2023年3月26日日曜日

おそれと信仰のはざまで(2023年3月26日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 310番 血しおしたたる





「おそれと信仰のはざまで」



           ヨハネ福音書5:1~18



              民数記13:25~33



              申命記1:1~5




秋場治憲

 



「そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」

今回の宣教は前回の「べトザタの池での癒し」の続きです。前回と合わせての要旨ですので、量的にも少々多くなっています。また旧約聖書の出エジプトの出来事との関連でお話し致しますので、更に多くなります。旧約聖書の部分は、解説よりも聖書本文の方が臨場感があり、より多くまたより深く主とモーセのやりとりから学べるのではないかと思いましたので、聖書本文をそのまま載せました。これは学びのために事細かく説明していますが、実際の説教はもっと簡潔にお話し致ししたいと思っています。



 



受難節も残すところ2週間となりました。2月22日の灰の水曜日から数えて聖日を除く40日間が四旬節(受難節)であり、4月の7日金曜日がキリストの受難日となり、9日が復活日(イースター)となります。この受難節を皆様どのようにお過ごしでしょうか。世界を見回してみると色々な過ごし方があるようです。ある人は断食をします。ある人は好きな物、コーヒー、お茶、お酒、肉、スイーツなどを控えます。以前にお話ししたことがあったかもしれませんが、この四旬節(受難節)には肉を絶つのでその前にたらふく肉を食べ、飲んで、踊って楽しもうというのでカーニバル[1]が行われる国もあります。私は以前はこういう過ごし方ということには無頓着でした。しかし、最近はこういう断食をしたり、コーヒーやお酒や、肉を絶ったりする過ごし方というのは、それがどんな形であったとしても、とても大切なことだと思うようになりました。それは目に見えない私たちの信仰というものを、目に見える形で具体的にこの歴史(時間)の中に刻んでいくことであり、またそのことによって自分の信仰を確認していくことにもなります。このような具体性が伴わないと、私たちの信仰はいつまでも抽象的で、あるのかないのか分からなくなり、不安から逃れることができません。主イエスもこのことに気づいておられたからこそ、最後の晩餐において<聖餐>を残されたのだと思います。特に考えておられなかった方は、残り2週間となりましたが何か具体的な過ごし方を工夫してみてはいかがでしょう。



 



前回のテキストはヨハネ福音書の第5章です。「その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。」という言葉で始まっています。あれ、変だな、と思われた方もおられるのではないでしょうか。



私たちは前回4章で主イエスと弟子たちはファリサイ派の手を逃れて、危険地帯であるサマリアを通ってガリラヤに帰って来たばかりだったのではないでしょうか。その後、ガリラヤのカナへ行き、ガリラヤ湖畔にあるカファルナウムで役人の息子を癒したばかりです。またこの「ユダヤ人の祭り」が何の祭りであったのかは記されていません。しかも6章1節は何の説明もないままに、舞台は再びガリラヤに戻って五千人に食べ物を与える話になり、7章の冒頭はまだガリラヤです。しかも7章1節には「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。」という言葉で始まっています。そうするとガリラヤを舞台とした主イエスの活動の中に、5章だけが突如としてエルサレムの話が登場するというのも確かに不自然です。そこからこの5章の位置については様々な議論があります。これは聖書の本文批評と呼ばれる研究です。この分野の研究もすすめられています。ただ今日はその問題に深入りはせず、エルサレムのべトザタの池での癒しのお話に入りたいと思います。



 



 この「べトザタ」という言葉も口語訳に慣れ親しんできた私たちには、違和感を感じます。口語訳では「ベテスダの池(憐れみの家)」となっていました。べトザタの池というのは、双子の池という意味です。聖書考古学の発掘によって、この双子の池と思われる池が発見されたことから、新共同訳聖書ではこちらの写本が採用になったようです。ただこの写本には、なぜ大勢の人たちがこの池の周りに横たわっていたのかという説明の一節が削除されているので、私たちの聖書にもその1節は本文にはなく、ヨハネ福音書の最後に、「底本に節が欠けている個所の異本による訳文」として掲載されています。「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」と記されています。この池の名前が変わったのは、単なる呼び方の問題ではなく、底本となっている写本が変わったということのようです。



 



 



 このべトザタの池の周りの回廊に、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが大勢横たわっていた。そこに38年間病気で苦しんでいる人がいた。どんな病気だったのかは記されていません。38年間というのは気が遠くなるよう時間です。この人の時間は38年という過ぎ去った時間だけでなく、この先永遠にこの人が真っ先に池の中に入ることができる可能性は無きに等しいものです。かと言って、この場から離れることもできない。こういう出口の見えない人の絶望というのは、私たちの想像を絶するものがあります。私たちも長い人生の中では、様々な困難な状況に遭遇することがありますが、それとは桁違いに過酷です。この人に主イエスは注目した。そして癒されたというのがテキストです。



 



この38年間病気で苦しんでいる人に、主イエスは「良くなりたいか」と問うています。この言葉をそのままのニュアンスで受け取るなら、「当たり前だろ。何のためにここにいると思っているんだ。」という言葉が返ってきても不思議ではありません。しかしこの人からは「主よ、水が動くとき、私を池の中に入れてくれる人がいないのです。私が行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」という返事が返ってきています。これは主イエスの言葉に彼に寄り添うニュアンスがなければ、返ってくるはずのない言葉です。この言葉を井上良雄という方は「お前はなおりたいのだろうね」という言葉に言い直しています。そして「私たちはこの言葉の中に、この病人の不幸に対するイエスの深い洞察と理解、そしてこの病人の不幸をわがこととして担おうとする姿勢―それを聞き取ることができるように思います。[2]と述べています。また彼の返答の言葉から、彼には身の回りの世話をしてくれる人がいなかったということが分かります。38年間も病の床にあった寄る辺なき病人に、思いがけず彼に寄り添う言葉がかけられたのです。しかもその言葉には力があった。この言葉には命が宿っていた。言葉は暗闇の中で苦しんでいる人間を照らす光となった。



