2007年10月28日日曜日

「人間崇拝との対決」

使徒言行録14・1~20



今日の個所にもパウロとバルナバの海外宣教の様子が記されています。先週わたしたちは石丸新先生をお迎えして特別伝道集会を行いました。伝道とは何でしょうか。この問いを考えながら、今日の個所をご一緒に読んでいきたいと思います。



「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。」



「イコニオンでも同じように」の「同じように」の意味は、ほかの町で行ったのと同じように、ということではありません。ほかのユダヤ人たちと同じように、という意味です。ユダヤ人たちは安息日ごとに会堂に集まっていたのです。パウロたちは、「ユダヤ人たちと同じように」、安息日ごとに会堂に足を運んだのです。



そして、パウロたちは、ユダヤ人の会堂に入って「話をした」とあります。これは文字どおりの意味で理解すべきです。申し上げたいことは、ここで「話をした」には「御言葉を宣べ伝えた」というほどの強い意味はない、ということです。



彼らは、まさに文字どおり「話をした」だけかもしれないと考えてみる必要があります。「おしゃべりをした」というほどの意味かもしれません。とにかく強い意味はありません。おそらく本当に、ただ「話をした」だけなのです。



わたしが今ここで何を言おうとしているのかは、おそらくすぐにお気づきいただけることです。二千年前のパウロたちが、イコニオンという町で伝道をしました。その方法は、毎週の安息日に、ユダヤ人たちの集まる会堂にとにかく足を運び、もちろんそこでユダヤ人たちと顔を合わせ、そこでとにかく「話をする」ということであった、ということです。



伝道においてはこういうことが大切なのです。営業の訓練のようなものです。地道に足を運ぶ。顔をつなぐ。話をする。これが信頼を獲得するための方法です。すなわち、相手がこのわたしの言葉に耳を傾けてくれるようになるための信頼関係を構築していくための、おそらく唯一の方法なのです。



この点では伝道も同じです。伝道とは神の御言葉をこのわたしの言葉で伝えることです。もしこのわたしの言葉に耳を傾けてくれる人がいないとしたら、伝道は絶対に成り立ちません。そして、このわたしの言葉に耳を傾けてくれる人が起こされることと、このわたしが周りの人々から信頼されるようになることとは無関係ではありません。信頼できない人の言葉を誰が聞くでしょうか。「わたしのことは信頼してくださらなくても結構ですから、わたしの語る言葉を信じてください」という言い方が通用するでしょうか。信頼できる人が語る言葉だから聞くのです。伝道の前提には人間同士の信頼関係がある、ということを考える必要があるのです。



ただし、そこで大事なことは、そのようにする目的は何なのかを、はっきりと認識し、把握しておくことだと思います。教会の目的は伝道です。ただ仲良くなればよいということではありません。



また、伝道に関してわたしたちが知っておくべき、もう一つの点があります。それは、伝道においては、どれだけ時間をかけても、地道に足を運んで話をすることによって信頼関係を築き、神の御言葉の真実を語り、救いの喜びを伝えたいと願っても、全く逆の方向に事柄が展開していくことがありうるということです。



「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ知らせていた。」



パウロたちの前で起こったことは、御言葉を受け入れて信仰に入った人々と、そうではない人々とに分けられた、ということです。しかも、そのことがただ個人的な問題であるとか、心の中の問題であるというような次元に収まるものではなかったことが分かります。



町が分裂しました。そして文字どおりの「暴動」が起こりました。物理的な暴力をもって、パウロたちを町から排除しようとする、あるいは殺そうとする人々が現れたのです。社会問題、政治問題へと発展したのです。



伝道がただ単に「友達を増やすこと」にとどまるものではないし、それだけであってはならないと言われる点の理由が、ここにもあるように思います。もし伝道が「友達づくり」にとどまるものであるならば、迫害など起こりようがないのです。



なぜ迫害が起こるのでしょうか。神の御言葉は、真理そのものだからです。真理というものは、それを愛する人々にとっては救いとなります。しかし、この世の中には、真理を憎む人々もいるのです。真理を突きつけられると、偽りに満ちた自分自身のあからさまな姿が、暴露されるからです。そこで素直に悔い改めることができればよいのですが、悔い改めるどころか、逆恨みする。真理を嘲笑し、攻撃し、排除しようとするのです。



