2012年6月19日火曜日

カール・バルトにおける根拠(ratio)の問題(1990年)

関口 康 (東京神学大学大学院2年)



今日なお存続するキリスト教文化圏における保守勢力にとって、いわゆるコルプス・クリスチアヌムの伝統とは、たとえそれが歴史的崩壊の危機に晒されているとしても、なお継続されるべきキリスト教形成の歴史経験的規範である。事情がそうであるならば、「なぜわれわれはキリスト者であって、そうでないものではないのか」というキリスト教的実存の「根拠」(ratio)をめぐる議論のなかにも、歴史経験の契機としての「伝統」に関する何らかの価値評価が位置を持たざるを得なくなるであろう。

しかし、そのような価値評価に対して、神学者カール・バルトは、自らの神学的根本態度を「伝統否定」というラディカリズムの上に措いた。バルトの関心事は、コルプス・クリスチアヌムの崩壊という現実をラディカルに対象化し、それに対して究極的終末論的に神学的態度決定を下すことであった。大木教授の表現をお借りすれば、「バルトの思想は、可視的・不可視的に今日に至るまで存続しているコルプス・クリスチアヌムを最後決定的に破壊するという革命的な本質と迫力とをもっており、そこに何よりもバルトの思想史的位置の鮮烈さがあると言わねばならない」。

そのようなバルトの根本態度の全貌は、主著『教会教義学』において明らかにされるが、彼のラディカリズムの最たる表現はその最終巻、第四巻和解論の「召命論」において、次のような表現としてあらわれている。「キリスト教的に規定された一個の伝統の中から生まれ担いでいかなければならない一個のキリスト教的実存という表象の前提は、実は一度も存在しなかった。そしてそのような前提は(それと共にそのような表象も)今日不可能なもの(unmöglich)になっている」。すなわち、端的に言って、これは「伝統否定」の論理である。

われわれはまずここで、バルトのラディカリズムを鮮明化することが肝要である。そこで引き合いにだすべきは、コルプス・クリスチアヌムの崩壊という対象と生涯真剣に取り組んだもう一人の神学者、エルンスト・トレルチの根本態度である。トレルチは第一次大戦後の1922年、ベルリン大学教授時代に、主著『歴史主義とその諸問題』を著したが、そのなかでヨーロッパの文化的伝統の崩壊とその「野蛮化」について嘆くのである。しかしわれわれはトレルチのなかに明らかにバルトとは異なる、よりリアリスティックな響きを聴き取ることができるであろう。

「野蛮化は古くなってしまった文化の痛ましい終焉、それも限りなく長びく終焉であって、力強さと新鮮さに向かう喜ばしき解放ではない。われわれはいまとなっては、われわれの荷物をさらに先へと担っていかざるを得ない。われわれはこの荷物を整理したり、別の肩に背負ったりすることはできる。しかしこの荷物の中にわれわれのすべての持ち物と生きていくための一切の道具とがあるので、われわれはこれを単純に投げ棄てることはできない」。

トレルチの学問的前提は、確かにコルプス・クリスチアヌムの存続ではなかった。しかしながら、トレルチにとってキリスト教的文化の「伝統継承」は不可避であり当為であって、バルトのような仕方で「不可能」として止揚されたりすることはあり得なかったのである。

バルトの「伝統否定」論の究極的表現は、いうまでもなくかの幼児洗礼否定論ならびに洗礼のサクラメント性の否定についての倫理学的問題提起である。1943年の『教会の洗礼論』においてバルトは、宗教改革者による幼児洗礼擁護論の根幹に、中世的なコルプス・クリスチアヌムの伝統継承という仕掛が隠されていることを以下のように指摘している。「人々は当時、どのような場合、またどのような犠牲を払ってでも、コンスタンティヌス以来のコルプス・クリスチアヌムにおける福音主義教会の存在を断念したくなかったのであり……現在の国民教会(Volkskirche)の形態を放棄したがらなかった」。「もしも教会が幼児洗礼と訣別すべきだとしたら、教会はもはや容易に……国教会にはなり得ないであろう。ココニ、ココニ、ソノ悲哀ガアル!」。

