2007年4月29日日曜日

「迫害の中の教会」

使徒言行録5・17~42



今日の個所を読んで感じることは何でしょうか。それはいくらか微妙な気持ちではないでしょうか。そのようなことを、つい思わされます。



克明に描かれていますのは、当時の教会に対して起こった迫害の様子です。



事の発端は、要するに、当時誕生したばかりのキリスト教会が非常にうまく行っていたということです。イエス・キリストを信じる人々が、心を一つにして礼拝を守り、互いに助け合い、また彼らを通してさまざまな不思議なわざが行われていく中で、彼らの教会が神の祝福を豊かに受けて成長していったのです。



その次に起こったのが迫害だったというのです。なぜ教会の成長「の次に」起こったのが教会の迫害なのか、この二つの出来事をつなぐものは何だったのかと言いますと、それが「ねたみ」であったということが、17節にはっきりと書かれています。



「そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。」



興味深いと感じることは、当時の教会に対してねたみを抱いたのは「大祭司とその仲間のサドカイ派の人々」であったという点です。彼らは宗教家たちです。ユダヤ教団の幹部たちです。彼らは彼らなりの熱心をもって神に仕えていたのです。



そのような人々がキリスト教会をねたんだ。ねたんだ結果、教会を迫害した。そういうことが起こったのです。少し微妙な気持ちが起こると最初に申し上げたのは、まずこの点です。



大祭司たちの側に「ねたみ」という動機があったことを、キリスト教会側がどのようにして知ることができたかについては、容易に説明できそうなことです。たとえば、使徒となったパウロ(この迫害事件の当時は「サウロ」)は、このときはまだ完全にユダヤ教団側の人であったわけです(使徒言行録8・1)。パウロがそれをキリスト教会に伝えたかどうかは明言できることではありません。しかし、ユダヤ教団のキリスト教会に対する迫害の真意を使徒言行録の著者が知っていたとしても、何の不思議も矛盾も飛躍もないと言ってよいでしょう。



ここでこそ、わたしは微妙な気持ちを持たざるをえません。なぜなら、当時のユダヤ教団の幹部たちが神に祝福されて成長していくキリスト教会の姿を見て、ねたみを起こし、迫害した、というこのあたりで私が痛烈に感じることは、当時の宗教家たちのあまりにも幼すぎる様子であり、要するに幼児性ということだからです。あまりにも子供じみていて、恥ずかしい。



他人の成長や幸せを、喜ぶことができない。喜ぶどころか、ねたむ。そのような思いがねたみの正体でしょう。あまりにも子供じみているではありませんか。これは「子供」をおとしめる意図から申し上げていることではありません。



なぜ、このわたしが「恥ずかしい」と感じるのか。それは、わたしたち自身も、間違いなく「宗教」だからです。そしてこのわたしも、間違いなく「宗教家」だからです。他人事のように考えることはできないのです。同じく宗教を営む者として恥ずかしい、という言い方が適切かどうかは微妙です。微妙ですけれども、そのような思いに近いことを感ぜざるをえません。わたしたちも気をつけなければならないことがある、と思わされます。



なぜなら、教会もこの種の幼児性に陥ることがあるからです。



それは同じキリスト教会同士の間にも起こります。あの教会は、うちの教会よりも成長している。あの教会の人々は、とても幸せそうに生きている。みんなで協力して、大きく立派な建物ができた。そのことを喜ぶことができない。悔しい。ねたましい。他の教会が成長している姿を見て、「わたしたちもがんばろう」と発奮するのではなく、むしろ逆に、ねたむ。足をひっぱってやろうとまで思うかどうかは分かりません。そこまで行かなくても、ねたみを抱いている時点で、すでに、十分に子供じみているではありませんか。



そのような、わたしたち自身にもなんとなく、あるいははっきりと身に覚えのある幼児性を、当時の宗教家たちが持っていて、その幼児性の結果として、キリスト教会に対する大きな迫害が起こった、ということが、今日の聖書の個所に記されているのです。



教会の役員だからこそ陥る幼児性というものも、あるのではないか。こういうことを、つい考えさせられるのです。もちろん、これは、私自身の大きな反省や自戒をこめて申し上げていることです。



さて、もう少し話を先に進めていきます。迫害の次に起こったことは、不思議な出来事だったという点です。使徒たちが逮捕され、公の牢に投げ込まれたあと、「夜中に主の天使が牢の戸を開け、彼らを外に連れ出した」という出来事が起こった、というのです。そこで何が起こったのかは、書いてあるとおりのことしか分かりません。



そして、それに続く出来事は、教会の宣教活動の継続でした。主の天使が、使徒たちに次のように述べました。



「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」



この天使の言葉を聞いた使徒たちは、夜明けごろエルサレム神殿の境内に立って、説教を始めたというのです。そしてその次に起こったことは、ある意味で当然というべき成り行きでした。使徒たちは再び捕らえられ、前よりも厳しい尋問を受けて、前よりも苦しい思いを味わわされた、ということです。なぜ「ある意味で当然」なのか。それは使徒たちの態度はと言うと、彼らを迫害している側の人々の目から見ると、明らかに挑戦的ものであり、あるいは挑発的なものであり、さらに言えば反抗的なものだからです。



