2007年7月29日日曜日

イエス・キリストがいやしてくださる

使徒言行録9・32~43

今日の個所に登場する伝道者は、使徒ペトロです。描かれているのは、ペトロが伝道者として働いている具体的な様子です。

ペトロは「方々を巡り歩いて」いました。要するに、歩いていました。しかし、ただ歩いていただけではなく、同時にしていたことがあります。それは「会いに行くこと」と「言葉を語ること」、そして「病気をいやすこと」または「死人をよみがえらせること」でした。それがペトロの仕事でした。

「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、『アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい』と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。」

アイネアは男性の名前です。8年前から中風の病気にかかっていました。それが重い病気であったことは間違いありません。

ただ、新共同訳聖書を読むだけではよく分からない点があります。それは、アイネアが、ペトロがリダに来る前からキリスト者だったかどうかという点です。

問題は「そしてそこで」の意味です。この「そこで」がリダという町の名前だけにかかっているのか、それとも「リダに住んでいる聖なる者たちのところ」という部分の全体にかかっているのかです。

「聖なる者たち」の意味は、ここでは間違いなくキリスト者を指しています。同じ意味の「聖なる者たち」という言葉が、ダマスコのアナニアの祈りの言葉の中に出てきます。

「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました」(9・13)。

サウロが悪事を働いた相手とはキリスト者のことです。「聖なる者たち」とはキリスト者のことです。

リダに住んでいた「聖なる者たち」も、キリスト者です。キリスト者の中に特別に聖なる人がいるというような話ではなく、キリスト者すべてが「聖なる者たち」と呼ばれていたのです。

しかし、これだけではよく分からないのは、ペトロが行った「そこ」とは「リダ」のことなのか、それとも「聖なる者たちのところ」なのかという点です。ただし、それが不明なのは、新共同訳聖書のせいではなく、原文のせいです。原文自体がどちらとも取れるように書かれています。

一つの点にこだわりすぎたかもしれません。しかし、これは実際の場面では非常に重要な問題になりえます。どういう問題になるかをよく考えてみていただきたいのです。それは、わたしたちにとって実は非常に身近な問題でもあるはずです。

第一の可能性は、アイネアはすでに「キリスト者」だったということです。彼はペトロに出会う前からすでにキリスト教信仰を告白していたし、教会生活を送っていました。

信仰者であるということは、教会に通っていた人であるという意味にもなります。教会には通っていないが信仰はあるという話は、今日では無視することができませんが、当時はそういう話にはなりません。信仰生活と教会生活はイコールであったと考えるべきです。

だからこそ、ペトロは、キリスト者であるアイネアのもとに行きました。ペトロは信仰によってアイネアをいやすことができましたし、アイネア自身も、彼自身がもともと持っていた信仰のおかげでペトロの言葉を素直に聞くことができたので、病気を克服することができました、というような流れで、この話を理解することができるでしょう。

しかし、第二の可能性もありえます。アイネアはペトロがリダに来る前は「キリスト者」ではなかったという可能性です。

彼はまだキリスト教の信仰を告白していなかったし、教会生活も送っていませんでした。ペトロはまだ信仰を持っていないアイネアのもとに行きました。そして言葉を語ります。「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」。

このペトロの言葉によってアイネアの心の目が初めて開け、信仰が与えられ、またそれと同時に、いやしが起こりました。アイネアにもともと信仰がなかったという場合は、そのように、つまり、信仰といやしは同時に起こったこととして、あるいは同じ事柄の二つの側面であるかのように、理解することができるようになるでしょう。

ここで「どちらでもよいことだ」と言ってしまうとしたらかなり乱暴な感じになります。どちらであるかということが、わたしたちにとっては大きな問題となりうるからです。

事情は次のとおりです。特に問題の影響が大きいと思われるのは第二の可能性を想定する場合です。

ペトロは、まだ信仰を持っていない人のところに行って「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる」と言ったのだとしたら、ペトロがアイネアの病床でしていることは、全く事実上の伝道です。

しかし、第一の可能性である場合は、ペトロが病気のアイネアの前でしていることを伝道と呼ぶことはできません。伝道の第一義は、まだ信じていない人を信仰へ導くことだからです。

ペトロとしては、病床で伝道しているわけではない。それ以前からキリスト教信仰を持っていたアイネアに対し、病気の中でおそらくいろんな意味で気落ちし、不安に思っていたであろうアイネアの心の中にその信仰を呼び起こすために、励ましの言葉をかけている、と理解することができるでしょう。

私にとって気になることは、まだ信仰を持っていない人々にとって病気のときに「枕元で伝道されること」が本当に良いのかどうかです。もっと(ある意味で)分かりやすい言い方をするとしたら、元気のない人を元気づけるために「枕元で宗教の勧誘をすること」が果たして良いことなのかどうか、です。

