2009年5月30日土曜日

いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(4)

そして、ここに特に書いておきたいことは、このような「紙媒体へとつなげていきたい」とする明確な戦略的意図(ストラテジー)を有するという意味で「トータルな」観点から見たインターネットのあり方です。



「影響力の永続性」という観点から見れば、(個人レベルの)インターネットメディアとしては、おそらくブログが最高位ではないでしょうか。というか、ブログはほとんど飽和点に近いものであるような気がしています。そして(もちろん異論はありえますが)メールマガジン、SNS(mixi等)、メーリングリスト、私信メールと続くでしょう。これはちょうど人間関係の「距離感」において遠いほうからだんだん近づいてくる順序であると私には思われますが、どうでしょうか。逆からいえば、人間関係が「ベタなもの」、つまり、濃密であるが狭い範囲にとどまるもの(影響力は小さい)をより下位のほうに置き、そこから次第に「公共的なるもの」(影響力は大きい)を獲得していく順序を辿ってみたつもりでもあります。「このような観点や問題の立て方自体が間違っている」という意見があれば、それを尊重すること、やぶさかではありません。



この中に「匿名掲示板」を含めない(含めたくない)理由は、まさに「匿名」だからです。匿名であることが悪いと言いたいわけではなく、匿名の文筆活動を「わたしの言葉」の中にカウントすることは難しいと思っているだけです。



また、(ブログとは区別される)「ホームページ」というのは、どのように評価すればよいかが、よく分かりません。イベント情報などの告知板としては十分すぎるほどの効果を発しうると思いますが、宗教的・歴史的・社会的・文化的な意味での「永続的な影響力」なるものを「ホームページ」に期待できるでしょうか。無理ではないかと感じられてなりません。



いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(3)

そして、ここから先はやや脱線気味のことですが、私の狭い範囲の体験から言いうることは、前記ランキング表(案)のうち4(定期刊行物での発表)から10(私信メール)までは、執筆者は無給ないしマイナス(自費持ち出し)であるということです。ぎりぎり4(定期刊行物での発表)には謝礼程度のものがつく可能性がありますが、よほど著名な雑誌や紀要ならばともかく、多くの現実はほとんど無給に等しいと言ってよいでしょう。



この点が重大な意味を持ちはじめるのは、「それによってお金(給料ないし謝礼)を受け取っている働きは『仕事』であるが、そうでないもの(お金にならない働き)は『遊び』である」ということを悪い意味で確信している人々に出会うときです。



その人々にとっては、4から10までは(悪い意味での)「遊び」なのです。1から3までが「仕事」です。私に言わせていただけば、これから先の時代においては、4から10までのことに真剣に(仕事同然に)取り組んだことがない人は、1から3までに進んでいくことができません。そのように断言してよいと思っています。



しかしまた、1(著作集)は別格扱いですが、2(文庫・新書)と3(単行本)の場合であっても「売れる」または「当たる」まではマイナス(持ち出し)であるということは明白です。私自身は、1から3までの体験がまだありません。上記の価値観を持つ人々からみれば、すべて「遊び」でした(ごめんなさい)。つまり、私は、文筆活動によって儲けたという経験(=研究活動費を得たこと)が、まだ一度もないのです。しかし、だからこそ、「売れない」または「当たらない」執筆者の気持ちがよく分かるつもりでいます。



1(著作集)の実現は、「売れた」または「当たった」ことがある文筆家だけに許されている特権でしょうし、すでに十分な支持者(読者)を得ている人の王冠でしょう。もちろん、なかにはその作家自身の持ち出しで作られる「著作集」もあるかもしれませんが、支持者によって結成された「著作集刊行会」などが資金面を支えるのではないでしょうか。



しかしお金の問題は一瞥するだけにして横に置きます。前記ランキング表(案)に電気信号媒体のもの(ブログ、メールマガジン、SNS、メーリングリスト、私信メール)と紙媒体のもの(著作集、文庫・新書、単行本、定期刊行物、私家版)とをわざわざ混在させている意図は、どちらであってもそれらの媒体によって出回るものは我々自身が発するコトバであり、我々が書くモジであることに変わりはないという点を明らかにしたいからです。



