2007年6月24日日曜日

「手引きしてくれる人がなければ」

使徒言行録8・4~25



「さて、主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。」



先週の個所と同じく今日の個所にも、伝道者フィリポの活動の様子が紹介されています。フィリポは、殉教者となったステファノと同じときに、新しく七人の教会役員(執事)の一人に選ばれた人です。



先週の個所には、フィリポがサマリアの町で伝道しているときに出会った魔術師シモンに、フィリポ自身が洗礼を授ける場面が出てきました。そして、じつは今日の個所にも、フィリポが洗礼を授ける場面が出てきます。誰に対してでしょうか。その人物についてのかなり長ったらしい紹介文が出てきます。「エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官」(27節)です。



「折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。」



この「エチオピア人の宦官」なる人物が、フィリポから洗礼を受けました。もちろん、これはキリスト教の洗礼です。わたしたちが、このわたしが受けたのと全く同じ洗礼です。そして、今日の個所に記されていますのは、この人が洗礼を受けるに至るまでの経緯です。



皆さんの中には、求道を始めてから洗礼を受けるまでに何年もかかったという方が結構おられます。何年もかかった例に含めてよいと思います方の洗礼式が先週、わたしが松戸小金原教会に赴任する前に働いていた教会で、行われました。わたしがその教会にいた頃から求道を始めた女性の方です。洗礼を受けましたと、ご本人がお知らせくださいました。



その方が初めて教会の礼拝に出席されたのは、たしか6、7年前のことではなかったかと、おぼろげに記憶しています。待つ側(教会と牧師)からすれば、まさしく「やっと!」という思いです。しかしまた、「やっと!」という思いは、そのご本人も同じだったようです。「まさか自分が洗礼を受ける日が来るということなどは、夢にも思っていませんでした」と先週電話でおっしゃいました。神さまが導いてくださった、ということを強く自覚しておられる様子が分かり、うれしく思いました。



これは、先週の日曜日に洗礼を受けてクリスチャンになった方の話です。一方、今日の個所でフィリポが洗礼を授けたこの人は、洗礼を受けるまでに6、7年もかかっていません。ここに記されている内容を読むかぎり、この人が求道者として過ごしたのは、明らかに、わずか数時間です。それはこの人が「エルサレムからガザに向かう道」を通って自分の国エチオピアに帰るまでの間、しかもそのすべての道のりではなく、おそらく途中のわずか数時間です。それは、この人の人生の長さということを考えてみますと、その人生全体の中の“一瞬”であった、と語ることが許されるであろうほどの短さです。ということは、つまり、この「エチオピア人の宦官」は、まさに一瞬のうちに、救い主イエス・キリストを信じ、洗礼を受けた人である、というふうに申し上げることができる人なのです。



今日のこの個所は、昨年10月の特別伝道集会のときに、講師の吉岡繁先生が取り上げてくださった個所です。よく覚えておられる方も多いでしょう。吉岡先生がこの個所を読みながらわたしたちに問いかけてくださったことの一つは、このエチオピア人の宦官がエルサレムの礼拝からの帰りがけに、馬車に乗って旧約聖書のイザヤ書を朗読していた動機は何だったのでしょうか、というあたりのことだったと思います。この人の心には、神さまの救いを求める強い思いがあったのではないでしょうか、それはどのような思いでしょうか、というような問いかけもあったように思います。



「宦官」というのは、去勢した男性である、ということも、吉岡先生は教えてくださいました。女王に仕える仕事、女王の全財産の管理を任せられている重要な仕事ではあるが、どこかしら空しさや寂しさを覚えるような仕事ではなかったか、というようなことも吉岡先生がおっしゃっていたように記憶しております。



まさにそういうことを考える必要があるだろうと、私も思います。エチオピアの高官は、ユダヤ人たちから見ると、明らかに「異邦人」です。外国の人であり、また外国の宗教を信じているか、あるいは、その影響を受けている人です。そういう人が「聖書にも」興味を持った、ということは、ありうることです。



しかし、問題は、この人がなぜ、「聖書にも」興味を持ったのか、です。この人の生きている国やその現実、またそこで信じられている宗教や思想など。そういうものにこの人は、ある限界や行き詰まりのようなものを感じ取っていたのではないか。そのように考えることができると思います。



