2008年5月25日日曜日

行け、わたしがあなたを遣わす


使徒言行録22・17~29

「『さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。「急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。」わたしは申しました。「主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいていたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。」すると、主は言われました。「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。」』」

エルサレムでのパウロの演説がもう少し続いています。先週の個所までに語られていたことは次のようなことでした。

熱心なユダヤ教徒であった頃のパウロが、ダマスコのキリスト者たちを迫害するための旅をしていた途中、救い主イエス・キリストとの神秘的な出会いを体験しました。そしてキリストはパウロに「ダマスコに行け」とお命じになりました。ダマスコではアナニアというキリスト者に出会いました。パウロはアナニアから「洗礼を受けなさい」と強く勧められ、そのとおり洗礼を受けました。今日の個所に語られているのは、その後に起こった出来事です。

パウロは、ダマスコからエルサレムに戻って来ました。そしてエルサレム神殿で祈っていました。するとパウロは、そこで再び、生ける真の救い主イエス・キリストと出会ったのです。

ここに注目すべき表現が出てきます。それは、パウロがイエス・キリストとの出会いの際に「我を忘れた状態」になったと言っている点です。ここでわたしたちが考えてみなければならないことは、パウロが語っている意味での「我を忘れた状態」とは、どのような状態のことなのかということです。

間違いなく言えることは、これは一種の興奮状態であるということです。自分で自分をコントロールすることが難しいほどに感情的に高ぶった状態であると言ってよいでしょう。ただしパウロの場合それは、夢見心地の状態、快楽・快感の状態ではなかったと言うべきです。むしろどこか取り乱した感じです。精神的ないし感情的に暴走しかかっている状態とも言えるでしょう。

しかし、だからといって、パウロはそのとき、物事を筋道立てて考えることもできなくなってしまうほどに、支離滅裂の混乱状態になっていたわけではありませんでした。19節以下の言葉を読むかぎり彼は、我を忘れた状態の中でもきちんと物の考える力や判断する力を失ってはいませんでした。

ただし、かなり追い詰められた状態はあったように感じます。窮地に追い込まれた状態と言ってもよい。自分で自分に答えを出すことができない状態。どうしてよいのか分からない状態。それは、おそらく心理的・精神的にはきわめて危険な状態でもあったはずです。いずれにせよ、かなり不安定な状態であったと思われるのです。

パウロはなぜ「我を忘れた状態」にあったのでしょうか。その理由が次のように語られています。

ここで分かることは一つです。パウロの心に向かって語られたイエス・キリストの言葉が「急げ。すぐエルサレムから出て行け」というものだったので、彼の精神状態が不安定になってしまったのだろうということです。

ポイントは「急げ」です。あるいは「すぐ」です。わたしたちも、まだ準備ができていないときに「急げ」だ「すぐに」だと急きたてられますと、非常に嫌な気分になりますし、心が不安定になります。そのことと今日の個所に描かれているパウロの様子とはどうやら関係があります。

パウロにとってこのイエス・キリストの御言葉の意味は、はっきり分かるものでした。パウロはダマスコで洗礼を受けてキリスト者になりました。その際アナニアから「あなたは見聞きしたことについてすべての人に対してその方の証人となる者だからです」という言葉を聞きました。それを聞いた上で、エルサレムでパウロが聞いた次の言葉が「急げ」だったわけです。

つまり、イエスさまのおっしゃった「急げ」の意味は「イエス・キリストの証人としての仕事を、一刻も早く始めなさい」です。もっとはっきり言えば、「あなたは今すぐ伝道者になりなさい」なのです。

そのような言葉を聞いたことと、パウロが「我を忘れた状態」になったこと、すなわち、心理的・精神的に不安定で危険な状態になったこととが、おそらく非常に深い関係にあると思われるのです。

わたしたちの場合にも同じことが当てはまるでしょう。「洗礼を受けてキリスト者になること」と、狭い意味での「伝道者になること」とは、全く無関係であると語ることはできませんが、しかしまた、全く一つのことであると語ることもできないでしょう。

たとえば、今日、この日曜日に洗礼を受けてキリスト者になったばかりの人がいるとします。その人に対してわたしたちが「それでは、来週の日曜日の礼拝で説教してください」とお願いすることは通常ありえません。時間が必要です。またいろんな意味での心の整理が必要です。さらに、おそらく特別な訓練が必要です。そのようにわたしたちは考えるでしょうし、そのご本人も考えるでしょう。

また、わたしたちはいわゆる幼児洗礼を重んじてきました。洗礼は子供にも(嬰児にも)授けるものですし、「授けるべきである」と教えてきました。しかし、子供に(嬰児に)説教をお願いすることはありえません。わたしたちはこの点から言えば、「洗礼を受けてキリスト者になること」と「伝道者になること」は、完全に区別しなければならない面もある、と言わねばならないのです。

その区別をした上で皆さんに考えていただきたいことは、もし、皆さんに対してイエスさまが、まだ皆さんが洗礼を受けたばかりの頃に「急げ。いますぐ伝道者になりなさい。いますぐ!早く!急いで!」と激しく急き立てられたとしたら、どのような気持ちになるだろうか、ということです。