パウロたちは、石を投げつけようとする人々に気づいたときには、「難を逃れた」とありますとおり、要するに逃げました。それでよいのです。野蛮な人々の暴力によって怪我をさせられる必要はありません。暴力に対して暴力によって立ち向かうことが勇敢さを示す道ではありません。御言葉の宣教において、福音の伝道において、その言論活動において、真理を真理として語ることができる。反対者に屈しない。それが真の勇敢の道なのです。



さて、次の段落には、イコニオンで起こった暴動から逃れて辿り着いたリストラという町での出来事が記されています。このリストラの町で起こったことは、イコニオンで体験したこととは、かなり違うものでした。



「リストラに足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は踊り上がって歩きだした。群集はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、『神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった』と言った。そして、バルナバを『ゼウス』と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを『ヘルメス』と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群集と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。」



パウロたちは、何をされたのでしょうか。最も短く言えば、神さま扱いされたのです。言うならば、祀り上げられたのであり、神棚の上にあげられそうになったのであり、神社が建てられそうになったのです。



パウロたちがしたことは、生まれたときから一度も歩いたことがなかった、足が不自由な人を立たせたことでした。絶対にありえないと思われてきたことが、ありえた。不可能を可能にする人が現われた。それが、パウロたちが神扱いされた理由であると思われます。こういう話は、わたしたち日本人にとっては少しも珍しいことではありません。日本には、そこいらじゅうに「カミサマ」がたくさんいるではありませんか。



そして、日本の中では、周りの人々に神扱いされている人は、私の知る限り、そのことを喜んでいるし、満足しているように見えます。謙遜のために笑いながら否定することはあっても、むきになって否定するようなことはないのではないかと思います。「あなたは神である」と言われて、悪い気はしないのではないでしょうか。



これが、先ほど私が申し上げた、イコニオンでの出来事とリストラでの出来事との違いであると感じられる点です。彼らがイコニオンで味わったのは、信仰に入る人々を得ることができたという喜びと同時に、厳しい迫害でした。しかし、リストラで味わったのは、神扱いです。ある意味で迫害の正反対です。うやうやしく扱われること、最大限の尊敬を受けることです。ほめたたえられること、絶賛されることです。尊敬され、ほめられて、腹を立てる人がいるでしょうか。通常はニッコリ笑う場面ではないでしょうか。



ところが、です。パウロたちはこの点では、わたしたち日本人の多くがとる態度とは、おそらく全く違います。彼らは本当に腹を立て、むきになり、必死になって、「わたしたちは神ではない。わたしは神ではない」ということを、声を大にして主張したのです。



「使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群集の中に飛び込んで行き、叫んで言った。『皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。』こう言って、二人は、群集が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。」



パウロたちは、なぜ、神さま扱いされることを嫌がったのでしょうか。理由は明白です。わたしたちの信仰、キリスト教信仰がそれを許さないのです。



人間は神ではない。人間は神によって造られた被造物である。創造者と被造物の間には、永遠の隔たりがある。被造物はいかなる意味でも神ではない。もしこの点がゆるがせにされるならば、キリスト教信仰の終わりを意味する。教会のいのちの終わりを意味するのです。



教会は、神は神であること、そして人間は人間であることを重んじます。人間が神になること、人間を神にすることは許されていないのです。人間が人間として生きること、「人間らしく生きること」のうちに真実があり、誠実さがあります。神を名乗る人間はすべてでたらめな存在なのです。



今日は宗教改革記念礼拝として行っています。敬意をこめて、宗教改革者カルヴァンの言葉を引用しておきたいと思います。



カルヴァンは今日の個所の注解のなかで興味深いことを書いています。それは、説教には二つの段階がある、ということです。



第一の段階は「無根のでっち上げられた無数の神々を取り除くこと」であり、第二の段階は「天と地の創造主であるこの神はどんなかたであるかを教えること」です(カルヴァン『新約聖書註解 使徒行伝下』、益田健次訳、432ページ参照)。



わたしは、これを「説教の二つの課題」と呼んでおきます。二つともどうしても避けて通れないことです。神ではないものを「神ではない」と語ること。すなわち、人間は人間であり、物は物であると語ること。正直に語り、あるがままの存在を指し示すこと。うそを言わないこと、言わせないこと。これが説教の第一の課題なのです。



そして、まことの神とはどんな方であるかを教えることが説教の第二の課題なのです。



(2007年10月28日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年10月20日土曜日

公会主義を説く改革派宣教師S. R. ブラウン

2002年2月20日(2007年10月20日加筆修正)