聖書は、まだ読み始めたばかりで、よく分からない。しかし、自分が生まれ育った国や町や村の宗教のほうは、もっと分からない。さっぱり分からない。あるいは、理屈としては分かっても、全く信頼できない。信じる価値がない。興味がわかない。



しかし、それでも、現実の生活をしていると、いろんな場面で不安が起こり、トラブルが起こり、うんざりする日々が続く。心の底から信頼できる何かが欲しい。人生の支えになるようなものが欲しい。それが宗教なのか何なのかは、この際どうでもよい。とにかく、このわたしを何とかしてほしい。もし聖書というこれが、自分を支えてくれるものになるというなら、それでもいい。そのような動機から聖書を読み始める人は大勢います。今の日本でも、教会には通わないし、洗礼を受ける気もないが、聖書だけは一応買って持っているし、それなりに興味があるし、目を通したことがあるという人は、少なくありません。



しかし、です。目を通したことがある、というのと、「朗読する」というのとでは、事情はかなり変わってくるでしょう。



あまりストレートに言うと、皆さんを嫌な気持ちにさせてしまうかもしれませんので、少し柔らかく言います。もしかして、皆さんの中には、「聖書をまだ声に出して朗読したことがない」という方もおられるのではないかと想像します。いかがでしょうか。



黙読するというのと、朗読するというのとでは、根本的にどこか違うところがあります。黙読までは、だれでもしますし、だれにでもできます。しかし、朗読となると、かなり質が変わってきます。「恥ずかしい」という思いが少しでもあると、できないものです。聖書の朗読を始めることができたら、もう相当なものです。



ちょっと聖書を朗読したくらいで「あなたはもう立派に信じている」などと言われたくないよ、と反発なさる方もおられるかもしれませんので、こういうことは十分気をつけて申し上げなければならないと感じています。しかし、聖書の御言葉を声に出して朗読することができるなら、心のバリアはかなり取り去られていると、私は思います。



しかし、しかし、です。この宦官が感じたことは全く正直な思いです。この人は正直な人だと、私は思います。聖書という書物は、ちょっと朗読してみたくらいでは、さっぱり分からないものである、ということを、この人ははっきりと感じとりました。



だからこそ、フィリポがこの人に近づいて「読んでいることがお分かりになりますか」と質問したときの答えが、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」となったのです。少し乱暴に通訳しますと、「こんなワケの分からん書物、だれか専門家の人にでも解説してもらわないかぎり、分かりっこないじゃありませんか」ということです。



「すると、“霊”がフィリポに、『追いかけて、あの馬車と一緒に行け』と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、『読んでいることがお分かりになりますか』と言った。宦官は、『手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう』と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。『彼は、羊のように屠殺場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。』宦官はフィリポに言った。『どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。』そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。」



私は、このエチオピア人の宦官の、聖書に対する態度、あるいは、聖書に向き合おうとする際の姿勢は、正しいと思います。彼がしたことは、三つあります。



第一は、先ほど申し上げたとおり、聖書をまだ理解できないうちに、とにかく朗読した、ということです。キーワードは「朗読」です。



第二は、聖書を理解できないことを率直に認めて、この本に書いてあることを解説してくれる教師を求めた、ということです。キーワードは「手引きしてくれる人」、すなわち、「教師」です。



そして第三に(これが最も重要です!)この人は、聖書の中の自分には理解することが不可能であるような言葉や事柄について、せっかくその場にいてくれる「教師」(この場面ではフィリポ)に対して、少しも遠慮することなく、「どうぞ教えてください」と質問した、ということです。キーワードは「質問」です。



今、わたしは、三つのキーワードを言いました。「朗読・教師・質問」です。この三つの点を、きちんと通ることができた。この人は、まさに一瞬のうちに、洗礼を受ける決心へと辿り着いたのです。



「道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。『ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。』そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。」



残念に思うことがあります。聖書を理解できない。神を信じることができないし、洗礼を受ける気にもなれない、という方々の中に、このエチオピアの宦官の辿った道を、どうも辿っていないのではないかと思われることがあるのです。それが「朗読・教師・質問」です。とにかく声に出して読んでみること。解説してくれる教師を持つこと。そしてその教師に遠慮なく質問すること、です。



最低限この三つの点を通らないで、「聖書は分かりません」と言われても、ちょっと困ります。分かりっこありません。それは学校や塾や習い事と、かなりの部分、同じです。



逆に言えば、それをしてみてほしいのです。



そのために、ここに教会があるのです!



