2017年12月24日日曜日

大いなる光キリストの誕生(上総大原教会)

日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)

ルカによる福音書2章1~14節

関口 康

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

上総大原教会の皆さま、クリスマスおめでとうございます。今年のクリスマス礼拝に説教者としてお招きいただき、ありがとうございます。今日もよろしくお願いいたします。

しかし、今日は12月24日、クリスマスイヴです。クリスマスは明日です。その意味では今行っているのはクリスマスイヴ礼拝なのかもしれません。

最初に個人的な話になって恐縮ですが、私にとってクリスマスイヴは2年前から特別な意味を持つようになりました。2年前の2015年12月24日に千葉県柏市の借家に家族で引っ越しました。そしてその1週間後の12月31日に教会の牧師を辞職し、19年間所属していた教派を退会しました。

よりによってクリスマスに牧師交代を求める教会に言いたいことはありますが、言うのを我慢しているだけです。2016年4月から2017年3月まで高等学校で聖書を教える常勤講師になりました。2017年4月以降は日本キリスト教団の無任所教師になりました。

つまり、私にとっての2年前のクリスマスイヴはのんびり楽しい日などでは全くなく、複雑な思いを抱えながら家族と共に新しい旅を始めた記念すべき日となりました。2人の子どもはすでに大学生と高校生でした。「妻がみごもって」はいませんでしたが、私と妻は「泊まる場所」を探しまわるヨセフとマリアさながらでした。

クリスマスとは何でしょうか。身も蓋もない言い方をしてしまえば、ひとりの赤ちゃんが生まれた日です。ただそれだけです。今でこそ世界中で大騒ぎする日であることになっていますが、特に名もない一般家庭に初めての子どもが生まれた日です。しかも旅先の宿も得られず、医者も看護師もいず、出産環境も劣悪極まりない中で、ほとんど人知れず生まれることになった子どもです。

それだけではありません。よく知られているとおり、マリアは未婚の母となりました。フィアンセのヨセフはマリアに宿る子どもが自分の子どもでないと知り、疑念と不安に陥りました。その事態を彼らは「天使のお告げ」でなんとか乗り越えました。

長旅を強いられたのは、その後のことでした。苦労して苦労してやっと生まれた子どもの出産祝いに駆けつけてくれたのは近所で徹夜で働いていた羊飼いたちと、遠い東の国から来た占星術師たち、そして「天使」でした。

彼らは野原や砂漠で子どもを産んだわけではなく、雨風しのげる屋根のついた場所だったではないか、それは幸せなことではないかという話になるでしょうか。誰もいなかったわけではなく、羊飼いや博士がいたではないか、何より「天使」が来てくれたではないか、それは幸せなことではないかという話になるでしょうか。

そういうふうに明るくポジティヴに解釈するのは、ある意味で自由です。しかし、新約聖書、とくにマタイによる福音書とルカによる福音書が、イエス・キリストの降誕の出来事について、これでもかこれでもかと描き出す状況はきわめて暗くネガティヴな意味しか持っていないと、私には思われてなりません。

乱暴な言い方はしたくありませんが、どうしても明るくポジティヴに解釈したい方は、その方自身が実際に同じ状況を味わってごらんになればよいのです。とか言うと「私は味わいました」「私もです」と次々に手を挙げてくださる方がおられるかもしれません。身に覚えのない妊娠。臨月の長距離旅行。家畜小屋での出産。「こんな幸せなことは他にない」などと言えるでしょうか。

最初のクリスマスの出来事を描いている聖書の個所の主人公は、その日にお生まれになったイエス・キリストではありますが、イエスさまはただ泣いておられただけです。その日に苦しんだり悩んだりしていたのは母マリアであり、父ヨセフです。その意味ではマリアとヨセフも主人公であると言ってよさそうです。

今日みなさんに開いていただいた個所に描かれているのもまさにその状況ですが、このたび改めて読み直してみて、興味深く思えたのは「天使」の役割です。天使はマリアにもヨセフにも現れました。マリアの親戚のエリサベトにも夫ザカリアにも現れました。ベツレヘムの羊飼いたちにも東方の占星術師たちにも現れました。

全員に共通しているのは、彼らが眠ると夢に「天使」が出てくる点です。しかし今日の個所に出てくる天使は、「羊飼いたちは眠っていた」とは書かれていませんので、起きているときには天使は現れないということではありません。