昨日〔2002年2月19日〕、私は、ほぼ丸一日かけて、日本史上最初にプロテスタント・キリスト教を宣べ伝えたことで知られる米国オランダ改革派教会宣教師、S. R. ブラウン[1810~1880年]の書簡集を読んでいました。全378ページもある、第一級の歴史資料です。


日本におけるブラウンの働きについては、短い文章で書くことは不可能なほど大きなものがありました。とくに彼が力を注いだのは、聖書を日本語に翻訳すること、日本のプロテスタント神学校の先駆けとなったブラウン塾の創立、そして日本史上最初のプロテスタント教団となった「日本基督公会」の創立などに集約されます。


書簡の内容の多くは献金依頼のために割かれています。あるときは「母教会〔米国オランダ改革派教会〕が『ケチ』だと非難されたり、母教会の名が『なまけもの』だとか『利己心』と同義語に使われるのは堪えられません」(同上書、187ページ) という殺し文句まで用いながら。現実世界に生きている者として当然の要求であり、宣教師の責任に属する事柄です。


このブラウンは日本伝道に大きな夢を持っていました。1862年11月8日の書簡には、次のように記されています。


「わたしは、しばしば、独りごとに、いや仲間にも言っているのですが、この日本国がキリスト教国となったら、どんなにすばらしいだろう、と。この国民に福音の喜ばしい感化を与えることができるよう、神は力をあらわしてくださるでしょう。もしそうなれば、日本を地上の楽園とすることも不可能ではありません。この美しい谷や野原、山腹、農家、村落、町村、都市、全国どこにでもきかれる『南無阿弥陀仏』という祈祷が『なんじ、高きにいます神よ』または『天にましますわれらの父よ、み名をあがめさせたまえ』という祈りに変わる時代は現に来つつあるのです。」 (同上書、115~116ページ)


ブラウン宣教師がこの夢を見たときから、はや140年。はたして、日本は「地上の楽園」になったでしょうか。彼はナイーブな楽天家でありすぎたのでしょうか。


また、1872年9月28日の書簡には、「日本基督公会」という教団名称の意味に関して次のように記されています。


「神よ願わくは、日本におけるキリスト教の発達に関心を持つ者として、同一なる公会の精神と統一した目的とに結合されて、キリスト教国における教会の美をはばむ分派をば、できるかぎり、この国から排除せられんことを。そして、もし、ただ組合教会とか、長老教会とか、リフォームド教会とかの相違が、異教徒に見えないよう、かくされてしまって、教会のこれらの分派が、少しもあらわれずに…すべてのものが、ひとりの共通の『主』と『かしら』につらなって、一つの教壇に立ちうるようになったならば、わたしたちの後から日本に来るものは、どんなに幸いでありましょう。」(同上書、286ページ)


「公会主義」と称せられるこのブラウンの夢は、しばしば、現在の日本における最大のプロテスタント合同教団である「日本基督教団」の存在を肯定的に評価する人々によって引用されるものでしょう。


しかし、これについて我々はどのような評価を下すべきでしょうか。たとえば熊野義孝先生の文章に見られるような「反省」、すなわち、「ただ聖書にのみ即する神学であるならば、それは単一全般的な神学であることを観念的に誇りうるかも知れないが、すでに伝統といふ以上、そこには諸教会の伝統が並存しているのであるから、現実的にはもはや教派的ならざる神学は存在しがたいではないか、といふ反省が促される」(熊野義孝著『教義学』、第一巻、新教出版社、1954年、45~46ページ)という物言いは、ブラウンが警戒する「キリスト教国における教会の美をはばむ分派」を促進するものとみなされるべきなのでしょうか。


はたして、すべての教派の存在は、すなわち「分派」なのでしょうか。このようなことを言いながら、ブラウン自身は紛れもなく「米国オランダ“改革派”教会」の宣教師以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。彼はやはり、あまりにもナイーブすぎたのでしょうか。やや手厳しく言えば、「公会主義を説く改革派宣教師」ブラウンは自分自身の中で存在と思想が内部分裂を起こしていた、と言えないでしょうか。


しかし、私はこのようなことを考えながら、ブラウンの次の文章を読んでいたとき、思わずハッとさせられるものを感ぜざるをえませんでした。


「今、この国土〔日本〕から、改宗者が集められている、宣教の初期において、イエス・キリストを愛するものは、すべて、この地の教会が一つで、分かれることなく、わたしたちの本国の教会とか、他の国の教会のように、分派によって、異教徒を迷わし、教会の力を弱めることなく、むしろ「日本基督公会」(the Church of Christ in Japan)という、そうした土台をおくことを要望するに相違ないと思います。」(同上書、282ページ)


