2007年11月25日日曜日

「主の恵みにゆだねられて」

使徒言行録15・30~41(連続講解第39回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」(15・37~40)。



今日読みました範囲(15・30~41)には、大きく分けて二つのことが書かれています。



第一は、パウロとバルナバがエルサレムからアンティオキア教会へと帰り、エルサレムで行われた教会会議の結論を伝えたところ、アンティオキア教会の人々が喜ぶ場面です(15・30~35)。



第二は、そのパウロとバルナバが一つの問題をめぐって対立関係に陥ってしまい、結局二人は別の道を行くことになったという、いささか残念でもある場面です(15・36~41)。



この二つの場面を続けて読むことは、何が何でもそうしなければならないようなことではありません。しかし、続けて読むことによって、一つの点が明らかになると思います。



それは、とくにパウロの側の問題であると言えます。以前申し上げたことを、もう一度繰り返しておきます。ここで分かることは、パウロという人は、よくも悪しくも強い人であった、ということです。



どういうことか。エルサレムでの教会会議が「キリスト者は割礼を受ける必要はない」という結論を出すことができた背景に、異邦人伝道を行った経験と実績に基づいてそのことを強く主張したパウロの信仰ないし神学があったことは否定することができないということです。



パウロが教会会議を説得したのです。そのように考えることができます。逆に言えば、もしそのときパウロが、そのことを強く主張しなかったとしたら、教会会議がそのような決定をくだすことはなかったであろう、とさえ思われるのです。



だれだって、もめごとや争いごとになるようなことを言うのは、嫌なものです。しかし、パウロは違いました。語るべきことを、はっきりと語りました。真理を大切にしました。真理を明らかにするために、論争をも厭いませんでした。その論争に勝利する力もありました。パウロのおかげで教会全体に新しい道が切り開かれたのです。その意味で、パウロは非常に強い人であった、と考えることができるのです。



しかし、です。そのパウロの強さがあまりよろしくない結果を生み出す原因にもなったことも否定できません。それが、バルナバとの対立であったと、私は思います。



バルナバとパウロの対立の原因は、以前もお話ししたことです。第一回目の伝道旅行の際に二人の助手として連れて行ったマルコが、旅行の途中、二人の了解なしにエルサレムへと帰ってしまいました。そのことについての評価が、違っていたのです。



バルナバは寛大な人であったと言えます。マルコの離脱を裏切り行為だとは考えませんでした。マルコのことを、落伍者であるとも失敗者であるとも考えませんでした。だからこそバルナバは、マルコをもう一度新たな伝道旅行に連れて行くよう主張したのです。



ところが、パウロは違いました。もう二度とマルコを連れて行くべきではないと考えました。先ほど「二人の了解なしに」と言いました。もし了解していたならばパウロが激怒することはありえなかったはずです。パウロとしては、マルコは伝道には向かない人間であり、その面において弱い人間であると判断しました。マルコの弱さを、パウロは許すことができなかったのです。



それは逆に考えると、パウロが強い人だったからだと思われます。いささか強すぎる。強い人は弱い人の気持ちが分からない面を持っています。自分にできることが自分以外の人にできないのはどうしてなのかを、理解できない。自分にできることは誰にでもできる、と思っているようなところがあるのです。



しかし、ここは考えどころです。私は今、パウロに対して、やや批判的な言葉を並べています。けれども、私は基本的にパウロが好きです。好きだ嫌いだという次元で語るべきではないかもしれませんが。



パウロの強さは、時として、それまで仲間であった人を敵に回してしまうような結果を生み出すものであったことは明らかです。バルナバさえも敵に回してしまう。これは非常にまずいやり方です。しかし、ここで問わなければならないことは、教会にとって重要なことは何なのか、ということです。



もっとも、これは、教会だけの話ではないように感じられます。会社でも同じようなことが言えるでしょう。わたしたちにとって究極的に重要なことは、仲間を大切にすることなのか、それとも、与えられた仕事を忠実に果たすことなのか。ここに分かれ道があると思われるのです。



会社の話のほうが分かりやすいかもしれません。社長である人が、新卒の社員を雇う。少し仕事をしてもらって見えてきたのは、この人はその仕事には向かない人であるということであった。あるいは、与えられた仕事を、途中で投げ出してしまった。



こういう場合に、それでも雇い続けるのがバルナバの道です。向かないことが分かった時点で辞めてもらうのがパウロの道です。少しはピンとくるものがあるでしょうか。



しかし、ここでわたしたちが、パウロは冷たい人間であると考えるべきかどうかは微妙です。もしかしたら、パウロは、じつはとても温かい人なのです。



「この仕事はあなたには向いていない」と、はっきり言うことは、相手を一度は間違いなく傷つけることにもなります。しかし、逆にいえば、そのことをはっきりと伝えることによって、その仕事を続けることを諦めてもらうことは、無理な仕事を背負い込んだ結果、その人がひどい失敗を犯すことを、あらかじめ防ぐことでもあるのです。



そこで重要なことは、その失敗によって傷つくのは、無理な仕事を背負い込んだ人自身と、その仕事を背負い込ませた人の両方であるということです。また、それだけでもなく、事が「伝道」であるかぎり、一人の伝道者の失敗によって傷つくのは、教会であり、求道者であり、そしてまた、教会のかしらであるイエス・キリスト御自身であり、神御自身である。そのことを、パウロはよく知っていたのではないでしょうか。



バルナバの道は、一見すると温かい。しかし、別の見方をすれば、弱い人を「戦場」に引きずり出すことになっているのかもしれない。そして、その場合に倒れるのは、マルコだけではない。バルナバも倒れる。教会も倒れる。それは最悪の結末なのです。



今、私が考えていることは、主に、牧師たちのことです。教会の皆さんのことについて何かを言いたいわけではありません。私の認識では、日本の教会においては、教会に通う若い青年たちをつかまえては、だれかれ構わず、「牧師になれ、牧師になれ」と強く勧めてきた歴史があります。



そういうことを熱心に言うのは、たいてい牧師です。



自分の仕事がこの世の中で最高の仕事であるかのように!



