2007年1月28日日曜日

「約束の聖霊」

使徒言行録1・1~5



本日から、新約聖書の使徒言行録の学びを始めます。



使徒言行録は28章あります。先週まで学んできたルカによる福音書は24章ありました。そのルカによる福音書の学びに約2年かかりました。これから学ぶ使徒言行録も、終わるまでに2年くらいかかるかもしれません。



2年は短いようで長い。いろんな意味で辛抱していただかなければなりません。しかしどうか、使徒言行録の学びが終わるまで、皆さん元気でいてください。もちろん、これが終わったら、まだ次もあります。とにかく聖書を学び続けましょう。それが私の願いです。



「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」



使徒言行録を学ぼうと願った理由は、単純です。使徒言行録の著者がルカによる福音書の著者ルカと同一人物であると考えることができるからです。そして著者であるルカ自身が、この二つの書物を内容的に連続しているものとして提示しているからです。



そのように教会は伝統的に信じてきましたし、この伝統的理解は傾聴と信頼に値します。実際に確認してみれば分かることです。ルカによる福音書の冒頭部分に、次のように記されています。



「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」(ルカ1・1~3)。



読み比べると分かるのは、ルカによる福音書と使徒言行録とは、どちらも「テオフィロさま」に献呈されたものである、ということです。「テオフィロ」(神を愛する者の意味)がだれなのかは分かりません。ローマの政府高官ではないかとか、ニックネームではないかなど、諸説あります。この名前は、ユダヤ人の名前である場合も、異邦人の名前の場合もあります。真相は定かではありません。



そして、使徒言行録の冒頭に書かれていることは「わたしは先に第一巻を著して」です。これがやはり決定的です。この「第一巻」がルカによる福音書であると考えられるのです。「第一巻」の内容については「イエスが行い、また教え始めてから・・・天に上げられた日まで」とありますが、これすなわちイエス・キリストの生涯のことですから、福音書の内容と合致します。つまり、使徒言行録はルカによる福音書の「第二巻」である、ということです。



証拠はこの点だけではありませんが、もちろんそのすべてを紹介しつくすことは、到底できません。1920年代に提起された、かなり古い説ではありますが有名な研究は、ルカが書いた文書である福音書と使徒言行録の中には、たくさんの医学用語が使われている、というものです。



つまり、ルカは医者であった、ということです。使徒パウロのコロサイの信徒への手紙の4・14に出てくる「愛する医者ルカ」が、ルカによる福音書と使徒言行録を書いた、と伝統的に考えられてきた。それを支持しうる根拠もある、ということです。



この説が絶対的に正しいと語ることはできないかもしれません。しかし絶対に間違っている、と否定する理由はありません。そういう場合には、面白い話として受けとめる、というくらいでよいと思います。



さらに、いくらか余談ですが、本を書く仕事ということを考えてみると、やはりそこにはどうしても、ある程度まとまった時間や体力、お金や頭脳が必要であると思われます。とくに長編の文書を書くとなると、なおさらです。第二巻まで書く。そのためには、ものすごいエネルギーが必要です。



また、福音書にせよ、使徒言行録にせよ、手紙とは違います。学術論文でもありません。歴史の教科書でもありません。それは純粋に「物語」です。読者の心をひきつける仕掛けがある。そういうものを書けるのは、相当な能力を与えられている人です。



「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」



復活なさった主イエス・キリストが弟子たちの前に「四十日にわたって」現われてくださった、というこの点は、ルカによる福音書のほうには出てきません。使徒言行録のほうで初めて紹介される事柄です。



この意味は、イエスさまが弟子たちの前に、目に見えるお姿を現わしてくださったのは、ずっとのことではなく、一時的なことであった、ということです。イエスさまのお姿は、四十日後には、目に見えなくなってしまった、ということです。



つまり、二千年前に一度起こった、あのイエスさまの復活は、人類の歴史全体の中では、まばたきほどの時間もない、ほんのごく一瞬の出来事であった、ということです。それを見て信じたのは、まさに一握りの、きわめて少数の人々にすぎなかった、ということです。



それはまた、まさに今、このわたしたち自身がイエスさまのお姿を見ることができない理由も、ここにあります。主イエスさまの復活のお姿を見ることができたのは、たったの四十日間だけだったのです。それ以上は見ることができなかったのです。



その意味で(その意味でだけ!)二千年前のイエスさまの復活を「完全な復活」と呼ぶことができないものがある、と言わざるをえません。ただし、こういうことは乱暴に言うと誤解されてしまいますので、丁寧かつ慎重に言わなければなりません。ぜひご理解いただきたいことは、完全ではないと申し上げたことの意味は、それが四十日間という期間の中だけに限定されていたという一点に一切かかっているということです。



イエスさまの復活の体には、手も足もありました。肉も骨もありました。その意味では「完全な復活」です。しかし問題は、時間が限られていたところです。“期限付き”の復活であった点です。二千年前のそれは、強いて言えば、一時的・暫定的・断片的・不完全な復活です。「完全な復活」は、世界と人類の終末において起こるのです!



