2025年3月16日日曜日

悪と戦うキリスト

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「悪と戦うキリスト」

マタイによる福音書12章22~37節

関口 康

「人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(32節)

先週の説教の中で「バイクのシミュレーター教習」について話したとき、「シュミレーターではありません」と口頭で付け加えました。Simulatorは「シュミ」(趣味?)ではなく「シミュ」です。m(エム)は1つです。「同時に」という意味のsimultaneous(サイマルテイニアス)な仕方で、ある事象を他の時間や場所で再現するための手段が「シミュレーター」です。

もうひとつ気を付けたい言葉は「コミュニケーション」です。「コミニュケーション」と言っている人が時々います。m(エム)は2つです。語源はラテン語communicatio(コムニカティオ)です。近い表現に、共同体をあらわすcommune(コムーネ)や、交わりをあらわすcommunio(コムニオ)があります。使徒信条の「聖徒の交わり」は、communio sanctorum(コムニオ・サンクトールム)です。共産主義はCommunism(コミュニズム)の訳です。

今日の箇所に関係があるので申し上げています。今日は「コミュニケーション」の話です。この箇所に記されているのは、「悪魔に取りつかれている人」(ギリシア語「ダイモニゾメス」)が、目が見えず口が利けない状態で主イエスのもとに連れて来られ、病が癒されたとき、デマを流した人々がいたという話です。

誤解を避けるために最初に申し上げたいのは、西暦1世紀のユダヤ人は、すべての病気や苦しみの原因は「悪霊の憑依(ひょうい)」であって「偶然」ではないと考えていたということです。あえて「悪霊に取りつかれている人」(ダイモニゾメス)と記されているときは、「重い病気を抱えている人」という意味で理解すべきであって、特殊な病気を指すわけではありません。

「デマ」はドイツ語Demagogie(デマゴギー)の略です。故意の虚偽情報のことです。そのとき流されたデマの内容は、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」(24節)というものでした。

デマの発信源は「ファリサイ派の人々」でした。彼らはユダヤ教の主流派であり多数派で、権力を保持し、社会的影響力が大きかったのですが、そういう立場を悪用して、イエスを死刑にするための策略として意図的にデマを流しました。なぜなら、当時のユダヤ教では、魔術を使うことと、悪魔の手下になることは、死刑に値すると考えられていたからです。

ファリサイ派の作戦は、「イエスは悪魔の手下だから悪霊を追い出せる」というデマを流すことでした。それは、群衆の間でイエスの名声を失わせ、死刑でイエスを殺害するという作戦です。

まさに「コミュニケーション」の問題です。コミュニケーションにとっての最大かつ最悪の障害は「デマ」です。「コミュニケーション」にぴったり当てはまる日本語が存在しません。「意思疎通」や「情報交換」などと訳されますが、そういう言葉には収まりきらない、非常に広い意味です。人と人との信頼関係の土台となるものです。

だからこそ、信頼関係で結ばれている人間社会を破壊するために、自分の手を汚さずに行えて、最も効果的な方法はデマを流すことです。私が申し上げているのは「そういうことをしてはいけない」という意味です。デマが人を追い詰め、死に至らしめることがあるということを、私たちは強く自覚しなければなりません。

しかも、ここで私たちがあまり安心しないほうがよいのは、デマを流した張本人がファリサイ派の人々だったという点です。彼らは聖書の研究者であり、宗教の専門家です。そういう人たちが聖書を用いて、「神」の名においてデマを流すので、悪質さの度合いが尋常でないのです。

イエスさまは彼らの考えを見抜いて反論されました。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか」(25-26節)。

私が子どもの頃に「デビルマン」というテレビアニメがありました。子どもの頃に覚えた主題歌が耳に焼き付いて離れません。「悪魔の力を身につけた正義のヒーロー、デビルマン」。しかしそういうことは現実には起こらない、というのがイエスさまのお考えです。悪魔と悪魔が戦ってどちらが勝っても残るのは悪魔なのだから正義が実現することはありえない、という冷静な三段論法です。

「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」(27節)と続きます。最初に申し上げたとおり当時のすべての病気が「悪霊の憑依」によると考えられていたことと関係します。イエスさまがおっしゃっていることの意味はこうです。「あなたがた自身も悪霊を追い出して病気の人を治しておられるはずですが、どうなさっているのでしょうか。『悪魔の手下だから悪魔を追い出せる』という理屈がもし成り立つのであれば、あなたたちこそ悪魔の手下だということになりはしませんか」。とても冷静な論理です。

しかしイエスさまは、ファリサイ派のデマに対して腹に据えかねるものがおありになったと言わざるをえません。「だから、言っておく。人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」(31-32節)とおっしゃいました。

この言葉の背景に「赦される罪と赦されない罪」についてのユダヤ教の教えがあります。西暦1世紀のユダヤ教のラビは「聖霊」を「預言と啓示の霊」であると理解していました。彼らにとっての「赦されない罪」も「聖霊に言い逆らうこと」でしたが、その意味は「トーラー(律法)に逆らうこと」でした。トーラー(律法)は「言葉に言い表された神の御心(意志)」としてとらえられていましたので、それに逆らう罪は赦されません。

