2007年8月26日日曜日

「あなたと家族を救う言葉」

使徒言行録11・1~18



「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った。そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。『わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。「ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。」』」



使徒言行録10・1から始まる、異邦人コルネリウスの話は、今日の個所で終わりとなります。「異邦人コルネリウスの話」とは、次のようなものでした。コルネリウスがキリスト教の洗礼を受けたいと願ったとき、当時の教会は、異邦人に対しては“開かれて”いませんでした。



ところが、コルネリウスがそのような強い願いを持って教会に近づいて来たこと、また神御自身の導きと配慮を得たこと(「天使」の動きに注目!)によって、当時の教会が異邦人コルネリウスを教会の正式なメンバーとして受け入れるという決断を下すことができた、という話です。



つまり、この出来事の中心は、狭く閉ざされていた教会の門が、より広く開かれた、という点にある、と申し上げることができます。



教会が「閉じている」ということのすべてが悪い、と申し上げたいわけではありません。教会は基本的性質として「信者の集まり」です。教会が自らの存在を信仰を持たない人々に対してすっかり明け渡してしまうことはありえません。それは、教会が教会でなくなる時です。この点では、教会は“閉じた”存在でもあります。



しかし、ここですぐに考えなければならないことは、「信者」とは何なのか、ということです。別の問い方をするならば、わたしたちは、いつ・どこで・どのようにして「信者になった」のか、ということを考えてみなければならないと思います。



わたしたちは、いつ「信者になった」のでしょうか。それは、いずれにせよ間違いなく、時間的な過去に属する「あるとき」です。「生まれたとき」ではなく、また「生まれる前」でもありません。信仰は、血や遺伝子によって受け継がれるものではありません。自覚も決断もなしに、自動的に「信者になった」という人は、一人もいないのです。



それでは、わたしたちは、どこで「信者になった」のでしょうか。これは、人によって違うところでしょう。教会の礼拝に出席していたとき、かもしれませんし、職場で仕事をしていたとき、かもしれませんし、人生の大きな苦労や試練を体験したとき、かもしれません。



重要な問題は次です。わたしたちは、どのようにして「信者になった」のでしょうか。この問いに対するわたしたち教会の者たちの答えは、「教会の信仰を告白し、教会の洗礼を受けることによって」というものです。



ただし、ここでどうしても忘れられてはならないのは、幼児洗礼を受けている人々です。この人々は、自分の信仰告白なしに洗礼を受けているわけですから、その人々が「教会の信仰を告白する」までは、言葉の正しい意味での「信者」と呼ぶことは難しいでしょう。



私が申し上げたいことは、幼児洗礼を受けた人々(信仰を告白していない未陪餐会員)のことを考えると、教会は“開かれた”存在であるということが分かる、ということです。なぜなら、「信仰を告白していない未陪餐会員」は、わたしたちの教会の“会員”なのです!教会は「信仰を告白していない」人々のためにも(!)存在するのです。



しかし、教会は、幼児洗礼を受けている人々に対してだけ“開かれている”のではありません。もう一方の大きな存在として、「洗礼を受けていない求道者」の人々のためにも、教会は存在します。教会は「洗礼を受けていない」人々のためにも(!)存在するのです。



教会は、「洗礼を受けていない求道者」を心から歓迎したいという強い意思をもって受け入れています。なぜなら、わたしたちが「信者になる」ためには、教会の信仰を告白し、教会の洗礼を受けなければならないからです。その意味は、わたしたちが「信者になる」という出来事は、教会というこの場所と全く無関係に起こることではありえない、ということです。



だからこそ、です。わたしたちは、「洗礼を受けていない求道者」の人々を心から歓迎し、積極的に受け入れなければなりません。その人々が信仰を告白し、洗礼を受け、神の救いの恵みに豊かに与る人になるために、「教会」が必要だからです。その意味で、その人々に対して、教会は十分に“開かれて”いなければなりません。



しかし、です。現実の教会はそのような締め出しをしてしまうのだということを知る、まことにショッキングな出来事が、11・1~2に記されています。



ここで「異邦人」とはコルネリウスのことです。コルネリウスは、イエス・キリストへの信仰を告白し、洗礼を受けました。そのことをエルサレム教会の人々が知ったときに、二つの反応が起きたと考えてよいでしょう。