異なるのは、書き手の側からいえば「見せ方」(プレゼンテーション)、読み手の側からいえば「見え方」(外観、外見、見てくれ)だけです。いかなる媒体を用いるにせよ、紛れもなくそれは、わたしが発したコトバであり、わたしが書いたモジであり、すなわち「わたしの言葉」であることに変わりはないのです。



ところが、この「見せ方」ないし「見え方」によって「影響力」という点が全く変わってくるわけです(ここに「お金のかけ方」という点も重要な要素として加わってくるでしょう)。



「わたしの言葉」に確信を抱いており、それに大きな(そして「永続的な」)影響力を期待したい人は、「見せ方」に力を注がなければならない。そのように、改めて思うのです。





いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(2)

コトバの持つ「影響力」の中には、一時的・瞬間的なものと永続的なものとがあるわけです。前者は、たとえば経済効果(一時的な景気回復など)のようなことには役立つと思います。しかし、私の関心はそちらのほうではなく、後者の面です。すなわち、宗教的・歴史的・社会的・文化的な永続性を持つ「影響力」です。



また、個人のレベルで取り組むことができるものに限って考えています。テレビやラジオや映画などのような数億、数十億、数百億といったお金をかけて営まれているマスメディアの話は、別世界の話です。



文筆活動というものを以上の意味での「永続的影響力」が高い順に並べていくとしたら、こんなふうになるのではないでしょうか。ただし、これはまだ何ら厳密な話ではなく、ただの思いつきです。



■ 個人レベルで取り組める文筆活動ランキング―「永続的影響力」が高い順―(案)



1.著作集(ハードカバー、ケース付)
2.文庫・新書(ソフトカバー付)
3.単行本(ハードカバー付、またはペーパーバック)
4.定期刊行物(雑誌、紀要、新聞など)で発表された文書(論文、随想など)
5.ブログ(画像やPDF版やMP3音声などを含めてよい)
6.メールマガジン
7.SNS(mixi等)
8.メーリングリスト
9.私家版の印刷物(コピー、リソグラフなど)
10.私信メール(手書きのハガキや手紙も含めてよい)



立場や見方によって異なる順位がありうると思います。しかし、いずれにせよ、このように並べるとほぼ明白に見えてくることは、(当たり前の話ですが!)この意味での「影響力」と上記の意味での「距離感」とはちょうど反比例の関係にあるようだ、ということです。



いわば「距離感と影響力の関係」のようなこと(1)

mixi(ミクシィ)というのを始めたのが昨年8月ですから、あと二ヶ月で丸一年も続けて来てしまった格好になります。関口康日記(ブログ)を始めたのは昨年1月ですから、こちらはまもなく一年半。メールは、「パソコン通信」(PC-VAN)を始めた1996年夏から数えると十三年。



ついでに言えば、メーリングリストの管理は「ファン・ルーラー研究会」を始めた1999年2月から数えれば、まもなく十年半。メールマガジンは「今週の説教メールマガジン」を発行し始めたのが2004年9月ですから今秋で五年になります。



最初は慣れないことや馴染めないことだらけでしたが、私なりの目標を定めて続けているうちに、これらを使うコツというか、ツボというか、落としどころというか、もっとはっきりいえば「ビジネスモデル」のようなことが、まだ何となくぼんやりとではありますが、少しずつ見えてきたような気がしています。もちろんすべてのことに当てはまることではありますが、体験してみなければ分からないことの典型的な一つがこれ(インターネット!)ではないかと思わされています。



最近とくに腹におさまるものが出てきたのは「距離感と影響力の関係」とでも言いうるようなことです。思いついてみれば、こんなこと誰でも分かる当たり前の話であると気づくのですが、実際に体験してみるまでは思いつきもしませんでした。



「距離感」というのは人間関係のことです。近く感じる人と遠く感じる人。相手のすべてとは言えなくても相手の多くを知ることができる関係と、知ることができない、または知る必要がない、あるいは知るべきではない関係。



「影響力」ということで言いたいのは、ある人が発するコトバが、主として肯定的(ポジティヴ)な意味での感化を及ぼし、共鳴を引き起こす力と、その範囲。ただし、私が考える「影響力」には永続性という点が含まれます。