「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」



見た感じとしては、けんか腰のように見えたかもしれません。逮捕・監禁・尋問され、キリスト教の教えは絶対に広めてはならないと厳しく言い渡された人々が、黙るどころか、引き下がるどころか、よりによってエルサレム神殿の境内という、大祭司たちにとってはいわば彼らの家の庭のようなところで、声を大にして、キリスト教の教えを再び宣べ伝えはじめたのですから。



「人間に従うよりも」と彼らが言っている場合の「人間」の意味は、あなたがたユダヤ教団の幹部の皆様に従うよりも、ということです。あなたがたには従いません、と言っているのです。



しかし、私自身は「ある意味で当然」と言わざるをえないものを感じはしますが、「ある意味で」という点に、ものすごく大きな強調を置きたい気持ちで申し上げています。話は大きく飛躍しますが、ここで私は、いじめの問題を思い浮かべます。



つい最近まではいじめに関しては、いじめられる側にも問題がある、と言われることが多かったです。しかし、今は違います。いじめられる側には何一つ問題がない、と言われます。私もそれが正しいと信じています。



いじめる側に、いじめる権利などありません。いじめられる側に、いじめられなければならない理由も根拠もありません。いじめる側がひたすら一方的に悪いのです。このことは、ものすごく大きな強調を置かなければならない点です。



いわばそれと同じように、と語ることが可能です。今から二千年前の教会にも、彼らが実際にひどい迫害を受けたことについて、それは教会の側にも問題があったからである、というような言い方を、わたしはすることができないし、してはならないと考えています。



二千年前のキリスト教会は、明らかに、当時のユダヤ教団に対して、挑戦的・挑発的・反抗的な態度をとりました。その結果、怒りを買い、ますますひどい迫害を受けることになりました。しかし、です。教会の側に問題があったわけではありません。教会の側に、迫害を受けなければならない理由も根拠もありません。あいつらはいじめられて当然だ、と言われる筋合いにはありません。



もちろん、当時の教会は、ユダヤ教団の幹部たちがイエス・キリストを殺したのだ、という点を徹底的に追求するという仕方で、彼らを批判しました。そのことを、ユダヤ教団の人々が、忌々しく思い、なんとかしてあの連中の口を封じなければならないと考えた、という話の流れは、ある意味でよく分かるものですし、理解できるものであるという意味で、「当然」と言えるものです。



しかし、です。理解できる話である、ということと、納得できる話である、ということとは違います。ユダヤ教団はキリスト教会に対して子供じみた嫉妬心を抱き、子供じみた迫害を仕掛けてきました。本当に恥ずかしい、みっともないことが行われたのです。
それでも、です。34節以下に登場するファリサイ派のガマリエルという「民衆全体から尊敬されている」律法の教師は、これも「ある意味で」と断っておきますが、少しはましな判断ができる人であったと見ることが可能です。



このガマリエルは、使徒パウロの恩師でもあったと言われます。エルサレム神殿の律法学校の教授職にあった人であると考えられます。宗教的影響力において最高点に立っていた人と言ってよいでしょう。そのような人が登場して、最高法院の議場を説得した結果、使徒たちは釈放されたのです。



ただし、です。このガマリエルの発言はいろいろと考えさせられるものです。私自身は、理解はできますが、決して納得はできません。



「テウダ」とか「ガリラヤのユダ」というのは政治的なクーデターを図った人々の名前です。その人々は見ているうちに、ほら、勝手に自滅してしまったではないか、というわけです。そしてガマリエルは言います。



「そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者になるかもしれないのだ。」



このガマリエルの論理は、「神」の名を持ち出していますので信仰深いようにも見えますが、どこか冷たいものです。



放っておけ。なるようになる。水は低いところに流れつく。ケセラセラ。



これは一種の運命決定論であり、宿命論です。われわれの信じる予定論とは、根本的に異なるものです。



(2007年4月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月22日日曜日

「共に生きる」

使徒言行録4・32~5・16



今日の個所に描かれていますのは西暦一世紀のエルサレム教会の様子です。かなり詳細で具体的な様子です。歴史的資料として価値の高い記述です。



話題の中心にあるのは、要するに、お金の問題です。あるいは、物品の問題です。教会の中でお金や物品のやりとりがあるということについて、そしてまた、そのお金や物品のやりとりの中には、時々、不正な行為が実際に起こることもあった、ということについて、全くあっけらかんと、何一つ隠し事をしないで、書いています。



実際問題としては、聖書の中にこのような個所があることは、正直に言って、大変ありがたいと感じるところでもあります。なぜ「ありがたい」か。日本だけではないかもしれません。しかし、われわれ日本人の中には、特にそのような思想が根強くあると言えるのではないかと感じてきたことがあります。それは、われわれ日本人は、とくに宗教(団体)が、お金や物品のやりとりという問題を大っぴらに扱うことを忌み嫌ってきたのではないだろうか、ということです。