自分以外の人の仕事は、取るに足らない仕事であるかのように!



そして、私が知っていることは、牧師になることを人から勧められて実際になった人々のうち、かなり多くの人が数年で辞めているということです。なかには、自分自身と家族、そして教会の人々を深く傷つけて。



ここで考えさせられることは、一つの教会が生み出され、維持されることにはどれほどの努力と涙が注がれてきたのかということです。一つの教会が破壊されることによって、どれほどの人が傷つくか!



そして同時に考えさせられることは、その責任はどこにあるのか、ということでもあります。少なくともその責任の一端は、まさにだれかれ構わず「牧師になれ、牧師になれ」と勧める人々にもあるのではないか。そういう言葉を“無責任に”発する人々にも責任があるのではないか、ということです。



ご参考までに。私が牧師になることを決心したのは、高校3年の夏休みでした。だれかに勧められたわけではありません。自分で決めました。牧師には最初は反対されました。私があまりしつこいので、しぶしぶ神学校入学の推薦書を書いてくださいました。



私の決心は最初の日以来、揺らいだことがありません。まさに実感として、私の心の中で、神御自身が一生懸命に語っておられるのです。黙っておられないのです。その神が、私を黙らせてくださらないのです。そういう感覚を、いまでも持っています。その意味では、自分で決めた、という言い方は間違いかもしれません。私と神の二人で決めたのです。だから、続けることができます。神を裏切ることは、私にはできないのです。



そして、その私は滅多なことで誰かに対して「牧師になれ」とは言わないで来ましたし、これからも言わないでしょう。こればかりは誰かに勧められてなるものではないと信じているからです。私の経験からすれば、その人の心の中で神御自身が騒ぎはじめられ、その言葉をその人自身も語らざるをえない状況に追い込まれるまでは、この仕事に就くことは不可能なのです。



そして、その状態になったときは、伝道をやめることができません。理由もわからないような仕方で、途中でやめることができません。逆にいえば、それを途中でやめることができる人は、伝道の仕事には向かないのです。



マルコを少しかばっておきます。マルコは伝道そのものをやめてしまったわけではありません。だからこそ、マルコは、バルナバの再度の要請に応じて、キプロス島に出かけることができました。



しかし、です。伝道は、狭い意味での伝道者、いわゆる教師だけがするものではありません。教会のみんながすること、信徒がすることです。マルコがバルナバについて行ったのは、教師としてついて行ったのか、それとも信徒の一人としてついて行ったのかという問い方は許されるものではないでしょうか。少なくともパウロは、間違いなく、マルコは自分とは同じ立場ではありえない、という判断を下していたのです。



パウロは強い人でした。そのことは間違いなく言えます。しかし、冷たい人であったという判断は、たぶん間違いです。強いて言うならば、かばう相手を間違わなかったのです。マルコをかばうのではなく、神と教会をかばいました。この判断が重要なのです。



それは、別の言い方をすれば、だれが伝道するかは究極的な問題ではない、ということでもあります。パウロが新たに選んだパートナーはシラスという人でした。教会はパウロとシラス「を」主の恵み「に」委ねました。パウロとシラス「に」主の恵み「を」委ねたわけではない、という点が重要です。伝道の主体は「主」御自身なのです。教師と教会、すなわち、狭義の伝道者と広義の伝道者は、「主」に仕えることができるだけなのです。



ただし、それは、まさか、伝道の仕事はだれにでもできることであるし、だれがやっても同じである、という意味ではありません。申し上げたいことは全く正反対です。重要なことは、だれが伝道するかではなく、伝道それ自体である、ということです。だれが神の救いを宣べ伝えるかが重要なのではなく、神の救いが宣べ伝えられることそれ自体が重要なのです。教会の伝道は、「地上における神のみわざ」なのです!



神のみわざを人間の勝手で中断してはなりません。それゆえ、伝道の仕事を「途中で」放棄する人は、伝道者には向かないのです。神の本質は、永続性ないし継続性にあるからです。パウロの判断は正しかったのです!



(2007年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月18日日曜日

「自由への決断」

使徒言行録15・22~29(連続講解第38回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからである。」



先週、わたしたちが学んだことは、「教会は会議を重んじる」ということでした。教会は会議を重んじます。その意味は大きく分けて二つある、と言うべきです。



第一は、教会はどんなことでも会議で決める、ということです。教会は、特定の個人の意見で振り回されることを最も嫌うのです。個人的な意見が全体の方向性を全く決定してしまうというようなことは、教会にとっては好ましい結果ではありません。教会の中心に立っているのは神御自身です。神の御霊が教会の会議に集まる一人一人に働いてくださり、その御霊に導かれて教会の方向性が決定されるのです。わたしたちの教会政治の原則は、独裁主義ではなく、複数指導体制なのです。



