2009年9月9日水曜日

こういうのが我々にも欲しい

言うまでもないことですが、「私は知らないことだらけだ」と改めて思わされています。



「フォーラム神保町」というグループ、否、彼らの表現で言うところの“トポス”(場)があることを知り、羨望の思いでいっぱいです。



フォーラム神保町
http://www.forum-j.com/



ここに行けば、なんと、あの佐藤優氏の「神学講座(組織神学)」のゼミに参加することができます!



こういうトポスがファン・ルーラー研究会にも欲しいと、私は個人的に以前から強く願ってきました。ただし、開催場所は、教会ではなく、大学や神学校でもなく、できたら都内有名某所のビルで。



「フォーラム神保町」の向こうを張って、「神学フォーラムお台場」とかがいいです。



以上、「キリスト教民主党」研究といい、私のブログはすっかり妄想地帯と化しております。ああ恥ずかしい。



2009年9月8日火曜日

太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(2)

太宰治の「一歩前進 二歩退却」(1938年)を読みながら考えさせられたのはやはり説教の問題です。「三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑つているチエホフの顔を意識している」読者たちに苛立ちを隠せない太宰の様子が他人事とは思えません。



もちろん「説教は精神修養の教科書ではないのか」と問い詰められるならば「まさにそのようなものである」と答えねばならないとは思いますが、かたや、説教がイエス・キリストについて語る、あるいはパウロについて語るとき、そのイエス・キリストやパウロの陰に説教者自身の顔をあまりにも意識されすぎると困ってしまうのも説教者ではないかと考えざるをえないのです。



「可哀さうなのは、説教者である。うつかり高笑ひもできなくなった。」



松戸小金原教会では、主の日の礼拝の中で(カルヴァンと改革派教会の伝統に基づいて)「罪の告白と赦しの宣言」を行っています。「赦しの宣言」を朗読するのは牧師です。しかし牧師は、「赦しの宣言」を朗読する前に、教会員と共に自分自身の「罪の告白」をしなければなりません。私はたぶん教会員の誰よりも大きな声で「罪の告白」を読み上げ、その後、いくぶん小さな声で講壇の上で「赦しの宣言」を朗読しています。



この「赦しの宣言」の意義や本質を考えていくと、説教とは何かが分かるような気がしています。説教とは、かなり乱暴に言えば「自分のことを棚に上げて」語ることです。あるいは、「自分に罪がないと思う者がこの女に石を投げよ」とだけおっしゃって、御自身はしゃがみこんで地面に何かをお書きになっていた(ヨハネ8章)あのイエス・キリストの御姿に倣うことです。そうでなければ、どうして我々人間が「神の言葉」を語ることができるでしょうか。



日曜日の礼拝説教の善し悪しの問題が、教会にとっては最も深刻な事柄であるということは間違いありません。しかし、「説教者の言行不一致」(説教で言っていることと普段の行状が違いすぎる)という点が告発される場合には、ほとんどのケースは告発者の言うとおりなのだろうとは思っていますが、稀に(としておきます)、太宰がいら立ちを覚えた「三人の若い女の陰に、ほろ苦く笑つているチエホフの顔を意識している」というような本の読み方をするのと同じような仕方で、説教というものを把え、聴いているゆえに出てくる告発も含まれているように感じるのです。



太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(1)

このところ、「聖書よりも」とは申しませんが、カルヴァンよりも、ファン・ルーラーよりも、太宰治が面白くて困っています。



お恥ずかしながら、これまで太宰「など」真面目に読んだことがなかったのです。そもそも小説というものをほとんど読むことができませんでした。小説家の妄想に付き合えるほど暇じゃないと、思いこんでいたところがありました。他人の心の中に入り込んでいく想像力が根本的に欠如していたのです。