この問題は、わたしたちにとって、今地上のどこを探しても、イエスさまの生きておられる姿を見ることはできないことの理由を説明するために重要です。イエスさまの不在の事実をわたしたちは厳粛に受けとめるべきです。参考になるのはハイデルベルク信仰問答です。問47の答えです。



「問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。



 答  キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としての御性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。」



ハイデルベルク信仰問答に書かれていることは、神さまとしてのイエスさまはわたしたちと共にいてくださいますが、地上の人間としてのイエスさまは、今は不在であるということです。



この意味での不在は、やはり、厳粛な事実です。目に見えない霊のお姿としては、片時もわたしたちから離れておられない。そのことももちろん重要なことですが、問題になっていることが復活であり、しかも「肉体の復活」(からだのよみがえり)なのですから、目に見えない姿でしかない状態は、存在か不在かと問われるならば、限りなく不在に近い、と答えざるをえないのです。



キリスト教信仰の真髄としての「肉体の復活」の最も重要な点は、イエス・キリストとわたしたちが地上に戻ってくる、ということです。



もちろん地上の世界にも終末があるのです。しかし、終末において世界は消滅するとか破壊されるというのではなく、永遠性を帯びた世界として、永遠の栄光に包まれた神の国として完成するのですから、地上の世界はそのようなものとして、まさに存続すると信じてよいのです。



そこに、キリストとわたしたちが戻ってくる。それが復活です。それこそまさに、終末における「完全な復活」の様子です。



しかし、その反面の真理として、救い主イエス・キリストは、今から二千年前にたった一度だけ、そしてたった四十日だけ、弟子たちの前に、その復活のお姿を現された。それはいわば「不完全な復活」であった。その一回きりの出来事を、わたしたちは、二千年間、ひたすら信じ続けてきたのです。



それは、「肉体の復活」が起こるというこの点がものすごく大事なことであると、わたしたちは固く信じているからです。使徒信条において告白されている「からだのよみがえり」とは、肉体の復活です。



そして、もう一つの反面の真理が、続くところに明言されています。イエス・キリストの目に見えるお姿が、わずか四十日間の後には、見えなくなる。その意味での不在期間が始まる。しかしそのとき、リリーフが登場する。今は不在であられるイエス・キリストのいわば代わりに、この地上の世界へと来てくださるお方がいる。そのお方こそ「聖霊なる神」である、という真理です。



「そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。』」



「聖霊による洗礼」を「水による洗礼」とはまったく別のものである、と考えることはできません。「聖霊による洗礼」は、一つの比喩であるというべきです。聖霊がきよい水のようにわたしたちの存在の内側へと注がれる。人の体と心が、聖霊によって、まるで水で洗い清められるように、きよくなる。聖霊なる神のお働きによってすべてが新しく美しく造りかえられる。そのことを言いたいのです。



イエス・キリストの不在の間は、聖霊なる神が、地上にいるわたしたちの助け主として共にいてくださるのです。



(2007年1月28日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月21日日曜日

「復活の希望に生きよう」

ルカによる福音書の最後の段落には、イエス・キリストはよみがえられた、ということが、はっきり分かるように記されています。



「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」



読み返してみて面白いことに気づきました。それは、よみがえられたイエスさまがお姿を現わしてくださったタイミングに関することです。四つの福音書で、それぞれ違います。今ここでいちいち比較することは割愛します。申し上げたいことは、ルカの記述には非常に興味深い一つの意図を感じる、ということです。



ルカは、主イエスの復活に関して、大きく分けて三つの出来事を記しています。



第一は、イエスさまのお墓の前で、婦人たちが、二人の人(天使)から、イエスさまはよみがえられたという言葉を聞いた、という出来事です。ただし、このとき婦人たちは、イエスさまのお姿を、まだ見ていません。天使の言葉を聞いた、そして信じただけです。



第二は、先週学びました、エルサレムからエマオまで二人の弟子が歩いている途中に、復活されたイエスさまから聖書の御言葉についての解説をしていただき、共に食事をした、という出来事です。ただし、重要なことは、弟子たちが「この方はイエスさまである」と気づいたときに、イエスさまのお姿が見えなくなった、という点です。



そして、第三の出来事を、これから学ぼうとしているわけですが、イエスさま御自身が弟子たちの真ん中に立ってくださり、弟子たちと直接会話(コミュニケーション)を交わしてくださった、という出来事です。



わたしがこのたび今さらながら気づかされたことは、この第三の出来事が、第一と第二の出来事と大きく異なる点があるということです。それは、順を追って読めば、はっきり分かることですが、第三の出来事に至って、ここに来て初めて、イエスさまが弟子たちの前に、完全にお姿を現わしてくださったのだ、ということです。



第一の出来事のように、天使のようないわば第三者から、話として伝え聞いた、というだけではない。また第二の出来事のように、「この方がイエスさまである」と気づいたときには姿が見えなくなるという、いくらか不完全な感じが残る、断片的なお姿でもない。



ここに来て初めて、全く目に見える、手で触れることができる、直接会話を交わすことができる、全くリアルな存在として、イエスさまが弟子たちの前に現われてくださったのです。それが、ルカによる福音書が描いている順序です。



そして、私が興味深いと感じたことは、第三の出来事が起こったこのタイミングです。それは、ルカが書いているとおりであるとすれば、「こういうことを話して」いたその最中、その瞬間です。つまり、彼らは、婦人たちが天使から聞いて使徒たちへと伝えた言葉を、また、エマオまでの途上で二人の弟子たちが体験したことを「話していた」のです。まさにその最中、その瞬間に、イエスさまが現われてくださったのです。