そういうやり方はちょっと意地悪な人々から「教会が弱い人々の弱みにつけこんでいる」というふうに見られても仕方ないのではないでしょうか。そういうふうに見られるかもしれないということをわたしたちは大いに気にする必要があると、私は考えております。

「そんなのは見る人の勝手である」とか、「そう思いたい人には思わせておけばよい」と乱暴に言って済ますわけにはいかない、深く重大な問題が潜んでいるように思われてなりません。どちらとも取れる書き方をしているのは原文ですから、どちらの読み方が正しいと断言することができないのが残念です。

しかし私は、第一の可能性のほうを選びたいと思います。ペトロは枕元で伝道したわけではありません。相手の弱みにつけこもうとしていたわけではありません。すでに信じている人を、その信仰によって励まそうとしたのです。そして、アイネアは実際に励ましを与えられ、立ち上がる力を得るほどに、全くいやされたのです。

そして、いやされ、立ち上がることができたアイネアの姿が、彼のことを知る多くの人々の前で良き証しになり、あのアイネアが信じている神を、このわたしも信じたいと思う人々が現れました。

つまり、そこで起こったことは、ペトロが病気のアイネアに伝道し、それによって病気のいやしの奇跡が起こった、ということではない。むしろ、信仰者アイネアが、ペトロの励ましの言葉によって力をえ、アイネアを知る多くの人々に対して、アイネア自身が伝道したのです。信仰の証しが、人々の心を揺り動かしたのです。

ペトロの働きは続きます。リダの次はヤッファという町に行きました。そして、その町で「タビタ」とか「ドルカス」と呼ばれていた一人の女性のところに行ったのです。

「ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち『かもしか』――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、『急いでわたしたちのところへ来てください』と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。」

ここにはっきりと書かれていることは、タビタは「弟子」であった、ということです。つまり、タビタもキリスト者であり、キリストの弟子であった、ということです。

ペトロがヤッファに行ったとき、タビタはすでに死んでいたということですが、だからこそ言えることは、ここに書いてあるタビタが行っていた「たくさんの善い行いや施し」とは、タビタにとっては、 “キリスト教信仰に基づいて” というはっきりとした自覚をもって行っていたことである、ということです。

区別の面をあまり強調しすぎるのは良くないことかもしれません。しかし、どうしても言わざるをえないことは、タビタの善行や慈善は、信仰を抜きにした博愛主義であるとか人道主義ということだけでは説明がつかないものであっただろう、ということです。

ですから、そこからまた考えられることは、ペトロがヤッファに到着したときにペトロの周りに集まってきた「やもめたち」もまた、その多くがタビタと同じヤッファの教会に通っていた信仰者たちだったのではないかということであり、またそこに何人かの求道者(未信者)も含まれていた、というような事情ではなかっただろうか、ということです。

当時の教会は一つの執事的使命として、戦争や病気でご主人を失った女性たちを助ける働きをしていたことが知られています。「やもめたち」は、泣きながらタビタ(ドルカス)が作ってくれた下着や上着をペトロに見せた、とあります。教会の執事的な働きの中で、タビタ(ドルカス)の才能が如何なく発揮され、大いに用いられたのです。

彼女はおそらく、裁縫が上手だったのです。贅沢なものを買ってきたり、それを着たりするのではなく(私は今、そうすることが悪いと言っているのではありません)、ぼろぎれではないと思いますが、布のきれっぱしのようなものを集めてきて、それを服にしたのではないか、というようなことが考えられます。

その手作りの服をみんなが大事にした。「これはドルカスが作ってくれたものなんです!ドルカスが作ってくれたものなんです!」ということを、みんなが覚えていて、感謝していて、大事にしていた様子が伝わってきます。本当に愛された女性だったに違いない。

しかし、その人が死んでしまった。ヤッファ教会は、タビタを失った悲しみの中にいた。教会の中で重要な存在は、男性も、女性も、です。けれどもまた、女性の働きがしばしば非常に重要です。そして、ペトロが訪ねたとき、教会の大きな柱が倒れてしまったのではないかというほどの衝撃を受けていたのではないかと思われるのです。

「ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。」

その悲しみと衝撃の中にあったヤッファ教会を、主が憐れんでくださいました。

タビタを復活させてくださったのです!

みんなが大好きな女性タビタを、です!

教会の中で本当に愛された女性を、です!

主は、彼らの手に返してくださったのです!