しかし、です。今申した点だけでは、まだ十分ではありません。第二の意味があります。「教会が会議を重んじる」ということの意味は、教会とは会議で決まったことについてはこれをきちんと守る団体でもあるということです。教会会議の主は、神御自身なのです。そこで決まったことは神御自身の御心であり、命令であると信じるべきなのです。



ある教会の実例です。ある問題について、教会の役員会で時間をかけて話し合い、また会員総会でも相談して、ひとつの決定を下した。ところが、次の日曜日になると牧師が、みんなで決めたこととは正反対のことを語り始めた。「妻(牧師夫人)が反対したからだ」という。こういうのは本当によくない。教会の中心は特定の個人ではありません。



教会が会議を重んじることの意味のなかには、特定の個人の独裁や暴走を食い止めるという側面もあります。とりわけわたしたちが採用している「長老主義」という教会政治のあり方の根本には、教職者による全面的支配を避けるという目的があるのです。



そのことは、二千年前の教会においても行われました。アンティオキア教会で起こった大きな意見対立によって当時のキリスト教会全体が分裂の危機にさられました。その問題に決着をつけるために、エルサレムで使徒会議が招集されました。しかしそこに集まったのは使徒たちだけではありませんでした。「長老たち」(15・2、15・22)も参加したのです!



対立が起こった点は、次のようなことでした。ユダヤ(おそらくエルサレム)から来たある人々がアンティオキア教会の中で一つの点を非常に強調して語り始めました。それは、人がキリスト者になるためには洗礼を受けるだけでは不十分である。割礼を受けなければならない、ということでした。割礼は、当時のユダヤ人男性の全員が受けていたと思われます。つまり、「割礼を受けなければならない」という要求が突きつけられたのがアンティオキア教会の中のユダヤ人以外の人々、つまり異邦人であったことは明らかです。



この要求によって起こったことは、一言でいえば、異邦人が教会のメンバーに加わる際のハードルが非常に高くなったということです。割礼には当然のことながら一時的にせよ激しい苦痛を伴います。つまり、このユダヤ人たちの要求は事実上、あの痛い目に合っていないような人間を教会のメンバーに加えることはできないと言っているのと同じです。



それでも構わないと、願い出る人もいたかもしれません。しかし、どう考えてもそれは少数派です。多くの人々は、痛い目に会うために教会に来たいわけではない。わたしたちの負うべき痛みや苦しみは、もっと他のところにあるはずです。人生そのものが苦しいのです。生きていること、そのこと自体に痛みが伴うのです。



そして、わたしたちの多くが教会に求めることは、わたしたちがこの人生の中で今まさに味わっている痛みや苦しみを耐え忍ぶことができる力と勇気と慰めを得ることでしょう。そうではないでしょうか。



しかし、です。この人々が要求したことは、そうではありませんでした。体を傷つけなさいというのです。痛い目に会いなさいというのです。そうでないような人間は、教会のメンバーになど加えてやるものかというのです。これは明らかに、教会の敷居を高くするやり方です。門をできるだけ狭くし、だれにも入らせないようにするやり方です。



この人々の主張に対して最も強く反発したのが、第一次海外伝道を体験してきたばかりのパウロとバルナバでした。正反対である!「伝道」という使命を担っているわたしたち教会がしなければならないことは、自分たちの敷居をわざわざ高くして、人々を恵みからできるだけ遠ざけることであるはずがない。むしろ、可能なかぎり敷居を低くすることではないのか。そのように彼らは考えたに違いありません。



もちろん教会は、ただ単なる人集めをしたいのではありません。しかし教会のメンバーに加わりたいと願っている人の前で「キリスト者になるとは、あれもしなければならないし、これもしなければならないということなのだ」と並べたてることによって、「そうか、わたしたちはお呼びでないのだ。ここに参加することは最初から無理だったのだ」と悟らせるように仕向けるようなのは、いかにもばかげたやり方ではありませんか。



パウロたちは、この問題が個人的な対立のような形で扱われることを望まず、公の教会会議の場できちんと結論を出すことを望みました。そして、その声はエルサレム教会にも届き、彼らの願いどおりの会議がエルサレムで行われることになったのだと考えられます。



ところで、パウロたちが、この問題が公の形で扱われることを望んだ理由は、聖書には明らかにされていません。わたしたちにできることは、それは何なのかを想像してみることだけです。一つの点だけ申し上げておきたいことがあります。



それは、わたしたちが受ける洗礼はあまりにも弱すぎると感じられるかもしれない、という点にかかわることです。どういう意味か。わたしたちが洗礼を受けた証拠は、わたしたちの体のどこにも残っていないということです。まさかお勧めするわけではありませんが、たとえばわたしたちが様々な誘惑の中で、もし「わたしはキリスト者である」という事実を隠しておきたいと願うならば、それはいとも簡単にできるでしょう。客観的な証拠などどこにも残っていないからです。裸にされて調べられても、どこにも何もありません。



今ならば、洗礼式の写真が残っているかもしれません。それが証拠だと言われるなら、そうかもしれない。また、書類的なものはすべて教会に保管されています。それも証拠だといえば言えなくもない。しかし、そういうことは、おそらく、実際の場面ではほとんど問題にならないと思います。うんと乱暴な言い方を許していただくなら、わたしたちは、いざとなったらいつでも“しらばっくれる”ことができます。洗礼を受けたことのしるしが、わたしたちの体には、どこにも残っていないからです。



