2005年9月25日日曜日

「教会の責任」

ルカによる福音書11・37~54



今日の聖書の個所に記されている主イエス・キリストの御言葉は、おそらくどなたでも同じような感想を持っていただけるのではないかと思いますが、読んでいるうちに、胸のあたりがだんだん苦しくなってくるような気がします。



それはなぜかと言いますと、実際に読んでいただけばすぐお分かりのとおり、この個所でイエスさまはファリサイ派と呼ばれるユダヤ教の一派に属する人々、また、ユダヤ教の律法学者たちに対する非常に厳しい批判の言葉を、まるで機関銃のように、容赦なく吐き出しておられるからです。



この場面は、イエスさまが、ファリサイ派の人から食事に招待され、その人の家の食卓の席に着かれたところから始まっています。



ところが、その食事の前に、イエスさまが「まず身を清められなかった」ことを、そのファリサイ派の人が見て、「不審に」思った、というのです。



実際に伝えられていることは、当時のユダヤ人たちには、食事の前には必ず、きれいな水で、まず手を洗い、また飲み物や食べ物を入れる食器を徹底的に洗う習慣があった、ということです。



ですから、ここで「身を清める」という言葉の意味として考えられるのは、食事の前に手を洗うことです。そのことを、なさらなかった、ということです。



なんだか汚い話だなあ、と思われるかもしれません。わたしたちだって、食事の前には手ぐらい洗います。子どもたちにも「食事の前には手を洗いなさい」と教えます。



しかし、この個所をわたしたちが、たとえば、そのように読み、イエスさまの側にも問題がありました、というふうに言ってしまうとしたら、ここに書かれていることの真意を全く汲みとることができないように思います。



ユダヤ人たちが食事前の手洗いにこだわった理由については、マルコによる福音書7・3〜4に、次のように詳しく記されています。



「ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ってきたときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある」(マルコ7・3〜4)。



これで分かることが、いくつかあります。



第一に分かることは、彼らが食事前の手洗いにこだわった理由は、「昔の人の言い伝え」を固く守る、という動機づけ、ないし意識ゆえであった、ということです。



ただし、この「言い伝え」は、聖書の御言葉ではなく、モーセの律法でもありません。ユダヤ教団が受け継いできた伝承(Tradition)です。



イエスさまは、ユダヤ教団の伝承と聖書の御言葉そのものを、明確に区別されました。この区別を明確にすることは、わたしたち改革派教会が重んじてきた原理でもあります。



ですから、第二に分かることは、彼らがそのことにこだわった意識の正体は「保守主義」(conservatism)、あるいは「伝統墨守主義」(traditionalism)などと名づけられるべきものであった、ということです。



それは、古いもの、伝統的なものを、とにかく変えない、変えてはならない、むしろ、それを守り抜くこと、現状をいわば永久に肯定し続けることこそが大切である、と考え、そのように行動する立場であると表現できます。



逆に言えば、新しいもの、革新的なもの、冒険的なやり方は、常に危険であり、現状を破壊し、社会を必ず不安と恐怖に陥れるものであるとみなし、それを退ける立場であると表現することもできるでしょう。



これを、イエスさまは、お嫌いになりました。もしそのような考えでよいならば、たとえば、わたしたち「改革派教会」は、常に危険視され、退けられねばならない存在であるとみなされてしまうでしょう。改革派教会とは「(神の言葉によって)常に改革され続ける教会」(ecclesia semper reformanda)なのです。



第三に、マルコが記している、とくに「市場から帰ってきたときには、身を清めてからでないと食事をしない」と言われていることから分かることは、彼らの言い伝えの真意は、(わたしたちは決して口にすべきではない、本当に失礼な言い方だと思いますが)、市場のような場所や、そこに集まるような人々は、汚れている、という一つの思想であった、ということです。



それは一種の偏見であり、もっと厳しく言えば、差別思想です。



このように言いうる根拠があります。わたしが調べた書物によりますと、ユダヤ人たちが食事前に身を清めるために用いた水の量が、普通の場所から帰ってきた場合と市場から帰ってきた場合とで、大きく異なっていた、というのです。



具体的な数字も知られています。普通の場所から帰ってきた場合は、10分の一リットル(100ミリリットル)の水でよかったそうですが、市場からの場合は、486リットルの水が必要だったそうです。



要するに、市場から帰ってきた人は、お風呂に入るくらい徹底的に体を洗わなければ、決して食事をしてはならない、ということです。これが単なる衛生上の問題などではないことは、明らかです。



さらに加えれば、まさにそれこそがファリサイ派的な考えであると言いうることがあります。



「ファリサイ」とは、「聖別された」とか「区別された」という意味であると言われます。彼らが「聖なる領域」と信じている神殿や会堂などの宗教施設やそこに住む住人とは区別されたところにある「この世」とか「俗世間」のような場所や、そこにいる人々は、みな汚れているという考えが彼らにはあった、ということです。



つまり、彼らは、明確な聖俗二元論を持っていたのです。



こういう考えを、イエスさまは、非常にお嫌いになりました。「俗世間」の人々は汚れているが、宗教家たちは清いなどというのは、冗談にも口にしてはならない、全く間違った考えです。そのことを、イエスさまは、明らかにされたのです



ですから、イエスさまがユダヤ人たちの手洗いの習慣を拒否されたのは、全く意図的になさったことであり、また、ユダヤ人たちの考え方そのものに対する拒否の意図があった、ということです。



また、イエスさまだけではなく、弟子たちも、この習慣を拒否しました(マルコ7・2)。もちろん、イエスさまが、弟子たちに、そのような言い伝えは守らなくてよいと、お教えになったからです。



さて、39節以下で、イエスさまは、ファリサイ派の人々に対する激しい批判の言葉を、一気に吐き出しておられます。



イエスさまが指摘しておられる事柄の中心は、最初に語られている「あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている」(39節)という点であると言えるでしょう。



