日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
「クリスマスの意味」
マタイによる福音書2章1~12節
関口 康
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して御子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」
クリスマスおめでとうございます。クリスマスはわたしたちの救い主イエス・キリストのご降誕をお祝いする日です。
イエスさまがお生まれになった場所はユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムは現在のイスラエル国の首都エルサレムから8キロ南に下ったところにあります。
イエスさまがお生まれになった年号は正確には分かりません。ぴったり「2022年前」ではないとされます。現在の歴史家は「紀元前7年から4年までの間」と推定しています。
今夜の聖書の箇所に登場するのは、東の国の占星術の学者たちです。その国はおそらくバビロニア(現在のイラク南部)です。
その人たちが、聖書を調べた結果としてではなく、自分たち自身が取り組んできた「占星術」という方法で、ユダヤのどこかに救い主がお生まれになるに違いないと確信し、バビロニアからエルサレムまで、そしてイエスさまがお生まれになったベツレヘムまで砂漠の中を旅してきた、というのが今夜の聖書の箇所の物語です。
バビロニアからエルサレムまでは1600キロ。1600キロは青森市から山口県下関市まで。新幹線でも大変、ラクダならもっと大変な旅です。
占星術の学者たちは、イエスさまに黄金、乳香、没薬を贈りました。「黄金」は王への贈り物(詩編72編15節)、「乳香」は古代世界で香水にするか、燃やして良い香りを得るためかに用いられました。「没薬」は、亡くなった人に塗る薬。
今夜の聖書の箇所の物語で分かるのは、イエスさまを最初に拝みに来た東の国の学者たちは、聖書を一生懸命勉強してきたわけではなく、聖書の神さまを信じていたわけでもなく、むしろそういうこととは全く無関係に生きて来た人たちだった、ということです。
しかし、それでも片道1600キロの砂漠の旅に出かけようとこの人たちが考えたのは、実際に現地に行ってみなければ事実かどうか分かるわけがないことを、実際に行ってみて自分の目で確かめなければならないと考えた、勇気と冒険心を持つ人たちだったからです。
わたしたちの人生も、途中、何度となく大きな壁にぶつかることがあります。この先、私は、私たちは、どうなるか分からなくて不安になります。
そのときわたしたちに必要なのは、勇気と冒険心です。イエスさまを訪ねてやってきたバビロニアの学者たちの勇気と冒険心からわたしたちが学べることは多いです。
これから何か大きな壁にぶつかったとき、今夜の聖書の箇所を思い出してください。そして、何度も聖書を読んでみてください。
教会は、そのようにして生きて来た人々の集まりです。初めから信仰を持っていたから教会に来たのではなく、悩んで苦しんで教会にたどり着いたのです。
(2022年12月24日 クリスマスイヴ音楽礼拝)