2012年9月23日日曜日

どうして「心の貧しい人々は幸い」なのですか


マタイによる福音書5・1~12

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。『心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。』」

今日はイエス・キリストのいわゆる「山上の説教」の冒頭の個所を開いていただきました。山上の説教という言葉は、字を見て初めて意味が分かる、耳で聞くだけでは意味が分からない言葉であると思います。山上(さんじょう)とは「山の上」です。イエスさまが山に登られて、その山の上で弟子たちに説教されました。山上の説教とはそういう意味です。

どうしてイエスさまは弟子たちに説教するためにわざわざ山に登られたのでしょうか。その理由は書かれていません。しかし、一つ明らかなことがあります。それは、旧約聖書に出てくるモーセが、いわゆるモーセの十戒をはじめとする律法を石の板に刻んだ場所が、山の上だったということです。どうしてモーセのことがイエス・キリストに関係していると言えるのでしょうか。この点ははっきり語ることができます。この山上の説教は、マタイによる福音書の5章から7章まで続く大変長いものですが、その内容は実際に読むとすぐに分かることですが、これは明らかに、モーセの律法についての新しい解釈をイエスさまが語っておられるものだからです。

そのような内容の説教をイエスさまが山の上でなさったことは、モーセが山の上で律法を石の板に書き記したことと明らかに関係しています。その事情はこうです。イエスさまは、その説教をなさるために山の上に立つことによって、御自身はかつてモーセが立ったのと同じ立場、いや、それ以上の立場にあることをお示しになったのです。イエスさまは御自身を、モーセを超える存在、モーセ以上の存在として示されたのです。そのためにイエスさまは山の上で弟子たちに説教されたのです。

なぜイエスさまは「モーセ以上」なのでしょうか。先ほど私はイエスさまの山上の説教はモーセの十戒の新しい解釈であると言いました。それはそのとおりですが、新しい解釈という次元を越えて、もはやモーセの律法の全面的な改訂ないし更新と呼んでもよいほど、全く新しい教えであるとも言えます。イエスさまの説教は耳にたこができるような、だれでも知っているような、古くさくて退屈な話ではなかったのです。だれも聞いたことがなかったような、全く新しい言葉だったのです。

さて、その山上の説教の最初に語られた言葉を今日は読みました。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」。これはモーセの律法についての新しい解釈という点とは直接的には関係ない内容です。しかし、非常に人を驚かせる言葉です。私もいまだに、読むたびに驚きます。もっと言えば、動揺します。イエスさまは一体何をおっしゃりたいのだろうと理解に苦しみ、不安になります。それはたぶん私だけではなく、多くの人がそうだと思うのです。

次の言葉もすごいです。「悲しむ人々は、幸いである」。そのときの状況や気分にもよると思いますが、悲しんでいる人に「あなたは幸せですね」とか言えば、非常に腹を立てる人が必ずいるはずです。たとえ聖書の御言葉であっても、時と場所と状況を間違えて使うと、誤解されてしまいます。

もう一つだけ先に見ておきます。「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。この「柔和な人」は説明が必要です。「柔和な人」と聞けば、わたしたちは通常、人との争いを好まない、穏やかな性格の人というくらいの意味で理解し、良い意味であるととらえるはずです。しかし、この「柔和な人」は悪い意味です。なぜなら、ここで言われているのは、家畜がその飼い主によって飼いならされているという意味の「飼いならされた人々」のことだからです。政治的な権力者にとっては扱いやすい、人の言うことをなんでも聞く、飼いならされた人です。それを日本語で「柔和な人々」と訳しても意味が通じるはずがないので、説明が必要です。

ですから、山上の説教の最初の三つの言葉、「心の貧しい人々は幸いである」・「悲しむ人々は幸いである」・「柔和な人々は幸いである」は、どれも悪い意味で言われていて、辛くて苦しい境遇や状況に置かれている人々のことです。そのような人々は「幸いである」とイエスさまは非常に驚くべき言葉を語っておられるのです。イエスさまは何を言っておられるのかが分からない。理解に苦しむ。そのような反応が起こることが当然予想される、明らかに逆説的なことをおっしゃっているのです。

今日は、考えてみたいことを一つだけに絞ることにします。それは最初の「心の貧しい人々は幸いである」というイエスさまの御言葉です。「心が貧しい」とは、どういう意味でしょうか。この問題に今日は集中することにします。