この文章が書かれたのは「1872年9月4日」です。この時期、アメリカの教会や「他の国の教会」が分裂し、その結果として教会の力が弱まっていたことはなるほど確かです。


ブラウンの時代、アメリカ全土は南北戦争で悩まされ、その影響で教会もまた南・北に分裂していき、互いに争い合うなどの悲劇を味わっていました。彼の書簡集にも繰り返し、わたしの悲しみは南北戦争だと書いています。


また、オランダ系アメリカ人たちの精神的故郷であるオランダ本国の改革派教会(国教会系と称されるNHK教会が米国RCAの出自)も1834年に起こった「第一次大分裂」(アフスヘイディングと呼ばれる)の傷がいえぬまま、1886年にはアブラハム・カイパーをリーダーとするグループのNHKからの離脱が起こります(「第二次大分裂」「ドレアンシー」などと呼ばれる)。つまり、ブラウンが生まれた1810年のオランダ王国に存在した唯一の「改革派教会」は、ブラウンの死(1880年)の後まもなく、三つの「改革派教会」へと分裂してしまうのです。


ブラウンの思いの中にこれがあったのではないか。オランダの国土は日本の九州地方と同じくらいの面積しかないと言われます。その狭い国の中でなぜ「オランダ改革派教会」が分裂しなければならないのか。なぜ「改革派教会」は一つではありえないのか。書簡集によるとブラウンは、米国オランダ改革派教会の機関紙“Sower”(種まく者)などを日本ミッション宛に定期的に送ってもらっていました。そこから当然、オランダ改革派教会の分裂情報の詳細も逐一伝えられていたはずです。


今日の評者がブラウンたちの「公会主義」をいろいろと批判することについては、その自由が確保されて然るべき面があるでしょう。しかし、その際に我々が考慮すべきであろうことは、まさに当時、彼自身が「母教会」と呼んで愛していたアメリカやオランダの「改革派教会」が分裂の真っ最中であった、このことを彼は深く憂慮し、何とかしなければならないと心に誓い、神に祈っていたのではないかという点です。


オランダ改革派教会の牧師であり神学者であったアーノルト・A. ファン・ルーラー(1908年~1970年)は、1969年に「家庭内争議の終焉」  と題する講演を行い、その中でオランダ国内における「改革派ファミリー」が再一致すべきこと、そして、「西暦2000年までに」再合同すべきことを呼びかけました。具体的には彼の属する国教会系NHKと上記カイパーが創立したGKNとの再合同です。


ファン・ルーラーの夢の実現は残念ながら西暦2000年には間に合いませんでした。[しかし、まもなくゴールに到達しようとしています。もちろん、まだまだ多くの問題が山積されたままのようですが。](2004年にオランダプロテスタント教会が誕生しました)。


私の夢もまた、日本においても、せめて「改革派・長老派の伝統を継承する諸教会」は再一致すべきであり、可能ならば再合同すべきではないだろうかということにあります。


外資系の教派はともかく、国内で自立して行かなければならない国内の改革派・長老派諸教派は、このままだと共倒れの危険がありはしませんか。


一般企業ならば、とっくの昔に合併整理されているような危ない橋を我々は「信仰で乗り越えていく」という。もちろんそうに違いないのですけれども。


しかし、しかし、です。今や、我々教会人たちが信仰をもって生きていくための基盤としてのこの世の生活そのものが脅かされつつあるという紛れも無い事実を、我々はどのように考えるべきでしょうか。


この場合の「我々教会人たち」とは、牧師ひとりだけではなく、教会役員たち、信徒のみなさんも含みます。会堂建築ブームで教会が抱える借金は膨れ上がり、「自由献金」として始められたものは、やがて各個教会の負担金と化して行く。“増税感”は否めません。我々は観念の中だけで生きているのではないのです。


構造改革・意識改革の必要は、現在の教会の中にこそあるのです。それは教団・教派を越えた課題であると私は考えております。


2007年10月14日日曜日

「異邦人の光」

使徒言行録13・44~52



今日の個所において明らかにされているのは、パウロとバルナバの伝道には“光の面”と“陰の面”があった、または“喜びの側面”と“悲しみの側面”があったということである、と表現できるかもしれません。
どういうことでしょうか。御言葉を読みながらご説明したいと思います。



「次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群集を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」



