2006年5月28日日曜日

「小事に忠実な者は大事にも忠実である」

ルカによる福音書19・11~27



今日の個所に記されていますのは、ふたたびイエスさまのたとえ話です。「ムナのたとえ」と名づけられています。



ただし、これよりも、内容はほとんど似ているマタイによる福音書25章の「タラントンのたとえ」のほうが有名でしょう。両者を比較しながら読むというのも面白い試みであると思います。しかし、今日はそのようなことを行う余裕がありません。



しかし、両者の比較について一点だけ触れておきます。すぐ分かることは、ルカによる福音書の「ムナのたとえ」のほうが、マタイによる福音書の「タラントンのたとえ」よりも恐ろしい、ということです。恐怖の要素が強調されている、ということです。



「イエスは言われた。『ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、「我々はこの人を王にいただきたくない」と言わせた。』」



最初に申し上げておきたいことは、イエスさまのこのたとえ話には、歴史的に実在する何らかのモデルがあると考えられている、ということです。



イエスさまのたとえ話のすべてに当てはまることかどうかは、分かりません。しかし、たとえ話の中には、明らかに何らかの実在する具体的なモデルがあって、当時の人々の耳で聞けばそれが何のことなのか、だれのことなのかが、すぐに分かるようなお話があった。これはその一つであると考えられているのです。



ある解説によりますと、「ある立派な家柄の人」は、当時のユダヤの支配者ヘロデ大王の息子アルケラオのことであると言われています。その場合、この人が王の位を受けて帰るために旅立つ「遠い国」とは、ローマのことです。アルケラオは、父ヘロデ大王と同様、非常に過酷な弾圧政策をもってユダヤの国を支配し、ユダヤ人たちから嫌われた人でした。



この点から確認しておきたいことがあります。それは、「ある立派な家柄の人」は神さまのことでもイエスさまのことでもないということです。このたとえ話を読みながらわたしたちが想像力を働かせる内容は、神さまの姿ではなく、むしろ、国民を弾圧し、国民から嫌われた、悪い王の姿である、ということです。



イエスさまがなぜ、そのような悪い王の姿を思い起こさせるような話をしておられるのか、その理由は何なのかは、はっきりしたことは言えません。しかし、重要なヒントは、11節の、イエスさまがこのたとえを話された理由です。「エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである」。



この一文から伝わってくることは、イエスさまがこのたとえをお話しになった理由は、「エルサレムに近づいておられる」からであるということです。それは同時にイエスさまが十字架に架けられて死ぬ日が近づいているということを意味するわけです。



ところが、そのようなイエスさま御自身の側の張り詰めた緊張感の傍らで、イエスさまの弟子たちを含む多くの人々は、「神の国はすぐにも現れるものと思っていた」、つまり、イエスさまのエルサレム入城によって、新しい時代の幕が開ける。まさに今こそ、神の国が始まるのである、という何とも能天気で楽観的な雰囲気が漂っていたからである。それがこのたとえを話された理由である、ということです。



つまり、このたとえ話は、そのような楽観的な雰囲気を戒め、「少しは緊張しなさい」と周囲の人々に警告を発し、警戒を促すために語られたものであると読むことが可能である、ということです。最初に触れました、このたとえ話の中では恐怖の要素が強調されているという点も、この辺の事情を反映しているからであると思われます。



このたとえ話の内容は単純です。旅行に出かけた主人が十人の僕たちに一ムナずつ自分の財産を渡して管理させました。ある僕は「一ムナで十ムナをもうけた」ところ、帰ってきた主人からほめられ、十の町の支配権を与えられました。他の僕は、「一ムナで五ムナを稼いだ」ところ、主人からほめられ、五つの町の支配権を与えられました。しかし、別の僕は、その一ムナを布に包んでしまっておき、増やすことも減らすこともしないで、そのまま主人に返したところ、主人から叱られ、持っているものまで取り上げられました。



しかし、繰り返しますが、この「主人」は、神さまでも、イエスさまでもありません。また、この十人の僕たちに預けられた一ムナは、マタイ25章のタラントンのたとえの場合のように「神の恵みの賜物」を連想してよいのか。神さまから与えられた賜物は、大切にしまいこんで事実上結局無駄にすることよりも、積極的に活用しましょう、というような一般的な教訓を読み取ってよいものなのか、といいますと、そういうふうに読むことはできない、ということです。



