2004年9月26日日曜日

自由なる生の喜び


ガラテヤの信徒への手紙4・21~5・1

パウロが今日の個所に書いている内容は、もちろん、一つのたとえ話です。少し難しい言葉を使わせていただくなら、「寓喩」(アレゴリー)と言います。

寓喩とは、聖書の中に書かれてある言葉について、「じつは、これは、こういう裏の意味が隠されているのです」というような仕方で、全く予想もつかない意味を説明してみせるとか、あるいは、論理的には必ずしもつながりがあるとは思えないところに真意を見出す比喩の方法、というふうに説明できるかもしれません。

ところで、通常の場合、たとえ話というのは、一般的には分かりにくいことを、できるだけ分かりやすく説明するために用いられます。しかし、どうでしょうか。今日の個所のたとえ話についてのわたし自身の率直な印象は、これは非常に難しい、ということです。はっきり言えば、今日の個所に書いていることが、わたしには、さっぱり分かりません。

胸を張って言うようなことではないかもしれません。しかし、いくつかの聖書注解書に当たってみましたが、どの本を読みましても、十分に納得できるように解説してくれるものは見当たりませんでした。聖書には時々、このような個所が出てきます。

しかし、この期に及んで、そのようなことを言っている場合ではないのかもしれません。分からないなりに読んでいくうちに、少しくらいは分かる部分が見つかるかもしれません。今日の個所の最初にパウロが書いていることは、これです。

「わたしに答えてください。律法の下にいたいと思っている人たち、あなたがたは律法の言うことに耳を貸さないのですか。」

これは、とりあえず何とか理解できるところでしょう。パウロは、「律法の下にいたいと思っている人たち」に向かって語りかけている、ということが分かります。

ここで「律法」は、特別な意味であると思われます。わたしたちは、聖書全体を指して「律法」と呼ぶことがあるからです。

しかし、ここで、パウロは、明らかに「律法の下にいたいと思っている人たち」を厳しく批判しています。もしここで言われている「律法」の意味が、わたしたちの持っているこの「聖書」のことだけであるならば、パウロもまた聖書の御言を宣べ伝える伝道者の一人であるわけですから、なんだか奇妙な話になってしまいます。「聖書の下にいたいと思っている人たち」が悪いのでしょうか。そんなことを、パウロが言うでしょうか。それはちょっと、ありえないことです。

むしろ、ここで「律法」とは、今日の個所の最後に出てくる「奴隷の軛」という意味で語られていると思われます。

「軛」というのは牛や馬の頸(くび)にかける横木のことです。「くび」にかける「木」だから「くびき」です。これを人間にもかけると「奴隷の軛」となります。総じて、自由を束縛する道具や手段を指します。しかし、今のわたしたちの国では奴隷制度というものは禁じられておりますので、「奴隷の軛」を実際に見たことがある人は少ないと思います。

それはともかく、ここでパウロが「律法」という言葉を「奴隷の軛」と全く同じ意味で使っていることは明らかです。しかし、そうであるならば、やはり、これは、わたしたちにとって非常に驚くべき言葉である、と言わなければなりません。聖書全体という意味でもありうる「律法」が、人の自由を奪う道具ともなりうる、とパウロは考えているのです。

しかし、わたしたちは、このことを、今開いておりますガラテヤの信徒への手紙の全体の文脈から全く切り離して考えることはできません。今日は、少しこれまでのおさらいをしておきたいと思います。

パウロは、この手紙をガラテヤ教会の人々に書き送りました。パウロは、ガラテヤ地方にしばらく滞在して福音を宣べ伝えたのち、別の地に移動し、新たな伝道を始めました。そのパウロが立ち去った後のガラテヤ教会の中に、「異なる福音」を宣べ伝える別の教師が現れ、その教師を支持するグループができてしまった、というわけです。

この教師が宣べ伝えた「異なる福音」の内容とは、一言で言って、「ユダヤ教的律法主義への回帰」というべきものでした。その人々は、ユダヤ人以外の異邦人たちが信仰を告白してキリスト者になることのために、洗礼を受けるだけでは足りない、と主張しました。旧約聖書に基づくユダヤ教の伝統である割礼をも受けなければならない、と言いはじめました。異邦人たちは、まずユダヤ人になりなさい。ユダヤ人になってから、キリスト者になりなさい、と言うのと同じことを、彼らは異邦人たちに強要したのです。

そして、そのような「ユダヤ教的律法主義」を強要する教師たちの主張に対して、事もあろうに、当時のキリスト教会の最高指導者であった使徒ペトロまでもが同調しはじめました。そこに至って、これは全くとんでもないことだ、とパウロは怒りをあらわにしたのです。

洗礼を受けるだけでは足りない、という主張は、今のわたしたちの時代にも、いろいろと形を変えて、装いを新たにして、登場いたします。

わたしたち松戸小金原教会の歴史を考えていく中で決して忘れることができない出来事として、いわゆる「異言問題」というのがありました。具体的なことを申し上げるのは控えます。わたしは当時のことを正確に知っているわけではありません。いろいろと差し出がましいことを語るのは、慎まなければなりません。

