2007年3月25日日曜日

「使徒の勇気」

使徒言行録4・1~22



今日の個所に記されていますのは、3章の初めから続いている話の第三幕です。



ペトロとヨハネがエルサレム神殿で出会った一人の人の足をいやすという奇跡のわざを行いました。それを見て驚いた人々が彼らのもとに集まってきましたので、ペトロが説教を行いました。その結果、大勢の人々がイエス・キリストを信じるようになったのです。



ところが、です。その一連の動きを面白く思わない人々が出てきました。祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派です。



「ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。しかし、二人の語った言葉を聴いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。」



彼らはいら立った、とあります。いら立った理由も書かれています。イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えていたからである、というのです。なぜイエスさまの復活を宣べ伝えることが、彼らをいら立たせる原因になるのでしょうか。



ここで思い出さなければならないことがあります。この場所はエルサレムであるということです。ここはイエスさまが裁判を受けられたエルサレムです。イエスさまが十字架につけられて死なれたエルサレムです。



時間的にも近かったはずです。何年もなど経ってはいません。せいぜい数カ月でしょう。ペトロとヨハネの前にいる人々にとって、イエス・キリストの十字架上の死は、ついこのあいだ起こった出来事です。記憶も鮮明です。何もかも覚えていると言ってよいでしょう。



そのため、この点では、多くの人々の記憶の中に残っていたのは、イエスさまが十字架の上で死んだ、あるいは殺された姿のほうでしょう。イエスさまを罠にかけて殺した人々は、その十字架上の死においてイエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、終わりのときを迎えたものとしていたに違いないのです。



ところが、です。イエス・キリストの弟子たちが、あの十字架の上で死なれたお方は、復活なさり、今も生きておられると語り始めたのです。つまり、イエス・キリストの福音を宣べ伝える宣教活動は、まだ終わっていないどころか、むしろ、まさにこれから始まるのである、とイエス・キリストの弟子たちが公に宣言したのです。



そもそも、イエス・キリストをユダヤ教の指導者たちが殺したのは、要するに口封じをしようとしたためです。イエスさまの説教は、多くの人々に救いと慰めを与えるものでもありましたが、同時に当時のユダヤ教指導者に対する厳しい批判を含んでいました。これを指導者たちが嫌がりました。このイエスという男を何とかして殺さねばならないと考え始めたのです。



使徒言行録においては、最初の教会の成長の様子が、人数で表現されています。最初は「百二十人ほど」(1・15)でしたが、キリスト教会としての最初の五旬祭(ペンテコステ)に洗礼を受けて教会の仲間に加わったのが「三千人ほど」(2・41)、そしてエルサレム神殿で仲間に加わったのが「男の数が五千人ほど」(4・4)です。爆発的な成長が起こっていると言ってよいでしょう。



このような爆発的な成長が起こるときに、必ずそこで行われているのが使徒の説教です。神の御言葉の説教です。



説教の力ということを申しますと、つい、それは説教者自身の力ないし能力という面が問題にされがちです。しかし、それは間違いを犯します。説教者というこの一人の人間の力が多くの信者を集めた、という話になります。しかし、それは間違いです。



神の御言葉の説教は、神御自身の言葉です。そこで説教者は神の道具として用いられはしますが、説教者の力が教会に人を集めるのではなく、神御自身の力が人を集めるのです。



「次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。そして、使徒たちを真ん中に立たせて、『お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか』と尋問した。そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。『民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。』」



ペトロとヨハネの取調べが始まりました。大祭司アンナスとカイアファは、イエスさまを十字架にかけるための裁判にも、深くかかわっていた人々です。イエスさまの口封じをしようとした人です。



その同じ人々が、今度はペトロとヨハネの口を封じようとしている!その人々が目の前にいる!危険信号は最大の音を発している状態である、と言ってよいでしょう。



ところが、です。このときペトロが語り始めたのは、「あなたがたがイエス・キリストを十字架につけて殺したのだ」という言葉でした。イエス・キリストを殺した殺人者たちを前にして、あなたがたは殺人者であると指摘しているのです。



そしてまた、このことと同時にペトロが語っているのは、あなたがたが殺したイエス・キリストというお方は、復活されて、今も生きておられる、ということであり、このお方の名によって、生まれつき足の不自由だった人がいやされたのだ、ということです。



ペトロは、本当のことを言っているだけです。正々堂々と。少しも恐れることなく。



しかし、ペトロのこのような態度がどれほど危険なものであるか、また彼が語っている言葉は、文字どおり命をかけなければ、そして本物の勇気がなければ、決して語ることのできない言葉である、ということは、すぐにお分かりいただけることであろうと思います。