そういうことではない。むしろ、今日の個所の「一ムナ」は、わたしたちが日常生活の中でさんざん苦しめられている会社の仕事や、われわれの社会的な義務や責任というようなものを思い起こさせる何かである、ということです。重苦しさが付きまとう何かです。



主人から預かった一ムナを布にくるんでしまっておいた僕が叱られ、また「わたしが・・・厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば・・・利息付きでそれを受け取れたのに」と言われていることも、これを神と人間との関係、あるいは神の御子イエス・キリストとわたしたちの関係などを指し示しているものである、と読むべきではない、ということです。



神さまは、御自分がわたしたち人間にお授けになった賜物から得た結果を返せとお命じになり、結果を出せなかった人々からは銀行からの利息で補いなさい、というようなことを強く望むほどに人間から厳しく取り立てる、そのようなお方ではない、ということです。



また、27節に記されている、「わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを・・・打ち殺せ」というこの点も、神と人間の関係、あるいは、イエス・キリストとわたしたちの関係を表わしているものではない、ということです。このあたりは、どうかご安心いただきたいと願う点です。



しかし、わたしは、ここで話を終わるわけには行きません。この次に必ず起こってくる問題が残っているからです。それは、それではなぜイエスさまは、エルサレムが近づいてきたこのときに、このような、国民に圧政を強いる悪い王のことや、毎日の厳しい仕事のことを連想させるような、なんともいえない重苦しさをまとった、まるで恐怖心を煽っておられるかのようなたとえをお話しになったのか、という問題です。



別の言い方をしますと、このたとえ話の中で最も注目すべき言葉はどの点かという問題です。それをわたしは17節の主人の言葉の中に見ます。「良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう」。この「ごく小さな事に忠実だった」という点です。



間違いなく言えることは、これは、かつて共に学びました「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16・10)を思い起こさせる言葉である、ということです。



ルカ16・10の文脈は、わたしたちの多くが理解に苦しむ「不正な管理人」のたとえ話です。しかし、次第に分かってくることは、今日の個所とルカ16章の「不正な管理人」のたとえ話の間には内容的なつながりがある、ということです。



「不正な管理人」のたとえが教えていることは、あくまでも「この世の子ら」の“賢いふるまい”であること、「光の子ら」が真似をすべきところは不正そのものではなく、賢く生きることに関する部分だけであるとわたしは申し上げました。これと同じような読み方が、今日の個所にも当てはまると思います。



今日の個所の「主人」は、神さまでもイエスさまでもないからです。また、登場する僕たちと主人との関係は、神さまと人間、イエスさまとわたしたちの関係を、直接的に示すものではないからです。



しかし、です。ここで明らかなことは、一ムナを十ムナに増やした良い僕についてこの主人が語った「お前はごく小さな事に忠実だった」という点についてだけは、わたしたちが自分自身と神様との関係にかかわる事柄として真剣に学ぶべきところである、ということです。なぜなら、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実」だからです。小さな仕事や事柄を軽んじる人に、大きな仕事や事柄を任せることはできないからです。



今、わたしたちが考えている問題は、それではなぜ、イエスさまは、このたとえ話を、エルサレムに近づかれたときにお話しになったのか、ということです。それを、わたしは、以下のように理解したいと思っています。



それは、この場面でイエスさまが「ごく小さな事」として考えておられるのは、イエスさま御自身が、まさにエルサレムで、ゴルゴタの丘の上で、十字架にかかって死んでくださること、そのことではないか、ということです。



イエスさまの十字架を「ごく小さな事」などと言うのは、全くとんでもないことであり、許されないことであるというふうに思われるかもしれません。わたし自身もそう思います。



しかし、そのように、イエスさま御自身が言われた、というふうに理解することは可能かもしれないのです。わたしたちのこととして考えてみても、自分がしていること、これからすることを「大きな事である」というでしょうか。なんとなく傲慢や不遜のにおいがしてきます。



もし今、自分のしていることは、他の人がしていることや、この世界の中に起こっていることよりも「大きい」と感じているときは危険です。頭を冷やしてみる必要があります。冷静なときのわたしたちは、「わたしのしていることは、取るに足りません」と言うのではないでしょうか。



イエスさまの場合は、なおさらです。イエスさまという方を、御自身のみわざを「ごく小さな事」と表現されるほどに謙遜なお方である、と考えることは、間違っているでしょうか。