遊び人の発想(2)

前にも書きましたとおり、ノートパソコンに入っていたデータのほとんどは会議録とか名簿のようなものではありません。そのような教会関係のデータのほとんどは、それをプリントアウトして教会役員なり教会員なりに配布します。そして最終的には記録誌にして製本します。その時点でデジタルデータそのものは、役割を終えるのです。



それが時代遅れなのかどうかの判断は難しいものですが、教会の世界は依然として、なんらペーパーレス社会ではありません。ペーパーにしてなんぼの世界なのです。



もちろん、データファイルとしてパソコン内に保存しておくほうが便利だと思えるものもあります。毎年行っている行事などの場合は、前年に行ったことが「ひな型」になりますので、前年のデータファイルが残っていれば、ゼロから作り直す必要がなくなる。



しかし逆にいえば、それらのファイルは「ひな型」としての価値しかないものです。ゼロから作り直す必要がないので便利、というだけのことです。上記のとおり、データの内容は、プリントして配布し、さらに記録誌を作成した時点で役割を終えます。後生大事に保存しておく必要は何もありません。しかし、このたび復旧しえた95%のデータは、この部分です。





遊び人の発想(3)

失った5%の中身は何だったか。それは、説教や論文や翻訳などの「下書き」(未発表文書)です。それらのうちで「下書き以上、ペーパー化未満」のものの多くはブログ上にさらしてきましたので(つまりそれはデジタルデータが(ウェブ上にであれ)存在するということですので)、すべてセーフです。



しかし、未発表文書の中には、最近のものだけではなく、十二、三年前から「下書き」のままのものも含まれています。古くからの「下書き」の中にはペーパーとしてプリントアウトしてファイリングしてあるものも結構あるのですが、プリントアウトした後にもちょこちょこと(数行分とか数単語分とかの程度を繰り返し)書き直していますので、「最新版」は常にパソコン内にあるという状態になっています。



そのような微妙な書き直し(いわゆるマイナーチェンジというやつです)は、「あ!」とひらめくものがあるたびに行ってきたものですが、そのたびにバックアップ用の外付けハードディスクがブンブン回りはじめますとパソコン全体がフリーズしそうになったり、動きが遅くなります。私のパソコンは会社に備え付けられているような立派なものではなく、自費で買える程度の性能の低いものですから。そのため、ふだんはバックアップ用の外付けハードディスクは外しているのです。



「大切だと思っているのなら、なぜバックアップしていなかったのか」と詰問されると答えに窮するものがあるのですが、その理由は大体ここに書いたようなことです。





遊び人の発想(1)

パソコン関連については、ほぼ復旧いたしました。クラッシュしたノートパソコンがとてもお気に入りのものだったこともあり、壊れて(壊して)しばらくは脳内がフリーズしていた面があります。しかし、落ち着いてからいろいろ考えているうちに、ここにもあそこにもデータをバックアップしていたことを思い出し、それらを手繰り寄せていくうちに、ほぼ95%はデータを復旧できました。ありがたいことだと思っています。



ところで、「データのバックアップ」という問題については、この機会にいろいろ考えさせられました。「バックアップするのが当然。していない人間は愚か」という意見を聞くことができたからです。



しかし、私は、このような意見をこのたび何度となく聞かされるに及んで、なにかとても深い違和感にとらわれてしまったのです。それで考えさせられたのは、「この違和感の正体は何なのだろうか」ということです。



それで、やっと少し分かってきたのです。



ああ、牧師ってやっぱり基本が「遊び人」なのだと(私だけかもしれませんが)。



会社勤めをしておられる方々とは、パソコンの使い方が根本的に違うようだと。



2009年5月26日火曜日

今年の「生誕祭」ベスト20

どなたが調べてくださったのかは分かりませんが、「2009年 記念 生誕」の検索語でgoogle検索してみると、興味深い順位で表示されることを知りました。われらがカルヴァン先生の大健闘を見よ!(ファン・ルーラー先生は昨年2008年が「生誕100年」でした)