「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。」



ここに出てくるペトロとヨハネについての形容詞としての「無学な普通の人」は、非常に頻繁に引用されますので、使徒言行録の中でも有名な言葉の一つです。



ここでの「普通の人」の意味は、専門家ではない人ということです。アマチュアのことであると言ってよいでしょう。



そして「無学な人」(アグランマトス)の反対概念は「律法学者」(グランマテイス)です。字義としては、読み書きや文法(グラマー)を習ったことがない人、というほどの意味にもなりますが、ここでの意味は、「律法についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。律法とは結局聖書のことですから、「聖書についての専門的な教育を受けたことのない人」ということです。今の言い方では、神学校や神学大学などの正規の教育機関で、御言葉の教師となるための専門的な教育を受けたことのない人、ということになるでしょう。



いずれにせよご理解いただきたいことは、ここでペトロとヨハネについて言われている「無学な普通の人」という言葉は一般的な意味ではなく、宗教的あるいは神学的な意味である、ということです。教会の中で言えば、教師と信徒の区別に該当するでしょう。ただ単に、学校教育を受けたことがない、というだけの意味ではなく、(今の言い方では)神学校に行ったことがない、という意味に相当するでしょう。



ただし、ここで気をつけなければならないと思われることは、ペトロとヨハネを「無学な普通の人」と見て驚いたのは、「議員や他の者たち」、つまりユダヤ最高法院を構成する人々であったという点です。彼らは宗教に関するプロフェッショナルでした。その彼らの目から見て、ペトロとヨハネはアマチュアであるということが分かった、と言われているのです。プロフェッショナルか・アマチュアか、そういうことは、プロの目から見ると、すぐに分かるものなのです。



しかし、彼らは、ペトロたちに何も言い返すことができませんでした。それは、ペトロたちのそばに足をいやしていただいた人がいたからです。奇跡的出来事を現実に体験した人が、生ける確かな証しをもって議員たちの目の前に立っていたからです。みんなの前で起こった公の事実を突きつけられては、それを否定することができなかったのです。



これで分かることは、事実こそが、そして生きた証しこそが、最も力を持っているし、最も輝いて見える、ということです。事実と生きた証しとを前にしては、どんな学問も、どんな美しい文章も、薄ぼけて見えます。



「そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、言った。『あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚しいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう。』そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。』議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。」



最高法院の議員たちが出した結論は、「今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう」というものでした。またしても口封じです!



しかし、ペトロとヨハネは、その命令を敢然と拒否しました。そして彼らが語ったことは、「わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられない」ということでした。



なんでもかんでも言いたい放題に言わせてもらいます、という話ではありません。彼らが語ろうとしているのは、イエス・キリストの弟子たちの口を封じようとしている人々への批判です。イエス・キリストを信じることと福音を宣べ伝えること、すなわち、信仰と伝道をなんとかしてやめさせようとする人々への拒否です。



わたしたちは、どんなことがあっても、信じることをやめることができない。



わたしたちは、どんなことがあっても、伝道するのをやめることができない。



「わたしはここに立つ。ほかにどうすることもできない」(マルティン・ルター)。



わたしたちにも信仰の戦いがあります。神が、戦いの中にあるわたしたちを助けてくださるでしょう。



(2007年3月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年3月18日日曜日

「自分の力や信心によらず」

使徒言行録3・11~26



今日の個所に記されていますのは、エルサレム神殿で起こった一連の騒動の第二幕、というべき出来事です。ペトロが神殿で説教を行う場面です。



先週学びました第一幕は、神殿の門のところに連れて来られ、座っていた、生まれつき足の不自由な男性の足がいやされたという出来事でした。ペトロがこの人に「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言い、また、その人の右手を取って立ち上がらせたところ、本当に立つことができたのです。



それで騒ぎになりました。多くの人々が使徒たちのわざを見ていました。そしてその人々の目の前で、今の今まで立つことができなかった人が、立ち上がったのですから、みんなびっくり仰天してしまったのです。



そして、ひどく驚いた人々が次に起こした行動は、使徒たちの前に一斉に集まった、ということでした。この男の人に対して使徒たちが一体何を言ったのか、また何をしたのかを、知りたかったのでしょう。今ならば、記者会見が開かれるような場面です。使徒たちの言葉を聴いてみようと、そのような関心を持った人々が集まってきたのです。



使徒たちとしては、自分たちの話に耳を傾けてくれそうな人々に集まってもらえたことを喜んだに違いありません。ある意味では、そのために、使徒たちは神殿に行ったのだと考えることができるからです。



しかし、足の不自由な人をいやすこと自体が、ペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上っていった、そもそもの目的であったと考えることはできないでしょう。はじめからそれが目的であったならば、そのように聖書に書いてあるはずですが、そのようなことは、どこにも書かれていません。



