日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 402番 いともとうとき 奏楽・長井志保乃さん
「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。」
今日の朗読箇所は、新約聖書の使徒言行録4章32節から37節までです。この箇所に描かれているのは、イエス・キリストの復活と昇天、そして聖霊降臨の出来事が起こってまもなくの頃の初代のキリスト教会の姿です。
よく似た内容の記事が、2章43節から47節までにもあります。そちらのほうから先に読むと、「信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(2章44~45節)とあります。今日の箇所にも「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」(4章32節)とあります。
さらに「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」(4章34~37節)とあります。
これで分かるのは、今日の箇所に描かれている時期の初代のキリスト教会の人々は、自分たちの持ち物や財産を共有し、ひとりも貧しい人がいないように分配していたということです。初代のキリスト者人口がどれくらいだったかについては、4章4節に「男の数が五千人ほどになった」とあるのを信頼すれば、女性と子どもを含めて1万人ほどではないかと想像できます。それだけの人々が自分の持ち物や財産を売ってお金に換え、全部集めて使徒の足もとに置いたという話が事実であれば、それなりの金額にはなっただろうとも想像できます。
先ほどから「信頼するとしたら」とか「事実であれば」と、やや引っかかる言い方をしているのは、使徒言行録が描く初代教会の姿は完全な作り話であるなどと言いたいからではありません。他の箇所についてはかなり批判的な解釈をしている註解書を見ても、今日の箇所に記されていることはおそらく事実であろうと記しています。
財産共有について、他に例がなかったわけでもありません。古代ギリシアの哲学者プラトンやピタゴラスといった人々が財産共有の理想を提唱していたとされます。また西暦1世紀のユダヤ教の中に財産の共有を義務づける教えを持つグループがあったと言われます。初代教会の人々が実際に財産共有をしていたとしても、人類史上初めての実践であるとは言えません。
しかし、他の実践例と初代教会のあり方との違いがあることは明らかにしておくべきでしょう。そのことを考える際に重要な点は、初代教会の中心にいたのは、十字架につけられる前のイエスさまとの生きた交わりの中でイエスさまご自身から直接教えを受けた人々だったということです。ペトロにせよヤコブにせよヨハネにせよ。それが意味することは、今日の箇所が描く初代教会の姿は、イエスさまの教えとは無関係の、全く別の原理によるものではないということです。
よく知られているのは、まだ漁師であったペトロとその兄弟アンデレにイエスさまが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われたとき、「2人はすぐに網を捨てて従った」出来事です。同じく漁師だったヤコブとその兄弟ヨハネも「舟と父親とを残して」イエスに従いました(マタイ4章18~22節など)。
また、イエスさまは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」とおっしゃいました(マタイ16章24~25節など)。
しかし、実際の弟子たちはどうだったかといえば。マルコ1章29節に「シモンとアンデレの家」と記されています。「シモン」はペトロのことです。つまり、ペトロはイエスさまの弟子になった後も、カファルナウムに自分の家を持っていました。その家にペトロの家族が住んでいました。そして、その家をイエスさまが宣教拠点とされ、弟子たちと一緒に遠くにお出かけになっても、再びその家に帰ってこられる様子が描かれています。
このことは、ペトロがイエスさまのために自分の家を差し出した、と考えることができるかもしれませんが、それがペトロの持ち家であることには変わりないので、その意味では、すべてをお金に換えて財産共有をしていたとは言えないでしょう。もしそうだとすれば、初代教会の最高指導者となった後のペトロが、自分がしていなかったことを他のキリスト者にさせるというのは、矛盾以外の何ものでもないでしょう。
しかし、いま申し上げていることの趣旨は、聖書がいかに矛盾に満ちた書物であるかを明らかにしたいというようなことでは全くありません。そうでなく、今日開いている使徒言行録が描く初代教会が実行していた「財産共有」の意味は何であるかを厳密にとらえる必要があるだろうと申し上げたいだけです。そしてそれは、イエスさまご自身の教えと行いに基づくものでなければならない、ということです。
そして、その場合、ペトロはたしかに「すべてを捨てて」イエスさまに従いながら自分の家を売らずに持ったままであり、その家をイエスさまが宣教拠点にしておられたことは、重要な事実です。そうすることが聖霊降臨後の初代教会においては全く放棄され、変質してしまったわけではないと考えることが、もちろん許されるのです。
もうひとつ言わなくてはならないのは、初代教会の「財産共有」は短い期間だけだったということです。問題が発生したりもして、別の形に変わっていきます。それを聖書は、教会の堕落として描いてはいません。
その時々の状況に対応するために、教会のあり方を変化させていったのです。なにがなんでも財産共有をしなければならないというような執着はありません。義務でも命令でもありません。すべてはあくまでも自発的なものであり、問題解決のためのひとつの手段だったにすぎません。
初代教会にとって大事な問題は、「すべての物を共有にし、財産や持ち物を売ること」自体ではなく、「心も思いも一つにすること」(32節)と「一人も貧しい人がいないこと」(34節)でした。別の方法でそれが実現するならば、やり方を変えることに何の問題もなかったと考えるべきです。そして最も大事なことは「大いなる力をもって主イエスの復活を証しすること」(33節)でした。
このことを私が強調するのは、洗礼を受けて教会員になるためには自分の全財産をお金にして、すべてを教会に献金しなければならないのだろうか、そのようなとんでもないことをキリスト教の人々は教えているのかというような、ありもしない誤解を避けたいからです。全く違います。初代教会においてすら、義務でも命令でもありませんでした。
現代の教会は、なおさらです。大丈夫ですので、自分の家と財産をしっかり守ってください。よろしくお願いいたします。
(2021年6月27日)