要するに、あなたたちの存在の内側と外側は、まるで別世界のようだ、ということです。あなたたちが美しいのは、外側だけであって、内側は汚れている、ということです。



そのような、言うならば存在の二重性、あるいは、内と外との悪い意味での使い分けに潜む非常に大きな問題性に、あなたたちは気づくべきである、ということです。



他人の存在を「汚れている」と見たり、彼らに近づいたときには、徹底的に身を清めるべきである、などと考えたりする前に、です。



そして、あなたたちには、そもそも、他人に向かってそんなことを語りうる資格はない、ということです。それほどあなたたちは清くない、ということです。



「そこで、律法の専門家の一人が、『先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります』と言った。」



ここに登場する、イエスさまのお言葉に横から口をはさむ「律法の専門家」の言葉は、もし本気で語られていたとするならば、あまりにものんきすぎます。自分の置かれている立場について全く無自覚だった人である、と言わざるをえません。



と言いますのは、この人の耳には、これまでイエスさまが語ってこられたことは、あくまでも「ファリサイ派の人々」に対して限定的に言われていることなのであって、自分には何の関係もないことである、というふうに、最初は聞こえていたに違いないからです。



しかし、この人は、イエスさまのお話を聞いているうちに、だんだんと、自分たちのことまで責められているような気がしてきたわけです。



当然です。イエスさまは最初から「ファリサイ派の人々」のことだけを問題にしておられたわけではありません。最初から「律法の専門家」のことも、視野に入っていました。



当時のユダヤ教団の指導者たち全体のこと、そしてそれだけでもなく、わたしたち聖書の御言葉の読者たちすべてのことも、視野に入っていたのです。



だれ一人として、イエスさまの御言葉を他人事のように聞き流すことができる人は、いないのです。



律法の専門家に対するイエスさまの批判の中心は、これも最初の言葉にあると思います。



「イエスは言われた。『あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとはしないからだ。』」



イエスさまが指摘しておられることは、要するに、あなたたちは口ばっかりだ、ということです。



「人に背負いきれない重荷を負わせる」と言われている中の「重荷」とは、聖書や言い伝えに基づいて語られる説教の内容です。



あなたたちは、こうすべきである。あなたたちには、このような義務や責任があると、説教者が語る。



しかし、その説教者自身は、自分で語ったことを、何一つ実行しようとしない、ということです。



たいへん厳しい言葉であると思います。図星を当てられたというような気持ちを、だれもが持つでしょう。



わたしなども、イエスさまからこのようなことを言われた日には、おそらく寝込んでしまうでしょう。熱が出てきそうです。



事実、イエスさまからここまで言われた彼らは、イエスさまに対して殺意を抱きました。この殺意が、やがてイエスさまをゴルゴタの丘へと導いていくことになります。



もちろん、これまでにもいくつか、十字架への伏線がありました。しかし、事柄がより明確になってきたのは、イエスさまがファリサイ派や律法学者たちに、面と向かって強く批判したこのときです。



彼らの殺意を指して「それは当然のことです」とは決して申しません。しかし、厳しい言葉でさんざんに批判された人が、思わず握りこぶしを作ってしまうときの心境を、「全く分かりません」と言える人がいるでしょうか。



しかし、それでもなお、です。わたしたちは、イエスさまの御言葉から耳を遠ざけてはならないのだと思います。また、御言葉に示されている真理そのものから、目を背けてはなりません。



厳しい言葉で批判されても仕方がないようなことが、わたしたちには、今でもおそらく、たくさんあるはずです。



ふだん親しいと思っている人から厳しく言われると、ますます傷つくのが、わたしたちかもしれません。



しかし、そうであればこそ、です。多くの人々から非難されるようになる前に、イエスさまの御言葉に耳を傾け、また人の言葉を通して語られる神の御言葉に耳を傾けることによって、自分の罪や過ちを悔い改め、人生の方向修正を行うことができるなら、そのほうが幸いです。



反対に、イエスさまの御言葉を軽んじ、真理から目を背けて生きようとすることこそが、不幸です。



改革派教会に加わる前のことです。尊敬できない一人の牧師の口から、信じがたい言葉を聞きました。



「牧師になれば分かる。牧師は、いろんな人から、いろんなことを言われ、批判される。それを、右の耳から聞いて、左の耳に流せるようにならなければ、身が持たない」。



わたしは、そのような言葉を耳にしたとき、心底から、がっかりしました。



わたしは、そうは思いません。皆さんの前で格好をつけたいわけではありませんが、わたしは、そのように考えたくありません。



それどころか、自分に対する批判の言葉を、右から左へと聞き流せばよいと考えはじめた時点で、その牧師は進退を考えるほうがよい、と思っているくらいです。



われわれは、大きな責任を負わされているのです。



たしかに、「身が持たない」と感じることはあります。胃に穴が開くのではないかと思うほど、厳しい言葉を聞くことがあります。



しかし、そのことを、わたしたちは、むしろ、神さまが与えてくださった光栄であると思うべきです。



(2005年9月25日、松戸小金原教会主日礼拝)





2005年9月18日日曜日

「人の思いと神の思い」

ルカによる福音書11・29~36



「群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。『今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。』」



主イエス・キリストのこの御言葉は、先週学びました個所に出てくる「イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた」(ルカ11・16)ことへの対応として語られたものである、と考えることができます。



しかしながら、ここでルカは「イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者」とは、具体的に言って誰のことなのか、ということについては、明らかにしておりません。



マタイとマルコは、それを明らかにしています。マタイは「何人かの律法学者とファリサイ派の人々」(マタイ12・38)が、イエスさまにしるしを求めたとしています。マルコは「ファリサイ派の人々」(マルコ8・11)としています。