 



主イエスが次にこの病人にかけられた言葉は、「起き上がりなさい。(あなたの)床を担いで歩きなさい。」という命令文です。「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出した。」というのです。主イエスの言葉に命があり、力があった。そしてこの命に満たされた言葉が、この人をして素直に主イエスの言葉に従わせた。そしてそのことが、この人に「新しい世界」を開いたのです。そしてこの癒しは時と所を越えて、形を変えて、現在に至るまで多くの人々をその暗闇から救い出し、新しい世界に生きる希望を与え続けています。



 



   私はあなたたちの老いる日まで



   白髪になるまで、背負っていこう。



   私はあなたたちを造った。



   私が担い、救い出す。  (イザヤ書46:4)



と主は言われる。



 



私たちも聖書を読んでいて圧倒される時があります。私たちが考えもしなかったことが、今まで何度も読んできて気付かなかったことが、突如として私たちの前に開かれ、新しい命に満たされる思いをすることがあります。そのようにして与えられた理解は、私たちに直接語られた言葉として、私たちの宝となり、私たちを支える言葉となります。



 



 



 しかし「その日は安息日であった。」「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。[3]」という言葉が続きます。驚くべき言葉です。彼が38年間患ってきた病が癒されたことを、喜ぶ者は一人も登場してきません。この人の口からさえ喜びと感謝の声を聞くことができません。ファリサイ人のこの言葉は、この人が安息日に癒されたことを非難しているのではありません。彼が安息日に床を担いで歩いたこと、この癒された人に対して安息日の規定違反であると非難しているのです。そこでこの人はその非難の矛先を、自分を癒してくれた主イエスに向けるのです。「私を癒してくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです。」と。主イエスはこの人に、「起き上がりなさい。そしてあなたの床を担いで歩きなさい。」と言われたのです。しかし彼は自分の床を下ろしてしまった。そのことによって何もなかったかのように、彼の癒しは抽象的で虚ろなものとなってしまいました。38年間もの長きにわたって、恐らく数えきれないほど悲しみの涙を流しただろうに、自分が水が動いたことに先に気づいたとしても他の人が先に降りて行ってしまう。悔しさ、そして憎しみの炎を幾度となく燃やしてきたことでしょう。主イエスが「あなたの床を担いで歩きなさい。」と言ったのは、私たちがどこから癒されたのか、救われたのか、それを忘れないように「あなたの床を担いで歩きなさい。」と言われたのです。言い換えれば「あなたの十字架を背負って、私に従ってきなさい。ということ。しかし後日この人が主イエスに出会った時も、ついぞこの人から感謝と喜びの声を聞くことはできませんでした。主イエスはこの人に「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはならない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」と言っています。「もう、罪を犯してはならない。」とは、あなたは無代価で癒されたのだから、その恵みの内に留まっていなさいということです。そして恵みの内に留まるとは、あなたが38年間横になっていた床を忘れないように、その床を担いで歩きなさいということなのです。この床を忘れてしまうと与えられた恵みも、抽象的で虚ろなものとなってしまいます。



 



 



「さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」確かにこう訳せる言葉ではあるのですが、しかしそうするとどうしても、そこに因果応報というニュアンスが残ります。この因果応報という考え方は、主イエスが明確に否定している言葉があります。ヨハネ福音書9:3です。生まれつきの盲人を見かけた弟子たちが主イエスに尋ねます。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」これに対して主イエスの答えは、「本人が罪を犯したからでもなく、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と答えています。そして、この盲人を癒されました。「親の因果が子に報い」という考え方は、古今東西様々な宗教と呼ばれるものの中に存在します。しかしキリスト教においては、二千年前にすでに主イエスによって乗り越えられています。井上良雄という方はこの言葉を「『お前は病気を癒されたのだから、もう罪を犯してはならない。さもないとーつまり、そういう恵みを受けたのに、なおも罪の中に留まっておれば、そのこと自身が(恵みを与えられたのになおも罪の中に留まっているというそのこと自身が)お前にとっては、もっと悪いことなのだ』と言っておられるというふうに理解すべきだと、いう人もいます。恐らく、後者の理解の方が正しいのではないかと思います。[4]」と述べています。この指摘のように読むなら、因果応報のニュアンスは残りません。そのように受け止めたいと思います。



 



 それにしてもこの38年という半端な年数は、何を意味しているのでしょうか。どうして40年ではないのでしょうか。これを解き明かすために出エジプトという出来事を振り返って見てみたいと思います。創世記の次に出エジプト記という書が続いています。出エジプト記はモーセの誕生から、パロの娘の子として宮殿で成長するようになったいきさつ、モーセの召命、パロの前での数々の力あるわざ、エジプト脱出、葦の海の奇跡、メラの苦い水、マナ・うずらが与えられるという行程を経て、シナイ山に到着します。そこでモーセは神から十戒を受けるのです。ここまでに要した日数は、わずかに三か月[5]でした。そして神の臨在の幕屋を建設して、出エジプト記は終わっています。それにしてもシナイ山到着までに要した日数が、わずかに三か月であったというのは意外です。荒野の旅路が40年であるなら、その半分位を要したのではないかと思いがちですが、わずかに三か月であったというのです。



 