しかし、今の説明はユダヤ教の教えですが、イエスさまのおっしゃっていることとは違います。イエスさまも「聖霊に対する冒瀆」を「赦されない罪」だと言っておられますが、問題はその意味です。この意味が私はこれまで分かりませんでした。しかし、やっと分かった気がします。

イエスさまが「赦されない罪」だと言っておられるのは、病気でずっと苦しんできて、それがやっと癒されて、そのことを心から喜んでいる人たちを傷つけるようなことを言い放つことです。実を見て木を知る。良い結果が出たのは良い原因があったことを意味する。悪い原因は悪い結果しか生まない。つまり、悪魔に病気を治せるわけがない。それなのに、長年苦しんできたこの私の病気がやっと癒されたことを「悪魔に病気を治してもらった」かのように言う。けちをつけて、喜んでいる人を傷つける。それが、イエスさまがおっしゃる「赦されない罪」です。

「喜ぶ者と共に喜ぶこと」(ローマ12章15節)が難しいと感じるのは「ねたみ」の仕業であるとファン・ルーラーが書いています(拙訳参照)。「喜びを人に分かつと喜びは2倍になる」とドイツの詩人ティートゲが教えました。それができないどころか、喜んでいる人を苦しみの中に引きずりおろすようなことをしてしまう。それは「ねたみ」の仕業です。

これこそがイエスさまの言われる「赦されない罪」です。イエスさまはこのことを、警告としておっしゃっています。非難ではありません。イエスさまはどこまでも寛容です。

(2025年3月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月15日土曜日

ファン・ルーラーの文章に魅了される日々を送っている

ファン・ルーラー研究文献

【ファン・ルーラーの文章に魅了される日々を送っている】

誤解を避けたいと思ってはいる。実は最近、会議や訪問で外出しているときや礼拝の説教や週報を準備しているとき以外の多くの時間をファン・ルーラーの訳読に注ぎ込んでいる。その意味でサボっていない。だってこれほどの正論はないと思うほどなので。ゆがんだ心がまっすぐになる。炎上するタイプかも。

そもそもファン・ルーラーは自分の所属するオランダ改革派教会(NHK)の人々に読んでもらうためにほとんどの文章を書いた。それをたとえば日本基督教団の我々が読んでも理解できるはずがない。互換デバイスが必要だ。それとファン・ルーラーはジョークが多い。真面目な人が読むとカチンと来るだろう。

扱いに困る言い回しもある。たとえば、今夜読んでいる箇所で、改革派教会の「長老」(de ouderling)の役割を「美容師が女性の髪を整えるように(zoals de kapper de haartooi van dames styleert)、神の栄光のために人間の生を整えること」と表現している。私はこういうのは気になって仕方がない。

そのまま紹介したいと思える感動的な文章もある。改革派教会に「長老」がいるおかげで、強制の面が強くなりがちなビショップ中心の教会より「心を込めて」(hartelijkheid)という性格を教会に与えるという。「長老」は真理を強制せず、話し合って説得しようとする。その分、話が長いという。確かに。

重要な問題提起の宝が次々見つかる。ファン・ルーラーの「教会外のもの」(de buitenkerkelijke)と「教会的でないもの」(het buitenkerkelijke)の区別を私は25年前から重要だと考えて来たが説明が難しい。「教会外のものは教会外にとどまり続けるべきだ」と彼は言うが、あっという間に誤解される。

25年前、ある青年キャンプで主題講演を依頼され、その中でこの話をしたら、怪訝な顔をされた。その場で意見は出なかったが、冷たさや差別のような意味で受け取られた可能性がある。ファン・ルーラーの意図は「神が創造された世界の中にはキリスト教化される必要がない領域がある」ということなのだが。

1969年12月6日付け新聞記事(ファン・ルーラーが62歳で亡くなる1970年12月15日のほぼ1年前)にも「牛の搾乳、畑仕事(lit.穀物の収穫)、商売、機械操作、美の体験、善行」は「教会外のものだ」と記している。「キリスト教化されたバイク」が存在するかどうかという問いに置き換えることができるかも。

長くなったので、そろそろやめる。「長老は話が長い」とファン・ルーラーが書いていることは教師(牧師)にも当てはまる。彼のオランダ語を日本語に訳すよりも、彼の神学を学んだ者たちが自分の言葉で書くなり語るなりするほうが、誤解が少なくて済むと思う。私がいま言おうとしているのはそれだけだ。

2025年3月14日金曜日

2年目のニンジャ牧師

サイドパニア(後部トランクケース)を外したニンジャ1000

【2年目のニンジャ牧師】

教会内にその意識は無いし、無くてよいし、過去にそのような言説をもって教会を方向付けようとした牧師がいた形跡も無いし、無くてよいが、これまでの「経緯」と実際に継承されてきている「空気感」だけからいえば、いわゆる改革派・長老派の流れの、本流に近いものを受け継いでいる教会だと私は思う。

最初は「美竹教会伝道所」。開設者は、東北学院教会(現 仙台広瀬河畔教会)で受洗、青山学院高等部で聖書科教員を長年務め、日本基督教団の「補教師」(按手礼を受けていない教師)に生涯とどまった方。当教会の初期の会員がたの洗礼式は、美竹教会の浅野順一教師の司式による。美竹教会は旧日本基督教会。