使徒たちが神殿に上っていった目的は、先週も触れましたとおり、第一に、神殿で定期的に祈るというユダヤ教の習慣を踏襲することであり、しかし第二に、その時刻に神殿に集まってくるユダヤ人たちに対して、真の救い主イエス・キリストの福音を宣べ伝えることによって、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってくれる新しい仲間を探しに行くことであった、と考えられます。



この男の人を立ち上がらせることができたことも、また、それを見た周りの人々が使徒たちの周りに集まってきたことも、偶然であったという言い方は適切ではないように思います。しかし、使徒たち自身が意図的にそのような状況をつくりだすように工作を働いた、と考えることはできません。もちろん、それら一切は、神御自身が導いてくださったことなのです。



使徒たちの周りにたくさんの人が集まってきました。伝道のチャンスが訪れたのです。そこでペトロは、チャンスを逃すことがありませんでした。説教を始めたのです。



「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。」



「なぜわたしたちを見つめるのですか」。このペトロの言葉を読んでふと思い出したのは、イエス・キリストが天に上げられた後に弟子たちの前に現れた二人の天使が語った、あの言葉です。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」。



視線ないし視点というのは、わたしたちの現実の生活において非常に重要なものであると思います。何を見るのか、どこから見るのか、そして、なぜ見るのかです。



生まれつき足の不自由だったこの男の人が、イエス・キリストの弟子たちとの交わりとかかわりとの中で、突然立ち上がり、歩き始めたのを見た人々が、その視線を次に移した先は、その男の人をいやしたと思われる弟子たちの方向であった、というわけです。



当然といえば当然なのかもしれません。弟子たちに対しては関心を持つな、と言われても無理な面があると思われます。



しかし、です。そのように、弟子たち自身がその男の人の足をいやしたのではないかというふうな仕方で関心を持たれることを、ほかならぬ、弟子たち自身が嫌がったのだ、と考えることが可能であると思います。



ペトロは「わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、うんぬん」と言っているわけですが、彼らには何の力もなかったのでしょうか。彼らは、全く信心をもっていなかったのでしょうか。実際には、ペトロが「右手を取って彼を立ちあがらせた」(3・7)と書かれているではありませんか。



そうであるならば、弟子たちは、この件に関しては、何にもしなかったし、一切かかわりを持っていないと語ることはできません。言うならば、この件に関しては、すべてのことを使徒たちが行ったのです。使徒たちがこの男の人を立たせ、歩かせたのです。



しかし、です。使徒たちはそのことを「このわたしが、すべてやりました。このわたしの力によって、この人がいやされました。このわたしのおかげで、この人は助かりました」というふうに語ることを非常に嫌がったし、周りの人々からそのように見られるのを非常に嫌がったのです。「なぜ、わたしたちを見るのか」という発言の背景に、そのような彼らの気持ちがある、と考えることは可能であると思われます。



彼らはなぜ、自分たちのほうに視線を向けられることを嫌がったのでしょうか。この点は、比較的はっきりしていると思います。ただし、それは、ただ単なる「謙遜」というようなことだけでは語りつくせそうもないものです。人間の謙遜な態度というだけならば、その中には「偽りの謙遜」(コロサイ2・23、別訳「わざとらしい謙遜」)というのもありうるからです。心の中では「このわたしがやりました」と思っていながら、顔や態度では「いえいえ、わたしではありません。めっそうもない」とポーズをとる人はたくさんいると思います。そういうのは、周りの人にはすぐに見抜かれるものです。見抜かれていないと思っているのは本人だけだったりする。



しかし、ペトロたちは、そのような謙遜のポーズをとっているだけではないと思います。彼らは、本当に心の底から、「このわざを行ったのは、このわたしではありません」と確信していました。それは、聖書の中に登場する多くの信仰者たちと同じように、「わたしたち自身は、神ではない。わたしたち自身が真の神になりかわることは、絶対にできない」という一つの明確な確信を持っていたからです。



病気のいやしのわざにせよ、また罪の赦しのわざにせよ、その病気や罪によって現実に大きな苦しみを味わい、助けを求めてきた人々にとっては、神のお働きを深く感じとるものです。心から感謝し、いつまでも恩義に感じるものです。



ところが、です。問題は、しばしばその先に起こります。わたしたちが病気をいやされたり、罪を赦されたりする場合には、たいていの場合、そのわざにかかわってくださった恩人というような方が存在するものです。そのことは否定できません。しかし、その場合の恩人たちが、わたしたちの心の中で、いつの間にか「神」のような存在になってしまうことがありえます。



イエス・キリストの弟子たちは、そのことを最も嫌がったのです。何が嫌かといって、自分が「神だ」と言われたり、そのように見られたりすることを、彼らは最も嫌がりました。



病気をいやすわざを行い、困っている人々を助けることなら、いくらでもする。しかし、このわたしを「神」と呼ばないでほしい。そのような目で見ないでほしい。それが彼らの言い分であったと考えられるのです。