○今年の「生誕祭」ベスト20(重複記事は除く、2009年5月25日現在)



第1位 「松本清張 生誕100年」(小説家、まつもとせいちょう)



第2位 「カルヴァン生誕500年」(拍手!パチパチ)



第3位 「スズキアルト生誕30年」(自動車)



第4位 「赤坂小梅 生誕100年」(民謡歌手、あかさかこうめ)



第5位 「ダーウィン生誕200年」(科学者)



第6位 「手塚 治 生誕80年」(漫画家、てづかおさむ)



第7位 「太宰 治 生誕100年」(小説家、だざいおさむ)



第8位 「加藤清正 生誕450年」(熊本大名、かとうきよまさ)



第9位 「ゲームボーイ生誕20年」(ゲーム機)



第10位 「吉澤儀造 生誕140年」(洋画家、よしざわぎぞう)



第11位 「小泉信三 生誕120年」(慶応義塾塾長、こいずみしんぞう)



第12位 「楊洲周延 生誕170年」(浮世絵師、ようしゅうちかのぶ)



第13位 「バート・バカラック生誕80年」(歌手)



第14位 「横山隆一 生誕100年」(漫画家、よこやまりゅういち)



第15位 「メンデルスゾーン生誕200年」(作曲家)



第16位 「向田邦子 生誕80年」(脚本家、むこうだくにこ)



第17位 「オリヴィエ・メシアン生誕100年」(作曲家)



第18位 「土門 拳 生誕100年」(写真家、どもんけん)



第19位 「リンカーン生誕200年」(政治家)



第20位 「伊藤真乗 生誕100年」(真如苑開祖の方だそうです。いとうしんじょう)



2009年5月24日日曜日

人生における飛躍の要素


ヨハネによる福音書4・43~54

「二日後、イエスはそこを出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある。ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下っていく途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、『きのうの午後一時に熱が下がりました』と言った。それは、イエスが『あなたの息子は生きる』と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。」

今日の個所に記されていますのは、ヨハネによりますと、わたしたちの救い主イエス・キリストが行ってくださった「二回目のしるし」です。

これが二回目であるということは、当然、これより前に一回目があったということです。「最初のしるし」の内容は、カナの婚礼において水をぶどう酒にお変えになるというものでした。それは驚くべき奇跡的なみわざでした。「二回目のしるし」もまさに驚くべき奇跡的なみわざでした。それはどのようなものであったのかを、これから見ていきたいと思います。

その際、今日、皆さんに注目していただきたいと願っており、私自身もこだわりたいと思っている問題は、この「二回目のしるし」が行われた場所はどこだったのかということです。後ほど詳しく申し上げますが、この点はこの個所全体を理解するためにとても重要な意味を持っているからです。

考えられる可能性は二つです。第一は、「二回目のしるし」はガリラヤのカナで行われた可能性です。「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた」(46節)と記されていることを重んじ、そこからの移動はないと考えることです。

しかし、第二の可能性があります。それは、今日の個所に登場する「カファルナウムの役人」は、マタイによる福音書(8・5~13)とルカによる福音書(7・1~10)に出てくるあの「百人隊長」のことであると考えることです。

マタイもルカも、百人隊長の子供が癒されたとき、イエスさまがカファルナウムの百人隊長の自宅近くまで来られたことを明らかにしています。もしわたしたちがマタイとルカが紹介しているのと同一の出来事をヨハネも別の視点ないし角度から紹介しているに違いないと理解するとしたら、イエスさまはカナからカファルナウムへと移動なさったのだと、ヨハネが書いていない部分を読み込んだり補ったりしながらではありますが、考えることもできるわけです。ですから、この第二の可能性も否定することはできません。

さて、私はなぜこのようなことを問題にしているのでしょうか。先ほどから問うているのは、イエスさまが「二回目のしるし」を行ってくださった場所はどこなのかということです。この問題が持つ「重要な意味」とは何でしょうか。これから申し上げることがその答えです。