われわれは、こうしたバルトの「伝統否定」論の秘密が彼の召命論の中に典型的に表現されているものと考える。「伝統」を否定した上で彼は何をもってキリスト教的実存の「根拠」を考え得たのであろうか。その模索の杣径を探ることによって、われわれはバルト神学における、ある大きなアポリアと出会うことになるであろう。つまりそれは「伝統」概念の対極に措かれるものとして唯一考えられるところの永遠、すなわち無時間性の世界についての表象であり、宗教的ないし神学的な最高表現としての神秘主義の問題なのである。

Ⅰ 召命論の基礎構造

われわれはまず、バルトの提示する召命に関する次のテーゼの特質を分析することからはじめなければならない。バルトの召命論の構造を示すことは、彼の図式主義的傾向からして、ある程度単純化することができる。「召命とは、神の恵みの業と啓示によって定められ支配された人間の時間の中での、活ける神の特別な行為である。……それはイエス・キリストの行為である」。

バルトにおけるBerufungとしての召命とは、特に彼の神論における「行為における神の存在」(Gottes Sein in der Tat)というテーゼにあらわれている神の存在の行為主義に基づく用語法であり、召命とは、神による「召す行為」として捉えられている。そして、バルトはこのテーゼによって、プロテスタンティズムにおける二つの異なった召命論に対する批判を考えている。

その第一は、当時の神学的傾向を支配していた実存主義神学者、ルドルフ・ブルトマンの召命論である。むろんバルトが『教会教義学』第四巻のはしがきに触れている内容からして、そもそも和解論全体がブルトマン批判をめざしていたと断言することもできるであろう。そして、ブルトマン神学の特色であるpro me(わたしのために)的構造は、ドイッチェ・ルタートゥムにおいて継承されているメランヒトンのテーゼ、すなわち「キリストを識ることはキリストの恵み(beneficia christi)を識ることである」の継承であると考えることができるが、バルトによるとこれは「人間中心主義的」または「キリスト者中心主義的」(christianozentrisch)であって、結局は「キリストなし」という全く主観主義的な召命理解を示す結果となるというのである。

バルトが批判する第二の召命論は、改革派正統主義において「救済の秩序」(ordo salutis)の一段階として説明された召命論、すなわち「人間に対してまた人間において行なわれる救済の歴史の様々な活動の、論理的・時間的に区別された継続」という見方、そのなかにのみ位置を持つような召命論である。バルトによると、そのような非歴史的かつ客観主義的な時間区分の方法は「生きたキリスト者なし」の召命論を示すことになるのである。しかし召命とは「すべての人間と同じ時間に生きる方」(Zeitgenosse)の行為としての「時間的な出来事」(zeitliches Ereignis)なのである。

以上のようにバルトは、プロテスタンティズムの伝統的かつ代表的な召命論に満足しない。彼は近代のプロテスタント神学史の全体傾向を鑑みながら、そこでは召命の出来事の孤立化が起こり、その超歴史的前提は排除され、「キリスト者中心主義」の傾向にあったことを指摘する。その神学的系譜は、古くは中世神秘家あるいは宗教改革時代のスピリチュアリステンにさかのぼり、シュライエルマッハーを通ってキルケゴールと結びつく現代の神学的実存主義およびブルトマンにつながるものである。それはイエス・キリストの行為から切り離された「孤立したpro me」を語るものであり、召命の出来事の抽象化であった。つまり、ルター派的pro meは主観主義的な体験主義にして孤立的・抽象的傾向を持ち、またその対極にある改革派正統主義のordo salutisは「召命抜き」の「召命の歴史的および超歴史的前提」を神学的主題にまで高める客観主義であるということができるのである。

ここで注目すべきことは、かつてはエーミル・ブルンナーがバルト神学の客観主義的傾向を批判したが、いまやバルト自ら客観主義の批判者となり、ブルンナー神学の鍵語としての「出会い」(Begegnung)を主張していることである。バルトの行為主義的召命論は、まさに「出会い」をその根本契機としながら、主観主義と客観主義の総合を目指している。そこでは、召命の出来事において「誰が呼び給うのであるのか」ということこそが第一の関心事なのである。

こうしてバルトは、自らの召命論の焦点を、人間の時間=歴史の中にいかにして神の行為=召命が現実化するか、ということに措く。したがって召命論において、人間の時間=歴史についての教説(時間論)と、神の霊的行為=イエス・キリストの霊についての教説(聖霊論)とは構造的関係を持つのである。