「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」。



ペトロの説教は、神中心主義です。あなたがたユダヤ人が、イエスというお方を殺してしまった。しかし、そのあなたがたが殺したイエスというお方を、神がよみがえらせてくださった。その神によってよみがえらされたイエスというお方のこのお名前を信じる信仰が、病気のこの人をいやす力となったのだ、というメッセージが、強く語られています。



「ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。」



ここで、あなたがたがイエスさまを「殺した」という点が強調されている、ということは、すでにお話ししたことがあります。あなたがたは殺人者である、という強い非難の言葉が、ペトロの説教の中に響いています。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの死は、「神がすべての預言者の口を通して予告しておられたこと」、すなわち、(旧約)聖書においてあらかじめ予言されていた事実でもあるのであって、それは別の言い方をするならば、神御自身のご計画でもあった、ということをも、語っているわけです。



イエス・キリストの死が神の御計画であった、ということになりますと、イエスさまを殺したのは、じつは人間ではなく、ほかならぬ神御自身であったというような話になっていくでしょう。このこと自体は、果てしない謎の沼に入り込んでいくような恐怖感を覚えます。



しかし、そのように信じることもできる、ということになりますと、じつはそこで初めて、わたしたち人間の心に深い平安が与えられる、ということも事実です。



わたしがイエスさまを殺したのではない。このわたしを救うために、イエスさまは、父なる神の御心に従って、死んでくださったのだ。



これは信仰です。客観的な事実とは言えません。客観的な事実はユダヤ人たちが策略を練ってイエスさまを殺害したのだということです。しかしこれは一面的な見方です。究極的な真実は一つの面から見るだけでは分からないのです。信仰という側面から事実を見つめなおすこと、そしてまた、神御自身の視点からすべての事柄を見て行くことが、必要なのです。



神の視点からすべての事柄を見つめ始め、救い主イエス・キリストへの信仰という側面から事実を見つめ始め、「このわたし自身は神ではないし、救い主でもない」という事実を受け入れ始め、真の謙遜のうちに生きて行くことを始めた人は、すでに救われています。ただちに洗礼を受けるべきです。



その人々の心の中にあるのは、以前のわたしならば、そのようにはしてこなかった、という反省の念、悔い改めの思いでしょう。



神もキリストもない。そこにいるのは自分一人だけ。誰の助けも要らない。教会も宗教も、そんなものは要らない。自分の力で、すべてを乗り越えて行くのだ。頼れるものは、自分だけ。



そのように確信してやまなかった、かつての自分自身の姿を思い起こしながら、しかしまた、あのままでは、わたしは生きてくることができなかった、という反省の念を抱いているのが、今のわたしたちの、ありのままの姿ではないでしょうか。



そのような、かつての自己中心主義から、真の神中心主義へと、回心すること。



これが、ペトロの説教の趣旨であり、そしてまた、聖書全体がわたしたち一人ひとりに訴えようとしているメッセージです。



(2007年3月18日、松戸小金原教会主日礼拝)





2007年3月11日日曜日

「わたしには金や銀はない」

使徒言行録3・1~10



使徒言行録の3章から4章までには、最初の教会の活動の中で起こった、ひとつながりの出来事が記されています。最初は、ほんの小さな出来事でした。しかしそれが、やがて非常に大きな事件へと発展して行きました。
 
今日の個所に記されていますのは、今申し上げました、そのひとつながりの出来事の中の、最初のほんの小さな出来事の部分です。最初に、そこで何が起こったのかを見て行きたいと思います。



「ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った」。
 
ここに登場するのは、イエス・キリストの弟子であり、かつ十二使徒のメンバーだったペトロとヨハネです。この二人は当時、使徒の代表者であり、教会の代表者と言ってよい存在でした。



この二人が、神殿に上って行きました。「神殿」とはエルサレム神殿のことです。「午後三時の祈りの時に」とありますのは、当時のユダヤ教団が定めていたエルサレム神殿での祈祷会の時刻であると思われます。みんなが集まって祈る時刻です。



ペトロとヨハネが、この時刻に神殿に上ったのは、もちろん彼ら自身が祈るためだったに違いありません。彼らはユダヤ人であり、この時点ではユダヤ教徒と呼んでもよい存在であったわけです。彼らはイエス・キリストを信じる人になりましたが、ユダヤ教の習慣、とくに神殿で定時に集まって祈るというような良い習慣に対して、それに大きく逆らってまでキリスト教会としての独自の主張を展開する理由は、少なくともこの時点では、全くなかったと言ってよいでしょう。



しかし、です。ここでふと、考えてみなければならないかもしれないことに、気づかされます。果たして、彼らは本当に、ただ、彼ら自身生粋のユダヤ人として、決まった時刻が来たので、とにかく神殿に出かけなければならないから出かける、というような仕方で動いたのでしょうか。