そのために、ここに牧師がいるのです!



(2007年6月24日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年6月17日日曜日

「神の賜物の価値」

使徒言行録8・4~25



今日の個所に出てくるフィリポは、殉教者となったステファノと同時に新しい教会役員(執事)に選ばれた人物です。つまり、このフィリポも教会役員であり、かつ有能な伝道者でした。



今日の個所のもう一人の主たる登場人物はシモンです。シモンと言っても、キリストの弟子シモン・ペトロとは別人物です。このシモンは魔術師です。シモンは、洗礼を受けてキリスト者になりました。この点が重要です。その前に魔術師の仕事をしていたのです。



私は今、「その前に」と言いました。しかし、この点はちょっと微妙です。シモンは洗礼を受けてキリスト者になってからは、魔術師の仕事をスパッとやめたのでしょうか。そのようには、どこにも書かれていません。話の流れや展開の方向から考えれば魔術師という仕事自体は、たぶんスパッとやめたのではないかと推測できます。しかし、今日の個所にその点がはっきり書かれていませんので、私もはっきりしたことを申し上げることはできません。



シモンについて今日の個所からはっきり分かることは、むしろ次のことです。それは、要するに、シモンの考え方や態度や行動の面を見るかぎり、彼はちっともスパッとしていなかったという事実です。シモンは、洗礼を受けた後になっても、おそらく魔術師時代に覚えたのではないかと思われる、一つの処世術を、ずっと引きずっていました。



「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群集は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、『この人こそ偉大なものといわれる神の力だ』と言って注目していた。人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。」



話の流れは、だいたい次のようなことです。



第一のポイントは、ステファノの殉教の後、ユダヤ教団当局のキリスト教会への弾圧が激化したのに対して、教会側がとった態度は、使徒たちだけをエルサレムに残して、ほかのみんなは、ユダヤとサマリアの地方に散って行くというものだった、ということです。



このような態度をとった意味としては、いくつかの可能性を考えることができるように思います。



第一の可能性は、使徒たちは勇敢な人々であり、他の人々は臆病だったということです。使徒たちだけが殉教の覚悟をもってエルサレムに残った。しかし他の人々は恐れをなして逃げていったのだ、という可能性です。



第二の可能性は、使徒たち以外の全員に対してエルサレムから逃れるように命じたのは、ほかならぬ使徒たち自身であった、ということです。迫害によってキリスト者が全滅してしまわないように、信仰の炎を消さないように、教会員の命を守ることを先決にし、使徒たちだけの命を差し出すという判断を、使徒たち自身が下した結果としての、キリスト者たちの離散行動であった、という可能性です。



私自身は、今申し上げた二番目の可能性を支持したいと考えております。どうせなら、使徒たちも一緒に逃げたらよかったのではないかと感じなくもありません。その選択肢も十分ありうるものです。恥ずかしいことではないし、みじめなことでもありません。



武士道とキリスト教の共通点を強調する人々がいますが、私は両者の違いのほうを強調したいと願っています。武士道の心は死ぬこと、キリスト教信仰の心は生きることです。しかし、使徒たちの場合は、彼ら自身が「エルサレムに残る」という道のほうを選択し、そのように決断したのですから、それはそれで尊重しなければなりません。



いずれにせよ、使徒たちの覚悟はただ一つであったことは、間違いありません。それは、救い主イエス・キリストと共に生き、イエス・キリストと共に死ぬこと、そしてイエス・キリストと共に復活することでした。そのためにキリストが十字架につけられて殺されたエルサレムの地で、彼ら自身も死ぬことを望んだのです。そのように考えざるをえません。



さて今日の個所の第二のポイントは、そのようなきっかけで地方に離散していった人々の中にフィリポもいたということです。フィリポはサマリア地方に向かいましたが、重要なことは、行く先々でフィリポは、イエス・キリストの福音を伝道した、ということです。



