2006年10月29日日曜日

「暗き世に輝く光」

ルカによる福音書22・63~23・12



わたしたちの救い主イエス・キリストは、十二弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切られ、また一番弟子であったシモン・ペトロから三度も知らないと言われて、全くの孤独のうちに、十字架への道を歩みだしました。



イエスさまがユダヤ人たちの手に引き渡され、最初に連れて行かれた先は、最高法院(サンヘドリン)でした。



今日お読みしました最初の段落に記されているのは、最高法院の法廷に引き出される前に、イエスさまが、見張り番たちによって侮辱されたり殴られたりした場面です。



「さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。」



ここに出てくる一連の出来事が、正確な順序どおりに記されているかどうかは、分かりません。分かりませんので、書かれているとおりに説明していくほかはありません。



見張り番たちは、まずイエスさまを言葉で侮辱したり、こぶしで殴りつけたりしました。一人のイエスさまを、複数で痛めつけました。



そのあと「目隠し」をしました。これは、イエスさまの頭の上から袋をかぶせたという意味です。紙の袋なのか、それとも布の袋なのかは分かりません。とにかく、イエスさまの目をふさぐことが目的で、袋をかぶせました。



そして、おそらく、また殴ったのです。だからこそ彼らは「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。これは、「イエスよ、お前なら、それくらいことはできるだろう」という意味だと思います。お前は自分のことを神の子だとか救い主だとか言っているらしいではないか。それなら、だれが殴ったかくらいのことは分かるだろう、という意味でしょう。



垣間見ることができるのは、彼らの神理解です。あるいはまた、それは彼らの宗教理解であると言ってもよいかもしれません。



目隠しされていても自分を殴った相手がだれかを言い当てることができる。それがその人の神であることの証拠である、という神理解です。もし全知全能の神であるならば、そういう“超能力”を持っているはずだと考える神理解です。宗教とは、その種の“超能力”を信じることである、という宗教理解です。



そして、それを反対から言えば、もしだれが殴ったかを言い当てることができなかった場合は、神ではないことの証拠になるのであり、また偽の宗教であることの証拠になる、という考え方でもあるということです。



これを何と言えばよいのでしょうか。なんとも表現しがたいものがあります。わたしの心に浮かぶ言葉は「くだらない」の一言です。彼らはサディスト以外の何ものでもありません。少しは恥を知るべきです。



しかし、実際の場面でそういうことは、なかなか言えないことかもしれません。子どもたちのいじめの問題が思い浮かびます。ある子どもがいじめられている。その子をかばうと、かばったその子ども自身が今度はいじめの対象になる。だから、だれもかばわない。だれにもかばってもらえない子どもは人生に絶望してしまう。その結末は、悲惨です。



いじめの問題はどうしたら解決できるのでしょうか。根本的な解決策は何かということをみんなで考えているところです。教会が明快な答えを持っているわけではありません。しかし、ぜひ考えてみていただきたいことがあります。



それは、人をいじめることを何とも思わない人は、イエスさまがいじめられている姿をよく見てほしい、ということです。そして同時に、イエスさまをいじめている人々の姿を見てほしい、ということです。彼らの姿が美しいものか、それともみにくいものかを、よく見てほしい。とてもみにくい彼らの姿は、自分自身の姿でもある、ということに気づいてほしいのです。



「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』そこで皆の者が、『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた。『わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。』人々は、『これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ』と言った。」



夜が明けました。その直前に、ペトロが三度イエスさまを否定したあと、朝を告げる鶏が鳴いたわけです。「鶏が泣く前に」というイエスさまの予言は、「朝を迎えるまでに」という意味を含んでいた、と考えることもできるでしょう。



ふと気づかされたことがあります。それは、次のことです。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった」とあります。夜は人が眠る時間です。長老たち、祭司長たち、律法学者たちは、夜の間、ぐっすり眠っていたに違いありません。



ところが、イエスさまには、どう考えても、眠る時間が与えられていません。眠る時間を与えられず、夜じゅう、殴る蹴るの暴行を加えられていた。イエスさまは、ぐったり疲れておられた。かたや、ぐっすり眠って元気を回復してきた人々が、しつこい尋問を行うのです。典型的な拷問のやり方であると思います。



「お前がメシアなら、そう言うがよい」と。そう言いさえすれば、メシアを名乗るうそつき人間としてこのイエスというこの男を訴えることができる、というのが、ユダヤ人の腹です。



彼らがイエスさまの口から聞きだそうとしたことは、「わたしはメシアである」という言葉です。あるいは「わたしは神の子である」という言葉です。それを語ることが罪であるというわけです。真の神を冒涜する罪であり、虚偽を語ること、つまり、うそつきである、というわけです。



しかし、これは困ったことです。まことのメシアであるお方が「わたしはメシアである」と語ることが、うそつきだと言われるならば、どうしたらよいのでしょうか。



単純な比較はできないと思います。しかし、わたしは関口康です。そのわたしが「わたしは関口康である」と語ることがうそつきであると言われるなら、どのように自己紹介してよいか分からなくなります。いや、ニセモノだ。お前は関口康ではない、とか言い張られても、ただ困るだけです。



