2007年7月1日日曜日

「迫害者の回心」

使徒言行録9・1~9



使徒言行録は、今日の個所から新しい内容を記していきます。中心的な登場人物の名前は、サウロです。このサウロが後のパウロです。新約聖書に非常に多くの手紙を残した、あの使徒パウロです。



ただし、変わったのは、名前だけではありません。彼の人生が変わりました。サウロは熱心なキリスト教迫害者でした。しかし彼は迫害をやめました。迫害をやめたというだけではありません。キリスト教を、今度は熱心に宣べ伝えるようになりました。熱心な迫害者が熱心な伝道者に変わりました。まさに正反対の方向に進んでいくことになったのです。



「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」



ちょっと気になるのは「なおも」という言葉です。「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」と続きます。サウロは、主の弟子たちを実際に脅迫し、殺したことがあるのでしょうか。それとも、脅迫と殺害を「意気込んだ」だけでしょうか。もしここに「なおも」と書かれていなければ、サウロは「意気込んだ」だけです、まだ殺してはいません、と説明できるかもしれません。しかし、「なおも」と、ここにはっきりと書かれています。おそらく、サウロ自身も、他のユダヤ人たちと同様、エルサレムの教会への大迫害の際に参加して、脅迫行為を行うなど、ひどい目にあわせていたのです。



しかし、それでは、サウロはキリスト者たちを実際に殺したのでしょうか。この点は、やや微妙です。使徒言行録にサウロが登場するのは二回目です。最初に出てくるのはあのステファノの殉教の場面です。ステファノに向かって石を投げつける人々が、自分の着ている服を脱いで、サウロの足もとに置きました。服の番をしていたのです。



「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」(8・1)とも書かれています。彼は賛成していたのです!しかし、だからサウロは殺人者である、と語ることができるかどうかというところに、いくらか微妙な要素があるように思われます。



間違いなく言えることは、サウロ自身もステファノの殺害に賛成していたこと、つまり、ステファノを殺した人々の側に加担していたことです。しかし、実際に石を投げたわけではありませんし、服の番をしていたという点が明記されていることによって、サウロ自身は石を投げていないということがむしろ強調されている、と読むこともできると思います。同罪と言えば、同罪かもしれません。「いや、少し違う」と、かばってあげることができるかもしれません。



サウロは服の番をしていました。しかし、これは、いわゆるけんかやリンチ(私刑)のようなことが始まったので、それをサウロが後のほうから見守っていたというようなこととは、かなり違います。むしろ、考えるべきことは、当時の法律に則った公開処刑が実施された、ということです。



サウロは律法学者の卵でした。エルサレム神殿の律法学校の卒業生であり、当時最高の尊敬を勝ちえていたガマリエル教授の薫陶を受けた人でした。そのサウロにとって、実際の裁判の場に立ち会うとか、先輩たちの服の番をするというようなことは、とても光栄なこと、誇らしいこと、喜ぶべきことでさえあった可能性があるのです。



いずれにせよ確認すべきことは、当時のサウロにとって、またユダヤ社会の一般庶民にとって、キリスト者たちを迫害すること、教会を攻撃することは、「悪かった」と罪悪感を抱いたり、「こんなことをすべきでなかった」と後悔したりするようなことではなかったということです。当時はまだ新興の小さな(いかがわしいとも見えたであろう)宗教団体にすぎなかったキリスト教会を懲らしめるということは、多くの人々にとっていわば当然のことを行ったにすぎないというようなものだったに違いない、ということです。



ところが、です。そのサウロの前に突然現れた光が、彼を打ち倒しました。またサウロは、「サウル、サウル」と自分の名を呼び、自分に語りかけてくる声を聞いたのです。



「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」



サウロの前に現れた光と声の正体は、イエス・キリスト御自身でした。これで分かることが三つほどあります。



第一に分かることは、イエス・キリストは生きておられた、ということです。生きておられた、と過去形で言うのは、当時のサウロにとって、です。十字架の上でたしかに死んだはずのあのイエスという人が、です。死んだはずの、殺されたはずの、あの人が生きていた!生きておられたし、今も生きておられる、ということです。



第二に分かることは、生きておられたし、生きておられるイエス・キリストが、サウロに対して、またサウロと同行した人に対しても、たしかに聞こえ、理解することができる言葉をお語りになったということです。聖書や他の書物の読書を通して目を開かれたとか、ぴんと来たとか、悟りを開いた、というようなことではありません。サウロに起こった出来事は、そういうことを越えています。現実に生きておられる方の声を、現実に聞いたのです。



第三に分かることは、サウロの身に起こったこの出来事は、いわゆる「信仰的な」事実や出来事とは言いがたい、ということです。なぜなら、ここに書かれているとおりであるならば、サウロは、この出来事が起こったときはまだイエス・キリストへの信仰を持っていなかったのですから!このサウロの出来事に限って言えば、彼は信仰を通してイエス・キリストと出会ったのであるとか、信仰においてイエス・キリストの声を聞いたのである、という説明は成り立ちえない、ということです。