エルサレムに残らなかった人々は、みんな臆病だった、という解釈の間違いは、この点からも明らかになると信じます。フィリポを含む離散したキリスト者たちは臆病で逃げたのではなく、どこまでも生き延びてこの真の信仰を一人でも多くの人々に宣べ伝え、地上に一つでも多くの教会が生み出されることを願ったのです。このわたしが生きていることによって、一人でも多くの人に福音を宣べ伝え、正しい信仰を教え、洗礼を授けることができる。彼らは、その可能性に賭けたのです。



そのことがまた、ステファノの殉教を無駄にしない、彼の死を無意味なものにしない、最良の選択肢でもあった、と考えることができるでしょう。



第三のポイントは、そのフィリポの伝道活動の中で、魔術師シモンとの出会いがあり、そのシモンがついに洗礼を受けるに至った、ということです。



そして、第四のポイント。これが今日の個所の内容的な中心部分であると思われます。それは、このシモンが、洗礼を受けた後に、大きな失敗を犯し、使徒ペトロから大目玉を食らった、要するにこっぴどく叱られた、という話です。シモンは、何をしでかしたのでしょうか。書いてあることを読んでみたいと思います。



「エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、言った。『わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。』すると、ペトロは言った。『この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。』シモンは答えた。『おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。』このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。」



シモンがしようとしたことは、要するに、「聖霊」をお金で買おうとしたということです。それで使徒ペトロからこっぴどく叱られたのです。



しかし、それでは、「聖霊」とは何でしょうか。この点を、だれにでも分かるように説明するというのは非常に難しいことです。われわれ日本キリスト改革派教会の創立者の一人である岡田稔先生は、「聖霊とは、ほとんど信仰という言葉で置き換えることができる」と、何度もおっしゃいました。



聖霊と信仰は全く同一のものと言うことはできません。けれども、説明としてはかなり分かりやすいものになることは間違いありません。岡田先生の聖霊論を元にして言い直すとしたら、シモンがしようとしたことは、要するに「信仰」をお金で買おうとしたということです。このように、説明することができるようになるでしょう。



しかし、「聖霊」は、お金で買うことができません!「信仰」は、お金で買うことができないものです。この世の中には、お金で買えないものがあるのです。そのことをシモンは、洗礼を受けた後までも、全く理解していなかったのです。



なんでもお金で買うことができる。シモンは、この感覚(センス)をどこで身につけたのでしょうか。私はやはり、それは魔術師時代、あるいは魔術師になるまでの下積み時代のような頃ではなかったか、と考えざるをえません。魔術の修行にたくさんのお金が必要だったのではないでしょうか。あるいは、自分の弟子たちからたくさんのお金をとって、魔術の伝授をしたのではないでしょうか。



おそらくシモンは、それと同じようなことが、てっきり、教会の中でも行われているものと思い込んでいたようです。シモンの犯した最大の過ちは、魔術の伝授と、聖霊の受け渡し、信仰の継承を、同一次元で考えてしまったことではないでしょうか。



皆さんの中には、まさか、シモンと同じようなことを考えている方はおられないと思います。「聖霊はお金で買えるものである」と。



わたしたちは、聖霊の働きによって信仰を与えられ、その信仰によって救われるのですから、信仰がお金で買えるのでしたら、救いもお金で買えることになります。わたしたちの救いの完成は天国で起こります。救いがお金で買えるのでしたら、天国もお金で買えることになります。結論は「天国はお金で買えるものである」です。



このように考えることは、全く間違いです。天国はお金で買うことはできません。もしそれが正しいならば、お金持ちはみんな天国に行くことはできるはずですが、事実はそうではありません。いみじくも、わたしたちの救い主イエス・キリスト御自身が、言われたではありませんか。「金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(マタイ19・23~24)と!