しかし、一般論として「異言問題」というのは、基本的・本質的なところで、ガラテヤ教会の問題に通じるところがあるのです。

まず最初に、その人々は「水の洗礼」を受けるだけでは足りないと語りはじめるのです。「聖霊の洗礼」を受けなければならない。「聖霊の洗礼」を受けた者たちは「異言」というものを語りはじめるのだ。異言を語ることができないのは「聖霊の洗礼」を受けていない証拠なのだ、というふうな話に、必ずなっていくのです。

そこで起こる大きな問題は、わたしたちがキリスト者であるためには、信仰を告白し、洗礼を受ける、ということだけでは足りないという理由から、それ以外のいろんな条件がたくさん加えられていく、ということです。洗礼を受けただけの「偽物のキリスト者」とそれ以上の何かを持った「本物のキリスト者」という二種類のキリスト者という考えが出てくるのです。そのようにして、「教会の敷居」が、どんどん高くなっていく、ということが起こるのです。

しかし、それは違うのではないか、というのが、パウロの立場であり、信仰そのものでした。人がキリスト者となるために、洗礼だけでは足りず、割礼も受けなければならない、と言われることは、異邦人のための伝道者であるパウロの立場からすれば、「伝道の障害」以外の何ものでもありませんでした。

パウロにとっては、わたしたちがキリスト者であるために求められる唯一の事柄は、わたしたちの救い主イエス・キリストを信じることだけである。「なんだかんだ」という条件は、一切排除されるべきである、ということであったわけです。

そのことを、しかし、パウロは、ただ単に自分の信念であるとか、主義・主張である、ということだけで語ることは許されませんでした。牧師・説教者・伝道者の仕事は、自分の主義・主張を語ることではありません。聖書の御言に基づいて、真理を語ることです。おそらく、そのために、パウロは、今日の個所のたとえ話を書いているのです。

「あなたがたは律法の言うことに耳を貸さないのですか」とあります。もちろんここでパウロが言いたいことは明らかです。律法の下にいたいと思っているあなたがた。あなたがたが頼りにしている律法そのものが、聖書そのものが、あなたがたの主義・主張の根拠そのものが、あなたがたの主義・主張を否定していますよ、ということを言いたいのです。

このようなパウロのやり方は、間違いなく、論争的なかたちを必然的にとらざるをえません。ピリピリ張り詰めた雰囲気の中での厳しい言葉の応酬になります。こういうのは、本当に嫌なことであり、できれば避けたいことです。

しかし、大いに学びうることもあります。それは、教会の中にいろんな問題が起こったときに、わたしたちにできることは、とにかく徹底的に「聖書そのものを読んでいくこと」以外には無いだろう、ということです。聖書にどう書いてあるか。聖書が教えていることは何か。このことに、わたしたちは、常に立ち返らなければなりません。

とはいえ、もちろん、パウロにとっても、わたしたち自身にとっても、論争相手として登場する人々自身も、「わたしたちも聖書に基づいている」というふうに、必ず言います。解釈の違いである、というところで終わってしまうことが、しばしばです。

しかし、わたしは、「それでもよい」と思うのです。それでもよいから、とにかく聖書を読みましょう。聖書には何が書かれているのかということを、みんなで一緒に学んでいきましょう。ここに問題解決の糸口がある、と信じることが、わたしたちに許されている道なのです。

そして、その上でさらに申し上げておきたいことは、このような「聖書」の用い方こそが、わたしたちにとって最もふさわしい、ということです。わたしたちは、聖書の内容について自由に論じあってよいし、分からないことは「分からない」と言ってよいのです。

反対に、最も正しくない聖書の用い方がある、と思います。それがまさに「律法主義」です。聖書の御言を「奴隷の軛」とすることです。聖書の御言に基づいていると称して、わたしたちがキリスト者であるためにイエス・キリストを信じる信仰を告白すること以外のいくつもの条件を加えていくことです。「ああしろ、こうしろ」と無理難題を次々に積み上げて行くことです。しかし、わたしたちは、もっと自由であってよいのです!

今日の個所について、わたしに語りうるのは、この程度のことです。パウロが語っているたとえ話そのものは、正しく理解することが本当に難しいと感じます。

「アブラハムの二人の息子」とは、女奴隷の子イシュマエルと正妻サラの子イサクとの二人のことです。しかし、この二人の息子のどちらがわたしたちであり、もう一方が誰である、というようなことが書かれているのですが、それはなぜなのか、とか、それをどのように説明すればよいのかなど、考えれば考えるほど、さっぱり分かりません。

しかし、幸いなことに、パウロはこのたとえ話をしめくくるに当たり、「要するに」と、一言で要約してくれています。こういうのが有難いと思います。

「要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な女から生まれた子なのです。この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」

キリスト者の人生は、全く自由な人生です。わたしたちの救い主イエス・キリストが、わたしたちを自由な身にしてくださったのです。

律法主義の罠に陥らないよう、お互いに気をつけたいと思います。

(2004年9月26日、松戸小金原教会主日礼拝)

2004年9月24日金曜日

TCIファン・ルーラー研究会講義録「A. ファン・ルーラーの聖霊論」

「A. ファン・ルーラーの聖霊論」  講師  関口 康

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「TCIファン・ルーラー研究会」は、東京キリスト教学園(東京基督教大学東京基督神学校共立基督教研究所)の学生有志によって自主的に結成された神学研究会です。