しかし、どうしたことでしょう、年齢のせいでしょうか、ここに至って、太宰の文章が私の胃袋に流れ込んでくるものがあります。



ただし、まだ小説ではありません。彼の手記のたぐいにハマっています。近日感銘を受けたのは、「一歩前進 二歩退却」(初出1938年8月、太宰28歳)という短文です(『太宰治全集』第10巻、筑摩類聚版、117~118ページ)。



「日本だけではないやうである。また、文学だけではないやうである。作品の面白さよりも、その作家の態度が、まづ気になる。その作家の人間を、弱さを、嗅ぎつけなければ承知できない。作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させては呉れない。三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑っているチエホフの顔を意識している。
(中略)
可哀さうなのは、作家である。うつかり高笑ひもできなくなった。作品を、精神修養の教科書として取り扱はれたのでは、たまつたものぢやない。
(中略)
作家は、いよいよ窮屈である。何せ、眼光紙背に徹する読者ばかりを相手にしてゐるのだから、うつかりできない。あんまり緊張して、つひには机のまへに端座したまま、そのまま、沈黙は金、といふ格言を底知れず肯定してゐる。そんなあはれな作家さへ出て来ぬともかぎらない。



謙譲を、作家にのみ要求し、作家は大いに恐縮し、卑屈なほどへりくだつて、さうして読者は旦那である。作家の私生活、底の底まで剥がうとする。失敬である。安売りしてゐるのは作品である。作家の人間までを売ってはゐない。謙譲は、読者にこそ之を要求したい。



作家と読者は、もういちど全然あたらしく地割りの協定をやり直す必要がある。(後略)」



この文章のどこに感銘を受けたかをきちんと説明できるまで太宰の意図を斟酌できてはいませんが、とにかく「そうそう」と、膝を打って喜びながら読みました。



ブログとかメールなどを書いておりますと、私の文章を読んでくださる方々の中に、記述内容についての賛否や感想を知らせてくださる方がおられることには、励まされます。



しかし、「なんでこんな時刻にメールを書いているのだろう」とか「どうしてこんなことをブログなどに書いているのだろう」というような、その文章を書いている私の「態度」ばかりが気になるらしい方に接することがありまして、そういうことと太宰への「共感」とがどうやら関係しているらしいことに気づかされます。



まさに、「一歩前進 二歩退却」です。



2009年9月7日月曜日

ファン・ルーラー研究会神学セミナーの歩み

第1回 2001年9月3日(月)      日本キリスト改革派園田教会(兵庫県尼崎市)

第2回 2002年9月2日(月)・3日(火)熱海網代オーナーズビラ(静岡県熱海市)

第3回 2003年9月1日(月)      日本キリスト改革派東京恩寵教会(東京都渋谷区恵比寿)

第4回 2004年8月23日(月)・24日(火)母の家べテル(兵庫県神戸市東灘区御影)

第5回 2007年9月10日(月)・11日(火)日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)

第6回 2014年10月27日(月)      日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)



2009年9月6日日曜日

生きた水が川となる


ヨハネによる福音書7・32~39

「ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。そこで、イエスは言われた。『今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所へに、あなたたちは来ることができない。』すると、ユダヤ人たちが互いに言った。『わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人たちのところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。」

今日の個所のイエスさまは、まだエルサレムにおられます。先週の個所でイエスさまはエルサレム神殿の境内で説教なさいました。また、説教の内容をめぐって、人々といろんなやりとりをなさいました。そうしましたところ、「人々がイエスを捕らえようとした」(7・30)というのです。この「人々」は、いわゆる群衆のことです。普通の人、一般の人です。イエスさまの命を狙っていたファリサイ派や祭司長や律法学者たちではありません。その彼らがなぜイエスさまのことを捕らえようとしたのでしょうか。これは考えてみる必要がある点です。