ちょ、ちょ、ちょ、ちょ・・・ちょっと待ってくださいと言いたくならないでしょうか。何かいろいろと言い訳をして、逃げたくならないでしょうか。場合によっては腹が立ってきさえしないでしょうか。「うるさい!」と怒鳴り返したくならないでしょうか。

19節以下でパウロが語っていることも、実をいえば、いま申し上げた意味での「言い訳」なのだということをご理解いただきたいのです。

いや、いや、いや、いや・・・いやイエスさま。いきなりそんなことを言われましても、このわたしが伝道者の仕事などをすぐに始めることができるはずがないではありませんか、と言っているのです。

だって、わたしはつい最近まで、キリスト教の熱心な迫害者だったのですよ。そのことを非常に多くの人々が知っているではありませんか。わたしが元いたユダヤ教団の人々も、いま属しているキリスト教会の人々も、みんなそのことを知っています。どちらの人々も、このわたしの語る言葉など信用してくれるはずがないではありませんか。

わたしに伝道の仕事など無理です。少なくとも時間が必要です。何十年か後に、わたしが過去にしていたことなど何も知らない若い世代の人々が増えてきた頃にならば、伝道者になることを考えてもよい。しかし、今すぐになんて、そんなことができるはずがないではありませんか。

そのようなことをパウロは考え、いますぐ伝道の仕事に就くことを勧めるイエスさまに対して、激しく抵抗しているのです。この激しい抵抗と、パウロが「我を忘れた状態」になったこととが、どうやら深い関係にあるのです。

これまで申し上げてきたことをご理解いただけるならば、激しく抵抗しているパウロに対して語られているイエスさまの御言葉には、叱咤激励の意図がある、つまり、励まし(激励)の面と同時に、お叱り(叱咤)の面もあるということにお気づきいただけるでしょう。

お叱りの面のほうを先に説明しておきます。「お前は何を言っているのか。わたしはお前の事情など聞いていない。このわたしが『あなたを遣わす』と言っているのだ。わたしの命令に逆らうのか」ということです。

しかし、もちろんそれだけではありません。この御言葉には励ましの面が必ずあります。「わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが伝道者として立つことについて、誰にも文句を言わせない。わたしがあなたを護る。あなたの伝道者としての生涯をこのわたしが護る」ということです。

この点で、パウロの伝道者としての召命は、旧約聖書のエレミヤの預言者としての召命に似ています。

エレミヤも、預言者になるようにと神さまから命じられたときに、激しく抵抗しました。エレミヤは神さまに「ああ、わが主なる神よ。わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(エレミヤ1・6)と答えましたところ、神さまは「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と言われました。

そして、神さまはエレミヤの口の中に「神の言葉」という団子のようなものを無理やり押し込んだ上で、「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」と言われました。エレミヤは、自分から進んで預言者になったイザヤとは違い、いわば無理やりその仕事を押しつけられたのです。

パウロも同じです。パウロの伝道者としての召命にも、エレミヤと同じように無理やり押しつけられた面があります。否応なしに。嫌々ながら。断りきれず。「ならざるをえない」という状況に追い込まれて。

すべての伝道者、すべての預言者が必ずそのような切迫感や悲壮感をもってその仕事に就いたわけではありませんし、そうである必要はありません。単純に「伝道者になりたい」という願いをもって伝道者になる人がいないわけではないし、いてもよいと、私は考えています。

しかし、です。パウロの場合はそうではなかったのです。エレミヤも違いました。彼らは神さまに、力ずくで組み伏せられました。パウロは地面になぎ倒され、エレミヤは神の言葉を無理やり押しつけられて、「わたしの言葉」を語るように命ぜられたのです!

(2008年5月25日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年5月18日日曜日

ためらわずに立ち上がれ


使徒言行録22・6~16

パウロはエルサレム神殿にいた大勢のユダヤ人たちの前で語り始めました。その内容は、このわたしパウロと生ける真の救い主イエス・キリストとの最初の(神秘的な!)出会いはどのようなものであったのかということです。

「『旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。わたしは地面に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と言う声を聞いたのです。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである」と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。「主よ、どうしたらよいでしょうか」と申しますと、主は「立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる」と言われました。わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。』」

今日の個所でパウロが語っている内容は使徒言行録9章に記されていることのほとんど繰り返しと言ってよいものです。しかし、両者を比較してみますと、二つの新しい要素が加わっていることが分かります。

第一は、この出来事が起こったのは「真昼ごろ」であったという点です。

第二は、パウロを照らした天からの光は「強い」光であったという点です。

これで分かることがあります。それは、パウロとキリストの最初の出会いの出来事は、夜の夢の中で見た幻のようなものではなかったということです。

パウロが夜に見た幻の例は使徒言行録16・9にあります。一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と願うあの有名な幻です。夜に見た幻ということであれば、眠っているときに見る夢のようなものであると説明することも可能になるでしょう。それは、一種の合理的な説明でもあります。