アンティオキア教会のなかですべてのキリスト者が割礼を受けることを求めたユダヤ人たちの動機は、「モーセの慣習に従って」という点、つまり、(旧約)聖書に書かれている原則を守るべきだという点にあったようだということについては、十分に考慮される必要があります。しかし動機はそれだけなのか、もっと他にもあるのではないかということも、いろいろと想像することがわたしたちには許されていると思います。



その中で、私は“洗礼の弱さ”という点を、どうしても、避けて通ることができません。「洗礼を受けている」ということをわたしたちは隠すことができる。わたしたちの頭の上に注がれた水は流れて消えてしまいます。割礼の場合はそうは行きません。一生消えない傷として、痛みの記憶とともに、このわたしの体に残り続けます。いざとなれば、「ここに証拠がある」と、客観的に提示することができます。



そういう“しるし”が、「わたしたちにも欲しい」と感じるときがあるかもしれません。「このわたしはキリスト者である」ということを明確に示すことができる何かが。これを求める気持ちは普遍的なものではないか。この点が、当時の人々が「この問題は教会会議を開いて結論を出すべきだ」と考えた理由の一つではないかと、私には思われるのです。



しるしが欲しいという気持ちはわたしたちにもあるかもしれません。教会の歴史の中にもそのような試みは、絶えずありました。しかし、どうするか。体のどこかを切るのか。消えない字でも彫るのか。髪の毛を剃るのか。そのように見える服を着るのか。シールでも張るのか。バッジでも付けるのか。特殊な合い言葉でも交わすのか。忍者みたいに。



しかし、これは誘惑なのです!洗礼を受けたというだけでは自分がキリスト者であるという事実をいざとなれば隠すことができる、という点も十分な意味で誘惑かもしれません。しかし、しかし、です。そのための何らかの客観的なしるしを求めることもまた、誘惑であり、ある意味で、後者は前者よりも、もっと大きな誘惑なのです。



なぜなら、そのような外見上の事柄は、わたしたちにとっては、ポーズや演技やお芝居にさえなりうるからです。そのようなしるしに隠れて、心の中では全く別のことを考えているということが、わたしたちには十分にありうるのです。



そのことについてパウロは、ローマの信徒への手紙にはっきりと書いています。「あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません」(ローマ2・27~28)。



事実として、また事柄の真実として語りうることは、わたしたちは、客観的なしるしを持つと、それに隠れて嘘をつきはじめるのだ、ということです。しるしなど、いっそ何もないほうがよい。それがないことによって、わたしには隠れ蓑などどこにもないのだ、と繰り返し悟るのです。わたしたちに必要なことは、芝居がかった態度そのものから自由になること、すなわち「救われる」ことなのです!



わたしたちのしるしは、実は、ちゃんとあります。それは、この信仰そのものです。信仰に基づく生活です。それ以外には、わたしたちがキリスト者であることを証明するものは何もありません。キリストの香りを放つのは、わたしたちの心です。信仰・希望・愛、そして喜びです。喜びの人生です!



二千年前の教会会議が決定したことは、まさにそのことです。一つの点が高らかに宣言されました。



教会会議によって宣言された内容は、(いくらかの特例を除いて)わたしたちキリスト者には「いかなる重荷も負わされない」ということです。いくらかの特例とは、「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けること」です。これはヤコブの発言(15・13~21)によって加えられた特例です。



ヤコブの趣旨は「モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているから」(15・21)、当時のキリスト教会の中でも常識の範囲内の事柄になってきている、ということです。つまり、この特例の意図は、「キリスト者は常識的であるべきである」ということです。それ以上のことではないのです。



そのとおり。わたしたちキリスト者は、特殊である必要はありません。むしろ、一般的であり、常識的であることが、神から求められているのです。



(2007年11月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月11日日曜日

「教会は会議を重んじる」

使徒言行録15・1~21(連続講解第37回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「教会は会議を重んじる」というタイトルをつけました。今日は、この事柄に集中してお話しいたします。



先週学んだ個所で、伝道者パウロとバルナバの第一回海外派遣が終了しました。二人はしばらくの間、アンティオキアに滞在し、その地の教会に身を置きました。おそらく彼らは、長旅の疲れが癒され、次の旅行に備えるための充電期間を過ごすことを願ったに違いありません。



ところが、です。アンティオキア教会で、この二人の伝道者とある人々との間に一つの論争が起こりました。要するに、教会の中でけんかが始まったのです。



「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。」



論争の内容は、はっきりしています。論点は要するに、「キリスト者になる」とは、どういうことであるのか、です。



パウロたちの主張は、人が救われるのはイエス・キリストへの信仰による、というものでした。そして、その信仰は神の恵みであるというものでした。神の恵みによって、信仰によって人は救われる。そしてその人は信仰に基づいて洗礼を受け、イエス・キリストの体なる教会のメンバーになることが許される。キリスト者になるために、それ以上の条件は何もない、というものでした。



ところが、そのパウロたちの主張をどうしても受け入れることができなかった人々が、アンティオキア教会の中に混ざっていたようです。恵みと信仰、そして洗礼を受けるだけでは、人はキリスト者を名乗ることができないと、その人々は考えました。キリスト者を名乗るからには、聖書に基づいて、とりわけモーセの律法に基づいて割礼を受けなければならない。洗礼に加えて、割礼も必要である。キリスト者になるためには、洗礼を受けるだけでは不十分である、と考えたのです。



この論争の本質は、どこにあるのでしょうか。いろんな見方ができると思います。



パウロたちにとって最も重要であったのは、彼らが第一回伝道旅行において取り組んだ「異邦人への伝道」という点でした。つまり、彼らの関心は、どうしたら異邦人を教会に受け入れることができるのか、ということでした。