原文を調べてみて分かったことがあります。それは、ここで「心」と訳されている言葉は新共同訳聖書の他の多くの個所では「霊」と訳されている言葉であるということでした。たとえばわたしたちが「聖霊」(原文では「聖なる霊」)という言葉で理解している意味内容があるわけですが、その意味で使われる「霊」が、今日の個所の「心の貧しい人々」の「心」と同じです。つまり、今日の個所も「霊の貧しい人々」と訳しても間違いではないのです。

そして「貧しい」とは「少ない」ということです。通常「貧しい人」といえば、持っているお金や財産が少ない人のことですが、「霊が貧しい人」とは、字義通り訳せば「霊が少ない人」となります。しかし、もう少し丁寧に考えるとしたら、貧しいことと少ないことは完全なイコールではありません。持っているものは少なくても、使う分も少なければ、需要と供給のバランスはとれていると言えるでしょう。少ないけど足りている。そういうことはありうることです。しかし、ここでの「貧しい」とは足りないことです。足りていないことです。ですから、イエスさまがおっしゃっているのは「霊が少ない人」というよりも「霊が足りない人」あるいは「霊が足りていない人」のことであると考える必要があります。需要に対して供給が追い付いていない。そのバランスがとれていない。霊に対して常に不足と不満を感じている。そのような人々についての話なのです。

それは何のことなのでしょうか。霊が足りないとか少ないとか。ここで考えなければならないことは、聖書が描き、イエスさまが見ておられる人間の姿です。それは簡単に言えば、人間とは肉体だけでできている存在ではなく、その中に霊というものが宿っている存在であるということです。人間は単なる肉の塊ではありません。少なくとも何かを考えたり感じたりします。理性があり、感情がある。そして、それだけではなく、人間は神を知ることができ、信じることができます。客観的に証明することはできないことですが、他の動物と人間の違いは宗教を持ちうるかどうかであると言われることがある。人間だけに固有な能力は宗教であると言われます。そのような理性や感情、あるいは信仰や信心が人間の肉体の中に宿っています。それらすべてをまとめて、聖書は「霊」と呼んでいるのです。

ですから、イエスさまが「心の貧しい人々」と呼んでおられるのは、その意味での「霊」が少ない、足りない、足りていない人のことであると理解することができます。あるいは、その「霊」には人間の知識とか知恵なども含まれています。知識や知恵が足りない人、ということになりますと、世間的な評価も、残念ながら低い。そのようなことのすべてを含んでいるのが「霊の足りない人」です。

そういう人々がどうして「幸い」なのでしょうか。イエスさまがその理由として挙げておられるのは、一つのことだけです。「天の国はその人たちのものである」。「天の国」は天国と同じ意味です。「の」が入っているだけです。意味は同じです。しかし「神の国」とも同じ意味です。「天」は「神」の言い換えです。「神」という言葉を口にしたり書いたりすることが畏れ多いため別の言葉で言い換えた婉曲表現が「天」です。意味は同じです。

しかし、「天」とか「天の国」「天国」と言われますと、わたしたちはどうしても、空の上のことを考えてしまいます。星の向こう、宇宙の彼方を仰ぎ見てしまいます。しかし、「天の国」は「神の国」と同じです。そして「神の国」というのは、聖書の中では断然、この地上において実現されるものを指しています。「神の国」とは、神が創造されたこの世界を神御自身が支配されることを意味しているからです。神という王が地上の世界の平和を実現してくださること、それが「神の国」です。空の上、星の向こう、宇宙の彼方の話ではないのです。むしろ、この地上の問題であり、わたしたちの心の中の問題です。

そのような「天の国」あるいは「神の国」は、「心の貧しい人」あるいは「霊の足りない人」のものであるとイエスさまは言われているわけです。それはどういう意味でしょうか。「霊が足りない人」は基本的に「肉だらけの人」です。我々の肉体を一つの容れ物として見立てるとしたら、空きスペースがたくさんある、ほとんど空っぽの容れ物だということになります。何が入っていないのかと言えば、霊が入っていない。なかでも信仰が入っていない、足りない、足りていない。あらゆることを神なしで、信仰なしで、考えている、それで生きている。そういう人たち。

しかし、イエスさまはそのような人々のことを、ばっさり切り捨てたりはなさいません。むしろ、そういう人々こそ「幸いである」とおっしゃっています。なぜなら、そういう人たちのためにこそ、神の国はあるからです。なぜなら、なかみがほとんど空っぽの人にこそ、神の霊、聖霊なる神御自身が入りこんでくださり、宿ってくださるスペースが、たくさん残っているからです。