そして「タビタ」は、教会の中で永遠に生き続けているのです。

(2007年7月29日、松戸小金原教会主日礼拝)


2007年7月22日日曜日

「信 頼」

使徒言行録9・23~31



今日の聖書の個所には、サウロの回心に関係している記事が、もう少し続いています。ここに書いてあることを短い言葉でまとめて言うとしたら、サウロの回心後にどうしても越えなければならなかった高いハードルを越えることができた、その瞬間の出来事である、と表現できるでしょう。



「高いハードル」とは何か。キリスト教の熱心な迫害者であったサウロが、回心した。今度はキリスト教の熱心な伝道者になった。そのあまりにも大きすぎる、まさに文字通り百八十度の方向転換がサウロの身に起こったのだということを、周りの人々が、とりわけ教会の人々が、なかなか信用してくれなかった。その意味での信用ないし信頼のハードルです。



そのハードルを、サウロは乗り越えることができたのです。それは、ある意味で、回心の出来事そのもの以上に感動的な出来事です。



「かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。」



サウロは回心した後、ダマスコのアナニアのもとで、しばらくの時間を過ごしました。そこで何をしていたのかは詳しく書かれていませんが、当然考えてよいであろうことは、キリスト教信仰の手ほどきを受けたのではないか、ということです。



サウロは律法学者の卵でしたので、(旧約)聖書については、高い学問的レベルの研究をしてきたはずです。しかし、それは、もちろんユダヤ教的な聖書の読み方でした。



わたしたちの時代にも、同じこの聖書を読んでいると言いながら全く異なる立場や異端的な立場から聖書を読んでいる人々がいます。聖書はどういう読み方をしてもよいというものではありません。わたしたちが信頼を置いているのは、聖書のキリスト教的な読み方です。



サウロは、聖書のことならなんでもよく知っているつもりでした。しかし、回心した。そのとき、これまでわたしは聖書の読み方を根本的に間違っていたと感じたに違いありません。サウロは、アナニアのもとで、聖書を最初から全く新しく読み直し、それによってキリスト教信仰を学んだのではないかと、想像できます。



ところが、サウロがアナニアのもとにいるという情報が、どのような経緯でかは分かりませんが、ユダヤ教関係者に漏れてしまいました。そして、裏切り者サウロを殺せという指令まで出ました。



そしてその情報を、今度はサウロの側が知るに至りました。どの人もこの人も口が軽いのか、何なのか、事情はよく分かりませんが、お互いの情報が筒抜け状態であったことが、なんとなく伝わってきます。



そして、サウロ暗殺の実行部隊が、ついに動き出しました。サウロの動きを、夜も昼も見張っていた。しかし、サウロは「弟子たち」の助けを得て、逃走することに成功したのです。



興味を引くのは、サウロに「弟子たち」がいた、という点です。ダマスコのアナニアのもとにサウロと一緒にキリスト教信仰を学んでいた人々であると思われます。新しい信仰を一緒に学んでいるサウロの姿を見て「この人は信頼できる」と感じることができた人々ではないでしょうか。



近くにいると、それが分かる。この人は安心して共に歩むことができる人であるということが分かる。サウロはそのような信頼を得ることができ、新しい信頼関係を築いていくことができる人であった、その証拠がここにある、と言ってよいでしょう。



ところが、そのサウロの前に先ほどの「高いハードル」が現れました。それは、要するに、サウロのことを遠くから見ている人々でした。具体的には、エルサレム教会の人々でした。物理的な距離だけではなく、精神的な距離が、遠い。まだ一度も会ったこともないし、話したこともない。ただ、噂や伝聞で「サウロというあの人は、信用できない人間である」と伝わっている。殺人鬼や悪魔のような姿を想像されている。しかし、それはまた、明らかに“根も葉もある”噂であり、伝聞でもあったわけです。そして、その上で、やや過剰なまでの誤解や偏見が混ざっていた可能性も考えられるわけです。



しかも、サウロにとっての大きな問題は、エルサレム教会の人々が実際に会ってくれるかどうかというものだったことも明らかです。「あのサウロという人は、教会の人々をさんざんひどい目に遭わせ、傷つけた。今さら何を言っても無駄である。そんな人においそれと会うわけには行かない。どうかお引き取り願いたい」と、丁重かつ慇懃に断られる可能性も十分にありました。



そのような人々に会いに行く。きちんと頭を下げて謝ることも必要です。そして、その上で、その人々に受け容れてもらい、教会の新しい仲間に加えてもらわなければならない。それこそが、サウロの越えなければならなかった「高いハードル」でした。



もしわたしたちがサウロの立場だったらどうだろうか、と考えてみることが重要です。その「高いハードル」を越えることができるでしょうか。



「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」



ここに書いてあることから分かることは、さすがのサウロも彼自身の力や技量だけではエルサレム教会のすべての人たちの信頼を勝ち取ることができなかったのだ、ということです。



それでは、このサウロは、どのような方法で「高いハードル」を越えることができたのでしょうか。それは次のような方法でした。すなわち、要するに、サウロを助けてくれる人が現れたのだ、ということです。