 この続きは民数記に移ります。「イスラエルの人々がエジプトの国を出た翌年の第二の月の一日、シナイの荒れ野にいたとき、主は臨在の幕屋でモーセに仰せになった。イスラエルの人々の共同体全体の人口調査をしなさい。氏族ごとに家系に従って、男子全員を一人一人点呼し、戸籍登録をしなさい。あなたとアロンは、イスラエルの中から兵役に就くことのできる二十歳以上の者を部隊に組んで登録しなさい。[6]」という言葉で始まっています。主は兵役に就くことのできる人数の確認をモーセに命じています。また翌年の第二の月の一日にこのことが命じられたということは、エジプトを出てからすでに13か月が経過したということであり、シナイ山到着までに要した期間が3か月でしたから、イスラエルの民は到着後10か月シナイの荒れ野に滞在していたということになります。この間にモーセは神から十戒を受け取っています。



 



 そしてイスラエルの民は人口調査を終え、いよいよシナイ山を出発し約束の地を目指します。人口調査というのは、いざ戦いが起こった時に兵役につける者の数を把握する為と税金の徴収の為です。シナイ山で行われた人口調査は、前者でした。どうしてここシナイ山で人口調査が命じられたのかという疑問が残りますが、その答えは申命記[7]1:2にあります。「ホレブからセイルの山地を通って、カデッシュ・バルネアまでは十一日の道のりである。[8]」というのです。エジプトの国を出立してシナイ山までに要した日数がわずかに三か月ということにも驚かされましたが、シナイ山からカデッシュ・バルネアまでは更に少ない十一日の道のりであったというのです。シナイ山における人口調査は、約束の地に攻め入るための準備であったことが分かります。カデッシュ・バルネアというのは、神が与えると約束した地の南端ベエル・シェバ[9]まではわずかに60㎞、ここで神はモーセに約束の地カナンがいかに素晴らしい所―乳と蜜の流れる所―であるかを見せて励まそうとして、各部族の長たちで偵察隊を編成させています。偵察隊は「彼らは上って行って、ツインの荒れ野からレボ・ハマトに近いレホブまでの土地を偵察した。[10]」レホブというのはガリラヤ湖の更に北、ユーフラテス川との境まで彼らは偵察したというのです。カデッシュ・バルネアからレホブまではおよそ400㎞、往復で800㎞の偵察を行い、40日後に彼らはモーセとアロン、イスラエルの人々にその結果を報告した。ここからが今日のテキストになります。



 



 「四十日の後、彼らは土地の偵察から帰ってきた。パランの荒れ野のカデッシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々共同体全体のもとにくると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。彼らはモーセに説明して言った。『私たちは、あなたが遣わされた地方に行ってきました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物[11]です。しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、し



かもアナク人の子孫[12]さえ見かけました。ネゲブ地方[13]にはアマレク人、山地にはへト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。』」この報告にイスラエルの民は動揺します。それに対して、カレブが語ります。「カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。『断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。』しかし、彼と一緒に行った者たちは反対し、『いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い』と言い、イスラエルの人々の間に、偵察してきた土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリム[14]なのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたがいない。」と報告しています。



 



 報告が進むにつれて恐れる者たちの恐れは、徐々に増幅され益々彼らを覆っていきます。初めは<アナク人の子孫さえ見かけた>であったものが、<皆、巨人だった>になり、この<アナク人>が伝説上の存在である<ネフィリム>と結び付けられます。いつしか彼らは<皆、巨人>、自分たちは<いなご>になってしまいました。これでは<いなご>は<巨人>に踏みつぶされるだけの存在になってしまいます。巨人ゴリアテの前に恐れ、おののいていたサウルの兵隊達の姿が重なります。そしてそれに立ち向かった少年ダビデの姿が、カレブとヨシュアに重なります。



 



 イスラエルの人々は「声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。イスラエルの人々は、一斉にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。『エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。』そして、互いに言い合った。『さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう。』」約束の地を目前にして、その地までわずかに60㎞という所まできて、まだエジプトに帰ろうと言う。ここにはどこにも主なる神はおられない。エジプトでパロの前でモーセによって示された数々の力ある業も、葦の海での奇跡も、その道中における導き(水、マナ、うずらの奇跡)も消え去り、忘れられてしまっています。



 



 「土地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、衣を引き裂き、イスラエルの人々の共同体全体に訴えた。『我々が偵察してきた土地は、とても素晴らしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えて下さるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちはそこの民を、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守る者は離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない。』しかし、共同体全体は、彼らを石で打ち殺せと言った。主の栄光はそのとき、臨在の幕屋でイスラエルの人々すべてに現れた。[15]



 



 ヨシュアとカレブが主に信頼することを力説しますが、恐怖に包まれてしまった人々には届かないばかりか、逆にヨシュアとカレブを石で打ち殺せと言う。ここに至って主なる神も黙っている訳にはいかなかった。



 



 「主はモーセに言われた。『この民は、いつまで私を侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまで私を信じないのか。私は、疫病で彼らを撃ち、彼らを捨て、あなた(モーセ)を彼らよりも強大な国民としよう。』モーセは主に訴えた。エジプト人は、あなたが御力をもって、彼らのうちからこの民を導き上られたことを聞いて、この地方に住む者に伝えます。彼らは、主よ、あなたがこの民のただ中におられ、主よ、あなたが目の当たりに現れられること、また、あなたの雲が民の上にあり、あなたが、昼は雲の柱、夜は火の柱のうちにあって先頭に進まれることを聞いています。もし、あなたがこの民を一挙に滅ぼされるならば、あなたの名声を聞いた諸国民は言うことでしょう。主は、与えると誓われた土地にこの民を連れて行くことができないので、荒れ野で彼らを殺したのだ、と。今、わが主の力を大いに現わしてください。あなたはこう約束されました。『主は、忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方。しかし、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われる方である。』と。どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。」



