2021年10月31日日曜日

救いの約束(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

讃美歌21 510番 主よ、終わりまで 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

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「救いの約束」

創世記45章1~8節

関口 康

「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。」

今日の礼拝は「永眠者記念礼拝」です。同時に「宗教改革記念礼拝」でもあります。さらに来週11月7日(日)は「昭島教会創立69周年記念礼拝」です。この3つの「記念礼拝」は、昭島教会で毎年この時期に行っていますので、ぜひご予定ください。

その中で「永眠者記念礼拝」は世界のキリスト教会が重んじ、日本キリスト教団も準じている教会暦にある「聖徒の日(永眠者記念日)」が11月1日で、「記念礼拝」は11月の第1日曜日に行うことになっているので、教会暦どおりなら今年は11月7日(日)です。

しかし、昭島教会はいつからそうするようになったかは私には分かりませんが、その教会暦の「聖徒の日(永眠者記念日)」よりも1週前に永眠者記念礼拝を行うことにしています。教会暦はわたしたちが絶対守らなければならないものではありません。あくまでも参考にするだけです。

1週ずらして行う理由は2つあると聞いています。ひとつは、永眠者記念礼拝の午後に墓前礼拝を行いますが、昭島教会墓地の周囲一帯がキリスト教墓地で、他の教会の墓前礼拝と重なって混み合うケースがあるので、それを避けるため、という実際問題です。

もうひとつは、必ず11月の第1日曜日には昭島教会の創立記念礼拝を行うので永眠者記念礼拝と重ならないようにするためです。昭島教会は1952年11月2日に「日本基督教団昭和町伝道所」として伝道を開始しました。その日から数えて今年で69年になります。

3つの「記念日」はすべて日付が決まっています。早い順でいえば、10月31日が宗教改革記念日です。翌日の11月1日が聖徒の日です。その翌日の11月2日が昭島教会の創立記念日です。それぞれの「記念礼拝」は最も近い日曜日に行います。

説明に時間を割いているのは、3つの「記念日」は関係あると申し上げたいからです。宗教改革記念日が10月31日になったのは、11月1日の「聖徒の日」の前日だったからです。古い本ですが、ベイントン『宗教改革史』(出村彰訳、新教出版社、第5版1977年)から以下引用します。

「ルター自身の領主、ザクセンのフリードリヒ賢公(1463~1525)は、毎年、万聖節(11月1日)の前夜に贖宥券を頒布する特権を与えられていた。1516年中に、ルターは二度にわたってこの慣習に抗議した。贖宥券は聖徒の余剰の功徳という誤った仮定に基づいているゆえに、欺瞞的かつ邪悪であり、痛悔よりも自己満足をもたらすことは確かである」(45頁)。

「万聖節」と訳されているのが「聖徒の日」です。16世紀にはすでに「聖徒の日」があったということです。その前日の10月31日に、「贖宥券」が頒布されたというわけです。「厳密に言えば、贖宥券は売られたのではなく、恵与されたのであるが、この恵与は支払い能力に応じて定められた献金と、全く時を同じくして行われた」(同上頁)ともベイントンが記しています。

その「贖宥券」(「免罪符」とも呼ばれる)を手に入れるとどうなるかについては、これも古い本ですが、岸千年『改革者マルティン・ルター』(聖文舎、1978年)に次のように記されています。

「中世の民衆は、地獄よりも煉獄を恐れていたが、その理由は、地獄における刑罰は悔い改めによってのがれることができるが、煉獄の刑罰は、教会が定めた苦行によるほかはないと教えられていたからである。この苦行はきびしく、パンと水だけで数年間の断食をしたり、長い年月にわたる巡礼をしたりしなければならなかった。民衆は、こうした苦行をどうにかして軽くしようと考えていたが、教会においても、よい行為の報酬として苦行の一部をゆるす方法を考え出した」(76~77頁)。それが「贖宥状」(免罪符)だったというわけです。

しかし、そのような思想そのものが間違っていると抗議したのがマルティン・ルターでした。その抗議の内容を記した「95か条の提題」をドイツ・ヴィッテンベルクの城教会で公開した日付が、ザクセンのフリードリヒ賢公が贖宥券を頒布する日である聖徒の日前夜の1517年10月31日だったので、その10月31日が「宗教改革記念日」になりました。つまり、「宗教改革記念日」と「聖徒の日(永眠者記念日)」は歴史的に明白な関係があるということです。