教会の特徴はとにかく簡素。礼拝に儀式を意識させる要素はなく、牧師らしさを誇示する服装を好む牧師がいた形跡もない。下町情緒を色濃く残す商店街を出てすぐの通りに面した教会で、奥まった位置にあるわけではないが、教会堂が街並みにあまりに溶け込み、どこに教会があるのか分からないと言われる。

私にとってありがたいのは、当教会が戦後の開拓教会であること。私の岡山の出身教会も、日本基督教団教師としての初任地の高知の教会も、改革派教会教師として働いた2教会(山梨、千葉)も、直前の日本基督教団昭島教会も、すべて戦後の開拓教会。教団内「旧〇〇派」の支配と格闘してきた経緯がある。

日本基督教団の戦後開拓教会の出発は教派枠を超える。私の前任地の昭島教会は阿佐ヶ谷(旧メソジスト)と淀橋(旧ホーリネス)各会員の祈り、横田基地教会宣教師と日本人青年との出会い、旧東京教区(特に銀座の大村勇牧師、富士見町の島村鶴亀牧師)の協力と、旧救世軍の若き伝道者の献身で始まった。

そのような「混合した」教会に疲れを覚えたことが、私がいちど日本基督教団から日本キリスト改革派教会に移籍した理由に含まれていたことを否定しないでおくが、それを言うなら戦後の改革派教会の「混合」の度合いも教団と大差なかった。「混合」の現実からの逃避は全く不可能であると自覚させられた。

いま書いていることで誰かにあてこすったり、どこかを批判したりする意図は無い。私にとって最もネイティヴな「戦後開拓の混合主義教会」の流れをある意味でくみつつ、礼拝中もそうでないときも普段着でいられて、肩がこらない教会の牧師として2年目を迎えることができて良かったと言いたがっている。

2025年3月13日木曜日

『ファン・ルーラー著作集』の訳者の条件(仮説)

2023年3月13日付けのFacebook投稿

【『ファン・ルーラー著作集』の訳者の条件(仮説)】

これが2年前(2023年3月13日)。この時点で7巻を残すのみだった。しかし、先日届いた最新の巻は「7A」。まだ続きがある。何度も書くが『ファン・ルーラー著作集』の刊行開始は2007年。当初は2012年ごろ完成予定と予告されていた。しかし、今年2025年になっても完成しないし、どんどん量が増えている。

私は「乗り掛かった船なので」と付き合ってきたが、乗る船を間違えたようだと後悔の念を深めている。いずれにせよ私ごときは全く手に負えない。かろうじて大型バイクの免許を取ってニンジャ1000に乗ることはできるようになったが、ファン・ルーラーはジェット旅客機だった。これは大変なことになった。

日本語版の必要性を訴えた責任は私にある。しかし、現時点で7巻、11冊。もっと増える。仮にひとり1冊担当するとしても15名前後の訳者が必要。オランダ語を理解でき、神学と哲学の基礎知識があり、教会に通っている人。教会を知らない人にはファン・ルーラーは分からない。とてつもなくハードルが高い。

2025年3月11日火曜日

「遊び」と「宣教」の関係

『ファン・ルーラー著作集』7A巻(2024年)

【「遊び」と「宣教」の関係】

いま思いついたばかりなので確証はない。ファン・ルーラーが「遊び」(spel)を強調し、彼自身も遊び楽しむ神学者だったが、そのことと彼がオランダ改革派教会(NHK)教会規程の改訂作業に中心的に取り組み、「宣教」(apostolaat)を教会規程に明確に位置付けたことの関係がこれまで分からなかった。

でも、少し分かった気がする。「宣教」(apostolaat)と「遊び」(spel)の関係は、礼拝に楽しい要素を加味するとか、教会学校でゲームをするとか、教会や支分区・教区や任意団体の単位でキャンプを行うというようなこととは違う。それは遊びというより仕事。少なくとも教会の中の人々は遊べていない。

「それは牧師の働き方改革のようなことか。休日が欲しいのか」と言われるかもしれないが、それもピントがずれている。私の感覚で言わせていただけば、全く違う。それでは何なのかは、まだ分からない。とりあえず「遊び」を「仕事」よりも価値が低いもののように考えるのをやめることから始まると思う。

ファン・ルーラーは牧師をしたのち大学教授になり、有名なラジオ牧師になったので生活に困ることはなかったはずだが、海外旅行はしなかった。自転車で教え子の教会を訪問するのが「旅行」だったと伝えられている。学生時代は自分がサッカー選手だったが、後年は病気がちでプレイではなく観戦を愛した。

ファン・ルーラーが「ビリヤード」を愛していたことは現在刊行中の『ファン・ルーラー著作集』全7巻(未完)発売開始後に知られるようになった。自宅に台を持っていたかどうかは私は知らない。よく友人と集まって楽しんだらしい。そのとき「おいしいのをごくりと飲んだ」とも伝記文書に記されている。