この主イエスの教えは、お金を稼ぐことや貯金することが悪いという話ではありません。お金を稼ぐこと、貯金することはよいことです。大いに奨励したいと思います。



ただ、しかし、強いて言うならば、です。イエスさまの教えの中に明らかにあるのは、お金というものがわたしたち人間の心をあまりにも強く束縛するあまり、いろんな判断において間違ってしまうことがある、ということです。



立派なお墓や葬式は、お金で買えるかもしれません。しかし、天国そのものは、お金で買うことができません。あるいはまた、そこまで行かなくても、この地上の人生において真に平安であること、安心した生活を送ること、喜びと感謝と希望に満たされて生きること、つまり、この地上においてあたかも天国にいるかのような幸福を味わうことが、お金で買えるのかといえば、そうではない、といわざるをえません。一時的な快感、快楽は、お金で買えるかもしれません。しかし、それで満足できる人は、実はいないのです。



信仰は、お金で買うものではなく、まさに信じるものです。信じるのは「タダ」です。お金に換えがたい価値があるという意味でのタダです。神の救いの恵み、永遠の喜びは、プライスレスなのです。



(2007年6月17日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年6月10日日曜日

「ステファノの殉教」

使徒言行録7・54~8・3



今日の礼拝は、日曜学校の子どもたちと一緒にささげています。日曜学校との合同礼拝です。



日曜学校の皆さん、おはようございます。今日も聖書のみことばを学びたいと思います。今日の個所に出てくるのは、ステファノさんです。熱心なクリスチャンでした。しかし、ひどい話が書かれています。残念なことに、ステファノさんは殺されてしまいます。大勢の人々に囲まれて、石を投げつけられて。



皆さんの中には、学校でいじめられた人がいますか。だれかをいじめたことがある人がいますか。大勢で一人を囲んで痛めつけている、そういう場面を見たことがありますか。もし見たことがあれば、そのときいじめられている子とステファノさんの姿は、よく似ていると思います。



でも、全く同じとは言い切れない、と感じるところがあります。ステファノさんには、他の人とは明らかに違う、特別なところがありました。そのことが今日の聖書のみことばの中に、はっきりと分かるように書かれています。



「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」



ここには、ステファノさんが殺される前にしたことが三つ書かれています。



第一に、ステファノさんは、天を見て、そこにおられる父なる神さまと神さまの御子であるイエスさまを見て、そのイエスさまが「立っておられるのが見える」と言いました。



第二に、ステファノさんは、石をぶつけられている間、「主に呼びかけ」ました。これはお祈りしました、という意味です。



第三に、ステファノさんは、ひざまずいて、大声で「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と言いました。「彼ら」とは、ステファノさんに石を投げつけている人々のことです。どうか神さま、今わたしに石を投げつけているこの人々の罪を赦してあげてくださいと、神様に祈ったのです。



第一の、イエスさまが立っておられる姿をステファノは見たという点についてですが、当時の教会には、天におられるイエスさまは、父なる神さまの右側に座っておられる、という信仰がありました。その信仰をわたしたちも受け継いでいます。つまり、ステファノにとっても、イエスさまは、ふだんは“座っておられる”のです。



ところが、ステファノさんはイエスさまが天で“立っておられる”姿を見ました。これでわたしたちに分かることは、イエスさまというお方は、まさに立ったり座ったりなさる、つまり動く方であり、生きておられる方なのだ、ということです。イエスさまが「立っておられる」理由は、ステファノさんの命を御自身の手で受け取ってくださるためではないでしょうか。



ステファノさんが殺される前にしたことの第二と第三の点に共通している要素は、祈りです。ステファノさんは、殺される前に、神さまにお祈りしたのです。自分に向かって石を投げつける人々の罪が赦されるように、祈ったのです。



私が、ステファノさんは他の人とはだいぶ違う、わたしたちともかなり違う、と感じるのは、今申し上げたような点です。わたしたちは、自分に向かって石を投げつける人々の罪を赦してくださいと祈ることができるでしょうか。



もしわたしたちが、そんなことなどできるはずがないと思っているうちは、わたしたちとステファノさんの間には、天と地ほどの差があります。でも、忘れてはならないと思うのは、ステファノさんはわたしたちと同じ“人間”である、ということです。



今でもはっきりと覚えていることがあります。私が生まれて初めて、今日の聖書の個所に出てくるステファノさんの話を日曜学校で学んだのは、小学生のときでした。そのときの分級の先生は、私のお母さんでした。私は、自分の母からステファノさんのことを学んだのです。



