2005年2月27日日曜日

新しいぶどう酒

ルカによる福音書5・33〜39


関口 康


今日の個所は、先週の個所(5・27〜32)と、内容的に直接つながっています。


主イエス・キリストが、徴税人レビを弟子にしました。そのことを、レビは心から喜び、自分のためにパーティーを開きました。


そのパーティーには、レビの徴税人仲間がたくさん参加していました。そしてもちろんイエスさま御自身も参加しておられました。


また、明言されてはいませんが、パーティーには、レビよりも前に弟子になったシモン・ペトロやその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨセフも参加していたようです。


そして、そこでは、イエスさま御自身も、そしてイエスさまの弟子たちも、本当に楽しそうに、食べたり飲んだりしていました。


ところが、です。楽しそうにしていた彼らに、なにやら文句を言いたい人々が、現われました。


先週の個所では「ファリサイ派やその派の律法学者たち」が、つぶやきました。彼らはそのつぶやきを「イエスの弟子たち」にぶつけました。


今日の個所には「人々は」と書いてあるだけです。今度は、イエスさま御自身にモノを言う人々が、現われたのです。


「人々はイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。』」


先週の個所に出てくるファリサイ派の人々は、イエスさまが徴税人や罪人たちと一緒に飲んだり食べたりしていることに、疑問を持ちました。


朱に交われば赤くなる、と言います。彼らが思ったことは、あんな連中と一緒にいる、イエスというあの男は、あの連中と同類である、ということでしょう。


しかし、今日の個所に出てくる人々のクレームの内容は、ファリサイ派のものとは内容が異なるものです。イエスさまの弟子たちが「食べたり飲んだりしている」そのこと自体が問題である、というのです。


「ヨハネの弟子たち」とは、イエスさまに洗礼をさずけた、あのバプテスマのヨハネの弟子たちのことです。以前確認しましたように「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3・4)、あのヨハネの弟子たちです。


ヨハネは、いわゆる禁欲主義者でした。そのようなものとして宗教をとらえ、実践した人でした。ただ、本当に何も食べないでいることは、いくらなんでも不可能ですので、「いなごと野蜜」というような人間が食べるようなものではないものを食べていました。そしてヨハネは、弟子たちにも、自分と同じような生活をさせていました。


ファリサイ派の弟子たちも、断食を行っていました。彼らは週に二回、断食をしていました(ルカ18・12)。月曜日と木曜日です。もちろん、宗教的な行為としての断食です。別の動機ではありません。自分自身の罪の悔い改めのしるしとして、断食の苦行をするのです。


ところが、イエスさまの弟子たちは、そんなことには全くお構いなしであるかのように、食べたり飲んだりしていました。


すると、彼らのその様子を見て、そういうのは、ちょっとおかしいのではないか、と問題に感じる人々が出てきたのです。そして、「あなたたち、もう少し真面目におやんなさい」と言いはじめたのです。


そのように考えたり言ったりする人々には、当然のことですが宗教というものに対する彼ら自身の前提理解があるわけです。宗教とは、本来こういうものであるべきである、という自分なりの理解があるのです。


宗教には、やはり、何らかの仕方で禁欲的な要素が必ずあるものだし、あるべきだ。盛大なパーティーを開いて楽しむだとか、自由気ままに食べたり飲んだりすることなど、宗教にはふさわしくない不謹慎な態度である。


そのような、宗教に対する前提理解が、この人々の中にあったのです。


じつは、そのような前提理解に立つ人々は、今でもいますし、決して少なくありません。わたしたちの教会なども、いつもどおり楽しくやっていますと、そのうち、そのような考えの人々から、いろんなことを言われてしまうかもしれません。


しかし、わたしは、たいていの場合、だれに対しても、「教会は、楽しいところですよ」と言います。事実、教会は、難行苦行を積みに来る修行道場ではありませんし、嫌々ながら、体を引きずってでも、来なければならない、というようなところではありません。あまり気難しく考えすぎる必要はないのです。


ですから、その意味で、ただし、その意味でだけ、わたしは時々、大いに誤解を恐れながらではありますが、その人々に、こう言います。「ぜひ、教会に遊びに来てください」と。


しかし、そう言いながら、わたしは、誤解されることを、内心で非常に恐れています。だれに誤解されることを恐れるのかと言いますと、最も恐れるのは、教会の皆さんの誤解です。


「わたしたちは、教会に、遊びに来ているわけではない」と言われてしまうことがあるからです。


ですから、これは、非常に難しい問題であると、わたし自身、痛感しております。


「そこで、イエスは言われた。『花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる。』」


ここでイエスさまがしておられることは明らかです。イエスさまは、弟子たちが自由に食べたり飲んだりしていたこと、そのようにして人生を楽しんでいたことを、弁護しておられるのです。


はっきり言って、彼らは、そのとき遊んでいたのです。遊んでもよい場面でした。ところが、遊びというものは、とくに大人の遊びの場合は、時として、弁護される必要があるのです。


日本人は遊ぶことが下手である、と言われた時期があったと思います。今はどうでしょうか。変わってきた面と、少しも変わっていない面とがあるように感じます。


わたしも、どちらかと言えば、遊ぶことが下手です。すべてを仕事として考えてしまう傾向があります。


牧師の日曜日は労働日になりえます。休日も、お正月も、クリスマスも、牧師にとっては労働日になりえます。子どもたちが休みの日にこそ、仕事が集中します。一緒に遊んでやることが、なかなかできません。