しかし、その場合、「大きな事」とは何でしょうか。それが「神の国」です。そのように読むことが可能です。なぜなら、このたとえは、「神の国はすぐにも現れる」と思っている人々に対する戒めとして語られたものだからです。



神の国の実現という「大きな事」のために、イエスさまの十字架という「小さな事」に忠実でなければならない。そのようにイエスさま御自身が自覚されていた、ということは、ありうることです。



わたしたち自身がイエスさまの死を「小さな事」であると考えることは、通常ありません。しかし、イエスさまを信じない人々は、どうでしょうか。



あるいは、神がお造りになった全世界と全人類の大きさと比べて、ひとりのイエスさまの死の大きさは、どうでしょうか。冷静に考えてみて、どちらが大きいでしょうか。イエスさまの死でしょうか。それとも、全世界と全人類のほうでしょうか。



イエスさま御自身が、後者であるとお考えになったのです。この世界が神の世界となり、地上に神の国が打ち立てられる。そのことのほうが、御自身の命よりも、はるかに大きいと、イエスさま御自身が、お考えになったのです。



しかし、神の国の実現のためには、どうしても通らなければならない道がある。それが、イエスさま御自身の死です。エルサレムにおける十字架上の死です。



ですから、「小事に忠実な者は大事にも忠実である」とは、十字架の死において父なる神に従順であられたイエスさまだけが、神の国の王として、全人類と全世界を支配なさる方となる、という意味で理解することができるのです。



まさにこの意味で、イエスさまは、エルサレムを前にして、能天気に浮かれている場合ではないと、周りの人々を戒められたのだと思います。



もうちょっと緊張しなさい。わたしは、これから死ぬのだからと。



(2006年5月28日、松戸小金原教会主日礼拝)







2006年5月20日土曜日

教会の職務にある女性 A. ファン・ルーラーの理解

20世紀のオランダ改革派教会の神学者、アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー[Arnold Albert van Ruler, 1908-1970]は、「女性の牧師・長老」については、どのような考えを持っていたのでしょうか。

この問いの答えとなりうる事柄が、昨年(2005年)アムステルダム自由大学に提出された以下の博士論文によって、ほんの少しだけですが解明されました。以下に、かいつまんだところをご紹介いたします。

Allan Jay Janssen, Kingdom, office and church: A study of A. A. van Ruler's Doctrine of Ecclesiastical Office with Implications for the North American Ecumenical Discussion, Academisch Proefschrift, Vrije Universiteit Amsterdam, 2005.

ファン・ルーラーが属していた「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde kerk)では、1950年代まで、女性の牧師も長老も、認められていませんでした。

しかし、そのオランダ改革派教会の教会規程が、ファン・ルーラーを中心的存在とする委員会によって改定されることになりました。そして、その改定作業の過程の中で、「教会の職務にある女性」(De vrouw in het ambt/ Woman in Office)というレポートがまとめられるなど、研究が盛んになされました。

そして、教会規程改定の結果として、女性の牧師と長老が、認められることになりました。

しかし、ファン・ルーラー自身は、女性の牧師と長老を認めることに「躊躇」(hesitation)を持っていたということを、上記のジャンセン論文が紹介しています。

その「躊躇」の理由は、たった一つだけです。

それは、キリスト教会において、「神と人間との関係」が、いわば「男と女の関係」として表現されてきたのは、ほとんど1900年間に及ぶ教会の「伝統」であるという、この点です。

しかも、この「伝統」は、「セクト」が勝手に変更してよいようなものではなく、「全体教会の伝統」でなければならず、それゆえ、カトリックとプロテスタントとの間のエキュメニカルな問いでもある、という点が、ファン・ルーラーを「躊躇」させました。

しかし、他方で、ファン・ルーラーの職務理解は、根本において、「職務は、しょせん単なる職務に過ぎない」(office is only office)という、どちらかといえばドライなものでした。

そして、「もしそうすることが必要な場合には、教会は、自己を改革する勇気を持たなければならない」(the church must have the courage to reform if need be.)とも考えました。

さらに、もう一つの点として、ファン・ルーラーは、「教会の職務を切り分けることはできない」とも考えました。

その意味は、そもそも教会の職務は、教会会議あってのものであり、会議から切り離された職務は存在しないこと、また「牧師」を「長老」や「執事」とは全く別扱いのものとすることはできないこと、そして「執事の奉仕」(service of the deacon)なしに「長老の治会」(governance of the elder)が存在しうるなどと考えてはならない、ということです。