TCIファン・ルーラー研究会の歩み

日  程  2004年 9月〜原則毎月一回(12月は休会)午後7時〜9時

会   場  東京キリスト教学園バルナバホール(千葉県印西市内野3-301-5)

第一講(2004年 9月24日)

 第1節  資料

 第2節  それは「聖霊論的神学」ではない

 第3節  相対的に自立した聖霊論の必要性

第二講(2004年10月29日)

 第4節  聖霊論の根本概念としての「聖霊の内住」

第三講(2004年11月18日)

 第5節  キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(序)

第四講(2005年 1月27日)

 第6節  キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(1)

第五講(2005年 2月17日)

 第7節  キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(2)

第六講(2005年 4月予定)

 第8節  キリスト論的視点と聖霊論的視点との構造的差異(3)


2004年9月19日日曜日

キリストのかたち


ガラテヤの信徒への手紙4・19~20

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。」

パウロは、今日の個所に、たいへん印象的な言葉を記しております。

「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」以前広く用いられていた口語訳聖書では、次のように訳されていました。「あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする。」

ほとんど変わっていない感じですが、細かく見ればいくらか違いもあり、どちらの訳にもそれなりの魅力があります。しかし、今日は細かい話をするつもりはありません。

ここでパウロが語っていることは、要するに何なのか。このような、ごく大づかみな話をしたいと願っています。

ここには、「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」、口語訳では「あなたがたの内にキリストの形ができるまで」、わたしは苦しんでいます、と書かれています。しかも、その苦しみは「産みの苦しみ」であると言われます。そして、その産みの苦しみを感じている「わたし」とは、もちろんパウロ自身のことです。

ここまでのところで明らかなことを、以下、三点にまとめておきます。

第一点は、パウロによると、イエス・キリストには「かたち」がある、ということです。

その「かたち」は、まさに「キリストのかたち」と呼ぶことができるほどの何かである。もちろん、それは目に見える「かたち」です。目に見えないものではありません。わたしたちの救い主は、目に見える「かたち」を持つ存在であられる、ということです。

第二点は、パウロによると、「キリストのかたち」ができる場所があるとしたら、それは「あなたがたの内」である、ということです。

ここで「あなたがた」とは、第一義的にはもちろん、ガラテヤ教会の人々です。しかし、彼らだけに限定される話ではありません。すべてのキリスト者の内に、「キリストのかたち」ができるのです。「心の内側に」というだけでは、おそらく足りないと思います。体の内側にも、わたしたち人間の存在そのものの内側にも、「キリストのかたち」ができるのです。

第三点は、パウロによると、「キリストのかたち」を「あなたがた」ガラテヤ教会の人々の「内」に形づくるのは、パウロ自身であるということです。

わたしが「産みの苦しみ」をする、と言っているのですから、そのように考えざるをえません。産みの苦しみというものを感じることができるのは、産む人だけです。産んだことがない人、産まない人が、産みの苦しみを感じることはありません。パウロが、ガラテヤ教会の人々の存在の内側に「キリストのかたち」を産むのです。それ以外のことを考えることはできません。

第一の、わたしたちの救い主イエス・キリストには、目に見えるかたちがある、という点から考えて行きたいと思います。まず、ここでパウロが言っている「かたち」の意味を考えます。

英語には「かたち」という意味の表現がいくつかあります。わたしたちが日常的によく使う言葉としてフォームとかスタイルとかタイプとかパターンなどがあります。「キリストのかたち」の場合はどれに当たるのか、と考えてみることもできるかもしれません。

しかし、わたしの答えは、どれか一つではなく、どれでもある、というものです。「キリストのフォーム」という意味もあるし、「キリストのスタイル」でもあるし、「キリストのタイプ」でもあるし、「キリストのパターン」でもあると申し上げておきます。

フォームとスタイルとタイプとパターンという四つの「かたち」を挙げました。これら四つに共通する点は、いずれも目に見えるものであるということです。その意味は、外面的ないし表面的な要素がある、ということです。自分だけが認識でき、他の人々には認識できないような、その意味で心の内側だけで表現しうるような「かたち」というよりも、むしろ、他の人々にこそ、第三者にこそ認識することができる外面的・表面的な「かたち」が、フォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンです。

もっと分かりやすく言い直す必要があるかもしれません。ここでわたしたちがぜひとも思い起こしたいことは、イエス・キリストというお方は、わたしたちと同じ人間の肉体を持っておられる神の御子である、という点です。この意味で、キリストは、わたしたちと全く同じ人間であられる、という点です。

わたしたちは、人間として、この地上の人生の中で、必ず、常に、ある種の「かたち」を持つ生活を送っています。砂を噛むような、とでも言うのでしょうか、大して面白くもない、ワンパターンな生活かもしれません。しかし、そうであっても、いえ、そうであるからこそ、わたしたちは、「パターン」という意味での「かたち」のある生活を送っていると語ることができるでしょう。

また、わたしたちは、人と付き合うときに、その相手をいろいろと分析しようとします。「あの人は、こういうタイプである。ああいう人に対しては、こういう付き合い方をしたほうがよい」というようなことを、必ず考えます。わたしたちは人から見ると、たいていの場合、どれかのタイプに属するようです。