それでは、それ以外の日の牧師は遊んでいるのかと言うと、そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。ヒマそうにしていると思われるのが嫌だと、感じるときがあります。


わたしの尊敬する先輩牧師は、自分の手帳の予定欄が真っ黒でないと不安でたまらなくなる人でした。今日の予定は何もない、という日があると、無理やりでも何か仕事を探してきて、空欄を埋めようとしました。


わたしは、それほどではありませんが、その先輩牧師の影響を、いまだに引きずっているようです。わたしはヒマではない、と言いたくなります。


しかし、イエスさまは、弟子たちが遊んでいることを、弁護してくださいました。


彼らが自分の人生を心から喜び、楽しんでいる姿を、温かく見守ってくださり、彼らの生き方にケチをつけようとする人々に、反論してくださいました。


牧師だけの話にしないほうがよいと思います。皆さんの話です。わたしたちの話です。


「花婿」とは、イエスさまのことです。「花婿が一緒にいる」のは、お祝いの席です。イエスさまが共におられるところは、喜びに満ちあふれた楽しい場所であってよいのだと、イエスさま御自身が認めてくださったのです。


わたしたちの礼拝とは、何でしょうか。教会が主催する集会は、何でしょうか。ここはイエスさまが共にいてくださる場所なのですから、楽しんでよい場所なのです。


わたしたちの家庭での生活とは、何でしょうか。今日この礼拝が終わり、それぞれの家に帰ります。明日から職場に復帰します。そこにはイエスさまが共におられないのでしょうか。日曜日は天国、週日は地獄でしょうか。


そんなことはないのです。わたしたちは、教会生活だけではなく、日常生活、人生そのものを楽しんでよいし、楽しまなければならないのです。イエスさまは、いつも、わたしたちと一緒にいてくださるからです。


わたし自身も、何度となく、人から言われることがあります。「教会に通える人は、ヒマでいいですねえ」と。しかし、そんなことを言われても気にしないことです。イエスさまが、わたしたちを弁護してくださるのです。


「そして、イエスはたとえを話された。『だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。また、だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を破って流れ出し、皮袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れねばならない。また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。「古いものの方がよい」と言うのである。』」


イエスさまのこのたとえ話が、前の話とどのように結びつくのかは、少し考える必要がありそうです。


二つのたとえ話の趣旨は、ほとんど同じ、と見てよいものです。


新しい服から破り取った布切れを古い服に継ぎ当てると、新しい服のほうをだめにするし、古い服のほうも新しい部分と古い部分とで、ちぐはぐになるだろう。


新しいぶどう酒を古い皮袋に入れると、発酵の力が強いので、その皮袋を破ってしまう。だからこそ、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れねばならない。


この二つのたとえ話の共通点は、明らかに、新しいものと古いものとの関係はどうあるべきかということです。


しかし、それでは、ここで言われている「新しいもの」とは、何でしょうか。「古いもの」とは、何でしょうか。
イエスさま御自身は、必ずしも、そのことをはっきりと定義しておられるわけではありません。


ただ、しかし、全く分からないという感じはしません。むしろ、状況としては、非常によく分かるものがあると感じます。


状況として想定しうるのは、レビの家で開かれていたパーティーの場面です。


そこにいた人々は、言うならば、「新しい」人々です。レビ自身も、またレビよりも少し前にイエスさまの弟子になったばかりのシモン・ペトロたちも、新しい道を歩きはじめたばかりの人々です。


レビの友人たちも、イエスさまの弟子にはなっていなかったとしても、イエスさまの存在を知り、少なくともイエスさまの語られる説教を耳にし、なんだかまだよく分からないことばかりだけれども、それまでは触れたこともなかったような新しい何かに触れ、何かを考えはじめた可能性のある人々です。


それに対して、「古い」人々とは、だれでしょうか。「古い」とは「新しい」の反対です。それはどういう人々か、想像してみていただきたいと思います。


イエスさまのお考えの要点は、どうやら、「古いもの」と「新しいもの」とを混ぜっ返してしまったり、一緒くたにしてしまったりしないほうがよい、というあたりにある、と見てよさそうです。


ただし、決して悪い意味ではありません。差別の意図はありません。


わたしたちのこととして考えてみると、よく分かるはずです。


たとえば、わたしは、洗礼を受けたばかりの方々や新しく松戸小金原教会のメンバーになってくださった方々に向かって、いきなり、日本キリスト改革派教会が定めている教会規程をすべてきちんと勉強してくださいとか、ウェストミンスター信仰告白のすべてを暗記してください、そうでなければ困ります、などとは言いません。


あるいはまた、先週洗礼を受けたばかりの人を、今週長老に選んだりはしません。


これは差別ではありません。教会生活、あるいは信仰生活にも、長い年月をかけた熟成の期間が必要なのです。


そして、そのようなことよりも、何よりも、むしろ、この意味での「新しい」人々に、教会として提供すべきことがあるのです。


それは、教会は楽しいところである、と知っていただくことです。その楽しさを十分に味わい、堪能していただくことです。教会に来てよかった、洗礼を受けてよかった、と喜んでいただくことです。