その関係をひとことで言えば、ルターの宗教改革の出発点は、「人は死んだらどこに行くのか」という最も根本的で深刻な問いに対して当時のローマ・カトリック教会が示した結論が間違っていることに対する徹底的な抗議だったということです。2つの記念日は表裏の関係にあります。

それでは、昭島教会の創立記念礼拝はどういう関係にあるか。69年前から「宗教改革記念日」と「聖徒の日」との関係を考えて1952年11月2日をもって伝道を開始なさったかどうかは私には分かりません。しかし、そのことよりもむしろ、年月を重ね、今日この礼拝堂に飾られている多くの信仰の先達がたのお写真を拝見しながら深まる思いが私にはあります。

教会は歴史的な存在です。地上で生を営んでいるわたしたちだけでなく、今は天国におられる信仰の先達がたこそ、教会の歴史を築き、作り上げてくださいました。

昭島教会の「創立記念礼拝」の関心は、69年前にどうだったかではなく、むしろ逆に、69年後の今がどうなのか、です。そして、今は「聖徒の日」として、「永眠者記念礼拝」として、教会の歴史を築き上げてくださった方々のことを覚えつつ、さらにこれからの昭島教会の歩みを続けていくことの決心と約束をすることこそ「教会創立記念礼拝」の趣旨でなければならないでしょう。その意味で、3つの記念礼拝は相互に関係している、ということです。

最後に今日の聖書箇所について短く説明します。ここに登場するのはヨセフです。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブの12人の子どもの11番目のヨセフです。

ヨセフは父ヤコブの寵愛を受けたため、10人の兄たちから憎まれ、エジプトの奴隷商人に売り飛ばされます。しかし、エジプトで苦労して王のもとで司政官になり、エジプトやカナン地方を襲った大飢饉の中でエジプト人を救い、またカナンに住んでいた父ヤコブとその子どもたちにも食糧を分けて助けました。ヨセフは、自分を憎み、金で自分を売り飛ばした兄たちの罪を赦し、受け入れました。そのことがヨセフにできたのは、彼には神を信じる深い信仰があったからです。兄たちが自分をエジプトに売り飛ばしたのは、神が自分を兄たちよりも先にエジプトへと遣わし、兄たちを救うためだったと、そういう信仰をヨセフが持っていた、ということです。

神を信じる信仰とは、そういうものです。救いの約束はしばしば隠れています。人間には最初は分からないし、むしろ人間にとっては理不尽なことだらけです。神がわたしを見放されたのではないかと絶望する思いになることの連続です。しかし、理不尽の中で神が常に働いてくださり、ご自身のご計画を進め、世界を救ってくださいます。「信仰」こそがわたしたちの最後の砦です。

(2021年10月31日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

2021年10月17日日曜日

天国(2021年10月17日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)


讃美歌21 504番 主よ、み手もて 奏楽・長井志保乃さん

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「天国」

ヨハネの黙示録7章9~17節

関口 康

「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」

今日は新約聖書のヨハネの黙示録を開いています。旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合計66巻の最後の66番目の書物です。旧約と新約の書物の数は「さんく、にじゅうしち」と九九(くく)の語呂合わせで覚えると忘れません。

ヨハネの黙示録が書かれた時代的背景として考えられているのは西暦1世紀末、特に紀元81年から96年までローマ帝国がドミティアヌス皇帝によって支配されていたことと関係あるだろうということです。

ドミティアヌス皇帝は、ローマ帝国が支配する地域の至るところに自分の像を建てさせ、その像の前で自分に対する忠誠を誓わせた人です。ローマ皇帝を神として礼拝させる行為です。像を拝もうとしない人々は迫害し、殺害しました。そのような行為は偶像礼拝であるとみなして拒否するユダヤ人やキリスト者は、迫害と殺害の対象でした。

今のわたしたちにそのようなことはないと言い切れるかどうかは、考え方次第です。私自身は体験的には知らない世代ですが、80年前の大日本帝国の時代には、それときわめて近い、または同じと言いうる状況だったことを実際に体験なさった方々がおられるでしょう。

戦後はどうでしょうか。宮城遥拝をしない者は逮捕抑留されるという状況はなくなりました。しかし、違う形のもっと巧妙な方法による宗教抑制が今でも続いていると私は感じます。うまく説明できませんが、何かしら抑制をかけられている気がしてなりません。