第一は、一人の救いを求める魂が救われたことを率直かつ無邪気に喜ぶ、という反応でしょう。そういう反応もあった、と考えてよいと思います。



しかし、第二の反応として、強い危機感ないし危惧のようなものを抱いた人々もまた、少なからずいた、ということも明らかです。実際、ペトロが異邦人コルネリウスと一緒に食事をしたというだけで、かんかんに怒っているような、こっぴどく責め立てるようなことを言い出す人々がいたのです。コルネリウスがイエス・キリストへの信仰を告白したこと、洗礼を受けたこと、救われたことが、悪いことだったかのようです!



それは悪いことなのでしょうか。現実的に言えば、「洗礼を受けていない求道者」が洗礼を受けて教会のメンバーとなるとき、教会は“リセット”される必要があるのではないかと思うほどです。



それはどういうことか。聖書についても・信仰についても・教会についても、まだ何もご存じでないような人々を教会が受け入れるという場合、「このくらいのことは、いちいち言わなくても分かるでしょ」とか「分からないことがあれば、何でも質問してちょうだい」と言うだけで済ませることはできません。それは、ぶっきらぼうな態度です。そういう人々の多くは、何を・どのように質問してよいのかさえ分からないのです。



しかしまた、そのときは、長い教会生活を送って来た人々にとって、大きなチャンスでもあると思うべきです。教会生活が長ければ長いほど「今さら聞けない」と感じていることが増えているのではないでしょうか。実際のわたしたちは、知らないことだらけです。だからこそ、わたしたちは、与えられたチャンスを生かすべきです。



求道者が洗礼を受ける、あるいは未陪餐会員が信仰を告白する。そのことが起こるとき、教会全体が、いわば初めから学びなおすべきなのです。そして、そのことを、わたしたちは喜ぶべきであり、感謝すべきなのです。



ペトロは、エルサレム教会を、一生懸命に説得しました。異邦人コルネリウスを教会のメンバーとして受け入れたことは神の御心であり、神御自身が心から喜んでくださることである、ということを、言葉を尽くして語り、教会を説得したのです。



ペトロがエルサレム教会を説得するために発している言葉のなかで最も興味深いのは、この話のきわめて重要なポイントのところで「天使」が登場することです。



「天使」がコルネリウスに向かって、このような素晴らしい言葉を語ってくれたというのです。天使は神の代理者です。天使の言葉は神の言葉なのです。



「あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる」の中の「あなた」とは、コルネリウスのことです。信仰を告白して洗礼を受けることを、決心し約束する気持ちを固めているコルネリウスです。しかし、「家族」は、どうでしょうか。コルネリウス自身はともかく、「家族」は、信仰を告白したり、洗礼を受けたりするというようなことについて、積極的な気持ちを持っていなかったかもしれません。しかし、「家族」も救われる!



「使徒ペトロが語る言葉」とは、教会の礼拝説教のことであり、また、教会において・教会を通して・教会を用いて語られる牧会的な対話のことです。総じて、「使徒の言葉」とは、すなわち、“教会の言葉”であると呼んでもよいでしょう。



“教会の言葉”が、あなたと家族の者すべてを救う。「救う」とは解放すること、自由にすることです。罪と悪と死の束縛する力からの解放、これが救いです。



教会の語る言葉にはそのような力がある、ということについて、皆様には、「そのとおり!」と言って同意していただけるでしょうか、それとも、同意していただけないでしょうか。このあたりに、わたしたちの信仰生活のバロメーターがあると思われてなりません。