「あなたは洗礼を受けました。はい、それでは、来週から、週に二回、断食をしてください」と言われて、教会に来てよかったと喜んでくださる方が、おられるでしょうか。


わたしなら逃げます、と申し上げておきます。


今日の個所で学びうることは、イエス・キリスト御自身の伝道方針が、どういうものであったか、ということです。


(2005年2月27日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年2月20日日曜日

徴税人を弟子にする

ルカによる福音書5・27〜32


関口 康


今日は、短く一段落だけをお読みしました。しかし、ここには、非常に多くの学ぶべき内容が語られていると感じます。


イエスさまが伝道活動を開始されてまもなくして取りかかられた、最も大きな仕事の一つは、御自身の弟子を集めることでした。


イエスさまが最初に伝道活動の拠点を据えられたのは、ガリラヤ湖にほとりに位置するカファルナウムという町でした。


その町で、イエスさまは最初の弟子シモン・ペトロとその兄弟アンデレ、またシモンの仲間であるゼベダイの子ヤコブとヨハネを弟子にしました。彼らは皆、ガリラヤ湖で仕事をしていた漁師たちでした。


しかし、イエスさまは、その後、この町から出て行かれます。27節に「その後、イエスは出て行って」と書いてあるとおりです。


何のために、イエスさまは、カファルナウムから出て行かれたのでしょうか。そのことが、次のように書かれています。


「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」


イエスさまがカファルナウムの町から出て行かれた目的は、レビという徴税人を弟子にするためでした。そのように言うと、少し変に思われるかもしれません。しかし、ぜひ次のようにも考えてみていただきたいのです。


カファルナウムは漁師の町でした。そのため、もしイエスさまが、伝道活動の最初から最後までずっとカファルナウムに留まり続けられたならば、イエスさまの弟子になる人々の多くは、もっぱら漁師とその家族、またその関係者に限られたのではないでしょうか。そんなふうにも考えることができるのです。


それが悪いと言いたいわけではありません。しかし、おそらく、イエスさま御自身が、漁師だけではなく、他の仕事をしていた人々をも、弟子に加えたい、と願われたのです。そのために、イエスさまは、カファルナウムを出て行かれたのです。


レビは徴税人でした。徴税人とは、どのような仕事であったかについては、後ほどご説明いたします。


それよりも前に、今申し上げておきたいことは、このレビこそが、わたしたちが持っている新約聖書の最初の書物であるマタイによる福音書を書いたマタイその人である、という事実です。


レビはマタイのことです。ですから、この人がイエスさまの弟子になったことは、その後じつに二千年間にわたるキリスト教会の歴史の中で、最も重大な出来事の一つであった、と語ることができるのです。


そのレビが収税所に座っているのをイエスさまがご覧になり、「わたしに従いなさい」と言われたところ、レビは「何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った」とあります。


レビは何を捨てたのでしょうか。もちろん、自分の仕事です。また、自分の立場や地位というべきものです。


イエスさまとの出会いが、彼の人生を変えました。それまで持っていたすべてのものを捨てることを、決心することができたのです。


「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。」


レビは、イエスさまの弟子にしていただいたことを、本当に心から喜んだのでしょう。自分の家でイエスのために盛大な宴会を催しました。パーティーを開いたのです。


そして、そのパーティーには、当然のことながら、彼の徴税人仲間や他のたくさんの人々が集まってきました。


今わたしは「当然のことながら」と申しました。その意味は、レビがイエスさまの弟子になる前に徴税人だったから、ということだけです。昔からの仕事仲間が集まってきた、ということでしょう。


しかし、もう少しよく考えてみますと、はたしてこれが本当に「当然」と言えることかどうかには、微妙な問題も含まれているように思われます。


と言いますのは、レビが開いたパーティーは、イエスさまの弟子になったことをお祝いするためのものだったわけです。そうであるならば、そこに集まったレビの徴税人仲間は、はたして、そのお祝いの趣旨や意味をどれくらい正しく理解し、また、彼ら自身の喜びとすることができたのだろうか、ということについては、いくらか疑問が残るからです。


だって、そうではありませんか。


たとえば、わたしたちがイエスさまの弟子になるということは、具体的に言えば、洗礼を受けることです。あるいは、幼児洗礼を受けている人にとっては、信仰告白をすることです。あるいは、もっと直接的な意味で、教会の伝道者になるとか、牧師になる、というような場面のことを、思い起こすことができるわけです。


そのことを、わたしたち自身は、喜ぶでしょう。そして、わたしたちよりも前にイエスさまの弟子になった人々も、喜んでくれるでしょう。


ところが、まだイエスさまの弟子になっていない人々が、わたしたちがそうなったことを、本当に心から喜んでくれるでしょうか。


たとえば、わたしたちが洗礼を受けたときに、教会はお祝いします。それはわたしたちにとっては、非常に「おめでたい」ことですから。


しかし、たとえば、みなさんの中でどなたか、ご自分が洗礼を受けられたときに、教会以外の場所で、親戚や友人を集めてパーティーを開きました、とおっしゃる方がおられるでしょうか。そういう例は、あまり無いように思います。


開いてはならない、とか開く必要はない、という話ではありません。開くことができるなら、素晴らしいことです。しかし、実際には、そのような例は、ほとんどありません。それが、わたしたちの悲しい現実なのです。


ところが、レビは、そのような人々を集めることができたのです。これは、一つの才能であると思われてなりません。


しかしまた、ここでちょっと、思わず考え込んでしまうことがあります。それは、それでは、その日、レビが開いたパーティーに集まってきた人々の目的は何だったのだろうか、という点です。