ファン・ルーラーは、執事に用いられる「奉仕」(serving)という表現の意味は「神によって用いられた」(used by God)ということであるが、牧師・長老による「治会」(governance)も、じつは同じ意味である、とも語りました。

ジャンセンが紹介しているのは、この程度です。残念ながら、ファン・ルーラーは、女性教師・長老の問題について、あまり多くのことを語らなかったようです。

ちなみに、わたし自身は、女性を「教会会議」(小会・中会・大会)から排除する理由は、もはやどこにもない、と考えております。

『キリスト新聞』誌などで報じられましたので広く知られているとおり、数年前の日本キリスト改革派教会の定期大会で、女性教師・長老に関する件が「審議未了廃案」になりました。

しかし、それは、「未来永劫、二度と審議いたしません」という意味では全くありえません。教派の60周年信徒大会(2006年)が終わったら、もう一度、然るべき方々から提案され、きちんと取り扱います、という意味でした。少なくとも、大会の議場の大半は、そのように受け止めました。

きちんと取り扱っていただきたい。それがわたしの願いです。


2006年5月14日日曜日

「徴税人ザアカイ」

ルカによる福音書19・1~10



「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった」。



エリコという町で起こった徴税人ザアカイとイエス・キリストとの出会いを描いたこの物語は、たいへん多くの人々に愛され、語り継がれてきました。



エリコは、ガリラヤからエルサレムに向かう旅の中ではいわば最終の宿場と言いうる、エルサレムの手前にあり、そこを必ず通っていくことになる、重要な拠点都市です。



その町にザアカイがいました。「徴税人の頭」とありますとおり、この仕事をしている中でいちばん偉い人の肩書きを付けていました。



ただし、これは少し皮肉です。「徴税人」は、ユダヤ社会における最も嫌われていた人々の代名詞でした。ユダヤを支配していたローマ帝国に納める税金を集める彼らの仕事は、ユダヤ人たちからは、裏切り者のようにみなされました。



また、当時の徴税人は、ゆすりたかりのたぐいを働いていました。ザアカイは「金持ち」であったと紹介されていますが、主な収入源は恐喝まがいの取り立てでした。一説によりますと、一般人で20パーセント分、ラビ(ユダヤ教の教師)の場合は25パーセント分のピンはねをしていたようです。そういうことを、ローマ帝国の権力を笠に着てするものだから、始末に終えない。



そんな感じでしたので、「徴税人の頭」とは、いちばん偉いというよりは、むしろいちばん悪い。いちばん社会から嫌われていた人の代名詞であったと理解すべきなのです。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。ザアカイは、そういう人でした。



「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群集に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである」。



イエス・キリストがエリコをお通りになるという情報が、どこかから広まったのでしょう。イエスさまは、そのときまでには、すでに、かなりの有名人になっておられたと思われます。イエスという人はどんな人かを一目見たくて、大勢の人が集まってきました。



その中に、ザアカイも入ろうとしましたが、背が低かった。そのため、先回りして、いちじく桑の大きな木の上に登った、というのです。



木に登ったこと自体をどうこう言うことはできないかもしれませんが、強いて言うならば、そういうことを、いわゆる偉い人がするだろうか、ということを、つい考えてしまいます。



本当に偉い人ならば、(これも少し皮肉が混じっていますが)側近たちでも使って最前列に特等席でも確保させ、悠々とそこに座って、イエスさまご一行のお通りを眺めるのではないでしょうか。



ところが、ザアカイは、一人で走り回り、一人で木に登る。寂しさを感じます。



「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」



イエスさまは、そのザアカイを見つけてくださいました。イエスさまの目は、御自身の周囲の全体を見渡しながら、その中で最も変な感じがする、違和感がある、何かそこに問題があると感じる、そのようなところを、ズバリ見抜く力を持っておられるかのようです。一種の間違い捜しです。



そのような目は、おそらくわたしたちも、ある程度の訓練を受けると持つことができるように思います。それは要するに、全体を見渡しながら、その全体の中のどこかに違和感があるということを瞬時に察知し、どこに違和感があるかを的確に見抜く目です。