それは、バルナバという人でした。本名はヨセフでした、使徒言行録のこれまでの話の中に一回だけ登場しています。「レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――『慰めの子』という意味――と呼ばれていた、キプロス島のヨセフ」(4・36)とあるとおりです。



「バルナバ」はニックネームでした。「慰めの子」という意味である、と書かれていることから想像できるのは、この人はとにかく優しくて、温かみがあって、人当たりが良くて、ひょっとしたらちょっと人懐っこいようなところもあって、性格が良い。人格的にも尊敬できる。そんな感じの人ではないでしょうか。



そして実際のバルナバは、そのとおりの人だった、ということが、使徒言行録のこの後の展開の中で次第に明らかにされていきます。このバルナバは、初代教会の中できわめて大きくかつ重要な役割を果たします。それは何か。サウロ(パウロ!)と共に、サウロを助けて、世界宣教旅行に出かける、唯一無二のパートナーになっていくのです!



ただし、です。ちょっと残念なことに、この二人は、ある一つの出来事がきっかけで、大喧嘩になり、ある時点から別々の道を歩むことになってしまいました。しかしそれまでの二人は、お互いを非常に信頼しあっていました。また、お互いを慕っていたとも思われます。そして、その大喧嘩そのものも、個人的な感情のもつれとか、好きだの嫌いだのという次元に原因があったわけではなく、教会の宣教の使命と方針をめぐっての意見の対立であり、それは仕事や考え方の上での対立なのであって、その意味では、“尊重されるべき喧嘩”(?)でもあった、と言うべきものなのです。



しかし、バルナバのことについて先回りしていろいろお話しするのは、やめておきます。この個所で重要なことは、サウロとバルナバの最初の出会いの場面での出来事です。



エルサレム教会の中のまだ誰もサウロのことを信用してくれなかったときに、誰よりも真っ先に、バルナバが信用してくれた。バルナバがサウロの話を親身になって聞いてくれ、そして使徒たちや教会の他の人々との仲を取り持ってくれた。仲介役を買って出てくれた。そのバルナバのおかげで、サウロは、エルサレム教会の人々から信頼されるようになり、まさに「高いハードル」を越えることができた。それは、おそらくわたしたち一人の人間が一生の間に越えなければならないハードルの中では、最も高いかもしれないものです。それをサウロは、バルナバに手を引かれて(!)、飛び越えることができたのです!



こういう人が教会の中に、あるいは、わたしたちの人生の中に現れてくれるとしたら、なんと得がたい恵みであるかと思わずにはいられません。それは、反対側から考えてみると良く分かることではないでしょうか。もしサウロの前にバルナバが現れてくれなかったとしたら、おそらくサウロは、いまだに(!)エルサレム教会の門の前を行ったり来たり、うろちょろし続けていることでしょう。結局その門をくぐることができない。一人の人間の力の限界がそこにあると言えるのではないでしょうか。



これはおそらく、最近わたしたちの教会の仲間に加わってくださった方々には、記憶に新しいところであると思います。教会の仲間に加わるということは、言うならば、いまだかつて体験したことがないような全く新しい人間関係の中に入っていくことを意味しています。それは、イエス・キリストにおける救いの恵みに基づく罪の赦しに生かされる人間関係です。



そして、おそらくそのような全く新しい人間関係の中に入っていくときに、わたしたちに必要なものは、いささかの勇気です。まさにその勇気をもらう必要がある。そのために、手をつないで一緒に入ってくれ、いろいろと助け舟を出してくれる導き手が必要である、ということです。



それが、わたしたちにとっては、たとえば、両親あるいは片方の親である場合もあるでしょう。あるいは、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚、兄弟。友人たち。自分の子どものほうが先に洗礼を受けて、教会の仲間に加わっていた、という方もおられるでしょう。牧師や牧師夫人がバルナバの役目を買って出てくれた、というケースもあるでしょう。



「そういう人が、私には誰もいなかった」と思っている方もおられるかもしれません。しかし、もう少しよくよく思い出してみていただきますと、次のようなことがあったのではないでしょうか。初めて教会の門をくぐったときに受付にいた、あの執事さんから親切な声をかけてもらった。帰りがけに、あの長老さんから優しく声をかけてもらった。隣にいたあの人が親切にしてくれた。



そのようないわばほんの小さなことが、大きな安心感につながり、「よし、これから教会生活を始めてみよう!」と決心するきっかけになった。そういうことは、なかったでしょうか。



教会が何か恩着せがましいことを言いたいわけではありません。私が申し上げたいことは、わたしたちが信仰に導かれ、教会生活を始めるときには、ほとんど間違いなくそこに必ず人間(ひと)が介在しているのだ、ということだけです。人間(ひと)の存在が重要なのだ、ということです。そのことに、ぜひともお気づきいただきたいのです。