そのときは、「わたしは関口康である」というこのわたし自身が語る言葉を信じていただくほかはありません。そこで問われていることは「信じること」です。信じてくれない相手に対しては、語る言葉を失うのです。



いわばそれと同じように、と続けることができるでしょう。いわばそれと同じように、イエスさまの場合も、真の神の子であり真のメシアである方が、「わたしはメシアである」とお語りになるとき、それがうそであると決めつけられ、言い張られ、罪人のレッテルが張られなければならないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。語るべき言葉を失うのです。



「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう」とイエスさまはおっしゃいました。信じない相手の前ではイエスさまは沈黙されます。そういう人々の前で語ることは、はっきり言って、むなしいだけです。



「では、お前は神の子か」という問いに対して、イエスさまが「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお返しになったのは、直接的な肯定ではなく、また否定でもありません。「それは、あなたたちが言っていることである」という言葉の裏には、「それは、わたしが言っていることではない」という意味が含まれています。この翻訳は正確であると思います。



このようにお語りになることで、イエスさま御自身が茶化しておられるとか、ふざけておられるわけでもありません。語る言葉がないのです。信仰を持っていないひとの前では、黙るほかはない、という場面があるのです。



「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』そこで、ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群集に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです』と言い張った。」



「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と彼らは言いました。



はたして、こういうことを、イエスさまは、いつどこでおっしゃったでしょうか。言っていないことを言っていると言う。「言った・言わない」という話は、たいてい水掛け論に終わります。しかし、イエスさまが「皇帝に税を納めるのを禁じた」などというのは全くのでたらめであることは明らかです。



「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と彼らは言いました。民衆扇動者とは、デマゴーグと呼ばれます。イエスさまはデマを流した人であると、言われたわけです。



しかし、イエスさまが語ってこられたことは、デマでしょうか。



聖書の御言葉に基づく説教は、デマでしょうか。



ひとを罪と悪の縄目から解き放ち、救い出すことは、民衆扇動でしょうか。



何とひどい言い草かと思います。



「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけるピラトに対しても、イエスさまは、「それは、あなたが言っていることです」とだけお答えになりました。イエスさまは、直接的な肯定もされていませんし、否定もされていません。



「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。」



ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国には裁判の権利が与えられていなかったために、何か裁判の必要が生じた場合には、ローマ帝国の法治権に訴え出るしかなかったのです。



そして、ローマ帝国の法治権をユダヤの国の中で行使できたのは、ポンティオ・ピラトという総督でした。ローマ人ピラトのもとでイエスさまの裁判が行われることになった事情は、まさにこのあたりにあります。



ところが、ローマ総督ポンティオ・ピラトは、イエスさまの言動に罪らしきものが認められないと感じました。そして、ユダヤ人の問題は自分の手には負えない、と持て余したので、イエスさまをヘロデのもとに送りました。ヘロデはユダヤの国の王だったからです。



ところが、イエスさまは、ヘロデの前では、何もおっしゃいませんでした。そのイエスさまの態度にヘロデは腹を立て、さんざん侮辱した上でピラトに送り返しました。



「この日、ヘロデとピラトが仲良くなった」と書かれています。「それまでは互いに敵対していたのである」ともあります。お互いに敵対しあっていた二人が、この機会に仲良くなった理由は何でしょうか。



かつての敵対関係は、非常に激しいものでした。互いの権力をねたみあっていました。力関係としては、ローマ帝国からユダヤの国に派遣されている総督であったピラトのほうが上、ローマ帝国の属国となっていたユダヤの国の王であるヘロデのほうが下であった、と考えられます。その中で、ヘロデの側はそのような力関係に我慢ができずにいましたし、またピラトの側はヘロデの反抗的な態度を不愉快に思っていました。



ところが、その両者がイエスさまとの関わりあいの中で仲良くなった。その理由ないし原因として考えられることは、次のことです。



ヘロデに対してピラトがイエスさまの扱いを委ねた。そのとき、ヘロデとしては、ピラトが自分の存在を認めてくれた、と感じたのです。自分に敬意を表してくれた、と感じたのです。そのようにしてヘロデは、とにかく、ある種の満足感を得ることができたのです。それが両者の関係改善のきっかけになったのであろう、と考えることができるのです。



かくしてヘロデとピラトが仲良くなりました。ローマ帝国の代表者とユダヤの国の代表者が一時的にせよ、仲良くなりました。イエスさまを苦しませ、十字架にかけて殺すことにおいて、両者が一致しました。イエスさまを、またイエスさまを信じる人々を苦しめ、弾圧し、殺すための権力が一致団結しました。闇の力が結集していった様子が分かります。



その人々の前で、イエスさまは、抵抗なさいませんでした。取り乱すというようなことも一切ありませんでした。静かに、そして冷静に、十字架への道を進んで行かれました。そのイエス・キリストのお姿は、わたしたち信仰者の模範として、まさに“暗き世に輝く光”(讃美歌282の歌詞、宗教改革記念日!)そのものでした。



