使徒言行録7・17~43
今日は、ペンテコステ礼拝です。歴史的教会の誕生日です。この地上に教会が存在することの意義は、何でしょうか。わたしたちが毎週日曜日や別の日に教会に集まる意味は、何でしょうか。これらの問いの答えを求めつつ、今日の聖書の個所を読んでいきましょう。
今日もまた、先週に引き続き、ステファノの説教の内容を学びます。今日の個所に登場しますのは、モーセです。
モーセのおいたちと活躍を記した旧約聖書の書物は、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と、実に四つの書物に及びます。歴史的に果たした役割やその一人の人物を通して啓示された神御自身の御言葉の量や質から見て、実にモーセは、旧約聖書における最大の人物の一人であると言って、間違いありません。
「『神がアブラハムになさった約束の実現する時が近づくにつれ、民は増え、エジプト中に広がりました。それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。』」
17節から22節までに語られていますのは、モーセが生まれたときの時代的な背景と、その中でモーセがどのような境遇で生まれ、育てられたのかという点です。今日はあまり詳しい内容に踏み込んでお話しすることはできません。重要なことは、モーセが生まれたときの背景は、イスラエルの人々にとっては苦しみの時代であった、ということです。
その頃のイスラエル人たちは、エジプトの国の中で生活していましたが、次第に民の数が増え、力を持つようになってきたために、エジプト国王ファラオにとっては邪魔な存在となってきた。戦争が始まると、もしかしたらイスラエル人たちが寝返って、エジプトの敵となり、この国を征服するかもしれない。
そのような理由から、ファラオがイスラエル人たちに対して布いた政策は、彼らを奴隷状態に置くことでした。具体的には強制労働による虐待という方法が採られました。また、そのようなひどいことをするエジプト国王ファラオは、イスラエル人の家に生まれる男の子はすべてナイル川に放り込んで殺せ、という命令を出すまでに至りました。
その時代にイスラエル人の家に生まれたのがモーセでした。モーセは男の子ですから、ナイル川に投げ込まれなければならないところでしたが、神さまの不思議なご配慮により、生き延びました。そして(途中を省きますが)なんとファラオの王女に拾われて、王女の子どもとして育てられることになったのです。
これはモーセの話です。しかし、ここでこそ先週わたしが申し上げましたことを、思い起こしていただきたいのです。説教を聴きながらいろんなことを考えてください。わたしたち自身のこと、家族のこと、また周りにいる多くの人々のことを考えてください。
わたしたちは、モーセとは全く違う時代状況の中に生まれ育ちましたので、比較はできないかもしれません。しかし、皆さんの中には、お生まれになったとき、戦争の真っ只中であったという方が大勢おられます。辛い体験を通り抜けてきた、という方が大勢おられます。モーセと同じように、生んだ親とは別の親に育てられたという方が、この中におられるかどうかは問わないでおきます。
生きるとは、つらいものです。楽しいことばかりではありません。顔では笑って、心で泣いている。そのような人は、大勢いるのです。
イスラエルの人々は、真の神を信じる人々でした。同じ神を信じない、神などそもそも信じない、そのような政治家によって彼らは徹底的に苦しめられました。歴史的に見れば、キリスト教に対して不寛容であり続け、今もそうであるこの国、日本の中でのキリスト者の存在とイスラエルの人々の姿は、いくらか似ている面があるのではないでしょうか。
わたしたちにとって、モーセは、全く赤の他人かもしれません。しかし、彼の生涯には、わたしたち自身の人生を深く考えるきっかけを与えてくれる、多くの材料があるのです。
「『そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。四十歳になったとき、モーセは兄弟であるイスラエルの子らを助けようと思い立ちました。それで、彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目に遭っていた人のあだを討ったのです。モーセは、自分の手を通して神が兄弟たちを救おうとしておられることを、彼らが理解してくれると思いました。しかし、理解してくれませんでした。次の日、モーセはイスラエル人が争っているところに来合わせたので、仲直りをさせようとして言いました。「君たち、兄弟どうしではないか。なぜ、傷つけ合うのだ。」すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。「だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか。」モーセはこの言葉を聞いて、逃げ出し、そして、ミディアン地方に身を寄せている間に、二人の男の子をもうけました。』」
