桜美林大学(東京都町田市) |
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ルカによる福音書16章27~31節
関口 康
「金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」
桜美林大学の皆さま、こんにちは。関口康と申します。よろしくお願いいたします。
今日の礼拝が「地域連携特別週間」のそれであるということを、たったいま知りました。今の教会には4月に転任したばかりですので、教会についてお話しする資格はありません。そういう準備は全くしていませんので、別の話をさせていただきます。
最初に私の自己紹介をさせていただきます。しかし、詳しいことを申し上げる時間はありませんので、ちょっとだけ。
私は一昨日月曜日に、東京都杉並区の東京女子大学のチャペルで説教させていただきました。一日置いて今日水曜日は桜美林大学のチャペルにお邪魔しています。一週間で二つの大学をお訪ねすることになりました。
ツイッターでバズった人に「お前、有名人じゃん(草)」というリプを飛ばす人がいます。私も今週ですっかり有名人です。私もツイッターをしますので、ぜひフォローしてください。しかし、今は礼拝中ですので、私の話を聴いてください。礼拝中のスマホいじりは禁止です。
しかし、という接続詞でつなぐ話ではないかもしれませんが、昨日火曜日は八王子に新しくできたばかりのインターネット通販サイト「アマゾン」の倉庫でアルバイトをしていました。
朝8時から夜7時まで10時間(休憩1時間)、時給1000円、週3日。アルバイトしながらでもないと成り立ちにくいのが牧師の仕事でもあります。すべての牧師がアルバイトしているわけではありませんが。
本当は今日もアマゾンのアルバイトに行く予定だったのですが、せっかく桜美林大学のチャペルで説教をさせていただけることになりましたので欠勤しました。事前に欠勤届を出しましたので、無断欠勤ではありません。
昨日の仕事はストーでした。ストーというのは倉庫に大量に届く商材を倉庫の棚の中に入れていく仕事です。私の作業内容は日によって違いますが、私に回してもらえる仕事は、ストー以外はピックかパックです。
ピックというのはお客さんが注文した商品の情報が倉庫に届くので、その情報に基づいて商品を探して集める作業です。パックというのは商品を梱包する作業です。
その倉庫はJR八高線「北八王子駅」徒歩15分のところにあります。アルバイトを探している方がおられるようでしたら、ぜひ応募してください。大募集中ですので、きっと採用してもらえると思います。
このままアルバイトの話を続けるほうがぜったい面白いと思いますが、私は今日、そういう話をしに来たわけではありません。今日の説教に「どうすれば親孝行できるか」という題を付けました。「どうすれば大学生の皆さんが、いちばんむかつく題になるか」を考えました。
私にも2人、子どもがいます。上が23歳、下が20歳。皆さんと同世代です。ということは、皆さんの親御さんが私と同世代の方々だということです。
その私が皆さんに「どうすれば親孝行できるか」という話をするということは、私が自分の子どもたちに「どうすれば私に親孝行してくれるのか」と説教するのと同じです。嫌でしょう、そんな親。殺意を抱くレベルかもしれません。そういうことはよく分かっているつもりです。
そして、今日の説教の結論を先に言えば、皆さんが親孝行のために特別に何かをする必要など全くない、ということです。「ナニそれ?」と思われるかもしれませんが、そうとしか言いようがありません。「そんなことはどうでもいい」というのが今日の結論です。
先ほど朗読していただきました聖書の箇所は、イエス・キリストのたとえ話です。お金持ちの人がいました。その人の家の前にいつも寝ているラザロという人がいました。体中に吹き出ものがありました。それを犬が近寄ってきてなめたりしました。
その後、ラザロは死にました。お金持ちの人も死にました。人生は平等です。貧しい人も死にますが、お金持ちの人も死にます。いずれにせよ人は必ず死ぬという点で、人生は平等です。
死んだラザロは天国に行きました。アブラハムという旧約聖書の登場人物が天国にいて、ラザロを迎え入れてくれました。お金持ちの人は苦しい地獄に行きました。その人が見上げると天国のラザロとアブラハムの姿が見えました。
お金持ちだった人が大声でアブラハムに、そこにいるラザロを私のところによこせと言いました。「お金持ちだった人」と過去形で言いました。だってこの人はもう死んでいるのですから。天国にも地獄にもお金を持っていくことはできませんから。
その人がアブラハムに言ったのは、ラザロの指に水をつけて私の渇いた舌を冷やさせろということでした。するとアブラハムは、それは無理だときっぱり断ってくれました。それはそうでしょう。この人は生きている間、苦しんでいるラザロに施しひとつせず、見殺しにしていたのですから。
すると、金持ちだったその人がまだ言う。私の父親の家に兄弟が5人いるので、その者たちのもとにラザロを遣わして、こんな苦しい地獄に来ないで済むようにラザロを使って言い聞かせてくださいと。そのこともアブラハムはきっぱり断ってくれました。
なんでこの人、こんなに偉そうなのでしょうか。この人のおかしさは、自分はもう死んでいるのに、ラザロがまだ自分の言うことを聞く手下になると思い込んでいることです。
さっきから言いたくて我慢している言葉を言っていいですか。こいつ、ばかです。
私は皆さんにはぜひお金持ちになっていただきたいです。皮肉でなく心からそう願っています。しかし、人を見くだす人間にならないでください。もし私が皆さんの親なら、自分の子どもにそのことをこそ願います。私もつい「ばか」と言いました。反省します。ごめんなさい。
皆さんにはぜひ会社に入ったら、リーダーになってほしいし、スーパーバイザーになってほしいです。マネージャーになってほしいし、オーナーになってほしいです。しかしそうなったとしても、アルバイトの作業員を自分の手下だとかコマだとか、そういうふうに思い込まないでほしいです。
もし私が皆さんの親なら、皆さんがどんなに偉くなっても、人を見くださない、ばかにしない人になってほしいです。すべての親が私と同じ考えかどうかは分かりませんが。
そういう人に皆さんがなることこそ「親孝行」です。親孝行のために特別にしなければならないことは、何もありません。
(2018年6月20日、桜美林大学チャペルアワー)