ですから、マタイとマルコの線で申し上げますならば、イエスさまに天からのしるしを求めた人々は、要するに、先週の個所にも登場しました、いわゆる「宗教の専門家たち」であった、ということになります。



そうなりますと、次第に分かってくることがあります。それは、今日の個所で主イエスが「今の時代の者たちはよこしまだ」という厳しい批判の言葉を差し向けておられる相手は、具体的に言って誰なのか、という点です。



これが、マタイによれば「律法学者とファリサイ派」、マルコによれば「ファリサイ派」の人々である、と考えることができるのだ、ということが分かってくるのです。



ということは、さらに言うならば、「今の時代の者はよこしまだ」とは、「今の時代の宗教家たちはよこしまだ」という意味でもありえます。



そして、「よこしま」とは「悪い」ということです。つまり、「今の時代の宗教家は悪い」。



こういうことを、すなわち、一種のその時代の宗教家たちに対するたいへん厳しい批判を、主イエスがこの個所で語っておられるという可能性が十分ありうる、ということです。



とはいえ、このような読み方をする場合に、当然見逃してはならないのは、ルカ11・16に明記されている「イエスを試そうとして」という点です。



宗教家たち自身は、何も決して「天からのしるし」というものを、主イエスに対して、本気で求めていたわけではない。彼らは、ただ主イエスを試すためだけに、いわばそれを求めるふりをしていただけである、という読み方も、当然成り立つでしょう。



しかし、ここでさらにもう一つ見逃してはならないと思われるのが、「しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた」(ルカ11・17)という点です。



この意味は、主イエスは、当時の宗教家たちの思いをすべてお見通しであった、ということです。



そうであるならば、です。人々が主イエスに対して、本気でしるしを求めようと、それを求めているふりをしているだけであろうと、関係ありません。



イエスさまは、その人々に対して、「ヨナのしるし」以外のしるしを示されることはない、と言われたのです。



ここで語られている「しるし」の意味は、イエスさまというこのお方が、果たして本当に救い主であるかどうかを明らかにするための、目に見える証拠のことです。



当時のユダヤ人は、旧約聖書において預言され、約束された救い主メシア(キリスト)の到来を信じることについては、やぶさかではありませんでした。



ところが、その彼らの前に、実際に「わたしこそ救い主メシア(キリスト)である」と語る人が現れた場合には、その証拠を見せてほしいと、いわば当然のように、迫ることをせざるをえなかったわけです。



そのようなことは、証拠を見せてもらわなければ信じることができそうもない、というのは、わたしたちだって、同じ気持ちを持つことがあるでしょう。



しかし、ここで語られていることは、主イエスは、彼らに対しても、またわたしたちに対しても、「ヨナのしるし」以外のしるしを、お示しになることはない、ということです。



それでは、「ヨナのしるし」とは、何のことでしょうか。主イエスは、次のように語っておられます。



「つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。」



「ヨナ」とは、旧約聖書・ヨナ書(新共同訳1445〜1448ページ)の主人公の名前です。



ヨナ書は、旧約聖書の中ではたいへん短い書物であり、また内容が分かりやすくて面白いので、非常に多くの人々に愛されている書物でもあります。



ヨナは、神さまからニネベという町に行きなさい、というご命令を受けとります。



それは、ニネベという町に住んでいる人々は、神さまの目からご覧になって悪かったので、その人々に向かって、自分たちの罪を悔い改めるようにと説教するためでした。



もしあなたがたがこのまま悪いことを続けているなら、この町は滅びます、ということを言いに行くためでした。



ところが、ヨナは、あろうことか、その神さまのご命令を、とても嫌がり、逃げようとします。



考えてみれば、そんな仕事は、誰だって嫌なものだと思います。わたしだって嫌です。牧師がどこかの教会に行き、開口一番、「あなたたちは悪い人々です。悔い改めなさい」と語る。そうしますと、必ずや、その教会の人々から嫌われるでしょう。



たとえ、神さまのご命令であっても、です。行った先の人々から嫌われることが初めから分かっているようなところに行きたいと思う人は、ほとんどいないでしょう。



ヨナも同じでした。ですから、彼はとにかく逃げ回ります。船に乗って別の町に行こうとしました。



ところが、その船が嵐に遭い、船員たちがその嵐の責任をくじで決めようとしたとき、ヨナがそのくじを引いてしまい、彼は海の中に放り込まれてしまいました。



しかし、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日三晩、魚の腹の中で生活した後、その魚はヨナを吐き出しました。面白い話だと思います。



そんなことがあって、仕方なく、ヨナは、ニネベに行きました。



すると、驚いたことに、ニネベの人々は、ヨナを嫌うどころか、ヨナの言葉を素直に受け入れて、自分たちの罪を悔い改めました。そして、その様子をご覧になった神さまは、ニネベの町の人々に災いを下すことをおやめになったのです。



ところが、ヨナは、そこで非常に腹を立てました。この場面でなぜヨナは腹を立てたのかについては、どのように理解してよいのか分からない面があります。しかし、どうやら、ヨナはニネベの人々に悔い改めてほしくなかったようです。



ニネベはユダヤ人にとっては異教の町だったからです。異教の町は滅びるべきだという確信があったのかもしれません。



しかし、神さまは、そのようなヨナの考えを否定されました。そして、神さまは、異教の町に生まれ育ったとしても、自分の罪を真に悔い改める人々に対しては、救いの恵みと憐れみの御心とをお示しになるお方であることを、ヨナに教えようとされました。