思い当たることは、彼らはおそらく非常に腹を立てたのだろうということです。問題点はいくつかあります。第一は、イエスさまが「わたしをお遣わしになった方」と言われるのを聞いたとき、彼らが最初に思い浮かべたのは天地の造り主なる父なる神さま御自身のことだったはずですが、そのとき「まさか、そんなはずはない」と思ったに違いないという点にかかわります。なぜなら彼らは父なる神さまのことを知っていると思っていたからです。わたしたちは聖書を繰り返し学んできたし、神を信じてもいる。それなのに、この人は「あなたたちはその方を知らない」と我々に向かって言い放つ。我々のことを侮辱しているのかと腹を立てたに違いありません。

しかし、理由はそれだけではなさそうです。第二に考えられることは、イエスさまは「学問をしていなかった」からです。この場合の「学問をする」の意味は、エルサレム神殿の律法学校を卒業することであると、先週申しました。そしてそれは、我々が「神学校を卒業する」と言うのと同じ意味であるとも申しました。イエスさまは神学校を卒業していません。そうであるにもかかわらず「わたしをお遣わしになった方」のもとから来たなどと言う。そのことで彼らは腹を立てたに違いありません。

なぜそのようなことに腹が立つのかと言いますと、彼らはおそらく悪い意味での権威主義者だったのです。あの学校を卒業した人の言うことだから間違いない。そうでない人の言葉は信用できない。このような道筋で事柄を把えようとする人々だったのです。だからこそ、イエスさまの説教を聴いた彼らにとって、「あの人は学問をしたわけでもないのに、どうして」という点が問題になったのです。

校長から卒業証書を受け取ってもいない。何かの試験に合格したわけでもない。客観的な意味でこの人が「教師」と呼ばれるための根拠は、どこにもない。だとしたら、この人が「わたしを遣わした方」と言っているのは、ただの思い込みである。しかしこの人は、自分はそうだと言い張る。それならば、この人は嘘つきである。この人を誰も遣わしてなどいない。まして、父なる神が遣わしたなどということはありえない。彼らの心の中にこのような一種独特の三段論法が駆け巡った可能性があるのです。

しかしこのような考え方はやはり、悪い意味での権威主義です。このことは一般論としても言えることです。その人が卒業した学校がその人の価値を決めるわけではありません。その学校を卒業した人のすべてが必ず真理を究めつくした権威者であると思いこむことは、事情を知らなすぎる見方です。あえて変な言い方をしますが、どの学校にも優秀な人とそうでない人が必ずいるものです。勉強するのは自分自身です。学校は勉強の仕方を教えてくれるだけです。極端な言い方をすれば、自分で勉強することができる人は学校になど行かなくてもよいのです。

教会の場合も同じですし、教会こそそのことが当てはまります。自分のことを全く棚に上げて言いますが、神学校の学業成績が優秀だった人々の中にも牧師としては全くふさわしくないと判断される人々がいます。逆も然り。成績が悪かった人の中にも立派な牧師はたくさんいます。あの学校を卒業した人だから、何々先生の弟子だから、絶対に間違いないなどということは全くありえないのです。

話がまた脱線しかかっています。私はいま、イエスさまのことを考えております。「学問をしたわけでもないのに、どうして」と疑惑の目がイエスさまに向けられました。わたしをお遣わしになった方のもとから来たと言い張るこの人は嘘つきであると、腹を立てられ、捕まえられそうになりました。イエスさまがそのような目に遭われたのは、イエスさまが悪いわけではなく、イエスさまをそのように見た人々の価値観、とくにその権威主義的な意識感覚に問題があったに違いないと申し上げているのです。

しかし、イエスさまがおっしゃっていることは嘘でも何でもなく、まさに真理であり、真実でした。そして、これはイエスさまだけに当てはまる真理であり真実であるというだけではなく、イエスさまの体なる教会にかかわるすべての事柄にも当てはまることなのです。

たとえば、教会とは誰のものでしょうか。牧師の所有物(もの)でしょうか、長老や執事のものでしょうか、会員一人一人のものでしょうか。「そうでもある」と答えたい気持ちが私にはありますが、そのように決して語ってはならない場面があると思っています。教会は、人間のものではありません。神御自身のものであり、神の御子イエス・キリストのものです。