彼ら自身もイエスさまの弟子の中に加えられた、という話ならば納得できます。しかし、そのようなことは、どこにも書かれていませんし、どうやらその様子は無いのです。


だとすれば、残されている可能性として考えられることが、三つほどあります。


第一の可能性は、彼らは、とにかく、とても義理堅い人々であった、ということです。仲間の誘いとあらば、そのパーティーの趣旨や内容は何であれ、とにかく必ず参加する、という人々であった、ということです。


第二の可能性は、こんなふうなことかと想像できます。レビは、かつての仕事仲間の中では、ボス格の存在であった。かつてのボスの命令に、子分たちは逆らえなかった。そういうこともありうると思います。


第三の可能性は、こうです。彼らは、単純にパーティーが好きだった、ということです。いわば、そこに出てくるごちそうやお酒だけが目当てだった。趣旨や内容などは、どうでもよい。主役さえ放ったらかし。とにかく、ただ自分たちが楽しければよい。そのような人々も、この世の中には、たくさんいます。


どの可能性が事実により近いかについては判断できませんし、もっと別の可能性があるかもしれません。


しかし、そのような判断よりも、興味深いことがあります。


それは、いずれにせよ、レビは、このようなタイプの人々を、自分がイエスさまの弟子になった、というそのことをお祝いするためのパーティーに“誘うことができる”、という独特の才能をもっていたのだ、ということです。


なぜ、このことが、わたしたちにとって興味深いことなのでしょうか。これを、わたしたち自身のこととして考えてみれば、分かるはずです。


おそらくレビは、この後、イエスさまの弟子として活躍するようになってからも、イエスさまが来てくださる集会に、そのような人々を再び誘うことができたに違いないのです。


そういう人々を集めてくることが、レビにはできたのです。これは、一種の才能なのです。わたしたちも、大いに見習わなければならないところではないでしょうか。


しかし、です。わたしたちは、ここまで来て、おそらく、ちょっと立ち止まりたくなるのだと思います。あるいは、ここまで来て、何か腑に落ちないものを感じはじめるのだと思います。


「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。』」


「オイオイ、ちょっと、あなたたち、今行っているパーティーは、何の集まりなのかね?」と問いかけてくる人々がいました。それは、ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちであった、と紹介されています。


たしかに、その日のパーティーは、そのように人から言われたり、見られたりしても、おかしくないような人々の集まりだったのかもしれません。


問題は、徴税人の仕事とは、どのようなものであったか、です。これは、わりとよく知られた話です。


当時のユダヤの国は、ローマ帝国の支配下に置かれた属国でした。そのため、当然のことながら、ローマ帝国は、ユダヤ人たちから、非常に多額の税金を集めました。


その際ローマ帝国は、ユダヤ人たちから税金を集める仕事をする人々の多くを、ユダヤ人の中から選びました。レビもその一人だったわけです。


しかし、そうなりますと、徴税人たちは、いわば二つの国の橋渡しのような仕事をしていることになるわけですから、当然、非常に微妙な立場に置かれてしまうわけです。


ユダヤ人たちの中にもいろんな立場の人々がいたと言われますが、その中には、自分の国を支配しているローマ帝国を憎んでいる人々もいました。


とくにファリサイ派の人々は、ローマ帝国に対して敵対意識をもっていたと言われています。彼らは、宗教的に熱心な人々でしたから、ユダヤの国がローマ帝国の支配下から解放され、宗教的な自立を取り戻し、ユダヤ教の純粋性を回復したいと願っていました。


その人々からすれば、徴税人は、ローマ帝国に収める税金を集めるなどという、およそ許しがたい、けしからん行為をしている人々である、ということになるわけです。


また、徴税人の側にも問題があった、と言われます。


ローマ帝国に収める税金を集める際に多くの中間的な手数料を取り、それによって私財を肥やすこともしていたようです。そのようなことができる、ある種の特権を手にしていた人々である、と見ることができるのです。


そういうわけですから、その日、レビの家に集まっていた人々は、見る人によっては、もう本当に許しがたい、付き合いたくない、心から憎しみを感じるような人々でもあった、ということになるのです。


だからこそ、ファリサイ派の人々は、言いました。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか」と。


「イエスはお答えになった。『医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』」


今日のわたしの話の中に、イエスさま御自身は、あまり登場しなかったかもしれません。しかし、決して忘れていたわけではありません。


レビの家の集まりの真ん中に、イエスさまがおられました。そして、その盛大な宴会を、イエスさま御自身も、心から楽しんでおられたのです。


ただ、イエスさまは、先ほどのファリサイ派の人々のような見方やその視線を、ご存じなかったわけではありませんでした。


言うならば、当然、そのように見られること、批判されることを承知の上で、覚悟の上で、イエスさまは、レビの家に入り、レビの徴税人仲間たちの真ん中で、和気藹々と、楽しいひとときを過ごしておられたのです。


ですから、イエスさまがしておられることは、ある意味で、挑戦であったということができるでしょう。


たとえば、日本の教会、わたしたちの教会の中で、わたしたちがごく普通の、というか率直な感覚として、牧師さんや長老さんたちには、ああいうところには、あんまり出入りしてもらいたくないなあ、と感じるような場所は、どこでしょうか。具体的な例を挙げていくと、必ずいろいろと語弊が出てきますので、やめておきますが。