これがヨナ書の内容であり、主イエスがお語りになった「ヨナのしるし」の意味です。



また、主イエスは、もう一つ、「南の国の女王」のたとえを引き合いに出しておられます。しかし、これについては、詳しくお話しする時間がありません。



これは列王記上10章と歴代誌下9章に出てくる有名な話です。



現在のエチオピアあたりと言われるシェバの国の女王が、ダビデの子ソロモンのもとを訪れ、ソロモンにいろんな質問をしたところ、ソロモンはそのすべてに答えを与えることができた、という話です。そして、その後、シェバの国はユダヤ教に改宗したと言われています。



主イエスが、シェバの女王の話を、ヨナの話と一緒にしておられる理由は、明白です。二つの話は、内容的に重なり合います。要するに、異教の町に生まれ育った人々が、真の神を信じるようになった、という点で、一致しています。



そして、これこそが「しるし」であると、主イエスは語っておられるのです。「しるし」とは、主イエスこそが真の救い主メシアであることの証拠です。すなわち、それは、異教の国の人々の救いです。異邦人の救いです。



それは、ヨナのような人に言わせると、ありえないこと、あってはならないことでした。



ひどく乱暴な言い方を許していただくなら、異教の町に生まれた人は、その教えを信じたままで生きていくこと、死んでいくことこそが、その人の定めなのであって、それ以外の選択肢はありえないし、あってはならないのだ、ということです。



このような考えに対しては、わたしたちは、大いに腹を立てるべきです。



この日本という国も、歴史的に見れば、あるいはヨナのような人の目から見れば、まさに異教の国、異邦人の国です。



しかし、です。わたしたちは、この国の中で生まれた者であるから、という理由で、真の神さまを受け入れることも信じることも、ありえないこと・あってはならないことだと、言われなくてはならない存在なのでしょうか。



そんなことはありえません。そのような考えこそ、あってはなりません。わたしたちは、今やまさに、現実に神さまを信じ、現実に救われています。この事実もまた、誰にも否定されてはならないものなのです。



しかしまた、このことは、すなわち、わたしたちが救われていることは、ある意味で、たしかに「しるし」、あるいは「奇蹟」と呼ぶにふさわしいことであるかもしれません。



それは、わたしたち自身にとって、おそらく非常に身に覚えのあることであるに違いありません。



「わたしが今や、毎週喜んで教会に通っていることは、一年前には想像もつかなかったことです」と。



「わたしが今や、牧師などをしているということは、数年前には想像もつかなかったことです」と。



そのように感じている人は、おそらく、非常に多いのです。「ありえない」と思い込んでいたことが、ありえた。このことをわたしたちは「奇蹟」と呼ぶのです。



あの人が救われることなど、ありえない。このわたしが救われることなど、ありえない。そのような思いは、言うならば、「人間の思い」です。



しかし、そのような「人間の思い」は、しばしば打ち破られます。打ち破られてよいのです。「神の思い」が実現するときに、「人間の思い」が打ち破られるのです。



「ここに、ソロモンにまさるものがある。」「ここに、ヨナにまさるものがある。」



ここで主イエスが語っておられる「ここにある、ソロモンにも、ヨナにも、まさるもの」の意味は、要するに、主イエス・キリストの存在と御言葉のことです。



そのとおり、まさにイエス・キリストは、ソロモンにも・ヨナにも、まさっています。



ソロモンやヨナでさえ、説教によって異邦人を真の救いに導くことができたのであれば、「ヨナにまさる」イエス・キリストに、できないはずがありません。



イエス・キリストの御言葉によって、わたしたちは、現実に救われます。たとえそれが根っからの異教徒・異邦人であっても、です。



これこそが、主イエスが真の救い主メシア(キリスト)であることの、真の「しるし」なのです。



ですから、わたしたちは、あきらめませんし、あきらめてはなりません。わたしたちは、自分の家族や友人たちも救われるのだということを信じてよいし、信じなければならないのです。



「日本をあきらめない」。これは、わたしたちキリスト者こそが語るべき言葉なのです。



(2005年9月18日、松戸小金原教会主日礼拝)





2005年9月11日日曜日

「イエス・キリストの力」

ルカによる福音書11・14~28



今日お読みいたしました個所に書かれていますことは、はっきり申し上げまして、わたしたちの誰もがすぐ理解できるというようなものではない、むしろ、どこかしら難しさを感じるであろう事柄であると思われます。



とくに、おそらくわたしたちの誰もが難しいと感じるでありましょうことは、イエス・キリストというお方が「悪霊を追い出す」というみわざを行っておられたというこのことを、今の時代に生きるわたしたちは、どのように理解したらよいのか、という点です。



「イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。」



これはもはや、ある意味、文字どおり、書かれてあるとおり、と言うしかない事柄なのかもしれません。



主イエスが、ある人の中から、口を利けなくする悪霊を追い出された、ということが、現実に起こった事実として、紹介されているだけです。



ですから、わたしたちは、まさにある意味で「そのようなことが起こりました」と語るしかないのです。



しかし、ここでどうしてもわたしたちの中に起こってくる疑問は、「それはどのようにして起こったのか。主イエスは、そのとき何をなさったのか」という点です。



ここで思い出されるのは、ルカによる福音書のこれまでに学んできました個所を通して繰り返し確認してきた、主イエスが体や心に病を持っている人々をおいやしになるときになさった「さわる」・「ふれる」・「手をおく」などの行為です。



これらはみな同じと考えてよいでしょう。要するに、主イエスが「ふれる」と、悪霊が出て行くのです。



しかし、たとえ救い主といえども、です。さわるだけで病気がいやされる、というようなことが実際に起こるということについて、わたしたちは、ここに書かれているとおりに、即座に、また単純素朴に受け入れることができるほど、素直ではないように思われてなりません。



けれども、ここにはまた、「群集は驚嘆した」とも書かれています。また、これに続く個所には、次のように書かれています。



「しかし、中には、『あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している』と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。」