しかしパウロが語っていることは、そのような合理的な説明を完全に拒否するものです。パウロとイエス・キリストの出会いは真っ昼間に起こったのだと言われているのです。眠っていたどころか、旅をしている最中でした。

しかし、そうなりますと、真昼に見た天からの光といえば、それは太陽の光ではないのかと考える人もいるかもしれません。しかしそのことも、使徒言行録26・13で明確に否定されています。

詳しい説明はその個所を学ぶときまでお待ちいただきたいところですが、それは、パウロが、使徒言行録の中では二度目となる、自分自身の回心の出来事を語っている場面です。パウロは、自分が見た天からの光は「太陽よりも明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました」(26・13)と言っています。つまり、パウロは、その光は太陽の光ではない、ということを明確に語っているのです!

このように、パウロの見た「天からの強い光」は、夜眠っているときに見た夢であったというような合理的な説明が成り立つようなものではなく、また、太陽の光を直接見て目がくらんだというような笑い話のようなことでもありません。

しかしまた、パウロがそれと同時に確かに語っていることは、彼が「地面に倒れた」ということと、その天からの光によって「目が見えなくなった」ということです。私自身は、この二つの点については、ある意味での(と一応お断りしておきますが)心理的・精神的なショック症状のようなものであっただろうという説明が成り立つと考えております。

わたしたち人間は、激しいショックを受けたときに、本当に、地面に倒れてしまったり、目が見えなくなってしまったりするのです。人間の心と体は、別々のものでもばらばらのものでもありません。心に受けたショックや傷が、体の現象や症状として現れるのです。パウロの場合も、おそらくそのようなことが起こったのだろうと、私は考えています。

ところが、パウロが語っていることは、それだけではありません。彼が実際に体験したと言っていることは、天からの強い光は、パウロだけではなく「一緒にいた人々も見た」ということです。しかし、その光を見たのと同時に聞こえてきた声は、パウロ一人だけが聞いたのであって、他の人々は聞かなかったということです。

この光と声については、どのように説明したらよいのかが私には分かりません。その光は一緒にいた人々も見たと言われている以上、パウロの心の中だけに起こった現象であると説明することはできません。しかし、パウロ以外の人々は聞かなかったと言われているその声に関しては、パウロの心の中へと向かって語りかけられたものであると説明せざるをえないもののように思われます。

もしかしたら、次のようなことではないでしょうか。

ともかくはっきり言えることは、この光と声は、生ける真の救い主イエス・キリスト御自身のものであったということです。イエス・キリストの光はすべての人を照らす光である。しかしその声はイエス・キリストを信じる信仰を与えられた人にだけ聞こえる声である。その信仰は、すべての人に与えられるものではなく、特別に選ばれた人にのみ与えられるものである。パウロは、その信仰をもって生きるために、特別に選ばれた人であった。

「『ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。「兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。」するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。アナニアは言いました。「わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。」』」

パウロは、イエス・キリストの声に従ってダマスコに行き、そこにいたアナニアというキリスト者に出会いました。アナニアは、天からの強い光によって見えなくなったパウロの目を、見えるようにしてくれました。

パウロにとってアナニアとの出会いは、先ほど私が申し上げた点から言えば、パウロが受けた心理的・精神的ショックから立ち直るきっかけになったと考えることが可能であると思われます。一種のリハビリがパウロの身に起こったのです。キーワードは、アナニアが語っている「兄弟サウル」という呼びかけです。これは9章でも同じように記されています。

この「兄弟」という呼びかけは、この場合は同じユダヤ民族に属する同胞であるという意味ではありません。同じひとりの救い主イエス・キリストを信じる仲間の一員であり、同じ一つの教会の兄弟姉妹であるという意味です。つまり、アナニアは、この呼びかけによって、あなたパウロはもはや、かつての迫害者でありキリスト教会の敵であったパウロではない。わたしたちと同じ信仰に生きる仲間であり、兄弟姉妹であると宣言しているのです。

もっとも、9章のほうでは、パウロに出会う前のアナニアが、幻の中でイエス・キリスト御自身と葛藤している内容が紹介されていました。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました」(9・13)。

しかし、アナニアに対するイエス・キリストのお答えは、「行け。あの者は、異邦人たちや王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」(9・15)というものでした。そのお答えを信じたアナニアが、パウロの罪を赦して「兄弟サウル」と呼びかけたのです。

そのアナニアの優しく力強い呼びかけを聞いて、パウロの目が見えるようになりました。わたしはイエス・キリストを信じる信仰者の仲間に加えられた。「兄弟」と呼んでもらえた。わたしがこれまでキリスト者に対して犯してきた大きな罪を赦してもらえた。その感謝と喜びによって、彼の目が、もう一度見えるようになったのです。

「『「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。」』」

16節に記されているアナニアの言葉は、9章に記されている言葉とは異なります。9章ではアナニアは「洗礼を受けなさい」とは語っておらず、「聖霊で満たされるように」(9・17)と語っています。