なぜ、木の上に人がいるのか。



なぜ、木の上にいる人が徴税人の頭なのか。



徴税人の頭が、なぜ木の上にいなければならないのか。



なぜ、あの人は、あれほどまでして、イエスさまを見たいのか。



あの人は、何か今、とっても悩んでいることがあるのではないか。



助けを求めているのではないか。



このような、いろんな問いを、瞬時に思いつき、問題の所在を察知する。「見る」という行為は、非常に大事です。



そしてイエスさまは、ザアカイの姿を木の上に見つけられたとき、ザアカイに声をかけ、「急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われました。



「急いで降りて来なさい」とは、そんな木の上などに一人でいないで、堂々とみんなの前に立ちなさい、というメッセージではないでしょうか。



「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」とは、何か切羽詰った思いを持っているように見えるあなたの話を、あなたの家で、ゆっくり聞かせてほしい、というメッセージではないでしょうか。



お金はたくさんある。しかし、友達がいない。そのザアカイを、イエスさまがみもとに呼び寄せてくださり、友達になってくださろうとしました。



その結果、どうなったか。ここに記されているのは、イエスさまから声をかけていただいたザアカイは、「急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた」ということです。



ザアカイは、喜んだのです。それはおそらく、彼の心が求めていた何かを、得ることができたからです。イエスさまが自分の姿を見つけてくださり、また自分の家を訪ねてくださるということが、ザアカイにとっては、純粋かつ単純にうれしかったのです。



そして、この後に書かれていることで明らかになるのは、このイエスさまとの出会いによって、ザアカイは自分の生き方を大きく変えることを決心したのだ、ということです。それくらいに、この出会いは彼の人生において決定的な意味を持ちました。



ところで、わたしは、先ほど、ザアカイを木の上に見つけたイエスさまのような目は、ある程度までならば、わたしたちも、身につけることができるものである、と申し上げました。しかし、もちろん、イエスさまにしか、おできにならないこともあります。それは、いわばその先の部分です。



ザアカイがイエスさまを喜んで自分の家に迎えたのを見た人々が、イエスさまのことについて、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやきました。こんなふうに言われることは初めから分かっていたことでした。ザアカイは、嫌われ者として有名人でしたから。



しかし、イエスさまは、そのことをあえてなさる。ザアカイを罪の中から救い出すためになさる。周りの人々からなんと言われようとも、全くお構いなしになさる。



嫌われ者の仲間になるということは、事実上、自分自身も嫌われ者になる、ということです。少なくとも、そのように言われたり見られたりすることを覚悟するということです。



そのことを平気でなさる。人から嫌われる勇気をもってなさる。この点が、イエスさまのイエスさまたるゆえんです。他の人々には真似することができない点です。



そのようにして、イエスさまは、他の多くの人々が「壁」や「溝」であると思っているようなことを、勇気をもって打ち破ってくださり、飛び越え、乗り越えてくださるのです。



他のみんなが嫌がったのに、イエスさまだけが、徴税人ザアカイの友達になってくださいました。いわば、ただそれだけのことでした。ただそれだけのことで、ザアカイの人生に大きな転機が訪れたのです。



「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」



これを「ザアカイの回心」と呼ぶことが正しいかどうかは微妙です。ただ、このときを人生の転機にしなければならないとザアカイ自身が確信し、そのように決心し、具体的な計画を提示し、それをイエスさまの御前で約束したことは、たしかです。



「財産の半分を貧しい人々に施します」というのは、生ぬるいでしょうか。「財産の全部を施します」と、ザアカイは言うべきだったでしょうか。そうだと言えばそうかもしれません。しかし、彼の提案は、興味深いものです。



財産の全部を差し出してしまうことは、悪く言えば、自分の人生に対する無責任に通じます。半分は自分のものとして残し、それを自分自身や家族の人生に責任をもって生きていくために用いることは、悪いことでないどころか、むしろ非常に良いことです。



また、彼は、自分が徴税の仕事の中で働いてきた恐喝を止めることを決心しています。そして、その分を四倍にして返しますと約束しています。



財産の半分を自分の手元に残すということは、その賠償分に充てるということでもあるのです。この点でも、彼の提案は、非常に現実に即していて妥当性があります。



「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」



イエスさまは、ザアカイの決心と約束を喜んでくださいました。そして、そのザアカイの姿を見て、「今日、救いがこの家を訪れた」と言われました。



ザアカイが財産の半分を貧しい人々に施すこと、恐喝で得た収入については四倍にして返すことは、ザアカイの悔い改めのしるしです。それで周りの人々が納得したかどうかは分かりません。