そこで、注目していただきたいことは、第一の可能性と第二の可能性の決定的な違いは、カファルナウムからイエスさまのもとに「わたしの息子を助けてほしい」と依頼する声が届いたときに、イエスさまがカナからカファルナウムへと移動なさったか、それとも移動なさらなかったかであるということです。移動なさったと見るのが、第二の可能性です。移動なさらなかったと見るのが、第一の可能性です。

私の見方は、ヨハネが記しているのはどうやら第一の可能性である、というものです。つまりイエスさまは全く移動なさいませんでした。そのように私はこの個所を理解します。確実に語りうる事実は、ヨハネ自身は、イエスさまがカナからカファルナウムへと「移動なさった」というふうにはどこにも記していないということです。この点を尊重しなければならないと思っているのです。

第一の可能性か、それとも第二の可能性か。つまり、イエスさまは移動なさらなかったのか、それとも移動なさったのか。おそらくこの違いは、わたしたちの感情ないし感覚のレベルからいえば、非常に重大なものです。おそらく皆さんにはすぐにご理解いただけるでしょう。「わたしの息子が死にそうだ」と言って嘆き悲しむ人の声をお聞きになったときに、イエスさまは一歩も動かれなかったのか、それともすぐにかけつけてくださったのかでは話が全く違うということに。

この役人がイエスさまに願ったことは、「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように」(47節)でした。しかし「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(49節)とも言っています。彼の願いの要点は、とにかくイエスさまに来ていただきたいということでした。

とにかくわたしの家まで来てくださった。この子が癒されるようにと、とにかく祈ってくださった。その結果としてその子が死んでしまったとしても、それはそれで受け入れるしかない。そのことは分かっている。

医師の場合はもちろんこと、牧師の場合でも、今すぐにも死にそうな苦しみを味わっている人がいれば、とにかく現場にかけつける。手の施しようがあるうちは全力を尽くして何とか手助けをする。その結果として間に合わなかった、あるいは助けらなかったという場合ならば、お赦しいただける面があるはずです。

しかし、どんなに助けを求めても何もしてくれなかったし、一歩も動いてくれなかったということになりますと、話は大きく変わってくるでしょう。感情を著しく逆なでされるものがあるでしょう。

ここに決定的な違いがあると思われるのです。マタイとルカが描いているイエスさまの姿と、ヨハネの描いているイエスさまの姿は、明らかに違います。前者は、困っている人のところに一目散にかけつけてくださる、腰の軽いイエスさまです。後者は、どこかしら人を突き放しているようにも感じられる、なんとなく動きの鈍いイエスさまの姿です。

しかし、誤解がありませぬように。私は、ヨハネの描いているイエスさまの姿は間違いであるとか、冷たい印象であるなどと言いたいわけではありません。ヨハネによりますと、イエスさまはこの人に向かって「帰りなさい。あなたの息子は生きる」(50節)とお語りになりました。この言葉に含まれているものは、確かに厳しいものではありますが、決して冷たいものではなく、むしろ強い励ましであると考えることができます。

この人はイエスさまのおっしゃったこの言葉を聞いて、それを信じて自分の家に帰って行きました。このイエスさまの言葉は「息子が死なないうちに、カファルナウムまで来てください」というこの人の願いごとに対するお返事として言っておられることですので、イエスさまはこの人の願いを事実上断っておられるのです。「来てください」をいう願いを聞いて「はい分かりました。一緒に行きましょう」と言われたのではなく、「わたしは行きません。あなたが一人で帰りなさい」と言っておられるのです。

ぜひ誤解しないでいただきたいことがあります。イエスさまがこの人の願いを(事実上)断っておられる理由は、「わたしは他の仕事で忙しいのだから、あなたの息子がどうなろうが知ったことではない。さっさと一人でお帰りなさい」というようなことではありえないということです。もしそんな話だとしたら、イエスさまは救い主失格です。救い主の風上にも置けない!