わたしたちも、教会生活が長くなってきますと、だんだんそんな感じになってくるかもしれません。日曜日と水曜日には、とにかく教会に行く。そうすると決めているから行く。習慣だから行く。それでよいと、わたしは思います。悪いと言いたいわけではありません。



ただ、気になるのは彼らの場合です。この時点に至って彼らがエルサレム神殿に上って行く理由があるとしたら、それは、ただ単にユダヤ教の習慣を踏襲する、という理由だけではないような気がする、ということです。



考えられることは、やはり、なんといっても、新しく誕生したばかりのキリスト教会に加わってもらえる仲間を探しに行く、という動機があったのではないか、ということです。決まった時刻が来ればユダヤ人たちが神殿に集まってくることが分かっている。その時刻に合わせて神殿に行き、そこに集まっている人々に、キリスト教の教えを伝える、という目的をもって出かける、というようなやり方であったかもしれないからです。



そのようなことは一種の勧誘行為とみなされますので、ある意味で慎重に行わなければならないとは思います。しかし、そういうことを、わたしたちは全くしないかというと、そんなことはないはずです。



伝道するとは、仲間を増やすことです。勧誘的な要素が全くないかというと、「ある」と言わなければならないでしょう。引っこ抜いて来るというような強引なやり方は、あまりスマートではないし、嫌がられたり拒否されたりすることをある程度予想しなくてはなりません。しかし、逃げ腰になってはならないのです。



「すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしたちを見なさい』と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』そして、右手を取って彼を立ち上がらせた」。



これが、後に大きな事件へと発展して行くことになる、最初の小さな出来事です。それは、ペトロとヨハネの二人が、エルサレム神殿へと入って行く門のそばに「運ばれて来」、「置いてもらっていた」一人の男性と出会い、その男性に対して、一つの強い言葉を語り、また、強く働きかけた結果、その男性の人生が劇的な変化を遂げた、という出来事です。



その男性は生まれつき足の不自由な人でした。聖書には何も書かれていない。そのために、かえって、いろいろと考えてみなければならなくなることがあります。それは、この人を運んで来、置いて行く人々は、どういう人々だろうかという点です。家族だったのか、友人だったのか、あるいはそういうことをする職業の人々がいたのか、などなど。定かなことは何も分かりません。



ただ、ここではっきりしていることがあります。それは、いくらか奇妙に響く言い方になってしまうかもしれませんが、この男性がこの場所に連れてこられることは、この男性の生活を支える収入源を確保するためであった、ということです。別の言い方をすれば、ここに来れば必ず収入を得ることができた、ということでもある、ということです。



この場所は神殿です。そこで宗教が営まれる場所です。そこに集まる人々は、決して悪い意味ではなく真面目な人々であり、善意の塊のような人々であると言ってよいはずです。そこに行けば、必ず何かをもらえる。活の支えとなる収入を得られる。善意からの施しをしてくれる人がいるに違いない。このようなことを、この男性は、期待していたのです。



ところが、ペトロたちの対応は、この人をおそらく驚かせ、またおそらく非常に大きなショックを与えるものでした。



神殿に集まってくる善意の人々からの施しを期待し、その施しによらなければ、自分の生活を続けて行くことができない、と感じていたであろうこの人に対して、ペトロが言い放った言葉は、「わたしには金や銀はない」ということでした。



ただし、この言葉の意味は慎重に解釈されなければならないものです。私が読んだ注解書の解説は、なかなか説得力を感じるものでした。それは、このときペトロたちはお金を全く持っていなかったわけではないのだとする理解です。「わたしには金や銀はない」は、わたしたちも貧しいのだ、という意味ではない、ということです。
それなら、どういう意味なのかといいますと、「わたしには自由に使ってよいお金はない」という意味であるというのです。これは、当時の教会の中での使徒の立場を考えてみると、なるほど、そういう意味かもしれない、と考えさせられるものがある、一つの解釈です。



使徒たちは、教会の中では教える立場であり、その点では、今の教会の牧師と同じです。教会のみんなの献金によって、生活と活動が支えられている、そのような者たちであるという点で、同じです。



その人々が手にしている金銭は、それを手にした時点でその人々のものであるといえば、そのとおりかもしれません。しかし、実際にはどうかといいますと、そのような気持ちで受け取り、我が物顔でそれを自由に使っている人々を、私はあまり知りません。



今に始まったことではありませんが、近頃とみに騒がれていることは、税金の無駄遣いをする役人たちのことでしょう。税金でさえ大騒ぎです。それが献金となれば、なおさらでしょう。そこにはささげる人の心と思いと生活がかかっている。そのことを知る者たちが、受け取りえたお金を、我が物顔で自由に使う、というようなことは、とてもではありませんが、できないことです。