イエスさまの栄光のお姿を見つめること。



そして同時にイエスさまを苦しみに遭わせる人間の姿を見つめ、その人間の中にわたしたち自身の罪深い姿を見出すこと。



これが重要なことなのです。



(2006年10月29日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月22日日曜日

「今日、鶏が鳴く前に」

ルカによる福音書22・54~62



「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」。そのように、わたしたちの救い主、イエス・キリストは、十字架にかけられる前の夜、最後の晩餐の席で、弟子ペトロに言われました。そのとおりのことが、現実に起こったのです。



「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」



イエスさまは逮捕され、大祭司の家に連れて行かれました。そのあとをペトロがついていきました。「遠く離れて従った」とは、だれにも見つからないようにこっそり尾行した、ということでしょう。そして、屋敷にいた人々の中に混ざって、様子を見守っていました。



ここでわたしは、二つの疑問を投げかけたいと願っています。第一の疑問は、ペトロはなぜ「遠く離れて」従ったのでしょうか、というものです。



答えははっきりしています。もしこの時点でペトロが目立つ行動をすると、イエスさまと同じように逮捕されるからです。ペトロは逮捕されるのが嫌だったのです。だからこそ、「遠く離れて」いたのです。そのように説明することができると思います。



しかし、ここで第二の疑問が湧いてきます。ペトロには実際に逮捕される危険があり、しかも逮捕されるのが嫌だったのだとするならば、彼はなぜ、「遠く離れていた」とはいえ、イエスさまに「従った」のか、という疑問です。



この問いには、模範解答があるわけではありません。しかし、こういうことをじっくり考えてみることが大切です。また、この問題は、わたしたちにとって非常に重要な意味を持っていると感じます。ペトロのとった行動に映し出されているのは、わたしたち自身の姿であると思われてなりません。



「つかず離れず」という言葉があります。これは通常、人間関係の深さや距離感、物事に対する興味・関心の度合いを表す言葉です。あまり深く関わり過ぎないことです。自分の立場や利益やプライドなどに危害や迷惑が及ばない程度の距離をとり、うまく付き合うことです。



この言葉がまさに当てはまるでしょう。イエスさまが逮捕された後、ペトロはイエスさまとの間に「つかず離れず」という距離を保つ態度ないし行動をとったのです。



しかし、わたしは、ここでのペトロの態度を、できるだけ肯定的に理解したいと願っています。「遠く離れて」はいました。しかし、大切なことは、それでもペトロは「従った」ということです。この点は評価できることです。



ペトロの心境の正確なところは、分かりません。居ても立ってもいられなかった、というあたりではないでしょうか。イエスさまについて行かなければならないという思いと、目の前にある迫害への恐怖とが、心の中で葛藤し、戦っている。そんな感じかもしれません。



その葛藤は、わたしたちにはよく分かることです。先週、吉岡繁先生が説教の中でお話しくださいました。日本では、ついこのあいだまで“耶蘇”(キリスト者)になると結婚できないと言われたり、勘当されたり、村八分にされた。それが現実であった。個人の力では、どうすることもできなかった。



現実の壁が立ちはだかるとき、宗教については「つかず離れず」がいいと、考えはじめるのです。



わたしたちは、そういうことを考える人々を、裁くことができません。裁いてもよい人がいるとしたら、それは、「わたしは、そのようなことを、いまだかつて一度も考えたことがありません」と語ることができる人だけです。



大切なことは「遠く離れて」いようとも、とにかく「従うこと」です。ペトロは、この点に関しては、合格しているとまでは言えないかもしれませんが、及第点は取っていると言ってよいはずです。



「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、『この人も一緒にいました』と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、『わたしはこの人を知らない』と言った。」



ペトロの存在に一人の女性が気づき、騒ぎはじめました。「この人も一緒にいました」。この女性がペトロの姿を、いつどこで見ていたのかは分かりません。考えられることは、イエスさまが「毎日、神殿の境内で」(22・53)説教されていたときです。



イエスさまの隣には、いつもペトロがいたのです。それを多くの人々(群衆!)が見ていたのです。この女性もイエスさまの話を、聞きに行ったことがあるのかもしれません。この人がペトロの姿を覚えていたとしても、当然のことです。



わたしたちの姿も、けっこう周りの人から見られていると思ったほうがよいです。「あの人は毎週教会に通っているのよ」とか、「あら、今日は休んだわね」とか、「最近はあまり教会に行っていないらしいよ」とか。そういうことに、自分は教会に通っていない人々が関心を持っていたりします。よく見ています。面白いものだと思います。



ところが、ペトロは、イエスさまのことを「わたしはこの人を知らない」という言葉で否定しました。「わたしはこの人を知らない」という言葉は、ユダヤ教団が異端者を公式に破門するときに用いた言葉であった、という説があります。もしその説が正しいとしたら、ペトロが言ったことは重大です。ペトロが、イエスさまを、破門したのです!



