2021年1月24日日曜日

宣教の開始(2021年1月24日 各自自宅礼拝)



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週報(第3551・3552号)PDFはここをクリックするとダウンロードできます



マタイによる福音書4章12~17節

関口 康

「そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。」

おはようございます。今日は今年度第2回目の「各自自宅礼拝」の3週目です。

不安な状態が続いていますが、否定的で悲観的なことを言い出せばきりがありません。前向きでいましょう。神さまが必ず明るい希望を示してくださり、また共に集まって礼拝をささげることができるようにしてくださることを信じて、今週一週間を共に過ごしたいと願います。

今日の聖書の箇所は、新約聖書マタイによる福音書4章の12節から17節までです。1年前の同じ時期(2020年1月26日)にも全く同じ「宣教の開始」というタイトルで、私が宣教を担当しました。このタイトルは日本キリスト教団聖書日課『日毎の糧』からそのまま借用しています。

しかし、聖書の箇所とその内容は昨年と今年で全く違います。昨年はヨハネによる福音書2章1節から11節までの「カナの婚礼」についての箇所でした。ヨハネによる福音書によりますと、イエスさまの宣教活動の最初の出来事が「カナ」という名の小さな村で行われた結婚式でイエスさまが水をぶどう酒に変える奇跡を行われたことだった、というあの箇所です。

しかしマタイ福音書は、それとは異なる出来事をもってイエス・キリストの宣教が開始されたように記しています。マタイによる福音書が「そのときからイエスは宣べ伝え始められた」(17節)こととして描いているのは、「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」(13節)こと。つまり、引っ越しです。イエスさまはカファルナウムに引っ越しされました。そのときが宣教の開始だった、ということです。

当たり前かもしれませんが、イエスさまも引っ越しなさいました。物理的・身体的な移動です。イエスさまはどんな荷物をどれほど持っておられたでしょうか。家具や服や本をたくさん持っておられたでしょうか。そういうことを想像してみるのは楽しいことです。

石川献之助先生が昭島市(当時は北多摩郡昭和町)に引っ越しなさったときが昭島教会の宣教の開始です。それだけの責任が牧師に与えられています。二代目の主任牧師の長山恒夫先生は、昭島市に引っ越しはなさいませんでした。三代目の飯田輝明先生は、引っ越ししてこられました。そのように伺っています。私も引っ越ししてきました。

すべての教会に「宣教の開始」のときがあります。それも大事ですが、もうひとつ大事なのは、すべての牧師に「宣教の開始」のときがあるということです。牧師だけの話にしたくありません。すべてのキリスト者に「信仰の開始」があり、それは同時に「宣教の開始」を意味します。

しかし、その問題はここまでにします。イエスさまが宣教活動の最初になさったお引っ越しの意味を考えることが大事です。

第一のヒントは12節です。「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」。そのガリラヤ地方にカファルナウムがあります。そこにイエスさまは「退かれた」のです。ガリラヤは「退く」場所でした。しかも「ヨハネが捕らえられたと聞き」。

関連があるのは同じマタイ福音書の2章22節に産まれたばかりのイエスさまを抱えたヨセフとマリアについて「ガリラヤ地方に引きこもり」と書かれていることです。マタイ福音書によると、ガリラヤは「退く」だけではなく「引きこもる」場所でもあった、ということです。

彼らは何のためにガリラヤに引きこもったのかも記されています。当時のユダヤの王ヘロデが「ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(2章16節)ことと関係しています。ユダヤの王は首都エルサレムに住んでいました。

そのエルサレムからできるだけ遠いところ、それが「ガリラヤ地方」だったということです。そこに「退き」、「引きこもる」ことで、産まれたばかりのイエスさまの命を守ろうとしたということです。その意味で「ガリラヤ」は彼らにとっての安全地帯でした。単純に都会ではなく田舎であるという話だけで片付きません。2歳以下の乳飲み子を容赦なく殺害し、ヨハネを殺害する。そのような凶悪な独裁者の殺害行為から逃れるために物理的距離を置く必要がありました。そのためにイエスさまは「ガリラヤのカファルナウム」に「退かれた」のです。

第二のヒントは13節から15節までに繰り返されていることです。読むと分かるのは、マタイによる福音書が、イエスさまが引っ越しなさった「カファルナウム」があるガリラヤ地方のことを、「ゼブルンとナフタリの地」と呼んでいる旧約聖書のイザヤ書8章23節の言葉に関連付けているということです。そのように関連付けたうえで、「それは預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」(14節)という解説の言葉まで添えています。

この「ゼブルンとナフタリの地」とは何を意味するのかを説明するのは大変なことです。この分厚い聖書の旧約聖書の創世記から申命記までのモーセ五書を全部読み、さらに続くヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記を読み、エズラ記、ネヘミヤ記を読むというような旧約聖書が描く歴史の流れをひと通り学んだうえで、旧約聖書が描いていないもっと後の時代の歴史を勉強してやっと少し意味が分かるといった具合です。

しかし、そのように言うのは意地が悪いかもしれませんので、ごく大雑把なことを申し上げます。私もそれ以上のことは知りません。

はっきりしているのは、ゼブルンとナフタリはアブラハムの子であるイサクの子であるヤコブの12人の子どもたちの中の2人である、ということです。ヤコブは「イスラエル」という名でも呼ばれた人です(創世記32章29節)。ヤコブの12人の子どもが、イスラエル12部族の先祖になりました。つまりゼブルンとナフタリはゼブルン族とナフタリ族の先祖であるということです。

ただし、複雑な事情がありました。ヤコブには2人の妻(姉レアと妹ラケル)と、その2人の妻のもとで働く女性の召し使いがそれぞれ1人ずついて(レア側にジルパ、ラケル側にビルハ)、ヤコブはその4人全員と関係をもつことで12人の子どもを得ましたが、ヤコブは12人の子どもを平等に扱わず、差をつけました。ヤコブが最も愛した女性がラケルで、その子どもたちを最も愛し、他の女性から生まれた子どもより大切に扱うというようなことをしました。

ゼブルンはレアの子ども、ナフタリはラケルの召し使いのビルハの子どもでした。そこから始まっていろいろ複雑に絡み合う部族同士の関係が、その後のイスラエルの長い歴史の中でよろしくない影響をもたらすことになっていきました。

すべて話す時間はありません。今日申し上げたいのはマタイ福音書がガリラヤ地方をわざわざ「ゼブルンの地とナフタリの地」と呼んでいるのは、西暦1世紀のガリラヤの人と関係あるわけがない昔話と結び付けられて、地域差別を受けていた地方であるということを言おうとしている、ということです。聖書を熱心に学ぶのは良いことですが、聖書の言葉で人やモノや地域を差別するのは悪いことです。そういうことがわたしたちの現実の中で起こるのは悲しいことです。

今日の宣教の要旨を週報紙面に書きました。それを読ませていただきます。

「イエスさまの宣教活動の最初の拠点はガリラヤ湖畔の漁師の町カファルナウムでした。そこは、ユダヤ人の歴史の中で辺境に追いやられ、弱い立場にある人々が暮らしていました。イエスさまはそのような人々を助け起こす救いの働きにお就きになりました。わたしたちも、弱さに寄り添う姿勢であり続けたいです」。

最後に書いたわたしたちの意味は「教会」です。

(2021年1月24日、各自自宅礼拝)