異邦人とはユダヤ人にとっての外国人のことであり、それは同時にユダヤ教徒にとっての異教徒のことです。その人々の特徴は、ユダヤ人たちとの比較において、最も明らかにされます。異邦人の特徴は、聖書の御言葉をきちんと学んだことがないということであり、従って、聖書にどんなことが書かれているかをほとんど全く知らず、それゆえ聖書の教えに従って生きたことがない、という点に集約されるのです。



しかしそこにある問題は、少なくとも当時の状況においては、キリスト教会のメンバーの大多数がユダヤ人たちであった、という事実です。ユダヤ人たちの特徴は、異邦人との比較において明らかにされます。ユダヤ人たちは、聖書に書いてあることは何かを幼い頃から学んできている。また、聖書の教えに従って(あるいは「従わされて」)生きてきた、という事実とプライドを持っている人々である、という点に集約されるのです。



そのようなユダヤ人たちが大多数を占めていた教会の中に、異邦人を受け入れること。これがパウロたちの使命となり、課題ともなったのです。「課題」と言わなくてはならない理由は、そこに大きな困難が伴うことは、火を見るよりも明らかだからです。



そこで起こる大きな困難の内容は、おそらくわたしたちにもすぐにピンと来るものです。以前、ある場所で小池正良先生(日本キリスト改革派船橋高根教会前牧師)が「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」と教えてくださいました。そのとおりです。伝道とは生き方、考え方、言葉遣いなど、文化の異なる人々を受け入れ、共に生きることです。



しかしまた、そこには大きな困難が伴います。関東の人と関西の人。それだけでも未だに難しい問題があると思います。都会の人と田舎の人。戦争体験者と未体験者。若い人と年配者、などなど。異なる文化の持ち主が共に集まり、共に生きる。それが、現実の教会の姿でもあります。しかしまた、そこには難しい問題があるのです。



選択肢は、少なくとも二つあると思います。第一の選択肢は、強い影響力を持っている人々が、自分たちの文化を教会全体に押し広げることです。一つの教会の中に異なる文化が共存することを認めず、一つの文化を共有する団体になるよう強いることです。あるいは、強いることまではしなくとも、異なる文化の人々に対して終始一貫、批判的・否定的な視線を向けることです。



しかし第二の選択肢があります。パウロたちが選んだのは、これです。自分自身も含むユダヤ人たちの側が、ぎりぎりまで譲歩する道です。異なる文化の持ち主に対してユダヤ人たちの文化を強制しない道です。



しかもそれは、我慢や忍耐というレベルにとどまるものではありません。我慢や忍耐というレベルにとどまるならば、結局そこには、批判的・否定的な視線が残り続けると思います。教会の中に「我慢している人々」と「我慢されている人々」の二種類の人々がいる、という状態が残り続けます。そのような状態がいつまでも続くことは、わたしたち人間にとっては、心理的にも感情的にも、耐えられるものではありません。



もっとも、アンティオキア教会のなかで、パウロたちと対立することになった人々は、我慢も忍耐もできなかった人々です。彼らは自分たちが割礼を受けていたのです。自分の生きてきた道は正しいという確信を持っていました。そのため、教会の中に割礼を受けていない人がいることが許せなかったのです。そのような人々が教会の中に存在すること、そのような人々を受け入れることは、このわたしの人生を否定されるのと同じである、というふうに感じたのではないでしょうか。



この種の対立は、しばしば、とても深刻なものになります。決して小さなことではありません。お互いの人生をかけての勝負事になる。感情的にも激しいぶつかり合いへと発展し、お互いの心や体に深い傷をもたらしかねません。そのことをわたしたちはよく知っていると思いますし、またそのことを二千年前の教会も、よく知っていたのです。



感情的な激突を避けるための知恵は何でしょうか。会議を開くことです。それが人類の知恵であり、神の教えです。二千年前の教会もまた、教会内の紛争を処理するという目的のために「教会会議」を開くことにしたのです。これは、非常に重要なことです。



「この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。」



今日の個所、使徒言行録15章に紹介されている「エルサレムの使徒会議」は、二千年のキリスト教史の最初に開かれた、言葉の最も正しい意味での「教会会議」です。



教会会議は、まさに「会議」でなくてはなりません。会議とは落ち着いて理性的に語り合い、決議する場所です。そして理性的に語り合うとは、論理を用いて真理について語りあうことです。「私はこう思う」とか「誰かがこう言った」と言い合うだけでは、会議にはなりません。大きな声で相手をねじ伏せるようなやり方などは、論外です。



そして、その会議が真理を問題にしているかぎり、その会議は必ず「裁判所」としての機能を持つ必要があります。最終的には、白いものを「白い」と言い、黒いものを「黒い」と言わねばなりません。どちらでもないものは「どちらでもない」と言わねばならないのです。裁判的要素のない会議は、ただの虚しいおしゃべりです。



そして、ここでわたしたちが知っておくべきことは、この歴史的に最初の「教会会議」が開かれることになった理由ないし動機は、先ほどすでに申し上げましたとおり、教会内の紛争を収めるためであった、ということです。逆に言えば、それは、教会というところは、二千年前から、つまり教会の歴史の最初から、もめごとだらけであった、ということをも意味しています。「がっかりする」とお感じの方もおられるかもしれません。