彼らの言葉がイエスさまを呼び出した、と言いたいわけではありません。人間の言葉が死者の霊を呼び出す、というようなのは別の宗教の話です。



私が申し上げたいことは、お墓の前で天使の声を聞いた婦人たちも、また、エマオまでの旅の途上でイエスさまの聖書解説を聞いた弟子たちも、本当にイエスさまはよみがえられたのだと心から確信して、一生懸命に話していたはずである、ということです。



そのように、まさに一生懸命に話していた彼らの前に、復活されたイエスさまが、お姿を現わしてくださったのです。イエスさま御自身が、「彼らの言っていることは本当ですよ」とサポート(支持)してくださるように、あるいはガード(防御)してくださるように、御自身の完全なお姿を現わしてくださったのです。



このタイミングに、イエスさまの弟子たちに対する深い愛情を、読み取ることができるように思います。それが、私がこのたび感じとった、ルカが描こうとした意図です。



「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。」



彼らは、なぜ「恐れおののいた」のでしょうか。「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」と書かれていますが、彼らが恐れおののいた理由は、イエスさまのお姿が「亡霊」のように見えたからでしょうか。そうかもしれません。しかし、必ずしもそうではないと考えることもできるように思います。



なぜ「恐れおののいた」のかというと、おそらく、彼らは死んだ人がよみがえるはずがない、という絶対的な確信をもっていたからです。「亡霊」の存在なども、おそらく彼らは信じていません。「亡霊」を見たから恐れた、ということになりますと、論理的に言えば、彼らは「亡霊」の存在を信じている、という話になってしまいます。しかし、実際はそうではないのだと思います。



余談ですが、私もそうです。41年生きてきましたが、私は、今まで一度として「亡霊」なるものを見たことがありません。感じたことも全くありません。だからどんなところでも入っていけるし、何も怖くありません。基本的な大前提として、そういうものは存在しない、と思っているからです。私は無神論者ではありませんが、亡霊信仰のようなものを持っているわけではないのです。



しかし、私にとって最も恐ろしいことは、自分の確信を揺り動かされてしまうときです。亡霊など怖くありません。自分の前提が崩されることが、最も怖いのです。イエスさまの弟子たちもそうだったのではないかと思うのです。



だからこそ、ではないでしょうか、彼らは、ここに来て初めて、「亡霊」の存在を持ち出そうとした。絶対的な確信をもって受け入れている、死んだ人がよみがえるはずがない、というこの点が、イエスさまのリアルなお姿を見てしまったときに激しく揺り動かされた。しかし、自分の確信をなんとか維持するために、「亡霊」という新たなる説明の言葉を持ち込んだ。そうとでも言わないかぎり、この事態を説明することは不可能である、と思ったに違いないのです。



しかし、逆に言えば、それほどまでに、復活されたイエスさまのお姿はリアルであった、ということでもある、と言えるでしょう。



「そこで、イエスは言われた。『なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。』こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。」



ここから分かることは、よみがえられたイエスさまには、手や足がある。肉も骨もある、ということです。そして何より、ここに書かれているような仕方でイエスさまと弟子たちとが会話されている。コミュニケーションが成り立っている。このことが、何よりも驚きです。焼いた魚を一切れペロリとお食べになったというのも面白い。コミカルな場面です。



私たちの大切な家族や友人たちに先立たれて、何がいちばん悲しいかというと、やはり何と言っても、もう会話を交わすことができないと感じる、この点です。人生の終わりは、コミュニケーションの終わりである。もはや何も語ることができない。何も聞いてもらえない。とくに夫婦や親子の場合には、もう二度と一緒に食事をすることができない。そのように感じるときに、さびしくつらいものを覚えるのです。そうではないでしょうか。



しかし、イエスさまの場合は、そうではなかった、というのです。コミュニケーションをとることができる。食事もできる。そのことが、うれしかったのです。つまり、これは、イエスさまが、わたしたち信仰者たちの日常的な生活とその交わりの中に戻ってきてくださった、ということです。



また同時に、このことは、イエスさまだけの話ではなく、わたしたち自身の話にもなる、というのが、聖書が教えていることです。使徒パウロが次のように語っているとおりです。



「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。・・・しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(コリント一15・12~20)。



ここでパウロが書いていることは、要するに、イエスさまの身に起こった復活の出来事は、わたしたちの身にも起こります、ということです。キリストが「眠りについた人たちの初穂」である、ということの意味は、死に行くすべての人間の中でイエスさまが最初によみがえってくださった、ということです。イエスさまは、わたしたちすべての人類の中で、最初によみがえってくださった方なのです。



これがキリスト教信仰の真髄です。イエスさまがよみがえられたように、わたしたちもよみがえるのだということです。わたしたちのよみがえった体は、親しい家族や友人たちと共に、会話(コミュニケーション)もできるし、食事をすることもできる。わたしたちは、今味わっているこの楽しい人生を、もう一度取り戻すことができるのです。



そのことを信じなければ、キリスト教を信じる意味は、ほとんどありません。それは、パウロが書いているとおりです。そして、キリストの復活を信じることは、わたしたちの復活を信じることです。それもパウロが書いていることです。わたしたちの復活を信じること、そして復活の希望に生きることが、キリスト教信仰の究極目的です。



「天国でまた会いましょう」という呼びかけ方が間違っているわけではありません。しかし問題は、その天国がどこに実現するかです。天国は地上に打ち立てられるのです!わたしたちは「地上でまた会える」のです!