伝道における“光の面”と“陰の面”、あるいは“喜びの側面”と“悲しみの側面”とは何なのか。それは、わたしたちがすでに、十分に味わい尽くしていることです。



それは何なのか。神の御言葉を宣べ伝えるわざは、たとえそれを教会と説教者とがどれほど力強く熱心に、あるいは念入りかつ用意周到に行ったとしても、そこで必ず、信じて受け入れる人々と同時に、信じることも受け入れることもしない人々が現われる、ということと関係があります。



それどころか、教会と説教者が神の御言葉を宣べ伝えるわざを行うことに力強く熱心であればあるほど、かえってますます力強く熱心に反対してくる人々が現われると言うべきかもしれません。



先週と先々週、ピシディア州のアンティオキアの会堂(シナゴーグ)で行われたパウロの説教を学びました。その説教を聴いた人々が「次の安息日にも同じことを話してくれるように」(42節)パウロに頼みに来ました。そして次の安息日は、「ほとんど町中の人々」がパウロの説教を聴くために集まってきたというのです。



これはすごいことだ、と思わされます。16世紀の宗教改革者カルヴァンは、使徒言行録13・44の解説として、面白いことではありますが、わたしたちにとっては身につまされる(他人事でない)ことを書いています。



「人々が大勢集まったということによって、次のことが立証される。すなわち、パウロとバルナバとは安息日から安息日までの間を、遊んで暮らしていたのではなく、ふたりが異邦人のために尽した労苦は決して無用ではなかったということだ。というのは、人々の心が非常に立派に導かれたために、皆がもっと十分にその全部を知りたいと願ったからだ」(『新約聖書註解 使徒言行録 上』、益田健次訳、新教出版社、1968年、409頁)。



カルヴァンが書いていることを別の言葉で言い換えると、どうなるか。要するに、主の日ごとに行われる教会の礼拝に集まる人々の人数によって、教会と説教者が(とくに説教者が!)、主の日から主の日までの間を「遊んで暮らしていたかどうか」が分かる、ということです!



これは恐るべき言葉であり、聞くのもつらい言葉ですが、無視することはできません。説教の出来栄えとそれを聴きたいと願い、実際に足を運ぶ人々の人数は、決して無関係ではない、ということです。



しかし、です。これから申し上げることは、ぜひご理解いただきたいところです。それは教会の教師、説教者たちにとっては、説教の準備のための苦労ならば、いくらでもする覚悟があるということです。



少なくともわたしたち改革派教会の教師たちは、礼拝の説教にこの命をかけてきました。他の仕事や働きの面で「がんばれ」と言われても、たいていの教師が不器用で、情けないほど何にもできません。しかし、その分、礼拝の説教に全力を注いで来たのです。



カルヴァンが書いていることも、ぜひそのような意味でご理解いただきたいと願っています。説教の準備のために力を注がないこと。いいかげんで済ましてしまうこと。説教の準備以外の事柄に時間と力を奪われてしまうこと。このことを指して、カルヴァンは、「〔一週間を〕遊んで暮らしていた」と言っているのです。



そして、もう一つ申し上げておきたいことは、説教者たちにとって、説教の準備のための苦労と苦闘、また御言葉に反対する人々が現われること自体は、伝道における“悲しみの側面”ではなく、“喜びの側面”に属することなのだ、ということです。



“悲しみの側面”とは、何のことでしょうか。今申し上げていることは、それは、教会が宣べ伝える神の御言葉を信じないで、反対し、立ち向かってくる人々がいる、ということ自体ではない、ということです。



説教を聴いて反発を感じるとか、意見を述べることは、何の問題もないどころか、当然のことであり、歓迎すべきことです。説教は一方通行であってはなりません。説教も十分な意味で「対話」であり、「コミュニケーション」なのです。



それでは“悲しみの側面”とは何でしょうか。答えを言います。それは、伝道の現場には、必ずと言ってよいほど、パウロたちの前に集まって御言葉を熱心に学ぼうとしている大勢の人々の姿を見て、ひどくねたみ、口汚くののしる、まさしく今日の個所に出てくるユダヤ人たちのような人々が現われることです。



わたしたちの場合でいえば、わたしたちが日曜日ごとに教会に通うことを快く思わず、何とかして邪魔をし、妨害しようとする力の問題です。そのような力が強く働きはじめるとき、わたしたちが痛感することは、伝道における“悲しみの側面”なのです。