これはモーセの執り成しです。ただイスラエルの民の為だけではなく、それでは神の威光が地に落ちてしまうことになるというのです。このモーセの執り成しによって主はイスラエルの民を赦されるのですが、主は「私の栄光、私がエジプトと荒れ野で行ったしるしを見ながら、十度も私を試み、私の声に聞き従わなかった者はだれ一人として、私が彼らの先祖に誓った土地を見ることはない。私をないがしろにする者はだれ一人としてそれを見ることはない。」ここには罰すべき者を罰せずにはおかない義なる神がおられる。モーセさえも例外ではありません。



 



主は言われる「私は、イスラエルの人々が私に対して言う不平を十分聞いた。彼らに言うがよい。『主は言われる。私は生きている。私は、お前たちが言っていることを耳にしたが、そのとおり、お前たちに対して必ず行う。お前たちは死体となってこの荒れ野に倒れるであろう。・・・お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。・・・主である私は断言する。私に逆らって集まったこの悪い共同体全体に対して、私はこのことを行う。彼らはこの荒れ野で死に絶える。』」エジプト脱出後すでに経過した日数は、わずかに2年。彼らが主の約束を信じて約束の地に攻め入っていれば、荒れ野の40年はなかったのでしょう。しかし彼らは残り三十八年を彼らは約束の地を目前にしたかデッシュ・バルネアに滞在した[16]。私たちはここでやっと探し求めていた三十八年に出会うことができました。



 



申命記2:1には次のような言葉があります。「我々は向きを変え、主が私に告げられたように、葦の海の道[17]を通って荒れ野に向かって行き、長い間セイルの山地[18]を巡った。北に向かって行きなさい。」さらに申命記2:13以下には次のような言葉があります。「『さあ、立ち上がって、ゼレド川を渡りなさい。』我々はぜレド川を渡ったが、カデッシュ・バルネアを出発してからゼレド川を渡るまで、三十八年かかった。その間に、主が彼らに誓われたとおり、前の世代の戦闘員は陣営に一人もいなくなった。主の御手が彼らに向けられ、陣営に混乱が引き起こされ、彼らは死に絶えたのである。」つまり三十八年は彼らの不信仰の結果だったのです。



 



そしてモーセも例外ではなかった。「どうか、私にも渡って行かせ、ヨルダン川も向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せて下さい。しかし主は、あなたたちのゆえに私に向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主は私に言われた。『もうよい。この事を二度と口にしてはならない。ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。』[19]」ピスガ山は標高698mその麓には死海があり、荒野を見渡すことができる(民21:20)。モーセは今までの苦しかった荒れ野の40年を振り返り、眼下に広がる約束の地を見てその生涯を終えます。ここには厳然として罰すべきものを罰せずにはおかない神がおられる。



 



この荒れ野に十字架が立てられた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と神に執り成す人の子がおられる。ここには必然的に対決が生じます。罰すべき者を罰しないではおかない神とその裁きに陰府(よみ)にまでも従順に従いながら、人の罪を赦そうとする人の子の間には対決が生じ、神はこの人の子を十字架の上に打ち砕くのです。そして陰府にまで従順であられた人の子を神の子と認定し、御自身の右に座すものとされ、一切の裁きの権能をお与えになったのです(読む―ヨハネ福音書5:21~30)。この方が使徒信条で「全能の父なる神の右に座したまえり」と現在形で書かれており、日々我らの罪を父なる神に執り成しておられるということは、以前にもお話し致しました。



 



私にはこのべトザタの池で38年間の寄る辺なき生活から解放された人が、多くの力ある業を示されながら、いざ約束の地へという段になって、神への信頼がゆらぎ、怯(おび)え、尻込みしてしまったイスラエルの民に、そして自分自身に重なって見えるのです。彼にはファリサイ人たちが<ネフィリム(巨人)>に見えたのです。そして自分は<一匹のいなご>になってしまった。主イエスの弟子たちもペテロも含めて皆同じ恐れに包まれてしまった。この我らの前に十字架が立てられた。十字架の上で「父よ彼らをお赦しください。何をしているのか分からないのです」と祈られた方の十字架は、あなたの裁きはここまでにしてくださいと<通せんぼ>をしている姿にも見える。「神の義は福音において現れた。[20]」のです。「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることがない。[21]」と言われている言葉に信頼して、御力を受けつつ励まされ、勇気をもって御前に歩む者でありたいと思います。



 



「父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思うものに命を与える。また、父は誰をも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。[22]」「父はご自身のうちに命をもっておられるように、子にも自分のうちに命をもつようにしてくださった。[23]」しかし人間の命は、この神の子から分け与えられている命なのです。だから神の子を見失うとこの命もみえなくなってしまうのです。



 



 



先日の教会学校である方が、昔陽子先生からいただいたという聖句の本を持ってきて、この聖句を一つずつ説明して欲しいというリクエストがありました。陽子先生、召されてなお私に宿題をだされるのかと思いましたが、挑戦してみることに致しました。そこに「いつも喜んでいなさい。」という聖句がありました。



 



使徒パウロもいつも喜んでなどいられないことは、百も承知です。それでも困難な状況にある時、悲しみの中にある時、でも、喜んでいなさいと言われることは、福音以外の何物でもない。



 



今直面している困難な状況、悲しみの中にある状況は、決して永遠に続くものではない。雲の上に太陽があるように、状況は変わる。あつい雲に覆われているからと言って、太陽が無くなったと言ったら笑われます。それと同じように、イエス・キリストによる土台(太陽)は、二千年前のベツレヘムの馬小屋の中で据えられたのであり、天使たちが高らかに告げ知らせるように「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなた方は布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなた方へのしるしである。」(ルカ福音書2:10~12)とあるように、どんな時もこの太陽は輝いていることを信じ、必ず喜べる状況が来ること、太陽が雲間から顔を出すことを信じて、今直面している問題を色々な角度から吟味し、落ち着いて解決策を大所高所から検討し、それから実行に移していくことです。「刀折れ、矢尽き、詮方尽くれどもなお希望を失わず」という古い諺があります。我々は中々ここまで努力しないで、どこかで妥協してしまいがちですが、これを信仰と呼ぶのだと思います。「いつも喜んでいなさい。」とは、雲の上に輝いている太陽が必ず雲間から顔をだすことを信じて、泣き言を言わず、今直面している問題に立ち向かうことなのだと思います