しかし、これは別々のことではありません。「洗礼を受けること」と「聖霊で満たされること」は深い関係にあります。それは、いずれにせよ教会のメンバーに加わることを意味しています。生ける真の救い主イエス・キリストと共に永遠に生きることを決心し、約束することによって、イエス・キリストの体に加えられることを意味しているのです。

そのことを、パウロは、おそらく激しくためらっていたのです。だからこそアナニアは「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい」と強く勧めたのです。なぜパウロは、洗礼を受けることをためらっていたのでしょうか。それは、おそらくわたしたちにも身に覚えがあることです。

家族や友人たちへの配慮でしょうか。世間体でしょうか。これまで自分が信じてきたものへのこだわりでしょうか。パウロにもそのような要素が無かったとは言えません。

何より、いまパウロがこの話をしている場所は、エルサレム神殿です。目の前にいるのは、大勢のユダヤ人たちです。その中には、最高法院の議員たちや、律法学者や長老たちもいたでしょう。

つまり、その場所とその人々は、かつてのパウロにとっての文字どおりの人生の目標そのものであったということです。エルサレムで教える者になること、最高法院の議員になること、そのようにしてユダヤ社会の頂点で指導的立場に立つことをこそ、パウロは目指していたのです。

そして、そのためにこそパウロはキリスト者を迫害することにも熱心になり、なんとかしてエルサレムで認められる人間になりたいと願っていたはずです。パウロの両親も息子がエルサレムで認められる人間になることを期待し、そのための教育も施してきたことでしょう。エルサレムの律法学校で机を並べて勉強した友人たちや先生や後輩たちもみんな、かつては仲間だった人々です。

しかし、そのすべてが間違いであったと、パウロは気づいたのです。生ける真の救い主イエス・キリストとの出会いによって。突然現れた「天からの強い光」と「声」によって。

それはおそらくパウロにとって、それまで彼を支えてきた何もかもが一気に崩れ去る体験であったでしょう。そこには恐怖も不安もあったでしょう。そして何より新しく加わろうとしているキリスト教会は、かつての彼が滅ぼそうとしていた人々である。彼らはわたしのことなど受け入れてはくれないだろう。

パウロの背中をアナニアがどんと押してくれました。「兄弟、立ち上がりなさい!」と。こういう人がいてくれたことは、パウロにとってありがたいことだったに違いありません。

いま、ためらっている方がおられるでしょうか。その人の背中を、わたしたちみんなで押しましょう。

(2008年5月18日、松戸小金原教会主日礼拝)


2008年5月15日木曜日

来るべき「地上の生」への瞑想

昨夜は、というか今朝未明は、久しぶりに夜なべ仕事でした。昨日の昼過ぎから今朝4時まで、ぶっ通しで頼まれ原稿を書いていました。自由気ままに書いてよいものではなく、型にはまったようなことを書く仕事だったので、疲れました。風呂に入って3時間ほど眠り、7時から二人の子どもたち(中二男、小五女)を学校へと送り出しました。生ゴミを出そうと集積所に向かったところ、第三木曜は「生ゴミの日」ではなく「陶磁器・ガラス類の日」であることが分かり(そういう知識に疎いのだ)、人目を避けながらスゴスゴ引き下がってきました。そしてその後は食器洗いと洗濯物干しをしました。・・・と、家事に協力する夫をアピールしてみせていますが、つい最近まではすべてを妻に任せきりでした。今は後悔と反省の日々です。妻は、自分の夫が最近やっと協力的になったことを喜んでくれていますが、その分自分が楽になったと考える人間ではなく、その分自分がもっと世のため人のために働くことができると新しい仕事を見つけてきます。二人ともまだ若いので(?)無理が利くうちはやれるだけやったらいいと思っています。私がファン・ルーラーから学んでいる終末論は、その構造において(形而上学的・心霊主義的な)「上」をめざすものではなく、(時間的・歴史的・地上的な)「前」をめざすものです。似たようなことをモルトマンが「水平的終末論」の名で発表しましたが、モルトマンの終末論が少なくともその着想と構造をファン・ルーラーから得ていることは明らかです。しかし、ファン・ルーラーとモルトマンには決定的な違いがあります。それを詳しく書きはじめると長くなるのでやめますが(いま寝不足で頭がぼんやりしているので)、ファン・ルーラーが「前」を強調することの最も根本的な動機は、聖書(特にパウロ書簡)と使徒信条において鮮明に告白されている「からだのよみがえり」(この肉体の復活!)という点を真剣に受けとめることにあります。話を強引に結びつけたいわけではありませんが、わたしたちが少し無理するくらいがんばって仕事して、それで何人かの人に喜んでいただけるなら、疲れも痛みもある意味で心地良いと感じられます。しかし、私は「上」のミクニに早く入れてもらいたいとは思わない!そういうことを考えないのは私が「まだ若い」からではない!「上に逃げる」つもりは全くないという意味です。カルヴァンは《来るべき生への瞑想》(meditatio futurae vitae)を「上」のことを思いめぐらすという意味で語ったかもしれませんが(現にカルヴァンはその文脈で「地上の生を軽んじよ」と勧めています)、私はこの点だけはカルヴァンに(そしてアウグスティヌスにも)従うことができません。私の人生が(一度)終わった後の行き先は「上」ではなくて「前」です。私の《来るべき生への瞑想》にはマテリアルなイメージが必ず伴います。この私がもう一度「地上に」復活するのです!終末的世界には「新しい天」だけではなく「新しい地」があるのです(もし「地」がマテリアルなものでないとしたら、それは一体何なのでしょうか)。この点を信じないならば、キリスト教信仰にはほとんど価値がありません。