実際、まさにこのようにしてサウロは、彼がまだイエス・キリストへの信仰を持つよりも前に、生きておられるイエス・キリスト御自身が直接語りかけてくださる言葉を聞いたのです。そして、彼は信じた。受け入れた。最初はショックも受けました。目が見えなくなったとか、食べ物も飲み物も口にしなかったとあります。物がのどを通らなくなってしまったのかもしれません。



皆さんの中に、教会に初めて来られ、初めて説教を聞いたときにとか、初めてキリスト教を信じてみようと思われたときに、あまりのショックで目が見えなくなったり、食べることや飲むことができなくなったりしてしまわれたという方がおられるでしょうか。私はこれまで、「そうでした」とおっしゃる方に、あまり出会ったことがありません。もう少しくらいショックを受けてもよいのではないでしょうかと思わなくもありません。食べたり飲んだりできなくなってしまうというのは、困りますが。



少しへんな聞き方をすることをお許しください。ここにお集まりの皆さまにお尋ねしていることではありません。最近私は、毎週の説教の原稿や音声をインターネットで公開しています。インターネットを通して聞いてくださっている方々にお尋ねしたい。そのような思いで申し上げます。



キリスト教は趣味ですか。文化・教養のたぐいですか。



それは、われわれの人生にとってのプラスアルファにすぎないものですか。



なくても済むものですか。プラス・マイナス・ゼロでも構わないほどのものですか。



私はそうは思わないのでお尋ねしたいのです。私にとってのキリスト教はもっと重いものです。「いや、関口さん、それは、あなたが牧師だから言っていることでしょう」と言い返されるかもしれませんが、そんなことではないと思っています。



キリスト教は、私の命です。これによって私の一切が支えられていると信じています。



その私がいまや確信していることがあります。それは、一言で言えば、このわたしにも今、生きておられるキリスト御自身が語りかけてくださっている、という確信です。こういうことを言うと、びっくりされる方がおられるかもしれませんが、びっくりするようなことではありません。わたしたちが信頼を置いているこの改革派信仰においても、生きておられるキリストの声をわたしたち自身もまた聞くことができるというこの点をどのように理解すべきかについての、きちんとした道筋を示していると、私は信じております。



毎週私は説教の準備をしています。ただ、説教の準備の正体は、パソコンを開いて原稿を書くことです。うちの子どもたちが父親のことを唯一尊敬してくれていることは、「お父さんは作文が上手である」ということです。なるほど間違いなく、説教は作文です。だいたい毎週四千字ほどの文章を書いています。四百字詰め原稿ならば約一〇枚です。一年で五百枚、一〇年で五千枚くらい書いている計算になります。以前はもっと長い文章を書き、長い説教をしていましたが、松戸小金原教会に来てからは短くなりました。短いほうが、よく聞いていただけると感じています。



牧師の仕事を続けてきて、今やはっきりと確信できることは次のことです。私は自分の原稿に書いていることに責任を持つことができない、というようなことを言うつもりは、全くありません。しかし、これを毎週のように書き続けることができることそれ自体は、自分の力による、というようなことでは決してありえない、ということです。



私の正直な感覚を申せば、だれかの声が聞こえてくる、というような感じがあるのです。もちろん、それが、イエス・キリスト御自身の声なのか、私の心の叫びなのか、どこかでだれかから聞いた言葉なのか、何かの本で読んだ言葉なのかということを完全に判別することなどはできません。まさに“天声人語”(天に声あり、人をして語らしむ)ということがありうるでしょう。



しかし、です。何はともあれ、私が説教の準備をしているとき、この私自身に向かって語りかけてくる声がたしかにあるということ、そしてその声によって励まされ、導かれ、その声が語るままを書きとるという仕方で説教の文章が生まれ、語り続けることができた、という感じがあることは、私にとっては、はっきりと確信できることなのです。



実際問題として考えてみましても、(こういうことはあまり大きな声で言うべきではないことですが)、私もけっこう疲れていることがあるのです。原稿を書くという仕事は、それをなさったことがある方ならご理解いただけると思いますが、時間があればできるというようなものではなく、心や体や生活のさまざまな条件が整わなければできないものです。



しかし、そういうときにも、日曜日はやってくる!教会の皆さんが集まってくる!



そのような(圧力を感じる)ときに、生きておられるイエス・キリストがこのわたしにも語りかけてくださり、その声を頼りに、原稿を書き、説教の準備をすることができる。これは私にとっては、大きな恵みなのです。



サウロも、その声を聞いたのです。わたしたちも、その声を聞くことができるのです!



(2007年7月1日、松戸小金原教会主日礼拝)