私が通っていた教会の牧師さんの話は、何度聞いても全く理解できませんでした。しかし、母の話は、よく分かりました。そして、私は、母の語るステファノさんの話を聞きながら、ものすごくびっくりしたことを覚えています。そのびっくりしている顔を「よく覚えている」と、母のほうもいまだに言います。



しかし、この話のどのあたりの部分にびっくりしたのかまでは、覚えていません。人がむごたらしい方法で殺される場面にびっくりしたのかもしれません。しかし、どうもそれだけでもないようです。はっきり覚えているわけではありませんが、自分に向かって石を投げつける人々の罪を赦してくださいと祈りながら死んでいった人がいた、という事実に、びっくりした。そういう気もするのです。



もう少しだけ私の話をするのを許してください。母が説教してくれたからかもしれません、その話を聞いて以来、ステファノさんのことが、とにかくずっと、私の心と頭から離れなくなってしまいました。自分に石を投げつける人々の罪を赦してくださいと祈りながら死んだ人がいる、ということを忘れることができなくなりました。



教会の牧師という仕事をやりたい、と願うようになったときにも、このステファノさんのイメージが私の心にありました。そのことをずっと前ですが、ひとまえで話したこともあります。このステファノのようでありたい、と願ったのです。



ステファノさんは、牧師ではありませんが、伝道者です。クリスチャンは、イエスさまと同じように生き、イエスさまと同じように死ぬのです。そのことをステファノは、自分の身をもって示しました。御自身を十字架にかけた人々の罪の赦しを、十字架の上で祈られたあのイエスさまと同じように、ステファノもまた、死の間際に、自分を殺そうとしている人々の罪の赦しを祈ったのです。



大人の皆さんにお勧めしたいことがあります。子どもたちには、牧師の説教を聞かせるよりも、自分で説教するほうがよい、ということです。牧師の話は、すぐに忘れてしまいます(たぶん)。しかし、自分の母親や父親から聞く説教は忘れることができません。その子は将来、牧師になるかもしれません。



日曜学校のみんなにお願いしたいことがあります。それは、私がふだん絶対に言わないことです。しかし、今日は言わせてください。



伝道者になること、また教会の牧師になるということを、真剣に考えてみてください。なぜ私がふだんこのようなことを絶対言わないのかといいますと、(「この仕事はとても大変だから」ではなく)伝道者の仕事、また牧師の仕事は、人から勧められてするものではなく、神さまと相談して自分で決めてするものだからです。



伝道者・牧師の仕事は、イエスさまがお教えになった「敵を愛しなさい。迫害する者のために祈りなさい」という御言葉を、まず自分自身が真剣に受けとめ、信じつつ、それを多くの人々に宣べ伝える仕事です。



敵を愛するだなんて、そんなことは人間には絶対にできっこないと、多くの人々は言います。教会に長年通っている人々までが、そう言います。たしかに、考えれば考えるほど、できっこない。



しかし、ステファノさんには、できました。



イエスさまは“神の御子”であり、“御子なる神”です。



しかし、ステファノさんは、“人間”です。



わたしたちと同じ、人間です!



「敵を愛すること」は、人間にできること、可能なことなのです!



“しなければならないこと”なのです!



(2007年6月10日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年6月3日日曜日

「神は天におられる」

使徒言行録7・44~53



今日の個所で、ステファノの説教は終わります。ここでもステファノは、旧約聖書の話をしています。この個所の登場人物の中で大事な名前は、ダビデとソロモンです。



「わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした」。



ダビデとソロモンは親子です。どちらも神の民イスラエルが一つの国家を形成していた時代の王になった人々です。ダビデの前に、サウルという初代の王がいました。しかし、サウルは、神御自身によって王座から退けられました。そのため、ダビデが二代目の王となり、ダビデの子ソロモンが三代目の王となりました。



とくにダビデ王は、非常に尊敬された人です。とても熱心な信仰者であり、かつ政治的に有力・有能な指導者でした。長生きした人でもあります。戦争にもめっぽう強く、戦利品などをたくさん持ち帰ってくることができたので、ダビデ王時代のイスラエルは非常に豊かでした。