2008年5月11日日曜日

地上の教会の存在理由


コリントの信徒への手紙一6・19~20

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

今日はペンテコステ礼拝です。今から約二千年前、この地上にキリスト教会が誕生したことを記念する日です。今日確認しておきたいことは、この地上に教会が存在する理由は何かということです。教会とは端的に言って何でしょうか。わたしたちが毎週教会に通う理由は何でしょうか。

今日開いていただきました聖書の個所に書かれていますことは、ある一つの文脈の中で語られたものです。その文脈は、問題としてはかなり深刻なことです。事柄の核心は教会に属する人々の中で起こった人間関係上の道徳的な問題です。夫婦や家族の正しい関係を破壊する不貞や不倫の関係が、教会に属する人々の中で起こった。そのことが、教会全体に混乱や不信感をもたらしている。そのことを使徒パウロが、ある面では腹を立てながら、別の面では何とかしてその問題を解決し、教会全体の良好な関係を回復しようと願いつつ、問題の核心部分に踏み込んで厳しい意見を述べているところです。

15節あたりから読んでみますと、そのことがはっきり分かるように書いています。

「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。娼婦と交わる者はその女と一つの体になる、ということを知らないのですか。『二人は一体となる』と言われています。」

これは二千年前に実在した一つの教会の中で、実際に起こった出来事について書かれていることです。キリスト者の中に娼婦と呼ばれる人々と関係を結んでいる人がいる。それは本当に恥ずかしいことであり、神の前で犯された罪です。その罪がどれくらい重いものであるのかを説明するためにパウロが語っていることは、あなたがたの体は「キリストの体の一部」である、ということです。その体を「娼婦の体の一部」にしてもよいのか、と問うています。あなたがたが娼婦の体の一部になるということは、キリストの体を娼婦の体に結びつけることを意味しているではないか、ということです。

パウロが語っていることは、もちろん、言うまでもなく、あなたがたはそういうことをしてはならない、ということです。それは、あなたがた自身の体を汚すことであり、またキリストの体を汚すことである、ということです。

「しかし、主に結び付く者は主と一つの霊になるのです。みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです」。

「あなたがたがキリストの体の一部である」と言われていることは、ただ単に体の一体性ということだけではなく、霊の一体性という点を必ず含みます。また「一部」という点を強調しすぎないほうがよいでしょう。「あなたがたはキリストの体である」と言い切っても構いません。あなたがたは、体も霊もキリストと一つになっている。そのような者なのだから、あなたがたはみだらな行いを避けねばならない、とパウロは語っています。

なぜ今、私はこのような聖書の個所を引き合いに出しているのでしょうか。今日お話ししていますことは、地上の教会が存在する理由は何かということです。

地上の教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりです。しかし、今日の個所でパウロが明らかにしていることは、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きるとは、ただ単に、聖書というこの書物を勉強してわたしたちの教養の一部とするとか、キリスト教という歴史的宗教についての知識をもって生きるというようなこととは明らかに次元が異なる事柄であるということです。

私は今申し上げたようなことは無意味だとか無価値だと考えているわけではありません。聖書を勉強することも、キリスト教について知識を得ることも重要なことです。しかし、わたしたちが教会に通う理由、あるいはこの教会のメンバーになる理由、そしてそもそもこの地上に教会が存在する理由は、それだけなのかというと、決してそれだけではないと言わざるをえないのです。

勉強すること、知識を得ることも重要です。しかし、わたしたちの場合は、それだけで終わるわけではなく、強いて言えば、少なくとももう一歩先に進んでいかなければなりません。教会で学んだこと、教会で得た知識を、そのとおり実践するということを、少なくとも始めなければなりません。しかしまた、それだけでもありません。キリスト教の理論を実践するというだけでは、まだ主導権は自分の側に握られています。わたしが勉強したことを、わたしが実践に移す、というだけです。その場合の関心は、どこまで行っても、わたしの生き方という点に限定されています。厳しく言えば、自己中心的です。

しかし今日の個所でパウロが語っていることは、そのようなこととは明らかに違います。あなたがたの体は、キリストの体の一部である。主に結びつく者は、主と一つの霊になる。これはどういうことかというと、誤解を恐れずに言えば、わたしたちは今や、いわば地上を歩くキリスト自身になっているということです。今はわたしたち自身が、地上の教会が、いわばキリストであるということです。