教会がこの地上でなすすべてのわざは、誰が行うのでしょうか。「それは我々人間自身でもある」と私自身は声を大にして言いたいところを持っていますが、このことも我慢しなければなりません。教会が行うすべてのわざは、神御自身のわざです。わたしたちは神の道具になることに徹する必要があります。

いまここで私がしている説教とは、なんでしょうか。「これは関口さんのお話である」と思われても仕方ない面があることを私自身は否定しません。しかしそれでもなお、わたしたちが信じなければならないことがあります。説教とは、本質的に神御自身の言葉なのです。説教者もまた、神の道具になりきる必要があるのです。

ですから、説教者としてのイエスさまが父なる神さまのことを「わたしを遣わした方」とお呼びになったことは、イエスさまだけに許された特別な言葉遣いであるわけではなく、この宗教にかかわるすべての人に許されているし、そのように語ることを命じられていることでさえあるのです。

しかし、彼らはイエスさまの言葉を受け入れることができませんでした。嘘を言っていると思ったか、あるいは芝居がかったきれいごとを言っているとでも思ったか、ともかく現実味のない話であると聞いたのです。だから彼らはイエスさまが「わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(34節)とおっしゃった言葉を聴いて「ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか」と、つまり外国旅行でもするつもりなのかと誤解したのです。宗教的な話を聴いても、それを宗教的な次元で捉えることができなかったのです。

イエスさまが「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(7・33~34)とおっしゃった意味を、わたしたち自身は知っています。イエスさまは死ぬ覚悟をなさったのです。その言葉を、外国旅行に行くつもりなのかと全く違う意味で聞かれてしまったのです。イエスさまの言葉をなかなか理解できない人々の姿が、ここに描き出されています。

イエスさまは、祭りの最終日に大声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(7・37~38)。

この御言葉もまた、宗教的な次元の事柄としてとらえる必要があります。「生きた水」とは“霊”のこと、つまり「聖霊」のことであると説明されています。そしてそれは同時に、聖霊なる神がわたしたちに与えてくださる「信仰」のことです。イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえってくださった後に、天の父なる神のみもとにお戻りになりました。そしてその後、イエス・キリストを信じる弟子たちのうえに聖霊が注がれました。その聖霊が「生きた水」となってわたしたちの心に信仰を呼び起こしてくださいました。そして信仰はわたしたちの内から溢れだし、川となってとうとうと流れ続けるのです。

「川」とは継続性と広がりのイメージです。これはわたしたちの信仰生活や教会の伝道を指しています。信仰は一瞬で終わるものではなく、継続的なものです。わたしたちの信仰は神から恵みとして与えられ続けるものなのです。

「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかった」とあります。「イエスが栄光を受ける」の意味は、十字架の上で全人類の罪を贖うみわざを成し遂げられ、かつ、そのイエスさまを父なる神が復活させてくださることを指しています。イエスさまの栄光とは、すなわち、わたしたち罪人の身代わりに死ぬこと、死んでくださることなのです。しかしまたイエスさまが天に昇られたあと、イエスさまの代わりに聖霊なる神が地上に来てくださり、信仰をもって生きる人々の心の中に住み込んでくださるのです。

ですから、イエスさまが目に見えない存在になられた後も弟子たちは寂しくはありませんでした。聖霊の助けによって力強くイエス・キリストの御言葉を宣べ伝え、教会を建て上げていきました。

「生きた水が川となる」とは、それらすべてを指しています。もちろんそれはわたしたちにも当てはまります。松戸小金原教会が来年30周年を迎えます。「生きた水」としての聖霊がわたしたちの教会を導いてくださいました。この地に30年間、一度も尽きることの無い「川」を流し続けてくださいました。そのようにして、信仰者の群れを守り続けてくださったのです。そのことを神に感謝したいと思います。