今の会話も、毎日の食事も、わたしたちの復活の日に、すべて取り戻されます。



今していることの何一つも無駄なことはなく、すべてに意味があり、価値があります。



イエスさまを信じ、教会につながって、安心して、人生を楽しもうではありませんか!



(2007年1月20日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月14日日曜日

「共に歩まれるキリスト」

ルカによる福音書24・13~35



今日の個所、私はとても好きです。非常に面白いし、興味深い。読むたびに感動します。



「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」



「六十スタディオン」は距離です。どのくらいの長さかを調べてみましたところ、二説出てきました。一つは、新共同訳聖書の巻末付録「度量衡及び通貨」の数字です。そこに一スタディオンは約185メートルであると書いてあります。もう一つは、私が参考にしている注解書の数字です。「当時の一スタディオンは192メートルである」と書いていました。約7メートルの差があります。どちらが正しいかなどは分かりません。



どちらで計算しても、「六十スタディオン」は、だいたい11キロ強であることが分かります。その距離を、彼らは歩いたのです。歩けない距離ではないと思います。



それは時間にしてどれくらいでしょうか。私の場合、自転車で約30分です。歩くとどうでしょうか。彼らは最初二人で、途中から三人で話しながら、いや徹底的に議論しながら歩きました。そのような歩き方だと、3時間くらいはかかるのではないかと考えてみましたが、いかがしょうか。ゆっくりすぎるでしょうか。



今日は大雑把に、彼らの旅は約3時間と考えておきます。短いといえば短い。しかし、使い方次第でかなり有効な時間ともなります。



たとえば、今は3時間あれば、新幹線に乗れば、東京から神戸(兵庫県)まで、あるいは八戸(青森県)まで行ってしまいます。飛行機に乗れば、サイパンでも、グアムでも、韓国でも、行ってします。「たかが3時間、されど3時間」です。



そのあいだ、彼らは話し合っていました。「この一切の出来事」とは、婦人たちがイエスさまのお墓の前で二人の天使たちから聞いたこと、「イエスさまがよみがえられた」というあの出来事に関することです。



「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。」



この話の最も面白い場面です。彼らが夢中になって、イエスさまがよみがえられたことについて話し合い、論じ合っているところに、イエスさま御自身が近づいて来てくださり、一緒に歩き始めてくださり、二人の話の間に割って入ってくださって、「その話は何のことですか」と質問をしてくださったのです!



ここから私が考えさせられることは、復活は理屈ではない、ということです。復活とはそもそも何かとか、イエス・キリストは復活したかどうかとか、われわれ人間は復活するのかどうかというようなことを、喧々諤々議論しているところに、事実としてよみがえられたイエスさま御自身が、姿を現してくださったのです。



単純に比較することはできないかもしれませんが、最近頻繁に起こっている残虐非道な事件。それらの内容に接するたびに、「ありえない。このようなひどいことができる人間の存在を、信じることができない」と言いたくなります。



しかし、その考え方は逆である、と言わなければなりません。事実のほうが先にあるのです。その意味や価値を考える作業は、いわば後です。「事実の意味を後から考えること(Nachdenken)」が重要です。「ありえない」というわれわれの思い込みや前提が、現実に起こった事実そのものを否定することはできないのです。



それにしても、イエスさまが一緒に歩いておられるのに、それに気づかない弟子たち。そして、その彼らにイエスさまが「何の話をしているのですか」と質問される。すべてをご存じのお方が、です。ふざけておられるわけではないと思いますが、ちょっととぼけたことを言っておられる。この情景は、非常にコミカルな感じがします。



しかし同時に、深刻なものも感じます。これは、わたしたち自身の姿かもしれないからです。復活など信じられない。そのような思いにとらわれているときに、目の前の事実としてイエスさま御自身が立っておられる。それでも、そのことを受け入れることができないとしたら、それは「ありえない」という思い込みや前提を持っているのです。おそらくその種の前提が、この二人の目を遮っていたのです。



「二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は、神と民の全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。』そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。」



二人の弟子たちは、共に歩いておられるイエスさまに、これまでエルサレムで起こった出来事をまとめてお話ししました。ただし、この内容は彼らなりのまとめ方です。事実の報道は難しいものです。そこには必ず解釈が入ります。間違った解釈も入り込むのです。



気になる第一の点は、彼らがイエスさまを「預言者」であったと語っているところです。第二の点は、イエスさまを「イスラエルを解放してくださる方」、つまり、ユダヤ人たちをローマ帝国の支配下から解放するために闘う政治家であった、と語っているところです。



彼らの見方は、全く間違っているとは言えません。彼らは、見たままを語っているだけです。見たとおりのことは、重要です。それは一種の結果です。結果は重要です。そして結果は本人の手から離れて一人歩きしていくものなのです。それも一つの結果責任です。イエスさまは、事実上、人々の目から見ると「預言者」でもあり、「政治家」でもあった、のです。それらのことは否定されるべきことではありません。