イエスさまがペトロを破門する、という話ならば分かります。しかし、ペトロは正反対のことを言ってしまいました。窮地に追い込まれ、口がすべって、つい言ってしまったのかもしれません。いずれにせよ、ペトロとしては、イエスさまの前では絶対に言いたくなかった言葉であったに違いありません。



「少したってから、ほかの人がペトロを見て、『お前もあの連中の仲間だ』と言うと、ペトロは、『いや、そうではない』と言った。」



イエスさま御自身は、ペトロに対して、「あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されました。その予告は、そのとおりになりました。しかし、です。ペトロがした三回のやりとりを注意深く見て行きますと、とても興味深い点があることが分かります。



最初のやりとりは、女中との間で交わされましたが、このときペトロが否定したのは、ペトロがイエスさまを知っている、という事実です。「わたしはあの人を知らない」と明確に語りました。



しかし、です。第二のやりとりにおいては、「お前もあの連中の仲間だ」と言われたのに対して、「いや、そうではない」とペトロが答えています。注意したいのは、「あの連中の仲間」の意味は何かという点です。



原文を直訳しますと「お前もあいつのグループに属しているだろう」ということです。大切なことは、「あの連中」とか「あいつのグループ」というふうに訳さざるをえない言葉は、イエスさまお一人のことを指しているわけではない、ということです。



イエスさまの弟子たちのことです。イエスさまを信じる人々のことであり、“教会”のことです。



つまり、ペトロは、最初のやりとりにおいては、イエスさまと自分自身との関係を否定しましたが、第二のやりとりにおいては、“教会”と自分自身の関係を否定したのです!



ペトロが言っていることは要するに、「わたしは教会なんか関係ない。あんなところには行ったこともないし、関わったこともない。『あなたはキリスト者である』などと言われるのは迷惑千万だ」と言っているのと同じであるということです。



「一時間ほどたつと、また別の人が、『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。」



それでは第三のやりとりの意味は何なのかを、考えてみたいわけです。第三のやりとりの中でペトロが否定してしまったのは「ガリラヤの者だから」という点でした。



ガリラヤ地方というのは、エルサレムあたりから見ると、ずっと北のほうです。北部の人々は、喉から出る音を使って喋るそうです。そのような訛り(方言)があったと言われます。また、用いる語彙(ヴォキャブラリ)にも、独特なものがあったそうです。



そのような言葉をあなたは喋っている。この大都会エルサレムでガリラヤ地方の言葉、要するに“田舎っぽい方言”丸出しで喋っているのは、イエスとかいうあの男の仲間たちくらいのものだ。



ほら、まさに今、あなたが喋っているその言葉が、そのことの何よりの証拠である。そのように、ペトロは、周りの人々から証拠を突きつけられたのです。



しかし、ペトロはそのことまでも否定しました。それが意味することは何でしょうか。



「ガリラヤ」とは、ペトロを含む多くの弟子たちの出身地です。



また、ペトロにとって「ガリラヤ」は、何よりもイエスさまから「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われ、弟子になった場所です。



そして、「ガリラヤ」は、彼らにとって、イエスさまと共に生活した場所であり、イエスさまが多くの人々を助け、愛し、励まし、伝道なさるのを一生懸命に助け、働き、まさにイエスさまと苦楽を共にした場所です。



イエスさまも、またペトロ自身も、心から愛している町。それが「ガリラヤ」なのです!



「ガリラヤ」との関係を指摘されて、ペトロが「あなたの言うことは分からない」と、その関係を否定してしまったとき、ペトロの心の中で大きな地震が起こり、それまで大切にしてきたものがガラガラ崩れ落ちていくのを感じたはずです。



「ガリラヤ」との関係を否定する。それは、広い意味では、イエスさまとの関係を否定することです。しかし、ペトロにとっては同時に、その日その時まで、イエスさまと共に苦労して生きてきた自分の人生そのものを否定するのと同じであったと思われるのです。



わたしたちが、自分で自分の人生を否定しなければならない。多くの人の前に立たされ、窮地に追い込まれて。そのとき感じることは何でしょうか。「本当に情けない」という思いではないでしょうか。



「まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」



イエスさまはペトロを見つめられました。やさしい視線だったでしょうか、厳しい視線だったでしょうか。どうだった、と言いきれる証拠はありません。



しかしここで大切なことは、ペトロがイエスさまの視線に気づくことができたことです。イエスさまが、このわたしの姿・言葉・行為を見ておられる、ということに、気づくことができたことです。



そしてイエスさまが「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスさまの御言葉を思い出せたことが、大切です。ガリラヤからエルサレムまで、ずっと一緒に生きてきたイエスさまが、このわたしのことをよく知っておられた。何もかも、イエスさまは分かっておられた。そのことにやっと気づくことができたことが大切です。



ペトロは、涙を流しました。イエスさまに対しても、教会に対しても、愛する故郷や、自分の人生そのものに対してさえ、申し訳ないことをしたと、みじめで情けない気持ちにもなったでしょう。