皆さんの中にも、おそらく小さい頃から「お金は汚いものである」と教えられてきたとおっしゃる方々が必ずおられるはずです。お金は汚いものである。そのようなものを教会が扱う姿を見ると、何かおかしなことをしているようだ、と思われてしまうことが実際にありました。「武士は食わねど高楊枝。牧師も食わねど高楊枝だよ」と実際に言われたことがあります。「われわれの国籍は天にあり。地上の教会の建物など要らないよ」という趣旨の発言を聞いたことがあります。牧師が人前でお札を一枚一枚めくりながら数えていたりすると、「そういうのは、みっともないから、やめなさい」と言われたこともあります。



しかし、そのような考えは、はっきり言っておきますが、キリスト教とは無関係なものです。キリスト教の本来の教えの中に、お金や物を忌み嫌う思想はありません。それは、明らかに異教的な要素です。異端(いたん)的である、とさえ言っておきます。



お金はお金です。お金そのものが汚いとか、けがらわしいということは、ありえません。皆さんの中にも、銀行はじめ金融機関で働いておられる方々がおられます。「お金は汚い」などと言うのは、そういう仕事をしている人々に対して、たいへん失礼な言い草ではありませんか。



わたしたちが今いるこの教会は、地上の教会です。具体的で現実的で実際的で物理的な存在としての地上の教会が、さまざまな活動を行うためにお金という手段を用いることは、何も不思議なことではないし、実際やってきたことでもあるし、必要なことでもあります。そのことを、わたしたちは決して疑ってはならないし、そのあたりで迷ったり、ぐらぐら揺れ動いたりすべきではないのです。お金や物は決して汚いものではない、ということを、はっきりと明言する必要があるのです。



「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」



ここから分かることは、当時のエルサレム教会が、とくに経済的な面についてどのような考えを持ち、どのような具体的な対応をしていたか、というあたりです。



それは、ある意味でいちばん単純で、いちばん分かりやすい方法であったと言えます。つまり、全員の財産を一つに集めて、それを全員が共有する、という方法でした。分配の方法は「必要に応じて」と言われています。おそらくそれは、頭数で等分するというようなやり方ではなく、まさに「必要に応じて」、なんらかの基準を定めて、分配していたのではないかと思われます。



ただし、です。ここに書かれていることを読むだけではよく分からないこともあります。たとえば、当時のキリスト者たちは、どこかにある一つの家に住んで、まさに寝食を共にするというような、文字どおりの「共同生活」を送っていた、と考えてよいのでしょうか。そのように考えることは、ちょっと難しいように思われます。



当時のキリスト者は、どれくらいの人数だったのでしょうか。これまでの流れの最後に記されているのは、使徒言行録4・4の「男の数が五千人ほどになった」です。女性や子供たちの数を合わせると、一万人くらいはいたであろうと考えるべきです。一万人が一緒に「共同生活」を営むことができる家屋が、ありえたでしょうか。あまり現実的ではないと思われます。



そういうことではなく、むしろ、彼らは、やはり、おそらく今のわたしたちと同じように、それぞれ別の家に住んでいたし、それぞれの家庭での生活もあったのです。ただし、財産については、お互いに自分のものを持ち寄って、それを共有財産にして、とくに生活に困っている人々を助けていたのです。



それは、わたしたちが今やまさに、この教会の中で、いつもしているようなことです。ただし、今のわたしたちほどには公と私の区別がなく、私有財産の私物化を避け、むしろ多くのものをできるだけ共有化していたのではないでしょうか。



キリスト者たちは、迫害の中にあったのです。みんなが殉教の決意をしていたわけではありません。また、殉教は決して「しなければならないこと」ではありません。聖書の中に殉教の勧めはありません。逃げられるなら逃げるべきです。隠れられるなら隠れるべきです。そういう面があるのです。



迫害の中にあるキリスト者たちが、強い権力をもって教会を取り潰そうとする人々から逃げ隠れする必要があったときに、みんなの財産を一つに集めつつ、同じ信仰をもって共に生きるための蓄えとするということが、彼らの知恵であったと見ることが可能でしょう。



また、何のための換金なのか、という点で、やはりどうしても考えざるをえないことは、“教会の経済”を支えるためであった、ということです。教会と家庭との区別を無視し、それぞれの家庭の境界線を全く(強制的に、ないし半強制的に)取り去ることによって、教会が全く一つの家庭になってしまうというような仕方で、(共産主義のようなものに近い形で)財産の共有化を図ったのだと考えることができるでしょうか。これも、かなり無理がある見方です。



なぜなら、後ほど確認しますが、アナニアという人に向かって使徒ペトロがはっきりと述べていることの中に「売らないでおけば、あなたのものだった」という点があり、これは明らかに、私有財産というものを事実上認める発言である、と考えることができるからです。教会が各家庭の財産を没収したり接収したりしたわけではありません。あくまでも献金として、各個人が主体的・自発的に、それをささげたのです。



彼らが自分の家や土地や畑を売って、それを換金し、集めたお金を何に使うのかと言いますと、教会の経済を支えるためであり、そのようにして信仰の共同体の活動を維持し、支えるためであった、と考えることが最も自然です。それは、今実際にわたしたちの教会がしていることから見て、大きくかけ離れていることというわけではないのです。



「ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。すると、ペトロは言った。『アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』その言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。ペトロは彼女に話しかけた。『あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。』彼女は、『はい、その値段です』と言った。ペトロは言った。『二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。』すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。」