しかし、人がどう思うかということも大切ですが、自分は何をするかということが大切なのです。ザアカイの施しは、彼の悔い改めのしるしでした。もしそのようなものでないとしたら、彼の施しには、何の意味もありません。



「人の子は失われたものを捜して救うために来た」。このメッセージは、15章に出てくる三つのたとえ話(見失った羊のたとえ、無くした銀貨のたとえ、放蕩息子のたとえ)とも共通している点です。



これこそが、救い主イエス・キリストが地上に来られた目的です。イエスさまが十字架にかかってわたしたち罪人の身代わりに死んでくださるために来てくださった目的がこれなのです。



「失われたもの」とは、罪を犯すことによって神の御前から失われたもの、神から遠ざかってしまった人々のことです。



そのことがザアカイにも当てはまります。お金だけが友達。ゆすりたかりもへっちゃら。そう思っていたザアカイが自分の人生を根本的にやり直すことを決心し、約束する。それを「救い」と呼ばなくて、何を救いと呼ぶのでしょうか。



その出来事が、エルサレムにイエスさまがお入りになる前に、エリコの町で起こった、ということも、象徴的です。



エリコの隣のエルサレムで、イエスさまは、十字架に架けられるのです。



イエスさまは、ザアカイのためにも、死んでくださったのです!



(2006年5月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年5月7日日曜日

「信仰の具体性」

ルカによる福音書18・31~43



今日は二つの段落を読みました。最初の段落に記されていますのは、イエス・キリスト御自身による、御自身の苦難と死、そして復活を、弟子たちの前で予告なさる御言葉です。



「イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。『今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。』十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。」



実を言いますと、このルカによる福音書のこれまでのところでイエス・キリスト御自身が弟子たちの前でお語りになった同様の御言葉は、5回出てきました(9・22、9・44、12・50、13・32、17・25)。ですから、今日の個所は、いわば6回目であると言えるでしょう。



内容的に共通しているのは、イエス・キリスト御自身を意味する「人の子」はかならず苦しみを受ける、という点です。



もちろん、その苦しみとは、究極的に言うならば、まさにあのゴルゴタの丘の上でイエス・キリストが実際に体験されることになった、あの十字架の苦しみのことです。しかし、十字架の上だけがイエス・キリストの苦しみではありません。むしろ、そこに至るまでの全過程、全生涯が、苦しみでした。ガリラヤ地方で伝道されていたイエスさまが、エルサレムに乗り込む。その道のり、その歩みの中で、イエス・キリストは苦しみぬかれたのです。



なぜ、あるいは、何のために、イエス・キリストは、現実の苦しみを体験されなければならなかったのかという点については、今日は詳しくお話しする時間がありません。一言で言えば、人間の罪が、イエス・キリストを十字架につけたのです。イエス・キリストを苦しませ、死に至らせたのは、人間の罪です。しかし、その人間の罪が奪った救い主の命を、神が甦らせてくださったのです。



今日お話しできることは、その一つ手前のことです。ルカによる福音書によりますと、今日の個所を含めて6回にもわたって、イエスさまは、御自身がかならず体験されることになる苦しみについて弟子たちの前で語ってこられました。しかし、それにもかかわらず、今日の個所の記述によりますと、「十二人はこれらのことが何も分からなかった」というのです。彼らが理解できなかった理由についても、はっきり書かれています。「彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかった」というのです。



言葉の意味を隠しているのは、神さま御自身であり、またイエス・キリスト御自身であると答えるべきでしょう。しかし考えてみると、イエスさまが何度も繰り返しおっしゃっていることの意味を理解できないというのは、やっぱりどこか恥ずかしいというか、複雑な気持ちになってくることも、事実です。



わたしたち人間には、自分自身でよく考えてみるということが求められています。だれかが語った言葉の意味は何なのかということを一生懸命に考えてみることが大切です。分からないままでいるのは、いらいらすることであり、気持ち悪いことでもあります。



また、自分一人で考えても答えが出ない場合は、他の人と一緒に考えることが大切です。可能な場合は夫婦や親子で語り合うなり、近くに相談相手がいない場合には教会員同士でもよいし、あるいは、長老や牧師に相談を持ちかけてくださるなりして、とにかく分かるまで考え抜く必要があるのです。