しかしまた、そのことを逆のほうから見れば、彼らが言っているまさにこの点こそが、よみがえられたイエスさま、生きておられるイエスさまが目の前におられるのに、見抜くことができなかった、まさに彼らの目を遮っていた前提ではなかったかと思われるのです。



つまり彼らは、イエスさまのことを立派な人物、偉人としてしか見ていなかったのです。尊敬していた偉人、わたしたちの先生が不条理な死を遂げた。残念でならない。政治家としては失敗した人でもある。しかし、そのお方がよみがえったと婦人たちが言っている。そんなことは、信じられない。本当のところはどうなのか。おそらくそのようなことが、彼らの思いの中にあったのです。



その彼らを、イエスさまは、愛情をこめてお叱りになりました。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち!」



愛情がこもっている、と申し上げることができる根拠は、その後イエスさまは、徹底的に聖書の御言葉の全体を彼らに語って聞かせてくださった、ということです。



教えるという仕事は、たいへんな仕事です。教師を職業にしてこられた方ならお分かりいただけるはずです。まさに一から十まで、手取り足取り、教えて聞かせる。この面倒な仕事を、イエスさま御自身が引き受けてくださったのです。



これは、愛がなければ、決してできません。教育は愛情です。説教も愛情なのです!



「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人とも、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。」



約11キロの徒歩の旅は、終わりました。歩き疲れ、しゃべり疲れて、少し休みたいし、お腹もすいてきた。しかし、まだ学び足りない。聖書の話を、イエスさまの話をいつまでも聞いていたい。語り合いたい。学び続けたい。別れがたい。そのような思いを、彼らは抱いたに違いありません。



昨年11月17日のことです。私も神戸から東京までの3時間の新幹線の中で、私が今の世界の中で最も尊敬している神学者であるヘリット・イミンク先生(ユトレヒト大学神学部教授、オランダプロテスタント神学大学総長)を独り占めして、語り合う機会を与えられました。品川駅前で別れました。引きとめることも泣くことも(?)ありませんでしたが、ただ本当に別れがたさを感じました。この別れがたさという点の気持ちは、少し似ているところがあるのではないかと思います。



彼らは、イエスさまを無理に引き止めた。イエスさまはその求めに応じてくださった。そして、みんなで食事の席に着いたときに、イエスさまがお始めになったことは、給仕の仕事です。「はい、わたしは疲れました」と座り込んで、出てくる料理を待っているという態度とは、正反対です。イエスさまは疲れている弟子たちを「お疲れさま」とねぎらってくださるように、御自身の手でパンを裂いて、一人一人にお渡しくださいました。



しかし、おそらくもっと深い意味を読み取ってよいでしょう。



イエスさまがパンを裂く姿は、彼らがこれまで、何度も見てきたものでした!



また、この弟子たちは、最後の晩餐の席にいた弟子たちではないと思われますが、そのときの様子は、十二人の使徒たちから、聞いていたでしょう。



「これはわたしの体である」と言われながら、手渡されたパン。



「これはわたしの血である」と言われながら、手渡されたぶどう酒。



あのイエスさまのお姿のすべてを、彼らは思い起こすことができたのです。



そして、私たちの目の前にいるこのお方は、なんと、イエスさま御自身であるということが、そのとき初めて分かったのです!



しかし、それが分かった途端、イエスさまの姿が見えなくなった、と記されています。それでも彼らは全く失望していません。ここが重要です。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか!」



彼らは、イエスさまが復活されたことの意味、また復活されたイエスさまのお姿を見ることの意味が、そのとき初めて分かったのです。



復活とは、ただ単なるビックリ話ではありません。異様で非科学的な「ありえない話」というだけではありません。



聖書の教えが関係していないような、あるいは信仰という点が関係していないような、また教会の存在や伝道という事柄と関係ないような復活であるとしたら意味がありません。そのような復活を私たちが信じているわけではないのです。



聖書の御言葉が、イエス・キリスト御自身によって真に正しく解釈され、力強く語られ、広く宣べ伝えられ、それを聞く人々の心の中に真に燃えるものが生まれる。



そのとき、イエスさまは、よみがえっておられるのです!



イエスさまが、私たちの中に生きておられるのです。



(2007年1月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月7日日曜日

「生きておられるキリスト」

ルカによる福音書23・56b~24・12



約2年前から昨年11月末まで、80回にわたり、ルカによる福音書に基づいて、イエス・キリストの生涯を学んできました。しかし、ルカによる福音書は、まだ終わっていません。もう少しだけ続きがあります。



ただし、ここから先に書かれていることを「イエス・キリストの生涯」と呼んでよいかどうかは、難しい問題です。間違いなく言えることは、イエス・キリストはあのゴルゴタの十字架の上で死なれたのだ、ということです。聖書にはそのようにはっきりと書かれています。死んでいなかったとか、眠っておられただけだ、と考えることはできません。



そして、もう一つ言わなければならないことは、死に二つ以上の意味はないということです。死とは、命の終わり、人生の終わりです。そして、終わりは終わりです。終わっていないとか、まだ続いていると考えることはできません。終わりは一回限りです。終わりが二回以上あるとしたら、それは終わりではないのです。



イエスさまは、十字架の上で間違いなく死なれました。死なれました、ということは、イエスさまの生涯は終わりました、ということです。イエスさまの生涯は終わったのです。この点でわたしたちは、ルカによる福音書の続きの部分をなお「イエス・キリストの生涯」と呼び続けるのは間違いであると言わなければならないように思うのです。



続きの部分に書かれていることは、言うまでもなく、イエスさまはよみがえられた、ということです。イエスさまの生涯は終わりましたが、イエスさまはよみがえられたのです!



