2012年3月23日金曜日

福澤諭吉『学問のすゝめ』(21世紀版 超訳)

【21世紀版 超訳】

『ガクモンしようぜ』 ユキチ・F著/関口康 訳

「学問する」でもいいけど、「勉強」でもいいでしょ。あのね、「勉強」っていうのはね、難しい本を読むとかね、常人には解読不可能なヘブライ語とかクサビ形文字とかさ、あと韻文だの散文だの、そういうのを読めるとか、書けるとか、あと歌えるとかね(笑)、そういうことができるようになる、っていうことだけじゃないんですよ、マジで言っときますけどね。

そういうのは、まあ後回しでもいいですよ。やんなくていいってことじゃないですよ。でも順序ってものがある。そういうのよりも、まず先に勉強しなくちゃならんことがあるんですよ、人間としてね。

それは、昔でいえば断然「読み・書き・そろばん」なんでしょうけどね。今でいえばパソコンとか携帯とかスマホとかを自由に使いこなせるようになるとかね、あと、せめてワードとかエクセルとかができるようになるとかさ、あとはなんだろね、いろいろあると思うけどね。自動車の免許を取るとか、せめて自分の分くらいは炊事・洗濯・掃除ができるようになるとかもそうかな。

そういうことができるようになるってことが「実学」ということであってね、その基本は「読み・書き・そろばん」なんだからね、形ややり方はデジタル化しちゃったけど、やってることは、おんなじよ。スピードが遅いか早いかの違いくらいだね。えっと、脱線しそう(笑)。

だからさ、要するに「読み・書き・そろばん」なのよ。それができるようになるってことには身分が高いとか低いとか関係ないじゃんと、ぼくは思うし、みんなができるようになるほうがいいに決まってるんだからさ。

自分の職場というか立場というか、そういうところで、パソコンでもスマホでもいいし、木でできたそろばんでもいいし、鉛筆とかでも何でもいいや、とにかく「読み・書き・そろばん」がちゃんとできるようになって、自分の仕事をやる。

そんでもって、自分のことは自分でやる。家のことも、自分たちで何とかやりくりできるようになる。そういう人が少しずつでも増えていけば、この国も自立できるようになるんですよ。というか、逆の筋書きは無いんです、この話には、てことで。

自立するってことは、自分のことくらいは自分で何とかできるようになる、ってくらいの話ですよ。他人に依存しなければ生きていけないと思いこんでしまわない、ってことですかね。

いろんなことの是非の判断を自分でできるようになる、処置も自分で何とかできるようになる。そうすれば、他人の知恵を借りないで済むじゃん。それがぼくの「自立」の定義ですよ。自分で苦労して自分の生計を立てられるくらいの稼ぎがあれば、他人のカネを当てにしなくて済むわけだしね。

完全に自立している人、というか、誰の助けも要らないっていう人なんかいませんよ、たぶんね。そういう人がいたらいたで、どうかと思うしね。

だけど、「自立しよう」という気持ちというか考え方というか心というか、そういうものを全く放棄してしまって、完全に他人の力に依存するだけになってしまってもいいじゃ~んっていう話になって、この国の全員がそういう考えをもって、完全な依存体質になってしまうと、支える側というか助ける側の人がいなくなってしまうじゃないですか。それじゃあ、国ってものが全く立ち行かなくなってしまいますよ、っていう話をしてるんです、いまぼくはね。

自立するつもりが全く無いって人は、必ず他人に依存しますよ。で、他人に全面的に依存してしまう人は、必ず人を恐れるようになるんだ、これが。で、人を恐れる人は必ず人にへつらうようにもなる。

で、こういう感じの連鎖がズルズルとどこまでも続いて、そういう人たちがどんどんそういう状態に慣れていくと、面の皮が厚くなるっていうかね、恥ずかしいことを恥ずかしいと思わなくなるとか、いまそれについて主張しなかったらいつするんだよというような大切な場面で何も言えなくなっちゃったりね。人をみればへーこらへーこら。そういうのが、もうクセになっちゃってるんですね、そういう人は。変わりませんよ、そうなったら、なかなか簡単には、もうね。

まあ、いいんですけどね、この時代に生きている者としてさ、ぼくらのことだけどね、「愛国」とか言うとオエッていう気分になる人多いと思うけどね、まあでも、とりあえず日本という国はあるわけだし、この国が嫌いっていうより好きなほうがいいんじゃないかと思うっていう程度の話でもいいわけでね。

そういう気持ちを持っている人たちは、方向を換えてね、やっぱり自立できるようになるに越したことはないわけですよ。

せめて自分のことくらいは自分でできるようになる。余力があれば、他の人の自立を助けてあげる。親は子どもに自立を教える。先生は生徒に自立を勧める。いろんな仕事の人たちは、各分野で自立する。そうやってこの国を守っていくしかないんですよ。

まとめていえばね、自分のことばかり心配してガクガクブルブルふるえあがって、まわりに対して要求がましくなって、かまってちゃんになってしまうくらいならね、もっと他の人の自由を尊重するとか、あの人もこの人も人知れず苦労してるんだろうなとか理解し合いながら生きていくということが、じつはいちばんいいことなんですよ。ぼくはそう思います。以上

【原文】

福沢諭吉『学問のすゝめ』

「学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実(じつ)のなき文学を言うにあらず。」

「されば今かかる実(じつ)なき学問は先ず次にし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合の仕方、算盤(そろばん)の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条は甚だ多し。」

「右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賎上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に士農工商各々その分を尽し銘々の実業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。」

「独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う。自ら物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵に依らざる独立なり。自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力に依りすがらんとのみせば、全国の人は皆依りすがる人のみにて、これを引受くる者はなかるべし。」

「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諂(へつら)うものなり。常に人を恐れ人に諂う者は次第にこれに慣れ、その面の皮鉄の如くなりて、恥ずべきを恥じず、論ずべきを論ぜず、人をさえ見ればただ腰を屈するのみ。いわゆる習い性になるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。」

「今の世に生れ苟(いやしく)も愛国の意あらん者は、官私を問わず先ず自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成すべし。父兄は子弟に独立を教え、教師は生徒に独立を勧め、士農工商共に独立して国を守らざるべからず。概してこれを言えば、人を束縛して独り心配を求むるより、人を放ちて共に苦楽を与(とも)にするに若(し)かざるなり。」