わたしの自由にしてよいお金は、一円もない。教会のみんなの献金で支えられている者たちならば、だれでもそのように感じるものです。ペトロが言っているのは、どうやら、この意味である、と考えることができます。



しかし、です。そう考えるべきであるとしたら、ますますちょっと困った面が出てくるようにも感じられます。どういうことかといいますと、それが教会の献金であればこそ、また、それを受け取っている者であればこそ、そのお金を自分のものとせず、貧しい人々や助けを求めている人々、生活上困っている人々に対して、喜んですべてを提供すべきではないか、という考えを持つ人々もいるからです。



昔の社会主義・共産主義の極端な形は、いつもそういうものでした。教会の牧師の生活のためのお金などは無駄遣いである。そのようなものは、すべて、社会のために、貧しい人々のために用いるべきである。そのほうが、はるかに、世のため・人のために役に立つ。こういう考えは、今日では珍しくないでしょう。



しかし、です。話を聖書に戻します。今私が申し上げたような点で、ペトロたちには、怯むところがなかった、と考えることができます。わたしたちが手にしているこのお金は、教会のみんなのものであって、一円たりとも、わたしたち自身が、自由裁量で使ってよいようなものはないのだ、と言い切ることができました。



お金に困っている人々が最も求めているものは、お金です。それ以外の何ものでもありません。しかし、ペトロたちは、この人にお金を与えることを毅然として拒否したのです。そこに行けばお金がもらえると思っている人に、お金ではないものを与えることが、このわたしたち、イエス・キリストを信じる者たちの務めであると、彼らは考えたのです。



そして、彼らは、その人の右手をつかんで引っ張り上げました。立ち上がらせたのです。かなり乱暴なやり方かもしれません。しかし、彼はとにかく立ちあがることができました。自立することができたのです。



ただし、です。私は、この男性は、甘えていて、自立していない人だから、これくらいの強い言葉を言うなどして、かなり強いショックでも与えないかぎり、立ち直れないのだというような考え方には賛成できません。生まれつきの障がいを持っている人々に対して、同じようなことがなされるならば、そのような態度はひどすぎると言わざるをえません。



そういうことではないのです。ここでペトロたちが目の前にいるこの男性に何とかして伝えようとしていることは、否定的なことではありません。この世にはお金に換えがたいものがある、という、ただこの点だけです。お金で買えないものがある、ということです。お金がすべてであるわけではない、ということです。



イエス・キリストを信じて生きる道は、そういうものなのだ、ということを、彼らは、この人に伝えました。それが伝わったのです。だから、この人は、立ち上がったのです。立ち上がることができたのです。喜びが、彼の体を立たせたのです!



(2007年3月11日、松戸小金原教会主日礼拝)





2007年3月4日日曜日

「ひたすら心を一つにして」

使徒言行録2・43~47



この個所に描かれていますのは、最初の教会の活動の様子、つまり、二千年前の教会の活動の様子です。たいへん興味深い内容です。今日は42節に挙げられている、最初の教会において熱心に取り組まれていた四つの要素について、お話ししていきたいと思います。



「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」



「熱心であった」を「固くとどまった」と訳している解説者もいます。どちらにしても、意図はご理解いただけると思います。



第一に挙げられているのは「使徒の教え」に熱心であった、ないし、固くとどまったという点です。これは、どういうことでしょうか。



使徒とは、イエス・キリスト御自身がお選びになった、あの十二人のことです。イエス・キリスト御自身から直接学んだ弟子たちです。イエス・キリストとまさに寝起きを共にし、苦楽を共にすることにおいて、彼らは、イエス・キリストの生涯と十字架上の死と復活の証人になった人々です。



ですから、その意味では、「使徒の教え」とは、彼らの師であり、救い主であられるイエス・キリスト御自身の教えそのものであると言ってもよいでしょう。



しかし、それを「使徒の教え」と呼ぶことにも意味があります。イエス・キリストにはいろいろな意味での敵がいた、という事実が関係してきます。



だれかが何かを語り、それを他の人々が聞く場合、それを好意的に受けとめ、理解し、解釈してくれる人もいれば、全く正反対に、悪意をもって受けとめ、語っている人の意図とは全く異なる別様の意味で理解し、解釈し、それをまた、悪意をもって他の人々に伝えるというようなこともあります。イエス・キリスト御自身がお語りになった御言葉についても同じようなことが行われた、と言いうるのです。