日本のキリスト者人口が何十年も国民の1%を越えないことは、諸外国の教会の謎だそうです。以前もお話ししましたが、アメリカ人の宣教師から直接聞いたのは、日本でキリスト教を広めるために多くのアメリカ人の献金と人材を送ってきたのに一向に伸びない。同じだけのお金と人材をミャンマー伝道へと振り替えれば日本の教会の何十倍も多くの信徒を得られることが分かったので、日本伝道から撤退しようという提案が何度となくなされるという話です。

しかし、その話をしてくれた宣教師たちはなんとか日本にとどまって伝道を続けたいので本国教会で事情を説明しなくてはならないが、うまく説明できなくて悩むというのです。

作り話ではなく、まだ10年ほど前に、私のこの耳で、しかもアメリカ教会と日本教会の正規の会議の場で実際に聞いた話です。

そういう話を聞くと「わたしたちは」と言っておきますが、日本のキリスト者は真面目なので、自己責任を感じやすいところがあり、自分たちの努力が足りないから教会が伸びない、キリスト者人口が増えないと当然考えるわけですが、本当にそうなのか、理由はそれだけなのか、わたしたちの努力不足なのかという点は、一向に分からずじまいです。

それでも何らかの説明をしなければならないので、「日本の風土や伝統文化にキリスト教は適合しにくい」とか「日本古来の強大な宗教の壁はあまりにも厚い」などの理由を考えることになりますが、私に言わせていただけば、どの説明を聞いてもよく分からないし、納得が行きません。

これだけは言わせてほしいです。個人的な努力や小さな集団の努力だけでは如何ともしがたい、政治や経済という大きな力が働いているような気がしてならないということは、決して責任逃れの意味ではなく思うところです。今のわたしたちはまるで、ローマ帝国の全領土の住民にローマ皇帝の像を拝むように強いられた只中にいた、西暦1世紀の教会さながらです。

そのような圧力も障害も何もないと言うかどうかは考え方次第です。私には、どうしてもそのように思えないです。圧力も障害も「ある」としか言いようがありません。

その中で、イエス・キリストへの信仰を守り、かつ信仰共同体としての教会の存在にとどまり続けた人々に待ち受けるのは迫害と殉教の道だったわけですが、その道を貫いた人々を神御自身が、神の小羊なるイエス・キリストがそこで待っておられる「天国」へと受け入れてくださるというのが、ヨハネの黙示録の基本思想であると言えます。

ヨハネの黙示録が描く「天国」だけが聖書における天国の意味ではないと言うべきかもしれません。確かに「天国」にはもっと他にも多くの異なる意味があります。ヨハネの黙示録における意味だけで「天国」を説明しますと、不満が生じる可能性がないと限りません。

なぜなら、その意味での「天国」は、先ほど申し上げたとおり、地上においてイエス・キリストへの信仰を与えられ、信仰共同体としての教会の仲間に加えられたうえで、ローマ皇帝の像の前で忠誠を誓う皇帝礼拝を拒否したことで迫害を受け、殉教した人々の信仰の努力に対する報いとして与えられるものだからです。

すでに疑問を感じておられる方がいらっしゃるのではないかと思います。私自身もこの説明をしながらすでに葛藤しています。もしそれが「天国」だというなら、地上で信仰を持たなかった、教会に通わなかった、あるいは、ある時期までは熱心に教会に通っていたけれども人生の途中でそれをやめてしまった、その人々はいったい今どこにおられるのだろうという問いが、おそらく必ず誰の心の中にも起こるであろうからです。

どんなことであれ、わたしたちがいろんなことについて筋道を立てて順を追って考えるときに必ずするのは、ひとつのことの表側だけではなく、裏側まで考えることです。「このような人々が天国に受け入れられる」という話を聞くだけで、「その説明に該当しない人々は、どこに受け入れられるのか」ということをだれでも必ず考えます。そこが天国でないなら「地獄」なのか。それとも、天国でも地獄でもない「第三の」場所なのか。そんなところが本当に存在するのかと。

それだけではありません。そもそも、迫害だとか殉教だとかを耐えて我慢してまで信仰を守り、教会の交わりにつながることを、神が本当に求めておられるのか。そのような苦しみに堪えられない弱い人々を、神は切り捨て、我慢強い人々だけの「天国」を神が要求しておられるのかと。

もしそれが神だというのなら、私にとっては堪えられない神なので、信じることができないし、信じることで苦しみ、信じることで死なねばならないなら、信じるのをやめて楽になり、生きる道を選ぶほうが救いだろうにと考える人々は必ずいるだろうと、私には思えてなりません。