「自転車旅行」も「サッカー観戦」も「ビリヤード」もそれを教会行事にするという話ではないし、それ自体にキリスト教に固有な意味はおそらくない。キリスト教グッズ業者の利益にもならない。しかし、ファン・ルーラーなら「これも宣教(apostolaat)だ」と言うのではないかと私は思う。確証はない。

私に思い浮かぶ言葉は「意外性」。失礼な話なのだが、「牧師さんなのに歌が上手なのですね」と言われたことがある牧師がいるだろう。「毎週礼拝で讃美歌を歌っていますから」と答えても信じてもらえない。歌以外でもいろいろ「意外だ」と思われている。それが、我々なりの「遊び」の成果なのだと思う。

2025年3月9日日曜日

荒れ野の誘惑

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教 「荒れ野の誘惑」

マタイによる福音書4章1~11節

関口 康

「すると、イエスは言われた。『退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある』」(10節)

今日の箇所に記されているのは主イエスが悪魔に誘惑される物語です。教会生活が長い方々は繰り返し学んで来られました。しかし、何度読んでも釈然としないとお感じの方が多いのではないでしょうか。「悪魔」とは何なのか。記されていることは事実なのかなど、多くの疑問がわき起こる箇所です。

先週ご紹介しました、私が頼りにしているオランダ語の聖書註解シリーズのマタイ福音書の巻(著者J. T. Nielsen)を今回も読みました。大変興味深いことが書かれていましたので、ご紹介いたします。

こう記されていました。「イエスは霊に導かれて荒れ野に行かれた」(1節)の「導かれて」(ἀνήχθη アネクテ)が受動態で記されているのは「神が聖霊によってイエスを荒れ野に導いた」という意味だろう。しかし、それはヨルダン川の下流の地域から上流の砂漠地帯への移動だけを必ずしも意味せず、「幻の出来事」(een visionair gebeuren)としてとらえることも可能である、というのです。

いかがでしょうか。この物語の中で主イエスは「荒れ野」だけでなく「エルサレム神殿」にも「非常に高い山」にも連れて行かれますが、すべて物理的に移動したと考えなければならないことはなく、「聖霊の導きによって幻の中で移動した」と考えることができるなら、この箇所の読み方が大きく変わってくるはずです。

ここで私がつい思い浮かべるのは、バイクのたとえです。バイクの免許を取る人が必ず受講するのは「シミュレーター教習」です。バイクは四輪車よりも明らかに事故に遭う確率が高いです。しかし、だからといって、実際に事故に遭ってケガをしてみるという体験学習はありえません。それで生み出されたのが、コンピュータが描き出す「ヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)」の中で「事故に遭ってみる」という学習方法です。

私もその教習を受けました。結構こわかったです。細い道でバスが停留所に止まっている。そのバスを追い越そうとすると、突然子どもが飛び出してくる。急ブレーキをかけると車体が転倒する。シミュレーターが実際にガタガタ揺れます。また、指導員が「スピードを80キロまで上げてください」と言うので、指示通りにする。すると、急カーブで曲がり切れなくてガードレールに激突して谷底に落ちる。そういうトレーニングでした。

いま私が申し上げているのは、今日の物語は間違いなく「ヴァーチャル・リアリティ」の出来事であるということではありません。その可能性があると解釈されていることをご紹介しているにすぎません。しかし、「ヴァーチャル・リアリティ」は虚偽や詐欺だと考えるのは間違いです。実際にケガをしたりモノを壊したりしてみるわけに行かない中での、有効な訓練手段です。

今日の説教題「荒れ野の誘惑」の「誘惑」は新共同訳(1987年)の表現です。聖書協会共同訳(2018年)(※「聖書協会共同訳」は長いので以下「SKK訳」と略します)では「試み」と訳されています。「試み」とはテストです。それは、イエスは本当に「救い主」にふさわしいのかどうかを見極めるテストです。

主イエスは「四十日間、昼も夜も断食した後」(SKK訳「四十日四十夜、断食した後」)空腹を覚えられました(2節)。すると「誘惑する者」(SKK訳「試みる者」)が来ました。テスト開始です。  

「悪魔」はディアボロス(διάβολος)。「ディア(δια) 」(through、~を通して) +‎ 「バロー(βάλλω)」(throw、投げる)で「投げつける」(door elkaar werpen)というのが悪魔の原意です。悪魔はピッチャーです。イエスさまはバッター。いざ、勝負!

問題は3問。場面が「荒れ野」「エルサレム神殿」「非常に高い山」と切り替わります。この3つの場所の関係性が、私は今までよく分かりませんでした。しかし、やっと分かった気がします。

「荒れ野」は砂漠です。グラフで表すとしたら零(0)。神が働いてくださらなければ何も生まれない、何も起こらないという意味で「虚無」(Nothing)。「エルサレム神殿」は、宗教の最高峰。宗教の百(100)。「非常に高い山」は、その場所自体よりも大切なのは、そこから見えるものです。「世のすべての国々とその繁栄ぶり」を見渡せる場所。政治の百(100)。

主イエスは空腹。お腹の中は零(0)。「欲望」が百(100)の状態。その状態で、上記の3か所(荒れ野、神殿、山の上)に行くと人は何を欲するか。「救い主」なら何を欲するか。試されているのは、そのことです。