「教会に来て良かった!」と、(家族揃って!)感謝できる日が来ること。



「わたしの教会」、すなわち、安心と納得をもって参加できる教会が見つかること。



これこそが、わたしたちの人生のなかで、非常に大きな目標でありうるのです。



(2007年8月26日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年8月12日日曜日

「神は人を分け隔てなさらない」

使徒言行録10・34~48



今日の個所は先週学んだ個所の続きです。しかし、今日お話ししますのは一つの点です。 「神は人を分け隔てなさらない」という点です。



先週の個所から登場しているのはコルネリウスという人です。コルネリウスは異邦人の軍人でした。この人が、要するに「教会に通いたい」という願いを持っていたと考えられます。この個所に、そのようにはっきりと書かれているわけではありませんが、だいたいそのようなことであると考えてよいでしょう。教会に通いたい理由は聖書を正しく学び、正しい信仰を身に付けたいというようなことだったのではないかと思われます。



ところが、です。当時のキリスト教会は、なんと残念なことに、「異邦人お断り」という姿勢をとっていたのです。異邦人であるコルネリウスにとって、当時の教会に立ち入ることは、非常に難しいことでした。歓迎されないのですから!嫌がられているのですから!



しかも、困ったことに、当時の教会は、異邦人を事実上締め出す態度をとっていたことを“聖書に基づいて正しい”と確信していました。わたしたちにとって聖書に基づく確信は、まさに絶対的な性格を持ちます。「聖書にこう書いてある」と言われると、ぐうの音も出ません。これが人を黙らせる手段として持ち出されるときには、凶器にもなります。



わたしたちは、聖書に基づいてキリスト教信仰の揺るぎない確信を得ることもできますが、同時に聖書に基づいて大きな罪を犯すことがありうるのです。聖書に基づいて、人の心を最も深く傷つけることがありうるのです。



しかし、当時の教会が持っていた確信を、聖書の御言葉の究極的な意味での“著者”であられる主なる神御自身が打ち破られる、という出来事が起こったのです。それは、神がペトロに「夢」をお見せになる、という出来事でした。夢の内容は、10・9~16に記されているとおりです。



ただし、今日の個所に記されているのは教会全体の方針転換に至るよりも前のことです。ペトロという一個人の見解が変わる、という段階であると見ることができます。



しかしまた、そのペトロは、やがて、この自分の見解の変更を当時の教会の会議の席上で発表し、そこでの議論を待って、それを教会全体の見解にしていくという段階を踏んでいきました。



まさにこの点に教会会議の存在理由がある、と言ってよいでしょう。「聖書にこう書いてある」という仕方でわたしたちがまさに絶対的な確信を持っていることの中には間違って確信してしまっていることもある、ということに気づいたときに、深く反省し、根本的に方向を転換していくために、教会会議と、そこでの徹底的な議論とが、必要なのです。



そのようにして、西暦一世紀の教会は異邦人を拒むことをやめました。そして、可能なかぎり積極的に、異邦人に伝道するようになっていったのです。



「そこで、ペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。』」



ペトロは、自分自身で夢を見たことと、また異邦人コルネリウスとの出会いと話し合いの中で自らの信仰的確信の内容を変更しました。ユダヤ人は異邦人と交際してはならないという“聖書に基づく”確信を、自ら放棄しました。放棄することができた、という言い方をしておきます。自分の信仰的確信ないし宗教的確信の内容を、たとえ一部分でも放棄することは、実際には非常に難しいことであり、また、しばしば、とても耐え難い苦痛を伴うものだからです。



しかし、変更が必要ならば、変更すべきです。自分の確信する内容を変更することには苦痛を伴うので、「変更したくない」という気持ちが起こることは理解できます。しかし、間違った確信を持ち続けることや、間違っていることを「間違っていない」と言い張ることは、もっと大きな間違いなのです。



ペトロが新たに得た確信は、「神は人を分け隔てなさらない」ということでした。日本聖書協会の口語訳(1954年版)では「神は人をかたよりみない」と訳されていました。この訳も素晴らしいと思います。



ペトロが口にしている言葉の趣旨は、神は特定の人々をえこひいきなさらない、ということです。人種や民族、男か女か、あるいは経済的に豊かであるかそうではないかというようなこと、その時点で職業を持っているかどうか、学歴その他、などなど。そのようなことで、神は人を差別なさらない、ということです。



しかも、ここで直接的に問題になっていることは、教会の入会資格の問題です。この人は教会に入会する資格があるとかないとかを決めるのは、神御自身です。神が入会を許可しておられるのに、人間が入会を拒んではなりません。神が「受け入れます」と言われるなら、人間はそれを拒んではならないのです。