しかし、今申し上げているのは結論ではありません。ただ「考えている」だけです。はっきりしているのは、わたしたちの神は弱い人を切り捨てる方では断じてないということです。しかしまた、信仰をもって生き抜き、教会の交わりの中にとどまり続ける人々を神は喜んでくださり、「天国」を約束してくださっています。その2つのことは矛盾しないと私は考えます。そのことを皆さんに納得していただける言葉で、うまく説明できないだけです。言葉の限界を感じます。

(2021年10月17日 主日礼拝)

2021年10月10日日曜日

教会と政治(2021年10月10日 主日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 443番 冠も天の座も 奏楽・長井志保乃さん

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「教会と政治」

ローマの信徒への手紙13章1~10節

関口 康

「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

今日の宣教題を「教会と政治」としたのは、今日の朗読箇所の最初に「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(1節)と記されている中の「上に立つ権威」は「国家」、あるいは一般社会的な意味での「政治的支配者」を指しているというのが、この箇所の伝統的な理解だからです。

続く箇所に「実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう」(3節)とか、「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(4節)とか「あなたがたが貢を納めているのもそのためです」(6節)とか、「貢を覚めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」(7節)と記されています。

いま一気に言いました。これは武器で悪人を取り締まる警察の存在や、税金で社会を整備する国家や政治を指しているということが、少しあるいはかなり分かりにくい書き方ではありますが、たしかに記されているということを確認したいと願うからです。

分かりにくいと申し上げたひとつの理由は、「国家」や「政治」とはっきりとは記されていないからです。その代わりに「支配者」や「権威者」と記されています。しかし、分かりにくい理由はそれだけではありません。

もっと分かりにくいのは、この箇所で「支配者」ないし「権威者」と呼ばれている存在が「神に由来しない権威はない」とか「すべて神によって立てられたもの」(1節)であるとか「神の定め」(2節)であるとか、「権威者は神に仕える者」(4節、6節)であるとか記されているところです。

これはキリスト教国の話でしょうか。いや、いくらなんでもローマの信徒への手紙が書かれた頃にキリスト教国は存在しない。ユダヤのことか。いや待て。この時代のキリスト教会はユダヤ教徒から迫害されていた。まるで手放しに彼らに従うべきだと言い出すのは考えにくい。当時のユダヤを支配していたローマ帝国のことか。ローマ帝国は神が立てたものであるとパウロが本気で言うだろうか。もしそうならそれは一体何を意味するのだろうと考え込んでしまうことになるからです。

「そうではない。これは教会のことを指している。神に由来する権威とは教会だ。それ以外は考えられない」と言いたいかもしれません。しかし、教会が剣で悪人を取り締まるでしょうか。貢や税を要求するでしょうか。そのほうがよほどおかしなことを言っていることになるでしょう。

結論を言えば、これは教会ではありません。やはり、国家ないし一般社会的な意味での政治のことです。王国の場合は王とその家来たちです。民主的な国の場合は「国民が主権者である」ということになるかもしれませんが、選挙で選ぶにせよ、とにかく国家権力や警察権力を委託した相手のことです。教会が武器を持つことはないし、税金を集めることはありません。そういうことをするなら、それは教会ではありません。

私は自分がよく知らないことについては、言わないようにしているつもりです。しかし、気になるのはカトリック教会の存在です。総本山のバチカンは独立国家です。軍隊は無いそうです。警察は永世中立国であるスイスからの傭兵が担当するそうです。それでも、バチカンが国であるという事実に変わりありません。しかし、同時に教会でもあるでしょう。

パウロが書いているのは、現代のバチカン市国のことでしょうか。要するにローマ教皇の権威に従うべきだという意味でしょうか。そうではないということを、「わたしたちはプロテスタントだから」という理由からではなく、別の理由から申し上げる必要があると私は考えます。

分かりやすく説明するのは難しいです。申し上げたいのは、この箇所の「神に由来する権威」は現代のバチカンではない、ということです。キリスト教国に限定される意味でもありません。

そうではなく、教会とは区別される別の存在としての一般社会的な意味での国家であり、政治のことです。それは西暦1世紀のパウロをとりまく社会そのものです。キリスト教会を容赦なく迫害してくる強大な国家権力です。一方にユダヤの王とその家来、他方にローマ帝国。その両者からキリスト教会は迫害を受け、死に至らしめられました。

しかし、そのようなキリスト教会の敵対者を指して、パウロが「神に由来する権威」と呼び、「神によって立てられた権威」と書いていることに、わたしたちは大いに驚くべきです。