Ⅱ 時間論と聖霊論の関係

バルトの召命論は、時間論と聖霊論の関係措定によって展開されるが、それは、まず第一に時間の聖霊論的性格について、第二に聖霊の時間論的性格について、それぞれ論じることによって、双方向からの関係が説明されている。

まずバルトの時間論であるが、彼の否定的伝統理解との関連の下に構成されていると考える時、理解の糸口を見出すことができよう。バルトは時間論を次のように要約する。「元々、時間と歴史は、時間の何か中立的な生の形式ではなく、イエス・キリストにおける神の恵みの御業と啓示によって支配され規定された生の形式である。すべての時間は、潜在的に恵みの時間であり、すべての歴史は、潜在的に救済史である」。

バルトによると、召命の出来事において時間は満たされ、新しい歴史が始まる。しかも「すべての時間と歴史は、それが彼イエス・キリスト御自身の時間と歴史である時に、御霊の約束という形態における彼の来臨(パルーシア)にその意味を持つ時に、まず第一に何よりも、満たされた時間であり、満たされた歴史である」。つまり、御霊の約束という形態をもった来臨(パルーシア)によって満たされた中間時という「霊的な」(geistlich)時間が考えられており、まさにそのことにおいて召命の時間論的契機は聖霊と不可分離の関係を持つのである。

バルトの時間論の特殊な鍵語としての「イエス・キリスト御自身の歴史」の意味は、イエス・キリストが時間の主であること、主イエスの馬小屋から十字架への道は、勝利へと向かう途上性を示している。しかもそれは、和解の出来事(Gott mit uns)によってわれわれの時間との同時性を併せ持つことになる。したがって時間論は、途上性と同時性の二つの性格を持つ。それによって召命論は、目的的・目標論的となり、倫理的特性を示すことになる。

この途上性と同時性との組み合わせは、時間の客観性と主観性との相互関係をめざすが、そもそもバルトの時間論が本質的に救済史的であることは、彼が救済の潜在性ないし召命の予定を指し示すテルトゥリアヌスのテーゼ、「人間の魂は自然的にキリスト教的である」(anima humana naturaliter Christiana)を不用意に持ち込んでいることにあらわれている。

こうして時間の主観・客観構造の均衡関係は崩れ、より主観主義的に傾斜しているといわざるを得ない。とくにバルトが、「イエス・キリスト御自身の歴史」における勝利宣言をもって救済史を基礎づけるとき、人間の救済の途上性は消失する。なぜなら、途上性なき「勝利主義」ないし「宣言主義」は救済のリアリティの喪失を招き、抽象化による自己閉塞の危険に陥るのである。

そのことがよくあらわれているのは、「この出来事(召命の出来事)において起こるプロセス(Vorgang)そのもの」、すなわち召命のプロセス論においてである。「われわれがここで接するのは、決定的・圧倒的に霊的(geistlich)なプロセスであり、それゆえにただgeistlichにだけ認められ、説明され、記述されうるプロセスである」とバルトがいうとき、そこにはキリスト論的な響きよりも聖霊論的な響きのほうが強い。彼は、geistlichを新約聖書のpneumatischとのアナロギアから抽出し、その概念が「(最高度の具体性をもって)、時間的・歴史的プロセスを意味する」と述べることによって聖霊の時間論的性格を説明している。「つまりgeistlichとはgeschichtlichである」。

バルトが時間論と聖霊論とを関係づけることの射程には、第一に、ブルトマンへの批判がある。彼が召命のプロセス論と聖霊論とを関係づけて論じる仕方はブルトマンの方法との相違を先鋭化する。ブルトマンは聖霊の「非神話化」によって召命のプロセス論を論じ、聖霊論を実存論的に改訂する。逆にバルトはpro meを聖霊論において捉える。つまり、神が主体的に働き給うことによって起こる出来事を霊的な歴史とみなすことにおいて、キリストからpro meをとらえることができるようになる。しかし、この展開はきわめて不十分かつ未熟なものと思われ、ブルトマンにおいて精密に展開されているハイデッガー的な実存論に対する説得力を持つ批判とはなり得ないであろう。