その場合に問題は解釈です。イエス・キリストの御言葉を最も正しく解釈しうる人々はだれなのかが問題になったわけです。だからこそ、それを「使徒の教え」と呼ぶわけです。



つまり、それは、イエス・キリストの教えを最も正しく解釈しうる使徒の教えであり、かつ、使徒の解釈を通してのイエス・キリスト御自身の教えである、ということです。



第二に挙げられているのは、「相互の交わり」に熱心であった、ないし、固くとどまった、という点です。



相互の交わりとは、わたしたちがよく知っている言葉で言えばコミュニケーションです。お互いに意思疎通をはかることであり、会話や物品のやりとりなどを通して仲良くすること、支え合うこと、助け合うことです。その場合に大切なことは「お互いに・・・し合うこと」です。「相互関係または相互性」です。



そこにあるのは、行ったり来たりの往復運動です。一方的なものではありません。ある人が別の人に呼びつけられ、話を一方的に聞かされたり、強制的に押し付けられたりする、というようなことの正反対です。



それが最初の教会の中で行われていた「相互の交わり」の様子であると言ってよいものです。コミュニケーションという言葉から連想される人間関係は、上下関係、垂直の関係であるというよりも、平等の関係、水平の関係です。



実を言いますと、このコミュニケーションの様子をより詳しく具体的に紹介しているのが43節から47節までの記事であると、理解することができます。なぜそのようにいえるのかと言いますと、43節から47節までの間には、コミュニケーションという点にかかわる表現が、何度も繰り返されているからです。



「すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので」



この中で注目していただきたいのは、この中に出てくる「皆一つになって」(44節)、「共有にし」(44節)、「おのおのの」(45節)、「分け合った」(45節)、「心を一つにして」(46節)、「一緒に」(46節)、「仲間」(47節)などの表現です。



この中に言い表されている人間同士のコミュニケーション的な相互関係の特質は、上下の関係、垂直の関係ではなく、平等の関係、水平の関係であることは、明らかです。



しかも、その関係は、信徒同士の関係であったのはもちろんのこと、いわば特別な立場にあったと言いうる使徒たちとそれ以外の人々との関係も、コミュニケーションという点からいえば、同じであった、と考えるべきです。



使徒の教えに固くとどまることは、大切です。教える者たちの権威を重んじることは、重要です。しかし、そのことと、使徒を別格扱いし、悪い意味でまつりあげることとを、混同してはなりません。使徒と信徒の関係、あるいは、教える者たちと学ぶ人々との関係は、コミュニケーションという点からいえば、平等の関係、水平の関係にあるのです。



この点で、第一に重要なことは、教える者たちは人間である、ということです。彼らは、神御自身ではないし、キリストでもない。ただの人間である、ということが忘れられてはなりません。



そして、第二に重要なことは、教会が「使徒の教え」を重んじることと、「相互の交わり(コミュニケーション)」を重んじることの両者は、矛盾しないどころか、非常に深く互いに関係しあっている、ということです。



どういうことか。コミュニケーションとは、ある人が語った言葉が、他の人の心の中の深いところにまで届けられるために必要不可欠な行為であるということです。どんな偉い人の言葉でも、一方的に押し付けられた、ということであれば、人の心は複雑ですから、それを拒絶する、ということが起こりうるのです。



残念ながら、というべきでしょうか、礼拝の説教は、やや一方的です。説教者が語り、みんながそれを黙って聴く。そのようなスタイルがとられます。



しかしそれでも、みんなは礼拝の最初から最後まで黙らされているのかというと、そういうことではありません。わたしたちの場合は、みんなで賛美歌をうたい、罪の告白をし、信仰告白をし、主の祈りを唱えるという仕方でしっかり応答しています。そこに相互関係があります。コミュニケーションがとられているのです。



ただし、礼拝の説教そのものに対する質疑応答のようなことは、礼拝の中では通常行われません。今ここで、皆さんの中のどなたかが手を挙げて質問する、というようなことは、してきませんでしたし、しないほうがよいと思います。ここは、そのようなことをする場ではないからです。



しかし、たとえば、わたしたちが水曜日に行っている「水曜礼拝」や、またシモンの会(男子会)や婦人会(女性の会)や青年会などでの聖書の学びの場では、大いに質疑応答がなされてよいし、なされるべきであると思います。



昨今、家庭や社会におけるコミュニケーションの重要性が繰り返し指摘されています。おくさんやご主人の顔が見えていますか。子どもたちの顔が見えていますか。学校の先生たちは、生徒たちの顔が見えていますか。そのように問いかけられています。



教会の中でもコミュニケーションが重要です。コミュニケーションが不足しているような教会は、「教会」ではないのです。そのようにさえ、申し上げることができます。



第三に挙げられているのは、「パンを裂くこと」です。これの解釈は難しいと感じます。教会の中で「パンを裂くこと」の意味としては、二つのことが考えられるからです。



一つは聖餐式のことです。もう一つはいわゆる愛餐会のことです。このどちらの意味で理解されるべきかに、悩みがあります。



悩みの種は、46節です。ここに「家ごとに集まってパンを裂き」に続けて、「喜びと真心をもって一緒に食事をし」とあることです。この場合に生じる悩みとは、「パンを裂き」と「一緒に食事をし」が同じ一つのことなのか、それとも別々のことなのかという問題です。どちらともとれるではありませんか。