納得できない方がおられるでしょう。今のわたしたちでいえば、この日本の政治家や警察官、さらに天皇の存在を考えざるをえなくなるからです。あの人々が一体どの意味で「神に由来する権威」なのか全く理解に苦しむと思われる方がおられるでしょう。

納得できないとおっしゃる方にどう説明すればよいか迷うばかりです。しかし、そういう場合は逆のことを考えてみるとよいかもしれません。わたしたちが納得できる存在になるまでは国家権力や警察に従う必要はなく、税金を納める必要もないと考えてよいかどうかです。その理屈が成り立たないことは、だれでも分かります。しかし、問題はどのように説明するかです。

これを「パウロの信仰」と呼ぶべきかどうかは疑問です。私は「聖書の教え」と言いたいです。それは、「神」への「信仰」があるかどうかにかかわらず、一般社会的な意味での政治ないし国家による統治が、人間同士が争い合い、殺し合うのを防ぐために必要であることを神さまがお考えになり、人間社会にそのような制度を神さまが作られたということです。

神は無政府主義者ではありません。神は人間を政治的な存在に造られた、とも言えるでしょう。人間である以上、愛し合い、助け合うことにおいても司法・律法・行政のような政治機構が必要であるということです。無秩序の中では人間同士の愛は成立しない、ということです。

信仰の有無は関係ありません。ひとつの国が「神を信じない人は追放されなければならない」と言うならば、それは国ではありません。宗教団体です。しかも悪い宗教団体です。

家族も同じです。「神を信じない家族には生活費も食事も与えない」と言い出すなら、家族でもなんでもなく、凶悪な宗教団体です。「クリスチャンホームだから」は理由になりません。それは虐待であり、犯罪です。信仰の衣を着た狼です。その手のとんでもないたぐいを取り締まるために、神さまは教会とは別の権威をお立てになりました。そのように考えることができます。

イエスさまがおっしゃったではありませんか、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5章45節)と。神さまは、その人が信仰を持っているかどうかに関係なく、すべての人の命と生活を守ってくださいます。そしてそうするために、神さま御自身が、国の存在とその中で営まれる政治を要求されるのです。

(2021年10月10日 主日礼拝)

2021年10月3日日曜日

信仰による生涯(2021年10月3日 主日礼拝)

台風16号通過後の青天(2021年10月2日)
字は関口牧師が書きました(2021年10月2日)
 
讃美歌21 458番 信仰こそ旅路を 奏楽・長井志保乃さん


「信仰による生涯」

ヘブライ人への手紙11章13~16節

関口 康

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」

9月末をもって政府の緊急事態宣言が全面的に取り下げられ、すべて終わったかのような空気が蔓延している感があります。しかしそれこそ蔓延防止対策が必要ではないかとかえって警戒心を抱きながらの3日目を、私自身は迎えています。

もっとも私は、現時点においては、週に4日は電車やバスに長時間乗って学校で教える働きをさせていただいている関係上、首都圏の現状を肌感覚で知らずにはいないつもりです。

そのような中で、わたしたちの教会が、9月から礼拝堂での礼拝を再開し、みんなで集まることをしてきたのは良かったと私は考えています。礼拝出席者は以前と同じか、少し多くなってきているようにも感じます。

今教えている高校で一昨日したばかりの話ですが、「教会」はギリシア語で「エクレーシア」と言い、「集会」とか「集まり」という意味です。これは教科書の言葉です。さらに次のように書かれています。「個人の家や公共の建物、時には野外で、イエス・キリストの名のもとに集まり、祈りや礼拝がささげられ、継続的な集会を持っている共同体はすべて、礼拝堂があってもなくても教会と言います」(キリスト教学校教育同盟編『キリスト教入門』創元社、2015年、36ページ)。

この教科書の著者が強調しようとしている点は明白です。「教会」(エクレーシア)とは、人が集まることそれ自体であり、集会そのものであり、集まる人を指すのであって、建物を指すのではないということです。建物としての「礼拝堂」は英語でチャペル(chapel)と言うが、「教会」はチャーチ(church)と言う、という説明まであります。

わたしたち自身が判断して行ったことを否定するつもりはありません。しかし、「各自自宅礼拝」がエクレーシア(教会)かどうかは、よく考えるべき課題です。インターネットの「オンライン礼拝」はエクレーシア(教会)かどうかの問題も同様です。団体を維持できるかどうかの問題ではありません。わたしたちの心の問題、信仰の問題です。独りでいることの寂しさの中で、心の支えを失うことの恐怖のほうが、他のどの恐怖よりも人を苦しめる場合が実際にあります。