今「イエスさまの生涯は終わりましたが」と申しました。が、この「が」は正しい表現ではありません。正しくは(日本語としては正しくありませんが!)「イエスさまの生涯は終わったので」というべきです。イエスさまの生涯は、終わった「ので」、よみがえったのです。終わっていないものは、「よみがえり」もしません。よみがえりとは、終わったものが戻ってくることです。死んだものが、再び生きることなのです。



「婦人たちは、安息日には掟に従って休んだ。そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」



ここに記されているのは、お墓に葬られたイエスさまの世話をしようとする婦人たちの動きです。婦人会の活動、と呼んでおきます。どの時代にも、婦人会の活動が教会全体を支えてきた、と言ってよいでしょう。男性だけで教会がうまく行った試しはありません。



「準備しておいた香料を持って墓に行った」とありますが、23・56には「香料と香油を準備した」とあります。彼女たちが準備したのは、いわゆる「没薬」であると思われます。



「没薬」とは、イエスさまがユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東の国の博士(新共同訳「占星術の学者」)が、宝の箱に詰めて持ってきたもの(黄金、乳香、没薬)の一つです。それが宝となり、贈り物になったということは、たいへん高価なものであり、簡単に手に入るものではなかった、ということを意味しています。



しかし、です。婦人たちが香料をもってお墓に行ったのは、イエスさまの場合だけ特別にそうした、というわけでもないのだと思われます。多少の特別扱いはあったかもしれません。しかし、イエスさま以外の人々の中にも遺体に香油が塗られるケースはあったようです。一種の防腐剤の役割を果たしたと言われます。



ドライアイスがあるわけでない。火葬されるわけでもない。そのまま置いてあるだけです。すぐにでも腐敗臭がしはじめます。わたしたち人間は臭いのです。わたしも、人間ですから臭い。臭いに対処するための香油です。日本の葬儀で線香を焚くのも、本来の目的は臭い消しです。



このようなことは、葬儀専門の業者などない時代には、いつも教会の仕事であり、なかでも婦人の活躍に負うところ多かった、と考えることができるでしょう。そのような大変な仕事を、いつも女性たちが引き受けてくださったということに、感謝しなければなりません。



「見ると、石がわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。」



お墓に行った彼女たちが目撃したのは、驚くべきことでした。墓が開けられた。イエスさまの遺体が盗まれた。少なくとも彼女たちが最初に考えたのは、そのようなことだったはずです。なぜなら、目の前にある動かぬ事実は、お墓の穴が開いていたことと、イエスさまの遺体が無かったことだけだったからです。



そのことを、他にどのように解釈することができるでしょうか。たとえば、そこに警察官や検察官がいたとしたら、どうでしょうか。壊された、盗まれた、と考えないでしょうか。



「そのため途方に暮れていると」



彼女たちが「途方に暮れて」いたのは、目の前で起こっている事件そのものがそもそも信じがたいもの、受け入れがたいものであったために困惑、当惑していたであろうことに加えて、この事件の意味を、いろいろと考えていたからではないかとも思われます。



少しこだわってみたいのは、先ほどから申し上げている、壊された、盗まれた、と彼女たちも考えた可能性があるのではないかという点です。この関連で注目していただきたいのは、11節の記述です。



「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」



婦人たちが、イエスさまのお墓の前で起こった出来事を使徒たちに話しましたところ、使徒たちは、その話が「たわ言」のように思われたというのです。「たわ言」とは、意味のない話、ばかげた話、ナンセンスな話ということです。



このように書かれていることから見えてくることは、イエスさまの弟子たちには、現代の人間が持っているような意味での批判的な物の見方や考え方がちゃんとあった、ということです。昔の人間は、迷信的なことでも何でも、簡単に受け入れてしまうのだ、というようなことは、言えない、ということです。



同じように、最初に婦人たちが開いた墓穴、遺体の喪失の事実を見たときに、壊された、盗まれた、というふうにきっと考えたであろうことも、当然であると言ってよいでしょう。それくらいの客観的な物の見方は、彼女たちにも、きちんと備わっていたのです。



しかし、もしそうであるとして、次に考えてみたいことは、彼女たちは、そのとき何を考えただろうか、ということです。



イエスさまの墓が壊され、遺体が盗まれた。それを見た彼女たちが、おそらく真っ先に感じたことは恐怖でしょう。ユダヤ人たちは、イエスさまを十字架にかけて殺すだけでは満足しない。墓を壊し、遺体を痛めつける。まさに、めちゃくちゃにする。そこまでやらなければ気が済まないほどに、イエスさまを憎み、呪い、さげすんでいるのではないか。



そして、このやり方はきっとイエスさまに対してだけではなく、イエスさまを信じる人々に対してもなされるに違いない。そのような恐怖、また絶望を、彼女たちは感じたのではないでしょうか。