教会内に紛争がない、ということはありません。歴史的に一度もなかったと言い切ってよいほどです。紛争がない教会などは、いまだかつて存在しなかったし、これからも存在しないでしょう。



しかし、わたしたちは、そこで絶望してはならないのです。違いが生じるのは、その先です。教会は内部の紛争を収め、交通整理をすることによって、感情的に対立する両者の間に和解をもたらし、共に生きる道を模索してきました。それが「教会会議」を開く意味です。少なくとも日本キリスト改革派教会は、厳密な意味での「教会会議」を重んじることにわたしたち自身の存在をかけてきたのです。



今日も礼拝後に、11月の定期小会・執事会を開きます。わたしたちの教会で毎月開いている小会は正規の「教会会議」です。わたしたちの小会は仲良くしていますので、ご安心ください。今、わたしたちの教会の中には何の紛争はありません。



今月23日に湖北台教会で行われる東関東中会2007年度第二回定期会も、正規の「教会会議」です。わたしたちの中会にも今のところ何の紛争もありません。平和そのものです。



先月大阪で行われた日本キリスト改革派教会第62回定期大会も正規の「教会会議」です。大会も平和そのものです。大きな紛争などは何もありません。



しかし、次のように語ることをどうかお許しいただきたいと願います。それは、現時点で、わたしたち松戸小金原教会の中にも、東関東中会の中にも、大会にも紛争がないのは、「紛争が起こらないように」、まさに教会会議(小会・中会・大会)そのものが全力を尽くして見張り番の役を背負っているからでもあるということです。見張り役にある者たちの共通認識は、次のようなことです。



第一に、教会の中で受ける心の傷は、わたしたちを最も深く傷つけるものであるということです。そのことをわたしたちは、よく知っていますし、また教会生活の中で体験的に学んできています。



第二に、教会で受けた傷は、教会の中で、また教会自身によって、癒されなければならない、ということです。教会の中で受けた傷は、教会の外で癒されることはないし、またそのような解決方法が善いとも思えません。



そして第三に、言葉の正しい意味での「教会会議」を支配しているのは、実は、わたしたち人間ではなく、人間の思いではなく、神御自身であり、神の御霊である、ということです。そのように、わたしたちは、はっきり語ることができます。人間の思いの支配する会議は「教会会議」ではありません。そこには赦しも慰めも救いもありません。



しかし、「教会会議」は違います。そこには赦しがあり、慰めがあり、救いがあります。そこに集められた人々の信仰のうちに、聖霊なる神御自身が宿ってくださるのです!



「教会会議」も間違いを犯すことがありえます。完璧な真理は地上の教会には明らかにされていないからです。しかし信頼していただきたいことがあります。それは、教会会議が犯した間違いは、次の教会会議で神御自身が訂正してくださるのだ、ということです。



わたしたちは、教会会議の主を信頼するゆえに、この命を「教会会議」に預けることができるのです。



(2007年11月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月4日日曜日

「苦しみの意味と力」

使徒言行録14・21~28





「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後、アタリア州に下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そしてしばらくの間、弟子たちと共に過ごした。」



パウロとバルナバの第一次海外派遣は、ここで終了いたします。彼らは海外に出かけて、いったい何をしたのでしょうか。そのことが今日の個所に明らかにされています。



21節の「この町で」は、直前の20節に出てくる「デルベ」のことです。デルベの町で、パウロとバルナバは「多くの人を弟子にした」と書かれています。気になるのはこの場合の「弟子」とは誰の弟子なのかということです。



この問いの答えは明快なものでなければなりません。「キリストの弟子」です!「パウロの弟子」でも「バルナバの弟子」でもありません。この点を読み間違えてはなりません。



「弟子にする」という表現が用いられているのは、使徒言行録にはこの個所だけですし、また、使徒言行録と同じ著者であるルカによる福音書には出てきません。しかし、マタイによる福音書には出てきます。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)。



これはイエス・キリストの宣教命令です。すべての民を「わたしの弟子」、つまりイエス・キリストの弟子にすることが教会の伝道の目的なのです。



パウロとバルナバの働きも、彼ら自身の弟子を増やすことではありませんでした。このわたしの言うことを聞く人間が何人増えたというようなことに、おそらく彼らは何の関心もありませんでした。彼らはそのようなことを嫌がっていたと思います。キリスト教信仰にとってそのような感覚は、最も遠いものであり、うんざりすることだからです。



しかしまた、そのことは、ある面から言えば、人間の社会においては避けがたい運命、抵抗しがたい誘惑であると言わねばならないことかもしれません。政治家が自分の支持者を集めるように、宗教家が自分の弟子を増やそうとする。それは、事の成り行きとしては避けがたいことかもしれないのです。



パウロたちもその事情をよく分かっていました。だからこそ彼らは意識的ないし意図的に、伝道とは自分の弟子を増やすことではないということを具体的な行動と実践において明らかにしました。



この点で注目していただきたいのは22節の「信仰に踏みとどまるように励ました」という言葉と、23節の「彼らをその信ずる主に任せた」という言葉です。



今日の個所でパウロたちがしていることは、それまで歩んできた道を引き返すことです。ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベと歩いてきた。その同じ道を今度はデルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキアと引き返す。その目的は彼ら自身が伝道した町のなかで、イエス・キリストへの信仰を受け入れ、洗礼を受け、教会のメンバーになった人々に再び出会い、信仰に踏みとどまるように励ますことでした。