ちょっとだけ、私が気になっていることに触れておきます。それは、たとえば、中会や大会などでしばしば耳にする「教会の高齢化問題」というような言い方です。



「教会に若い人がいない。このままでは教会は滅びてしまう。若い人にぜひ来てほしい」。理屈としてはごもっともと思う面もありますが、いずれにせよひどく語弊がある物の言い方でもあることは事実です。



教会は、いつから「高齢者お断り」の看板を挙げるようになったのでしょうか。「神は人を分け隔てなさらない」のです。「私は高齢者だから、教会にとっては不要な存在なのだ」というようなことを少しでも考えさせてしまうような言葉遣いを、教会は用いるべきではありません。そういうことを自分が言われたらどんな気持ちがするだろうかと考えていただきたいのです。



高齢者だけではありません。教会は「こういう人に来てほしい」という言い方をすべきではありません。人の心は非常に複雑でデリケートなものです。「こういう人に来てほしい」という言葉を聞くと、「“こういう人”に当てはまらない人間は不要な存在なのだ。この私も不要な存在なのだ」と考え始めてしまうのです。



「神は人を分け隔てなさらない」のです。そのことをペトロははっきりと確信しました。そしてそのペトロのいわばこの時点ではまだ個人的な性格をもっていた確信が、やがて、教会の根本的な方針変換へとつながっていくことになりました。



当時ユダヤ人が大多数を占めていた教会が「ユダヤ人は異邦人と交際してはならない」という点にこだわり続けるなら、異邦人たちがイエス・キリストへの信仰によって救われ、教会で洗礼を受けてキリスト者になることは、絶対に起こりえないことになってしまうのです。



この点はいろんな面に応用できます。昨年の東関東中会設立記念信徒大会の実行委員会が神経を用いて考えたことは、体の不自由な方々への配慮という点でした。中会の諸教会にアンケートをとった結果、信徒大会に参加を予定している人々の中には、特別な介助を必要としているほどの障がいを持っておられる方はいない、ということが分かりました。



しかし実行委員会は、アンケートの結果はそうであっても体の不自由な方々への配慮は行うことに決めました。重度の聴覚障がい者はおられなくても手話通訳をお願いしましたし、車椅子の参加者はおられなくても介助スタッフをお願いしました。「いないからしない」というのは、事実上の締め出しを意味するのです。たとえそれが故意や意地悪でしていることではなくても(故意や意地悪でしているなら、それはそれで大問題ですが)、事実上の結果として「そういう人々は来てはならない」と、態度で示してしまっていることがありうるのだ、ということに気づく必要があるのです。



松戸小金原教会の今の会堂が建てられたときに、私は立ち会っておりませんでしたので、皆さんがどのような議論をなさったのかは、全く知りません。知らないほうがよいこともあると思っています。しかし、この会堂で素晴らしいと感じる点の一つは、エレベーターがあることです。礼拝堂が二階にあるからです。二階に礼拝堂があるのにエレベーターがないという教会は、階段を登ることができない足の不自由な人々を、事実上締め出してしまっているのです。今では、皆さんにとって本当に重宝している部分ではないでしょうか。



しかも、ここで重要なことは、教会は何のためにあるのか、という問いを持つことだと思います。コルネリウスに対するペトロの答えの中にも、この点に触れている言葉があります。「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」と書かれている、これがそれです。



このペトロの言葉は、功績主義的に解釈されてはなりません。功績主義的な解釈とは、どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行いさえすれば、神に受け入れてもらえます、というような読み方です。神に受け入れてもらうためには、神を畏れて正しいことを行うという功績的条件を満たす必要がある、という読み方です。



しかしペトロが言おうとしていることは、そういうことではありません。ペトロの言葉の趣旨は、教会とは何のためにあるのか、ということにかかわるものだ、と考えることができるでしょう。つまり、教会とは「神を畏れる」場である、ということです。