しかし、そのことよりも大事なもうひとつの共通点は、「天使」がそれぞれの人に現れるときは必ずその人々が元気になるような、励ましや慰めの言葉を語っていることです。救いの希望、解放の喜び、約束の実現が語られています。天使が出てくる夢を見た人々は、きっと寝覚めが良かったと思います。もう一度目をつぶって夢の続きを見てみたいと思うほどに。

しかしまた、これもある程度共通していることですが、「天使」が出てくる夢を見て、天使の言葉に慰められたり励まされたりした人々の実際の現実は、暗くてネガティヴなものだったということです。それは、布団に潜って目をつぶっても一晩中眠れないほどの悩みや苦しみを抱えていた人々でした。

みなさんの中に不眠で悩んでいる方がおられませんでしょうか。眠れるのがどんなに幸せなことかと思っておられる方が。イエス・キリストがお生まれになるというこの出来事に際して「天使」の夢を見た人々は、不眠に苦しんでいる方々と大なり小なり似ている状況の中にいました。その意味では、彼らが見た「天使」は、夢か現(うつつ)か幻(まぼろし)か見分けがつかないような存在だったかもしれません。

そして、さらにもうひとつの共通点があります。それは、彼らが見た「天使」は、彼らをとにかく「イエス・キリストのもとへと招く」存在だったという点です。もっとも、マリアとヨセフにとっての天使の存在は「イエス・キリストのもとへと招く」というよりも「イエス・キリストを生むことを促す」存在だったと言うほうが正確かもしれません。「安心してその子を産みなさい」とマリアに対してもヨセフに対しても天使が励ましてくれました。

私は今日、ベツレヘムの家畜小屋での出来事を「最初のクリスマス礼拝」と名付けることにします。その「最初のクリスマス礼拝」へと多くの人々を招くために「天使」が活躍しました。その関連で、ルカによる福音書にとても興味深い言葉が書かれています。「六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」(1章26節)。

原文に「天使ガブリエル」(αγγελος Γαβριηλ)とはっきり書かれていますので、ガブリエルは「天使」です。「天使」は人間ではありません。しかし「神から遣わされた」とあるとおり、「天使」は神でもありません。しかし、いわゆる動物ではないし、植物でもありません。人間と同じような理性や感情を持つ存在として聖書に登場します。

そして私がこのたび最も興味深く思ったのは、その「天使ガブリエル」が「ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた」と書かれていることです。これで分かるのは、天使は具体的なこの町あの町に「遣わされる」存在だということです。

私は詳しくありませんが、天使の背中に羽根がついている西洋中世の絵画があるのをよく見ます。天使に羽根が生えているかどうかは分かりませんが、どこへでも自由自在に飛んでいくことができるのかもしれません。しかし、それは鳥も同じです。それで分かるのは、「天使」はまさに鳥と同じで、同時に違う場所に存在することができないということです。存在できるのは一か所一か所です。

たとえば、私がいま住んでいる千葉県柏市と、上総大原教会がある千葉県いすみ市に、同じひとりの天使が、同じ時刻、同じ瞬間に同時に存在することはできません。「天使」が電車やバスに乗ったり、自分で自動車を運転したりするどうかは分かりませんが、何らかの移動手段が必要です。その移動のために時間や交通費がかかります。

「夢」の中に現れる天使に移動手段が必要なのかと私に問われても答えられません。しかし「天使」は「ナザレの町」や他の町へと「遣わされる」存在であることの意味を考えているだけです。そして、いま私が最も申し上げたいのは、その「天使」が果たした役割は「最初のクリスマス礼拝」へと多くの人を招くことだったということです。

「天使」の呼びかけに応えて実際に集まったのはイエス・キリストの両親になったヨセフとマリア、ベツレヘムの羊飼い、東方の占星術師だけだったかもしれません。クリスマス劇(ページェント)では羊飼いと占星術師が一緒に並んで立つ場面がたいていありますが、彼らが同じ時刻に同時にいたとは限りません。全員合わせても10人に満たない小さな小さな礼拝だったかもしれません。

あとは家畜小屋の動物たちがいたかもしれませんが、「最初のクリスマス礼拝」の出席者数にカウントしてよいかどうかは分かりません。しかし、そこで行われたのは確かにイエス・キリストを拝む「キリスト礼拝」であり、「教会の原形」でした。そのことを想起しうることが新約聖書に確かに記されています。