今日開いていただいた新約聖書のヘブライ人への手紙は、昨年(2020年)6月28日の礼拝でも取り上げてお話ししたことを、記録で確認しました。そのときも申し上げましたが、この手紙が書かれた年代は西暦1世紀の終わり頃、80年代から90年代だろうと聖書学者が判断しています。つまり、イエス・キリストの死と復活、そして聖霊降臨(ペンテコステ)の出来事を通して地上に「教会」(エクレーシア)が生み出された西暦30年代から50年ないし60年の年月が経過した頃にヘブライ人への手紙が書かれたと考えることができます。

「ヘブライ人」とはユダヤ人のことです。イスラエル人と言っても意味は同じです。西暦1世紀のユダヤ人の中からイエス・キリストを信じて生きる人々の集まりとしての「教会」がいわば分かれ出た関係にあることは、歴史的な説明としては正しいと言えます。しかし、ユダヤ人以外の人々の目から見れば、ユダヤ教とキリスト教のどこがどう違うのかをはっきり区別できるほどの差はまだ無かったかもしれません。そのような時代に書かれた書物です。

昨年6月にこの手紙についてお話ししたときは12章18節から29節までを取り上げましたが、今日は11章13節から16節までです。しかし、この手紙の11章から12章にかけて書かれている内容は一貫しています。わたしたちがそう呼ぶところの「旧約聖書」を要約しています。「わたしたちがそう呼ぶ」とお断りするのはユダヤ教にとっては「新約聖書」は聖書ではなく、キリスト教会が「旧約聖書」と呼ぶ書物こそ、ユダヤ教の「聖書」だからです。

その意味では、ヘブライ人にとっての「聖書」全体を見通して、その中に登場する人々のことを思い起こし、そのひとりひとりの信仰と生きざまを思い起こしなさいと呼びかけているのが、今日わたしたちが開いている箇所の趣旨であると言えます。

なぜこの箇所にそのようなことが書かれ、そのような呼びかけがなされているのかについては、歴史的な文脈があると考えることができます。それは、西暦60年代から70年代にかけて、当時のユダヤを支配していたローマ帝国との間に大きな戦争があったことです。エルサレム神殿は破壊され、さらにその後の西暦135年にも決定的な戦争があり、ユダヤ人が完全に国土を失う事態になったことです。この手紙が書かれたのは、その戦争の最中だったということです。

そのような状況や情景を想像しながら、今日の箇所の特に13節に記された言葉の意味を考えるのは意義深いことです。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」の「この人たち」は、最初の人間として聖書に登場するアダムとエバの2人の子どものひとりであるアベルから始まります。アベル、エノク、ノア、そしてアブラハム、イサク、ヤコブです。この人たちは「約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表しました」と記されています。

彼らのどこが「よそ者」であり「仮住まいの者」なのかといえば、特にアブラハムが象徴的な存在ですが、実際に彼らが「遊牧民」だったという事実を考えることができます。文字どおりの移動生活者です。多くの家畜を飼いながらチグリス・ユーフラテスの2つの大きな川に挟まれたメソポタミア地方から、今のパレスティナを経由してナイル川流域のエジプト地方までをつなぐ「肥沃な三日月地帯」を西へ東へ移動していた遊牧民が、彼ら自身の先祖の姿です。

ヘブライ人への手紙の著者が、いにしえの遊牧民たちの姿を思い起こすことを西暦1世紀末の教会に呼びかけているのは、戦争によって神殿を失い、国土すら失いつつあったユダヤ人たちに対する希望と励ましのメッセージだったと考えることができます。

実は私もそうなのですが、移動生活者にとっては、愛着を抱くことができる礼拝堂(チャペル)はありません。神殿もありません。しかし信仰があり、礼拝があり、集会(エクレーシア)がありました。だからこそ、希望があり、喜びがあり、苦難に堪えて生きる勇気の源泉があったのです。

わたしたちはどうでしょうか。幸いなことに、昭島教会には立派な礼拝堂があります。「教会といえば建物のことを指す」と言う人がいても、完全な間違いであるとは言えません。逆に、この建物に集まって行う礼拝以外は教会の正規の礼拝とは言えない、とも言えません。しかし、大事なことは、集まること自体です。エクレーシア(集会)としての教会であるかどうかです。独りで孤立していないかどうかです。信仰の仲間と共に生きているという実感があるかどうかです。

(2021年10月3日 主日礼拝)