勉強と努力ももちろん大事です。しかし、そのようなものだけで頭と心がいっぱいになっている人は、神にも宗教にも興味をもつことができません。自分の力ですべての道を切り開いてきたと思っている人は、神の恵みというようなものを受け入れることができません。しかし、自分の努力には限界があります。挫折も失敗もあります。すべての道を自分の力で切り開いてきたと信じてきた人の挫折感は激しいものがあります。文字どおりの絶望がある。しかし、そのとき人の心に風穴があく。空きスペースができるのです。そこに神が恵みを注いでくださる。神御自身が宿ってくださるのです。

「心の貧しい人々」は、なぜ幸いなのでしょうか。そのような人々にこそ、神の霊、聖霊なる神が豊かに注がれる余地があるからです。そのような人々にイエスさまは「ぼくと一緒に生きて行こう」と呼びかけてくださるのです。

(2012年9月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2012年9月19日水曜日

「最長滞在記録」更新中です

今日は午前中、教会の祈祷会がありました。その後、昼食を買いにコンビニに行ったらレジのパートの方が中学校のPTAで親しくしていただいている方だったので、つい長々とレジ越しに話し込んでしまいました。

来る11月3日(土)に中学校でPTA主催のバザーを行うことになっているのですが、そのバザーの実行委員長を昨年からPTA会長が兼ねることになったので、これから忙しくなっていくんです。さっきそのお母さんと話し込んだ話題も「バザーの打ち合わせ」でした。

そんなことをこんなところに書いて、いまぼくは何を言いたいかといいますとね、ぼくが松戸小金原教会の牧師になって、いま9年目なんです。2004年4月からですから、だいたいちょうど8年半です。長男(現在高3)は小3から小4になるタイミング、長女(現在中3)は幼稚園から小1になるタイミングでした。あれからもう8年半も経つんだなあと思って。

ぼくね、自慢でも何でもないんですが、生まれたときから高校を卒業するまでの18年間生活した岡山県岡山市を除いたら、同じ町・同じ場所に過去、最も長く住んだのは、ここ、松戸市小金原ということになるのです。「最長滞在記録」更新中です。

8年半くらい住みますとね、その町のコンビニのパートのお母さんたちとも顔見知りになれる。ていうか、流浪の牧師が、公立中学のPTA会長とかやってたりする。

あ、そうそう、いまぼくは町会の班長なので、一昨日は同じ班の高齢者たちに敬老の日のお祝いのプレゼントをもって10軒ほどお訪ねしました。

でもね、こういうことも、やっとできるようになったんですよ。8年半ほどじっとしてただけですよ。礼拝出席者が目覚ましく飛躍的に増えたわけでもない。「きみ、8年半もそこで何してたの?」と問われても、答えに窮するばかり。穴があったら入りたい。

「やっと町の人と仲良くしてもらえるようになりました」。

それで精一杯です、ぼくは。すいません。

2012年9月5日水曜日

神学書が分からないのは貴方のアタマが悪いせいではない

昨年(2011年)8月に惜しくもお亡くなりになった翻訳者であり・翻訳論者であった山岡洋一氏からは、著書『翻訳とは何か』とメールマガジン『翻訳通信』を通してきわめて重大な示唆を得た。

山岡氏とは一度だけメールのやりとりをしていただいたものの、面識を得ることはできず、急逝の一報に接したときは愕然とする思いを禁じえなかったことを、昨日のことのように思い返す。

山岡氏からぼくは何を最も学んだか。いま「最も」と書いたばかりなので、一点に絞る。

ぼくの関心は高校を卒業して大学に入学して以来ずっと「神学」にあるわけだが、ほとんど最初から最近まで悩み続けてきたことは、神学関係の訳書は「読んでも分からない(理解不可能である)」ということだった。

それで、ご多分に洩れず(ぼくと同じ問題で悩んでいる人と何人となく出会ってきた)、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」と自分を責めてきた。わりと深刻に。しかし、山岡氏に出会い、この呪縛から解放された。

ぼくには何度読んでも理解できなかった訳書のほとんどは、山岡氏の言葉を借りれば「翻訳調」で訳されているものばかりであった。この「翻訳調」の歴史的由来が、明治政府以来の日本の国策としての「翻訳主義」にあることを、山岡氏は教えてくれた。