第1問「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」で問われていることは何でしょうか。いろんな読み方がありうると思います。しかし、忘れてはならないのは、これは「イエスはキリストとしてふさわしいかどうか」のテストだということです。

つまり、問われているのは、空腹のときのイエスが「救い主」として自分に与えられた力を何のために用いようとするかです。自分のお腹を満たすためか、それとも、自分のことは後回しにして、枯れ木に花を咲かせ、飢えた人の心に喜びの福音を伝え、その人を助けることこそが救い主の使命なのか。

イエスさまは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(申命記8章3節)と、聖書の言葉の引用をもってお答えになりました。合格です。

第2問「神の子なら、神殿から飛び降りたらどうだ。天使が助けてくれる(詩編91編)と聖書に書いてある」。主イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』(申命記6章16節)とも書いてあると、聖書の言葉でお答えになりました。

「神殿」は宗教の百(100)。そこで、聖書のひとつの箇所と他の箇所の解釈とがぶつかり合う。そのとき、より正しい答えを聖書から導き出せる存在こそが「救い主」にふさわしいというのが、第2問の模範解答ではないでしょうか。

第3問「もしひれ伏してわたしを拝むなら、全世界をお前にくれてやる」。救い主というのは、要するに世界の独裁者になることなのだ。悪魔に心を売り渡し、頭を下げ、善悪を逆転させて、目的のために手段を選ばず、全世界の政治と経済を自分の思い通りに動かし、支配する。それがまさに「救い主」であり、まさに「神」である。

主イエスは「退け、サタン」と一喝されました。それが答えです。悪魔に心を売り渡してでも権力を得ることの正反対です。悪魔に頭を下げて拝まなければ得られないような権力は要らない。全く無力であることのほうを私は選ぶ。それがイエスさまの答えでした。

すると、悪魔が離れ去り、天使が来てくれました(11節)。テスト終了。結果は「合格」。天使が一緒にお祝いしてくれました。

しかし、ここで話を終わらせてはいけません。テストを受けたのは、イエスさまだけです。「メシア=キリスト=救い主」にふさわしいかどうかの見極めなので、「私たちとは関係ない」と考えがちです。しかし、それは違います。

見落とされてはならない点があります。それは、悪魔の試験の答えとしてイエスさまが引用なさった聖書の教えのすべては、私たち人間こそが守るべき教えである、ということです。この箇所の読者にとって大切なことは、わたしたちがどう生きるべきか、です。

私たちにできることを申し上げて終わりにします。

①悪魔に心を売り渡さないこと。

②「目的のために手段を選ばない」という考えを受け入れないこと。

③財産よりも権力よりも大事なものがあると信じること。

(2025年3月9日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月7日金曜日

教会自身に固有な目的がある

『ファン・ルーラー著作集』全7巻(現在7A巻まで)

 

【教会自身に固有な目的がある】

今夜読んだファン・ルーラーの文章は、”Apostolisch en apostolair”という題。初出は1969年8月30日付け新聞記事。彼の文章と長い付き合いの私は理解可能だが翻訳不可能。ファン・ルーラーも難しさは分かっていて、例文をあげている。De kerk moet apostolair zijn omdat ze apostolisch moet zijn.

このapostolischとapostolairは別の概念であるとファン・ルーラーが言っている。試しにグーグルに訳してもらったら「教会は使徒的でなければならない。なぜなら、教会は使徒的でなければならないからだ」という答案を出して来た。これは不正解。何の意味もない、ただの同語反復をしているだけになる。

この文章の趣旨を要約して紹介するのも難しい。とにかく両者は異なる概念なので区別しなければならないこと。ファン・ルーラー自身の宣教論はapostolischのほうであって、apostolairは過激な急進性があるということ。ファン・ルーラーは教会を守り抜く人。彼の神学は教会嫌いの人には嫌われるだろう。

この点においては私もファン・ルーラーと同じ線に立っているので、彼の神学が嫌いな人から私も嫌われるだろう。教会自身に固有の目的がある。教会のすべての目的は常に外部にあるのであって、教会は手段であるというわけではない。教会は、説教、聖礼典、カテキズム、教憲教規が重んじられる場である。

どれほど語学をきわめても、神学を理解することはできない。「教会」に主体的に参加しないかぎり。ファン・ルーラーの文章を読むたびにその確信を深める。

(2025年3月7日 5:35 a. m.)

2025年3月6日木曜日

ファン・ルーラーはホーケンダイクの指導教授だった

デイヴィッド・ボッシュ『宣教のパラダイム転換』英語版

【ファン・ルーラーはホーケンダイクの指導教授だった】

先週2025年2月24日(月)日本基督教団東京教区東支区社会部主催の社会セミナーが富士見町教会(千代田区)で盛会のうちに終了した。私は主催者の中の人。講演者、川上直哉先生に心から感謝。詳細はクリスチャン新聞3月9日号をぜひご一読を。私が今から書こうとしているのは、関連事項ながらやや別件。

川上直哉先生は、現在爆売れ中の快著『私の救い、私たちの希望』(ヨベル、2004年)のご著者。まさに時の人。私は面識が無かったので、川上先生をお迎えするにあたり、まずはご著書を読み始めた。同時に、副題にあるデイヴィッド・ボッシュ『宣教のパラダイム転換』の日本語版と原著英語版を入手した。