そして、もう一つ申し上げておきたいことは、今度は、わたしたち自身が、「サウロ」を教会に導く「バルナバ」の役目を果たす番である、ということです。



「このわたしのことを教会は受け容れてくれるだろうか」と、不安な思いを抱きながら、教会の門の前を行ったり来たりしている「サウロ」を、です。



今度は、わたしたちが「バルナバ」になって、教会に受け容れるのです。



それが、わたしたちの役割なのです。



(2007年7月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年7月8日日曜日

「苦しみの器」

使徒言行録9・10~22



先週の個所で、熱心なキリスト教迫害者であったサウロの身に、突然の出来事が襲いかかりました。サウロに襲いかかって来たのは、光と声でした。その正体は何なのかということはすぐに分かりました。それは、現実に生きておられるイエス・キリストの現実の存在と、現実の声でした。



その光と声に接したサウロは、おそらく震え上がったのです。恐ろしかったし、何より驚いたのです。恐怖と驚きのあまり、目が見えなくなり、食べ物も飲み物も喉を通らなくなってしまったのです。



大きなショックを受けた人は、本当にそのようになります。皆さんはよくご存じのことと思いますが、人間の心というのは、それほど強くありません。大きなショックはできるだけ受けないほうがよいと思います。その反応は、多かれ少なかれ体にも必ず出てくると言ってよいでしょう。



ただし、です。今言ったことをすぐに否定するようなことを言いますが、サウロの場合に限っては、大きなショックを受ける必要があった、と言わなければならないかもしれません。なぜなら、サウロは、繰り返し申し上げておりますとおり、熱心なキリスト教迫害者であったからです。



熱心さというのは、しばしば、くせものです。人が何かに夢中になっているときには、周りの人々の姿が目に入っていません。自分の関心と、自分の確信に、どこまでも忠実であろうとします。まさに猪突猛進の状態。その人の姿は、イノシシに似ています。



過度に夢中な状態になっている人は、やはり危険な存在であると言わねばなりません。熱心にキリスト教を迫害することこそが神の御心にかなって正しいことであると、サウロは確信していました。宗教的な確信を持っていました。この確信、この熱心さが、サウロの心を狂気にかりたてたのです。



イノシシがわたしたちのほうに向かって走ってくる場面を想像してみたらよいのです。怖いです。身の危険を感じます。止めるには、何とかしてひっくり返してしまうしかありません。非常に大きなショックを与えて、打ち倒してしまうしかないのです。



はっきり言わざるをえないことは、サウロはまさにその場で打ち倒される必要があったのだということです。キリスト者たちを迫害することに夢中になっている人がいる。その人に対しては、大きなショックを与えて倒してしまう必要があったのです。そのことを、現実に生きておられるイエスさま御自身がサウロに対して行ってくださったのだ、というふうに、先週の個所を読むことができます。



しかし、です。イエスさまがサウロの前に現れてくださった目的はもっと先にある、ということです。イエスさまの目的は、夢中になってキリスト者を迫害していたサウロを、今度は、夢中になってイエス・キリストの福音を宣べ伝える伝道者にすることです。



そのためにイエスさまはサウロに大きなショックをお与えになったのです。背負い投げ一本をお決めになったのです。サウロは、その場で仰向けに倒れされてしまったのです。



ただし、です。今日の個所を読みますと、イエスさまというお方はなんとお優しい方かということが、よく分かります。イエスさまがなさったことは、いわば御自分でショックを与えて完全に打ち倒してしまわれたサウロを、しかし、そのままに放置されたわけではなく、すぐにも助けおこして、今度は、大きなショックを受けてふさぎこんでいるサウロを慰め、励まし、いたわってくださった。心のケアをしてくださった、ということです。



そのためのサウロの“カウンセラー”として、イエスさまに選ばれたのが、ダマスコの町に住んでいたアナニアという人でした。このアナニアは「弟子」、つまり、キリスト者でした。アナニアがサウロに対して行ったことは、事実上の「キリスト教カウンセリング」であった、ということです。



「ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った。すると、主は言われた。『立って、「直線通り」と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。』しかし、アナニアは答えた。『主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。』」



このアナニアとイエスさまのやりとりから分かることがあります。それは、アナニアはイエスさまからサウロのところに行くように命ぜられる前から、サウロの存在と彼がこれまでしてきたことを、よく知っていた、ということです。



それは、サウロがエルサレムでどんな悪事を働いたかを「大勢の人から聞きました」と言っているとおりです。あるいはまた、サウロがキリスト者を逮捕してもよいという権限を祭司長たちから受けていたことも、アナニアは知っています。



この点で私が申し上げたいことは、アナニアはいわゆる超能力者だとか占い師のような存在ではない、ということです。サウロの存在は、あらかじめ知っていました。おそらく関心も持っていました。あの人がこの先どうなっていくのかと心配してもいたのではないかと思われます。