また第二に、バルトは、ordo salutisに対する批判を考えている。召命とは「ただひとりのイエス・キリストがそこで行為し働く主体であり給う限り、人間に関しての唯一で全面的な(ein einziges, eintotales)出来事」なのであってordo salutisの出発点でも一段階でもない。むしろわれわれはバルトにおいて、召命のプロセスにおける「変化」に関して、ordo的ではなくpro me的傾向を強く見出すことができる。

こうしてバルトは、召命論においてその時間論的歴史的契機よりも聖霊論的契機に傾斜することによって、時間を止揚する垂直次元からの神の行為としてだけ召命を捉えようとするのである。

Ⅲ 伝統か啓蒙か

さて、次にわれわれは、バルトの召命論の内容構成にしたがって、「人間の身に起こる変化の目標(Telos)」について考察することにしたい。「召命の目標」に関する教説は、『教会教義学』におけるまさに絶頂点を示すものであり、彼の究極的態度決定の表現がここにあると言うことができる。

ここで彼は、「召命の出来事の目標(Telos)」を問うわれわれの問いに対する「正しい」「根本的にきわめて単純な答え」とは、「人間の召命における意図は、人間がキリスト者になること(ein homo christianus werden)」、すなわち「キリスト者の創造」ないし「キリスト者の保持と形成」なのだという極めて単純な帰結を引き出すのである。

キリスト教的実存の「根拠」を召命に措くバルトの見解は、神学的合意事項ではなく、キリスト教的伝統をキリスト教的実存の「根拠」として措くヨーロッパの伝統主義者たちの立場がこれに対立する。すなわち「この命題が提示され主張される時、心をひどく傷つけられるのは、世そのものではなくて、コルプス・クリスチアヌムであり、ヨーロッパの人間である」。

つまりバルトにとってコルプス・クリスチアヌムなるものは、もはや終わってしまっていて、すでに存在しないようなものなのである。そして「近代ヨーロッパ」とは、コンスタンティヌス以来のコルプス・クリスチアヌムを基礎づけてきた「大胆であるが少しも熟していない総合」からくる「軋轢の勃発の時代」、そしてそこにおける「自明理を拒否する時代」、すなわち「キリスト教的実存の独立の時代」(Zeit der Verselbständigung der christlichen Existenz)である。

ここで興味深いことは、バルトが、その時代区分の規準として、カント主義的な「啓蒙」理念を用いていることである。そのことは「キリスト者」という名と「召命」概念との教義学的関係についての詳論のなかにかいま見られる。バルトは「キリスト者」を「特別な仕方でイエス・キリストに属する者」と意義づける。ここで「特別な仕方」とは、実存が「信仰」によって規定されていることを指しており、「イエス・キリストへの信仰の行為的(tätige)知識」によって、やがてすべての人々のものとなるべきキリスト教的実存の形を先取りすることである。それは平たく言えば、よく啓蒙された自由で自覚的で能動的な信仰者である。そして、「キリストへの信従」とは、「人間が屈従させられ蹂躙されることではなく、人間の目が開け、カントが真の『啓蒙』の本質として称賛した、自分の悟性を用いる勇気を持ち、自分自身の足で立ち、自分自身の歩き方・走り方をさせられること」である。

バルトがこのようなカント主義に学ぶようになったのは、マールブルク大学の学生時代の恩師ヴィルヘルム・ヘルマンの影響によることはよく知られているが、その影響が生涯彼を捉えて離さなかったということになる。そしてそのカント=ヘルマン主義の特徴は、トレルチに従うならば、主観主義的倫理主義ならびにキリスト中心主義の傾向において説明されるべきものなのである。

まさにこの点でバルトの行為主義の全貌が明らかにされる。すなわち、イエス・キリストの呼びかけとしての召命という行為主義が、キリスト者の「信仰の行為的知識」という行為主義を導き出し、さらにそれが主体的応答としての「洗礼」の能動的行為主義を導き出していくのである。

そして、キリスト者のイエス・キリストへの「帰属」の関係は、決して「強制的権力」によってではなく「イエス・キリストの御言の力」によるのである。バルトにとってキリスト教的実存の根拠としての伝統とその継承手段としての幼児洗礼とは信仰の強制に他ならない。そしてバルトはその強制からの解放を、カント主義的「啓蒙」理念に求めているのである。

