2018年7月22日日曜日

ツルになりたかった牧師

日本基督教団王子北教会(東京都北区豊島)

コリントの信徒への手紙一1章18~25節

関口 康

「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」

みなさま、おはようございます。関口康と申します。今日は王子北教会の「特別礼拝」の説教者としてお招きいただき、ありがとうございます。

ごめんなさい。今申し上げたのは、うそです。私は王子北教会から招かれていません。私のほうから沼田和也先生に頼み込んで「王子北教会で説教させてください」とお願いしました。「謝礼は要りません」ともお伝えしています。うそをついたことをお詫びします。うそつき牧師と呼んでください。申し訳ありません。

説教を申し出た理由は、沼田先生が悩んでおられることが分かったからです。インターネットを神と教会のために役立てたいという沼田先生の願いが、必ずしもその願いどおりになっていないことが分かったからです。行く手が阻まれているようだと感じたからです。

私も沼田先生と同じように、インターネットを神と教会のためになんとか役立てたいと願っています。しかし、私もうまくいきません。特別礼拝のために配布してくださいましたチラシに私の肩書として「インターネット歴20年」と書いていただきました。そう書いてくださいと、これも私がお願いしました。



長さ自慢をしたいのではありません。「なんとか歴何年」と名乗るとすぐさま競争が始まるのが世の常です。「私のほうがもっと長い」とか言い出されます。しかし、競うつもりはありません。そんなのはどうでもいいことです。私はただ事実を述べているだけです。

とはいえ、全く意味もなく書いたのでもありません。私は1965年11月生まれの現在52歳。高校からストレートで東京神学大学に入学し、大学院まで6年間を過ごし、日本キリスト教団の教師になったのが1990年です。それ以来、牧師の仕事しかしたことがありません。牧師歴28年目です。

しかしその間、まるで他のことは何もしていなかったかのようにインターネットとのかかわりの部分だけが突出していると、はたから見ると見えたかもしれないほど、力を注いできたことを否定しないでおきます。

その私もインターネットの活用に関しては全くうまく行っていません。行く手を阻まれていると感じています。しかし、だからと言って私はインターネットから退却するつもりはありません。その理由については後でも申し上げますが、最初に短く言えば、私が過去20年インターネットでしてきたのは、字を書くことだけだったということです。それ以上でもそれ以下でもありません。

それが悪いと、私にはどうしても思えないのです。やめたほうがいいだの言われなければならないようなことだとは。それで沼田先生とスクラムを組むことにしました。同盟を組んで難局を突破することにしました。

私は昔から万年筆が身についたためしのない人間です。手書きで何かを書くときはシャーペンかボールペンで書きます。しかし、私が東京神学大学の学部4年を卒業したのは1988年ですが、卒業論文はかなり無理して万年筆で書きました。学校指定の400字詰め原稿用紙に。その2年後の1990年に提出した修士論文はワープロで書きました。その切り替えが始まった頃でした。

修士論文の主査に大木英夫先生がなってくださいました。評価は「C」。ギリギリ及第。それでも大木先生は私の修士論文をほめてくださいました。「ワープロがきれいだ」と、そこだけほめてくださいました。冗談ではなく事実です。

その翌年の1990年、私は日本キリスト教団の補教師試験を受け、高知県南国市の日本キリスト教団南国教会とその伝道所である南国教会大津伝道所の両方で伝道師として働きを始めました。そして翌年1991年に結婚しました。

結婚前の1年間は、妻は大学4年生として東京にいました。私は高知。高知に行く前に婚約式をしましたが、高知と東京の距離はあまりに遠く、会うことができないどころか、電話すらままならない状態でした。

当時の教会の雰囲気を覚えている方がおられるはずです。携帯電話が普及していなかったころ、教会の公用電話とは別に私用の電話回線を持っている牧師はほとんどいませんでした。牧師が教会の電話を使うのは当たり前でした。

しかし高知から東京に電話すると、月に5万円を超える請求書が届く。自分で使った分は自分で払えば済むことですが、なぜこんなに使ったかと言われたりするので、最愛の婚約者に電話することもできない状態でした。

いまお話ししているのはインターネット普及前夜の物語です。そして、私がなぜインターネットを使いはじめたのか、その理由の時代的背景を申し上げています。第一の理由は、最愛の婚約者に電話することに支障をきたす経験をしたからです。東京と地方の連絡にかかる経費負担をどうすれば軽くできるのか。

しかし、それだけではありません。似ていることの別の側面の問題がありました。高知にいたころに痛感したことが、東京と地方のあまりにも大きすぎる情報格差でした。当時流行していたテレビドラマに「東京ラブストーリー」などありましたが、高知の民放は2局(当時)、NHK2局でしたので、曜日も時間もかなり遅れているのを観たりして、話題についていけなかったりして。その情報格差の問題をなんとかして解決したかった。それが私がインターネットを利用することにした第二の理由です。