「彼女たちは途方に暮れていた」。彼女たちが感じていたのは、本当の恐怖であり、また本当の絶望ではないかと思われます。



イエスさまを信じ続けると、わたしもいつか、このような目に遭う。信じるのをやめようか。そこまで考えたかどうか。それは分かりません。



「輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。」



この二人の人がだれであったかは、ルカによる福音書には書かれていません。マタイとマルコは「天使」と書き、マルコは「若者」と書いています。とにかく彼女たちは、この二人の人の声を聞きました。



「婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。『なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。』そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」



彼女たちが聞いたのは、喜びの知らせであった、と言ってよいでしょう。



墓は壊されたわけではない、イエスさまの遺体は盗まれたわけではない。目の前の現実はイエスさまを憎む人々が作り出したものではない。そのような人や事件に恐れを抱くことはないことが分かったのです。目の前の現実は、イエスさま御自身が作り出したものであった、ということが分かったのです。



イエスさまが、よみがえられたのだ!



イエスさまが、生きておられるのだ!



そのことを、彼女たちは、イエスさまのお墓の前で、信じることができたのです。このイエスさまの復活を信じる信仰から、キリスト教会の歩みが真に始まったのです。



そして、その後、彼女たちは、よみがえられたイエスさま御自身に直接お会いすることができました。しかし、それは、今日の説教の範囲を超えることです。



ただ、一つの点だけ、最後に申し上げておきたいことがあります。



それは、彼女たちがよみがえられたイエスさまにお会いしたのは、この日のすぐあとのことだった、ということです。死んだら会えるとか、死ぬまで会えない、というわけではなかった、ということです。すぐにお会いできたし、自分の人生の中で、地上の生活の中でお会いできたのです。



この点は、わたしたちとは違うところかもしれません。



わたしたちは、生きている間にこの地上でイエスさまにお会いすることは、できないかもしれません。死んだら会える、死ぬまで会えない、というのは、わたしたちには当てはまることかもしれません。



しかし、です。キリスト教的復活信仰において重要なことは、向こうの世界に行けば会える、ということではありません。



大切なことは、このわたしもイエスさまと同じようによみがえらせていただける、ということです。お会いする場所は、向こうではなく、こちらなのです。



わたしたちの人生が死の中に飲み込まれることが、希望であるはずがありません。



よみがえること、帰ってくることが、希望です。



死は打ち負かされたのです!



(2007年1月7日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年1月2日火曜日

W. フェアボーム著『壊れた教会の信仰告白 ドルト教理規準の前史と神学』(Boekencentrum、2005年)

Aart Nederveen (関口 康訳)

別の結末もありえた。それがファン・デュールセンの歴史小説『多幸な重荷』(De last van veel geluk)の読了後、私に与えられた印象だった。オランダの歴史においては、そのとき歴史が別の方向に転がることもありえた多くの瞬間があると思える。フェアボームが著したドルト教理規準についての書物を読んだときにも同じことを感じた。

後にエスカレートしていくことになる、アルミニウスとホマルスというライデン大学教授同士の予定論についての論争は、はじめは些細なものだった。彼らの見解の相違はライデン大学内に限定されたものだった。1605年にホマルスとアルミニウスは和解した。教理の土台においては両者の間に見解の相違はないことを認め合った(p. 51)。

ところがその後、間違いが起こった。教会と政府が教説上の見解の相違に干渉した。国論が二分し、ホマルスとアルミニウスの仲もうまく行かなくなった。フェアボームはこの論争がドルト大会の会期中にどのように解決されたかを広い歴史的視野の中で見る。レモンストラント派は解雇され、彼らの教説は糾弾された。

ところが反レモンストラント派の勝利は、自明のことではなかった。顕著な事実は、1606年にはすでに国民大会(nationale synode)の組織化が話題になっていたことである。フェアボームは、もしその国民大会が先に行われたとしたらこの論争には別の結末もありえたことを示唆している(p. 255)。

さらにオランダ政府とその強力な法律顧問であったファン・オルデンバルネフェルトがレモンストラント派の味方であったという事実がある。1615年頃には、四つの中会(ホラント、ユトレヒト、オーフェルエイセル、ヘルダーラント)までもが、レモンストラント派に味方していた。ドルト大会の会期中にマウリッツの干渉によって反レモンストラント派に有利な流れが起こった。しかし、それでもなお、いろんな国の代表議員たちが、レモンストラント派の立場にしばしば接近したのである(p. 206)。

フェアボームがこれまでに出版してきた信仰告白に関する書物の注意深い読者たちは、フェアボームがドルト教理規準の内容に困難を覚えていることに気づくであろう。しかし、それは、本書を書くことについてのフェアボームの勇気を示している。彼は、現代の読者たちがドルト教理規準に抱いているいろんな疑問に答えを与えようとしているのである。

この点は必要である。なぜなら、われわれの改革派の父祖たちの論争は簡単に結論を出せるようなものではないからである。 宗教改革的諸信仰告白を信頼している人々であっても、ある部分については、繰り返して読まなければならない。フェアボームは読者たちが初期や後期の論争騒ぎの中のさまざまな微妙なニュアンスや細部の事柄を全く安易に見失っていることを知っている。