ところが、そこに躓きの石。ボッシュのセンパラ(フルネームで言いなさい)に「ファン・ルーラー」が登場しない。南アフリカ・オランダ改革派教会のボッシュが「宣教の神学者」ファン・ルーラーを知らないはずがない。ファン・ルーラーは同時代の神学者から無視され続けた人。そのたぐいかと落胆した。

しかし、それは誤解だった。ボッシュのセンパラ(省略やめなさい)に「ファン・ルーラー」が登場しないのは客観的事実。だが、ボッシュが紹介する多くの神学者たちの中にファン・ルーラーと深い関係にある人がいた。その人の名はJ. C. ホーケンダイク(Johannes Christiaan Hoekendijk [1912-1975])。

ホーケンダイクは戸村正博訳『明日の社会と明日の教会 (新教出版社、1966年)等で日本でも昔から知られてきたオランダ改革派教会(NHK)の神学者。ホーケンダイクの博士論文の指導教授がファン・ルーラーだったことが分かった。ファン・ルーラーはボッシュの本に登場しないが、しっかり仕事していた。

「宣教(apostolaat)」概念でクレーマーとファン・ルーラーはつながる。ホーケンダイクとファン・ルーラーは師弟関係。世界教会協議会(WCC)初代総幹事ヴィサー・トーフトもオランダ改革派教会(NHK)。クレーマーとヴィサー・トーフトの名前が『日本基督教団史』(教団出版局、1967年)に出てくる。

2008年12月11日(木)オランダ留学中の石原知弘牧師の案内で、ユトレヒト大学図書館内のファン・ルーラー文庫(Van Ruler archief)に行き、閲覧させてもらったのは日本の終戦(1945年8月15日)についてファン・ルーラーが書いたメモ。バイブルサイズくらいの用紙に小さい字でびっしり書かれていた。

私はこれからもファン・ルーラー研究を続ける。オランダ語は一向に上達しないが、翻訳は語学が得意な人にお任せしたい。私の関心は彼の思想、発言、行動、影響にある。ファン・ルーラーは1970年12月に62歳で亡くなった。インターネット時代は知らないが、アポロの月面着陸(1969年7月)は知っている。

また原稿を2つ抱えている。私にオファーは二度と無いと思っていたのでありがたいが、うれしい悲鳴。ひとつは「戒規」に関する件。とてつもなく深刻な問題であることを改めて認識し、頭を抱えている。もうひとつはファン・ルーラーの紹介。光栄なことだ。私の人生が問われる。蘭学事始、はじめの一歩。

2025年3月5日水曜日

「宣教」か「伝道」か

ヘンドリク・クレーマー『宣教の神学』『信徒の神学』日本語版

【「宣教」か「伝道」か】

日本語版があるヘンドリク・クレーマー『信徒の神学』『宣教の神学』独語版("Theologie des Laientums" und "Die Kommunikation des christlichen Glaubens")をドイツの古書店に注文完了。「宣教」か「伝道」か。ファン・ルーラーはクレーマーの「宣教」(apostolaat)概念を継承。

ファン・ルーラーのapostolaatを「伝道」と(誤って)訳すと袋小路に陥る。「宣教」は包括概念なので、それを「伝道」と誤訳してしまうと、それと区別される狭義の「伝道」について「福音の宣べ伝え」など奇異で不適切な用語を造語せざるをえなくなり、ボタンの掛け違えが起こる。実際に起こっている。

ファン・ルーラーのapostolaatを「伝道」と訳したい人は「キリスト教会の、政治・社会の諸問題に対する取り組み」を意図的に締め出すことに躍起である。しかし、ファン・ルーラーが継承したヘンドリク・クレーマーの「宣教」(apostolaat)概念に教会の政治・社会への取り組みは明確に内包されている。

上記の事実について文献的な確証を得るために、クレーマーの『信徒の神学』と『宣教の神学』のドイツ語版を注文した。ネットは便利。ポチッと押すだけ。あとは待つのみ。早く来い来いクレーマー。「宣教」か「伝道」かだのいう空虚な議論を終わらせたいとひそかに願う。とネットに書く毎度のパターン。

北村慈郎先生の名誉回復を求めます

北村慈郎牧師を表敬訪問しました(2024年10月2日~3日)


主張「北村慈郎先生の名誉回復を求めます」

関口 康(日本基督教団足立梅田教会牧師)

学生時代から尊敬する小海基先生からご依頼いただきましたので、本稿の執筆をお引き受けしました。私が高校からストレートで1984年4月に東京神学大学の学部1年に入学したとき、小海先生は大学院2年生でした。学生寮での自主的な勉強会でバルトやボンヘッファーの神学について小海先生から手ほどきを受けました。40年越えの関係です。

私は昨年(2024年)3月1日付けで足立梅田教会牧師に着任しました。私に足立梅田教会を転任先として紹介してくださったのは東京神学大学の学長です。足立梅田教会に来るまでの私は、この教会が北村慈郎先生の牧者としての歩みの「原点」であったことを知りませんでした。