日本の「翻訳主義」には長所がある。なんといっても「小学校から大学までの教育をすべて自国語で行えるようになった」ことである(山岡洋一「翻訳主義と翻訳調」、翻訳通信、2010年6月号、第2期第97号、メールマガジン、1ページ)

しかし、「翻訳主義」に基づく「翻訳調」の基本は、外国語の一単語に日本語の一単語を対応させるという「一対一」の原則にあるので、そういうふうにして作られた文章(訳文)を読者が「日本語」として理解することには非常に無理があり、ほとんど不可能であるということは、なるほど明らかである。

そして、「翻訳とは執筆なのだ」という単純な事実を、ぼくは山岡氏から教えられた。日本語が上手に書けない人に、外国語の書物の「翻訳」は不可能である。神学の場合も然り。「日本語化」でないようなものは「翻訳」とは言えない。

よく考えてみれば、これほど自明なことは他に無いと思えるようなことが、ぼくには長らく分からなかった。

「1997年5月1日」(とメモしてある)に、ぼくは生まれて初めて『講談社オランダ語辞典』を、新校舎になったばかりの神戸改革派神学校(神戸市北区)の近くの小さな書店で購入し、初めにヘルマン・バーフィンクの、次にアーノルト・ファン・ルーラーのテキストを読みはじめた。

それ以来ぼくは、オランダ語のテキストと『講談社オランダ語辞典』とには首っ引きになった。とにかく必死になって、上記の意味での「一対一」のパッチワークを始めた。オランダ語の一語に対して、日本語の一語を対応させようとした。しかし、そういう方法で作り上げられた訳文は「日本語」ではなかった。

しかし、「日本語」でないような訳書は商品にはならない。というか、恥ずかしくて世に出す気にならない。だって、日本語としては支離滅裂なのだから。

だから、それをなんとかして日本語として読みやすくしようと当然試みる。ところが、それが無理なのだ。ちょっとやそっといじくるくらいで何とかなるようなシロモノではない。

結局、根本的・全面的に書き直さなくてはならない。しかし、そういうのは明らかに二度手間だし、加えて、最初に成立した「支離滅裂のパッチワーク」が一種の後遺症のような作用を及ぼし、真に果たすべき「日本語化」の妨げになるケースがあることを、実際に体験した。

そのような数々の(と言っても、翻訳に関してはシロウトなので、質量とも大したことはない)経験の中で自覚された課題が、いくつかあった。それを山岡氏がはっきりと教えてくれたのだ。

第一は、神学書もまた「翻訳調」(一対一(いったいいち)対応を原則とする支離滅裂のパッチワーク)からの脱却をはからなければならない。

第二は、「翻訳調こそが翻訳だ」という凝り固まった翻訳論に立脚する旧来の日本の(日本的な)神学的潮流からの脱却「をも」はからなければならない。

第三は、神学書の翻訳は「日本語化」が必要であり、単純に「日本語」でなければならない。

古来の日本語の中には欧米のキリスト教伝統に対立する要素が含まれているので、「神学の単純な日本語化」なることは不可能であるという理屈は、ある意味で分かる。しかし、ぼくが考えていることは「日本的神学」だの「日本主義神学」だのを目指せ、というようなことではない。もっと、ずっと手前の話である。

翻訳された神学書を手にとって読む人たちを、「この本を理解できないのは、ぼくのアタマが悪いせいなのだ」というような思いにさせたくない。事情は実は逆なのに。

貴方が「この本を理解できない」のは、訳者が悪いに決まっている。悪いのは、日本の国策としての「翻訳主義」に基づく「翻訳調」から一歩も身動きがとれなくなっている、日本の神学的アカデミシャンたちである。

ぼくがブログ「関口康日記」を始めたきっかけも、いま書いていることに大いに関係している。「日本語化」のためには日本語を磨く必要がある。自分の考えや思いを、顔の見えない人たちに、自分の書く「字」だけで、どうやって伝えるのかを、徹底的に考え抜く必要がある。

そのために、ぼくはブログを始めたのだ。それが「日本語化としての翻訳」の質を高めるものになると信じることができたからに他ならない。

ブログに書いていることも、Facebookに書いていることも、9割はジョークで、神学からも翻訳からも程遠いことばかりである。ま、でも、それはぼくが決めたやり方なのだから、だれに文句を言いたいわけでもない。

ただ、回り道しすぎている感は否めない。ぼくの時間に、それほど猶予はない。