(2009年9月6日、松戸小金原教会主日礼拝)

はじめのことば

「『キリスト教民主党』研究」「はじめのことば」を書きました。



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はじめのことば



関口 康



日本国内で「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を云々することがどれほど困難で危険を伴うことであり、また、どれほど虚しさや惨めさが漂う取り組みであるかは、よく分かっているつもりです。



そして、そのようなものがわが国に生まれる可能性というような次元に至っては、どれほど早くても半世紀ないし一世紀以上先のことであるという点も明言しておかねばならないほどです。



しかし、国際社会に目を転じてみますと、「キリスト教民主党」を名乗る政党が世界80数か国に存在し、力強い活動を続けていることが分かります(「世界のキリスト教民主党一覧」参照)。なかでもオランダとドイツの「キリスト教民主党」は、現在の政権与党を担当していることで特に有名です。



これで分かることは、「キリスト教民主党」という具体的な形式をもってのキリスト者の政治参加(Christian Political Engagement)は、理論上の空想にすぎないものではなく、世界史の過去と現在において多くの実践事例があるということ、平たく言えば、成功と失敗の歴史があるということです。



そして私がしきりに考えさせられていることは、日本におけるキリスト者の社会的発言と実践の目標は何なのかということです。どうしたらこの国の政治の場に、わたしたちキリスト者の声が、歪められることなく正しく届くのでしょうか。



「教会は政治問題を扱う場ではない」と語られることが多くなった昨今、それではキリスト者は、いつ、どこで、どのようにして政治に参加すべきでしょうか。



それとも、そもそも「キリスト者としての政治参加」(Political Engaging as a Christian)ということ自体がもはや無理なことであり、今日においては時代遅れであると言われなければならないのでしょうか。我々が「キリスト者として」立ちうるのはもっぱら教会の内部だけであり、せいぜい日曜日の朝の一時間だけである。社会と政治の場においては、中立者のふりでもして、自分の信仰を押し隠して立つというような、世事に長けた使い分けをするほうがよいでしょうか。あるいは、「素人どもは黙って手をこまねいていなさい。どうせ歯が立ちっこないのだから」というご丁寧なアドバイスに聞き従うべきでしょうか。



あなたに謹んでお尋ねしたいのは、このあたりのことです。



「キリスト教民主党」について誰かが、ただ《研究》するだけで、わが国にもそのような政党が即座に誕生するというようなことがたとえ奇跡としてでも起こりうるのであれば、誰も苦労しません。私自身はそのようなことは夢想だにしておりませんので、どうかご安心ください。



しかし、《研究》そのものは、誰にでも、そして今すぐにでも始めることができます。とにかく誰かが研究し続けているということが重要です。同じテーマについての先行の研究者たちを批判する意図などは皆無です。どのような協力でもさせていただきますので、お気軽にご連絡いただけますとうれしいです。



なお、このサイトはこのたび全く新規に開設したものというわけではなく、「ファン・ルーラー研究会」や「信仰と実践」(廃止)という名前のサイトで公開してきた政治ジャンルの情報提供サイトを引き継ぐものです。また、「キリスト教民主党」「改革派教義学」は姉妹関係にあります。両者の歴史的かつ思想的な相互関係はそのうち明らかにしていきます。古くからお付き合いいただいている方々には、これからもお世話になりたく願っております。



2009年9月5日土曜日

「キリスト教民主党」研究(4)

たった今、私のブログにコメントが付きました。いわく、「キリスト教を使った侵略者は国外退去」だそうです。そのコメントは、即刻削除しました。



この種の誤解や馬鹿らしい中傷誹謗に、いちいち答えていくことはできません。それをやりはじめると、この国のほとんど1億人ほどの人々を相手にしなくてはならなくなり、その状態が少なくともあと百年は続くでしょう。その苦痛たるやローマのコロシアムでライオンの前に立たされた初代のキリスト者たちと同じか、それ以上でしょう。それに耐えられる人間は、たぶんいません。