ダビデが歴史的に果たした役割は何かということを考えるときには、今申し上げましたことの中で、二つの点がとくに重要です。第一は、ダビデはとても熱心な信仰者であったという点です。第二は、ダビデ王の時代のイスラエルは非常に豊かであった、つまり当時のイスラエルは、比較的、経済的に潤沢な時代であった、という点です。



信仰的に熱心であり、かつ経済的に潤沢である。それらを維持するにふさわしい政治的な力も与えられている。もしそれがわたしたちの場合であればどうだろうかと考えてみてください。そういうときに、人はどんなことを考えるのだろうかということを考えてみていただきたいのです。



ダビデがしようとしたことは、要するに、神殿を建てることでした。それは、神さまを礼拝する場所であり、まさに礼拝堂です。小さな建物ではありません。巨大な建物です。そういうものをダビデは造ろうとしました。



信仰と財産の両方が備わっているというのは、悪いことではありません。むしろ、非常に良いことです。新しい礼拝堂建設というようなことは、信仰と財産の両方が兼備されているときにしか考えることができませんし、逆に言えば、その両方が備わっているならば、そのときこそ新しい礼拝堂建設のチャンスである、ということも言えるでしょう。ダビデの時代のイスラエルは、まさにそのような時代だったのです。



しかし、です。ダビデは、新しい神殿の建設を非常に強く熱望し、それを建てる準備のためには全力を尽くしました。ところが、ダビデ自身はその神殿を見ることができませんでした。それどころか、ダビデが生きている間には、神殿工事が始まることもありませんでした。神殿工事が始まったのは、ダビデの子ソロモンの時代でした。そうなることを、ダビデ自身が望んだのです。ダビデは何を考えていたのでしょうか。そのことがはっきり分かるのは、旧約聖書・歴代誌上の以下の記事です。



「ダビデは、『わが子ソロモンは、主のために壮大な神殿を築き、その名声と光輝を万国に行き渡らせるためにはまだ若くて弱い。わたしが準備しなければならない』と言って、死ぬ前に多くの準備をした。ダビデはその子ソロモンを呼び、イスラエルの神、主のために神殿を築くことを命じて、ソロモンに言った。『わたしの子よ、わたしはわたしの神、主の御名のために神殿を築く志を抱いていた。ところが主の言葉がわたしに臨んで、こう告げた。「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。見よ、あなたに子が生まれる。その子は安らぎの人である。わたしは周囲のすべての敵からその子を守って、安らぎを与える。それゆえ、その子の名はソロモンと呼ばれる。・・・この子がわたしの名のために神殿を築く。この子はわたしの子となり、わたしはその父となる」』」(歴代誌上22・5~10)。



これで分かるように、ダビデは、非常に冷静に、自分の息子ソロモンには、まだ十分な実力が無い、ということを見抜いています。ダビデは親バカではなかったということが、よく分かります。



神殿建設の準備はこのわたしがする。しかし、このわたしは、あまりにも多くの戦争を体験し、その中で他人の血を流しすぎた。そういう(けがれた)人間が(きよい)神殿を建てることはふさわしくないという声を神御自身から聞いたと信じた。これが、ダビデには神殿建設に着工することも、神殿の完成した姿を見ることもできなかった理由です。



ダビデにとって、神殿を造りたいという願いは、彼自身が抱いた夢なのですから、当然のことながら、彼自身の手で、夢をかたちに変えたいと願ったに違いないでしょう。



しかし、実際には手を引きました。わたしの夢をわたし自身が実現する、ということについてはこれを封印し、わたしは計画と準備だけを行い、計画の遂行と実現は次の世代の人々に託した。こういう冷静で慎重で謙虚な判断をくだすことができたのはダビデの信仰深さゆえであると考えることは、決して間違ってはいないと思います。



ここで思い起こしていただきたいのは、このステファノの説教を学び始める前に、そもそもステファノという人が教会の表舞台に登場するきっかけとなった出来事は何だったかについて、私がお話しした内容です。



