2017年12月13日水曜日

フィサー・トーフト『キリストの王権』を読む

菅円吉訳『キリストの王権』(新教新書)

今日は予定変更で時間ができたので、こういうときは読書することにする。オランダ改革派教会(現「オランダプロテスタント教会」)の「3大」神学者のことは以前書いた。しかし、彼らの存在がオランダ改革派教会のすべてではありえない。もっと多くの教師がいたし、日本にも紹介されてきた。

日本で以前から紹介されてきたオランダ改革派教会(NHK)の著名な教師のひとりはフィサー・トーフト(W. A. Visser t' Hooft)だ。菅円吉訳『キリストの王権』(新教新書、初版1963年、復刊1997年)はあまりにも有名だろう。フィサー・トーフトについてのWikipedia記事は参考になる。

フィサー・トーフトを有名にしたのは、なんといっても彼が1948年に設立された「世界教会協議会」(WCC)の初代総書記になったことだ。オランダの改革派神学者が世界のエキュメニズムの先頭に立った。新教新書『キリストの王権』(菅円吉訳)は、改革派神学とエキュメニズムの結合点を探るための必読書だ。

もちろん「70年前の」エキュメニズムと「今の」それとが同じ原理のままであるわけがない。議論は積み重ねられてきた。また、フィサー・トーフトがWCCの「初代総書記」だったことが今の我々にとって周知の事実であるとは言いがたい。彼がオランダ改革派教会の人だったことに関心を持つ人は少ないのではないか。

しかし、それらの問題があるからこそ、今の私にとってフィサー・トーフトの存在は興味深い。改革派の教会や神学といえば、「固い、暗い、怖い、厳しい」(4K)とか「狭量な分派主義」とか言われ、エキュメニズムから最も遠い存在であると見られることがある。それは当たっている面もあるが、当たっていない面もある。

Wikipediaによると、フィサー・トーフト家はハールレムのvrijzinnig remonstrants(直訳「自由主義レモンストラント派」)に属し、ウィレム(『キリストの王権』著者)もその中で成長したが、彼は後にNederlands-hervormd (直訳「オランダ改革派」)に変わったという。これは、フィサー・トーフトがアルミニウス主義の家庭に生まれ育ちながらカルヴァン主義者になったという意味である。

さらに平たく日本でもよく知られるようになった言葉で言えば、「ホーリネス」や「メソジスト」や「救世軍」の信徒家庭で育った人が「改革派」や「長老派」の教会員になり、その教会の牧師になり、各個教会を包括する教団を代表する神学的オピニオンリーダーのひとりになったという話である。

フィサー・トーフトが体験したような宗旨替えを体験する人は、日本でも少なくない。「アルミニウス主義」から「カルヴァン主義」へ、あるいは逆方向に「カルヴァン主義」から「アルミニウス主義」へ移る。それは「どちらでもよい」ことなのか、「どちらでもよくない」ことなのかは、自分で考え、自分で決めることだ。

しかし、少なくともフィサー・トーフトが体験したような宗旨替えを体験したことがある人にとって明白な事実は、どちらも聖書的なプロテスタントのキリスト教であり、互いになんら見劣りせず、互いに尊重し合いつつ協力すべき関係にあるということだ。そういうことはエキュメニズムへの参加に十分な動機を与える。

こんな感じで自分で動機付けをしながらフィサー・トーフト『キリストの王権』を読んでいる。本書がその問題を扱っているわけではないが、私見によれば「アルミニウス論争」は解決していない。接触すると危険なので互いに距離を置いているか、相手の声が聞こえないほど互いに大声をあげているかのどちらかである。

今日の午後は時々睡魔に襲われながら、フィサー・トーフト『キリストの王権』(菅円吉訳、新教新書、新教出版社、初版1963年、復刊1997年)を読んでいた。世界教会協議会(WCC)初代総書記。オランダ改革派教会(NHK)の神学者。読後感は「う~ん」というところ。いまひとつ腑に落ちない。

『キリストの王権』はアメリカのプリンストン神学大学の「ストーン講義」として行われたものなので英語版をオリジナルとみなしてもよいと思うが、ネットで探したらやはりオランダ語版が見つかった。本人がオランダ生まれのオランダ人なのでオランダ語版のほうが当然正確だろうから、さっそく注文した。

最も単純なところから言えば、英語版タイトルThe Kingship of Christにしても、オランダ語版タイトルHet Koningschap van Christusにしても、キリストの三職(munus triplex)としての預言者、祭司、王という職務の中の一つを指しているので「王権」ではなく「王職」ないし「王性」と訳すべきだろう。

フィサー・トーフトは1900年生まれ。1908年生まれのファン・ルーラーの8歳年上。卒業した神学部はフィサー・トーフトはライデン大学、ファン・ルーラーはフローニンゲン大学。2人ともオランダ改革派教会(NHK)のメンバーだったが、学風も世代も違う。『キリストの王権』にはライデン大学の色が鮮明に出ている。

その証拠として挙げうるのは、フィサー・トーフトが自説の重要な論拠として引き合いに出す神学者としてライデン大学神学部のミスコッテ(K. H. Miskotte)の存在が際立っていることである。そしてミスコッテに強い影響を与えたスイス人神学者カール・バルトの思想がトーフトの主張の全線を貫いている。

「う~ん」と思ったひとつは、そのあたりだ。当時のオランダ改革派教会の神学者の中にカール・バルトの影響を受けなかった人はいないと言えるほどだったので、引用すること自体は問題ない。しかし、バルトの神学をただ要約して紹介しているだけであれば、直接バルト自身の本を読むほうがましだ。独創性の欠如。

『キリストの王権』にファン・ルーラーが登場しないのは当然である。これが1947年の「ストーン講義」だとしたら、ファン・ルーラーはちょうどその年博士論文を書き終えてユトレヒト大学神学部の教授になったばかり。田舎の教会で牧師をしていたときに何冊かの著書を出したが、注目される存在ではなかった。

しかもファン・ルーラーは、オランダ改革派教会(NHK)の「教会規程改定委員会」の中でミスコッテと大もめしていた犬猿の仲。ミスコッテ(その背後にカール・バルト)の線に立つライデン大学卒業生フィサー・トーフトがファン・ルーラーを肯定的に評価することはきわめて考えにくい状況だったと思われる。

しかし、なんでもかんでも「両論併記せよ」とまではさすがに言わないが、せめて自分の所属教団の内部の議論は、一方の意見だけでなくバランスをとって紹介してほしかった。エキュメニズムをしましょうと呼びかける団体の先頭に立つ人が、自分の教団の内部では一方だけに加担するんですかという話。

それと、キリストの三職(munus triplex)のひとつとしての「王職」概念に基づく議論には無理があるという印象を持った。特に101頁以下に繰り返される「キリストの王たることを真剣に取り上げるところの教会とは」かくある教会であるという言い方が気になる。オランダ語版が届き次第、確認してみたい。