[1] カーニバルという英語は、ラテン語のcaro()という言葉が語源となっています。







[2] 井上良雄著「ヨハネ福音書を読む」P.91 新教出版社







[3] エレミヤ書17:21~22 P.1210 



 







[4] 井上良雄著「ヨハネ福音書を読む」P.97 新教出版社







[5] 出エジプト記19:1







[6] 民数記1:1~3 P.210







[7] 申命記:「全体として一つの長いモーセの演説という形をなしている。荒野放浪の終わりに、ヨルダン川の東の地にあって、イスラエルがヨルダン川西岸の地の占領へ向かう直前に、モーセはこの演説を行ったというのである。」旧約新薬聖書大事典 教文館







[8] ホレブというのはシナイ山のことです。資料によって呼び方が異なっています。







[9] ベエル・シェバ:アブラハムはここに井戸を掘っています。(創世記21:25~34)彼はイサク誕生後ここに住んでいます。(創世記22:19)「ダンからベエル・シェバまで」という表現は、ダビデの王国を表すためにしばしば用いられています。(サム上3:20、その他多数)







[10] 民数記13:21







[11] この果物は少し前の23節に「エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切



り取り、棒に下げ、二人で担いだ。また、ざくろやいちじくも取った。』とあり、その土地が滋味



豊かであったことを伝えています。







[12] アナク人:背の高い人々(民13:32、申2:10)アナク人の3氏族がヘブロンに(民13:32)、住んでいた。巨人ゴリアテはアナク人の一人であったと言われています。







[13] ネゲブ:ヘブロン南方に横たわる放牧地帯







[14] ネフィリム(口語訳 ネピリム)語源不明、巨人であり、<勇士>であった。すなわち巨人の種族で超人的・半神的存在者を意味している(創世記6:4)。その子孫はパレスチナ先住民の<アナクの子孫>(民数記13:33)あるいは<アナクびと>として存続したと考えられている。(聖書事典)







[15] 民数記14:6~10







[16] 申命記1:46『あなたたちは、長い間、すなわちあなたたちが滞在した(偵察のために約束の地にいた40日)日数だけかデッシュに滞在した。』







[17] 葦の海の道とは、ここではアカバ湾に向かう道のことです。







[18] セイルの山地:アラバ盆地の東方、死海南端からアカバ湾に達する山岳地帯を指す。(聖書事典)







[19] 申命記3:25 モーセはここで「あなたたちのゆえに」と言っていますが、その内容は民数記20:1~13メリバの水に記されています。モーセとアロンがイスラエルの民の背きに対して、主を信じないで神の聖なることを彼らに示さなかったからである







[20] 「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり、信仰に至らせる。」(口語訳ロマ1:17)







[21] ロマ8:1







[22] ヨハネ福音書5:21,22







[23] ヨハネ福音書5:26







2023年3月19日日曜日

途方に暮れても失望せず(2023年3月19日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 436番 十字架の血に

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「途方に暮れても失望せず」

コリントの信徒への手紙二4章1~15節

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」

今日の箇所は使徒パウロのコリントの信徒への手紙二4章1節から15節です。この箇所の中に「わたしたち」という言葉が繰り返し出てきます。だれのことでしょうか。最も狭く考えても、使徒パウロのことだけでないことは明らかです。パウロだけであれば「わたし」と言います。

中身を少し読みますと、「わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられている」(1節)、「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています」(5節)、「わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです」(5節)など、記されているのが分かります。

つまり「わたしたち」の意味は、パウロ自身が含まれるのは当然として、あくまでもイエス・キリストを宣べ伝える「務め」に専門的に就いており、つまり宣教活動を自分の職業にしている人だけを指し、なおかつ「あなたがた」(5節)と呼ばれているコリント教会の人々に「仕える」立場にあった人だけを指す、と考えなくてはならないでしょうか。

そうではなく、もっと広い範囲の人々を含むべきでしょうか。たとえば今日の礼拝に出席しているわたしたちを含めてよいでしょうか。読み方はひとりひとりに任されています。

しかし、ひとつの点ははっきりしています。それは、コリントの信徒への手紙(第一の手紙、第二の手紙)をパウロが書いたのは、コリント教会の中にいた、パウロが「使徒」であることを否定したり相対化したりする人々を牽制する意図があった、ということです。

鶏が先か卵が先かは一概には言えません。コリント教会の中に、パウロと馬が合わない人々がいました。パウロの信仰に照らすと「卑劣な隠れた行い」をしている人々や、「神の言葉を曲げる」人々が教会の中にいました。後者は、聖書解釈の捏造です。その人々をパウロが批判しました。その人々もパウロに反発し、パウロの使徒性を否定しました。

パウロも引かない人でした。「わたしは使徒である」と明確に主張しました。その主張が、第一の手紙においても、第二の手紙においても、前面に押し出されています。「わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられている」(1節)という言葉も、だれにも増して、わたしパウロがそうであると力説する言葉であることは明らかです。

「憐れみ」は、神の憐れみです。「わたしは神から使徒の務めを任された」とパウロは言っています。なぜ「憐れみ」なのかといえば、パウロが教会の迫害者だったことと関係あります。「使徒」たる要素がない人間なのに、神がわたしを使徒の務めに就かせてくださった、ということです。

しかし、それはパウロだけではないはずです。すべてのキリスト者も同じです。すべての使徒、伝道者、教会役員、牧師も同じです。「神の憐れみではなく、自分の実力でこの務めに就いている」と主張してもよい教会の職務はひとつもありません。それは事実に反します。