しかし、その「最初のクリスマス礼拝」の主人公であるイエス・キリストは、ただ泣いておられただけです。あるいは、眠っておられただけです。ご自分でしゃべることがおできにならない。「最初のクリスマス礼拝」の説教者はイエス・キリストではありません。いわばイエス・キリストの代わりに雄弁に語ったのが「天使」でした。救いの希望、解放の喜び、約束の実現を説教したのは、他ならぬ「天使」でした。

私はいま申し上げていることで「もしかしたら天使は普通の人間だったのではないか」というような推論を述べようとしているのではありません。天使は天使のままで全く問題ありません。そういう話のほうが面白いです。そして、天使が「神」ではないことは聖書においてははっきりしています。つまり、「天使」はわたしたちの信仰の対象ではありませんので、「天使を信じる」必要はありません。

私が申し上げたいのは、そういうことではありません。私が申し上げたいのは、今日の個所に出てくる「天使」が果たした役割としての「最初のクリスマス礼拝」に多くの人々を招くことは、十分な意味でわたしたちにもできる、ということです。真似することができます。

そう思いまして、私は今日のクリスマス礼拝のチラシを自分で500枚作り、先々週の12月10日(日)の午後2時半に大原駅に着き、途中1時間の休憩を含めて午後6時まで、配布させていただきました。教会のみなさんにご負担をおかけしたくありませんでしたので、代務者の岸憲秀牧師には許可をとりましたが、教会の皆さんには内緒で「勝手に」配らせていただきました。チラシの印刷費や往復交通費は、私の友人の方々が応援してくださいました。感謝してご報告させていただきます。

「教会の礼拝にぜひ来ていただきたい」というわたしたち教会の願いは、ただ人が多ければ活気があってよいとか、そういう理由ではありません。孤独な人、寂しい人、助けを求めている人が、この町にもどの町にも大勢いることを、わたしたちは知っています。そういう方々にとって教会がきっと助けになります。しかし、教会に来れば必ず友達ができるという意味でもありません。教会に行っても、もしかしたら「天使」しかいないかもしれません。

しかし、その「天使」が、救いの希望、解放の喜び、約束の実現を雄弁に語ってくれるとしたら、どうでしょうか。厳しい現実の中で眠れぬ夜を過ごしている人々に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と告げる「天使」がいてくれたら。

そのときわたしたちの人生は、しっかりとした支えを得ることができます。ぜひ教会に来てください。

(2017年12月24日、日本キリスト教団上総大原教会クリスマス礼拝)

2017年12月13日水曜日

フィサー・トーフト『キリストの王権』を読む

菅円吉訳『キリストの王権』(新教新書)

今日は予定変更で時間ができたので、こういうときは読書することにする。オランダ改革派教会(現「オランダプロテスタント教会」)の「3大」神学者のことは以前書いた。しかし、彼らの存在がオランダ改革派教会のすべてではありえない。もっと多くの教師がいたし、日本にも紹介されてきた。

日本で以前から紹介されてきたオランダ改革派教会(NHK)の著名な教師のひとりはフィサー・トーフト(W. A. Visser t' Hooft)だ。菅円吉訳『キリストの王権』(新教新書、初版1963年、復刊1997年)はあまりにも有名だろう。フィサー・トーフトについてのWikipedia記事は参考になる。

フィサー・トーフトを有名にしたのは、なんといっても彼が1948年に設立された「世界教会協議会」(WCC)の初代総書記になったことだ。オランダの改革派神学者が世界のエキュメニズムの先頭に立った。新教新書『キリストの王権』(菅円吉訳)は、改革派神学とエキュメニズムの結合点を探るための必読書だ。

もちろん「70年前の」エキュメニズムと「今の」それとが同じ原理のままであるわけがない。議論は積み重ねられてきた。また、フィサー・トーフトがWCCの「初代総書記」だったことが今の我々にとって周知の事実であるとは言いがたい。彼がオランダ改革派教会の人だったことに関心を持つ人は少ないのではないか。

しかし、それらの問題があるからこそ、今の私にとってフィサー・トーフトの存在は興味深い。改革派の教会や神学といえば、「固い、暗い、怖い、厳しい」(4K)とか「狭量な分派主義」とか言われ、エキュメニズムから最も遠い存在であると見られることがある。それは当たっている面もあるが、当たっていない面もある。

Wikipediaによると、フィサー・トーフト家はハールレムのvrijzinnig remonstrants(直訳「自由主義レモンストラント派」)に属し、ウィレム(『キリストの王権』著者)もその中で成長したが、彼は後にNederlands-hervormd (直訳「オランダ改革派」)に変わったという。これは、フィサー・トーフトがアルミニウス主義の家庭に生まれ育ちながらカルヴァン主義者になったという意味である。