神の御言葉の真理を学び尽くすためには非常に長い時間がかかると思います。一回聴くだけで分かるという人はいません。われわれの持っている聖書は、外国語の辞書、あるいは日本の六法全書(市販のもの)は、同じくらいの重さ(重量)です。これをわたしたちは文字どおり一生かけて学んでいくのです。必要なことは“学ぶ”ことです。“知る”とか“感じる”ということ以上です。



聖書を“学ぶ”ためには、間違いなく、多くの時間がかかります。とにかく長く続けること、地上の人生が終わるまで続けること、それが教会生活にとって重要なことなのです。



そのことをぜひ自覚していただきたいのです。反発を感じることは、何の問題もありませんし、むしろ当然のことであり、歓迎されるべきことでさえあります。反発を感じるということは、その人が御言葉を聴いている証拠だからです。聴いていない言葉には、反発を感じることもありません。



教会生活をやめ、御言葉を聴くことをやめてしまうこと、あるいは、何らかの外的な力が働いて“やめさせられること”。



そのような人々の姿を見ることが、教会と説教者にとっていちばんつらいこと、悲しいことなのです。伝道の現場において、それを見なければならない場面がある。それこそが“悲しみの側面”なのです。



「そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。『神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。』」



パウロは、ここでもやはり、少し腹を立てているように読めなくもありません。しかし、パウロたちが語っていることは、ユダヤ人たちに対する“厳粛かつ冷静な抗議”です。



ユダヤ人たちのどの部分に対する抗議なのでしょうか。それはもちろん、その場にいた異邦人たちが神の御言葉を熱心に学ぼうとしているのを妨害してきたことに対して、です。



彼らはなぜ邪魔するのでしょうか。なぜ「口汚くののしる」のでしょうか。異邦人たちの自由に任せたらよいではありませんか。



彼らは、なぜ干渉するのでしょうか。他人のしていることに、やかましく口を出すのでしょうか。「キリスト教だけは絶対にやめなさい」と言いはじめるのでしょうか。全く余計なお世話です。わたしたちの理解の範囲を超えるものがあります。



「『見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。」』異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」



ここでパウロたちは、一つの重大な決心を口にしています。「わたしたちは異邦人の方に行く」。これは、神の御言葉を信じることも受け入れることもしない、あなたがたユダヤ人たちの方ではなく、という意味です。彼らは、実際にそうしました。



そして、御言葉を信じることも受け入れることもしない人々に対し、「足の塵を払い落として」出て行きました。腹いせで行っていることではありません。神の言葉の尊厳を守るために行っていることであると、理解すべきです。



ユダヤ人たちは、ある意味で喜んだと思います。目の上のたんこぶが自分たちの側から「別のところに行く」と言いはじめ、実際にそうしてくれたのですから。



しかし、です。重要なことは、このときパウロたちは、ユダヤ人たちの前から、尻尾を巻いて逃げたわけではないということです。伝道が思うように進まないから、ここで伝道するのはもうやめた、という話ではない、ということです。



この点でパウロは、きわめて戦術家であり、戦略家であったと言うべきです。ローマの信徒への手紙に、次のように書いてあるとおりです。



「ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。・・・わたしは異邦人の使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです」(ローマ11・11~14)。



短くいえば、パウロが異邦人伝道を志した真の理由はユダヤ人の救いのためであった、ということです。パウロの願いは、異邦人が先に救われ、喜びの人生を送りはじめることによって、その姿を見るユダヤ人の心の中に「ねたみ」が起こることでした。「あの人々があんなに喜んで生きているには何らかの理由があるに違いない」。キリスト者の姿を見て、そのように思い、キリスト教会に通いはじめる人々が多く起こされることを願いました。それこそが、パウロの異邦人伝道の真の目的であり、動機だったのです。



なんと“壮大な”話でしょうか。これは、間違いなく“途方もない回り道”の話です。自分の家族のだれかが、信仰を受け入れてくれない。その人を何とかして信仰に導くために、隣近所の人々をまず先に導き、その人々自身が心から喜んで信仰生活を送っている姿を(信仰を受け入れない)自分の家族に見てもらい、信仰生活を始めるかどうかを考えてもらうのだ、と言っているようなものです。



伝道とはまさにそのようなものであると申し上げておきます。わたしたちが聖書を学ぶために一生の時間が必要であるように、教会の伝道にもとてつもない時間がかかるのです。



しかしそれは伝道における“陰の面”ではなく“光の面”です。伝道に時間をかけないこと、地道でないこと、すぐに目に見える成果を求めて挫折してしまうことが“陰の面”なのです。