しかしまた、同時に、ペトロは、イエスさまの愛の深さに気づいた。また、このわたしはなんと冷たい人間なのかということに気づかされた。すっかり打ちのめされてしまったのではないかと思います。



わたしのすべてをご存じである方が、わたしを心から愛してくださっている。



わたしたちは、そのことに気づいているでしょうか。



そのことが、わたしたち一人一人に深く問われていると思います。



(2006年10月22日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月8日日曜日

「闇が力をふるう時」

ルカによる福音書22・47~53



この個所に記されているのは、イエスさまが弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ教の指導者たちに捕らえられる瞬間の言葉のやりとりです。時間にすれば、せいぜい数秒ないし数分の出来事でしょう。聖書全体の中でおそらく最も暗く、また最も嫌な場面と言えるでしょう。



「イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダという者が先頭に立って、イエスに接吻をしようと近づいた。イエスは、『ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか』と言われた。」



このときイエスさまは、何を「話しておられ」たのでしょうか。考えられるのは直前の言葉です。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい」。



これは、オリーブ山でイエスさまが祈っておられたときに、弟子たちが眠っていたことについての忠告の言葉です。おそらくこの忠告の言葉を語っておられる最中に、ユダが、イエスさまを裏切るために近づいてきたのです。



ここで考えさせられたことがあります。それはこの場面の独特の滑稽さです。笑ってはならないと思いますが、ある意味で、これはとてもおかしな場面です。



とくに、わいてくる疑問は、だれが裏切り者なのだろうか、ユダだけだろうかというものです。



もちろん、ユダの裏切りは、本当に卑怯なものです。お金でイエスさまを、文字どおり売り渡したのですから。そして、今や、接吻をもってイエスさまを裏切ろうとしているのですから。



しかし、イエスさまが真剣に祈っておられる最中に眠っていた弟子たちは、どうなのでしょうか。これは、裏切りとまでは言えないかもしれませんが、イエスさまのお気持ちを著しく害する態度であることは、確実です。



また、今こそ思い返されるのはペトロです。先週読んだ個所には、イエスさまがペトロに対して「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うであろう」とお語りになった場面が出てきました。



ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言う。うそつきではありませんか。立派な裏切りではありませんか。そのように考えることも、できると思います。



問題は、裏切りの定義かもしれません。裏切りとは一体何なのか、です。



もちろん、わたしの考えは、先週すでに申し上げました。ペトロがイエスさまのことを「知らない」と言ったことを、ユダがイエスさまを裏切ったのと同じ意味での“裏切り”という言葉で説明することは、わたしにはできないと申し上げました。



しかし、だからといって、ペトロがイエスさまを裏切っていないと申し上げるつもりは決してありません。また、イエスさまが祈っておられるときに居眠りしていた弟子たちの態度もまた、いわば裏切りです。しかし、ユダのそれとはレベルが違う、という言い方が許されるかもしれません。



イエスさまのことを「知らない」と言ったペトロと、イエスさまの横で居眠りしていた弟子たちとに、共通している要素があると思われます。それは、要するに「弱さ」です。



ペトロはいわば内弁慶です。精神的な弱さがあります。イエスさまの前や、弟子仲間の前では、少々大口をたたく。しかし、人前に出ると、逃げる、隠れる。信仰に関する争いには巻き込まれたくない。信仰の異なる人々の前では、黙ってやり過ごすのが得策である。これは現代人の知恵です。ペトロの姿は、われわれの姿です。



居眠りの問題は、何といっても体力の問題です。睡眠とは、身体的・生理的な行為です。眠いものは眠い。こればかりは、どうすることもできません。



両者に共通している要素があるとしたら、要するに「弱さ」です。



しかし、「弱さ」は罪でしょうか。わたしたちの「弱さ」は、責められ、追及され、悔い改めを迫られなければならないものでしょうか。



わたしは、そのように考えることはできません。「弱さ」であれば、許されなくてはならないし、かばわれなくてはならないはずです。



この世界には強い人と弱い人がいると思います。強い人だけで、この世界は成り立っていません。弱い人が必ずいます。もしわたしたちが、ペトロや他の弟子たちを裏切り者と呼ばなければならないなら、弱い人々はみな裏切り者です。心も体も強靭である人々だけの世界を実現することが神の御心である、という話になっていくでしょう。



しかし、それは、キリスト教ではありません。強い人は、弱い人を裁いてはなりません。強い人は、弱い人の弱さを担うべきです。それがキリスト教です。



ところが、ユダは違います。わたしたちは、ユダの罪を「弱さ」という言葉だけで、説明することはできません。具体的なお金のやりとりがありました。信頼関係を自ら意図的に破壊し、すべてをお金に換える。悪質な意図があったことは明らかです。



決して間違ってはならないことは、わたしたちは、なんでもかんでも一緒くたに考えてしまってはならない、ということです。すべての罪を「弱さ」のせいにしてよいわけではなく、その意味で許してしまってよいわけではありません。