Ⅳ 根拠としての合一

そうであるとすれば、召命の目標としてのキリスト教的実存とはいったい何であろうか。福音は人間にどのように具体化し、現実化するのであろうか。その問いに対してバルトは、それは「キリストとの合一」であると答えている。

つまり、バルトの召命論において「啓蒙」概念よりもさらに重要な役割を果たしている概念的モチーフは「神秘主義」(決してバルトは積極的にこの概念を語りたがらないが)である。それゆえ、マクグラスのように「バルトは啓蒙主義者の精神的子孫である」というような短絡的なテーゼを提出することは危険である。バルトは、誤解されがちないわゆる「キリスト神秘主義」という用語法を意識的に回避しつつ、なおも、キリストとの合一とは、「すべてのキリスト者をキリスト者たらしめるものの究極的で最も正確な定式化である」と結論づけている。

バルトにとってキリスト教的実存とは「キリストとの合一」の実現を頂点とするordo salutis的な段階性や過程性ではないことは、すでに確認済みである。すなわち、ここで、召命において「合一」(unio)が「秩序」(ordo)に対置され、キリスト教的実存の「根拠」(ratio)とは「キリストとの合一」であると言われるとき、それは「キリスト者において在すキリスト」と「キリストにおいて在すキリスト者」という二つの契機の循環関係によって示される。キリストとキリスト者とは、相互関係的、相互浸透的である。これをバルトは、オリエント的神秘宗教からではなく、新約聖書的「神の子」概念やパウロ的用語法としてのεν χριστωの釈義等によって説明している。また「キリストとの合一」を語ることにおいて、召命を聖霊論的性格づけのもとに考えている。

まさにこのことが、彼の召命論を構成している聖霊論的契機と時間論的契機との緊張関係をめぐって、それがより聖霊論的に傾斜していることの理由である。聖霊なしの合一はありえない。バルトの洗礼論において、ほとんど異様なまでに「聖霊のバプテスマ」が強調されるのは、彼の神秘主義のゆえである。

むろん、バルトにおける神秘主義に対する評価は、実はここに初めてというわけではない。それは、初期のバルトがシュライエルマッハー神学に対して与えたある正当な評価のなかにすでに見られるのである。シュライエルマッハー神学における神秘主義的要件をアナテマとみなしたことにおいて、初期の弁証法神学の陣営において注目された神学者はブルンナーであった。ブルンナーはシュライエルマッハー的神秘主義への批判論文『神秘主義と言葉』を書いた。弁証法神学は「神の言葉の神学」と呼ばれるごとく、理性主義的傾向をもち、総じて感情論中心主義的な神秘主義に対しては批判的、否定的であったという意味で、ブルンナーの神学は、問題性を含めて弁証法神学の特色をよく表わしたものであった。しかし、そのブルンナーのシュライエルマッハー批判を他の誰よりも好まず、ブルンナーに対する批判を込めて、『ブルンナーのシュライエルマッハー書』と『シュライエルマッハーのクリスマスの祝い』という書を著したのはカール・バルトその人であった。

それゆえ、バルト神学にはそのはじめから「神秘主義」に対する(積極的とはいえないかもしれないが)評価があったということができる。カトリック陣営のバルト学者ハンス・ウルス・フォン・バルタザールは、バルト神学を「キリスト教的同一性の神学」(Theologie der christlichen Identität)であるとし、そのことにおいてバルトの神学的発展の「根源的同一性」とヘーゲル哲学との「同質性」を見ているが、大崎節郎はそのバルタザールの見解を「根拠ある誤解」として退けている。むろん、バルトにヘーゲルとの同質性があるというフォン・バルタザールの見解に支持を与えることには、十分注意を払う必要がある。しかしバルトにおいて「同一性」(Identität)概念の神学的契機が最後決定的に作用しているということは、とくに召命論的「合一」論を鑑みて積極的に承認すべきことであろう。なぜならバルトは、初期から後期にいたるまで一貫して「コルプス・クリスチアヌムの崩壊」を問題としていたのであり、その現実のなかを臆せず生き抜く新しい人間存在、すなわち新しいキリスト教的実存の根拠(ratio)の再構成を目指していたのであり、まさにそのために、古い共同体に別れを告げてもなお確かに生きており、神との交わりにおける真の自由のもとで実存しているという「キリスト教的同一性」が、バルト神学の鍵概念となることは必然的であると思われるからである。そういう意味において、たしかに「神秘主義」は人間の現実に対するより高次のリアリスティックな認識であり、歴史超越的根拠である。われわれは、バルトの召命論において弁証法神学の神秘主義批判に対するすぐれた修正があると見ることができるであろう。