(2007年10月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年10月7日日曜日

「復活の命の力」

使徒言行録13・26~43



今日の個所に記されているのは、パウロの説教です。パウロの説教のうち、聖書の中で読むことができる最古のものです。ただし、今日は途中から読みました。



これは、ピシディア州のアンティオキアという町の会堂(シナゴーグ)での安息日礼拝において行われた説教です。説教の前に「律法と預言者の書」、つまり(旧約)聖書が朗読されました。そして、会堂長の使いがパウロたちのところに来て、「兄弟たち、何か会衆のために、励ましのお言葉があれば、話してください」と彼らに伝え、その願いに応じる形でパウロが立ち上がり、この説教を語り始めたのです(13・14~15)。



ですから、ここで重要と思われるのは、このパウロの説教は「そのとき会堂に集まっていた会衆を励ますために語られた言葉」であるという点です。



そもそもすべての説教はそのようなものである、と言うべきかもしれません。説教は、目の前にいてくださる方々のために語られるものです。そしてまた、すべての説教は目の前にいてくださる人々を「励ます」ためのものです。説教が励ましの言葉になっていないとしたら、どこかに根本的な間違いがあるのだと、説教者たちは強く自戒すべきです。



さて、このパウロの説教は、皆さんにとってどのようなものでしょうか。先ほどすでに一度読みました。第一印象は、実はとても重要です。私自身は、このパウロの説教は必ずしも分かりやすい話ではないと感じました。かなり難しい説教である。一度聴いただけでは、さっぱり分からない。そのように感じました。皆さんは、いかがでしょうか。



42節に、このパウロの説教を実際に聴いた人々が、「次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」とあります。この人々はパウロの説教がとても素晴らしいと思ったので、このようにお願いしているのでしょうか。もちろんその面もあるだろうと思います。しかし、ちょっと引っかかるのは、なぜ「同じ話」なのかという点です。



44節に明らかにされていることは、「次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」ということです。これで分かることは、今週パウロの説教を聴いた人々が、来週には、たくさんの人を誘って一緒に聴きに来た、ということです。良い説教ができたときには、来週も同じ説教をする、というのは、悪くない方法かもしれません。



しかし、です。この人々が、なぜ次の安息日にも「同じ話」を要求したのかという点で、もう一つ考えられることがあります。それは、やはり、この説教は一度聴いたくらいでは十分に分からなかった、ということではないだろうか、ということです。



ただし、です。もう一つ感じた印象は、いくらかパウロを弁護するものです。この説教を聴いていた人々は、(旧約)聖書についての知識を非常に豊富にもっている人々であったに違いないということです。このあたりはわたしたちとはいくらか違う点かもしれません。



実際、この説教の冒頭(16節)でも、26節でも、パウロはこの説教を聴いている人々を「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」(16節)、「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」(26節)と呼んでいます。



これで分かることは、外国に住むユダヤ人たちは、安息日ごとに会堂に集まって(旧約)聖書を一生懸命に勉強していたに違いないということです。一を聞けば十を知るほどまでに。だからこそパウロは、(旧約)聖書の出エジプト記のモーセたちの四十年の荒れ野の旅からサムエル記のダビデ王の着任までのほとんど千年分くらいの話を、短い言葉で一気に語りきることができたのです。



そして、「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです」(23節)とパウロは語ります。このように語ることによって、パウロは、キリスト教会のかしらなる救い主イエス・キリストと(旧約)聖書との歴史的なつながりを明確にしているのです。モーセも、ダビデも、すべてキリスト教会のかしらなる救い主イエス・キリストと歴史的には明らかにつながっているし、彼らこそがイエス・キリストの道備えをしてきたのである、と語っているのです。



つまり、パウロがこの説教の中で最初に強調しているのは、(旧約)聖書とキリスト教会の連続性の要素です。さらに言えば、(旧約)聖書とエルサレム神殿を中心に据えるユダヤ教団の存在とキリスト教会との連続性の要素も強調されていると考えてよいでしょう。



しかし、です。あるいは、だからこそ、です。歴史的に見れば明らかに連続していると語りうる二つの存在、すなわち、旧約聖書とキリスト教会、ないしエルサレム神殿の宗教とイエス・キリストの宗教、その両者の関係を理解できない、受け入れようとしないその人々は、あのエルサレムに住む人々であり、その指導者たちである、とパウロは明言しています。そして、その人々が、イエス・キリストを罪に定め、死刑にした、ということを明らかにしています。



「『兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。』」



ただし、です。重要と思うことを付け加えておきます。それは、これはパウロの説教である、ということです。どういうことか。パウロという人は、イエス・キリストが十字架にかけられたときにはまだ、(パウロ自身の言葉を借りて言えば)「エルサレムに住む人々やその指導者たち」の側に立っていた人である、ということです。この点が忘れられてはならないのです!



