人口1600人強の寒村の教会に25歳で人生初の主任牧師として赴任した半年後、教会役員の親戚の会社社長と大げんかになり、日刊新聞紙上で大罵倒大会をする。赴任2年目に会社社長の親戚の教会役員が「役員やめる」と言いだす。3年目に都会の女性と結婚する。牧師夫妻は政治活動に熱心に取り組む。
会社社長と大げんかになった原因は、会社の従業員の多くが教会の会員で、その人々が「給料があまりにも少なすぎる」とこぼす声を聞き、「これは味方しなければ」と思ったから。その牧師は次々と(合計3つの)労働組合の立ち上げを支援する。それを知った会社社長はそんな牧師はつまみ出せと激怒する。
赴任4年目に初めての赤ちゃんが生まれる。その頃も牧師夫妻は政治活動に熱心に取り組む。赤ちゃんが4ヶ月になったときに戦争が始まる。ついに牧師は政治的に態度決定をし、開戦の半年後(教会赴任5年目)、戦争に大反対する側の政党に入党する。そして土日以外の週日はもっぱら政治活動に没頭する。
その牧師は赴任6年目になると(ちょうど30歳)、自分が対立している会社社長やその親戚である教会役員に当てこするようなことを日曜日の礼拝の説教の中で言うようになる。さらには、そのような内容の説教の文章を自費で印刷して、1600人強の村の全家庭に配布しはじめる。村は当然大騒ぎになる。
ということをしていたと思ったら、その年(30歳)の夏休みの直後から急に書斎に引きこもり、一冊の本を書きはじめる。若いのにがんばっているその牧師を応援したいのか、自分たちの手下にしたいのか分からない、とにかく手を差し伸べてくる大人たちを次々蹴散らし、進むべきわが道を独りで模索する。
赴任7年目は、ほぼ一年じゅう引きこもり、誰が読むかも分からない本を書き続ける。牧師の任期延長に反対するか態度を保留する教会員が85人になり(任期延長賛成者は189人)、日曜日の礼拝出席者は減り、教会分裂運動が起こっても、牧師は書斎に引きこもり、自分でも体調を崩しながら、本を書く。
翌年(赴任8年目)の夏に、その本の原稿がやっと完成する。本の形にして出版してくれる出版社が決まるまでに5ヶ月かかる。それは小さな出版社で、初版の印刷は1000部。すぐに売れたのはわずか300部だった。その後、残部を別の出版社が買い上げて売ってくれたおかげで初版はなんとか完売する。
その牧師(32歳)にとっては記念すべき本の出版予定日の前月、教会役員会の6名中4名が、牧師に対する抗議として役員を辞職する。その理由は「牧師のくせにゼネラル・ストライキを賛美した」からだという。その牧師は「賛美」した覚えはなく「解説」しただけだと釈明するが、聞き入れられなかった。
本を書くための引きこもり期間が終わり、教会役員会との決裂が修復不可能になって、かえって吹っ切れる。その翌年(赴任9年目)、牧師は大々的な政治活動を再開する。大規模なデモ行進に参加する。そして翌年(赴任10年目)、かろうじて初版が完売した本を全面的に書きなおして、第二版を出版する。
その第二版が大売れし、一大ブームになる。牧師は一躍、時の人になる。本の評判を聞いたスカウトマンたちが頭をひねり、この牧師を教会に置いたままにすると教会が壊れるばかりなので、学校で若い子たちに教える教師にしようと思いつく。こうして牧師は、10年働いた教会を辞めて、学校の教員になる。
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左・第一版(1918年(表記は1919年)、右・第二版(1921年(表記は1922年)
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