サウロのほうは、アナニアのことを知らなかったかもしれません。ここを読むかぎり、そのような気がします。しかし、こういうことがある、ということを、覚えておくほうがよいと思います。それは、わたしのことを、わたしはまだ知らない人が関心を持っていることがありうる、ということです。



これはぜひ悪い意味で受けとらないでいただきたいところです。わたしはまだ知らない人からわたしのことが知られている、と言いますと、気持ち悪い話のようでもあります。そういう気持ち悪いケースも、実際にはあるでしょう。しかしたとえば、わたしたちが、少し責任ある立場に立つとか、人前に出ざるをえない仕事に就く、というような場合に、わたしの知らない人たちから知られているし、関心を持たれている、ということは十分に起こりうることになるでしょう。



牧師だっていわばそのケースに当てはまります。わたしはまだ一度も話したこともない人が、わたしのことをよく知っていたりすることがあります。それを気持ち悪いと考えるべきではないでしょう。知っていただけるのは、ありがたいことです。



たとえば、一昨年の夏休みにある教会の礼拝に出席しましたところ、まだ教会から距離があるところで、「関口先生、おはようございます!」と、まだ名前もお顔も存じない方々から、声をかけられました。悪いことはできないな、と思いました。



サウロも、キリスト者たちの中では、すでにいわば有名人でした。われわれを迫害する、あの凶暴な人間。そのことを知らないキリスト者は当時いなかったのではないでしょうか。そして、実際、そのことがアナニアにとって大きな問題となりました。アナニアとイエスさまのやりとりから分かるもう一つのことは、アナニアは明らかにサウロのところに行くのを嫌がった、ということです。



アナニアとしては、あの人がエルサレムでどんな悪事を働いたのか、イエスさま、あなたはよくご存じでしょう、と言いたかったのです。サウロが暴力を働いた人々の中には、アナニアのよく知っている人、たとえば、家族や友人たちさえいたかもしれません。



サウロ自身がキリスト者を殺したかどうかについては、聖書の中にはっきりと書かれてはいませんので、はっきりしたことは言えません。しかし、殺さなかったとしても、少なくとも間違いなく、暴力は働きました。本当にひどい目に合わせました。



あのような暴力団、あのようなテロリスト、あのような極悪人。あんな人のところに、イエスさま、わたしがどうして行かなければならないのですか、冗談じゃありません、とアナニアが言っているように読めるのです。



教会の伝道には、このような次元があることを、わたしたちは知っています。それは、行きたくないところに行く、という次元です。会いたくない人のところに会いに行く、という次元です。最初から話が通じる、和気藹々と歓談できて、意思疎通がうまく行くような相手ならば、伝道する必要はないかもしれません。



話が通じそうにない、面倒くさい、嫌な思いを味わうことがほとんど初めから分かっているような人々のところにこそ行く。想像するだけでうんざりしますが、それが伝道なのだと、牧師になりたての頃に先輩から教え込まれました。まだ体はなかなか動きませんが。



しかしまた、アナニアの場合、サウロのところに行って、サウロに直接会い、話をすることは、ただ会いたくないとか、面倒くさいというだけでは済まされない、いわばもっと深い次元の問題があったと思われます。それは、迫害者の罪を赦せるか、という問題です。教会を侮辱し、破壊しようとした、あの人の罪を赦せるかという問題です。



「すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人たちや王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。」



アナニアは、イエスさまのご命令どおり、サウロのもとに行きました。行くことだけで、会うことだけで苦痛であった相手のところに、しかし、主のご命令ゆえに、行きました。



しかし、だからこそ言いうることは、キリスト者であるアナニアがサウロのもとに行くこと、会うこと、それ自体が、サウロの罪を赦す行為そのものであった、ということです。「兄弟サウル」と、アナニアは、はっきり言いました。「主イエスが、〔あなたのもとに〕わたしをお遣わしになった」とも言いました。



「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」とおっしゃったイエスさま御自身が、アナニアのカウンセリングを通して、サウロを「兄弟」として受け入れてくださり、またサウロの罪を赦してくださったのです!



イエスさまがおっしゃっている、サウロが味わうべき「わたし(イエス・キリスト)の名のために苦しむこと」の内容は何でしょうか。少なくともその一つのことだけは明らかです。それは、サウロにとってのキリスト教は、かつては迫害し、毛嫌いしたものだった、ということです。それをこれからは宣べ伝えていく。宣べ伝える相手の中には、サウロがかつてキリスト教に対してどのような態度をとっていたかをよく知っている人々もいます。



あの男は、前に言っていたことと今言っていることとがまるで違う。信用できない人間である。そのようなそしりを受けることを避けがたい、ということです。



言葉を用いて仕事をする者たちにとって最もつらいことは、自分の語る言葉を信用してもらえないことなのです。



(2007年7月8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年7月1日日曜日

「迫害者の回心」

使徒言行録9・1~9



使徒言行録は、今日の個所から新しい内容を記していきます。中心的な登場人物の名前は、サウロです。このサウロが後のパウロです。新約聖書に非常に多くの手紙を残した、あの使徒パウロです。