そしてまた、わたしたちは、必ずや、何らかのスタイル、何らかのフォームを持つ生活をしています。この場合のスタイルとかフォームは、形式とか姿勢などの意味です。日本の中でわたしたちがキリスト者であるというとき、わたしたちは、明らかに、他の人とは少し違うスタイルやフォームを持つ生活を送っているはずです。日曜日には、朝早くから家を出て教会に行く。他の人々はそんなことをしていないようなことをしている。これは間違いなく、異なるスタイルないし異なるフォームを持つ生活です。

ここでパウロが「キリストのかたち」と呼んでいる場合の「かたち」の意味は、まさに今わたしが申し上げました外面的・表面的な意味でのフォームであり、スタイルであり、タイプであり、パターンであると説明することができます。

それは、別の言い方をするなら、新約聖書の最初に出てくる四つの福音書が描き出しているイエス・キリストの地上のご生涯には、まさに外面的・表面的な意味でのフォームがあり、スタイルがあり、タイプがあり、パターンがあった、ということでもあります。

ユダヤ教の安息日は土曜日ですから、みんなが会堂に集まるのは、土曜日です。そこでイエスさま御自身が、聖書の御言に基づいて説教をされる。また、イエスさまは説教だけをなさった方ではなく、もっと多くのことをされました。多くの人々と共に喜びを分かち合う、恵みに満たされた生活を送られました。

たとえば、そのようなイエスさまの人生そのもの、生き方そのものです。まさしくそのようなことを指して、今日の個所でパウロは「キリストのかたち」と呼んでいるのです。

ここで、第二の点に移ります。そのような「キリストのかたち」は、パウロによると、あなたがたの内に形づくられるものである、と言われます。これは、どういう意味でしょうか。

この文脈にあって、おそらく最も理解しやすいであろうと思われる表現は、「キリストの生活スタイル」という意味での「キリストのかたち」が、あなたがたの内にも形づくられる、という言い方です。

つまり、こういうことです。キリストの生活スタイルが、このわたしの生活スタイルになる。逆の言い方をするなら、このわたしの生活スタイルが、キリスト的な生活スタイルとなる。要するに、キリストに似たものになること、キリストの真似をすること、です。

十四世紀後半から十五世紀前半のドイツで活躍したローマ・カトリック教会の修道士であり、司祭にもなったトーマス・ア・ケンピスの名前は、日本でも多くの人々に知られています。この人の主著『キリストにならいて』(イミタチオ・クリスチ)の意味はキリストに似たものになることであり、キリストの真似をすることです。

イミタチオは、イミテーションの語源です。イミテーションというと、わたしたちは、すぐに「偽物」という言葉を思い浮かべてしまいます。しかし、トーマス・ア・ケンピスの場合のイミタチオは、決して悪い意味ではありません。良い意味で「真似すること」です。「まねび」とも言われます。しかも単なる真似でもありません。「信頼して服従すること」です。キリストの弟子になって、キリストの後ろからついて行くことです。

まさにこの「イミタチオ・クリスチ」、キリストの真似をし、キリストに似たものになること、そして、キリストの生活スタイルが、このわたしのものとなっていくこと、まさにこのことを、今日の個所でパウロが「キリストがあなたがたのうちに形づくられる」という言葉で、表現しているのです。

もちろん、ここに至って、改めて問うておきたいことは、はたして、わたしたち自身の生活スタイルは、本当に、キリストに似たものになっているだろうか、ということです。

それはかなり疑わしいと、きっと誰もが感じることでしょう。おそらくそれは感じてよいことですし、感じなければならないことであるとさえ言えるように思います。

その反対を考えてみるとよいのです。「わたしの生活は、キリストそっくりです」というようなことを、堂々と、胸を張って言い出す人がいるとしたら、どうでしょうか。「はたしてそれは本当のことだろうか」と疑う気持ちを、おそらく誰もが持つのではないでしょうか。

これは、ヒガミやヤッカミというような次元のことだけではありません。わたしの最も尊敬する一人の改革派神学者(A. ファン・ルーラー)が言っていることは、「キリストのかたち」の意味は、「謙遜であること」に他ならない、ということです。まことに神御自身の御子であられる方が、人となられた。ここに、キリストが示された謙遜、へりくだりの道があります。キリストに似ている、ということは、キリストと同じように謙遜であること、控えめであることに他ならないのです。

わたしはこの神学者の考えに、心から賛成します。そして、この意味で「わたしの生活は、キリストとそっくりです」と胸を張って言うことは、必ずしも「謙遜な態度」とはいえない場合がある、と申し上げておきたいのです。「キリストとそっくりです」と語るまさにそのことにおいて、キリストから最も遠ざかっている場合があるということを、覚えておかなければなりません。

そして、第三の点に移ります。パウロによると、あなたがたガラテヤ教会の人々の内にキリストのかたちを産み出すのは、他ならぬパウロ自身である。産みの苦しみを感じるのは、他ならぬパウロである、と言われている点です。

最初に触れましたように、新共同訳聖書では「わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」とありますが、以前の口語訳聖書では「わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする」と訳されていました。「あなたがたを産む」というのと、「あなたがたの内なるキリストのかたちを産む」とでは意味の違いを感じます。