ご理解いただきたいのは、パウロたちが勧めたのは「信仰に踏みとどまること」、つまり、彼らが宣べ伝えたイエス・キリストへの「信仰」に踏みとどまることであって、われわれから受けた恩義に踏みとどまりなさい、感謝しなさいというようなことではなかったことです。恩義に踏みとどまれというような話は、仁侠道の一種であり、キリスト教信仰から最も遠いものなのです。



そしてパウロたちは、そのことを明らかにするためにこそ、23節に書かれているとおり、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命したのです。そして、「彼ら」つまり「長老たち」を「その信ずる主に任せた」のです。



どういうことか。要するに、パウロたちは、ひとつの町、ひとつの教会に長くとどまり続けることを意識的に避けた、ということです。彼ら自身の弟子をつくらないためです。キリスト者が文字どおり「キリスト者」であり続けること。パウロ主義者やバルナバ主義者をつくらないこと。そのために、彼ら自身は潔く身を引くのです。



しかしまた、彼らの伝道によって、町ごとに信仰者の群れが生み出され、そこに教会が形成されていった。その教会を大切にする責任が、パウロたちにもあった。そのために、教会を守る責任者として長老たちを任命し、その長老たちを「その信ずる主」、すなわち、救い主イエス・キリスト御自身「に」任せたのです。



ですから、別の言い方をすれば、パウロたち自身の仕事の目標は、たしかに旅先の地に信者の群れを生み出すことではありましたけれども、より具体的に言えば、その地に複数の長老を任命することであり、われわれの言葉で言えば「小会を組織すること」であって、それ以上のことは彼らの仕事ではなかったということです。あとのことはすべて長老たちが行うのです。
 
26節にも、23節にあったのと同じような表現が出てきます。「そこ〔アンティオキア〕は、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である」。



「二人」、すなわちパウロとバルナバの二人は、アンティオキアにおいて、神の恵み「に」ゆだねられました。神の恵み「が」彼らにゆだねられたわけではありません。それは、23節において長老たちがその信ずる主なるイエス・キリスト「に」任せられたのであって、パウロたちが長老たちにイエス・キリスト「を」任せたのではないのと同様です。



ここで考えなければならないことは、神の御子なる救い主イエス・キリストは、生きておられる方であるということです。また、恵み深い父なる神は、生きておられる方であるということです。「イエス・キリスト」も「神の恵み」も、パウロたち伝道者たちがだれか他の人々に「はい、どうぞ」と手渡して預けることができるような、物のような存在ではないということです。



むしろ事情は正反対です。御言葉の教師たちが、長老たちが、そしてすべてのキリスト者たちが、父なる神と御子イエス・キリスト「に」任せられ、ゆだねられるのです。このことも間違えてはなりません。



さて、ここで話をもう一度前のほうに戻します。パウロたちが旅先の町々で福音を宣べ伝えた結果ないし成果としてうみだされたキリスト者たちとその教会に対してパウロたちが語った言葉は「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」というものでした。この意味は何なのだろうか、ということを考えてみたいと思います。



私にとって気になることは、ひとつです。この点は皆さんにぜひお尋ねしたいことでもあります。「多くの苦しみを経なくてはならない」という言葉は、22節によりますと、弟子たちを「力づける」言葉であったと言われています。



問題は、皆さんならば、このような言葉で「力づけ」られるでしょうかということです。「苦しみがあります」とか「苦しまなければなりません」という言葉を聞くと、たちまち元気がなくなるとか逃げ出したくなるという方はおられませんか。この点がちょっと気になる、いや、かなり気になる点です。



しかも、明らかなことは、パウロたちが語っている、わたしたちが経なくてはならない「苦しみ」の内容は、どう考えてもやはり、教会をたてあげ、守り抜くことに伴う苦しみであるということです。はっきり言えば、パウロたちが語っていることの趣旨は、教会は楽しいばかりのところではなく、苦しいところでもある、ということです。



しかし、教会の何がそんなに苦しいのでしょうか。それは、わたしたち自身が、すでに十分に味わってきたことです。



毎週の礼拝に通うこと。このこと自体が楽しいばかりのことではなかったし、今もそうであるし、これからもそうであろうということを、わたしたちはよく知っています。



教会生活は、それを始めるときには喜びと感謝と興味がいっぱいあるものです。しかし問題は、それを続けることができるかどうかです。喜びも感謝も興味もそのうち失われていくのです。長く続けることができそうもないという理由で最初から入ることを躊躇している人々も大勢いることを、私は知っています。



また、とくに小さな子供たちにとっては、日曜日の朝に早起きをするということだけでも一苦労です。教会には近くに住んでいる人々だけではなく、遠くに住んでいる人々もいます。一人で通っている人々だけではなく家族揃って通っている人々もいます。「揃って」というところに、これまた大きな苦労が生じます。



ともかく、わたしたちひとりひとりがこの礼拝のために毎週払っている苦労は、決して過小評価されるべきではないのです。



また、教会を維持することのために、わたしたちは、多くのささげものをささげてきたし、ささげているし、ささげ続けるであろうということも、決して楽なことではないし、涙が出てくるような苦労があります。



そしてまた、教会は人間が集まるところであり、そこには人間の問題が必ずあるのです。いろいろなトラブルもある。嫌になって逃げ出したくなるような場面は、教会生活のなかには、何度でも訪れるのです。



加えて外からの妨害や迫害もあります。わたしたち教会の者たちにとっては命に代えても惜しくないほど大切なことが、教会の外側にいる人々にとっては、どうでもよいことであり、無意味なことに見える。そのように面と向かって言われる。そのような人々の声に、わたしたち自身が負けてしまうことがあるのです。