ここで分かることは、主イエスによるいやしのみわざを、即座に、また単純素朴に受け入れることができないのは、わたしたちだけではない、ということです。



そのみわざを自分自身の目の前で見ていた当時の人々もまた、わたしたちと同じような気持ちを持っていた、ということです。



現代人的な感覚がイエス・キリストの奇蹟を受け入れることができない、というだけではない、ということです。



ここに紹介されているのは、当時の人々が抱いた、とくに否定的な反応の内容は、どのようなものであったか、ということです。



それは要するに、「イエスというあの男は、悪霊の頭の力を利用して、悪霊を追い出しているのだ」というものでした。



言うに事欠いて何を言い出すのやら、と思わずにはいられません。彼らが語っていることは、要するに、イエスというこの男が、そのわざのために用いている力の本質は、悪霊的であり、悪魔的である、ということです。



あるいは、もっと別の言い方を許していただきますならば、そもそも宗教というものには独特の「悪魔性」というべきものがある、ということです。



たとえばの話ですが、わたしたちが病気にかかったときに、真っ先に行く場所は、教会でしょうか。おそらく、そうではないはずです。まずは病院に行くでしょう。それでよいと、わたしは考えております。



しかし、問題は、その先です。



わたしたちは、この病気が早くいやされますようにと、神に祈らないでしょうか。わたしのために祈ってくださいと、教会のみんなに訴えないでしょうか。



これについては、わたしは、もちろん、祈ってよいし、訴えてよいと、考えております。



ところが、です。こういうことについて、ある人々は、わたしたちとは全く正反対のことを考えるわけです。宗教というものに対する根本的な不信感を表明する人々がいます。



日本には、お祓いとか、ご祈祷を行う宗教が、山ほどあります。こういうのを最も忌み嫌い、退ける気持ちを持っているのは、じつは、わたしたち自身ではないかと思います。教会に通っているわたしたちです。



ところが、です。そのようなときに、わたしたちが神に祈ることと、お祓いやご祈祷というようなものとの間には、違いはない、という見方をする人々も、必ず出てくるのです。



今日の個所で、イエスさまに対する一種の中傷誹謗の言葉に対しては、イエスさま御自身が、次のようにお答えになっています。



「しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。『内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。』」



この主イエス御自身のお答えが、果たして、わたしたち自身の素朴な疑問に対する答えになっているかどうか、という点については、正直、まだ心もとないところがあります。



と言いますのは、「あなたたちは、これこれと言うけれども」とか「わたしがこれこれをするのなら」とか、「わたしがこれこれをしているのであれば」というふうに、繰り返し、仮定的な言い方で語られております。



主イエスのお言葉に文句をつけたいわけでは、決してありません。しかし、できますならば、もっとはっきりとした言い方をしていただきたい、と感じなくもありません。



「わたしは悪霊の力で悪霊を追い出しているわけではない」と。



「わたしは神の力で悪霊を追い出しているのだ」と。



このように語っていただけるならば(もちろん、主イエス御自身の意図はそのとおりであると言って間違いないのですが!)、もう少し安心できそうな気もします。



ただ、ここでわたしは、なぜ主イエスが、このような、いくらか曖昧と感じられるようなお答えの仕方をされているのかということに関連していると思われる一つの点に、ぜひ注目していただきたいと、わたしは願っております。



それは19節です。「わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と書かれている個所です。ここで、とくに考えてみたいのは、「あなたたちの仲間は」とある中の「あなたたち」とは、誰のことなのか、という点です。



ご覧いただけば分かりますとおり、ルカは、そもそもこの論争をイエスさまにふっかけている相手は誰なのか、ということを、明らかにしておりません。



しかし、マタイとマルコは、それを明らかにしています。ただし、マタイとマルコは、食い違っています。



マタイは「ファリサイ派の人々」(マタイ12・24)が主イエスの論争相手であるとしていますが、マルコは「エルサレムから下って来た律法学者たち」(マルコ3・22)としています。



似たようなものだ、と言ってしまえば、それまでかもしれません。いえ、事実、いわば似たようなものです。



ファリサイ派の人々にせよ、律法学者たちにせよ、わたしがしばしば用いてまいりました表現を繰り返しますならば、要するに「宗教の専門家たち」です。当時のユダヤ教の最高権威者たちです。



そうだとするならば、です。「あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか」と主イエスが問いかけておられる意味が、分かってきます。



問われていることは、あなたたちの仲間、宗教の専門家たちは、悪霊を追い出すことができないのか、ということです。



あるいは、もし悪霊を追い出すことをしているならば、それは何の力で追い出しているのか、ということです。



いやいや、あなたがた、宗教の専門家たちの、そもそもの、本来の務めは、悪霊を追い出すことではないのか、それ以外の何を、あなたがたは、している、というのか、ということです。



もっと突っ込んで言いますならば、宗教とは、そもそも何なのか、という問いでもあるでしょう。



果たして、われわれのしていることは、宗教ではないのか、ということです。少なくともイエスさま御自身は、宗教というものに深くかかわっておられました。一体、もしこれが宗教でないのならば、他の何なのか、ということでもあるでしょう。



あなたがたは、わたしのしていることは、悪魔的であると見ている。しかし、それならば、あなたがたのしていることは、何なのか。わたしのしていることとは、別のことなのか、ということでもあるでしょう。



少なくとも、われわれの目的は、共通ではないのか。それは、困っている人、苦しんでいる人を、なんとかして助けること、です。



もし目の前に、現実に、悪霊というような奇妙な何かにとりつかれている人がいるならば、それを取り除くこと。それ以外に、その人を助ける道があるのか。



こういう問いでもあるでしょう。



「宗教の専門家」と呼ばれる者たちの中に、牧師も数えていただけるのかもしれません。しかし、今日の個所を読みながら、「専門家」の陥りやすい大きな落とし穴がある、ということを、感ぜざるをえませんでした。