このような場合に私が採る方法は、どちらか一方ではなく両方を採るということです。つまり、最初の教会は聖餐式と愛餐会との両方を重んじたのである、と理解する、ということです。



そして、その上でさらに強調して申し上げたいことは、歴史的な教会は、聖餐式だけを重んじてきたわけではないのであるということです。「一緒に食事をすること」、すなわち、いわゆる愛餐会も、十分な意味で重んじてきたのです。



私の尊敬する改革派神学者は、「聖餐式のパンだけでは足りない」と言いました。共感を覚えます。パンをたくさん食べたいのではありません。聖餐式だけで事足れりとするある一定の立場に対して、明確に反対したいからです。



今日、この後、聖餐式を行います。ですから、今私がお話ししていることに、聖餐式を軽んじる意図は、微塵もありません。聖餐式は重要です。しかし、私が申し上げたいことは聖餐式のパンだけが真のパンではない、ということです。言い方を換えますと、日曜日の礼拝の中で食べるパンだけが真のパンではないということです。礼拝後に食べるパンも、そしてまた毎日わたしたちが食べているパンも、わたしたちにとっては、十分な意味での真のパンである、ということです。



聖餐式のパンだけが真のパンなのであり、わたしたちが日常食べているのは偽物のパンである、というようなことは、ありえないことです。それどころか、むしろ、事の真相は逆であって、わたしたちはむしろ、聖餐式の中でいつも食べているのと同じパンを食べることにこそ意味を見いだすのです。



そしてまた、さらに突っ込んで言えば、イエス・キリストは、最後の晩餐のときにだけ、弟子たちにパンを分けてくださったわけではないということも、重要です。御自身の生涯にわたって、また弟子たちと過ごす日常の生活の中で、一緒に食事をしてくださり、パンを分けてくださいました。イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりは日曜日の礼拝の場所でだけ与えられる、というようなものではありません。毎日の生活の中で、それぞれの家庭や職場、あらゆる場所において、与えられるものなのです。



この点を強調することと、主の日の礼拝を重んじることを強調することは、決して矛盾しません。



今年の松戸小金原教会の目標聖句として掲げました「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ記8・10)に加えて掲げた今年の標語は、「主の日の礼拝を楽しみ、日々生き生きと過ごそう」です。



この際はっきり申し上げておきたいことは、この短い文章の中の「主の日」と「日々」との両方に等しい強調がある、ということです。どちらか一方だけが大切である、ということはありません。



それは、先ほどご説明いたしましたコミュニケーション的な考え方に反します。主の日が大切であり、礼拝が大切であり、説教を黙って聴くことが大切であり、聖餐式が大切である、ということのほうだけを一方的に強調するのは教職者中心主義の道です。



そのような一方的な考え方ではなく、主の日だけではなくて週日も大切であり、礼拝の最中だけではなくて礼拝の前後も大切であり、説教を黙って聴くことだけではなくて質疑応答も大切であり、聖餐式だけではなくて愛餐会も大切であり、またそれぞれの家庭で囲まれる食卓も大切であると。



そのように考えていくこと、つまり、両者を等しく重んじつつ、両者の相互関係を丁寧に考えていくことが、教会の交わりにこそふさわしいコミュニケーション的な考え方なのです。



第四に挙げられているのは「祈り」です。祈りも十分な意味でコミュニケーションです。神とのコミュニケーションであり、かつ同時に人とのコミュニケーションでもあります。



以上、四つの点についてお話ししてきました。これらのことが、最初の教会の中で重んじられていたことです。これらのことを重んじた結果が、続きに書かれています。



「民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」



要するに、教会の中での人間関係は、素晴らしいものである、ということが、それまでは教会の外から眺めていたような人々にも理解され、受け入れられ、このわたしもぜひ、あの教会の交わりの中に加わりたい、と願う人々が起こされた、ということです!



しかもそれは、人々が憧れを抱くような人間関係、ただし、自分とは遠いと感じられる、そこに参加することが憚られるような人間関係ではなくて、親しみを覚え、参加の意欲を与えられ、そこに加わることがこのわたしの人生においては決定的に重要なことであると確信することができるような、人間関係です。



そのような教会の交わりが、わたしたちの人生の中に、姿を現しているでしょうか。今通っている皆さんの教会が、そのような教会でありえているでしょうか。



「仲間に加わりたい」と願われるような教会でしょうか。



そのことを自問自答してみる必要があると思います。



(2007年3月4日、松戸小金原教会主日礼拝)