また「正しいことを行う」のここでの意味は、一般的・人間的・道徳的な意味での正しさを満たす、ということではなく、神の御心に従う、ということです。神の御心は正しいものですので、その神の御心の正しさに従うことによって、その結果、正しいことを行うことになる、ということです。また、神の御心の正しさには、一般的・人間的・道徳的な正しさを満たす要素も多く含んでいますので、神の御心に従うことによって、その結果、それらの一般的な意味での正しい行いをすることにもなる、ということです。



ですから、このように考えますと、ペトロの言わんとしていることは、「神を畏れること」と「神の御心の正しさに従って生きること」が教会の存在理由なのであって、その教会に入会することにおいては、いかなる差別もあってはならない、ということである、ということがお分かりいただけるであろうと思います。



念押しのために、繰り返して申し上げておきます。教会は「“こういう人”に来てもらいたい」というような願いを持つべきではありません。そのように願うときの“こういう人”とは、しばしば、ある人々にとって都合が良いだけの存在です。



神の御目には、“こういう人”と“ああいう人”の差別はないのです。「あなたは福音を信じて救われることなど、なくてもよい」というようなことを言われなくてはならない人は、この世界に一人もいません。



今日の個所の出来事は、「ペトロの“回心”」と呼んでもよいくらいです。ペトロが方針を変えることができたので、異邦人コルネリウスはやっと教会に受け入れられたのです。



一人の新しいキリスト者が誕生したのです!



(2007年8月12日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年8月5日日曜日

「すべてのものは清い」

使徒言行録10・1~33



今日の個所に記されていますのは、教会の長い歴史の中で最も大きな意義を持つ出来事の一つであると考えることができます。少なくとも使徒言行録に記されている出来事の中では最大級の意義を持っていると言ってよいでしょう。実際この出来事のために割かれているページの数を見ていただくだけでも、この問題の取り扱われ方が非常に丁寧かつ慎重であることが分かるでしょう。



それは何か。教会がこの日このときまで目を向けようとしていた方向が事実上逆転したということです。逆転は言いすぎかもしれません。百八十度の方向転換とまでは言えないかもしれません。しかし、少なくとも相当の変化であり、根本的な方向転換がありましたということは、間違いなく言ってよいと思います。



この日このときまで、教会の目は、もっぱらユダヤ人たちに向けられていました。教会の使命は、ユダヤ人に伝道することでした。しかし、まさにこの日このときから、教会の視線が逆転しました。根本的な方向転換を遂げました。ユダヤ人以外の人々、すなわち、異邦人に目を向けるようになったのです。これがこの出来事の具体的な内容です。



当時の教会が使命としてきたことは、ユダヤ教を信じている人々に対して、あるいは、ユダヤ教団の事実上の支配下にいる人々に対して、イエス・キリストへの信仰を宣べ伝え、ユダヤ人たちをキリスト教会へと招き入れることでした。



それは同時に、ユダヤ人たちがイエス・キリストを十字架につけて殺した、ということについての厳しい裁きと断罪、そしてそのことを率直に認めて悔い改めるように、という強い勧めが含まれていました。



しかも、それは、当時の教会の人々にとってはユダヤ人に対する愛を意味していました。キリストの弟子たちのほとんどもユダヤ人でした。イエス・キリストを殺した人々は彼らの同胞でした。愛すべき家族でした。キリストの弟子たちは、ユダヤ人を愛するがゆえに、ユダヤ人に福音を宣べ伝え、自分の罪を認めて、神に立ち返るように勧めたのです。



しかし、問題もありました。それは、皆さんには、すぐにご理解いただけることです。要するに、ユダヤ人たちばかりが集まっている教会には、ユダヤ人以外の人々は来にくい、という問題です。



初代教会の人々がユダヤ人以外の人々(異邦人たち)への伝道を面倒くさがっていたかどうかは、はっきりとは分かりません。しかし、おそらく非常に大変なことであったのではないかということは、想像に難くありません。なぜなら、ユダヤ人たちの多くは、それこそ生まれたときから聖書に基づく宗教教育を受けてきた人々であるのに対して、異邦人たちには、聖書の知識がなかったからです。