23節から29節までに語られていますのは、モーセが四十歳のときに体験した、一つの大きな出来事です。だいたい、今のわたしくらいの年齢です。若いといえば若い。しかし、だんだん社会的な責任を負わされていく頃です。
その出来事の内容は、ステファノが語っているとおりです。モーセは、エジプト人から虐待を受けていたイスラエル人を助けたいと思うあまり、虐待行為をしていたエジプト人を殺してしまいました。それが良いことであると、モーセは確信していました。ところが、その事件はモーセにとっては意外な結末を迎えることになりました。それは、彼が助けたはずのイスラエル人から恐れられ、嫌われ、憎まれるという結末でした。
仲間を助けるためならば、殺人をも厭わない。尊い目的のためには、どのような手段を用いても構わない。このような考えをもっていたに違いないモーセは、自分の手で助けた人自身から憎まれる、という厳しい裁きを受けることになったのです。
ここでまた、わたしたち自身のことを振り返って考えてみましょう。皆さんの人生の中で、こうすることこそが正しいことであり、多くの人々もきっと理解してくれるだろうと確信して行ったことによって人を傷つけてしまったとか、空回りしてしまったとか、全く予想外の落とし穴にはまってしまった、ということが、なかったでしょうか。
若気の至り、という言葉で済ませてよいかどうかは分かりません。モーセにも空振り・空回りの時代があった、ということです。この出来事が、モーセの生涯の中で重大な意味を持ち続けたことは、間違いありません。
「『四十年たったとき、シナイ山に近い荒れ野において、柴の燃える炎の中で、天使がモーセの前に現れました。モーセは、この光景を見て驚きました。もっとよく見ようとして近づくと、主の声が聞こえました。「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」と。モーセは恐れおののいて、それ以上見ようとはしませんでした。そのとき、主はこう仰せになりました。「履物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる土地である。わたしは、エジプトにいるわたしの民の不幸を確かに見届け、また、その嘆きを聞いたので、彼らを救うために降って来た。さあ、今あなたをエジプトに遣わそう。」人々が、「だれが、お前を指導者や裁判官にしたのか」と言って拒んだこのモーセを、神は柴の中に現れた天使の手を通して、指導者また解放者としてお遣わしになったのです。』」
30節から35節までに語られていますのは、四十歳のときからさらに四十年たったとき(つまり八十歳のとき)に出会った出来事です。それは、主なる神の声を聞いた、という出来事です。
これを「召命」(calling)と呼びます。神から呼ばれることです。それは、このわたしのために備えられた神の御心を知ることであり、また、わたしが神とこの世の中でどのような働きと役割を果たすことがふさわしいのかを自覚し、そのためにこの身を献げること、まさに“献身”することです。召命や献身は「牧師になること」だけを意味しているわけではありません。神の御心に従って生きるすべての人に、当てはまることです。
モーセは、神さまから「履物を脱げ」と言われました。神を畏れる態度を具体的に示せ、という意味ではないでしょうか。そしてモーセは「さあ、今あなたをエジプトに遣わそう」とも言われました。エジプトにいるイスラエル人たちを助けるためです。主なる神御自身がモーセを遣わしてくださいました。神御自身が、奴隷の家エジプトから約束の地カナンまでイスラエルの民を率いていく指導者として、モーセを選んでくださったのです。
ここで再びわたしたちの姿を顧みてみましょう。何をやっても空振り・空回り、良かれと思って行った親切が裏目に出て、人から文句を言われたり、嫌われたり、相手との人間関係が壊れてしまった。そのとき、わたしたちの心の中にあるものは何でしょうか。自分が良いことをしている、という傲慢な思いではないでしょうか。
そのときに大切なことは、神さまの御心は何かを知ることです。そして、この神というお方の召命に応えて生きること、神の御心に従って生きることが重要です。それは、このわたしが良いことをしている、という生き方とは、根本的に異なるものです。