たとえば、そういうところに、です。イエスさまが、どんどん遠慮なく入っていかれる。


そして、そこにいる人々と楽しく飲み食いしている。


そういうときには、わたしたちでも、ちょっと嫌な気持ちが起こってくるかもしれないのです。


しかし、それは、少なくともイエスさまの場合には明確な目的がおありになる、ということです。


ミイラ取りがミイラになりに行くためではありません。


「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」


ひたすら、このことのためです。


どちらかといえば、火中に栗を拾いに行くためである、と言うほうが当たっています。危ない橋を渡る、という面もあります。


それくらいのことをしなければ、ひとりの人を罪の中から救い出すことができない場合があるのです。


イエスさまがレビを弟子にされたことも、おそらく、そのためです。はっきり言って、レビは、ややアヤシイ人脈を持っている人でした。彼らの中にも、福音の種を蒔きに行くためです。


そのようなアブナイことは誰にでもできることではないかもしれません。


しかし、伝道には、この種の冒険や挑戦が伴うことも、ありうるのです。


(2005年2月20日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年2月13日日曜日

地上で罪を赦す権威

ルカによる福音書5・12〜26


関口 康


今日は、二つの段落を、続けて読みました。最初の段落に書かれていることは、先週の説教の中でも、確認したことです。


それは、イエスさまの伝道活動には、説教の要素と、直接手を置いていやしのみわざを行う要素があった、ということです。“みことば”の要素と“ふれあい”の要素があったのです。


「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」


ここで分かることは、みことばとふれあいというこの二つの要素は、バラバラに切り離されてはならないものである、ということです。


イエスさまは、重い皮膚病にかかっている人の体に触れながら、「よろしい。清くなれ」と言われました。「清くなれ」という御言と共に、清めの出来事が起こりました。両者には密接な関係があるのです。


見方を変えて言いますと、イエスさまが実際になさったことは、“みことば”から離れた“ふれあい”、あるいは“みことば”を抜きにした“ふれあい”だけ、というようなものではなかった、ということです。


「言葉は要らない。ただ一緒に居てくれるだけでいい」というのはドラマのせりふです。イエスさまの伝道は、そういうものではなかったのです。


むしろ、事情はこうです。まず“みことば”が語られます。そして、その“みことば”が、“ふれあい”によって、一人一人の心と体において、実現するのです。


それは、言葉の具現化です。形のないものが、形のあるものとして、示されるのです。


重い皮膚病の人は、イエスさまに「主よ、御心ならば」と願いました。これをもう少し一般的に言い直せば、「主よ、もしよろしければ」となります。


「御心」とは、意志や願いを表す言葉です。ですから、これは「あなたが、わたしの体がいやされるように、と願ってくださるならば」という意味です。


しかし、イエスさまに「もしよろしければ」とお願いするのは奇妙です。わたしたちは、病院で「もしよろしければ、治してくださいませんでしょうか」と言うでしょうか。「いやです」とか言われてしまうと、どうなるのでしょうか。遠慮している場合ではありません。


ただ、この人は、遠慮していたというよりも、むしろ、もうすっかり諦めてしまっていたのではないか、と思われます。


もう治る見込みがない、こんなわたしでもよろしいでしょうか、というような気持ちがあったのではないでしょうか。


事実として、当時、重い皮膚病にかかった人は、治るまで、人々の中で一緒に生活することができませんでした。不治の病と認定されているものにかかってしまったら、二度と社会に復帰できないと、あきらめるほかはありませんでした。


しかし、イエスさまの答えは「よろしい」でした。「もしよろしければ」に対する「よろしい」です。「御心ならば」に対する「御心です!」です。


「そうです。あなたの体が清められることが、わたしの願いです!」という意味です。


「そうです。あなたは独りぼっちではなく、みんなの中で生活できるようになることが、わたしの願いです!」という意味です。


そして、イエスさまは、語られた御言どおりに、その人を清めることがおできになりました。


わたしたちの救い主は、言葉を現実のものとする力を持っておられるのです。


最初の段落については、ここまでにします。今日、主にお話ししたいことは、次の段落に紹介されている出来事です。


「ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」


イエスさまが人々に教えておられました。「教える」の通常の意味は説教です。しかし、その日が安息日だったかどうかは、分かりません。


その場所は「家の中」であったと18節に記されています。安息日ごとに会堂で行われる礼拝ではないことは、明らかです。


マルコによる福音書の平行記事(マルコ2・1以下)を読みますと、どうやら、この「家」は、カファルナウムでイエスさまが滞在されたシモン・ペトロの家であると考えられます。要するに、家庭集会です。


ところが、そこに、ちょっとアヤシイ人々が座っていました。「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」来たファリサイ派の人々と律法の教師たちがいたのです。


こういうことは、時々あります。


わたしが神戸改革派神学校を卒業して、山梨栄光教会(当時甲府塩部教会)に赴任したのは、1998年7月でした。当時33才でした。


たしか、その7月か8月のことです。礼拝に、千城台教会の高瀬一夫先生が、出席しておられました。「お!」と、びっくりしました。


予告なしに突然来られました。夏休みで来た、と言われました。しかし、じつは、視察の意味で来られたようです。そのことを、あとで知りました。


このことは、ある面から言えば、必要なことです。新人教師が、でたらめなことを教えているかもしれません。それで本当に困ってしまうのは、教会であり、信徒です。


ですから、わたしは、この件に関して、否定的な面だけを強調するつもりはありません。


イエスさまのもとにぞろぞろと集まった教師たちの目的は、明らかでした。


最近ちまたで話題のイエスとかいう30才くらいの若い教師が、何を教え、何をしているかを、調査してみなければならない。もし何か問題があるようならば、ただちに活動を停止させる必要がある、と考えたのです。