フェアボームは、ドルト教理規準は選びと遺棄をシンメトリーなものとしては見ていないことを確信している (p. 218)。神は選びの原因ではある。しかし遺棄においては神と同時に人間も役割を果たすのである。神はある人々を、彼ら自身が自らをその中に投げ込んだ悲惨の中に放置し、この人々を彼らの不信仰ゆえに呪うのである(第一命題15)。ドルト教理規準は、ここかしこで他の信仰告白諸文書よりも「より広い」立場を採っていることさえ明白である。たとえば、ハイデルベルク信仰問答が人間について「どのような善に対しても全く無能で、あらゆる悪に傾いている」(問8)と語っているところで、ドルト教理規準は「人間とはどのような祝福に満ちた善に対しても無能で、悪を好む」と、より微妙な言い方をしているのである。

フェアボームは、ドルト教理規準が語る永遠の遺棄に関する点については、距離を置いている(p. 221)。もし神の人が永遠に遺棄されるならば、人が信仰に至る現実的可能性は存在しないことになる。そのような永遠の決定を人類の歴史は真面目に受け取ることができるだろうか。フェアボームはこの点に疑いを持っている。

また、永遠の遺棄は聖書からストレートに読み出すことはできないと感じている。フェアボームは時間における遺棄、すなわち「神は神を遺棄した者たちのみを遺棄する」ということのみを語りたいと願っている。フェアボームは永遠の遺棄についてのこのような拒否を宗教改革者ブリンガー、またコールブルッヘ、ヴェールデリンク、フラーフラントなど後期の改革派神学者たちの足跡の中に見ている。

フェアボーム自身の良い意図を疑うつもりはない。しかし、わたしはこの神学的選択は本当に必要かと自問する。永遠の遺棄は聖書の中には見いだされないというフェアボームの反論は、なるほどたしかに影響力の大きい発言ではある。しかしそうであると決めつけることもできない。もしそれを言うならば、二重予定論も、また教会の他のいくつかの教義も、聖書的基本線において正しい判断を行うための思想的枠組みを提供しうるものではあるが、聖書の中に文字どおり出てくるわけではないという点で同じでありうるだろう。

『真理の友』(Waarheidvriend)誌の書評において、ドルト教理規準のなかでは運命決定論は全く話題になっていないと主張しているのは、ユトレヒト大学の教会史教授ファン・アッセルトである。神の予定(と遺棄)は、人間の自由や責任の面と同時に主張することができる事柄である。ファン・アッセルトは、そのことについての哲学的な分析が必要であると見ている。この点は、ホマルスと彼の支持者たちも考えたことである。ファン・アッセルトが多くの科学的な正しさを彼の側にもっているとしても、私は驚きはしないだろう。

しかし、ファン・アッセルトが主張していることは、フェアボームが二重予定論に関して主張している反論とは全く別の点である。私の印象では、フェアボームは予定論が過去数百年間の信仰生活において果たしてきた役割に困難を覚えているのである。フラーフラントは、改革派敬虔主義の歴史における予定論の悲劇を無駄に語ったのではないのである。

フェアボームは「重い影」(p. 271)について語る。フラーフラントは、二重予定論によって引き起こされうる信仰の確かさの類型化を目指した。真剣に問いたいことは、このような二重予定論の不毛な影響史(Wirkungsgeschichte)をドルト教理規準の神学的内容と関係づける必要があるのだろうか、ということである。

この問いへの答えを見いだそうとするとき、フェアボームは、ファン・ルーラーが予定論について有名な論文「ウルトラ改革派とリベラル派」(Ultra-gereformeerd en vrijzinnig)の中に書いたことを、今なお考慮に加えることができるであろう。実際、本書においてフェアボームは最近の神学者たちがドルト教理規準について書いていることを―これまでの著作よりも―ほとんど取り上げていない。

ファン・ルーラーは、二重予定を経験的なものと呼ぶことを恐れない。ある人々は聖書的証言に固く留まることにおいて急いでよりよく知る者になり、他の人々は子供の頃から何も語ろうとしないということを、他に何と言いうるのだろうか。この問いに対する改革派の答えは、信仰も不信仰も神の外側で生じるものではないということである。しかし、ファン・ルーラーは二重予定論を論理体系の土台にすることに対しては警告を発する。教義学においては、一つの主題が固有の出発点として機能するということは、ありえないことである。

さらにファン・ルーラーは、教義学が人生を決定するわけではない、とも述べている。予定は「生ける存在と宣べ伝えられた福音」の現実において実行される。ファン・ルーラーがノールドマンスと頓着なく付き合えるのは、神が御自身の永遠の御心を決意されるのはいちばん最後の瞬間である、ということに賛成する点である。それは内容的にはフェアボームが「神は神を棄てた者を棄てる」と述べていることに近い。ファン・ルーラーの論法は緊張を強いるものであり、批判を受けやすいものである。しかし、ファン・ルーラーの線は、フェアボームの論法よりは神学的に力強さがあるように、私には思われる。

これらの問いは、フェアボームが新しく美しい書物に書いたのとは別の話である。 しかし、本書は第二巻を要求している。第一巻においてフェアボームは、どの主題の場合も、彼が信仰告白と彼独自の立場への反応とに傾聴したことに対する最も新しい神学的な立場と素描の展望を与えている。これらはドルト教理規準の核心的テーマを扱うのにふさわしい方法である。

原文は以下URL
http://www.wapenveldonline.nl/viewArt.php?art=644