パウロは、そのような自分の過去などは全く忘れ去ってしまって、今ではもうすっかりイエス・キリストとキリスト教会の側に立ってしまった上で、エルサレムに住むあの連中が悪い、全くひどい連中だと、まるで他人事のように、知らん顔して、相手方を一方的に責め立てているのでしょうか。そんなふうにパウロの説教を聴いたり、あるいは読んだりしてよいでしょうか。それは違うと、私は思います。



パウロは、この説教を語りながら、胸の痛みを感じていたと思います。キリキリ痛んでいた。パウロは、そういう人です。パウロが自分の心の痛みを告白していることで有名なのはローマの信徒への手紙9・1以下です。その個所にパウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります」(ローマ9・2)と書いています。「肉による同胞」であり、「兄弟」であるユダヤ人たちのことで胸が痛いと言っています。パウロにとってユダヤ人たちのことは他人事ではなかったからです!



この「他人事でないと感じること」、胸がキリキリ痛むこと、このあたりがどうも、先週の説教の中で私が触れました、伝道者パウロの“怒りっぽさ”という点と大いに関係あると思われてなりません。



パウロの目から見るとイエス・キリストを受け入れようとしないユダヤ人たちの姿は、ついこのあいだまで自分自身もそうであった姿に見えたことでしょう。パウロからすると、自分自身がかつて、いや、ついこのあいだまでそのような者であっただけに、しかし今は、全く違う者へと造りかえられたと感じるほどに、わたしはイエス・キリストの側に立っている、と実感できる人間になっているゆえに、イエス・キリストを受け入れないユダヤ人たちの姿を見れば見るほど、イライラするような感覚にとらわれたのではないでしょうか。



私は今、パウロが怒ったりイライラしたりすることが良いことだと言っているわけではありません。申し上げたいことは、パウロの怒りや苛立ちには、明らかに理由があったということだけです。イエス・キリストを受け入れないユダヤ人たちの姿に、かつての自分自身の姿を見いだしていたに違いないのです。



伝道者パウロの怒りには、悪い側面ももちろんあります。しかしまたそれは、パウロを伝道へと押し出す力、パウロをして「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(一コリント9・16)と言わしめた力(爆発力!)の源にもなっていたのではないかと見ることができるかもしれません。



「『しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。(中略)ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。』」



この説教の後半部分、すなわち、話題の中心にあることは怒りでも裁きでもありません。今ここで御言葉を語っているパウロは、怒りに任せて相手を怒鳴りつけるようなパウロではありません。イエス・キリストにおける救いの事実を告げ知らせる福音の使者、慰めと励ましの説教者です。



そして、この説教の中心にあるのは、イエス・キリストは死者の中から復活された、ということです。



イエス・キリストの復活が、なぜ「励まし」なのでしょうか。死者がよみがえることが、なぜ喜びの知らせなのでしょうか。パウロが挙げている理由は大きく分けて二つあります。



第一は、主なる神は、救い主イエス・キリストを死者の中から復活させてくださること、すなわち、「朽ち果てるままにしておかれないこと」によって、ダビデの子孫たち、神の民イスラエルに属する人々に対する「約束」を守ってくださった、ということです。



言葉を変えて言えば、天地の造り主なる神は、御自身の民との間にお立てになる約束に対して、どこまでも忠実であり続けてくださる方である、ということです。



約束を守り抜いてくださる方は、信頼できる方です。約束を破る人は、信頼されません。この単純な真理において、「神さまは永遠に信頼しうるお方である」と示すことにおいて、パウロは、人々を励ます言葉を語っているのです。



第二は、神が復活させてくださった救い主、イエス・キリストによる罪の赦しの恵みは、永久に有効であるということです。「朽ち果てる存在」が提供する罪の赦しの恵みなるものがたとえあるとしても、それは、その存在が朽ち果てると同時に、効力を失うのです。



しかし、そうではない。イエス・キリストは、永遠に生きておられるのです。



その方の救いのみわざ、罪の赦しの恵みは、いつまでも朽ちることも変わることもない無限の力を持っているのです!



(2007年10月7日、松戸小金原教会主日礼拝)