そのような経緯を経て、私はまず「パソコン通信」を1996年に始めました。福岡県北九州市の教会にいたころです。そして、正確な意味の「インターネット」を始めたのが1998年です。その年、山梨県の教会の牧師になりました。そこで新たな動機が加わりました。

その山梨県の教会は、日本キリスト教団の教会ではありませんでした。私は日本キリスト教団立の東京神学大学を卒業し、日本キリスト教団の教師になり、日本キリスト教団の教会の牧師になりましたが、1997年から2015年までの19年間は、日本キリスト改革派教会の教師でした。しかし、その私が日本キリスト教団に戻ってきてしまいました。なぜ出て行ったのか、なぜ戻ってきたのかについては、話すと長くなりますので、今は割愛します。

そのことよりも、今はっきり申し上げたいのは、1997年に日本キリスト教団を離脱したとき、日本キリスト教団に対する敵意はなかったということです。恨みも憎しみも敵意もありませんでした。しかし、そのことを伝える手段がありませんでした、インターネット以外には。

私の思いをどうすれば日本キリスト教団のせめて元同僚に伝えることができるかで悶々としていたころ、暑中見舞いだったか年賀状だったかを忘れましたが、東京神学大学の同級生(年齢は5つほど私よりも上です)の清弘剛生牧師が送ってくださり、その中に一言「お元気ですか?」と手書きで書いてくれていました。それを見て「そうだ、清弘先生にメールを書こう。私は日本キリスト教団を離脱したが、教団への敵意がないことをメールで伝えよう」と思いました。

清弘先生は天才級の理系の方で、当時からインターネットを駆使しておられました。1990年代に「ウェブチャペルウィークリー」なるウェブサイトを立ち上げ、毎週の説教を公開し、メールマガジンで数百人の読者に配信しておられました。清弘先生がインターネットの私の師匠です。

その後、清弘先生と私とで1999年2月にオランダのプロテスタント神学者ファン・ルーラーの翻訳と研究をする「ファン・ルーラー研究会」なるメーリングリストを立ち上げました。1年後には100人を超え、その後もメンバーが増え続けました。そのせいで、関口康といえばインターネットで悪さをしている人間だと批判的な目を向ける人が増えました。

しかし、私はインターネットで何をしてきたかといえば、ただ字を書いてきただけです。それ以外の何もしていません。そして、強いて言えば、それ以前よりも広い範囲の人々と情報共有ができるようになったので、それを実行に移しただけです。それ以上でもそれ以下でもありません。

しかし、いまだにインターネット害悪論が教会の中に聞こえるのは、どういうわけでしょうか。インターネットには明るく健全な情報だけでなく、暗くて不健全な情報もあるからでしょうか。そういうのと教会の「聖なる」情報が一緒くたにされるのは困るというような理由でしょうか。

その感覚は私も全く理解できないと思っているわけではありません。インターネットの情報が「玉石混交」であるのは当たり前です。しかし、それを言うなら大げさなハードカバーのついた本だって同じです。そこにあるのは、ただの字です。たとえ仮にインターネットが「悪い字」で満ち満ちているとしても、そうだと思う人が「良い字」をインターネットに増やしていけば済むことです。事は意外に単純です。

今日開いていただいた聖書の箇所に「宣教」は「愚かな手段」であるとパウロが書いています。この場合の「宣教」の意味は、言葉で伝えること、広めること、事実を事実として告知すること、情報共有の範囲を広げることです。なぜそれが「愚か」なのか。思い当たる理由は、事実を事実として告知すること自体には取り立てて意味も価値もないことです。

私はよく、ツイッターやフェイスブックで「今日の自作料理」の写真を撮って公開しています。「だから何?」と言われるようなことを。第三者にとってはどうでもいいことを。

同じ次元で言うと叱られそうですが、福音書が描くイエス・キリストの十字架刑も、「イエスは十字架につけられた」と、事実を事実として淡々と告知するだけのところがあります。今の小説家ならきっと細かい心理描写や情景描写をしそうなところで、うるさい解釈抜きで事実だけを記述しています。

読者の側に「だから何?」という反応が起こるのは当然です。しかし、だからこそ、解釈は読者に任されます。そのほうがかえって想像力が刺激されます。「何の意味があるのだろう」と考え続ける人を生みます。

もう一度言います。高級な万年筆で書こうと、達筆の人が毛筆で書こうと、安いシャーペンやボールペンで書こうと、美しいワープロの字で書こうと、字は字です。本質的には何の違いもありません。大げさな装丁の本として出版しようと、ブログに書こうとツイッターに書こうと、字であることに変わりありません。

「字をバカにするな」とも言わせていただきます。それは言葉です。言葉は現実に人を救う力を持つことができます。言葉で激しく傷つけられることもあるし、あったでしょう。しかしまた、言葉でこそわたしたちは慰められ、癒されます。

「字に書いた言葉を広めること」が、究極的な意味での教会の使命であるなら、教会とその牧師がインターネットを利用することに躊躇する理由は、全くありません。

(2018年7月22日、日本キリスト教団王子北教会特別礼拝)