わたしたち自身に原因や責任がある場合もあります。毎週日曜日、教会から帰ってくるたびに愚痴を言う。疲れ果て、くたびれ果てて、蒼い顔して、寝込んでしまう。「そんなにつらいんだったら、教会なんかやめたらいい」と家族の人々が本気で心配してくれる場合があります。人が苦しんでいる姿は、つまずきにもなるのです。



しかし、勇気を持とうではありませんか。教会には何の苦しみもありませんと語ることはうそになりますし、聖書の証言に反していますので、そのように語ることは私にはできません。



それでもなお申し上げたいことは、教会の存在は決して無意味ではないし、無駄でもないということです。たとえ苦しみがあっても、教会には命をかけて守り抜く価値があり、意味があるということです。この町に教会があることは、わたしたち教会の者たちにとってだけではなく、町の人々にとっても意味があり、価値があるのです。



みんなで一緒に苦しみましょう!私も苦しみます。教会は「地上における神のみわざ」なのです。教会はイエス・キリストの体なのです。天地創造のみわざは、教会なしに行われました。しかし、救いに関して言えば、神さまは教会なしには何もなさらないのです。



わたしたちが苦しんで、涙も流して、一生懸命に支えて、つくりあげていく地上の教会をとおして、神御自身が救いのみわざを行われるのです。



その意味で、わたしたちの苦しみが、神の力なのです。



(2007年11月4日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月3日土曜日

「小金原憲法九条の会」結成三周年への祝辞

「キリスト教の立場から」―「小金原憲法九条の会」第二回例会での発言(2005年5月19日)



本日は小金原憲法九条の会が三周年をお迎えになりましたことをお慶び申し上げます。また、そのお祝いの会の会場として松戸小金原教会をお選びいただき、感謝いたします。またゲストとして松戸小金原教会の教会役員(長老と称します)でありハープ奏者である佐々木冬彦さんをお選びいただきましたことも、本当にうれしく思います。



佐々木さんの紹介をするようにと命ぜられました。しかし、佐々木さんはとても照れ屋の方なので、ここで私がいろいろ言うと、きっと困ってしまわれると思います。とにかく素晴らしい方です。佐々木さんのハープの音色をとにかく聴いてください、と申し上げておきます。私と佐々木さんは1965年(昭和40年)生まれの同い年です。この教会の牧師と長老という関係であると共に親しい友人でもあります。心から推薦させていただきます。



また講師である映画監督、池谷薫さんには、本日初めてお目にかかります。素晴らしい講演をしていただけることと期待しております。よろしくお願いいたします。



松戸小金原教会のこの建物は、ちょうど2000年に新しく建て直しました。そのとき以来、この建物を地域の方々、とくに小金原地区の方々のためにお役に立つように用いることができないかと祈り願ってきました。今日のような会、とりわけ平和のために開かれる会に用いていただけるなら、それこそわたしたちが願ってきたことです。本当にありがたいと思っています。



平和というテーマはキリスト教においても重要なテーマです。わたしは今、「キリスト教においても」と、少し遠慮がちに申しました。本当は「キリスト教においてこそ」と語りたいのです。宗教が平和を祈り求めないはずがないではありませんか!平和のために祈らないような宗教とは、いったい何なのだろうかと思います。



わたし自身は、小金原憲法九条の会のメンバーに加えていただいている者です。しかし、今日の会は教会が主催ではありません。今日、わたしたちは、宗教・思想・信条をこえて集まっています。佐々木さんが奏でる美しいハープの音色を聴きながら平和とはどのような音色であるかを想像してみていただきたいと思います。また、池谷さんの力強い御講演を伺いながら、わたしたちが求める平和とは何であるのかを改めて学び、考える会であると思います。そのような会が行われることを、教会の者たちは心から感謝しているのです。



教会の者たちが信じているイエス・キリストは、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(新約聖書・マタイによる福音書5・9)とお語りになりました。これは、平和を実現するために武器をとって戦え、という意味ではありません。イエス・キリストは一度も武器をおとりになりませんでした。それどころか、どのような迫害の中にあっても、非暴力・無抵抗を貫かれました。そのことは多くの人々に知られています。教会もまた、イエス・キリストがこのような方であるからこそ、尊敬し、信仰の対象とし、この方の教えを学び、この方に従って生きていきたいと願うのです。



今日は宗教・思想・信条をこえて集まっている会です。しかし、わたしは、教会だからこそできることもある、と思っています。



それは、まさに今日、戦争に反対しない教会があり、そのようなキリスト教があるではないか、と多くの人々から思われているということを、わたしたちは知っているからです。「ヨーロッパを見てごらんなさい、アメリカを見てごらんなさい、みんな戦争しているではないですか。あの人々の背後にキリスト教があるではないですか!キリスト教こそ戦争の宗教ではないのですか」と。



教会にもできること、いや教会だからこそできることがある。それは、日本国憲法九条の改憲に反対している教会もあるのだということ、そして世界の平和を実現していくために祈りかつ働くキリスト教もあるのだということをわれわれの存在をもって証明することです!



そのような機会をわたしたち教会に与えてくださったそのことを、小金原憲法九条の会の方々に、感謝しております。



お集まりの皆様には、どうか、ごゆっくりお過ごしくださいますようお願いいたします。



(2007年11月3日、小金原憲法九条の会結成三周年記念会、於松戸小金原教会)