日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) |
讃美歌21 231番 久しく待ちにし
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん
「信仰と忍耐」
ルカによる福音書1章5~25節
関口 康
「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」
今日は待降節第3主日です。4本のロウソクすべてが点るのがクリスマス礼拝、というのがだいたい例年の流れですが、今年のクリスマス礼拝は来週ではなく再来週です。そういう年もあります。
今日の朗読箇所はルカによる福音書1章5節から25節です。ここに描かれているのは洗礼者ヨハネの誕生が天使ガブリエルによって予告されたときのことです。
洗礼者ヨハネは、多くの人に洗礼を授けた人です。洗礼そのものに重いとか軽いとかの差はないと言わなくてはなりません。しかし、ヨハネが世界と教会の歴史において果たした役割という観点からいえば、イエス・キリストに洗礼を授けた人であることは特筆すべきです。
しかも、ヨハネの役割は、多くの人々をイエス・キリストへの信仰へと導く道備えをすることにありました。その意味でイエス・キリストの先駆者としての働きがヨハネに与えられました。
新約聖書に4つある「福音書」の中で特にルカによる福音書は、まずヨハネの誕生を詳しく描いたうえでイエス・キリストの誕生を詳しく描くことによって2人の関係の深さを強調しています。
洗礼者ヨハネとイエス・キリストの共通点は同じ時代に生きたことです。「ユダヤの王ヘロデの時代」(5節a)です。マタイによる福音書も「ヘロデ王の時代」(2章1節)と記しています。
このヘロデは「ヘロデ大王」です。ユダヤ人でしたが、ローマ皇帝(ユリウス・カエサルの後継者の初代皇帝アウグストゥス)と友好関係になることで、パレスチナ全土の支配者になりました。
ヘロデの治世は紀元前37年から紀元4年までの41年間です。エルサレム神殿の改築に取り組んだ人ですが、猜疑心の強さから多くの人を殺害したことでも知られる悪名高い王です。
「アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった」(5節b)。このザカリア(ヘブライ語でゼカリヤ)とエリサベトがヨハネの両親です。
エリサベトが「アロン家の娘の一人」であるという説明は祭司の家庭で生まれ育った人であることを意味します。ユダヤ教の律法と伝統によれば、祭司である男性は必ず祭司家庭出身の女性と結婚しなければならなかったわけではありません。
しかし、この夫婦は「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった」(6節)と言われるほど、当時のユダヤ教の考え方に照らして理想的な夫婦とされました。
「祭司」がどのような働きを担う人たちだったのかが、8節以下に記されています。それは要するにエルサレム神殿の礼拝祭儀にかかわる様々な働きです。ただし「祭司」と「祭司長」は区別されます。
「祭司長」はエルサレムに住まなくてはならず、日常的に神殿で働いていました。しかし「祭司」は、どこに住んでもいいし、ふだんは別の職業に就いていても構いませんでした。
「祭司」は24組に分けられ、年2回、1週間、安息日から安息日まで、エルサレム神殿で奉仕しました。奉仕の内容はくじで決めました。特に人気があった仕事が「主の聖所で香をたくこと」(9節)でした。なぜ人気があったのかといえば「祭司」の人数が非常に多かったためで、人生で1度以上この奉仕当番がめぐって来ることはありえなかったからです。ザカリアはその当たりくじを引きました。
しかし、ザカリアと妻エリサベトは心に重荷を負っていました。理由は、子どもが与えられないことでした。あくまで当時の話ですが、子どもがいないというだけで中傷誹謗を受けました。子どもが多く生まれること、特に男子が生まれることが神の特別な祝福とみなされました。反対に、子どもがいないことは神の罰だと考えられました。そういう社会の中で、この夫婦は苦しい立場に置かれていました。
ところが、そのザカリアとエリサベトの身に大きな出来事が起こりました。ザカリアが当たりくじを引いてエルサレム神殿で香をたいていた最中に、神秘的な体験をしました。
主の天使ガブリエルがザカリアに「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ」(13節)と言いました。
日本語訳を読むだけでは分からないことですが、「喜び」と訳されているギリシア語は特別な意味を持っている、と解説されていました。世界の終末において世界と人類が完成するとき、神と我々人間が共に分かち合う喜びです。ヨハネの誕生にそれほどの大きな意味があると天使が教えてくれました。
天使が続けます。「彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる」(15~16節)。当時のユダヤ教で「ぶどう酒と強い酒」はイスラエルが神から離れていることの象徴でした。それを絶対に(ウー・メー)飲まないことは、神の前で強い誓いを立てることを表しました。
そして、「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に決めさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(17節)と主の天使ガブリエルは言いました。
この「エリヤ」は、紀元前9世紀の北イスラエル王国で活躍した預言者です。なぜ「エリヤ」の名が出てくるのかと言えば、エリヤは真の神に背を向けて邪神バアルを神とする道へと走ったユダヤ人を真の信仰へと戻した預言者だからです(列王記上18章参照)。
エリヤの働きの特質は、民の進む方向を180度、正反対の方向へと向けかえることでした。それが「悔い改め」すなわち「回心」の意味です。このエリヤの働きをこれから生まれるヨハネが体現すると、父ザカリアに天使ガブリエルが告げました。
驚くべき知らせに、ザカリアは戸惑い、疑う思いさえ抱き、自分も妻ももう老人なので今さら子どもが生まれることはありえないと考え、そのようにガブリエルに言ったところ、ヨハネが生まれるまで口をきけなくされてしまいました。
妻エリサベトは自分が身ごもったとき、「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」(24節)と言いました。
「よい知らせ」(19節)の意味は「福音」です。これはローマ皇帝を賛美するために用いられた言葉でした。それが全く異なる意味で用いられています。真の神はローマ皇帝ではなくイエス・キリストであり、イエス・キリストの道備えをするのが洗礼者ヨハネです。
そのことを主の天使ガブリエルが告げました。ローマ皇帝とヘロデ大王の二重支配のもとで苦境に陥り、忍耐している人々に真の解放、真の救いをもたらすことを、神が天使を通して約束してくださいました。
だれもがみなこの夫婦のようになれるわけではないかもしれません。彼らは子どもが与えられないことで中傷誹謗を受け、苦しみました。その彼らに神が報いてくださいました。
苦しみを忍び、信仰をもって歩む人々を、主は決してお見捨てになりません。そう信じて生きようではありませんか。
(2022年12月11日 聖日礼拝)