ただし、変わったのは、名前だけではありません。彼の人生が変わりました。サウロは熱心なキリスト教迫害者でした。しかし彼は迫害をやめました。迫害をやめたというだけではありません。キリスト教を、今度は熱心に宣べ伝えるようになりました。熱心な迫害者が熱心な伝道者に変わりました。まさに正反対の方向に進んでいくことになったのです。



「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」



ちょっと気になるのは「なおも」という言葉です。「サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで」と続きます。サウロは、主の弟子たちを実際に脅迫し、殺したことがあるのでしょうか。それとも、脅迫と殺害を「意気込んだ」だけでしょうか。もしここに「なおも」と書かれていなければ、サウロは「意気込んだ」だけです、まだ殺してはいません、と説明できるかもしれません。しかし、「なおも」と、ここにはっきりと書かれています。おそらく、サウロ自身も、他のユダヤ人たちと同様、エルサレムの教会への大迫害の際に参加して、脅迫行為を行うなど、ひどい目にあわせていたのです。



しかし、それでは、サウロはキリスト者たちを実際に殺したのでしょうか。この点は、やや微妙です。使徒言行録にサウロが登場するのは二回目です。最初に出てくるのはあのステファノの殉教の場面です。ステファノに向かって石を投げつける人々が、自分の着ている服を脱いで、サウロの足もとに置きました。服の番をしていたのです。



「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた」(8・1)とも書かれています。彼は賛成していたのです!しかし、だからサウロは殺人者である、と語ることができるかどうかというところに、いくらか微妙な要素があるように思われます。



間違いなく言えることは、サウロ自身もステファノの殺害に賛成していたこと、つまり、ステファノを殺した人々の側に加担していたことです。しかし、実際に石を投げたわけではありませんし、服の番をしていたという点が明記されていることによって、サウロ自身は石を投げていないということがむしろ強調されている、と読むこともできると思います。同罪と言えば、同罪かもしれません。「いや、少し違う」と、かばってあげることができるかもしれません。



サウロは服の番をしていました。しかし、これは、いわゆるけんかやリンチ(私刑)のようなことが始まったので、それをサウロが後のほうから見守っていたというようなこととは、かなり違います。むしろ、考えるべきことは、当時の法律に則った公開処刑が実施された、ということです。



サウロは律法学者の卵でした。エルサレム神殿の律法学校の卒業生であり、当時最高の尊敬を勝ちえていたガマリエル教授の薫陶を受けた人でした。そのサウロにとって、実際の裁判の場に立ち会うとか、先輩たちの服の番をするというようなことは、とても光栄なこと、誇らしいこと、喜ぶべきことでさえあった可能性があるのです。



いずれにせよ確認すべきことは、当時のサウロにとって、またユダヤ社会の一般庶民にとって、キリスト者たちを迫害すること、教会を攻撃することは、「悪かった」と罪悪感を抱いたり、「こんなことをすべきでなかった」と後悔したりするようなことではなかったということです。当時はまだ新興の小さな(いかがわしいとも見えたであろう)宗教団体にすぎなかったキリスト教会を懲らしめるということは、多くの人々にとっていわば当然のことを行ったにすぎないというようなものだったに違いない、ということです。



ところが、です。そのサウロの前に突然現れた光が、彼を打ち倒しました。またサウロは、「サウル、サウル」と自分の名を呼び、自分に語りかけてくる声を聞いたのです。



「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。」



サウロの前に現れた光と声の正体は、イエス・キリスト御自身でした。これで分かることが三つほどあります。



第一に分かることは、イエス・キリストは生きておられた、ということです。生きておられた、と過去形で言うのは、当時のサウロにとって、です。十字架の上でたしかに死んだはずのあのイエスという人が、です。死んだはずの、殺されたはずの、あの人が生きていた!生きておられたし、今も生きておられる、ということです。



第二に分かることは、生きておられたし、生きておられるイエス・キリストが、サウロに対して、またサウロと同行した人に対しても、たしかに聞こえ、理解することができる言葉をお語りになったということです。聖書や他の書物の読書を通して目を開かれたとか、ぴんと来たとか、悟りを開いた、というようなことではありません。サウロに起こった出来事は、そういうことを越えています。現実に生きておられる方の声を、現実に聞いたのです。



第三に分かることは、サウロの身に起こったこの出来事は、いわゆる「信仰的な」事実や出来事とは言いがたい、ということです。なぜなら、ここに書かれているとおりであるならば、サウロは、この出来事が起こったときはまだイエス・キリストへの信仰を持っていなかったのですから!このサウロの出来事に限って言えば、彼は信仰を通してイエス・キリストと出会ったのであるとか、信仰においてイエス・キリストの声を聞いたのである、という説明は成り立ちえない、ということです。