しかし、内容的には同じことです。パウロがそれを産み出すために苦しんでいるのは「あなたがたの内なるキリストのかたち」であることは、全く明白なことです。

しかし、ここで立ち止まって考えておきたいことがあります。それは、今さら、なぜ、それをパウロが産み出さなければならないのか、という点です。パウロはガラテヤ教会を離れた人間です。言ってみれば、その直接的な関係は終わっています。しかし、いまだに、なぜパウロが苦しまなければならないのか、という点です。

この問いに対して、分かりやすい答えは無いかもしれません。差し当たり、この場合の「キリストのかたち」の意味は、先ほどから申し上げているとおり、ガラテヤ教会の人々の生活スタイルがキリストに似ているものであるかどうかにかかっています。彼らの生活スタイルの中に以前にはあった「キリストのかたち」が今では見えなくなってしまった。このことに、パウロは責任を感じ、苦しんでいるのです。牧会者なら当然の悩みである、と言うべきでしょう。

「かたち」ということで、わたしの頭に思い浮かぶのは、プリンとかゼリーのようなものです。プリンやゼリーが「かたちあるもの」になるまでには、少しの間、じっとさせておく時間が必要です。しっかり固まらないうちに、ジャカジャカと、せっかちに動かしてはならないのです。みんな崩れてしまいます。すべてが台無しです。

わたしたちの内なる「キリストのかたち」ができる過程においては、牧師の果たすべき責任も大きいところです。一例だけ挙げておきますと、頻繁に牧師が交代しているような教会は、この「じっとしていること」が難しいと言えます。

パウロの場合も、同じでした。パウロが去った後のガラテヤ教会が乱れました。「異なる福音」を宣べ伝える教師とそのグループによって、かき乱されました。ガラテヤ教会は、できてまもない群れでした。産まれたばかりの赤ちゃんでした。しかし、せっかくパウロが宣べ伝えた福音と、ガラテヤ教会の人々の内に産まれてきた「キリストのかたち」が、ジャカジャカと動かす人々によって、崩れてしまったのです。

もう一度、あなたがたを産みたい。

あなたがたの内なる「キリストのかたち」を元通りに復元したい。

これが、パウロの切なる願いでした。

(2004年9月19日、松戸小金原教会主日礼拝)

2004年9月12日日曜日

人の弱さを担う善意


ガラテヤの信徒への手紙4・12~18

「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします」。

「あなたがたもわたしのようになってください」。これは、パウロの他のいくつかの手紙(一コリント4・16、11・1、フィリピ3・17、二テサロニケ3・7)にも出てくる「わたしのようになりなさい」とか「わたしに倣うものになりなさい」と全く同じ意味で書かれています。なんとなく自信過剰な人の言いそうなことだ、とお感じになるかもしれません。しかし、決してそういうことではありません、と申し上げておきます。

「あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」(4・7)と書かれていました。しかし、そのあなた、すなわち「神の子」とされたあなたが「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」(4・9)と、パウロは問いました。その続きに「わたしのようになりなさい」と書かれているのです。

わたしは今や「神でない神々」の奴隷ではない。そのようなものの奴隷にはならないし、なりたくない。奴隷なんて、まっぴらだ。今、わたしは、全く自由の身である。あなたもわたしと同じように自由になったではないか。それなのに、なぜもう一度、逆戻りするのか。なぜ、不自由な人生に戻ろうとするのか。ぜひ、このわたしと一緒にこの自由を守り抜いて行きましょう。全く自由で喜びに満ちたこの人生を楽しみ続けましょう。どうか、わたしのように自由な者になってください。これがパウロの言葉の真意です。

ただし、これは、やはり、自分の生き方に自信や確信をもつことができる人だけが語りうる言葉である、ということは、おそらく事実です。今の時代、「自信たっぷり」というのは、あまり流行らないかもしれません。「人生いろいろ」と口を濁しておいたほうが無難かもしれません。しかし、真の神さまだけが与えてくださる自由なる人生は、わたしたちの大切な宝物です。それこそが、価値ある人生です。そのことを、できるだけ多くの人々に知っていただくことが、教会の伝道の目的です。

「あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」。

ここでパウロは、自分自身とガラテヤ教会の人々との間で過去に起こった一つの出来事を回想しています。パウロがガラテヤ教会の人々と知り合った、そもそものきっかけは何であったか、という話です。

そのことをパウロは、「この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました」と表現しています。弱くなったのは、パウロ自身の体です。彼の体が何かの病気に冒されたのです。そのことが「きっかけ」であると書いています。

おそらくパウロは伝道旅行の最中に病気にかかったのです。そして、休むためにガラテヤの町に立ち寄り、教会の人々に看病してもらったのです。そして、おそらく彼が看病してもらっている最中か、癒された後に、福音を宣べ伝えたのです。あなたがたガラテヤ教会の人々は、わたしパウロに対してとても親切にしてくださいました、と言っているのです。パウロは、彼らに心から感謝しているのです。

「わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあった」とあります。これはどういう意味でしょうか。

ここで「試練」とは、誘惑されるという意味です。何に誘惑されるのでしょうか。ここでも考えられることは、真の神の子になる前の生活、「神ではない神々」の奴隷として仕えていた頃の生き方に逆戻りしてしまうことへの誘惑ということです。しかし、そういうことが、実際にあるのでしょうか。

その方は、まだ元気に生きておられますので、名前は伏せておきます。わたしの親しい人(年配の方)が、あるとき言いました。「わたしの牧師が病気で死ぬことは、ありえない」。まるで、牧師が病気にかかってはならないかのようでした。

しかし、そういう信仰というのが実際にはありうるのだと思います。この世の中には、あまり堂々と病気にかかってはいけない人というのがいるように思います。「人を助けなければならない人が、人に助けられてはならない」と言われてしまう人々がいるでしょう。その人が病気で苦しんでいる姿を他の人に見られることは「証しにならない」とか「つまずきになる」と言われることが実際にはあるのだと思います。そういうのは間違っている、と言っても仕方がないのです。パウロは、ガラテヤの人々に看病してもらっていたとき、そのあたりのことを、とても気にしていた様子が伺えます。

しかし、彼らは、パウロのことを、さげすんだり、忌み嫌ったりしませんでした。それどころか、パウロのことを神の使いであるかのように、イエス・キリストであるかのように、受け入れることができました。パウロは、その日そのときの、ガラテヤ教会の人々の優しさ、温かさを忘れていません。

「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。」

パウロの病気は何だったのかということが、しばしば問題になります。その答えの根拠として引き合いに出される個所の一つが、ここです。

ガラテヤ教会の人々は、自分の目をえぐり出してもパウロに与えようとした。それくらいに、彼らは、パウロのことを大切な存在として扱った、ということです。しかし、ここに「目」ということが書かれていますので、パウロの病気は、おそらく目の病気であったに違いない、と言われるのです。

ただし、これは決定的な答えではありません。いくつかの説のうちの一つにすぎません。

もう一つ、しばしば引き合いに出されるのはコリントの信徒への手紙二12・7の「わたしの身に一つのとげが与えられました」という言葉です。「目にとげがささった」と、無理に関連づける必要はないでしょう。「とげのごとく刺すような痛み」であると説明されます。神経痛のようなものではないかとか、精神的な原因から来るものではないかと説明する人もいます。

しかし、わたしは、とくに最近になって、だんだん分かってきたことがあります。それは、人の病気というものは、どこが悪いと一言で言えないほどに、複雑に絡み合っているというか、互いに関係しあっているらしい、ということです。

少し仕事をしすぎた。すると、目が疲れて、肩がこって、頭が痛くなって、背中も腰も痛くなって、足も痛くなって、そのうちお腹も痛くなって、熱も出てきて、ついに倒れてしまう。どこが悪いと、一言では言えないのです。

この機会に、いちおう、お話ししておきたいことがあります。

わたしの体の中には健康のバロメーターがあります。疲れてくると最初に痛くなるのが、3年前にヘルニアを発症した椎間板です。もちろん、目も肩などは、しょっちゅう痛んでいます。もう少し疲れてくると、13年前に発症した尿管結石が、ゴロゴロと活動を再開します。最後に親知らずが痛みはじめると、終わりです。抵抗力がだんだん無くなっていく様子がよく分かります。段階を踏んで、力尽きていきます。

16世紀スイスの宗教改革者カルヴァンも、病気で苦しんだ一人です。

カルヴァンは55才で亡くなりました。ものの本によりますと、カルヴァンは主著『キリスト教綱要』の初版を書いていた頃、「一睡もせずに夜を徹し、昼も食事をしないくらいに勉強に精出して」いたそうです(ベノア著『ジァン・カルヴァン』森井真訳、日本基督教団出版部、1955年、32ページ)。そして、晩年のカルヴァンは「偏頭痛と胃痛と肺結核、尿路結石、神経痛」を患っていたと言われます(久米あつみ著『カルヴァン』講談社、192ページ)。

先ほど、パウロが「わたしのようになりなさい」と言っていました。しかし、それは、わたしのように病気になりなさい、という意味ではありません。また、わたしたち改革派教会の者たちはカルヴァンを尊敬しますが、病気の数や種類まで、カルヴァンをみならうべきではありません。そういうことではないのです。

しかし、実際には、悲しいかな、牧師とか伝道者とか神学者などと呼ばれる人々の中に、考えられないほどの数や種類の病気を患ってしまう人々がいることも事実です。

とはいえ、わたしは、自分の不摂生の言い訳のようなことは言いたくありませんし、同僚の牧師たちをかばうようなこともしたくありませんし、そんなことはすべきではない、と思っております。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんと、謝罪したい気持ちがあるだけです。本当に、ただ申し訳ございません。

しかし、実際には、そういうときには本当に、教会だけが頼りです。わたしの話をしているわけではありません。パウロの話です。パウロが重い病気にかかったとき、心を尽くして優しく看病し、祈りをもって支えた教会の人々がいたのです。「人の弱さを担う善意」を持っていた人々がいたのです!

「すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵になったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。わたしがあなたがたのもとにいる場合だけに限らず、いつでも、善意から熱心に慕われるのは、よいことです。」

ガラテヤ教会の人々の心は、パウロが去った後、パウロから離れて行きました。本当に悲しいことです。しかし、パウロの悲しみは、単なる感傷ではありません。

パウロが宣べ伝えた「福音の真理」から彼らが離れていくことを、パウロは悲しんだのです。

(2004年9月12日、松戸小金原教会主日礼拝)

2004年9月5日日曜日

なぜ逆戻りするのか


ガラテヤの信徒への手紙4・8~11

「ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。

ここでパウロが書いていることは、何でしょうか。最初に少し丁寧に、ゆっくりと分析してみたいと思います。

初めの文章に「あなたがたはかつて」とあり、次の文章に「しかし、今は」とあります。「あなたがた」とは、もちろんガラテヤ教会の人々のことです。「かつてのあなたがた」と「今のあなたがた」。まるで二種類のあなたがたがいるかのようです。

そして、明らかに言いうることは、二種類のあなたがたを区別するものは、彼らの人生の中で起こる時間の流れである、ということです。「過去のあなた」と「現在のあなた」とが区別されているのです。

どれくらいの時間が流れていたのでしょうか。5年くらいか、10年以上か。パウロは何も書いていません。時間の長さは、問題ではないのかもしれません。ここでパウロが問題にしていることは、「過去のあなた」と「現在のあなた」とでは、明らかに違いがある、ということです。

「過去のあなた」は、神を知らずに生きていた。しかし、「現在のあなた」は神を知っている。ここに大きな違いがある。パウロの言葉をさっと読むと、とりあえずこんな感じになると思います。しかし、続けて「いや、むしろ神に知られている」とも書かれています。これは何でしょうか。この問題は、少しあとで取り扱います。

それより前に扱っておきたい第一の問題は、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」とでは、たしかに大きな違いがある、ということです。

「神を知っている」ということで思い浮かぶのは、神についての知識とか、その知識を身につけるための勉強、というようなことでしょう。「教会でも勉強しなければならないのか。勉強するのは学校である。教会は学校なのか」と思われるかもしれませんし、実際にそのように問われることがあります。

しかし、事実はそのとおりです。おそらくわれわれの多くが洗礼を受ける前に参加したでありましょう「受洗準備会」とか「求道者会」などと呼ばれる時間に行われることは、ひたすら勉強です。教会には学校的な面があります。わたしたちは、教会で、神について勉強しなければならないのです。

しかし、です。ここで、ちょっとだけ、ケンカ腰っぽい言い方をさせていただきます。

はたして、わたしたちは、教会で、どのくらい神について勉強したことがあるでしょうか。「毎週の礼拝も、聖書の勉強の時間である」と言えば、そのとおりです。しかし、時間は短いと思います。受験生と同じくらい、長い時間をかけて、まさに徹夜で、猛勉強をしたことがあるでしょうか。「しました」という方がおられるかもしれません。しかし、どれくらい分かったでしょうか。わたしたちは、神について、何を、どれくらい知っているのでしょうか。「全部分かりました」という方がおられるかもしれません。しかし、それは本当でしょうか。

こういうところに引き合いに出されると、ご本人は嫌がると思いますが、わたしが今、心から尊敬している先輩教師の一人は、神戸改革派神学校の校長をしておられる牧田吉和先生です。つい先々週、同じ研究会でご一緒しました。

この先生は本当によく勉強される方です。若い頃、ドイツとオランダに5年間留学してこられたご経験をお持ちです。今は60才を越えておられます。にもかかわらず、今でも毎日のように朝早くから夜遅くまで、辞書と首っ引きで猛勉強を続けておられます。

しかし、そのような先生が、先々週お会いした折にも頻りにおっしゃっていたことが「分からん、分からん」ということでした。「先生が分からないのに、なぜわたしたちに分かるのですか」と言いたくなるほどでした。牧田先生に限って、「わたしはすべてを知っている」というような顔や態度を見たことがないのです。

もちろん、牧田先生はたいへん謙遜な方である、ということも事実です。だからこそ、多くの尊敬を集めておられます。しかし、これは牧田先生お一人の話ではないでしょう。おそらくわたしたちのすべて、まさにすべての人間は、完全な意味で「神を知っている」と語ることができないのです。

そこで注目していただきたいのは9節です。「しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られている」。先ほど「少しあとで扱います」とお断りしました「神から知られている」とはどういう意味であるか、という今日の第二の問題を考えたいのです。


ご覧いただけばお分かりのとおり、ここでパウロは、最初に「あなたがたは神を知っている」と書き、「いや、むしろ」と続け、その後すぐに「あなたがたは神から知られている」と言い換えています。原文でも、このとおりになっています。「いや、むしろ」(マーロン)という言葉がはっきりと書かれています。英語のratherです。敷衍しながら意訳するとしたら、「よりよく語るとしたら」とか「もっとふさわしい言い方をするとしたら」というふうに訳すことができます。

パウロによるこの言い換えの意図は、明らかです。

思い浮かべていただきたいのです。パウロは、この手紙の、この個所の文章を書いています。「かつてのあなたがたは神を知らずに生きていた。しかし、今のあなたがたは、神を知っている」と、ここまで書きました。しかし、そこで筆が止まってしまった。「いや、むしろ」(マーロン)と続けたくなった。そのときパウロは、「神を知らなかった過去のあなた」と「神を知っている現在のあなた」との対比を描くだけでは、満足できないものを感じてしまったのです。

