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| 私のカワサキニンジャ1000(2026年9月9日撮影) ※内容とは関係ありません |
【コンビニはモールになるまでの過渡期か】
どのみち(日本の)牧師の経験世界の範囲は狭いと言われれば(日本の)教会の客観的規模がそうなので返せる言葉は無い。なので、これから私が書くことが「誰のことを言っているのだろう」ともし詮索されれば検索可能かもしれないが、「まあ牧師あるあるだな」ぐらいで受けとめていただけるのが助かる。
なるべく特定を避けたいので、いつの何のは割愛する。教団・教派を超えた牧師・神父など呼称はともかく「中の人」側が集まる会に出席したとき冒頭にたいていする自己紹介の場で、その当時の礼拝の出席者数が何人で、人数が増えた減ったを、ほぼ最初から最後まで言い続けた人がいたのを忘れられない。
世代ぐらい明かしていいか。私よりたぶん年上。1960年代前半あたりに生を得た印象。「先生は何歳ですか」と確認してはいない。共通一次第一世代に該当しそう。数字が気になる。礼拝出席者の増減の推移曲線が気になる。増えたら一喜、減ったら一憂。だれと何を争っているのか。超教派の集まりなのに。
私が足立の今の教会に来てよかったと思える最大と言いうる理由ないし魅力は、教会の境内地なり建造物の拡張を「伝道の進展の成果」だと考える人がいないこと。そういう人さんざん見てきて違和感しかなかったから。どう考えても私物ではないのにまるでそうであるかのように誇示したり威嚇したりして。
わりと真剣に問いたいことだが、すべての教会は、三ケタ以上の礼拝出席者になってしかるべき都市部やエキチカに巨大ビルを有する教会になるまでの「過渡期」だと自覚しなくてはならないか。「ああなること」が目標で、「我々はああまでには至っていない」と。その発想自体がどうかしていると私は思う。
ここで話を止める。言いたいことはいくらでもあるが、言い出すときりがない。適切なたとえが思いつかないが、すべてのコンビニが将来的に映画館まで抱えるモールになるまでの「過渡期」だと自己認識しなくてはならないか。私はそうは思わない。たまたまうちの最寄りコンビニは徒歩1分。ほぼ毎日行く。