しかしわれわれは、以上のような仕方で展開された根拠問題のバルト的解決に満足しうるだろうか。いったいこのようにして、キリスト者の過程性としての「秩序」(ordo)を表現するロジックが失われるべきかというと、甚だ疑問である。これがなければ、無節操で虚偽的な普遍救済説(Universalismus)となってしまう。われわれが世界におけるキリスト者の創造について考察する場合、要するに人間の救済の問題を取り扱うことになるが、しかしその過程性を無視するならば、あらゆる歴史性は消失し、無時間的な「閉じた円環」に閉じこもってしまうのである。少なくともたとえば、「たいていの人はある程度の年数と経験を経て本当のキリスト教が分かるようになるということは、正しくしかもしばしば十分に強調されていることである」(トレルチ)といった人間経験に即したもっともらしい主張は完全に意味を持たない無駄話とみなされることになるであろう。

人間は「頂点」に向かって歩むという仕方において、そのとき初めて「合一」の境地に達することができるのではないであろうか。しかしバルトのうちは「秩序」(ordo)の契機に対する正統な評価が見当たらない。このような一種の直接主義では、一切の客観性は破壊されてしまうであろう。



以上われわれは、バルトの「根拠」問題をめぐって、とくに召命論におけるラディカリズムに問題の端緒を見ながら考察してきた。一人のプロテスタントとして、ヨーロッパ社会のうちに旧態依然として伏在するコルプス・クリスチアヌムの残滓を除去するために生涯闘い続けた孤独な神学者、カール・バルト。彼は『教会教義学』の神学的方法論を確立した1931年の『知解を求める信仰』におけるアンセルムス的「根拠」(ratio)についての思索を継続した。そしてバルトはコルプス・クリスチアヌムの「伝統継承」の可能性を否定し、究極的に神秘主義的「合一」理念に基礎づけられた召命理解によって、新しき時代のキリスト教的実存の歴史超越的「根拠」を提示した。しかし同時に、すでに見てきたように、神学的には根本的にアポリアとみなされるべき問題に満ちた諸契機が彼の召命論とその「根拠」理念を基礎づけ、またそれによって洗礼論の非客観主義を説いていることも明らかになった。

それはおそらく、バルトのキリスト論の構造そのものに由来しているに違いない。ヴォルフハルト・パネンベルクは、バルトのキリスト論を「下降と帰還よりなる円環」とみなし、それが啓蒙主義に属する古プロテスタント神学の両性論に由来すること、さらにそれが天からの救済者の下降と帰還という「グノーシス的救済神話の基本線」により接近していることを批判的に述べている。こうしたバルトのキリスト論的円環構造は、結局、救済者の自己救済という絶対者の無時間的自己閉塞に終わってしまい、人間の歴史経験には何の関係も持ち得ない永遠の救済を語ってしまうことになるのである。かくして、おおよそバルト的「根拠」における「伝統否定」とその歴史破壊の契機がまさに「伝統放棄」を意味するものであることが明らかとなった。

しかし、もしわが国のキリスト教事情において、このような議論を無批判に導入するとどうなるか。確かに、いまだかつてわが国の歴史のなかにはコルプス・クリスチアヌム形成の経験も、その伝統も存在しない。しかし、それゆえに、わが国にキリスト教的文化形成も社会倫理の建設も不可能かつ無用であると言うことはできない。宗教は文化とその伝統を創造し、その倫理は宗教によってのみ支えられるのである。しかし、日本史においてキリスト教的伝統形成のための規範が存在しないとすると、バルト的「神秘主義」だけでは実質的なキリスト教形成は決して望めないのである。

むしろわれわれが歩むべき道は、わが国にキリスト教を伝えた人々の「伝統」からこそ、その規範を学びつつ、「キリスト教的文化総合」(christliche Kultursynthese)へと向かっていくことなのである。