しかし、お金については、困った問題が教会の中で起こったのだ、ということが明らかにされています。アナニアとサフィラ(サッピラ)の夫婦が、自分の土地を売ったお金をごまかして、一部を使徒たちの足もとに置いた、つまり、教会に献金した、というのです。



なぜ「ごまかし」なのか、というと、そのお金の全部ではなく一部を献げたからである、というわけですが、もう少し正確に、というか、具体的に実際そこで何が行われたのかを考えてみる必要があるでしょう。



彼らの問題は、嘘(うそ)をついたことです。これが自分の土地を売ったお金の全部であると言ったのです。それが、ペトロの質問に対して妻サフィラが答えていることの意味です。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい」という質問に対する「はい、その値段です」という答えの意味です。



彼らはなぜ、そのような嘘をつかねばならなかったのでしょうか。本当に残念なことだと思います。アナニアとサフィラの夫婦の問題はこの嘘でした。実際の事情は、ペトロが言っているとおりです。「売らないでおけば、あなたのものだった」し、「売っても、その代金は自分の思い通りになった」のです。「これが全部です」と嘘をつかないで、「これは一部です」と正直に言えば、何の問題もありませんでした。「全部を差し出さねばならない」と、使徒たちの側が、あるいは教会の側が、彼らに命令したという事実は全くないのです。



この嘘の動機は、おそらく見栄っ張りです。あるいは、教会の中の他の人々との競争心や、やっかみや、嫉妬のようなものではないでしょうか。しかし、です。言うまでもないことですが、教会の中では、そのような見栄っ張りも、競争心も、やっかみも、嫉妬も、できるかぎり捨てるべきです。そのようなものは、百害あって一理無しです。それこそが、今日の個所から学びうる教訓です。



お金とか物のことで嘘をつくことは「心と思いを一つにすること」の反対です。嘘よりも、正直さを神さまは喜んでくださいます。また、献金は金額ではなく、心です。教会は単なる集金団体ではありません。神を礼拝し、賛美し、祈るための団体です。その活動のためにもお金が必要なのです。そうであるという事情を、教会は、多くの人々に分かってもらいたいと願うのです。



しかし、お金や物の問題は、慎重に扱わねばなりません。献金は、教会のみんなの血と汗と涙の結晶でもあるからです。そこに嘘が入り込まないように、みんなで心したいものです。お金や物の扱いにおいて公明正大であるときにこそ、わたしたちの教会は、多くの人々の信頼を得ることができるようになるでしょう!



(2007年4月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月15日日曜日

「祈りの力」

使徒言行録4・23~31



今日の個所に記されていますのは、西暦一世紀の教会の中で実際にささげられた祈りの言葉です。祈っている人の名前は記されていません。書いてあることによりますと、この祈りをささげているのは、複数の人々です。心を一つにして、一つの祈りを共にささげているのです。



この祈りがささげられるに至るまでの一連の出来事については、すでに学んだことですので、あまりしつこく繰り返さないでおきます。要するに、使徒ペトロとヨハネが、当時の多くの人々にキリスト教信仰を宣べ伝えたことが理由で、逮捕され、ユダヤ最高法院に引き出される、という出来事が起こったのです。



しかし、彼らは、そのような迫害が起こっても、全く動じることがありませんでした。



彼らを逮捕し、尋問した人々の前は、救い主イエス・キリストを十字架にかけたのと同じ人々です。その人々の前で、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と、彼らは明言しました。



これは、殉教の覚悟なしには、決して語ることができない言葉です。彼らは、この言葉を語っているまさにこのとき、殉教の覚悟をしているのです。



ところが、彼らは結果的に釈放されました。釈放された理由が、次のように記されています。「議員や他の者たちは・・・民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである」(4・21)。



とくに重要な点は、彼らが「民衆を恐れた」ことです。この言葉の裏側を考える必要があります。裏側にあるのは、彼らは「神を恐れていない」という点です。彼らの多くは宗教家です。そうであるにもかかわらず、彼らは、本来恐れるべき「神」ではなく「人間」を恐れているのです。ここに、彼らの決定的な問題点があるのです。



聖書に「民衆を恐れる」とか「人間を恐れる」というようなことが書かれている場合はほとんど悪い意味です。「人間を尊重する」とか「人間に配慮する」というような良い意味で書かれている個所を、私は知りません。



この個所の場合も全く同じです。彼らが「民衆を恐れた」のは、人間を尊重したからではないし、人間に配慮したからでもありません。自分たちが批判されるのが怖いだけです。キリスト教を迫害することについて、国民を説得できるだけの根拠も、理由も、まだ何も見つかっていないのです。



ところが、使徒たちは違いました。彼らは神を恐れましたが、人間を恐れませんでした。この場合の「人間を恐れない」という意味は、人を人とも思わないとか、他人を見下げるとか、馬鹿にする、軽んじるというようなことでは、決してありません。時々そのように誤解している人々に出会いますので、この点は強調しておきます。



使徒たちが屈しなかったのは、悪人たちの企てる策略に、です。権力をもって弱い人々を押さえつけ、支配しようとする人々の暴力的な言葉や行為に、です。



そのような目に遭うのが怖いから、という理由で、このわたしの心の中に与えられた、救い主イエス・キリストを信じる信仰を捨てます、教会に通うのをやめます、という選択肢を選びとることは、彼らにとっては、ありえないことだった、ということです。



「さて二人は、釈放されると仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちの言ったことを残らず話した。」



釈放された使徒たちが真っ先に行った場所は「仲間のところ」でした。それは、間違いなく教会を指しています。教会は「仲間」なのです!