聖書のみことばに関しては、一を聞けば十を知るユダヤ人たちに対して、十を聞いても一しか分からない異邦人に伝道することになる。そうであることを教会が面倒くさがっていたということではないと思います。しかし、それは相当大変なことであると当時の教会の人々が感じていたのではないかと想像することは可能でしょう。



もちろん現実には、どちらが面倒で、どちらが簡単かは分かりません。ユダヤ人たちが聖書の知識を豊かに持っていることが、かえってキリスト教信仰を受け入れるための妨げになった面もあるだろうと思われるからです。なぜなら、ユダヤ人たちの聖書の読み方はユダヤ教的な読み方であって、キリスト教的な読み方とは異なるものだからです。聖書についての先入観をほとんど持っていない異邦人のほうが、かえってキリスト教信仰を素直に受け入れることができたのではないだろうかという面もあったはずです。



実際の理由は今日の聖書の個所に記されているとおりです。少なくともルカが説明している理由は、今申し上げたことではありません。その理由とは何か。初代教会を構成していたユダヤ人たちは、異邦人との交わりを“聖書に基づいて”自粛していたのです。そのことが、28節に記されていますので、先に見ておきます。



「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています」(10・28)。



「律法」とは聖書のことです。聖書には、ユダヤ人は外国人(異邦人)とは交際してはならない、と書いてある。だから、ユダヤ人たちが集まっている教会の中に異邦人たちを招きいれることは、“聖書において”禁じられていることなのだという理解が、当時の教会の中にあった、ということです。



しかし、そのような聖書理解を、教会自身が根本的に変更することになった。根本的な方針転換を図ることになった。その変更と転換のきっかけとなった出来事が、今日のこの個所に記されているのです。



「さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。彼は天使を見つめていたが、怖くなって、『主よ、何でしょうか』と言った。すると、天使は言った。『あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、革なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。』天使がこう話して立ち去ると、コルネリウスは二人の召し使いと、側近の部下で信仰心のあつい一人の兵士とを呼び、すべてのことを話してヤッファに送った。」



1節から8節までに登場するのは、カイサリアに住んでいるコルネリウスという異邦人と、二人の召し使いです。コルネリウスは異邦人でしたけれども、だからといって、差別や偏見をもって見られなければならないような特別な悪人であったわけではありません。熱心で真面目な信仰者でした。



ただし、コルネリウスが信じていたのは厳密な意味でキリスト教の信仰であったのかと問われるならば、おそらく最初の時点ではそうではなかった、と答えるべきです。それではユダヤ教の信仰だったのでしょうか。おそらくそうだったと思いますが、純粋にあるいは厳格にユダヤ教の教えを守っていた人であると断言できるほどかどうかは分かりません。なぜこのような微妙な言い方をしなければならないのかと言いますと、まさにこれが先程触れました、ユダヤ人たちは外国人たちとは“聖書に基づいて”交際していなかった、という事実に関係してくるのです。



コルネリウスはユダヤ教の教会から事実上締め出されていたのです。またキリスト教会の中のユダヤ人たちからも事実上締め出されていたのです。



それならば、いったい、コルネリウスは、どこの教会に通えばよかったのでしょうか。ユダヤ教の教会からも、キリスト教の教会からも締め出されて、果たして、どこで聖書を学べばよいのでしょうか。聖書なんか教会に通わなくても独学で学べるものであるとか、聖書なんか読まなくても、神を信じることはできる、というようなことを、われわれの口から言ってよいのでしょうか。そういうことを、わたしたちの口から、言ってはならないのです!



わたしたちの確信は、聖書を学ぶためには、教会に通うべきである、ということです。正しい信仰を身に着け、正しい生き方を貫いていくためには、教会の中で聖書を学ぶべきである、ということです。



しかし、コルネリウスは、事実上、教会から締め出されていました。当時の教会はもっぱらユダヤ人たちによって成り立っており、かつそのユダヤ人たちが「外国人と交際してはならない」という“聖書の教え”を忠実に守っていたからです。



ところが、コルネリウスは、要するに、教会に行きたかったのです。聖書を正しく学び、正しい信仰を身につけ、正しい生き方を貫いて行きたかったのです。この人が教会に足を踏み入れることができなかった理由は、ただ一つ、ユダヤ人ではなかったからです。