しかしまた、です。イエス・キリストの苦難と死、そして復活についての予告の言葉を弟子たちは、何度聞いても理解できなかった、ということも、まさに歴史上の事実であり、そのこと自体に対して、もっと真剣に考え抜いていくべきだったとか言ってみたところで、意味がありません。わたしが申し上げたいのは、そのようなことではありません。



むしろ、申し上げたいことは、おそらくわれわれ自身にとっても慰めになることです。それは、イエスさまがおっしゃったことを弟子たちが初めてはっきりと理解できたのは、イエスさま御自身が予告されたすべての出来事の終了してからのことであった、ということです。次のように書いてあるとおりです。



「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。』そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。『次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と』」(ルカ24・44~47)。



これは何を意味するのでしょうか。わたしが考えさせられたことは、なるほど、聖書に書いてあることは、実際に体験してみなければ、ほとんど理解できないことばかりである、ということです。



たとえば、先ほど触れました「イエスさまはなぜ苦しみをお受けにならなくてはならなかったのか」という一つの問題を深く考え抜いていこうとするときに、これを実際に体験すること、つまり、実際に十字架にかけられてみるというようなことができる人は少ないというか、いないと思いますし、する必要はないと思います。



しかし、そういうことではなく、たとえば、イエスさまがお語りになったのと同じ言葉を、わたしたち自身が実際に語る。また、イエスさまがなさったのと同じことを、わたしたち自身が実際に行ってみる。そうすると、どうなるか、ということです。



先週の礼拝後、ある方から、次のような質問を受けました。「『神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける』(18・29~30)と、イエスさまが言われているようですが、本当に捨てることができなければ、わたしは天国に入ることはできないのでしょうか」。



わたしは少し説明いたしましたが、多くの説明はできませんでした。「わたしにも分かりません。この御言葉を理解するのは、とっても難しいことです」とお答えするほかはありませんでした。



わたしに申し上げることができたのは、たとえば、わたしたちが何か信仰上の大きな決断をしなければならないとき(洗礼を受けること、教会に通うこと、信仰の生涯を全うすること、自分の子供を信仰者として育てることなど)、家や妻や兄弟や両親や子供の言い分を、自分自身の判断停止の理由にすることはできないのではないかというあたりのことを考えてみると、いくらか理解可能なものになるかもしれません、というくらいのことでした。しかし、これとてイエスさまがお語りになっていることの真意であるかどうかは不明です。



ただ、それでも、イエスさまの御心が少しくらいでも分かるようになることがありうるとしたら、それはどういうときかと考えてみますと、それはおそらく間違いなく、イエスさまの御言葉の意味を自分の頭の中で思いめぐらしている(だけ)というときではなく、むしろ、その御言葉において語られていることを実際にやってみようとするときであり、実際にやってみたときであるだろう、ということです。



しかし、イエスさまがお語りになった多くのことは、はっきり言いますと、わたしたちにとっては、たいへん難しいことばかり、できそうもないことばかりなのです。ところが、イエスさまは、御自身が語られた御言葉に、全く忠実に生きられた方です。だからこそ、わたしたちには実行できそうもない難しい御言葉を御自身で生きてくださったことにより、まさにわたしたちの身代わりに苦しみを味わってくださった、ということが起こったのであり、また、わたしたちの身代わりに死んでくださる、ということが起こったのです。



弟子たちは、イエスさまのお姿を、いわばただ見ていただけです。最後までイエスさまのあとに従う覚悟ができていると立派なことを語っていた弟子たちでさえ、イエスさまの十字架の前から全員逃げ去りました。



しかし、この「見ていた」ということが大切です。もし聖書の中で弟子たちが、イエスさまのお語りになった御言葉について、「わたしにもできました。こんなの簡単ですよ」というふうに証言しているとしたら、わたしたちは、聖書を読むたびに絶望しなければならないかもしれません。「わたしにはできませんでした。しかし、このわたしの身代わりに、イエスさまが苦しんでくださったのです」という証しこそが、聖書の中の弟子たちの証しであり、これこそがキリスト教の福音なのです。



弟子たちは、イエスさまの話を、何度聞いても理解できませんでした。しかし、イエスさまが、彼らと共に生きてくださり、彼らの傍らに寄り添いつつ、彼らにはできないことを、まさに彼らの身代わりに行ってくださったので、そのイエスさまのお姿を彼らが見ることによって、イエスさまの話の内容が、やっと分かるようになったのです。