さらに平たく日本でもよく知られるようになった言葉で言えば、「ホーリネス」や「メソジスト」や「救世軍」の信徒家庭で育った人が「改革派」や「長老派」の教会員になり、その教会の牧師になり、各個教会を包括する教団を代表する神学的オピニオンリーダーのひとりになったという話である。

フィサー・トーフトが体験したような宗旨替えを体験する人は、日本でも少なくない。「アルミニウス主義」から「カルヴァン主義」へ、あるいは逆方向に「カルヴァン主義」から「アルミニウス主義」へ移る。それは「どちらでもよい」ことなのか、「どちらでもよくない」ことなのかは、自分で考え、自分で決めることだ。

しかし、少なくともフィサー・トーフトが体験したような宗旨替えを体験したことがある人にとって明白な事実は、どちらも聖書的なプロテスタントのキリスト教であり、互いになんら見劣りせず、互いに尊重し合いつつ協力すべき関係にあるということだ。そういうことはエキュメニズムへの参加に十分な動機を与える。

こんな感じで自分で動機付けをしながらフィサー・トーフト『キリストの王権』を読んでいる。本書がその問題を扱っているわけではないが、私見によれば「アルミニウス論争」は解決していない。接触すると危険なので互いに距離を置いているか、相手の声が聞こえないほど互いに大声をあげているかのどちらかである。

今日の午後は時々睡魔に襲われながら、フィサー・トーフト『キリストの王権』(菅円吉訳、新教新書、新教出版社、初版1963年、復刊1997年)を読んでいた。世界教会協議会(WCC)初代総書記。オランダ改革派教会(NHK)の神学者。読後感は「う~ん」というところ。いまひとつ腑に落ちない。

『キリストの王権』はアメリカのプリンストン神学大学の「ストーン講義」として行われたものなので英語版をオリジナルとみなしてもよいと思うが、ネットで探したらやはりオランダ語版が見つかった。本人がオランダ生まれのオランダ人なのでオランダ語版のほうが当然正確だろうから、さっそく注文した。

最も単純なところから言えば、英語版タイトルThe Kingship of Christにしても、オランダ語版タイトルHet Koningschap van Christusにしても、キリストの三職(munus triplex)としての預言者、祭司、王という職務の中の一つを指しているので「王権」ではなく「王職」ないし「王性」と訳すべきだろう。

フィサー・トーフトは1900年生まれ。1908年生まれのファン・ルーラーの8歳年上。卒業した神学部はフィサー・トーフトはライデン大学、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学。2人ともオランダ改革派教会(NHK)のメンバーだったが、学風も世代も違う。『キリストの王権』にはライデン大学の色が鮮明に出ている。

その証拠として挙げうるのは、フィサー・トーフトが自説の重要な論拠として引き合いに出す神学者としてライデン大学神学部のミスコッテ(K. H. Miskotte)の存在が際立っていることである。そしてミスコッテに強い影響を与えたスイス人神学者カール・バルトの思想がトーフトの主張の全線を貫いている。

「う~ん」と思ったひとつは、そのあたりだ。当時のオランダ改革派教会の神学者の中にカール・バルトの影響を受けなかった人はいないと言えるほどだったので、引用すること自体は問題ない。しかし、バルトの神学をただ要約して紹介しているだけであれば、直接バルト自身の本を読むほうがましだ。独創性の欠如。

『キリストの王権』にファン・ルーラーが登場しないのは当然である。これが1947年の「ストーン講義」だとしたら、ファン・ルーラーはちょうどその年博士論文を書き終えてユトレヒト大学神学部の教授になったばかり。田舎の教会で牧師をしていたときに何冊かの著書を出したが、注目される存在ではなかった。

しかもファン・ルーラーは、オランダ改革派教会(NHK)の「教会規程改定委員会」の中でミスコッテと大もめしていた犬猿の仲。ミスコッテ(その背後にカール・バルト)の線に立つライデン大学卒業生フィサー・トーフトがファン・ルーラーを肯定的に評価することはきわめて考えにくい状況だったと思われる。

しかし、なんでもかんでも「両論併記せよ」とまではさすがに言わないが、せめて自分の所属教団の内部の議論は、一方の意見だけでなくバランスをとって紹介してほしかった。エキュメニズムをしましょうと呼びかける団体の先頭に立つ人が、自分の教団の内部では一方だけに加担するんですかという話。