しかし、このコルネリウスに、またとないチャンスが訪れました。コルネリウスのもとに天使が現れ、ヤッファにいるペトロのもとに人を送って、ペトロを招きなさい、というお告げをいただいた、というのです。



「翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。』こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。ペトロが、今見た幻はいったい何だろうかと、ひとりで思案に暮れていると、コルネリウスから差し向けられた人々が、シモンの家を探し当てて門口に立ち、声をかけて、『ペトロと呼ばれるシモンという方が、ここに泊まっておられますか』と尋ねた。ペトロがなおも幻について考え込んでいると、“霊”がこう言った。『三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。わたしがあの者たちをよこしたのだ。』ペトロは、その人々のところへ降りて行って、『あなたがたが探しているのは、このわたしです。どうして、ここに来られたのですか』と言った。すると、彼らは言った。『百人隊長のコルネリウスは、正しい人で神を畏れ、すべてのユダヤ人に評判の良い人ですが、あなたを家に招いて話を聞くようにと、聖なる天使からお告げを受けたのです。』それで、ペトロはその人たちを迎え入れ、泊まらせた。翌日、ペトロはそこをたち、彼らと出かけた。ヤッファの兄弟も何人か一緒に行った。次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。ペトロは彼を起こして言った。『お立ちください。わたしもただの人間です。』そして、話しながら家に入ってみると、大勢の人が集まっていたので、彼らに言った。『あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。』すると、コルネリウスが言った。『四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。「コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある革なめし職人シモンの家に泊まっている。」それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。』」



ルカは、ペトロとコルネリウスの出会いまでの経緯について、(ちょっとくどいと感じるほどに)非常に詳しく丁寧に書いています。



興味深いのは、ペトロがコルネリウスに出会う前に、ペトロの側にも、ひとつの幻を、神御自身がお見せになったということです。幻を見た、という、言ってみれば、なんとも不合理的で、不可思議なことがきっかけでした。聖書解釈の間違いを改めるには、理詰めだけでは解決しないものがある、という一つの良い例ではないかと思わされます。



ペトロの見た幻は、よく知られているものです。「天が開き、大きな布のような入れ物が四隅でつるされ、地上に下りてくる」というものであり、その入れ物の中には「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥」が入っていて、「それを屠って食べなさい」と天から声が聞こえてくる、というものでした。そして、そんなことはとんでもないことです、汚れたものを私はいまだかつて食べたことがありません、とペトロが反論したら、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」とお叱りを受けるというものでした。



そして、ペトロは、この幻の意味に気づく。コルネリウスの使いの者たちが来たときに、そのことに気づくのです。ああ、そうか、わたしは大変な過ちを犯していた、ということに気づく。外国人と交際してはならない、という掟に縛られるあまり、教会に来たがっている人々、教会の中で聖書を学び、聖書の教えに基づいて正しく生きて行きたい、という願いを持っている人々を、事実上締め出していた、ということに気づくのです。



わたしたちも、ペトロと同じことに気づく必要があります。わたしたち教会のなすべき「伝道」とは、聖書や教会の事情がよく分かっている人々だけを対象にするものではありません。他の教会に通っていたが躓いた、とか、他の教会で洗礼を受けたがいろんな事情で移ってきた、という人々は、もちろんたくさんいますし、そのような人々を教会が受け入れることも重要です。



しかし、それは、言葉の正しい意味での「伝道」ではありません。伝道は、まだ洗礼を受けていない人々、まだ信仰を持っていない人々を対象にします。日本で言えば、すでにキリスト者になっている1%の人々ではなく、まだキリスト者になっていない99%の人々を対象にするのが「伝道」です。



わたしたち自身が最初に教会に足を踏み入れた日のことを思い出せばよいのです。もう忘れてしまったでしょうか。聖書の内容も、教会生活の仕方も、祈りの言葉も、何ひとつ知らなかったこのわたしを、教会が(少々我慢して)温かく受け入れてくれたのです。



そのことを、忘れるべきではありません。



(2007年8月5日、松戸小金原教会主日礼拝)