おはようございます。今日はこの教会の教会学校で初めてお話しします。でもまだ最初ですので、聖書のお話というよりも、私の「この人だあれ」の自己紹介のような話をさせていただきます。みなさんにも自己紹介をしてもらいますからね。いろいろ教えてください。よろしくお願いします。
私の仕事は牧師です。4月からこの教会の牧師になりました。これまでもいくつかの教会の牧師をしてきました。高等学校で聖書を教える先生になったこともありますが、それも牧師の仕事の延長です。とにかくずっと牧師の仕事をしてきました。牧師はとても楽しい仕事です。自分ではそうだと思っています。
それで今日みなさんに考えていただきたいことがあります。もしみなさんの中に、洗礼を受けるかどうかで迷っている方がおられるようでしたら、ぜひ考えてほしいということです。それと、自分は将来何になろうかと悩んでいる方がおられるようでしたら、牧師になることをぜひ考えてほしいということです。
今まで私は誰に対しても「洗礼を受けてください」とも「牧師になってください」とも言ったことはありません。だって、それを言うと「私は〇〇先生から言われたから洗礼を受けました」とか「牧師になりました」と言い続けて、人のせいにする人が出てくるからです。
逆に、いつも意地悪く「洗礼を受けないでください」「牧師にならないでください」と言ってきました。私がそう言うと、どんどん洗礼を受けてくださり、どんどん牧師になりました。人はアマノジャクのようです。あ、アマノジャクってみんなは知らないか。(「知ってる!」という声)あ、知ってましたか。
私がどうだのと言うつもりはありませんが、楽しそうに見えるようなんですよね。牧師の仕事は楽しいです。私が楽しそうにしているので、ああいうのもいいかなと思ってくださる方がおられたかもしれません。実際どうだかは分かりませんけどね。だからみんなもぜひ考えてみてください。楽しいですから。
私は生まれたときから通っていた教会の附属の幼稚園を卒業しました。その幼稚園の年長組さんのとき、小学校に入る前のクリスマスに、自分で牧師先生に申し出て洗礼を受けました。45年も前のことですが、そのときのことははっきり覚えています。
小学校に入ってからもずっと教会に通いました。途中ですごくイヤになったことがありましたけどね。日曜なのに、眠いのに、友達はプールとか行って遊んでるのに、なんでぼくは教会に行かなくちゃいけないのとかね。でも自分で「洗礼を授けてください」と言ったことを忘れることができませんでした。
だって、神さまとの約束ですからね。その約束を破るのは、神さまにも申し訳ないですが、自分自身を裏切ることでもあると思えてきて、どんなにイヤだと思っても教会に行きました。どんなにイヤだと思っても、とかはわざわざ言わなくてもいい、余計な言い方ですけどね。でも本当にそうだったんです。
それで高校3年生の夏休みになって、自分がどこの大学に行くかとか、どういう職業に就くかで悩んでいたとき思い浮かんだことが、ぼくは小さいときからずっと教会に通ってきたので、教会で何かお仕事させていただきたいなということでした。
それで牧師先生のところに行って、どう言おうかと迷って、「先生、ぼくは将来、教会のトイレの掃除をするような仕事をしたいと思います」と言いました。今考えた作り話ではないです。本当にそう言いました。高校3年生の夏休み。そうしたら先生が「それなら牧師になりなさい」と言ってくれました。
それから牧師先生が牧師のなり方を教えてくれまして、そういう大学に行って試験を受ければ牧師になれると分かりました。それで先生が勧めてくださったのが三鷹市にある東京神学大学でした。三鷹市は近いですよね。私は岡山県にいたので、三鷹市がどこかも、東京神学大学が何かも知りませんでした。
それで、東京神学大学を卒業したのが24歳で、いま52歳です。ずっと牧師の仕事をしてきました。52から24を引くといくつ?って、それはまあいいや。ずっと楽しかったです。牧師は楽しいです。だからね、みんなもぜひ考えてみてくださいね。
イエスさまが最初の弟子を集めるときに「私についてきなさい。人間をとる漁師にしましょう」とおっしゃいました。イエスさまと弟子たちの関係と、牧師と教会の人たちの関係は違いますけどね。でも、「牧師の仕事は楽しいから牧師になってください」と言えるのは、牧師さんたちだけかもしれません。
でも、私のせいにしないでくださいよ。「〇〇先生に言われたから牧師になりました」とか言うのは無しで。責任とれないし。自分自身と神さまとの約束ですからね。それは忘れないでください。私は知りませんからね。自分でしっかり考えて、神さまにお祈りして決めてください。よろしくお願いします。
(2018年6月3日、教会学校)