それは、他人のしていることは皆、悪魔的であると見ること。そして、自分のしていることだけが正しい、と考えることです。



わたし自身は、宗教はどれも同じなどとは、決して考えておりません。キリスト教の内部においてさえ、どれも同じとも考えておりません。改革派教会の宗教と信仰告白が最も正しいと、確信しております。



しかし、だからといって、他の立場の人々のしていることを、ただこき下ろすだけなら、本当によくないことです。



「彼らは悪魔の力を借りて仕事をしている」。こういう言葉は、厳に慎むべきでしょう。それこそ、「宗教の内輪もめである」と言われても、仕方がないでしょう。



大切なことは、他の人々がしていることを批判することではありません。



大切なことは現実に困っている人、苦しんでいる人を、その苦しみや痛みの中から助け出すことです。



そのために奉仕し、苦労することです。



そのために、イエス・キリストは来てくださいました。



まことの救い主イエス・キリストがそこにおられ、救いのみわざが実現しているところが「神の国」なのです。



(2005年9月11日、松戸小金原教会主日礼拝)





2005年9月4日日曜日

主の祈り

ルカによる福音書11・1~13


先日予告しましたように、今日から、日曜日の朝の礼拝の中で「主の祈り」を唱えることになりました。ちょうどその最初の日に、はからずも、ルカによる福音書の中の「主の祈り」の個所を開くことができましたことを、神さまのお導きと信じ、感謝しております。


「主の祈り」に関する御言葉は、新約聖書の中にもう一個所、マタイによる福音書6章にも出てきます。両方を読み比べますと、いくつか異なる点があることが、すぐに分かります。


最も大きな違いは、マタイによる福音書に紹介している「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」といういわゆる第三の祈りが、ルカによる福音書のほうには無いことです。


しかし、今日は、読み比べるという作業は、あまりしないでおきます。ルカが紹介している範囲内でお話しできることだけに、とどめておきます。


「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った。そこで、イエスは言われた。『祈るときには、こう言いなさい。』」


「ヨハネ」とは、これまでもルカによる福音書の中に繰り返し登場してきた、洗礼者ヨハネのことです。イエスさまご自身に洗礼を授けた、あのヨハネです。


そのヨハネが、自分の弟子たちに、祈りを教えていました。ヨハネの祈りの内容がどのようなものであったかは知られていません。しかし、すでに学びましたルカによる福音書の5・33には、次のように書かれていました。


「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。』」(ルカ5・33)


これで分かることは、ヨハネのグループにもファリサイ派のグループにも、各グループごとに、祈りの定型文のようなものがあった、ということです。祈りの内容が、グループを見分ける標識の役割を果たしていた、ということです。


イエスさまの弟子の一人が「わたしたちにも祈りを教えてください」と願ったことは、彼らと同じように、わたしたちにも、ということです。


わたしたちイエス・キリストを信じる者たちにも、わたしたちのグループのいわば旗印となるような祈りの言葉をください、ということです。


今や、この弟子の願いどおりになっております。全世界のキリスト教会が「主の祈り」を唱えております。ローマ・カトリック教会も、東方正教会も、プロテスタント教会も、です。この祈りにおいては、キリスト教界の分裂は、ありません。


一つ一つの祈りの意味については、いろいろな現代的な解釈もあり、それが悪いと言いたいわけではありませんが、わたし自身は、ハイデルベルク信仰問答(吉田隆訳)の主の祈り解説など、伝統的な解釈のほうが、わたしたちにとっては大いに役立つと考えております。


みなさんにもぜひ、ハイデルベルク信仰問答を開いていただきたいです。


「父よ、御名が崇められますように」とは、ハイデルベルク信仰問答の解説によりますと、要するに「わたしたちが神を賛美することができますように」ということです。


ここで大切なことは、神の御名を崇めるのは、わたしたち自身である、ということです。わたしたち以外の、どこかのだれかの話ではありません。


求められているのは、わたしたち自身が神を正しく知ることです。そして、わたしたち自身の生活すべて、生き方すべてが正しいものとされることによって、わたしたちの存在そのものが神賛美となることです。


「御国が来ますように」とは、これもハイデルベルク信仰問答によりますと、「あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、わたしたちがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御言葉と聖霊とによってわたしたちを治めてください」ということです。


「御国」とは、神の国です。神の支配領域のことです。神によって支配されるのは、これも、わたしたち自身です。わたしたちの知らない、どこかのだれかの話ではないのです。


そして、ハイデルベルク信仰問答は、「あなたの教会を保ち進展させてください」という意味を加えています。


教会と神の国の関係という問題は、これを議論しはじめると、牧師たちの中で大喧嘩になるような難しいものです。


しかし、ここまでくらいは語ってよいであろうことは、教会は神の国のすべてではありませんが、神の国の中心にある、ということです。御言葉と聖霊によってわたしたちが治められている具体的な場所は、教会です。


ですから、わたしたちにとって大切なことは、生活の中心に教会があるということです。教会で、わたしたちは、神の国の生活を、具体的に体験することができるのです。


このことは、とくに日本の国のような場所では、はっきりしている事実です。この国の中で、教会以外の場所で、神の国を具体的に体験することは、非常に難しいといわざるをえません。


続く祈りについても、ハイデルベルク信仰問答の解説を参考にしたいと思います。


「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」とは、「わたしたちに肉体的に必要なすべてのものを備えてください」ということです。


そして、このことを神に向かって祈ることによって、「わたしたちが、あなたこそ良きものすべての唯一の源であられることを・・・知らせてください」ということです。


「いや、わたしは自分の力、自分の戦いによって、すべてのものを得てきたのであって、神から得たのではない」と、抵抗したい気持ちになる人々がいることも、承知の上です。


そのような抵抗への抵抗を、この祈りによって表わすことができます。


だれが、一体、自分の力、自分の戦いだけで、何かを得てくることができたでしょうか。


夫である人が妻の前で、そのようなことを言おうものなら、妻が怒りはじめるでしょう。「あなた一人で、何ができたのですか。冗談を言わないでください」と。


親である人が子どもたちの前で、そのようなことを言おうものなら、子どもたちが怒りはじめるでしょう。「お父さんやお母さんだけが苦労しているなどと言わせない。ぼくたちわたしたちも、苦労しているよ」と。