それは、教会の中にある一つの大きなトラブルが起こった、ということでした。それを適切に処理するために、使徒たちが考えたことは、新しく七人の教会役員を選挙し、その人々に新しい問題の解決を担ってもらうことにした、ということでした。これを別の角度から見ると、使徒たち(旧役員たち)は、教会の中に新しい問題が起こったときに、悪い意味でそれらすべてを自分たちだけで抱え込んでしまわなかった、ということでもあるのだ、と私は申し上げました。



新しい問題に対して新しい教会役員たちで対応するということ、従来の教会役員たちが自らの限界を正直に打ち明けつつ、他の人々の助けと協力を要請するということは決して間違った態度ではないし、恥ずかしいことでもありません。



さて、今申し上げたことと、先ほどから申し上げておりますダビデの態度との間には、明らかに共通点がある、ということを、わたし自身は感ぜざるをえません。重要な共通点は、何もかも自分で抱え込んでしまわないという点です。わたしがすべてをやってしまうというような態度をとらない、そのような決断を行わない、ということです。



ちょっと言いたいことがあるのです。日本キリスト改革派教会だけではなく日本の多くの教会で、数年前から新会堂建設ラッシュです。そのこと自体が悪いと言いたいわけではありません。



しかし、です。ちょっとだけ言いたいことは、その仕事は本当に今しなければならないことなのですかと疑問に感じる例もないわけではない、という点です。まさか、会堂建築は自分の手柄であるなどと考える牧師はいないでしょう。ぜひそう信じたいですが、それはともかく。



いずれにせよ、わたしは、何人かの牧師たちに対しては、その仕事は本当に、今しなければならないものですか、次にその教会に来る牧師、あるいは次の次、場合によっては次の次の次くらいの牧師がすればよい仕事かもしれませんよ、それは先生、あなたのすべき仕事ではないと思いますよ、と言いたい気持ちを、抑えきれずにいるのです。



つまらぬ名誉心、目に見える結果を急いで焦る気持ち、そして「このわたしがやらねばならぬ」という抱え込み。はっきり言えば、その種のことはすべて、教会の私物化に通じます。教会は神さまのものであり、救い主イエス・キリストの体です。だれか個人が私物化した時点で、その教会は“教会”ではありません。



お金も人も少ないときに無理して造った建物が小さいものになることは当たり前です。しかし、あなたの次の牧師の時代には、その教会は大きく成長し、栄えるかもしれないではありませんか。そのような場合には、前任者の時代に造られた小さな建物が教会の成長を著しく阻害する、非常に迷惑な存在になる、ということがありうるのです。



われわれ教会の者たちは、本当はもちろん自分自身がやり遂げたかった神殿建設の仕事を息子ソロモンに委ねたダビデや、教会の中に起こってきた新しい問題に対して、新しい役員を選んで対応しようとした使徒たちの姿勢に、多くのことを学ぶべきです。



ステファノの説教の内容からは、かなり脱線しました。しかし、重要な点には、触れたつもりです。そして、ステファノがこの説教で語ろうとしていることも、突き詰めていくと、先ほどからわたしが申し上げているようなことと深い次元で共通している事柄である、ということが分かっていただけるはずです。



なぜなら、ステファノが語っているのは、“エルサレム神殿の住人たち”、すなわち当時のユダヤ教団の指導者たちに対する痛烈なまでの批判だからです。



神殿という建物の中に、「神」が住んでおられるわけではない。神は「天」におられる!あなたがた神殿の住人たちは、まさか「神」ではないし、神を語る資格も無い。そのように、ステファノは語ろうとしているのです。



「けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。主は言われる。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。』かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」



大きな建物の住人が、偉いわけではありません。建物の大きな教会が、立派なわけではありません。それは目の錯覚にすぎません。建物の大きさに幻惑されてはなりません。



大切なことは、建物の大きさではありません。ステファノが旧約聖書の御言葉を通して訴えているのは、信仰の大切さです。アブラハムの信仰的な決断や、ヨセフの神さまとの深く永続的な信頼関係の意味を思いめぐらすことが、大切です。モーセの召命と荒れ野の四十年の試練の中で鍛えられたのも、信仰でした。



信仰をもって立つ人は、どのような脅迫にも動じることがありません。



ステファノは、信仰において生き、そして信仰において、まさに死んだのです。



(2007年6月3日、松戸小金原教会主日礼拝)