もちろんこのように言うだけでは、非常に大きな誤解を生むでしょう。もう少し事柄を正確にお伝えする必要があるでしょう。わたしたち自身が三位一体の神に属する神の御子キリストであるわけではありません。あるいは、わたしたち自身が十字架の上で全人類の贖いのみわざを行なったわけではありません。その意味では、わたしたち自身はキリストではありません。正確に言えば、わたしたちはキリストの代理者にすぎません。

しかし、たしかに言えることは、わたしたちは今や、地上におけるキリストの代理者であるということです。法律的な書類を書くときに弁護士にお世話になったことがある方にはピンと来る話だと思いますが、本人の代理者である弁護士は、まさに全権を委任されています。代理者の押す印鑑は、本人の押す印鑑と同じ意味や重さを持っています。

わたしたちの存在、地上の教会の存在が、今やいわば地上を歩くキリストであると私が申し上げていることも、ある意味で、そのようなことです。

すぐに理解していただけそうな例から言いますと、たとえば、田舎の教会で牧師などをしていますと、その町の中にもその市の中にも教会が一つしかない、というところが実際にあります。改革派教会ということになりますと、一つの県の中に一つしかないところはたくさんあります。そういうところにおりますと、その教会が、その教会員が、その牧師が、その町の中ではキリストです。その町の人々は、その教会、その教会員、その牧師を見て、「ああ、キリストはこういうものか」と見るのです。あんなのがキリストなら、私はとてもついていけないと見る人もいます。もちろん反対もあります。あのようなキリストなら、わたしは信じる。ついていける。すべてをささげて一生お従いできる。

なぜわたしたちは、みだらな行いをしてはならないのでしょうか。わたしたちの体は、もはや自分自身のものではなく、キリストの体の一部になっているからです。「の一部」という点をことさらに強調する必要はありません。わたしたちは「キリストの体」です。「体」を強調する必要さえありません。「わたしたち自身がキリスト」なのです。わたしたち自身が地上を歩くキリストそのものになっているのです。「どうかわたしたちのことは見ないでください。キリストだけを見てください」という言い訳は通用しないのです。わたしたち自身の立ち居振る舞いのすべてが、キリストの存在を地上に映し出しているのです。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」。

ここに、今日お話ししたい最も重要な事柄が語られています。わたしたちの存在、地上の教会の存在が、いわば地上を歩くキリストであると語ることのできる根拠がここに語られています。注目していただきたいのは「あなたがたの体」、すなわち、わたしたちの体は「神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」であるという点です。

教会は、救い主イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々の集まりであると申しました。その教会に集まるわたしたちの体には、聖霊が宿っています。聖霊とは、神御自身です。聖霊がわたしたちの体に宿っているとは、神御自身がわたしたちの体の中に住んでおられるということです。神が住んでおられる場所が神殿です。神殿は遠い外国に立っている歴史的な建物ではありません。今わたしたちが礼拝を行っているこの建物でもありません。わたしたち自身のこの肉体、この存在そのものが聖霊なる神が宿っておられる神殿であると、パウロは語っているのです。

そのような清く貴くあるべきもの(聖霊の神殿としての人間の体)を、わたしたち自身の行いで汚してよいはずがないのです。もちろん実際には、わたしたちは何度も繰り返し罪を犯します。信仰をもって生きている人々も罪を犯します。パウロが今日の聖書の個所で強く批判している相手も、教会に属し、信仰をもって生きている人々です。キリスト者は罪を犯すことはないし、うそをつくことはないし、失敗も落ち度も無い、完璧な人間であるということは、事実ではないし、そのように語ること自体がうそになります。

しかし、だから駄目だと諦めるべきではありません。また、わたしたちは、地上の教会がキリストの代理者であるということを、あまり重苦しく考えすぎる必要もありません。パウロがわたしたちの体を「神殿」にたとえてくれていることは、わたしたちにとっての慰めでもあります。

神殿とは、なんと言ってもやはり、第一義的には、建物のことです。わたしたちが毎日住んでいる自分の家も建物です。建物は、放っておくと、すぐにほこりがたまり、ごみが出てきます。放っておくと、です。きれいにするためには掃除をすればよいのです。

忙しいときには、掃除するひまなどないかもしれません。そういうときは「四角い部屋を丸く掃く」というやり方も許されるかもしれません。しかし、全く放っておくことだけは避ける。そうすることを心がけるだけで、状況は少しずつでも改善していくでしょう。

今お話ししていることは、建物の掃除の話だけではありません。わたしたちの心と体の問題です。わたしたちが犯す罪の問題です。罪のない人間は一人もいない、というのが、聖書の教えです。わたしたちは、ちり一つ無い真空の中に生きているわけではありません。罪も悪も絶えず横行している複雑な社会の中に生きていますので、その影響を全く受けずに生きていくことは難しい面もあります。