泥棒を働いて、飲酒運転をして、薬物におぼれて、姦淫を犯して。そういうことがみな「弱さ」から来るものだから許される、というような話を、教会がしているわけではないのです。それは悪質な言い逃れです。ユダの罪と、ペトロや他の弟子たちの罪とは、区別されなければなりません。



「イエスの周りにいた人々は事の成り行きを見て取り、『主よ、剣で切りつけましょうか』と言った。そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。そこでイエスは、『やめなさい。もうそれでよい』と言い、その耳に触れていやされた。」



イエスさまの周りが、騒然としてきました。夜であり、山の上でしたので、周囲は暗闇でした。光があるとしても、月や星の光か、あるいは、せいぜい、だれかの手に小さな火があったかにすぎません。



その中で、もみ合いが始まりました。オリーブ山でイエスさまと一緒にいた弟子たちの数をルカは書いていませんが、マタイとマルコはペトロとヤコブとヨハネの三人であったことを告げています(マタイ26・37、マルコ14・33)。



つまり、書かれているとおりだとすれば、イエスさまの側は四人。それに対して、ユダが導いたユダヤ教の指導者側の人数は「群集」(47節)と呼ばれるほどの数だったようです。多勢に無勢、です。



闇の中で群衆にいきなり襲いかかれて、相当パニックに陥っていたであろう弟子の一人が、持っていた刃物で、大祭司の手下を切りつけ、右の耳を切り落としてしまいました。これは決してよいことではありませんが、状況的には理解できないものではありません。



ただ、気になることがあります。それは、前回読みましたが触れることができなかった個所(ルカ22・35~38)で、イエスさまが「財布のある者は持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」(22・36)と、弟子たちにお命じになっているところです。



とくに気になるのは、剣を買え、とイエスさまが言われているところです。武装せよ、ということでしょうか。イエスさまらしくないご発言のようにも感じられます。もっとも、弟子たちは、イエスさまがお命じになる前から剣を持っていたようです。「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」(22・38)と言っているとおりです。



しかし、この個所は、注意深く読むべきです。理解するための鍵は、イエスさまが弟子たちに「今は持て」とお命じになったのが、「財布」と「袋」と「剣」であるという点です。



意味が分からないのは「袋」ですが、これは、旅行用の、荷物を詰め込むための袋のことです。リュックサックのようなものと思えばよいでしょう。



ですから、ここで考えられることは、イエスさまがお命じになったのは、一種の旅支度であろうということです。財布にお金を入れて、旅行かばんをもって。ならば「剣」は、護身用のナイフでしょう。それらを持って旅に出かける準備をしなさい、と言われているのではないかと思われるのです。



しかしまた、もう少しだけ突っ込んで考えてみたい気もします。イエスさまが弟子たちにお命じになったことが、もし本当に旅支度だったとすれば、なぜ旅支度なのか、ということが気になります。イエスさまは、このときまさに、御自身の死の覚悟と決意をされているところだからです。



考えてみていただきたいわけです。自分の地上の生涯は、まもなく終わる。そのことを覚悟し決意している人が、自分の子どもや仲間たちに、旅支度をさせる。その意味は何かということを、です。



あなたは生きていきなさい、という意味でしょう。わたしは死ぬが、あなたは生きていきなさい。いつまでも、わたしに(悪い意味で)依存したままではいけない。自分の旅を始めなさい。このように、イエスさまがお命じになっているのです。



つまり、イエスさまが「剣を買え」とおっしゃっているのは、攻撃のための武装の意味ではない、と考えることができそうです。



昔の旅路は強盗だらけです。「よきサマリア人のたとえ」(ルカ10・25~37)も、旅人が追いはぎに遭う話でした。だから、わたしたちも刃物を持ち歩いてもよい、という話にはなりませんが、イエスさまが弟子たちに武装をお勧めになったわけではないと考えることができるなら、少しほっとした気持ちになれると思います。



弟子の一人が大祭司の手下の耳を切り落としてしまったのをご覧になったイエスさまは、「やめなさい」とお止めになりました。「もうそれでよい」というのは、耳だけでよい、という意味ではないでしょう。抵抗するな、という意味に違いありません。



実際、イエスさまは、抵抗されませんでした。刃物や武器でチャンバラを始めるのは、あなたがたであると、襲い掛かって来た人々を、じっとご覧になりました。



「それからイエスは、押し寄せて来た祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。『まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。』」



ここでイエスさまは、少し苦笑いしておられるような感じもします。やれやれ、まるで強盗扱いだねと。



しかし、わたしの姿、わたしのしてきたことを、あなたたちは、ちゃんと見てきたはずです。わたしは逃げも隠れもせず、堂々と「神殿の境内で」神の御言葉を語ってきました。それ以外の何をわたしがしましたか、と問い返しておられるように感じます。



神殿の境内の主役は、本来ならば、あなたたちのほうでしょう。祭司長さん、神殿守衛長さん、長老さん!