ここを読みながら、ふと思ったことは、もしかしたら彼らは、自分の家に帰るよりも前に、教会に行ったかもしれない、ということです。



ペトロには妻(コリント一9・5)やしゅうとめ(マルコ1・30)がいました。子供たちもいたと考えるのが、自然でしょう。逮捕・監禁・暴行というひどい仕打ちを受けた後に釈放された彼らが、真っ先に家に帰って、妻子に会うのではなく、真っ先に教会に行き、そこにいる信仰の仲間たちに会いに行ったとしたら、どうでしょうか。



ひどい話、と思われるでしょうか。なるほど納得、と思われるでしょうか。ここは意見が分かれるところかもしれません。



もちろん、天秤にかけられることではありません。家庭も教会も両方大切です。どちらか一方が大切で、他方は大切ではないと語ることは、わたしたちには許されていません。どちらか一方を選ぶ、という発想そのものが間違っている、とさえ言わなければならないほどです。



しかし、です。一つの点だけ、きちんと言っておかなければならないと感じることが、残っています。それは、かなり言いにくいことですが、どうしても言わざるをえません。



それは何かといいますと、迫害というのは家庭内でも起こりうる、というこの一点です。それは、わたしたち自身が、よく知っている事実です。心から愛してやまない家庭の中で「あなたの信仰を捨てなさい」と迫る存在と出会うことが、わたしたちには、ありうるのです。



究極的な言い方を許していただくならば、信仰の問題においては、家庭は、最終的には頼りになりません。信仰の問題で最終的に頼りになるのは、教会だけです。「信仰の仲間」のいるところです。



これもどうか誤解されませぬように!わたしは今、教会を重んじさえすれば、家庭などは軽んじてもよいと語っているわけではありません。使徒たちも、釈放された後、真っ先に教会に来たように読めますが、そのあとは必ず彼らの家庭に帰ったはずです。この点が重要なのです。



わたしたちに必要なことは、教会から家庭に帰る、という運動です。牧師が変なことを言っている、と思われるかもしれませんが、わたしたちは教会の中にいつまでも留まっていてはならないのです。家庭に帰らなければならないのです。たとえわたしたちの家庭の中に、信仰については一致できない人がいるとしても、です。そのことを、わたしたちは肝に銘じておかなければならないのです。



しかしまた、だからこそ、わたしたちは、教会に集まるときには、やはり、ある明確な目的を持っているということが大切なことではないか、とも考えさせられます。



家庭と教会の違いがあるとしたら、わたしたちが家庭にいるときには、「そこにいる」ということ自体に関しては、特別な仕方での目的意識を持つ必要はないだろう、ということです。学校に行った子どもたちや、会社に行った夫や妻が、家に帰ってくるというときに、「あなたは、何のために帰ってくるのですか」と、普通は問わないと思います。わたしが帰ってきてはいけないのですか、と反発されること必至です。



しかし、教会はどうでしょうか。「あなたは、何のために教会に通っているのですか」と問われることは、あるいは自問することは、ありうることではないでしょうか。何の目的もなしに、ただ何となく集まる。それで悪いと言いたいわけではありません。まだ目的がはっきりしていないという人を締め出す意図はありません。



しかし、です。最も考えさせられることは、何の目的意識も持たないままでいるときに、果たして本当に、わたしたちの教会生活が長続きするでしょうかという点です。教会生活というものの中に何らかの目的意識があると励みになる、ということは事実です。実際、教会の存在そのものは、明確な目的を持っているのです。



教会とは、神を礼拝し、賛美を歌い、明確な信仰をもって共に生きていく人々同士が、助け合い、励ましあい、祈りあうための集まりなのです。



「『主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。』」



西暦一世紀の教会は迫害を受けた使徒たちと共に、熱心に祈りました。迫害者の脅しに対する抵抗の方法が祈りでした。「思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と、彼らは祈りました。この祈りという手段が、大きな力を発揮したのです。



暴力に対する抵抗の方法は、暴力ではありません。わたしたちが選ぶべき戦いの方法は、神の御言葉に基づく言論による戦いです。言葉で勝負することです。「ペンは剣よりも強い」という道を、愚直に追求することです。神の御前で開く会議において、正しい議論を行うことです。



その場所は、教会会議だけではありません。どの会議においても、どの場においても、そこに真の神さまが、いつも共にいてくださるのです。



祈りに、特定の場所は不要です。いつでもどこでも、わたしたちは祈ることができます。「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈りましょう。



