に「身分が低い」と見られても仕方がないような境遇や立場にあったのです。
裕福であるとはとても言えない。人から誉められたり羨ましがられたりするようなところも、特に何もない。むしろ、人から軽んじられることのほうが多いと感じる。
そのようなことで悩んだり、なんとなく憂うつな気持ちになったり、人生に絶望したりしている人は、おそらく非常に多いのだと思います。
しかし、何も持っていないほうが気楽と感じることもきっとあるでしょう。そのほうが多いかもしれません。
あの人はたくさん持っている、と思われている人が、意外に不満だらけの人生を送っているということがありえます。ごく一般論として「世の中にはお金で買えないものがある」と言われるではありませんか。
マリアは、人からうらやましがられるようなものをわたしは何一つ持っていない、と自覚しています。しかしわたしは幸せである。わたしの心は喜びで満たされている。そして今や神を喜び、讃美している。なぜなら、神がこのわたしのことを顧みてくださったからである、と歌っているのです。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」
これは、マリアが本当に喜んでいた様子がよく分かる表現であると思います。
たしかにマリアは、自分が神さまから顧みられたことを喜んでいます。しかし、その彼女は明らかに、そのことをできるだけ多くの人々に知らせたいと願っていることが分かるのです。
なぜならば、マリアのことを、今から後、いつの世の人も、"あの人は幸せ者である"と語り継いでいくためには、まず最初にマリア自身が、自分の身に起こった出来事を多くの人々に語る必要があるからです。この喜びを誰かに伝えたいという意思が伝わってくるのです。
ただし、そうは言いましても、ところ構わず、だれかれなしにそういう話をしますと、自慢話のように聞かれてしまいます。煙たがられたり誤解されたりすると思いますので注意が必要です。
教会なら大丈夫です。同じ信仰を持つ仲間ならば、安心して「神さまの話」「信仰の話」ができます。
実際、そのことは、マリアにも当てはまるでしょう。「今から後、いつの世の人も」彼女を幸せ者であると言うのは、そのことを語り伝える聖書と教会があるからです。聖書と教会の存在を抜きにして考えることは、できません。
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
ここは、マリアの歌の中で、おそらく最も具体的なことが語られている個所でしょう。ただし、ここで歌われている内容は、かなりの部分において、ハンナの祈りと重なり合います。
「勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
食べ飽きている者はパンのために雇われ
飢えている者は再び飢えることがない。
子のない女は七人の子を産み 多くの子を持つ女は衰える。
主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ
高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。」
(サムエル記上2・4〜8)
上のものが下になり、下のものが上になる。天地万物のすべてが逆さまになっていく様子が、描き出されています。
このことが神の民イスラエルに起こるというのです。「アブラハムとその子孫」に起こる。信仰によって義とされたすべての人は「アブラハムの子孫」であると使徒パウロは言いました。わたしたち教会の者たちも「アブラハムの子孫」なのです。
その出来事についてマリアの歌では「権力ある者をその座から引き降ろす」と言われ、またハンナの祈りでは「勇士の弓は折られる」と言われて、いずれも国家権力とか戦争などを示す、非常にはっきりとした政治的な表現が使われています。
ですから、ここには政治的なことが語られていると考えることもできるでしょう。
しかし、イエス・キリストの存在のみわざは、政治よりもはるかに大きいのです。政治のほうが大きいのではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、イエス・キリストは、政治的な問題よりも、より大きく、より根本的な問題に触れているのです。
「思い上がる者を打ち散らす」とあります。傲慢の罪が問題だということです。身分や地位や名誉そのものがただちに悪いわけではないのです。それらのものが人間を傲慢にするかぎりにおいて悪いのです。
この、まさに最も根本的な問題としての「傲慢の罪」から生じるすべての問題を解決するために、救い主が来てくださったのです。
神の御子であられる方が、ご自分の立場を捨てて人間になられました。それによって、まことの「謙遜」を示してくださいました。この最も謙遜なお方を前にして、すべての人の傲慢が明らかにされたのです。
すべての傲慢な人間に“鉄槌”を食らわすために、謙遜な主イエス・キリストが来てくださったのです。
マリアがその人生の中で実際にどのような問題で悩んでいたかということは、わたしたちには知る由もありません。彼女の身近に誰か傲慢な人がいて、困らされていたのでしょうか。そのようなことも、全く分かりません。
しかし人間の傲慢の罪、このわたし自身の傲慢の罪の大きさと深さを知らされるとき、この罪から、このわたしを、わたしたちを、だれが救い出してくださるのだろうか、と祈り願う思いは、時代や歴史、人種や民族を越えて、共通のものがあります。
(2004年12月5日、松戸小金原教会主日礼拝)
登録:
投稿 (Atom)