しかし、だからこそ掃除をするのです。わたしたちの教会は「改革派教会」と言います。繰り返し聞かれることは「何を改革するのですか」ということです。その答えははっきりしています。わたしたち自身を改革するのです。教会を改革するのです。わたしたち自身、そして教会自身もまた、放っておくと汚れてくるのです。ほこりもごみも溜まってきます。だからこそわたしたちは「常に改革し続ける教会」でなければならないのです。16世紀の宗教改革の目的は、新しい教会を作ることではなく、「教会の大掃除」をすることであったと評する人がいます。そのとおりだと思います。

救い主イエス・キリストを信じる信仰によって、わたしたちが罪の中から救い出され、喜びと感謝をもって生きるようになること。

そのために自分の罪を告白し、赦しの恵みに与ること。

そのようにして自分の心と体の中身の掃除を定期的に行うこと。

それこそが地上の教会の存在理由であり、わたしたちが毎週教会に通う理由なのです。

(2008年5月11日、松戸小金原教会主日礼拝)

2008年5月4日日曜日

ヘブライ語で話す


使徒言行録21・27~22・5

パウロは、ついにユダヤ人たちに捕まりました。パウロがエルサレムに行くとこういう目に遭うことは火を見るより明らかだったにもかかわらず、来てしまいました。

多くの人がパウロ先生、どうかエルサレムにだけは行かないでくださいと言って、涙を流し、必死になって止めたのです。ところがパウロは死んでもいいとか、命など惜しくないとか言い張って、人々の言葉に耳を傾けようとしませんでした。

ここに至って、一つの仮定が成り立つ条件がほぼ整ったと言えるでしょう。その仮定とは何か。パウロはユダヤ人に自分を捕まえさせるために、もっとはっきり言えば、わざと捕まるために、エルサレムに行ったのではないかということです。

パウロはなぜ、そのような危ないことをするのでしょうか。命知らずの危険行為は、勇敢ではなく迷惑です。パウロは何を考えているのでしょうか。

「七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、こう叫んだ。『イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところでだれにでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れて込んで、この聖なる場所を汚してしまった。』彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思ったからである。それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」

パウロがユダヤ人に捕まえられた場所は、エルサレム神殿の境内でした。パウロは逃げも隠れもしませんでした。人目につかないところに潜伏していたわけではなかったのです。

パウロを見つけたユダヤ人たちは、「全群衆を扇動して」彼を捕えました。彼らはたった一人のパウロを捕まえるために全群衆を動かそうとしたのです。パウロも生身の人間です。一人のパウロに数千人か数万人の群衆が襲いかかって来たら、ひとたまりもありません。あっという間に捕まって、神殿の境内から引きずりだされ、すべての門が閉ざされました。

人々が門を閉ざした理由は、これからパウロの処刑を始めるためです。神殿で人間を殺すことは神殿を汚す行為に当たります。だから人々はパウロを神殿の外に連れ出し、すべての門を閉ざしたのです。

「彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、守備大隊の千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士と百人隊長を率いて、その場に駆けつけた。群衆は千人隊長と兵士を見ると、パウロを殴るのをやめた。千人隊長は近寄ってパウロを捕らえ、二本の鎖で縛るように命じた。そして、パウロが何者であるのか、また、何をしたのかと尋ねた。しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつかむことができないので、パウロを兵営に連れて行くように命じた……。」

それはユダヤ人たちによるパウロの処刑が開始される寸前の出来事でした。ローマ軍の守備大隊の千人隊長の耳にエルサレムの混乱の様子が伝えられました。千人隊長の名前はクラウディウス・リシア(23・26、24・22)です。

この後だんだん分かってくることですが、このリシアはパウロの命を助けるために決定的な役割を果たす人物であり、バランスのとれた好人物でした。この人がパウロのもとに駆けつけると、群衆はパウロへの暴行をやめました。泣く子も黙る鬼軍曹、見るからにおっかない人だったのかもしれません。

そして、千人隊長リシアは、パウロを二本の鎖で縛るように命じ、この人は誰なのか、この人が何をしたのかとみんなに聞きました。するとみんな口々にいろんなことを言うのですが、結局何を言っているのか分かりませんでした。

おそらく群衆の多くは、自分が何を言っているのか分かっていなかったのです。ほとんどは野次馬であり、目の前の騒動を面白がっていただけでした。月並みな言い方ですが、群集心理というのは本当に恐ろしいと感じます。声の大きい人の言葉に引きずられ、自分の言葉や行いの意味を知らないまま一人の人間を殺してしまうことがありうるのです。

だからこそ、そのような場面に千人隊長リシアが登場してくれたことが、パウロの命を助けることになりました。リシアはとても賢い人でした。彼がパウロに鎖をかけたことも、頭に血が上っている人々を冷静にするための行動であったと見ることができます。

「パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、『ひと言お話ししてもよいでしょうか』と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。『ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。』」

もちろんまさか、いくらパウロでも、この危機的な状況の中にリシアのような人が登場することまであらかじめ計算していたわけではなかったでしょう。しかしリシアの登場によってパウロは大きなチャンスを得ました。パウロはリシアに「ひと言お話ししてもよいでしょうか」とギリシア語で願いました。これがリシアを驚かせることになったのです。