教会内で役があるか無いかも関係ありません。すべてのキリスト者が「神の憐れみ」によって選ばれた存在です。神の憐れみを具体的に表すのが洗礼式であり、役員選挙であり、牧師就任式です。わたしたちは自分で自分に洗礼を授けることはできないし、自分で自分を教会役員や牧師にすることはできません。

しかし、今申し上げていることは本題ではありません。今日お話ししたいのは、今日の箇所の「わたしたち」は、どんな試練や苦しみの中にあっても、勇気をもって忍耐する力を与えられた人々である、ということです。たとえば、4章1節の趣旨は「わたしたちは落胆しません」です。「落胆」の意味は、委縮する、断念する、疲れ果てる。そうならない人たちがいるというのです。

どんな妨害を受けても宣教の働きをやめません。たじろぎません。そして、それは個人としての働きではなく、教会の働きを指していることは明らかです。わたしたちは教会活動への参加をやめません、教会生活をやめません、ということです。引き下がりません。福音を恥としません。こういうことを語り続ける「わたしたち」が今日の箇所に登場する、ということです。

しかし、この「わたしたち」の中に、だれが含まれるのか、わたしは含まれているのかという問いは、自分の胸に手を当てて自分に問う他はありません。だれからも押し付けられるべきではありません。策を弄して誘導するなど、もってのほかです。

そして、その答えは正直なほうがいいです。教会生活を楽しんでいる人たちを故意に傷つけるようなことを言うとか、不機嫌な態度をとって嫌がらせをすることなどは慎むべきです。だからといって、心にもないことを口にする必要はありません。この点で、パウロは正直な人でした。彼の正直さがよく分かる言葉が7節以下に記されています。

「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」(7節)の意味は、福音を宣べ伝える務めのほうが「宝」で、その務めを担う人間の存在は「土の器」であるということです。

「土の器」は、まさに古代の土器を指しています。今のわたしたちにとっては古代の土器は、それ自体が国宝級ですが、当時は違います。「宝」を入れる「土器」は宝ではありません。貴金属、宝石などは耐久性があるのに対して、土器は耐久性が乏しく弱いものでした。器のほうが弱くて壊れやすいからこそ、貴金属や宝石を傷つけないで守ることができます。その関係性の構図が、神の言葉そのもの、福音そのものと、それを宣べ伝えるわたしたちとの関係に当てはまります。

パウロが「土の器」と呼んでいるのは、人間の骨肉の物理的存在だけではなく、人間の悩み、精神状態、心や体の苦痛、不安、周囲の敵対的な環境などのすべてを含みます。それは神の言葉そのもの、福音そのものよりも弱くなければなりません。

なぜ弱くなければならないのかといえば、「この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるため」(7節)です。

説教者の存在が福音より目立ってはいけません。十字架の上で真の神の愛を示してくださったイエスさまの福音を宣べ伝える人は、「イエスの死を体にまとう」(10節)ことが求められます。イエスさまの十字架を背負い、その堪えがたい苦しみに身悶えすることがすべての福音宣教者に求められます。福音という「宝」よりも強い「器」は要りません。福音を傷つけてしまいます。

「途方に暮れても失望せず」「虐げられても見捨てられず」「打ち倒されても滅ぼされない」人は、「途方に暮れている」人であり、「虐げられている」人であり、「打ち倒されている」人です。客観的には敗北している人です。私もその仲間です。だいたいいつもひどい目に遭っています。しかし、なお希望があり、信頼できる教会があり、勇気をもって何度でも立ち上がります。

もう一度問います。「わたしたち」(1節)は誰でしょう。「わたしは含まれていない」とお感じの方は、「途方に暮れながら失望していない」人になることを一緒に目指そうではありませんか。

(2023年3月19日 聖日礼拝)

2023年3月12日日曜日

キリストに従う人生(2023年3月12日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 459番 飼い主わが主よ


「キリストに従う人生」

ルカによる福音書9章18~27節

関口 康

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

今日の箇所に記されているのは、イエスさまと弟子たちの対話です。イエスさまが弟子たちに「群衆は、わたしのことを何者だと言っているか」とお尋ねになったとき弟子たちが答えたのは、イエスさまについてのうわさ話でした。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『だれか昔の預言者が生き返ったのだ』と言う人もいます」(19節)と答えています。

これで分かるのは、イエスさまの時代のユダヤ人の中に「死者の復活」を信じる信仰があったということです。繰り返し解説されてきたように、ユダヤ教のサドカイ派の人々は「死者の復活」を信じませんでした、ファリサイ派の人々は信じていました。旧約聖書の中に「死者の復活」の教えがあり、それを根拠にすることができたからです。この件はあとで再び取り上げます。

イエスさまは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(20節)とお尋ねになりました。この問いは弟子たちに態度決定を求めています。ペトロが弟子たちを代表して「神からのメシアです」と答えました。これが弟子たちの態度決定でした。

そのペトロの答えをお聞きになったイエスさまは、弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないようにお命じになりました(21節)。禁止の理由は明白です。イエスさまがメシアであることが多くの人々の前で明らかにされるのは、イエスさま御自身が「多くの苦しみを受け」「殺され」「三日目に復活する」(22節)という出来事を通してでなければなりませんでした。

イエスさまに「王になってもらうために連れて行こう」とした人々がいたことがヨハネによる福音書6章15節に記されています。ユダヤ人のメシア待望論の実際の中身は、イスラエル王国の再建を目指し、特に最大の英雄とみなされたダビデ王の時代の栄光を回復することであり、そのためにダビデの子孫を政治的な王にすることでした。