(東京神学大学学生会『Theologia (セオロギア)』第37号(1990年)掲載)

2012年6月13日水曜日

「お金の問題」をどう考えるのか

「ミランDFチアゴ・シウバは、パリ・サンジェルマン(PSG)への移籍に向かっていると言われる。高額サラリーが保証されていると言われる中、同選手がインタビューの中でお金は大事ではないと話していたことが分かった。」(2012年6月13日付け、goal.com記事)

T・シウバ:「お金のことは考えていない」(←上の記事の続きはここを開いてお読みください)

「お金のことは考えていない」。こういうことを堂々と言える人が、ぼくは好きです。

ぼく自身は、お金の話題はわりと平気で口にするほうですし、ぼくなりに経済的にはかなり追い詰められた生活をしていると自覚しています。

ですが、ぼくは、だからといって、お金で買収されて自分の言動を変えたことは、いまだかつて一度もないし、今後ともありえません。これだけは間違いなく明言できるし、この点にこそ、ぼくの牧師としての矜持があります。

使徒パウロの「わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず」(コリントの信徒への手紙二2章17節)を、ぼくはつい最近の礼拝説教で取り上げたばかりですが、「売り物にしない」と新共同訳聖書が訳している言葉は「買収されない」という意味でもあると解説しました。

神の言葉は買収されない。神の言葉の説教者は、いかなる買収にも応じない。そういう意味であると、ぼくは言いました。

シウバ選手の話からはどんどん離れてしまいますが、「牧師」と「お金」の関係について考えるたびに思い起こすのは、日本キリスト教会東京告白教会の渡辺信夫牧師の主著『カルヴァンの教会論』の「第一版あとがき」(1976年)の、以下のくだりです。

「牧師が研究をすることには社会的には何の評価も援助もないから、心ある牧師たちは自己の生活を切り詰めることによって辛うじて研究費を捻出する。私もそのような牧師の一人であった。このことを今では幸いであると思う。なぜなら、教会に密着して生きることによって、教会というものが深く理解できたし、民間の研究家として、権力や時流から自由な立場でものを考えることができたからである。保障された研究生活では得られないものが、貧しい牧師の書斎の中で得られたと私は思う。」(渡辺信夫『カルヴァンの教会論 増補改訂版』一麦出版社、2009年、324ページ)

ここで渡辺先生が書いておられる「権力や時流から自由な立場でものを考えることができた」という点が、ぼくにとっても決定的に重要です。渡辺先生も「いかなる買収にも応じない牧師」の一人です。

教会員の献金以外の収入源を牧師がもつことが、権力や時流にからめとられることを必ず意味するわけではない。そういうことを渡辺先生が書いておられるわけではありません。しかし、逆は然りだとぼくは思う。教会員の献金だけで牧師が生活でき、他の収入源を探さないで済むなら、「権力や時流から自由な立場でものを考えることができる」。

しかし、渡辺先生は、もう少し言葉を続けておられます。

「ただ、それらが本書によく表現できたかどうかは別問題である。かえって、叙述の貧困さばかり目につくことになったかもしれない。この書物が日本の牧師の学問の貧しさの標本とされないことを願っている。」(Ibid.)

これも、ぼくは同感なのです。シウバ選手の言葉を借りると「お金のことは考えていない」。これは渡辺先生も、多くの牧師たちも、多くのキリスト者たちも、そしてぼくも同じ気持ちです。

しかし、たとえば、学術研究、あるいはスポーツや芸術などの「成果」において経済的な格差が全く無関係と言えるのか。答えは、おそらく「否」です。歴然とした差があると断言してよいとさえ思う。

ここに矛盾があり、葛藤があると言えば、あります。だけれども、どっちかを選べと迫られれば、ぼくはやっぱり「お金は要らない」と言ってしまいそうです。そうやって自ら窮地に陥ってしまう、見通しの甘い人間です、ぼくは。

自分の人生観や価値観を他の人に押しつけるつもりはありません。でも、逆に他の人の生き方を押しつけられたくもないです。なので、いま書いていることは一種の牽制球だと思っていただいても構いません。