わたしは今、東部中会の伝道委員会の書記です。中会所属伝道所の問安の仕事は、中会伝道委員の仕事です。伝道所の内部事情にも遠慮なく立ち入り、教師や教会員のしていることをチェックする仕事です。


ときには憎まれ役です。しかし、誰かがしなければならない、という意味で必要な仕事です。そのことを強調しておきます。


「主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群集に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」


イエスさまは、いつもどおり、説教といやしのみわざを行っておられました。


ところが、その日は、いつもより、たくさん、人が集まっていたからでしょう、イエスさまに病気を治してもらいたくて連れてこられた人がイエスさまに近づくことができないという状況が生じました。


それは中風を患っている人でした。その人を連れて来た人々は、何とかしてイエスさまに近づかせたい一心で、その家の屋根瓦をはがし、上から床をつり降ろしたのです。


彼らがしていることは、メチャクチャです。しかし、イエスさまのみわざの本質をよくとらえている人々でした。


先ほどから申し上げていますとおり、イエスさまのみわざには、“みことば”の要素だけではなく、“ふれあい”の要素があるからです。近づくこと、直接さわっていただく必要があることを、彼らは、よく知っていたのです。


だからこそ、イエスさまは、「彼らの信仰」を称賛されました。イエスさまは、「彼らの信仰」をご覧になって、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われたのです。


しかし、あなたの「何の」罪が赦されたと、イエスさまはおっしゃっているのでしょうか。


他人の家の屋根瓦をはがすことも、立派な罪です。そのことでしょうか。


イエスさまの説教の最中に、家ごとガタガタ動かし、集まっている人々に迷惑をかけることも、立派な罪です。そのことでしょうか。


イエスさまに病気をいやしてもらいたくて行列をつくっている人々の前に無理やり割り込んで順番を狂わせてしまうことも、立派な罪です。そのことでしょうか。


別のことを考えるほうがよさそうです。もっと根本的な意味です。その人がそのときまで犯してきた罪、また、それ以後も犯し続けるであろう罪のすべてを、イエスさまは、お赦しになったのです。


そのようなこと、すなわち、地上で罪を赦すことができる権威を、イエスさまはお持ちになっているのです。


「ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」


ところが、律法学者たちの反応は、否定的なものでした。「罪の赦し」を口にするこの男は何者だと。神を冒涜する罪を犯しているのは、この男自身ではないかと。


しかし、よく考えてみると、この人々の反応は、大いに疑問が残るものです。


「ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」という考えそのものは、間違っているとは言えません。


ところが、彼らは、イエスさまが「あなたの罪は赦された」と語ることは間違っている、と考えたのです。


ここから、彼らの考え方がどのようなものだったかが見えてきます。


説教者に許されているのは、「神が罪を赦してくださる」と語ることだけである。ところが、「あなたの罪は赦された」と語ることは許されていないのだと。


それならば、説教者は、このように語らなければならないのでしょうか。


「わたしは、あなたの罪を赦すことはできません。もしかしたら、神は赦してくださるかもしれません。しかし、それはだれにも分かりません。“ただ神のみぞ知る”です」。


これはやはり、どう考えても、おかしな理屈です。彼らの言い分どおりに考えてみると、それでは、この人に「あなたの罪は赦された」という事実を伝えることができるのは一体誰なのか、という疑問が残るではありませんか。


「イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。『何を心の中で考えているのか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか。』」


皆さんは、どちらが易しいとお感じでしょうか。「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと。イエスさま御自身は、何も答えておられません。


わたしが信頼している解説書の答えは、前者です。


ここでイエスさまが強調しておられるのは、「言う」という点です。「言う」とは、語ること、ここでは説教の意味です。


なるほど、「あなたの罪は赦された」と説教することは簡単です。「言う」だけならば、だれでも言えます。そうではないでしょうか。


ですから、イエスさまの意図は、それなのに、なぜ、というわけです。


言うだけならば、だれでもできる簡単なことなのに、言わない、言えない、言わせない。言ってはならないと禁じる人々がいる。


その人々は、簡単なことを難しく考え、事柄をややこしくするだけ。人々を単純に慰め、励まし、助ける言葉を語ることができない。


あなたがたは何をしに来たのか。目の前で苦しんでいる人にやさしい慰めの言葉を語ることもできないのかと、イエスさまは、御言の教師たちを抗議しておられるのです。


「『人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。』そして、中風の人に、『わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい』と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。」


イエスさまは、“口だけの”お方ではありません。「言う」だけではなく、実行される。語られた言葉を実現され、形あるものとして具現化される。そのようなお方なのです。


教会に委ねられた仕事も、じつは同じです。


わたしたち教会に、イエスさまと同じだけのいやしの力が与えられているわけではありません。


しかし、だからと言って、説教だけが、聖書の説明だけが、教会の仕事ではありません。聖書の御言葉を実現し、具現化することが求められます。


たとえば、罪の赦しが、そうです。これを語ることは簡単であると言われます。しかし、「神があなたの罪を赦してくださる」と語るだけでは、不十分です。


イエスさまが弟子たちに教えられた“主の祈り”に「わたしたちの罪を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」(ルカ11・4)とあります。