先週の個所で、ステファノがヨセフについて語っていたのは、「神がヨセフを離れず」ということでした。ヨセフが神から離れず、ではないと申しました。神がモーセを遣わしてくださったというときの主導権は、常に神にあります。モーセは何もしていないという話ではありません。しかし、主なる神さまの御前で徹底的に謙遜であることが求められます。傲慢な思いは、神御自身に打ち砕いていただかなければならないのです。
「『この人がエジプトの地でも紅海でも、また四十年の間、荒れ野でも、不思議な業としるしを行って人々を導き出しました。このモーセがまた、イスラエルの子らにこう言いました。「神は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。」この人が荒れ野の集会において、シナイ山で彼に語りかけた天使とわたしたちの先祖との間に立って、命の言葉を受け、わたしたちに伝えてくれたのです。けれども、先祖たちはこの人に従おうとせず、彼を退け、エジプトをなつかしく思い、アロンに言いました。「わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください。エジプトの地から導き出してくれたあのモーセの身の上に、何が起こったのか分からないからです。」彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。そこで神は顔を背け、彼らが天の星を拝むままにしておかれました。それは預言者の書にこう書いてあるとおりです。「イスラエルの家よ、お前たちは荒れ野にいた四十年の間、わたしにいけにえと供え物を献げたことがあったか。お前たちは拝むために造った偶像、モレクの御輿やお前たちの神ライファンの星を担ぎ回ったのだ。だから、わたしはお前たちをバビロンのかなたへ移住させる。」』」
36節から43節までに語られていますのは、エジプトから脱出したモーセとイスラエルの民による荒れ野の四十年の様子です。彼らはエジプトを出た後、約束の地カナンに入るまで、なんと四十年もかかったのです。距離の問題ではありません。歩くと四十日で辿り着く距離であると言われます。問題は、彼らの信仰であった、というのが聖書の見方です。荒れ野の四十年を通して、神御自身が、彼らの信仰をお試しになったのです。彼らの信仰が強くなるように、神御自身が訓練してくださったのです。
38節の「命の言葉」が、いわゆるモーセの十戒であり、もろもろの律法です。律法は、とりわけ十戒は、命の言葉です。わたしたちすべての人間が神の御前にあって正しく誠実に生きていくために必要な言葉です。生活の言葉であり、人生の言葉です。
この命の言葉をモーセがシナイ山で神さまから授かっている最中に、山のふもとでは、モーセの兄弟アロンを中心に偶像礼拝が行われていたという話も出てきます。この話には続きがあります。ステファノは語っていませんが、山から降りてきたモーセがアロンたちの偶像礼拝の様子を見てかんかんに怒り、拝まれていた偶像(金の子牛)をぶっ壊して、粉々にして、その人々の口の中に流し込んで飲ませた、という恐ろしい話が、出エジプト記32章に出てきます。
「親の心、子知らず」。神さまの御心を神の子どもたちは、正しく聞こうとしないのです。日曜日の礼拝では神さまを力強く賛美する。家に帰った途端、すべてをすっかり忘れる。こういうことは、昔から繰り返されてきたことです。
しかし、です。そうであるからこそ、わたしたちには、教会というものが必要なのです。一回聞いたくらいでは覚えられない、忘れっぽい人間(わたしのことです!)のために、教会があるのです。わたしたちが定期的に教会に通う意味は、これです。
松戸小金原教会の歴史は、やや複雑な面がありますが、ときわ平団地での伝道開始の年(1965年)から数えると、四十年を過ぎたところです。
1965年生まれの私には、まだ語ることが許されていない言葉かもしれません。しかし、あえて申します。教会が教会らしくなるためには、少なくとも四十年はかかるのではないでしょうか。四十年くらいすれば、「ようやく教会らしくなった」ということが言えるようになるのではないでしょうか。もちろん、この「四十年」は象徴的な意味を含んでいます。すべての教会に「荒れ野の四十年」が必要なのです。
わたしたちが、さまざまな苦労を体験し、主の訓練を受けてきたことが、無駄に終わることはありません。
ステファノの説教を読みながら教えられることは、このようなことです。
(2007年5月27日、松戸小金原教会主日礼拝)