このわたしが、皆さんが、この与えられた信仰を、いつでもどこでも、貫き通すことができますように、と祈りましょう。



(2007年4月15日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年4月8日日曜日

わたしを愛しているか


ヨハネによる福音書21・1~19

今日わたしたちは、二人の新しい長老を生み出すことができました。本当にうれしいことです。お二人とも昨年、大きな出来事を体験され、強い信仰と祈りをもって見事に乗り切られました。神さまがこの教会の長老になるための厳しい訓練をしてくださったに違いありません。かなり荒っぽい神さまだと思います。お二人は、とても強くなられました。これからどうかよろしくお願いいたします。

そして、わたしたちは、このイースターの礼拝を、召天者記念礼拝としてささげております。信仰をもって立派に生き抜かれた、天の父なる神のみもとに生きておられる方々の在りし日を思い起こしつつ、ご遺族のために慰めを祈るひとときを、過ごしております。

そのようなご遺族の方々にとっての大切な時をこのイースターの礼拝のなかで過ごしていただいていることには、もちろん大きな意味があります。そのように、わたしたち教会の者たちは、確信しております。

イースターとは何のことか、イースター礼拝とは何をする礼拝なのか、初めての方々や教会に不慣れな方々にとっては、あまりご存じないことかもしれません。

イースターとは、わたしたちの救い主イエス・キリストが死者の中から復活されたことを記念するときです。イエス・キリストというお方は、死者の中から復活されたのです。

聖書には、イエス・キリストが復活されたのは、息を引き取られてから三日目の出来事であったということが、記されています。二日の間は、全く動かれもしなかったし、立ち上がられもしなかったのです。

皆さんは覚えておられるでしょうか。ひょっとしたら皆さんよりもわたし牧師のほうがよく覚えているかもしれないことがあるような気がします。それは皆さんの大切なご家族が、いずれにせよ突然、息を引き取られてからだいたい二日間くらいに起こったことです。

悲しくて仕方がない。それなのに、さあ、これから葬儀の準備をしなければならない。あの人この人に連絡をし、挨拶をし。お客さんが来る。みんなの前でわあわあ泣くわけに行かない。いろいろな後始末もしなければならない。

ばたばたばたばた立ち回りつつ冷静にふるまう。冷静でいられるはずがないのに笑っている。そんな自分が嫌になったりもする。

そのような状態のだいたい二日くらいの間のことを、今となってはあまりよく思い出すことができないという方は、おられませんでしょうか。もしそうだとしても、無理もないことであると思います。

イエスさまの弟子たちも、おそらく、そのような二日間を過ごしたに違いありません。私は今から申し上げることを強調して語るつもりはありませんが、一つの点が気になっています。それは、イエスさまの死と復活の間の二日間に起こったことについては、聖書は何も語っていない、ということです。

弟子たちの記憶が失われている、とまでは言ってはならないと思います。しかし、語るべき言葉、書き残すべき言葉を失うような、まさに暗く落ち込んだ気持ちを、弟子たちも味わったのではないだろうか、と考えることくらいは許されると思います。


しかし、十字架の死から三日目の朝、わたしたちの救い主イエス・キリストは、死者の中から復活されたのです。弟子たちの心の闇は、取り去られました。そして、そのイエス・キリストの復活という大いなる出来事は、弟子たちの喜びとなり、希望となったのです。

なぜイエスさまの復活が、弟子たちの喜びとなり、希望となったのでしょうか。それは、はっきりしています。イエスさまの復活は、弟子たちの信仰によりますと、イエスさまを信じるすべての人々の復活を約束するものだからです。使徒パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです」(コリント一15・13)と、はっきり書いています。イエス・キリストの復活は、わたしたちの復活の初穂(first fruit)として起こったことなのです。

イエス・キリストの復活を信じることができる人は、その人自身も、イエスさまと同じように、死者の中から復活するのだ、と信じることが許されているのです!

死がわたしの終わりではない。このわたしは、救い主イエス・キリストと共に、永遠に生きるのだ、と確信することができるのです!

・・・嫌でしょうか。そのように率直におっしゃる方々もおられます。別にわたしは、永遠に生きなくてもいい。救い主と一緒とか、そういうことはどうでもいい。復活など別にしたくもない。そういうことを、わりとはっきりとおっしゃる幾人かの方々に出会ったことがあります。


そのような方々を無理に説き伏せてやろうというような考えは、私には全くありません。そういう方もいらっしゃるなあと思うばかりです。しかしまた、いくらか正直に言いますと、ちょっとくらいは、ちゃんと考えてみてほしいなあとも思います。

先ほどお読みしました、ヨハネによる福音書21・15以下に記されているのは、どういう場面かと言いますと、復活されたイエスさまとイエスさまの弟子の一人である使徒ペトロとが会話をしている、という驚くべき場面です。

何度も申し上げるようですが、イエスさまは、十字架の上で息を引き取られてから二日間は、全く動かれもしませんでしたし、立ち上がられもしませんでした。文字通り死んでおられました。しかし、そのお方が復活されて弟子たちの前に姿を現してくださいました。そして、この個所に記されているような、きわめて具体的な会話さえ、してくださったのです。

それで、皆さんにぜひ関心を持っていただきたいのは、この会話の内容です。とくに、復活されたイエスさまが、ペトロに対して三度も言われた言葉は何であったか、という点に注目していただきたいのです。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」