少なくとも、です。多くの人々の苦労、みんなの涙が、このわたしを支えている、ということに気づく必要があるでしょう。


そして、そのような人と人との関係、この世における人間同士の付き合いを含む、わたしたちの存在を支えている関係のすべては「良きものすべての唯一の源」としての神から与えられたものである、ということに気づく必要があるのです。


「わたしたちの罪を赦してください」とは、「わたしたちのあらゆる過失、さらに今なおわたしたちに付いてまわる悪を、キリストの血のゆえに、みじめな罪人であるわたしたちに負わせないでください」ということです。


ハイデルベルク信仰問答を読みながら気づかされることは、この祈りの中で問題になっていることは「わたしたちのあらゆる過失」という点である、ということです。


「過失」とは、ご承知のとおり、故意に犯したわけではないけれども、不注意や怠慢などが原因で起こる失敗のことを意味します。


子どもたちは「わざとやったわけじゃないもん」と言い訳します。そう言って、ますます叱られます。「わざとじゃなくても、悪いことをしたら、ごめんなさいと、謝らなきゃならんのだよ」と。


しかし、実際のところを考えてみますならば、「過失」というのは、それを犯した者たちの心を、まさにどん底まで追い詰めてしまうものがあります。


日本は、過失に寛容な社会でしょうか。それとも、不寛容な社会でしょうか。ぜひ教えていただきたいです。


一言の赦しの言葉が、語れないものでしょうか。それが過失の負い目に苦しんでいる人々にとって、どれだけ大きな救いとなるでしょうか。


わたしたちは、その一言も語ることができない、ケチな人間のままでよいのでしょうか。


「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」の意味として理解しうる第一のことは、「わたしたちは、自分自身あまりに弱い」ということです。


「その上わたしたちの恐ろしい敵である悪魔やこの世、また自分自身の肉が絶え間なく攻撃をしかけてくる」ということ。


そして、それに対して、「あなたの聖霊の力によって、わたしたちを保ち、強めてくださり、わたしたちがそれらに激しく抵抗し、この霊の戦いに敗れることなく、ついには完全な勝利を収められるようにしてください」ということです。


これについても、当然のように、反論が予想されます。その中で最も答えにくい反論は、次のようなものでしょう。


「この世の中で、わたしたちにいろいろな種類の攻撃が仕かけられる。そういう話は、よく分かる。しかし、だからといって、神に祈って何になるのか。われわれの抵抗や反撃の方法は、祈りではないはずだ。宗教ではないはずだ。」


しかし、わたしたちは、そういうときにこそ、祈るべきです。主の祈りを唱えるべきです。


「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」と祈るようにと、わたしたちの主イエス・キリストが「祈るときには、こう言いなさい」と命じておられるからです。


この夏に久しぶりに再会した一人の青年(大学2年生)から、こんな話を聞きました。


「父が、キリスト教なんかやめろ、と言いました。宗教は弱い人間が頼るものだ。そんな負け組のような生き方から、早く足を洗いなさい、と」。


「きみはどう答えたの?」と尋ねましたところ、「じつは、何も言い返せませんでした」と正直に答えてくれました。わたしは言いました。「それでいい。何も言い返さなくていいよ」と。


ただ、もう一言、「でも、きみ自身はどうなの?キリスト教をやめられますか?」と付け加えましたところ、


「それはできません。この道に入ることができて本当によかったと、感謝していますので」と答えてくれました。


「それでいい」と、わたしは言いました。「いつかきっと、お父さんも分かってくれるときがくるんじゃないかな」と。


分かってくれない人がいるからこそ、わたしたちは祈ります。


議論してはならない、と言いたいわけではありません。しかし、それだけではなく、わたしたちは、「神に委ねる」という手段を用いることができるのです。


最後に加えておきたいことは、文語訳の「主の祈り」は、悪い意味のお題目になりやすい、ということです。


一つ一つの祈りの意味をよく理解しながら、「主の祈り」を唱えようではありませんか。


(2005年9月4日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年9月1日木曜日

東関東中会の設立に向けて

関口 康 (日本キリスト改革派教会東部中会東関東伝道協議会副書記)

東部中会は、去る二〇〇五年四月四日―六日〜一八日の第一回定期会において、二〇〇六年七月一七日に「東関東中会」の設立式を行うことを決議しました。今は、大会における承認の瞬間を待つばかりです。

わたしたち東関東地区諸教会一同は、喜びの日を目前に控え、これまで長きにわたって温かいご理解とご支援を賜わった皆さまに、厚く御礼申し上げます。

わたしたちが東部中会に提出した「東関東中会設立願」に署名捺印したのは教師一二名、長老一〇名です。この総勢二二名が、そのまま東関東中会議員名簿への登録予定者です。

教師一二名の所属教会名は以下のとおりです(署名順)。湖北台教会、松戸小金原教会、勝田台教会、船橋高根教会、千城台教会、稲毛海岸教会、筑波みことば伝道所、花見川キリスト伝道所、新浦安伝道所、ひたちなか伝道所、牛堀みことば伝道所、三郷伝道所。

ただし、このうち二つの伝道所は二〇〇五年度中に教会設立を予定し、また一つの伝道所は廃止を予定しています。従って、新中会設立時には八教会・三伝道所となります。

これでお分かりのとおり、東関東中会は、日本キリスト改革派教会の中では教会・伝道所の総数が最も少ない中会として出発しようとしています。そのために「小中会主義」と称する原則を採用する、ということを、大会的にも繰り返し確認してきたことは、周知のとおりです。