リシアが驚いた理由は、少なくとも二つあったと考えられます。

一つは「こいつは何者だ?」と単純に驚いたのだと思います。そこで起こっている騒動は、外から見るとユダヤ人同士の喧嘩のようなものに見えたはずです。みんなから殴り倒されて被害を受けているこの男も当然ユダヤ人のはず。普通のユダヤ人は、ギリシア語など話せません。

ギリシア語はローマ帝国の共通語、いわば標準語でした。イエスさまやペトロたちは、ヘブライ語の方言であるアラム語を話していました。

しかし、このユダヤ人はギリシア語を話せるではないか。かなり高度な教育を受けた教養あるユダヤ人ではないか。そのような人がなぜ多くの人々に囲まれて、ひどい暴力を受けているのか。このあたりの点にリシアは疑問を抱いたに違いありません。

またもう一つは、リシアが語っているように、最近起こったクーデターの首謀者で指名手配中の容疑者がギリシア語を話せるエジプト人だと聞いているが、それがこの男なのかと疑いました。エジプト人のくせにユダヤ人のふりをしてこんなところに紛れ込んでいたのかという点に驚いたのです。

「パウロは言った。『わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。』千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。」

しかし、パウロはもちろん確かにユダヤ人でした。パウロが生まれた「タルソス」は、よく知られているとおり、現在のトルコの位置にある古い町です。ローマ帝国キリキア州の首都でした。そこで生まれた人はすべてローマ帝国の市民権を持っていました。

パウロはその町に住むユダヤ人の家庭に生まれました。ですからパウロは幼い頃からギリシア語を話していましたし、家庭の中ではユダヤ人としてヘブライ語を学んでいました。日本人でも、外国生まれの人の多くが日本語とその国の言葉の両方を学ぶように、パウロもそのような教育を受けていたのです。

さらに一説によると、パウロはヘブライ語とギリシア語だけではなくラテン語も学んでいたと言われています。この説明が正しいとしたら、伝道者パウロは、三つの言語を自由自在に操ることができる豊かな賜物に恵まれていた人だったことになるでしょう。

そして、その賜物がパウロの力強い武器になりました。千人隊長に向かってギリシア語で語ることによって、この人に信頼してもらうことができました。「この人たちに話させてください」という願いを許可してもらうことに成功しました。

そして、千人隊長の許可を得て、強い後ろ盾をもらったパウロは、ユダヤ人の群衆の前に堂々と立ち、手で制してみんなを黙らせて(ここは私の大好きな場面です!)、すべてのユダヤ人たちが理解できるヘブライ語で演説を始めたのです。

この点について最も単純なことから申し上げますと、やはり、語学の学びは重要であるということが分かります。

パウロは、まさに今にも殺される最悪の状況の中にいましたが、彼の語学力によってその状況をひっくり返すことができました。ローマ人である千人隊長にはギリシア語を、ユダヤ人たちにはヘブライ語を語りました。それによってパウロは、千人隊長の信頼を獲得することができましたし、興奮したユダヤ人たちを静まらせることができたのです。

しかし、パウロがユダヤ人に対して「ヘブライ語で」語ったことには、もう一つの重要な意味が込められていると思われます。

「『兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。』パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。『わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」

パウロの演説のうち今日取り上げた部分でとくに重要なのは、パウロが「ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受けた」と言っている点です。

なぜこの点が重要なのでしょうか。それははっきりしています。ガマリエルこそは当時のユダヤ教団最大の律法学者であり、ユダヤ教団とユダヤ社会にあって最大・最高の尊敬を集める存在だったからです。

また、ガマリエルが教鞭をふるったエルサレムの律法学校は、すべての律法学者が通った学校であり、ユダヤ人にとっては最大・最高の尊敬の対象であったからです。

千人隊長が泣く子も黙る鬼軍曹だったとしたら、ガマリエルのもとで最高の教育を受けたパウロは、泣く子も黙る最高の知識人として、すべての人が一目置く存在だったのです。

パウロがわざわざ「ガマリエルの弟子」であることを語っていることには、いまエルサレム神殿にいるどんな律法学者にも、学識や経歴においては「負ける気がしない」と言いたい気持ちが込められていたかもしれません。

パウロは自分がそういう人間であることを、エルサレムの真ん中で、群衆の真ん中で、みんなに聞こえる大きな声で、あえて語りました。それは、かつてそのような者であったわたしパウロがキリスト教信仰に生きる者になりましたと伝えたいからです。ユダヤ人の皆さん、どうかイエス・キリストを信じてくださいと訴えたかったからです。

パウロは、リシアが与えてくれたチャンスを全ユダヤ人に対する伝道の機会として用いました。そのためにパウロは、意識的に「ヘブライ語で」語ったのです。

パウロはなぜ、危険を承知でエルサレムに来たのでしょうか。そうです、このチャンスを得るために来たのです。

中国の格言は「虎穴に入らずんば 虎児を得ず」です。

パウロの場合は「エルサレムに入らずんば 愛する同胞ユダヤ人を得ず」です!

(2008年5月4日、松戸小金原教会主日礼拝)