「わたしは、あなたを赦すことができません。しかし、神は、もしかしたら、あなたを赦してくださるかもしれません」というような屁理屈は、イエスさまの前では通りません。


わたしたちが、このわたしが、今ここで、この地上で、現実に、ひとの罪を赦さなくてはならないのです。


だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなければならないのです(マタイ5・39、ルカ6・29)。


(2004年2月13日、松戸小金原教会主日礼拝)




2005年2月6日日曜日

漁師を弟子にする

ルカによる福音書5・1〜11


関口 康


イエス・キリストは最初、おひとりで、伝道活動を開始されました。しかし、ひとりでできることには、限界があります。協力者が必要です。


なぜイエスさまに弟子が必要だったか。それは、イエスさまの伝道活動は“言葉”だけによるものではなかったからだ、と説明できます。


実際たしかに、イエスさまの伝道活動の内容は、説教(神の言葉を語ること)だけではありませんでした。


もし伝道が“言葉”だけでよいなら、たとえば、その言葉を手紙に書いて送るとか、書物にして配るという方法でも、いちおう事が足ります。メールを送っておけばよいのです。


しかも、その方法を使えば、ひとりから多くの人への情報伝達が、容易になります。


その場合は、かえって、ひとりのほうがよいかもしません。一人の権威ある者の署名がついているほうが、多くの人々に読んでもらえるかもしれません。


ところが、イエスさまの伝道活動には、明らかにもう一つの要素がありました。


苦しむ人々に手を置いていやすという要素です。物理的な距離において近づき、その相手の存在に触れることです。“ふれあい”の要素です。


これは、非常に効率の悪い方法です。いくらイエスさまでも、まとめて一度に、たくさんの人に手を置くことはできません。あくまでも、一人一人です。


人気の高い医師の前には行列ができます。同様に、イエス・キリストの前にも行列ができました。ところが、その人々とイエスさまが言葉を交わし、イエスさまが一人一人に手を置いていやすことができるのは、ほんのわずかな時間だったに違いないことは、容易に想像がつきます。


そのような場合は、どうしたらよいのでしょうか。考えられることは一つです。


イエスさまと全く同じ力、とは言えませんが、イエスさまと同じような力をもってイエスさまを助け、協力する人々が増やされることです。それ以外の道はない、と思われます。


「イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群集がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群集に教え始められた。」


ここで分かることは、ガリラヤ地方でイエスさまの救いを求めて集まってくる人々は、「群集」と呼ばれる単位にまでふくれ上がっていた、ということです。


うれしい悲鳴を上げてよい場面かもしれません。しかし、危険な状況でもありました。


押し合って怪我人が出るかもしれません。イエスさま御自身が、怪我をされるかもしれません。


また、イエスさまの人気が高まってきたことを快く思っていない人々もいました。群衆の中には、そういう人々も紛れ込んでいる可能性がありました。


そこで、イエスさまがとられた方法は、ガリラヤ湖(ゲネサレト湖)に浮かぶ舟に乗り、その上から岸にいる群集に語りかけることでした。これならば、安全です。


たしかに言いうることは、集まる人が多くなれば、全員を視野におさめることができる距離が必要になる、ということです。


しかし、同時に起こることは、一人一人からの距離がどんどん遠くなっていく、ということです。何となく寂しいものがあります。


「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。」


イエスさまが乗っておられたのは、シモン・ペトロの舟でした。シモンは漁師でした。イエスさまは、舟の上から岸にいる群衆への説教が終わった後、シモンに漁をするように言われました。


ところが、シモン・ペトロは、少し複雑な心境になったようです。イエスさまの言葉に対して、ちょっとだけですが、抵抗しています。


わたしは漁師です。漁をする専門家、プロフェッショナルです。イエスさま、あなたは伝道の専門家かもしれませんが、漁の専門家ではないはずです。


なるほど、あなたは、伝道のことではとても苦労しておられることをわたしは知っています。だからこそ、今日は、あなたをお助けしました。


しかし、あなたは、わたしたちの苦労を、ご存じでしょうか。あなたに漁の何がお分かりでしょうか。


そんなふうに言いたい気持ちが伝わってきます。自分の仕事にプライドを持っている人なら、誰でも同じようなことを感じるはずです。


ところが、ペトロは、言いました。「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」半信半疑であった、という説明も可能でしょう。しかし、この後のペトロの反応を見ると、少し違う感じもします。


「先生がそんなに言われるなら、一応やってみますけどね。たぶん駄目だと思いますよ。そこで黙って見ててくださいな」という気持ちがあったのではないでしょうか。


「そして、漁師がそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。」


たくさんの魚が網にかかったとき、ペトロは本当にびっくりしたのです。漁に関しては、だれにも負けないほどの豊かな経験と知識があるというプライドが、一瞬にして消し飛ぶのを感じたに違いありません。


ペトロは、イエスさまに恐れの心を抱きました。そして、「主よ、わたしから離れてください」と言いました。


「主」とは、主なる神を指しても使われる言葉です。しかし、この時点でペトロがイエスさまのことを主なる神であると告白していると考えるのは、少し早すぎるように思います。「先生」というくらいの意味です。