わたしたちは、正直に言って、新しい形で開かれていく中会会議に、大いに期待しています。

第一に、物理的距離が近い諸教会を代表する二二名の中会議員であれば、短時間で一堂に会することができます。たとえば、日曜日の午後に、臨時会や定期会でさえ開くことが可能になります。

第二に、諸教会の距離の近さゆえに、中会内の人的交流が活発になりますので、諸教会の実情や課題をよく知り合うことができ、祈りの内容がより具体的になるでしょう。

第三に、中会の委員会活動についても、出席に要する移動時間や交通費などを削減でき、また、牧師や教会役員の疲労や負担を軽くすることができます。

さらに、第四に、中会の規模が小さくなると、特定の群れや個人に偏った負担が生じるという懸念もないわけではありませんが、ここはむしろ逆に考えて、「負いきれない重荷は負わない」という原則を初めから取り決めておきさえすれば、中会的課題がわたしたちのキャパシティを越えて、際限なく拡大していくのを防ぐことができます。

そして、第五に、これらのことはみな、東関東中会に属する各個教会の益となっていくでしょう。「中会活動が忙しすぎて、説教や牧会が疎かになる」と語らざるをえないような泥沼的状況から、牧師と教会を救い出すことができます。牧師と教会のはたらきが本来の輝きを取り戻すとき、教会に喜びが満ちあふれ、神の栄光が地上に輝きわたるでしょう。

このように、新中会設立は善いことずくめであると、わたしたちは確信しております。

しかしながら、現時点において、わたし個人は、「小中会主義」という言葉が以下のような誤解を招かぬようにと、強く期待しています。

すなわちそれは、「小中会主義」を掲げる東関東中会は、未来永劫「小規模中会」のままであってよい、という誤解です。

そんなことがあってよいはずがないでしょう。たしかに、わたしたちは一時的に小規模中会になります。しかし、それは過渡的・臨時的な形態にすぎません。

たとえば、東関東中会が設立三〇周年(二〇三六年予定)を迎えたとき、設立時と全く同じ数か、あるいは、さらにもっと少ない数の群れが存在するだけであるとしたら、それはまるで、自らの成長と発展を放棄した「怠け者の悪い僕」(マタイ二五章、ルカ一九章)と同じ姿です。こぢんまりとまとまって事足れりとするような行き方は、怠慢のそしりを免れえず、審きの座に耐ええません。

加えて、わたしは、さらに以下の二つの誤解があらかじめ退けられるよう望んでいます。すなわちそれは、東関東中会設立時のいわゆる伝道圏として確認される「埼玉県の一部、千葉県、茨城県」という県境を、未来永劫、決して踏み越えてはならない境界であるかのようにみなす誤解であり、それゆえ、「小中会主義」に「地域限定」という意味を見出そうとする誤解です。

日本キリスト改革派教会においては、かつて上諏訪湖畔伝道所が西部中会に属していたことがあり、いまも岡山教会と岡山西伝道所が四国中会に属し、九州と沖縄の教会が西部中会に属しています。同じ静岡県でも、北沼津伝道所は東部中会に属し、それ以外は中部中会に属しています。

このように、県境というものがただちに「中会」の境界ではありえないことは、わたしたち自身が実践的に確認してきたことでしょう。「東関東中会」という名称が、わたしたちを、関東平野の東半分だけに閉じこもらせるように機能しはじめる日が訪れないことを、期待しています。

わたしたちが目指しているのは、そのような狭い意味での「地域限定型中会」ではありません。むしろ、「地域性密着型中会」(a locality-oriented presbytery)です。

重要な問題は県境や地域間の不可侵条約ではなく、また、教会数や会員数が小さければよいということでもありません。おそらく県境は越えられてもよいし、教会数や会員数は多くなっていくべきなのです。

わたしたちが最も重要視していることは、中会に属する各個教会(local church)が、それぞれ置かれている状況と現実、その意味での「地域性」(locality)というものに温かく寄り添い続けることができるようにする、ということです。各個教会の存在がそのようなものでありうるように、中会が配慮し、助ける、ということです。

わたし個人の確信をたとえて言うならば(あまりよいたとえではありませんが)、教会の存在理由そのものである「宣教」には、飛行機の上から種を蒔くようなマクロ的抽象性が必要な場面も時にはあるかもしれませんが、むしろ、より多く、ミミズの目を探すようなミクロ的緻密さこそが必要である、ということです。

一例として、「日本キリスト改革派松戸小金原教会」は、ごく単純に言って、「日本の」教会であり、「キリストの」教会であり、「改革派の」教会であると同時に、「松戸の」教会であり、「小金原の」教会でもあるわけです。

もっとも、わたしたちが自らを「小金原の」教会であると呼ぶとき、まさか、それ以外の地域の人々を締め出す意図を持っているわけではありません。

「日本の」も「キリストの」も、そして「改革派の」でさえも、その枠内に納まりきらない人々を(十分な伝道や教育もしないうちに初めから)締め出す意味で語られるべきではありません。

そして、わたしたちは、これら各視点のうちのどれがいちばん重要か、と問うべきではありません。むしろ、すべての視点を、等しく・同時に・十分に重んじる必要があります。それは、教会とキリスト者の存在が、地域社会から、さらに言えば「地上の現実」から、遊離し、悪い意味で浮き上がり、抽象化してしまわないためです。

「地域性密着型中会」が真に実現するとき、わたしたちがこの種の抽象化の過ちに陥るのを防ぐことができます。

こういう中会を、わたしたちは、祈り求めてきたのです。

(日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)

(日本キリスト改革派教会大会常任書記団発行『大会時報』第187号、2005年9月1日発行掲載)