インターネット上の中傷誹謗には、人をとことん追いつめるものがあります。日本ではキリスト者として社会的発言をするだけで、なんと「キリスト教を使った侵略者」扱いですから。やれやれです。



「キリスト教民主党」研究(3)

政治の話題をもう一つ。



ちょうどぴったり一年前の今日のことだったと今気づいたのですが、2008年9月4日(木)に「『46週間内閣』の謎」という一文を、このブログに書きました。「安倍内閣メールマガジン」と「福田内閣メールマガジン」がいずれもキッカリ「第46号」をもって終了したことに奇妙な一致を感じ、思わず書いてしまったものです。



もっとも、一年前に私が書いた内容は、半分以上ジョークでしたが、カルト団体がしばしば用いる「謀略説」の一種でしたので(「UFOはナチスの残党が作ったものである」とか「世界のすべてはユダヤ金脈によって牛耳られている」といったたぐいの言説)、「実に恥ずかしいことを書いたものだ」と苦にしながら、「ま、いいか」と放置したままでした。



ところが、です。昨日届いた「麻生内閣メールマガジン」の最終号がなんと「第44号」でした。きっかり46週間というわけではありませんでしたが、わずか二週間違い。ここまで来ると、謀略説、俄然有利です。「フィクサーは誰か。出てこい悪党!」と言いたくなります。



しかし、しかし。謀略説はお詫びして取り下げたいと思います。一年前に「フィクサー」(って・・・)を疑った人物は、違っていたようですから。



今回の選挙に大きな意味を感じた一つは、「公明党」の大敗ならびに与党からの転落、そして「幸福なんとか党」に一議席も与えなかったことです。



私自身は「宗教多元主義」という呼び名で知られる有名な立場、すなわち「あの富士山も、静岡県側から登ろうと、山梨県側から登ろうと、頂上では皆同じである。宗教も、どれを選択しようと、何も信じなかろうと、結果は同じである」とする立場に賛成することができません。正しい宗教的理念に立って政治的に行動する人々がいることを応援する気持ちさえあります。そのため、宗教政党ないし“教会政党”としての「キリスト教政党」の存在を否定することができません。もし日本に「キリスト教政党」が誕生した日には心から喜んで支持したいと思っています。



しかし、そのことと「政治のカルト化」は全く別のことです。わが国の多くの人々に願うことは、「カルト」と「宗教」をどうかきちんと区別していただきたいということです。この区別をなかなかしていただけないことが「キリスト教政党」について真面目に議論することを困難にしている大きな理由にもなっています。



最近は、中学生くらいになっても「神社」と「寺」の違いも知らないという子どもたちが増えているようです。「牧師」と「神父」の違いなど知る由もないといった具合です。だからこそカルトの出る幕があると言えるのか(我々としてはますます警戒心を強めなければならないのか)、それともカルト自身も行き悩んでいるのか(少しは安心してよいのか)は、まだよく分かりません。



2009年9月4日金曜日

「キリスト教民主党」研究(2)

一昨日の「『キリスト教民主党』研究」という文章に、もう少しだけ付言しておきます。



たった今知ったことなのですが、今月18日にバルト神学受容史研究会というグループの編集による『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)という本が発売されるようです。素晴らしいことだと、感動しました。これはぜひ買われ、読まれるべき書物です。まだ手に取って見たわけではありませんが、今からお勧めしたいと思います。



バルト神学受容史研究会編
『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)
http://www.shinkyo-pb.com/post-1031.php



一昨日書いたことも、まさにこの「日本におけるバルト神学受容の歴史」という問題にストレートにかかわることなのです。これは逆説であり皮肉でもあるのですが、「20世紀最大の神学者」にして「反ナチ教会闘争の理論的指導者」とまで言われた「社会派キリスト者のスター」であるカール・バルトがその神学思想によって現代のキリスト教会に残した結果は、「教会の政治的無効化ないし無能化」でした。今や「教会の預言者的な叫び声」など誰の耳にも届かないし、関心ももたれません。