それでは、どういうことでしょうか。わたしたちが信頼してよいことは、イエスさまがこの人を一見突き放しておられるように見えるやりとりの中にも、深い愛と憐みの御心があるということです。

一目散にかけつける、近くに寄り添う、目を見る、手を握る、顔と顔を合わせて温かい言葉をかける。そういうふうにすることだけが愛であり、憐みであり、救い主のみわざであり、教会の牧会的なわざであるということであるならば、イエスさまのなさったことはすべてそれに反しています。しかし、イエスさまがこの人にお求めになったのは、一言でいえば「信仰」です。あなたは神さまを信じていますか。あなたの息子さんの命を支えておられる神さまを信じていますか。この問いかけがあると言えます。

イエスさまはこの人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)と言われています。困ったときに、何かをしてもらった。助けてもらった。人間離れした不思議なわざを見た。そのようなことでもなければ神など信じないし、教会に通わない。そのようなあり方を、イエスさまは厳しく問いかけておられます。

「帰りなさい」というイエスさまのお言葉の意図は「信じなさい」です。あなたの息子は生きると信じなさい。神さまがあなたの息子を生かしてくださると信じなさい。しるしを見たから信じるとか、イエスさまがかけつけてくださったから信じるというのではなく、何は無くとも信じなさい。そのように勧められているのです。

何かをしてもらったから信じる。たとえば自分の息子をいやしていただいたから信じる。もちろんそのような信じ方はありうるものです。しかし問題は、わたしたちは本当にそれだけでよいのでしょうかということです。その息子がまた病気になるということは、当然ありうることです。わたしたち人間は、いつかは必ず亡くなります。そのとき同時に信仰の根拠まで失われてしまうことになるでしょう。

教会が何かをしてくれた。だからわたしは信じます、というような信じ方にも同じようなことが当てはまります。わたしたちの長い人生のなかでは引っ越しや転勤などで教会を変わることがありえますし、牧師も交代していきます。しかし、通う教会が変わり、牧師が代われば、同時に信仰の根拠もなくなってしまうということでは、やはり困るのです。教会と牧師が困るのではなく、あなた自身が困るのです。

マタイやルカとは違い、ヨハネがあたかもイエスさまが移動なさらなかったかのように描いていることによって強調していると思われる点は(事実、イエスさまは移動なさらなかった可能性があります)、まさにこの「あなたの信仰が問われている」という面であると考えることができます。

イエスさまのほうから来てくださり、わたしのために何かをしてくださったので信じるという信じ方は、ある意味で合理的な信仰です。しかし、まだ何もしてもらっておらず、目の前の事態は何も変わっていないときに信じるという信じ方には、明らかに「飛躍」があります。その飛躍を、イエスさまはこの人にお求めになったのです。

(2009年5月24日、松戸小金原教会主日礼拝)

新体制発足

22日(金)に新しいパソコンを購入しました。熟考の末、ノートパソコンとデスクトップパソコンを同時に。



ノートは懲りずにVAIOです(ソニーさん、悪口言ってごめんなさい)。デスクトップはパソコンショップのオリジナル品です。価格は、両方合わせても、かつてのぞっとするほどと較べては、べらぼうなものではありません。良い時代になったものです。



ノートは教会の牧師室に(できるだけ持ち運ばないようにと思っています)、デスクトップは自宅(牧師館)に置くことにしました。



二台ともCORE2DUOになりました。OSはVISTAですがメモリ4ギガとなりましたので、動作の速さは私には申し分ありません。イライラが解消しました。データの再整理を急いでいるところです。



自作パソコンには後ろ髪引かれるものがありますが、じっくり取り組む時間がありません。パソコンクラッシュでもたもたしている間にもまさに次から次に仕事依頼が舞い込み、大渋滞状況でした。一刻の猶予もありませんでした。いろいろお待たせしてご迷惑をかけてしまった方々にお詫びしなければなりません。



また、自作パソコンには無くてメーカー品にあるもの、それは何といっても美しい外観です。VAIOのスタイルには圧倒され、魅了されるものがあります。「それはあなたの小児性の表われだ」と妻には言われますが、私はいまだに(現在43歳です)女性とパソコンに美しさを求めてしまいます(ごめんなさい)。



デスクトップのほうは「外見なんてどーでもいい、ストレスなく仕事してくれりゃーいい」という基準で選びましたが、なかなかどうして大したものです。



おそらくこれで、これから数年はパソコンのハード面で苦しむことはなさそうです。手を滑らせさえしなければ(がくっ!)。