復活されたイエスさまが弟子のペトロに三度も問いかけたのは、「わたしを愛しているか」という問いでした。

わたしが、このような言葉を語られるイエスさまというお方に、聖書を通して接しますときに感じますことは、とても人懐っこい感じがする、ということです。あるいは、もっとはっきり言いますと、とても人間くさい感じがする、ということです。

それは、わたしたちだって、結局そうなのではないか、と感じるからです。わたしたちにもいつか必ず、この地上の人生をしめくくるときが訪れます。そのときに、わたしたちが、もしかしたら最後の最後の瞬間に考えること、一緒にいる人々に聞いてみたいと思うことは何だろうかと考えてみたときに思い当たるのが、この「わたしを愛していますか」という問いではないだろうかと感じるからです。

しかし、分かりません。もしかしたら、わたしだけなのかもしれません。わたしが死ぬときに、家内や子供たちに聞いてみたいと思っていることは、はっきりしています。教会の皆さんに教えていただきたいと願っていることは、はっきりしています。「わたしのことが好きでしたか。わたしのどこが好きでしたか。どのあたりは、嫌いでしたか」ということです。自己中心的かもしれませんが、やはりそういうことが気になります。

皆さんは、どうでしょうか。復活したくないでしょうか。家族のみんなや教会のみんなに聞いてみたいとは思いませんか。「わたしのことが好きですか。わたしのことを愛していますか」と。

イエスさまとは、そのような方でした。イエスさまは、自信を持っておられたのです。イエスさまは、ペトロの返事がどういうものであるかという点で、自信を持っておられたのです。それはどういう自信かと言いますと、ペトロはわたしのことを「愛しています」と必ず答えてくれるに違いない、という自信です。それ以外の答えはありえない、という自信です。

なぜそのような自信を、イエスさまは、持つことがおできになったのでしょうか。この問いの答えもはっきりしています。イエスさまは、ペトロの口から「あなたが嫌いです」などと言わせてなるものかというほどに、ペトロのことを心から愛し抜かれたからです。

そういう愛の形があるのだと思います。「あなたのことが嫌いです」などとは絶対に言わせないというほどに、徹底的に相手に仕え、役に立ち、意味のある言葉を語り、喜ばせる、そのような愛の形です。

イエスさまは、弟子たちだけでなく、多くの人々のことを心から愛してくださいました。そして、そのイエスさまは、復活されて、今も生きておられ、わたしたちのことを心から愛してくださっています。イエスさまを信じる人々に、真の救いと喜びの人生とを与えてくださるのは、今も生きておられるイエスさまご自身です。

イエスさまは、わたしたちにも質問されています。「わたしを愛しているか」と。

復活とは、難しい理屈ではありません。復活とは、イエス・キリストにおいて示された真の神の愛をもって共に生きてきた人々との愛を確認しあうために設けられる機会です。

皆さんの大切な人も、皆さん自身も、このわたしも、救い主と共に、復活するのです。

共に復活し、お互いの愛を確かめ合おうではありませんか。

(2007年4月8日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年4月1日日曜日

苦難の僕


イザヤ書53・1~12

今日は、旧約聖書のイザヤ書53章を開いていただきました。この個所の中で「この人」とか「彼」と呼ばれている人のことを、わたしたちは、救い主イエス・キリストのことであると信じてきました。イエス・キリストがわたしたちの身代わりに十字架の上で死んでくださったあの苦難の姿を、預言者イザヤが預言しているのだ、と信じてきました。

そのように信じるに足る内容がここにあると、わたしも考えています。イザヤが描いているこの人は、わたしたちの病を担い、わたしたちの痛みを負ってくださることによって苦しみを体験し、神の手によって命ある者の地から断たれた、と書かれているからです。その姿は、まさにイエス・キリストです。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
 乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った。
 見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」


「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」という翻訳は、一つの可能性にすぎません。原文を直訳しますと、「形も輝きもほとんどない」です。この人には形がない。そのように、イザヤは書いているのです。

形がない人間などいるのだろうかと思わざるをえません。まるで幽霊みたいではないかと。しかし、ここに記されているのが、ただの人間のことではなく、神の御子なる救い主のことであるとするならば、納得は行かないかもしれませんが、一つの話として、理解はできるようになるように思います。

神の御子には、本来、形がなかったのです。なぜなら、神の御子は神御自身だからです。神には形がありません。神は霊なのです。このように言うことは、神を冒涜することではなく、むしろ尊重することです。イザヤの「この人には形がない」という預言は、この人が霊なる神の御子である、ということを示していると考えることができるのです。

「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ 多くの痛みを負い、病を知っている。
 彼はわたしたちに顔を隠し わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」


軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っているこの人の姿は、まさに救い主イエス・キリストのお姿です。

それはまた、神御自身のお姿でもあると言わなくてはなりません。神は、人間の歴史の中で、軽蔑され続けてきました。わたしたちの時代の中でも、軽蔑され続けています。

わたしたち自身は、神を重んじているでしょうか。神のために命をささげる覚悟や決意があるでしょうか。そのあたりが、実際には、怪しいのです。

神は、この世界のすべてを創造された、この世界の支配者です。わたしたちは、本当にそう思っているでしょうか。実際には、すべての世界は、このわたしの周りを回っていると、いまだに思っているのではないでしょうか。そのような態度をとっているのではないでしょうか。