しかし、イエスさまは全く正反対の道を歩まれました。イエスさまが選ばれたのは、十字架の死に至るまで、罪ある人々を赦し、かばい、心から愛することにおいて徹底的に苦しむ道でした。その苦しみを通り抜けたときに初めて死者の中から復活する光栄にあずかるでしょう。しかし、それまではどこまでも苦しみ続ける道、それがイエスさまがお選びになった道でした。政治的な権力を行使し、国家と社会を統制する道と、イエスさまの道とは、正反対の方向を向いています。

ここで再び「死者の復活」の件を取り上げます。興味深い解説を読みました。うかつにも私は気づいていなかったことです。それは今日の箇所でイエスさまが「人の子は三日目に復活する」と言われており、それはマタイとルカ、そしてパウロも同じように記していますが、マルコだけが「三日の後に復活する」(マルコ8章31節、10章34節など)と書いている、ということです。「三日目」と「三日後」は違います。「三日目」は「二日後」です。

なぜこの違いが起こったのでしょうか。その理由は旧約聖書のホセア書6章2節にあるというのが、私が読んだ解説のポイントです。ホセア書6章2節には「二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる」と記されています。この「二日の後」と「三日目」は、同じ意味です。そしてこのホセア書6章2節の教えがユダヤ教の伝統になったというのです。

ホセアが「我々」と言っているのはユダヤ人のことを指しますが、比喩として語られています。そして、この解説で大事な点は、イエスさまはホセア書6章2節をご存じであり、ご自身の存在に重ね合わせてお読みになっただろうということです。そう考えるほうが偶然の一致であるとか後代の教会が旧約聖書の言葉をイエスさまと結びつけたと考えるより説明しやすいというのです。

マルコひとり「三日後」と書き、マタイもルカもパウロも「三日目」と書いているのは、マルコ以外はホセア書6章2節のギリシア語訳を正確に理解していたからだろうとも解説されています。間違い探しをしたいのではありません。最も大事なことは、「三日目の死者の復活」という教えは旧約聖書とユダヤ教の伝統に根ざしているということです。

このことを明らかにされたうえでイエスさまが「皆に」、すなわちすべての弟子たちにお求めになったのは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(23節)ということでした。

このイエスさまの言葉の中に「自分を捨てること」と「日々、自分の十字架を背負うこと」と「わたしに従うこと」という三つの動詞が出てきますが、同じ意味のことが言い換えられていると解説されていました。

「自分を捨てる」の意味は自己否定です。しかし、それは自分の存在を自分で消去することではありませんし、単なる自己卑下でもありません。自分をあえてさらけ出し、あえて無防備にし、そのうえでイエスさまの意志と判断に服従し、イエスさまの後についていくことです。

「日々、十字架を背負う」は、ルカによる福音書では23章26節に登場するキレネ人シモンと同じようにイエスさまの十字架を背負い、イエスさまの後ろについて運ぶことと関係があります。しかも、それを「日々」すなわち「毎日」行うことが求められています。

これは、一般的な意味でわたしたちが毎日味わう苦労のことではありません。そうではなく、イエスさまに従って生きることの苦しみを指しています。イエスさまと初代教会の時代にユダヤ人やローマ人から受けたような迫害を、すべての時代のキリスト者が必ず受けるとは限りません。しかし、イエスさまに従って生きる人の人生は、どの時代であろうと危険な面を必ず伴います。わたしたちはあらゆることについて、日々、態度決定をしなくてはならないからです。死を覚悟することが求められるのは、信仰と人間存在は切り離せない関係にあるからです。

だれもが同じだと思いますが、苦しいのは嫌なことであり、逃げたくなります。イエスさまに従って生きることが苦しいことであると言われるならば、だれが好き好んで信じるのか、理解に苦しむ、と自分で考えたり他者から言われたりすることはきっとあるでしょう。

しかし、その後のイエスさまの御言葉の中に「わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる」(26節)とあります。厳しい言葉ですが、納得できます。

ここにペトロとパウロの違いがあるという解説を読みました。イエスさまの弟子であることを恥じたペトロは、鶏が泣く前に三度イエスさまを「知らない」と言いました。パウロは「わたしは福音を恥としない」とローマの信徒への手紙(1章16節)に記しました。

付かず離れずの態度をわたしたちが互いに責め合うことはできません。それは間違っています。しかし、どうやらイエスさまは、わたしたちをお責めになります。「態度を決めて、わたしに従いなさい」とお求めになります。「わたしを恥じる者を、わたしは恥じる」とおっしゃいます。

厳しい先生のほうが、一生忘れない大事なことを教えてくれます。厳しい愛があります。

(2023年3月12日 聖日礼拝)

2023年3月5日日曜日

ノアの箱舟(2023年3月5日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 411番 うたがい迷いの

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「ノアの箱舟」

創世記7章1~24節

関口 康

「地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない」

今日の朗読箇所はノアの洪水物語です。この物語を歴史的事実であると教えることは教会でも学校でも少なくなったと思います。転換点は19世紀の終わりごろ。発掘された粘土板に古代メソポタミアの勇敢な王ギルガメッシュの活躍を描く「ギルガメッシュ叙事詩」が刻まれ、その11章に聖書の洪水物語とそっくりの物語が出て来ることが分かったときです。それを「バビロニアの洪水物語」と呼ぶとしたら、聖書よりも古いものです。メソポタミアは洪水多発地帯で、洪水物語は他にもあります。

いま申し上げたことの意味は、聖書の洪水物語には下敷きとして用いられたモデルがあったということです。ただし、完全なコピーではなく、聖書独自の視点から書き直されました。このことは長年、日本のキリスト教主義学校の聖書科の教科書として用いられてきた本に記されています。私も学校ではその線に従っています。心配は無用です。聖書と信仰の価値は少しも失われません。