もちろん「キリスト教だの教会だの牧師だのというようなものには、どうか引っこんでいてもらいたい。あのような連中は放っておくと面倒なことになるので、何とかして政治的・社会的に無効化ないし無能化しておかなければならない」とでも願っている方々はバルト神学をどうぞいつまでも信奉し続けてください。あるいは「現時点でそういう結果になっていることの責任はバルト自身には無く、もろもろのバルト主義者たちが悪かったのだ」とでも言って、どうぞあなたの尊敬する教父をかばい続けてください。しかし、私はそういうあなたに全くついて行くことができません。



この問題の重要性の大きさたるや、もしこれを無視するならば、すなわち、この問題が含む重大な問いかけに我々自身が真剣に取り組むことなく、未来を切り開くべく努力することも怠るならば、日本の神学の寿命はあと二十年ももたないのではないかと思うほどです。



そして「神学の死」は「教会の霊的生命の死」を意味します。教会の立派な建物は残るでしょうし、何らかの集会も残るでしょう。「いっそ神学(シンガク)などという質草にならないものには死んでもらったほうが、集会の人数が増えてくれてよいのだが」という正直で真っ当な意見があることも知っています。しかしだからといって譲るつもりはありません。「神学の死」は「教会の死」です。「神学を殺すこと」は「教会を殺すこと」です。神学なき説教、あるいは「神学が杜撰(ずさん)な教会」に苦しめられた過去の日々には、もう戻りたくありません。



しかし、同時に言わなければならないことは、現在の我々がまさに真剣に取り組むべき課題は、疑いなく日本のキリスト教界に最も大きな影響を与えてきたカール・バルトの神学の問題点を鋭く見抜いた上で、「バルト神学」そのものと「日本におけるバルト受容史」とを徹底的かつ全面的に「歴史化」すること、すなわち「過去のものとすること」です。



それはちょうど、前世紀の初頭のバルトが19世紀の神学的巨頭シュライアマッハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher [1768-1834])を「過去のものとした」のと同じことです。今度はバルト自身が、そして彼の神学そのものが「過去のものとされる」番です。



「バルトなどとっくの昔に『過去のもの』になっているではないか。何を今さら」と言われるかもしれませんが本当にそうでしょうか。「カール・バルトという妖怪」が、いつまでも日本の教会に徘徊し続けているのではないでしょうか。あの「神学者」が、あの牧師が、あの教会が、大きな力を持ち続けているかぎり、そう判断せざるをえません。



2009年9月3日木曜日

信仰の道を共に歩もう

ブログを使い始めた頃はこれを「伝道」のために用いるつもりなどは全く無かったのですが、結局私の関心は「伝道」へと向かっていくようだということを改めて自覚させられます。



信仰の人生とはどうしてこれほどまでに楽しく愉快なものなのかと日々感嘆している人間(私)が、この楽しさを何とかして多くの人々に伝えたいと願っているこの気持ちには偽りも揺らぎもありません。



そんな私ですので、どこに何を書いても、結局「伝道」になっていくようです。



ブログのトップページに長らく「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」といういかにも適当に(いいかげんに)考えた大仰な名前をつけてきましたが、このたび大きく路線を変更し、「信仰の道を共に歩もう」という名前にしました。



信仰の道を共に歩もう
http://www.reformed.jp/



くどいようですが、私のブログがこんなふうなものになっていくことを当初は全く予想も期待もしていませんでした。自分でも何がしたいのか、どういうことを目指しているのかが分かっていませんでした。



しかし私は今や、おそらく頭の天辺からつま先まで「牧師」なのです。これ以外の何も私にはできそうもありません。どんなに辛い日々が待ち受けていようとも、なんとか耐えていきます。