神を軽蔑し、救い主イエス・キリストを軽蔑し、そして、キリストの体なる教会を軽蔑する。それは、他のだれかの話ではなく、わたしたち自身の姿かもしれないと疑ってみる必要があると思います。
 
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
 わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり
 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。」


救い主イエス・キリストがゴルゴタの丘の十字架の上で担ってくださったのは、わたしたち人間の罪であり、愚かさであり、病です。

しかし、そのことは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰がなければ、決して理解することも、受け入れることもできないでしょう。十字架にかけられる人は、呪われた人であり、自業自得であると、普通の人は見るでしょう。

イエス・キリストを信じる信仰があれば、このお方の死の意味を正しく理解することができます。それは、まさに、イザヤが預言しているとおりです。

彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためです!

彼が打ち砕かれたのは、わたしたちのとがのためです!

イエス・キリストを裏切って死に追いやったのは、イエス・キリストの弟子たちでした。最も愛していた弟子たちに、イエスさまは裏切られたのです。

しかし、その裏切りを、イエスさまは、すべてご存じであり、すべてを受け入れておられました。愛するとは人の弱さを理解し、受け入れることです。強い人が弱い人をかばい、助けることです。それが愛です。

イエスさまは、弟子たちを十字架のうえでも愛しておられたのです。御自身が十字架について、弟子たちをかばってくださったのです。

わたしたちも、イエスさまを裏切ることがあるでしょう。洗礼を受けるとき、神と会衆の前で行ったあの約束の言葉を覚えておられますか。「救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼みますか」。

わたしたちは、今でも、救い主イエス・キリストのみを信じ、彼にのみより頼んでいるでしょうか。適当なところで誤魔化してはいないでしょうか。

わたしたちの裏切りをも、イエスさまは、ご存じです。すべてを理解し、すべてを受け入れておられます。イエスさまはわたしたちを愛しておられます。わたしたちをかばってくださるのです。

だからこそ、次のように告白できるのではないでしょうか。

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」

他の誰かが受けた傷によって、わたしたちがいやされるというのは、話としては奇妙なことのように思えます。しかし、これもまた、救い主イエス・キリストがお受けになったあの傷と苦しみのことであると信じるならば、理解できる話になります。

イエス・キリストの十字架上の死は、全世界の人々の身代わりの死です。本来ならば、罪に対する神の罰を受けるのは罪人自身です。わたしたち罪人こそが、十字架の罰を受けなければなりません。ところが、わたしたち自身が受けなければならない罪に対する神の罰を、イエスさまが身代わりに受けてくださったのです。これが、イエスさまの死の深い意味です。これを代理刑罰の教理と言います。

そして、イエスさまがその罰を身代わりに受けてくださったことによって、神と人間との間の和解が成立し、真の平和がもたらされたのです。この平和の喜び、深い心の平安が、わたしたち人間の傷をいやす薬になるのです。

わたしたちは、罪深い生活をしている間は、平気でそうしている面と、実際には様々な場面で傷ついている、という面があるはずです。罪悪感というのも、立派な心の傷です。小さな盗みを自覚的に働いた人は、そのことを、いつまでも覚えているものです。犯罪は、相手を傷つけるだけではなく、それを犯した人自身をも、深く傷つけます。

そしてまた、そうであることが分かっていてもやめられないのも、罪の性質です。この泥沼、この連鎖、この罪の奴隷状態から、どうかわたしを救い出してください、と叫び声をあげることができた人は、すでにほとんど救われていると言ってよいほどです。自分の心の中には深い傷がある、ということに気づき、その痛みを感じて、魂の医者、救い主に助けを求めることができた人は、もうあとわずかで、いやされるでしょう。

罪はまた、人を孤独にします。行いの罪だけではなく、言葉の罪もあります。人を傷つけるようなことを平気で言うような人に近づきたいと思う人は、いません。しかし、孤独のままで生きていくのは、つらいものです。

孤独もまた、立派な心の傷になります。この傷をいやしてほしい。このさびしさから、なんとかして逃れたい。その願いを強く持ち、助けを求めることができた人は、ほとんど救われています。

その人は自分の罪を悔い改め、神の御心に従って生きるべきです。そのとき、深い平安を味わうことができるでしょう。

「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
 そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。
 苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。
 屠り場に引かれる小羊のように
 毛を切る者の前に物を言わない羊のように
 彼は口を開かなかった。
 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
 彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
 わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれたことを。
 彼は不法を働かず その口に偽りもなかったのに
 その墓は神に逆らう者と共にされ 富める者と共に葬られた。
 病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ 彼は自らを償いの献げ物とした。
 彼は、子孫が末永く続くのを見る。
 主の望まれることは 彼の手によって成し遂げられる。
 彼は自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する。
 わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために 彼らの罪を自ら負った。
 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
 彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで
 罪人のひとりに数えられたからだ。
 多くの人の過ちを担い 背いた者のために執り成しをしたのは この人であった。」


イエス・キリストを信じましょう!

このお方を心から信じるならば、わたしたちは、必ず救われます。

(2007年4月1日、松戸小金原教会主日礼拝)