現代人は「創作物語」と聴くだけで「うそなのか」と反応することがありえます。しかし聖書は悪意をもって人をだます目的で書かれていませんので「うそ」ではありません。そもそも、聖書が書かれた古代社会に、現代人が思い描くような科学的立証を求める「歴史」は存在しません。

聖書の洪水物語は創世記の中で特別な位置を占めています。6章4節に「大昔」と記されています。その「大昔」と呼ばれている古い時代と、創世記の著者が生きている新しい時代の境目になったのが「ノアの洪水」です。6章5節に「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になった」と記されます。創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」と記されていることの正反対です。人間は、最初は良かったのに悪くなりました。人間が悪くなったのは、人間を創造した神の責任ではなく、人間の責任です。

そして、神は「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」(6章6節)と記されます。「神の後悔」という思想が初めて登場します。「神の後悔」と、人間が自分の罪を「悔い改める」というときに用いられる言葉は同じです。「神が後悔する」と言われると奇妙に聞こえます。しかし、旧約聖書では、神について「悔い改め」が記されている箇所が29 回あるのに対して、人間の悔い改めは 6 回しか語られていません。神の悔い改めのほうがはるかに多いです。もっとも29回のうち8回分は「神は~について悔い改めない」と記されている箇所なので差し引く必要があります。それでもまだ21回も神の悔い改めを記した箇所があることが記憶されるべきです。

「後悔」であれ「悔い改め」であれ、聖書の場合の最も基本的な意味は、くよくよするのをやめることです。優柔不断をやめること。良いことは良い、悪いことは悪いと決断し、その判断にふさわしい行動をとることです。正反対の意味で考えている場合は、まだ悔い改めに至っていない証拠になります。

「神が後悔する」と言われると、まるで神が「失敗は成功の母」と言いながら試行錯誤を続ける発明家であるかのようです。しかし、「神の後悔」は違います。聖書の神は、人間に都合よく動いてくれる「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキーナ)ではありません。だからといって優柔不断に態度を変えたり、支離滅裂な行動をとったりすることはありえず、すべてにおいて首尾一貫しておられます。しかし、人間が絶えず変化するので、神が人間に対応してくださるのです。それが「神の後悔」です。

6章7節に「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう」とあります。「ぬぐい去る」は、使用済みの食器を洗わずに放っておくと臭くなるので洗うというのと同じです。腐敗したものを洗い流すことです。「魚」が含まれていないことに注目する解説を読みました。魚は神の後悔の対象外だったというのは、罪があるのは人間だけで、動物にも植物にも罪はないことの証拠だというのです。

ノアが選ばれた理由は「ノアは神に従う無垢な人だった」(9節)ことだけです。完璧な聖人であるという意味ではありません。同じ時代の人たちとは一線を画す仕方で「神と共に歩む」という生き方を貫いた人であるという意味です。洪水の最中もノアは、箱舟の中でじっとしていただけです。

箱舟の素材に指定された「ゴフェルの木」(6章14節)の意味は分かりません。聖書の中でここだけに出て来る名前です。「編んだ木の幹」と訳すことができるという解説があります。

バビロニアの洪水物語の箱舟は正方形でした。しかし、聖書の箱舟は長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマ。アンマは前腕の長さで約45センチ。長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルの巨大な箱。舵もなく、かい(オール)もなく、帆(マスト)もありません。自力で移動することができず、ただ水の上に浮かぶことができるだけの、いわば「巨大な棺桶」です。

箱舟の中でのノアと家族の食べ物は野菜です。箱舟の中の動物たちは、彼らの食糧ではありません。神の関心は、新しい時代に子どもが生まれ、人類の歴史が続くことです。7章2節を見ると「清い動物」だけでなく「清くない動物」も箱舟に入れと言われています。新しい時代に残るのは「清いもの」だけであるという思想ではないことの証拠です。

8章6節以下の「鳥を放す」エピソードは、バビロニアの洪水物語との最も顕著な類似点です。昔の船乗りは鳥を飛ばして岸が近いかどうかを調べるのが一般的でした。「鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった」(8章12節)は美しい表現です。箱舟の中のどの存在も、ノアの所有物ではありません。神の恵みのもとで自由に生きるべき存在です。

鳩がノアのもとから去ってから、さらに1か月待ってやっと地上の水が乾きました。そのときノアは601歳でした。ノアたちが水の上に浮いていた期間は1年と10日です。その間、箱舟の中でノアが聞いていたのは水の跳ねる音だけでした。神の言葉すら語られていません。

箱舟を出て新しい時代に生きることは、創世記1章の天地創造の状態からのやり直しを意味します。天地創造の物語が安息日で終わるように、洪水物語は祭壇建設で終わります(8章20節以下)。祭壇を意味するヘブライ語の意味は「屠殺場」です。供え物は丸ごと焼かれます。人間はそれを食べません。あくまでも神への贈り物です。焼けた肉の「宥(なだ)めの香り」は神の怒りを和らげます。いけにえによってノアは感謝の気持ちを表し、主は感謝のしるしとしてこのいけにえを喜びます。

その香りをかいだ神は「御心に言われた」(8章21節)とは、ご自身の胸に誓われたということです。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いころから悪いのだ。わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」と神はご決意されました。

人の悪を神が放置するという意味ではありません。しかし、人類と自然を消去するという方法で罪に対する罰をくだすことは二度としない、ということです。この教えの意味は、「自然」に罪はなく、人間の意志の中にだけ罪がある、ということです。悪いのは、環境でもなければ、自分自身の肉体でもなく、あなたの心の中にあるものが悪い。変わらなければならないのは、あなたの心です。

ノアの洪水物語の意味は、神がどこまでも私たち人間の心を罪から救い出そうとする決意を示してくださったことにあります。

受難節の意味は、イエス・キリストを十字架につけたこの私の罪を悔い改めることです。

(2023年3月5日 聖日礼拝)