「俺の後ろに立つな!命が惜しければ」(ゴルゴ13)みたいな話です、ということにしておきますね(笑)。

2012年6月7日木曜日

「総選挙時代」をどう生きるか、みたいな話です。


GACKTって人が、Twitterで3月頃、いまぼくが考えてることを一字たがわず書いてました。

「秋元康さん押しだ。悪いか?」

ま、言ってみりゃそういうことです、ぼくも。

今さら「だれ萌え」とか無いですから。ぼくは妻にしか萌えません(笑)。

強いて言えば「ビジネスモデル」として関心があるだけです(これホント)。

46ですからね、25年前の秋元さんの「失敗」を学生時代に見た者です。

ほとんど無意識ですが、必ず比較しながら見てますよ、昔と今を。

よく反省され、改善されてますよ。単純な反復じゃないです。

もっと言えば、46のぼくは、さらに昔の「スター誕生」を小学生の頃に見てますから、さらに無意識な比較が働いてると思う。

「スター誕生」→「おニャン子」→「AKB」

みたいな系譜で、シロウトの子どもたちが世に出るまでの支援企画を見ていくと、反省と改善の流れが分かるような気がしています。

「総選挙は残酷だ」という見方があるかもしれませんが、数字が示すリアルは、勘違いしてる子たちにきっぱりあきらめさせる意味があると思うし、シメルとかハブルとか、恫喝とかインネンとか、その手のしょうもない支配術が成り立たないでしょ。

正確に48人じゃないのかもしれないけど(そのへん知らないです)、40~50人くらいの女の子ばっかの集まりって、ぼくの目から見れば、高校の吹奏楽部とかチアリーダー部みたいに見えるんです。

もちろん、その中のどの子がカワイイとかの関心が全く無いと言えばウソになりますが、ひとりだけが目立ってても仕方ないじゃないですか。

バランスというか統制というか、そういうのをちゃんと重んじたり保ったりしながらチーム全体に安心や躍動を与えられるリーダー格。

それが誰かっていうのは、ハタから見てればすぐ分かりますよ。

恫喝とかインネンとかでシメタリハブッタリしようとしても、ゼッタイ無理ですね。そういうやり方では全体を壊すだけです。そういうことする人は、「総選挙時代」には、センターにもリーダーにもなれません。

アイドルであるかぎり、絶えず順位とか評価にさらされる。そこに「痛み」が発生する。

順位や評価が嫌なら、アイドルっていう看板のほうはとりあえずおろして、もちっと普通の歌手なり俳優なりダンサーなりの道もあるんじゃないかなと、ぼくは思います。

あ、そうそう。

総選挙じゃないですけど、ちょっとだけ似てるのありますよ、牧師たちにも。

一つは、銀座・教文館の「月間ベストセラー20」(http://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/ch_best20)。ここで、キリスト教系のどの本が売れてるかが分かります。

もう一つは、Googleで「説教」とかいう語で検索をかけて表示される順序は、人気なのか何なのかは分かりませんが、とにかく「何か」を物語っているものだと思います。

ちなみに、ぼくの説教のブログは、最近はちっとも更新できてないのですが、Googleで「今週の説教」という語で検索をかけると、今でもいちばん上に表示されます。これだけが、ぼくの自慢でした(笑)。

2012年6月5日火曜日

真昼の悪魔

二年ほど前にひとりの老練なフランス語学者から教えていただいた「真昼の悪魔」(démon de midi)という言葉は、旧約聖書(詩編91:6)を出典としながらも、そのうち聖書の原意からは離れて独り歩きし、「40代男性を襲う性的誘惑」を意味するようになったとのこと。

その方は、ぼくが「40代男性」であることを知っていて、なんだかさっぱり分かりませんが、ぼくのことを心配してこの言葉を贈ってくださったのですが、「まあ、ぼくにかぎってはその種の心配には及びませんよ」と、お答えしたものでした。

しかし、ぼく自身のことはさておき(幸いなことに昔から非モテ系なんでそういうのいまだかつて全く無いです)、同世代の人たちの(かつて親しい先輩だったり仲間だったりする人たちの)その種の話を漏れ聞くたびに、心底がっかりします。

使徒パウロの言葉を(原意どおりに)借りて言わせてもらえば、「いっそのこと切り取ってしまえ」(ガラテヤの信徒への手紙5:12)と言いたいですね。冗談じゃないですよ、マッタク。