それと、キリストの三職(munus triplex)のひとつとしての「王職」概念に基づく議論には無理があるという印象を持った。特に101頁以下に繰り返される「キリストの王たることを真剣に取り上げるところの教会とは」かくある教会であるという言い方が気になる。オランダ語版が届き次第、確認してみたい。

2017年12月6日水曜日

「自由募金」感謝報告

昨日(2017年12月5日火曜日)公開した「クリスマス礼拝チラシ自主配布計画」の「自由募金」に、本日(12月6日水曜日)午前11時までに5名の方からなんと総額「22,000円」ものご献金をいただきました。十分満たされましたので今回の自由募金は締め切らせていただきます。ご協力ありがとうございました!

「自由募金」ご協力者様のお名前を紹介させていただきます。ありがとうございました!心から感謝します。

【ご協力者お名前】

沼田和也 様(日本キリスト教団王子北教会牧師)
橘  智 様(株式会社iPlan社長)
坂下道朗 様(日本キリスト教団阿佐谷東教会牧師)
ひげたま 様(匿名ご希望)
匿  名 様 1名

2017年12月5日火曜日

クリスマス礼拝チラシ自主配布計画

無任所教師は印刷力が低いことを痛感。リソグラフが欲しい。置き場所がないけど。パソコンのプリンターで大量印刷するとインク代がべらぼうだし、コンビニのコピー機も高い。ネットは遠方への情報発信にはめっぽう強いが、ご近所への情報発信には向いていない。伝道したいのに。神さまにお祈りしよう。

私がまもなく説教させていただくある教会のクリスマス礼拝の案内チラシを印刷して、来週12月10日(日)午後3時半から約2時間、その教会の近所に私が行き、自分で配布したいと願っています。その教会がきわめて小規模であり、ご負担をおかけしたくありませんので、すべて私費で行うつもりです。

代務者の許可は得ていますが「勝手に」やらせていただきます(「伝道」に「承認」が必要でしょうか)。ただ往復交通費が5千円、パソコンのプリンターで数百枚カラー印刷するとインク代も5千円かかります(1セット消費する)が、苦しい無任所教師を応援してくださっている教会への感謝の気持ちです。

【追記】

自由募金を承ります。ご協力者様はネットで紹介させていただきます。匿名ご希望の方はお知らせいただけますと幸いです。初めから匿名の方もおられます。以前「ファン・ルーラー」様からご献金いただきました。よろしくお願いいたします。

【振込先】

セブン銀行バラ支店 普通1453418 セキグチヤスシ

【画像】自主配布クリスマス礼拝チラシのサンプル画像


2017年11月23日木曜日

過去の歴史の検証を


ある教派限定の話であるが、私の目で調べたことがある。ある程度年月を経た教会で礼拝出席者が3桁以上のところは、過去のどの時点かでひとりの牧師の在任期間が長かった(30年とか40年)。牧師の在任期間が長ければ礼拝出席者が3桁以上になるという逆命題は成り立たないが、その逆に例外はなかった。

ありていに言えば「牧師が頻繁に交代する教会」で「日本において、現時点において、ある教派限定で」3桁以上の礼拝出席者(年間平均値)で満たされているところは、私の目で調べたかぎり1例もなかった。サンプルが違えばまた異なる結果が出るのかもしれないが、それ以上のことは今の私には分からない。

因果関係については、思い当たることはあるが、今は考えないでおく。良い悪いの問題を言いたいのでもない。「牧師が頻繁に交代する教会であること」が常に「悪いこと」であり、「礼拝出席者が3桁以上の教会であること」が常に「良いこと」だとは、私は思わない。立地や環境の問題を無視すべきでない。

日本のプロテスタント宣教史が一世紀半を超える。ある程度長いスパンで「過去の歴史」を見つめ、その中でどういう「現象」が起こってきたかを客観的にとらえ、分析できる状況が整いつつある。「伝道者魂」や「献身の決意と熱意」だけではとらえられない「現象」をより冷静に見つめる必要があるだろう。

2017年11月22日水曜日

弁当画像(100枚)

記録によれば2011年11月から2013年1月まで、妻が福祉施設の夜勤をしていたころ、子どもたちの弁当を私が作った。その画像がちょうど100枚。高校生は毎日、中学生は給食がない日。早起きすることと毎日違うメニューを考えることの大変さを学んだ。