わたしたちは、どうでしょうか。聖書の時代とわたしたちの時代との根本的な違いは、イエスさまのお姿を、肉の目で見ることができない、ということです。そうであるならば、わたしたちは、聖書に書かれていることを、永久に理解できないのでしょうか。そんなことはないと思います。



強いて言うならば、というくらいのことですが、わたしたち教会の者たちは、今のこの時代の中で、完全に、とはとても言えませんが、わたしたちなりに、イエスさまがお語りになった御言葉に、できるかぎり忠実に生きようとする道を選ぶことによって、苦しみを味わっています。



もしそのことをお認めいただけるならば、聖書に書かれている、イエスさまがお語りになった「苦しみ」の意味を、わたしたちが本当に理解するためには、現実の教会が実際に味わっている苦しみを共に体験する必要がある、ということです。



もっと短く言い直せば、聖書の御言葉の意味を真に理解するためには、具体的な教会生活が必要である、ということです。教会生活から切り離されたところで聖書を理解することは事実上不可能である、ということです。その意味において、信仰には具体性があるのです。



今日お読みしました、第二番目の段落に記されていることにも、今わたしが申し上げたこととは少し違う角度からではありますが、共通するメッセージを読み取ることができると思われます。それは「信仰の具体性」という点です。無理にこじつけるつもりはありませんが、実際に読んでみると、御理解いただけるのではないかと期待しております。



「イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群集が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた。『ナザレのイエスのお通りだ』と知らせると、彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください』と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。『何をしてほしいのか。』盲人は、『主よ、目が見えるようになりたいのです』と言った。そこで、イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。』盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。」



ここに紹介されているのは、これまでも何度となく登場してきた、イエスさまに自分の病気や障碍、さまざまな苦しみや痛みをいやしていただきたいと願い出る人の一人である、と見ることが可能です。この人は、目が見えない人でした。



ところが、この人がイエスさまに向かって「わたしを憐れんでください」と叫んだとき、この人に「黙れ」と叱りつけた人々がいた、というのです。内容は異なりますが、乳飲み子たちをイエスさまのもとに連れて来た人々を叱りつけたことでイエスさまから叱られた(18・15)、あの弟子たちの姿と重なり合うものがあります。子供とか障碍をもっている人々の存在を邪魔者扱いするのは本当に間違っていることだと言わざるをえません。



しかし、ここで注目すべき点は、目の見えないこの人に対してイエスさまが投げかけられた問いの内容と、それに対するこの人自身の答えの内容です。



「何をしてほしいのか」。そのようにイエスさまから問われたので、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と、その人は、答えることができました。



このやりとりから読み取ることができると思われるのは、イエスさまがこの人にお尋ねになった「何をしてほしいのか」という問いの裏側にあるのは、「主よ、憐れんでください」という、いわば抽象的な願いや祈りだけでは不十分である、ということです。そのようなことをいくら叫んでも、何をしてほしいのか、自分がどうなりたいのか、分からないではないか、ということです。



それを、今、はっきりと口に出して言ってみなさい、ということです。自分の願いは何なのか、自分の要望、自分の目標、自分の計画は何なのか、その意味での自分の祈りは何なのか、ということを、はっきりと具体的に言葉にしてみなさい、ということです。



「言わずもがな」とか「以心伝心」とか、そういうことを重んじるのがわたしたち日本人なのかもしれません。「言葉で言わなくても分かってくれる」のが良い大人であり、良い教師である。「言わなければ何もしてくれない」のは中の下。「言っても何もしてくれない」のは下の下。われわれの一般的な評価は、そのあたりにあるような気がします。



しかし、です。少し考えてみていただきたいことは、教会もそうでしょうか、ということです。信仰者同士の関係、あるいは牧師と教会の関係、そして神さまとわたしたちとの関係までも「以心伝心」であることが、理想として求められるのでしょうか。



イエスさまは、厳しい意図をもって、目の見えないこの人に「何をしてほしいのか」と質問されたというふうに読むのは行き過ぎのように思います。イエスさまのおっしゃっていることは、厳しいことではありません。



ただし、です。「何も言わなくても、相手は分かってくれるはずだ」というような態度は、厳しく言えば、やや甘えです。それが通用するのは、たぶん親子の間だけです。



願いごとがあるなら、はっきり言ってください。



信仰とは具体的なものなのですから!



(2006年5月7日、松戸小金原教会主日礼拝)