「わたしから離れてください」とペトロが思わず口走った理由は、分かります。おそらくペトロは、イエスさまとわたしとでは“住む世界が違う”と感じたのです。そのように説明している注解書があります。


ここでもペトロの複雑な心境を読み取ることができます。あなたとわたしは住む世界が違うとは、やや失礼な言い方でもあるはずです。


イエスさま、あなたのような方に、わたしの領域に踏み込んでこられると、困ります。はっきり言って、わたしの商売は上がったりです。


わたしは、罪深い人間です。罪深い人間には、それなりに、生きる場所があるのです。


あなたは、あなたの道を行ってください。わたしは、わたしの道を行きます。


このように言いたい気持ちが、伝わってくるのです。


ここでも問題になっていることは、距離の問題です。「わたしから離れてください」とは、わたしの領分に近寄らないでください、という意味です。


たしかにイエスさまは、ペトロに近づいてこられました。ところが、ペトロは「主よ、わたしから離れてください」とお願いします。


かたや、イエスさまに何とかして近づき、イエスさまに手を置いていただき、いやしていただきたいと願っている人々が、たくさんいたにもかかわらず、です。


おかしなものです。イエスさまに近づいていただいて喜ぶ人もいれば、イエスさまに近づいてこられると困る人もいるのです。


触れられてうれしい人と、触れられると「あっち行け」と追い払う人がいるのです。


子どもたちが、そうです。機嫌のよいときは、ヨシヨシと頭をなでられると、喜びます。機嫌が悪いときに触られると、「うるせえな」と噛みついてくるか、ギャーと逃げ出します。まったく気分次第です。


しかし、イエス・キリストは、そういうときにこそ、あえて、その人の部屋の中に踏み込んでこられることがあるのです。


わたしを一人にしておいてください、と言いたくなるような場面でも、イエスさまは、御自身の判断で近づいてこられることがあります。


がっかりしていた気分のペトロに、イエスさまは、あえて近づき、心の中に踏み込んでこられたのです。


「すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」


ペトロが語った「わたしから離れてください」の意味は、あなたとわたしは住む世界が違う、ということである、と先ほど申し上げました。


ところが、イエスさまは、そのようにお考えになりませんでした。


あなたは漁師である。だから、これからあなたは“人間をとる漁師”になるのだ、と言われました。


「漁師をやめなさい」とは言われていません。それどころか、「あなたは漁師であり続けなさい」と言っておられるのです。


そもそも、このような言い方が成り立つのは、イエスさまにとっては、伝道の仕事と、ペトロたちがしていた漁師の仕事とは、同じ世界の中で営まれる、互いによく似た仕事である、とお考えになっていたからです。


もしイエスさまが、宗教の仕事は、世間の仕事とは、次元が違う。全く別世界の、別次元の事柄であるというふうにお考えになっていたとすれば、「人間をとる漁師」という表現は出てこなかったはずです。


シモン・ペトロ、あなたとわたしは、同じ世界に生きている。あなたが魚を集めているのと同じように、わたしは、人間を集めている。それは別の話ではないのだと。


それは、イエスさまも、御自身のことを「人間をとる漁師」であるとお考えになっていたからこそ出てくる言葉です。


もちろん、今は、何でも平等が当たり前の時代ですから、ここでイエスさまがペトロにおっしゃっていることも当然のこととして受けとめていただけると思います。


しかし、当時はまるで違っていたというべきです。これからたくさん出てきますが、当時の宗教家たち、律法学者やファリサイ派と呼ばれた人々は、自分たちは、他の人々とは住む世界が違うと思い込んでいました。


宗教と世間は次元が違うのだと。


イエスさまがお求めになった“ふれあい”は、まさにこの点で、当時の宗教家たちとは全く違っていたのです。


それどころか、イエスさまは、ペトロの職場にもぐりこみ、ペトロの仕事に口を出し、挙句の果てに、ペトロの心の傷に遠慮なくお触りになりました。


そして、あなたは「人間をとる」漁師になれ、と命令されたのです。漁師の仕事を続けなさい。ただし、とるものは違いますよ、と言われたのです。かなり大胆なやり方です。


しかし、どうでしょうか。そのようにでもしなければ、新しい人生を始めることができない人もいるのです。


他人の領分に踏み込み、痛いところに触ることには、もちろん、タイミングの問題があります。


しかし、教会に通っている家族や友人が、キリストの「キ」の字を言うだけで、腹が立ったり、耳をふさいだりしていた人が、ある日ある瞬間に、変わることがあります。


それは、たいていの場合、その人にとって「誰にも触れられたくない」と思ってきた何かに触られたときです。ひとは、そのとき初めて、自分の問題、自分の悩みに深く気づかされ、救いを求めはじめるのです。


ですから、わたしは、少しもあきらめていません。誰のこともあきらめていませんし、あきらめてはならないと思っています。皆さんも、どうか、あきらめないでください。


ただし、今は、イエス・キリストと直接お会いすることはできません。イエスさまは、聖霊において、教会の働きを通して、この世に生きるすべての人々に近づいてこられます。


イエスさまの弟子たちが、イエスさまと全く同じ力ではありませんが、イエスさまと同じような力を与えられて、この世界の人々に触りに行きます。


そのとき、救いといやしが起こるのです。


わたしたちの心も、そのようにして変えられたのです。


(2005年2月6日、松戸小金原教会主日礼拝)