加えて、私は1990年4月に日本基督教団(以下「教団」)補教師准允、1992年12月に正教師按手を受けて計7年間、教団所属教師として四国教区や九州教区の教会で働きましたが、1998年7月より2015年12月まで日本キリスト改革派教会(以下「改革派教会」)の教師であり、2016年春に教団教師に戻った者です。北村先生の教師免職が執行された2010年時点の私は完全な「部外者」で、大変失礼ながら、対岸の火事を見る思いで報道に接しました。

しかしながら、北村先生の「戒規」は、決しておおげさではなく、私の「人生」に大きな影響をもたらしたことを申し上げねばなりません。この件は、昨年(2024年)10月2日(水)から3日(木)にかけて、私が北村先生のお宅を訪ねて直接打ち明け、ご了解いただいたことです。

それは、私が1997年に教団から改革派教会に移籍した理由は、1995年1月の阪神淡路大震災発生後に発生した「ナイフ事件」の当該教師に何らの戒規もなされない教団のシステムに恐怖に近い感情を抱いたからだった、ということです。

私も神の御前で、ひとりの罪人である。その私が何をしようと免職できない教団にとどまるのは危険であると認識し、「戒規」が可能な改革派教会に移籍しました。それが私自身を含む、神の言葉の説教者の暴走を食い止める唯一の手段であると、当時の私は考えました。

それで、改革派教会の教師だったころ、同僚の牧師相手に繰り返し話していたのは、「私が教団を離脱した理由は他人に向けてナイフを取り出した教師すら免職する仕組みがないことに尽きる。教団でもし、1件でも教師免職が行われたら逆立ちして歩いてもよい」ということでした。絶対にありえない、という意味でした。

私が逆立ちして歩かなくてはならなくなったのは(逆立ちはできないのですが)、2010年の北村先生に関する報道に接したときでした。教団を批判する理由が無くなったと認識しました。以上の経緯と、「教師免職」の英断に至られた教団への敬意と、教団は「免職」を行いえない欠陥システムであると思い込んでいたことへの謝罪を、教団教師検定委員会から課題として出された小論文に明記したうえで、教師転入試験にパスして教団教師に戻ったのが2016年春でした。つまり、北村先生の「免職」のおかげで、今の私は教団の教師なのです。

しかし問題は、北村先生に対して教団がおこなった戒規の内実です。申し上げたとおり、私は完全なる「部外者」でしたので、事実経過を精査する立場にありませんでしたし、意見を述べる立場にも、賛否を問われる立場にもありませんでした。それは現在も大差ありません。

比較的詳細な情報を知りうるようになったのは、昨年3月に足立梅田教会に着任してからです。おりしも昨年(2024年)9月に1年遅れの「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行うことになり、説教者として当教会第2代牧師である北村先生をお招きすることになりました。打ち合わせの際、北村先生ご自身や足立梅田教会の教会員の方々から、北村先生に対して教団がおこなった「戒規」があまりに一方的で卑劣なものだったと教えていただき、由々しきことだと思いました。

つまり、私が支援会の活動に心惹かれるようになったのは、「聖餐を開くか閉じるか」の議論にかかわりたいからではなく、教憲教規違反の被疑者として訴えられた一教師に対して現実に執行された「免職」の正当性に疑義を抱く人々の声に、もっと多くの人が耳を傾けるべきだと考えるに至ったからです。

この点をご理解いただけないかぎり、あっという間に、私まで色付けされてしまうでしょう。実際、足立梅田教会の礼拝説教者として北村先生をお迎えすることを教会ブログで公表しただけで、「関口牧師はオープン聖餐派ですか」という問い合わせが複数の方面から届きました。なんというステレオタイプ。なんという愚かな決めつけ。このような憶測と偏見に基づく監視と弾圧が北村先生ご自身と支援者がたを苦しめる元凶だったのだろうと、わが身で知ることができました。

私は一度ウェストミンスター信仰基準と礼拝指針に同意した者であり、日本基督教団に戻ったからといってその点は撤回していませんので、聖餐論に関して疑義を受ける立場にはありません。失礼なことを言わないでほしい。

日本キリスト改革派教会で信徒や教師に「戒規」を執行する場合の基準は、同教会の教会規程第2部「訓練規定」です。1968年の大会で同規定が設けられ、何度かの大改正を経て今日に至ります。私が改革派教会に在籍していた時期に当たる2008年にも大改訂が行われました。私が教団に戻った2016年以降の「訓練規定」がどうなっているかは知りません。

私が、北村先生に対する教団の仕打ちについて、北村先生ご自身や支援者がたからお話を伺いながら思い起こすのも、改革派教会の「訓練規定」の内容です。

たとえば2008年改正版の同規定第20条に「小会および中会は、その管轄下の人々の信仰と行状についての好ましくない報道に接したときは相当な注意と十分な思慮分別をもって判断し、必要と認めるときはかれらに満足な釈明を求めなければならない」とあります。この「かれら」に当てはまるのは、北村先生と支援者がたでしょう。免職戒規の執行前もその後も「満足な釈明の機会」を設けられたことがないゆえに、抗議を続けておられるわけでしょう。