それなのに、わたしが皆の前で話しているときには、あなたたちは、何もできなかった。あなたたちは、陰に隠れて、こそこそと何をやっていたのですか?



「『だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。』」



公の場で、堂々と、明確にお語りになるイエスさまのお姿は、光り輝いています。



他方、闇に隠れて蠢(うごめ)き回り、大人数で圧倒する人々の姿は、不気味に薄暗い。



とても対照的な両者です。



(2006年10月8日、松戸小金原教会主日礼拝)



2006年10月1日日曜日

「父よ、御心なら」

ルカによる福音書22・31~46









十字架にかけられる前の夜、イエスさまは、弟子たちと一緒に、最後の晩餐を囲まれました。今日お読みしました個所には、その晩餐の中でイエスさまが使徒ペトロに向かってお語りになった御言葉が記されています。



「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。』」



「シモン」とは使徒ペトロの本名です。ペトロはイエスさまがお付けになった名前です。「シモン、シモン」と、二度繰り返されていることには意味があります。これは愛情表現であり、また励ましの意図があります。



イエスさまによりますと、サタンが神さまに願いごとを言い、それが聞き入れられたのです。サタンとは悪魔のことです。神さまが悪魔の言い分をお聞き入れになったというのです。



そんな馬鹿なと、びっくりする方がおられるかもしれません。しかし、これは旧約聖書のヨブ記などに見られる思想です。その思想とは、神は悪魔の計略を「許可」されることにおいて御自身のご計画をお進めになるお方である、というものです。



なぜ神さまはそんな「許可」を出されるのか、という問いが当然出てくると思います。しかし、そのことを詳しくお話しする時間はありません。この問題は神義論と呼ばれるものです。この神義論という問題を深く考えていくことは、わたしたちの信仰生活において非常に重要であると、わたしは考えています。



「小麦のようにふるいにかける」とは、小麦粉の粒の大きさを揃えること、揃わないものはふるい落とすことを意味しています。つまり、これは、明らかに、弟子たちの中から抜け落ちる人が出る、ということについての予言です。



これがイスカリオテのユダを指していることは、文脈から明らかです。ということは、ユダが裏切ることは、神がサタンの計略を「許可」された結果である、ということになります。つまり、ユダの裏切りには、神御自身のご計画という側面がある、ということにもなるのです。



と、こういうふうに説明していきますと、またしても神義論の問題に戻っていきます。時間がありませんので戻りませんが、この問題は本当に難しいものであり、また、まるで迷路の中にいるような感覚にとらわれるものである、ということを申し上げておきます。



ところが、イエスさまは、ここで非常に重要なことを、おっしゃっています。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と。



この御言葉によって分かることがあります。それは、神の許可のもとでサタンが信仰者たちをふるいにかける。あなたがたのうちから抜け落ちる人が出る。そのことで、非常に傷つくのは誰なのかを、イエスさまは非常によく理解しておられるのだ、ということです。



脱落者が出ることで最も傷つくのは、もちろん言うまでもなくイエスさま御自身です。しかしそれでは、イエスさまの次に傷つくのは、だれでしょうか。イエスさまは、それは弟子の中のリーダー的存在であった使徒ペトロであるとお考えになったわけです。



そしてその上でイエスさまがお考えになったことは、その傷によって、ペトロの信仰が無くなるかもしれない、ということでした。仲間の脱落はそれほどの傷を生み出すものである、ということでしょう。だからこそ、ペトロの信仰が無くならないようにと、イエスさま御自身が祈ってくださったのです。



ここから先のことは、わたし自身は、あまり触れたくありません。わたしもこのことで傷ついたことがありますので。しかし、どうしても触れざるをえない。それは、教会から出て行く人々の問題です。



別の教会に移って信仰生活を続けておられる方々のことは、心配しておりません。また連絡関係が保たれている方々のことも心配しておりません。しかし、いちばん心配なのは、関係が全く途絶えてしまっている方々のことです。



そういう人々のことを「裏切り」という言葉で説明することには、わたし自身は非常に抵抗があります。なぜ抵抗があるか。教会の側には問題がなかったのかと、必ず問わざるをえないからです。多くの場合、出て行った人々が一方的に悪い、と考えることはできません。教会にも、いや、かなり多くの場合、牧師にこそ問題があったのです!



