2025年12月26日金曜日

愚かな半生をシュトーレンにたとえる

シュトーレンとローストチキンを初めて作る

【愚かな半生をシュトーレンにたとえる】

2015年12月末日に改革派教会を退会してちょうど10年。牧師按手は1992年12月に日本基督教団で受けたまま、というか改革派教会での再按手は行われず効力の連続性は認められている。年金関係は非連続だが、そこはどうでもいい。10年経ての感想は、私は結局「日本基督教団の人」だったようだということだ。

生後(65年)すぐ教会生活開始、小学校入学前の6歳(71年)で成人洗礼、24歳(90年)教団補教師、27歳(92年)正教師、31歳(97年)改革派移籍。つまり教団生活の「前期」31年。戻ってからを「後期」とすれば10年なので合わせて41年。うち教団教師として17年。改革派生活は19年。うち教師として17年半。

計算が合っているだろうか。教団補教師准允前24年+准允後「前期」7年+改革派神学生(聴講生3か月+正科1年3か月)+改革派教師17年半+教団教師「後期」10年=60年(歳)。合っている。成分としては「教団41年:改革派19年」。いつの間にか改革派教会にいたことがまるで瞬間的なエピソードになっている。

教団成分(41年)と改革派成分(19年)が今の私の中で分離していると思わないし、葛藤もない。60歳で初めてシュトーレンを作ったので比喩に使える。卵黄とアーモンドパウダーとバターのマジパン入りの黄色い小麦粉と、ドライイースト入りの白い小麦粉を混ぜ、色の違いが無くなるまでこねる。あの感じ。

その生地の中にラム酒にしっかり漬けたドライフルーツと、オーブンで素焼きしたミックスナッツを加え、がっちり固めてオーブンで焼き、溶かしバターとグラニュー糖をまぶして休ませ、粉糖をまぶしてシュトーレン完成。すぐに食べるよりも数日から数週間経て食べるほうが、さらに熟成が進んで美味しい。

イースト入り「白い粉」とマジパン入り「黄色い粉」で、どちらが「教団」でどちらが「改革派」だろうか。「黄色い粉」はキャラメルのようで、それだけで美味しいが膨らまない。ドライフルーツとミックスナッツは何だろう。入れないとシュトーレン的にならない。私の成分の話なので、バイクか。料理か。

ここまで書いて、「そもそも私は美味しいのか」という問いが湧いてきた。それは自分では分からない。料理の評価は食べてくださる方がするものだと逃げの一手を打っておく。現在60歳の私に「移籍」はもうないので、今後加わる要素があるとしても、ドライフルーツとミックスナッツの量や種類にとどまる。

いま書いていることにタイトルをつけたくて「愚かな半生をシュトーレンにたとえる」としてみたが、60歳で「半生」を語ってよいかで迷い、ChatGPTに尋ねたら「全く不自然ではありません。慎みを感じます」とほめてくれた。お世辞が上手だね。老いては子に従え。いや、老いてはエーアイに従え、かもね。