実際、まさにこのようにしてサウロは、彼がまだイエス・キリストへの信仰を持つよりも前に、生きておられるイエス・キリスト御自身が直接語りかけてくださる言葉を聞いたのです。そして、彼は信じた。受け入れた。最初はショックも受けました。目が見えなくなったとか、食べ物も飲み物も口にしなかったとあります。物がのどを通らなくなってしまったのかもしれません。



皆さんの中に、教会に初めて来られ、初めて説教を聞いたときにとか、初めてキリスト教を信じてみようと思われたときに、あまりのショックで目が見えなくなったり、食べることや飲むことができなくなったりしてしまわれたという方がおられるでしょうか。私はこれまで、「そうでした」とおっしゃる方に、あまり出会ったことがありません。もう少しくらいショックを受けてもよいのではないでしょうかと思わなくもありません。食べたり飲んだりできなくなってしまうというのは、困りますが。



少しへんな聞き方をすることをお許しください。ここにお集まりの皆さまにお尋ねしていることではありません。最近私は、毎週の説教の原稿や音声をインターネットで公開しています。インターネットを通して聞いてくださっている方々にお尋ねしたい。そのような思いで申し上げます。



キリスト教は趣味ですか。文化・教養のたぐいですか。



それは、われわれの人生にとってのプラスアルファにすぎないものですか。



なくても済むものですか。プラス・マイナス・ゼロでも構わないほどのものですか。



私はそうは思わないのでお尋ねしたいのです。私にとってのキリスト教はもっと重いものです。「いや、関口さん、それは、あなたが牧師だから言っていることでしょう」と言い返されるかもしれませんが、そんなことではないと思っています。



キリスト教は、私の命です。これによって私の一切が支えられていると信じています。



その私がいまや確信していることがあります。それは、一言で言えば、このわたしにも今、生きておられるキリスト御自身が語りかけてくださっている、という確信です。こういうことを言うと、びっくりされる方がおられるかもしれませんが、びっくりするようなことではありません。わたしたちが信頼を置いているこの改革派信仰においても、生きておられるキリストの声をわたしたち自身もまた聞くことができるというこの点をどのように理解すべきかについての、きちんとした道筋を示していると、私は信じております。



毎週私は説教の準備をしています。ただ、説教の準備の正体は、パソコンを開いて原稿を書くことです。うちの子どもたちが父親のことを唯一尊敬してくれていることは、「お父さんは作文が上手である」ということです。なるほど間違いなく、説教は作文です。だいたい毎週四千字ほどの文章を書いています。四百字詰め原稿ならば約一〇枚です。一年で五百枚、一〇年で五千枚くらい書いている計算になります。以前はもっと長い文章を書き、長い説教をしていましたが、松戸小金原教会に来てからは短くなりました。短いほうが、よく聞いていただけると感じています。



牧師の仕事を続けてきて、今やはっきりと確信できることは次のことです。私は自分の原稿に書いていることに責任を持つことができない、というようなことを言うつもりは、全くありません。しかし、これを毎週のように書き続けることができることそれ自体は、自分の力による、というようなことでは決してありえない、ということです。



私の正直な感覚を申せば、だれかの声が聞こえてくる、というような感じがあるのです。もちろん、それが、イエス・キリスト御自身の声なのか、私の心の叫びなのか、どこかでだれかから聞いた言葉なのか、何かの本で読んだ言葉なのかということを完全に判別することなどはできません。まさに“天声人語”(天に声あり、人をして語らしむ)ということがありうるでしょう。



しかし、です。何はともあれ、私が説教の準備をしているとき、この私自身に向かって語りかけてくる声がたしかにあるということ、そしてその声によって励まされ、導かれ、その声が語るままを書きとるという仕方で説教の文章が生まれ、語り続けることができた、という感じがあることは、私にとっては、はっきりと確信できることなのです。



実際問題として考えてみましても、(こういうことはあまり大きな声で言うべきではないことですが)、私もけっこう疲れていることがあるのです。原稿を書くという仕事は、それをなさったことがある方ならご理解いただけると思いますが、時間があればできるというようなものではなく、心や体や生活のさまざまな条件が整わなければできないものです。



しかし、そういうときにも、日曜日はやってくる!教会の皆さんが集まってくる!



そのような(圧力を感じる)ときに、生きておられるイエス・キリストがこのわたしにも語りかけてくださり、その声を頼りに、原稿を書き、説教の準備をすることができる。これは私にとっては、大きな恵みなのです。



サウロも、その声を聞いたのです。わたしたちも、その声を聞くことができるのです!



(2007年7月1日、松戸小金原教会主日礼拝)