しかし、です。本当に困ってしまうのは、実際に問題があったとき、出て行かれてしまうことです。教会と牧師には正しい信仰に基づいて悔い改めるという道があります。われわれは悔い改めます。批判の言葉に耳を傾け、方向を修正していきます。しかし、教会から出て行かれてしまいますと、その方の前に、悔い改めた姿をお見せできなくなります。問答無用の関係になってしまいます。



イエスさまの弟子の群れの中から抜け落ちる人が出ると、リーダーのペトロが傷つく。牧師が傷つき、長老たちが傷つきます。そのことをイエスさまはよくご存じです。「だからあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」というのは深い慰めの言葉です。



「するとシモンは、『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた。『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。』」



ペトロが言っていることは、よく考えると思わず笑ってしまう要素があります。それは「御一緒になら」と言われているところです。



イエスさまと一緒なら、というのですから、「わたし一人では嫌です」と言っているようにも読めます。「あなたは生きてください。あなたの身代わりに、わたしが死にます」とは言っていません。



先週結婚式の中で触れましたヨハネによる福音書15・12の御言葉、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」は、あなたと一緒なら死ぬことができます、一緒に死にましょうという意味ではありません。



「あなたはどうか生きてください」と言わなくてはならない。「あなたが生きるために、わたしの命をささげます」と言えなくてはならない。イエスさまが語っておられるのは“心中のすすめ”ではありません。



しかし、そのような愛は、わたしたちにはできそうもないことです。結婚式の中で申し上げたことは、「相手のために死ねるかと、結婚式の日に、考えてみるくらいのことは必要でしょう」ということでした。必要でしょう、と申し上げたのは、“考えてみること”だけでした。



実際に「相手のために死ぬこと」は、わたしたちにはおそらくできません。「一緒に死にましょう」という話ではありません。「あなたは生きてください」という話でなくてはならない。それが愛なのです。



そこでわたしたちが感じるのは、なんともいえない寂しさ、むなしさでしょう。わたしだけが、いなくなる。わたしが存在しない世界が続いていく。わたしがいなくても何とかやっていける家族がある。わたしなど、じつは最初から必要なかったのか。ただの邪魔者にすぎなかったのか。こういうことを考えはじめてしまうのが、わたしたちです。



いや、実際には、そういうものなのだと思います。このわたしなしにもこの世界は存在するのです。このわたしなしにも家族はなんとかやっていくし、やっていかなければならないのです。そこで、すねたり、いじけたりすべきではないのです。



しかし、です。実際に、あなたが生きていくためにわたしの命をささげる、ということは、できるかと言われるなら、できませんと答えるのが、だれにとっても正直のところではないでしょうか。



ところが、ペトロは、「御一緒なら」という但し書き付きではありますが、「命をささげます」というようなことを易々と言う。イエスさまは、そのようなことはペトロには無理である、ということを、あらかじめはっきりと見抜いておられたのです。そしてペトロに「今日、鶏が鳴くまでに三度、わたしを知らないと言うだろう」と予告されたのです。



このイエスさまの予告の言葉は、“ペトロの裏切りについての予告”と呼ぶべきでしょうか。ペトロもユダと同じような意味で“裏切った”と考えなければならないのでしょうか。そのとおり、ペトロも裏切り者である、と言わなければならない面もあると思いますが、そのような見方は、やや厳しすぎるという感じもしなくもありません。



わたしたちは、いつでも、どこでも、誰の前でも、このわたしはキリスト信者であり、松戸小金原教会のメンバーであり、毎週の礼拝に通っていますと語ることができているでしょうか。もしわたしたちにそれができているとするならば、それができなかったペトロは“裏切り者”と呼ぶべきかもしれません。



しかし、実際のペトロは、わたしたちの姿によく似ていると思います。いろいろと遠慮したり、配慮したりするゆえに言葉を濁す場面があります。それを語るや否や、ただちに論争に巻き込まれることがあらかじめ分かっているというような場面では、黙ってやり過ごすというようなことが、わたしたちにはありえます。もしそれが裏切りだというならば、ペトロは裏切り者です。



ペトロはイエスさまを裏切っていないとは、決して申しません。しかし、わたし自身は、ペトロのことを、ユダと同じ意味では、“裏切り者”と呼ぶことができません。



「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」



はたして、わたしたちは、「イエスさまは十字架の死を“喜んで”お受け入れになった」というふうに語ることができるでしょうか。それは無理であると思われます。なぜなら、イエスさまは、ここではっきりと「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください」と祈っておられるからです。



もちろん、痛いのが嫌だとか、死にたくないとか、自分の命が惜しいとか、そのような次元のことを、おっしゃっているのではありません。しかし、わたしたちの場合には、そのような次元のことを考えたり語ったりすることは許されると思います。



死んでも構わないとか、自分の命は惜しくないというのは、たとえ本当にそう思ったとしても、あまり人前では言わないほうがよいです。周りの人々から、ただ心配されるだけです。どこかしら、やけっぱちで、投げやりな感じに響きます。死んでも構わないという言葉を聞くと、周りの人は「ああ、この人は死にたくないんだな」と考えるものです。



しかし、イエスさまの場合は全く異なります。イエスさまの御意志はただ一つ、父なる神の御心に忠実に従って生きること、そして、死ぬことです。



それでもなお、イエスさまにとって、父なる神さまに「取りのけてください」と願う杯がありました。それは何でしょうか。考えられることは、こうです。



愛する弟子の裏切りという道を通ってしか十字架への道にたどり着くことができない、という「神の御心」が、イエスさまにとっては、あまりにも耐え難いものだったのです。



(2006年10月1日、松戸小金原教会主日礼拝)