「いや、むしろ」、よりよく語るとしたら、もっとふさわしい言い方をするとしたら、「あなたがたは神から知られている」と書かなければならないのだ。このように、パウロは感じてしまったのです。

なるほど、確かなことは、「神を知っている」ということと、「神から知られている」ということとでは、全く正反対の方向を向いている、ということです。

わたしたちは、もちろん、神を知らなければなりません。神を知るために、神について勉強しなければなりません。このことも確かな真実です。

しかし、ここで付け加えなければならないことがあります。それはパウロの言葉どおり、「いや、むしろ」(マーロン)です。「もっとふさわしい言葉で語るならば」です。ありのままのわたしたちは「神から知られている」と語ることができるだけである、ということです。

そして、このことは、「神から知られている」ということは、だれにでも、はっきりと、遠慮なく、躊躇なく、大胆に、自信をもって語ることができます。

ただし、「だれにでも」という意味は「洗礼を受けている者ならば、だれにでも」ということです。洗礼を受けていないならば、このようなことを自信をもって語ることは難しいと思います。

すでに学んだとおり、このガラテヤの信徒への手紙の3・26以下に、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」と書かれていました。「洗礼を受けること」と「キリストに結ばれること」とが、まさに一つのこととして語られていました。

洗礼は、結婚にたとえられるものです。「洗礼とは、キリストと結婚することである」と言い切っても構わないほどです。

しかも、神が(キリストを通して)わたしたちを知りたもう、と語られるときの「知る」の意味は、単なる「知識」ではありえません。神は何でもご存じの方ですから、「わたしたちを知る知識」という言い方は、変です。むしろ、ここでこそ、創世記4・1に出てくる「アダムは妻エバを知った」という場合の「知る」を思い浮かべるべきです。それは結婚関係、あるいは結婚的な関係において「愛しあう」という意味です。

洗礼を受けるとは、まさにそういうことです。「神がこのわたしを愛してくださっている」ということを知ることです。神とこのわたしが結婚関係、ないし結婚的な関係を結ぶことです。まさしくそのとおり、「神を知る」とは「わたしが神を愛すること」です。「神から知られる」とは「神がわたしを愛してくださること」です。

ですから、今日の個所のパウロの言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。「あなたがたはかつて、神を愛していませんでした。もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を愛している。いや、むしろ、神から愛されている」。

はっと気づかされることがありました。ああそうか、と深く納得するものを感じました。それは、「神を愛する」という意味の「神を知る」という言葉は、「もともと神でない神々に奴隷として仕えること」ということの反対の意味で使われているに違いない、ということです。

もっと短く言い直します。「愛すること」の反対が「奴隷として仕えること」である、ということです。

「奴隷として仕えること」は「隷属する」とも言い直せるでしょう。しかし、実際的に考えると、「隷属」の実態は「させられること」でしょう。強制的に引きずり回されることでしょう。

むりやり引きずり回されることを自ら好む人もいるのでしょうか。人それぞれである、と言われたら、それまでです。しかし、それはまさか「愛」ではないでしょう。

愛のかたちはいろいろある、と言われたら、それまでです。しかし、奴隷として引きずりまわされる関係と、愛の関係は、全く異なるものです。

このことを、ガラテヤ教会の人々は、よく知っていました。そのことを彼らがよく知っている、ということを、パウロはよく知っていました。だからこそ、パウロは、彼らに、そのことを何とかして思い出させようとして、この手紙を書いているのです。

あなたがたは「神から知られている」、すなわち「神から愛されている」者になったではないか。神を愛し、神から愛される関係、神との結婚関係、すなわち洗礼を受けて、教会のメンバーに加わる、という神との契約関係に入ったではないか。もはや、すでに結婚の関係は、成立しているではないか。

それなのに、です。

あなたがたは「なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」とパウロは続けています。

そして、こうも言っています。「あなたがたのために苦労したのは、無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。

ここでパウロが告白している「心配」を、わたしたちは、文字どおり受けとるべきです。

パウロも牧師の一人です。おそらく牧師ならばだれでも、教会から離れようとしている人がいるとか、信仰を捨てようとしている人がいるとか、そしてもちろん神から離れようととしている人がいたら、間違いなく、まさにここでパウロが書いている意味での「心配」をするでしょう。「うるさい」とか「わたしの勝手でしょ」とか「お節介を焼かないでもらいたい」と思われることを覚悟しながら、「心配」いたします。この意味での「心配」をしないような牧師は、如何なものか、と思います。もちろん、牧師だけではなく、教会全体が「心配」します。

しかし、その「心配」の中心にあるものを、ぜひ理解していただきたいのです。

あなたの非を責めているのではありません。「神の愛」から離れて生きようとするあなたの人生の行く末を「心配」しているのです。「無力で頼りないもの」へと逆戻りすることは、あなたにとって何の益にもならない、ということを「心配」しているのです。礼拝の出席者が減ると困る、というような次元の話をしているのではないのです。

まことの神だけが、あなたを自由にし、まことの喜びで満たしてくださるのです。

(2004年9月5日、松戸小金原教会主日礼拝)