日本基督教団の「教団(総会)」と「教区(総会)」と「各個教会の役員会」との関係が、改革派長老派教会の「大会・中会・小会」のような3段階の法治システムになっていないことをもちろん私は承知しています。しかしだからといって、教団の一教師を免職する際に、当該教師が牧会している教会の教会総会の承認を受け、所属教区も同意していることを、教団のごくわずかな人々が教師免職に値する重大な教憲教規違反であると判断し、北村先生ご自身との面接すらせずに免職を言い渡すというのは、少なくとも改革派教会では絶対にありえないことですし、30余派の旧教派の寄り合い所帯の日本基督教団だから許されるという論理も、私には容認しがたいです。

しかし、日本基督教団の教憲教規であれ、改革派教会の教会規程であれ、「法」であることには変わりありませんので、条文を持ち出して云々するのは、不毛な解釈論争を招くだけで徒労に終わることを私も知っています。

それよりも私がご紹介したいのは、私が改革派教会にいたころ直接かかわった教師戒規の実例です。伝聞ではなく実際の審議に参加しました。「実例」の紹介は個人の特定につながるので慎重にしなければなりませんが、日本基督教団においては北村慈郎先生以外の教師免職の「実例」がない以上、他の教団教派の「判例」を参考にせざるをえないではありませんか。

2つの例を紹介します。1件目は「試問なき洗礼を授けた教師」への戒規です。この例は教師免職の例ではありませんが「聖礼典(サクラメント)」の理解に関係する例なので、挙げます。

教会員のご家族で臨終間近の未信者の病床に当該教師と長老が訪問しました。教師の問いかけへの反応はほとんどない状態だったそうです。しかし教師は、その未信者に病床洗礼を授け、その方はまもなく召されました。その場に立ち会った長老が小会記録に「試問なき洗礼を執行した」と記録したところ、中会の記録調査委員会で問題にされ、中会会議の審議を経て当該教師に戒規が執行されました。戒規の内容は、私の記憶によると、陪餐停止を含む一時的な職務停止と、中会の関係委員会との定期面接と、ウェストミンスター信仰基準の洗礼論についての論文を書くこと、でした。

2件目は「他人の説教を盗用した教師」への戒規の例です。当該教師は、加藤常昭牧師の説教集からの、句読点たがわぬ書き写しを、長年にわたり常習していました。その書き写し説教に感動を示す信徒が多かったので、やめられなくなったようです。当該教師が最後に牧会した教会の長老が説教盗用の事実に気づき、詳細な調査報告書を作成して中会に訴えた結果、当該教師に対し、即時免職の戒規が執行されました。

その際、当該教師もご家族(特にお連れ合い)も、免職の戒規に服することに同意しておられました。教師本人が抵抗しているのに一方的に免職を言い渡すことが改革派教会で行われたことは、1970年代にいわゆる異言問題に関することで1例ある(ただし教師自身が退会届を提出)以外はほとんどないと思われます。

日本キリスト改革派教会にいたころ私の目の前で見た教師戒規の2例が、北村先生に対して教団がおこなった戒規とどういう関係にあるかを論じるのは難しいです。「別ルールである」と言われてしまえばそれまでです。しかし、今の私の目で見ると、北村先生に教師免職の戒規が執行されたまま、再審理も名誉回復もなされないのは、あまりに行き過ぎの仕打ちに見えて仕方ありません。

その一方で、教団執行部側に強い影響力を持っていた教師たちがかなり次々と性的なトラブルを起こしたことが教会内で発覚したにもかかわらず、教師免職ではなく教師隠退や転任という形で救済されているという情報を耳にすると、北村先生だけがなぜ免職なのかが、私にはいよいよ理解不可能になります。

私個人の感覚で言わせていただけば、北村先生がなさったことに対する教師免職という戒規は、量定としては重すぎるものであり、なにがなんでもどうしても、というならウェストミンスター信仰基準の聖餐論についての論文を書いていただくぐらいで十分だと考えますが、日本基督教団のルールにそぐわないことは、もちろん理解しています。北村先生に対しても失礼な言い方で、申し訳ありません。

先ほど紹介した改革派教会での1例目の戒規の件では、「試問なき洗礼」の是非が問われました。現在の日本基督教団で同様の問題が問われているかどうかを私は知りませんが、そもそも「洗礼に先立っての試問」が、教団の教会の中で、どの程度まで厳密に行われているかを調査するほうが有意義であるように思えます。

そのときも「あの長老が小会記録に『試問なき洗礼を執行した』と書かなければ済んだのに」とつぶやく人たちの声を耳にしました。これと同じような声が、日本基督教団の中でも、とくに「洗礼と聖餐の関係」の問題については、いくらでもつぶやかれているのではないでしょうか。性的なハラスメントや説教盗用のような問題には逃げ腰のように私には見える日本基督教団が、聖礼典(サクラメント)の問題に限っては、北村先生の免職戒規を取り下げようとしないのは、バランスが悪すぎるように見えて仕方がありません。北村先生の免職戒規が取り下げられ、名誉回復がなされることを、私個人は祈ってやみません。

(『北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会通信』第35号、2025年3月5日発行、13₋16頁掲載)